人間風車

1998/11/09(月)
【アイデアは、足下に落ちている】

あるアイデアを出すと、
「私も、ちょうど同じようなことを考えていたところなんですよ」
と必ずそういう人がいるし、自分でもそう思うことがある。

その人も僕もうそを言っているわけじゃないと思うけれど、
「考えていた」というのは少し正確でもない気がします。

100歩譲って、
その人や僕の頭の中にも同じアイデアが
すでにあったとしましょう。
が、言葉となって、或いは絵となって、
或いは造形物となって、世に出現していない以上、
それは「存在しない」ことなのだと、僕はそう思います。

それにもまして、
「同じアイデアがすでにあった」という感覚は、
錯覚であることが多い気がします。


同じように、誰かのアイデアを見聞きしたとき、
「なんだ、大したアイデアではないな」
と思うことがあります。

この「大したこと、大したことない」と判定する基準は、
そのアイデアのすばらしさであることより、そのアイデアが、
(自分にとって)突拍子もないこと、奇抜なこと、
奇想天外なこと、非常識なこと、全く理解できないことという、
つまり自分(の観測点)からの距離の大きさ、
つまり自分からの遠さだったりすることの方が
多いんじゃないかという気がします。

「同じようなことを考えていた」アイデアというのは、逆に、
自分からの距離がとても近いがために、
すでに自分の中にあったかのような錯覚を
起こすんじゃないかと、そう思うのですが。
口には出てこなかったけど、
すでに頭の中では「考えていた」という錯覚。


よく考えると、距離がある、ないなんて、
アイデアの質とは関係ないですよね。確かに、
遠いアイデアは、見た目、聞いた耳いいですけど、
それだけなんてことはよく経験します。

逆に、足下に落ちているような、
近いアイデアのほうが
「使えるアイデア」であることが多いんじゃないかと。
(よく考えれば、身近なアイデアほど実用的であるのは、
至極当然なのですが)

しかし、上の判定でいくと、
近いアイデア=僕もそう考えていた=大したことないと
なってしまいますから、
使えることは認めても、感心しないことになります。

そもそも、遠い=自分では見つけられない、
近い=自分にでも見つけられる、という前提が、
間違いなのでしょう。
足下にあるアイデアを見つけだすことは、
そうはできないことだと思います。

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