人間風車

2001/03/05(月)
【空気や水とアイデア】

「ああ、そのアイデアいいじゃないですか。
やりましょうよ。」
ってな感じで、ゲームの企画を見て、
おもしろく思ってもらえると仕事になる。
ぼくらの仕事は、だいたいはこんな感じで始まる。
企画が通ると、開発の契約も取り交わされる。
その中で制作費の折衝も行われる。
このとき、最初にこちらから、
たたき台として見積もりを出すことが多い。
ぼくは、その見積もりの中でグラフィックなどの
データ制作など具体的な作業の費用より、
「企画費」という項目を第一
(項目の順番的にも、金額的にも)に書く。
一番価値が高いのは、
アイデアであると信じて疑わないからである。
これがいつも折衝の「ネタ」(問題点とも言う)となる。
どういう話になるかというと、簡単にいえば、
グラフィックの制作のように、
具体的に日数×人数として計算できない、
無形の行為にはお金が払えない、ということだ。
ま、制作費をけちるためという
意図でないことはよくわかるし、
払いにくい気持ちもわからないでもない。
僕の提案する企画は、
どれも本当に作れるのか?面白いのか?
スタート時点では、
非常に微妙というか危なっかしいなものが多い。
しかも、企画紙は、たいがい、紙切れ2,3枚だ。
だから、完成にいたるまでのリスクと、
企画費=企画書2,3枚を書く作業という査定によれば、
僕が出す見積もりは、たしかに法外にみえることだろう。
だからといって、こちらも納得はできない。
だって「そのアイデアいいじゃないですか。」
で始まった話なのに、そのアイデア自体、
というかアイデア単独にはお金を出せない、
というんだもん。
生み出すことよりも、
作業の方が偉いということか?なんて、
つい意地悪に考えてしまうこともある。
ただ、これは、
ぼくらのクライアントだけの問題と言うよりは、
日本の価値観の問題である気がする。
映画の世界でも同じような問題があるとも聞いている。
日本では、空気や水と同じように、
アイデア自体はタダという価値観は根強い。
もともと加工文化なんていわれるように、
よそ様のアイデアをうまく商業化することで
発展してきたお国柄なので、
元のアイデアを生み出す事自体に、
あまり価値を見いださないということなのだろうか。

さてさて、こうした折衝の結果はどうなるかというと、
たいがい、別の作業費の中に、
その分(企画費として見積もった分)
を潜り込まされるという、これまた、
いかにも日本的な方法で円満に一件落着となるのでした。


ps:
今のBGMはdeep forestの久しぶりの新作"pacifique"。
ダメだなぁ、イマイチだなぁ。
もう全然変わってない、止まってしまっている感じ。

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