人間風車

1998/11/18(水)
【ポスト・メジャー】

近くを流れる小川に水車を作って、
その村の人たちが使うだけくらいの
発電をおこなうところがあるようです。

サークル的と言いましょうか、同人誌的と言いましょうか、
「スケール」でいえば、相当小さな話ですが、
これがどうにも「新しい」とか「これからのもの」
と感じてしまうのは、どういうわけでしょうか。

産業は、大量生産、大量消費で成り立つもの。
もしくは、それが成功であり、王道である。
今までは確かにそうだったかもしれません、が、
これからも王道なんでしょうか。

大量に売れる=受け入れられるためには、
自分のコアな気持ちに、
幾分かの「サービス」を足さないと成立しません
(などと思っているのが間違いかもしれないけど)。
最大公約数ってやつですからね。

その苦労が、買う側の人の気持ちをすっかり満たすのなら、
苦労のしがいというモノもあるのですが、
残念ながら、買う側の人おのおのにも、
幾分かの「そうでない気持ち(他人の気持ち)」が
残ってしまいます。
雑誌なんか買うとそうですよね。
全てのページが好き!なんてことはまずありません。

で、作る側も買う側も、
この幾分かの「そうでない気持ち(他人の気持ち)」に対して、
無駄な?労力とお金を使うわけです。
そして、このコストを帳消しにするために、
「大量」という概念がでてきてしまう。
これはどうも、何か、
本末が転倒している気がしてなりません。

では、どういうシステムがあり得るか。

わかりません。考えつきません。

年上の友達&師匠の人は「それは、
人肌の暖かさが伝わることだよ」と
すばらしいヒントを与えてくれました。
確かに大量、無記名、無差別に売られるモノには、
あまり体温を感じません。

ひょっとしたら、体温がさめないうちに、
お客様に渡すためには、と考えていくと、
ゴールにたどり着くんでしょうか。わかりませんが。

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