人間風車

2002/04/10(水)
【誕生日】

最初の「お誕生日おめでとうございます」メールは、
某ネットバンクからだった。
am12:06、日付が変わった
(誕生日の日になった)直後に送信されてきた。
義理のおめでとうメールはもうらうことあるけどねぇ、
日付が変わったちょっきりの時間にもらうってのは、
義理を越えて、人間性ナシって感じで、
あまりうれしくなかった。
ということで、また一つ年をとった。
最近、年齢を人前で言うのは、あまり好きじゃない。
(女性が年齢を言うのをはばかる気持ちが
ちょっとわかったような気がする)
20代のころ想像していた40歳代と、
今の自分(のセルフイメージ)があまりにかけ離れている。
肉体は確かに老化しているんだけど、
精神は20代後半で止まったままの感じだ。
そのあたり、どうもチグハグでいけないし、
やはり、「残り時間」のことなんかを考えると、
ちょっと寂しい気持ちになってしまったりするからだ。
ただ、壊れていく肉体っていうのも悪くはない。
オンボロ中古車を、いろいろメンテナンスしながら、
なんとか、現役で動かしているみたいな、
やりくりのおもしろさがある。
これは生命力任せに生きていられる20代では、
味わえない醍醐味である。

どういうわけか、
今はビデオゲームの制作がメインになっている。
作り手としては現役だけど、
遊び手としては、ほとんどリタイアしている。
こんなんで、作る資格あるのかなぁと思いながらも、
任天堂の宮本さんも全然ゲームやらないというし、
作ることと遊ぶことは全くの別の問題として考えても、
それはそれで許されるし、可能なことなのかも、と思っている。
ただ、ぼくは、
売れるゲームはとか、おもしろいゲームはとか、
斬新なゲームはとか、
そういう発想でゲームを考えられない。
今、自分は何がおもしろいと思っているか、
テレビ画面に映しだす遊びでは、何がほしいか、
そんな風にしか発想できないので、
テレビ画面に向かってゲームをしていないのに、
ゲームを作っているなんて矛盾している、
という気もしないではない。

音楽の分野でも「アン・プラグド」
(電気を必要としない楽器だけでの演奏)が流行っているけど、
自分の中では、ゲームも「アン・プラグド」がいいなぁと思っている。
とくに、ここのところ、狂ったようにボードゲームを購入しているので、
つくづくそう思う。
ボードやカードやコマやサイコロを触っていると、
モノっていいなぁと思ってしまう。
「アン・プラグド」ゲームを作りたいなぁ、
でも、日本じゃ市場がないからなぁ、
なかなか作らせてもらえないだろうなぁ。
6ニムトやアウフアクセ、
トーレスの作者として知られる(って知られてないか)
尊敬するボードゲームデザイナー、
ヴォルフガンク・クラマー(Wolfgang Kramer)は、
http://www.kramer-spiele.de/
経営コンサルタントをするかたわらでゲームを作っているらしいけど、
ちょっと見習おうかな。

10年前には、ビデオゲームの制作がメインなんて、
まったく予想も希望もしていなかったことである。
だから、きっと10年先も全く予想していない仕事をしている気がする。
ただ、60才になったらやることは、もう決めている。
陶芸をやるのだ。
これはいまでも、やりたくて仕方がないんだけど、
60からの楽しみに取ってあるんです
(結果、天国でやるハメになっちゃうかもしれないけど)。
なんか、陶芸って、それまでの培ってきた美術的センス、
技術を全部活かせる気がするし、
わびさび、あわれ、幽玄といった、
老人的感性もそれにプラスできる。
そんな人生の総合芸術、なんて勝手に想像しているんです。

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