人間風車

2002/08/20(火)
【うぬぼれる力】

ぼくはほとんど弱音も愚痴も吐かない。
と書くと、強い男みたいにとられるかもしれないけど、
実のところはその逆で、弱みも見せられない、
見せることや見つかってしまうこと(くらい)で自我が
ピンチになるんじゃないかと怯えている、そんな人間である。
だから、弱みは見せないよう、
見つからないようにがんばっているわけなのだ。
んが、最近そう虚勢をはるのにも少々疲れてきたので、
弱っていたり、くよくよしてたりするときは、
はい、そんな感じです。と白状してしまうことにしている。
長いつきあいの人には、それが「異変」に見えるらしく(笑)、
心配とかしてくれるんだけど、ま、そのくらいじゃあ、
自我がピンチにならなくなったってことっすよ。
 ●
モノを創っていく仕事で一番大切な資質はなんでしょう、
なんて聞かれるときには、
体力とうぬぼれる力と答えることにしている。
実際の現場では、クリエイティブな才能以前に、
体力がないと話にならない。
仲間のクリエイターは、みんなそういうからきっと間違いないだろう。
うぬぼれる力は、特にボクなんかみたいに、
数字的に才能が証明されているってわけじゃない者にとって、
大切な力である。
スポーツのように客観的な基準がない世界だから、
最終的には、
「自分はいけてる」という、うぬぼれだけが心の支えとなる。
この支えがないと、流行にキョロキョロしたり、
クライアントの顔色をうかがったりとかいうことになりかねない。
ただ、このセルフイメージには何の根拠もないので、
すっごく簡単なことで揺らいでしまう。
故に、恍惚と不安を繰り返すことになる。
(このため、心の金属疲労を起こすことにもなる)
いつも心が揺れている。止まっていられない。
その揺れる力が、モノを創るエネルギーになっているんだと思う。
そういう意味では、恋愛に近いのかもしれない。
恋愛も愛されている証拠を探すのは不毛であって、
結局の所、愛されているんだわという、うぬぼれしか頼りどころがない。
(と思う)
よく、自他共に才能を認め、
本人も創りたい創りたいといっているにも関わらず、
何も創らない人がいる。
そういう人はきっと何も創らないでも、心が安定しているんだろう。
才能があることとモノを創れることは、必ずしもイコールではないのだ。
 ●
昨日の引用文で、引用元からクレームがつきましたので、
要請に従い、「無断転載しました。部分引用でした。」と明記します。
(ただし、部分引用といっても、後半を削っただけで、
文章を再構成しているわけじゃないです)
失礼をいたしました。お詫びいたします。
ただ、先日の趣旨は、
単に、
「こういう一文があって、へこんだのよ」ということだけであったので、
言ったのが誰であるかとか、
こういう人はどんなものかといった糾弾でもなく、
この言い分は正しいのか!とジャッジを求めてたわけでもないです。
だから、あえて(無用なトラブルをさけるために)、
著者名もHPのアドレスも記さなかったのですし、
この一文にへこんだという部分だけを引用しただけであって、
「自分の都合のいいところだけ」を取り上げた「悪意」じゃないです。
(だいたい、議論や裁判をしてるわけではないので、
都合がいいも悪いも、こちら的にはない)
とちょっとだけ反応。
ま、といっても、マナー違反はマナー違反ですから、
この点に関してはお詫びしときます。
なお、第三者に興味本位に「祭り」にされてもイヤなので、
先日の引用文は削除しました。
あしからず。
ともかく、この一件はこれで終わり!

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