人間風車

1999/06/03(木)
【姓名判断2】

人間風車(5.28)「姓名判断」が
恐ろしく中途半端に終わっているとご指摘を受けて、
確認してみたら、書きかけの原稿だったんですね、
あれ。まちがって登録OKなカテゴリーに
いれてしまったみたいです。すみません。
(この原稿の通し番号が81なので、20個もそういう
「書きかけ」が、このマシンにはあるわけで、
そういうのを平行してチマチマいじっているんで、
こういうみっともない事態になってしまうのでした)


で、姓名判断は、ある程度信じるわけです。


名前の付け方は人それぞれかもしれませんが、
それぞれなりに親のパーソナリティー、
人生観、価値観、夢が反映されている気がします。


たとえば、剛、勝、力、一、激なんていう名は、
そういう「強さ」系に対して、親があこがれていたり、
大切だと思っていたり、そうあってほしいと思っていたりして、
つけられたような気がします。


また、一郎、次郎、三郎、春男、夏夫、秋夫、冬美なんて、
名前なんて所詮記号よ。テイク・イット・イージーよ」
という親のパーソナリティーが感じられなくもありません
(事実ボクの知り合いの春生君は、
4月に生まれたのでこの名になったと悲しそうに語っていました)。

親のそういう、パーソナリティー、人生観、価値観は、
子育てにも影響してきますから、強(つよし)
君が「こらぁ、ケンカに勝つまで帰ってきたらあかんでぇ」
なんて教育がされている可能性は、
純君がそう教育されている可能性より、
はるかに高い気がするんですが。


そういう教育を受けた子が、素直にそういう子に育っていく、
というのもこれまた、
そうでない子がそうなる可能性よりも高いんじゃないかと。

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