人間風車

2002/04/26(金)
【小器用】

今日「テロメアの帽子」が届いた
(今日配送らしいので、本屋に並ぶのには後2~3日かかるそう)。
「マッチ箱の脳」に続いて、糸井さんに帯を書いていただいた。
本の装幀は、先輩後輩の特権を利用して、
鈴木成一デザイン室にお願いした。
色校正で刷り上がりなんかはチェックしてたんだけど、
こうして本の形になったのを
手にするのは今日が始めててだったんだけど、
なんか、前の本よりうれしい。
こういう仕事をしていて何なんだけど、
ずっと絵については1つのコンプレックスがあった。
小器用なところだ。
ある程度の絵なら、画材もテーマもタッチも、どのようにでも描ける。
誰々風の絵とか、今流行の絵とか、そういうのも描ける。
もちろん、そうしたオーダーは受けないんだけど、
常々、この小器用さは、自分にとって弱点である、
少なくとも弱点になりうる
やっかいな技術だなぁと思っていた。
ぼくがこういう仕事についていなくって、趣味で絵を描いているのなら、
こうしたテクニックは重宝であり、
得意がれるものだったかもしれないけど、
こういう仕事では、小器用なんて百害あって一利なしである。
大事なのはオリジナリティーとパワーであって、
例えば、ニーズにあった絵を描く器用さなんてのは、重宝がられるけど、
あっという間に「消費」されて、クリエイターとしては終わってしまう。
自分が、そうした危険をはらんでいることを、
常々コンプレックスとして感じていた。
絵のオリジナリティー
(画材や技法やデザイン、
それにテーマの選択などのコンセプトなど)は、
本来は自然発生的に、結果として定義されるものであって、
他の作家が使っていない画材や表現方法、テーマを使って、
なんて背理法的に探したり、決め込んだりすると、
これまた「器用貧乏」に陥ることになるので気をつけないといけない。
常々そんなことを思っていたまま、それでいて、
ではどう突破するか?とマジメに考えたこともないまま、
ずっと(絵と適当な距離を保ちながら)やってきたんだけど、
「テロメアの帽子」で
かなりの量の絵を描かないといけないとわかった時点で、
ちょうどいい機会だから、うっちゃってたそこらあたりの問題と、
ちょっとマジメに向き合ってみようと決めた。
その結果(案の定)、何ヶ月も筆が動かず悶々とする時期が続いた。
(おかげで、薄い本なら1冊分くらいの量の
(使わなかった)原稿が書けてしまった)
そして、何がきっかけだったのか、
あるいはきっかけがあったのかどうか、すっかり忘れてしまったけど、
ある日、ごくごくシンプルな結論に達した。
それは「無心に、一生懸命描こう」ということだった。
自分が好きなように、わかりやすくとか、
テーマに合わせたトーンでとか、ぼくらしいとかタッチとか、
コンピュータならではの描画表現とか、
そういうあらゆる「作為」を排除して、
いや排除するという意識さえも捨てて、ただただ一生懸命描こう。
ゾーン真ん中に精一杯の直球を投げよう。
何ヶ月も悩んだ結果の結論は、そんな当たり前なものだった。
そして「テロメアの帽子」では、
少なくともそれだけは実行できたような気がする。
(糸井さんもこの点をほめてくれた)
「テロメアの帽子」の絵がボクの「素」の絵である。
だから、この絵がわかりやすい絵であるかどうかとか、
受ける絵であるかどうかとか、今風であるかどうかとか、
芸術的であるかどうかとか、そういうことは全く気にならない。
「テロメアの帽子」では、
20年近く後回しにしてきた宿題(の一つ)をようやく
片づけられたいう実感があって、そういう意味で、
前作より感慨が深い。

以上、「プロジェクトX」風に書いてみました。
田口トモロヲのマネをしながら読んでください。

« 数字いじり3 素数2 | | 自分は少し損をし、相手は少し得をする »