人間風車

2001/01/16(火)
【最近、ゲームについて思うこと】

僕らが言うと、
「おいおい」とつっこまれそうな気もするけど、
ゲームって高すぎますよね。
DVDや音楽CDなんかに比べて、
ちょっと世間離れした値段になってしまっている気がする。
ただ、制作コストからすると、
けっしてめちゃくちゃな値段設定になっているわけではないし、
赤字のゲームだってたくさんあるんですけど、
でも、それは作り手側の論理であって、
NTTの接続料金の設定の考え方と同じっすからね。
これは言い訳にはならん気がします。

例えば、3800円で売る。
そのためには、
制作費はこのくらいに納めなくてはいけない。
そのためには、
このくらいの期間と人数で作らなくてはいけない。
このくらいの数売れないといけない。
そのためには、どんな内容のソフトであるべきか?
この連立方程式は、
知恵と運で解決するような気がするんだけどナァ。
今のように、売れない、売れない、
でも値段も内容も売り方も従来のママでね。
なんてのは、
どうみても甘えているだけっていう気がするけどなぁ。
(自己批判を含めて)


それとは別にゲームも、
サッカーやバンドブームのように、
単なるブームだったんだろうか、という気もする。
この日本独特?の「ブーム」っていうムーブは、
危険っすよね。
ブームが去った後は草木一本生えない、
っていわれるくらいだから。
「ゲームって、もうほら、かっこわるいじゃない」
ってことで片づけられちゃうのは寂しい。
ま、それもこれも大人が耐えられる遊びを提供して
こなかったゲームの作り手側の責任だと思うんですけどね。

なんか、今のゲームの内容って、
映画で言えばディズニー映画だけある。
っていうくらい偏っているじゃないですか。
たしかに、大人の心を打つディズニー映画
だってたくさんあるけど、
もっと愛や毒やエロスや哲学がある映画だって

ほしいじゃないですか、大人としては。
でも、今のゲームは、
そういう大人の要求には応えられていない。
マンガだってね、大人しかわからん、
大人のためのマンガが提供されているというのにね。
だから、子供子供ばかりじゃね、
文化として成熟のしようがないですよね。


一方、そういうこととは逆に、
ゲームってどんどん身近な場所に来ているナァ、
とも感じている。
昔、大学の研究室で生まれたTVゲームは、
その後、近くの喫茶店にやってきて、
やがてコーヒーを飲まなくても、
喫茶店の定休日とかも関係ない、
ゲーセンにやってきて、
それがついに自宅の居間までやってきた。
どんどん、我々の近くにやってきてるわけっすね。
これがゲームボーイになると、
いつでも手元にあるって、
ますます近くになり、携帯電話に入ることで、
それ専用端末を持っていなくってイイっていう
「近さ」にまで来ている。
これは、あきらかにわれわれが、
「呼んでいる」からに違いないのであって、
そういう見方をすれば、われわれは相変わらず、
ゲームは好きなんだ。と言えるのかもしれない。
今のゲーム離れっていうのは、
家庭用ゲーム機が誕生したとき、
ゲーセンがさびれたのと同じで、
ゲームの「居場所」が変わろうとしている、
その過渡期にあるからなのかもしれない。


どちらかというと、
後者の予想が正しいことを祈っているんですけどねぇ。


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