人間風車

2002/11/08(金)
【ボードゲームの怨念】

新宿の某コンピュータデザイン専門学校の
ゼミにゲストとして呼ばれ、
あることないこと、偉そうなこと情けないこと、
いろいろしゃべってきた。
専門学校に行っている人たちってのは、
技術を手にしたいという明確な目的がある人ばかりで、
そこらの大学生みたいに目が死んでない。
とオヤジ臭いことをいうあたし。
こういうやる気のある人たちの前で話すのは楽しい。
例によって、
ゲームに人工知能を使った経緯みたいな話を求められたんだけど、
みんな数理系に強い人ばかかりなので、
「評価関数における極所解からの脱出法として、
熱力学的確率を発生させる装置が組み込まれ、、、」
なんて説明でいいので、楽だった。
専門用語を使って話すってのはホント楽なのだ。
日本語で人工知能を語っているみたいに楽さというか。
「マッチ箱の脳」のように平易な日本語で書くというのは、
慣れない英語で話しているような苦労がある。
 ●
昨日の余韻でネットワークゲームについて、いろいろ考える。
コンシューマゲームを作っていたときは、
いい加減に作ろうとアレだけど、
作り込みすぎないように気をつけていた。
それまでのゲームが、フルボディーなフランス料理、
京都の重い和菓子などのように、重厚に作られすぎていてい、
自分を含むライトなユーザーにはたっぷり過ぎる感じがしたので、
もっと軽いモノを作りたかった。
ところが、ネットワークゲームを作ることになって、
逆に作り込んだモノを作りたくなってきている。
これは自分でも不思議だし、
そうした考え方が、
ネットワークゲームには
ふさわしくないと昨日さんざん教えてもらったので、
やばいなぁと思っている。
そして、今日風呂に入っていたら、
どうして今頃、
そういう気分になったのかようやくわかった気がした。
ボクの中では、
ネットワークゲーム=1万人の知らない人同士が
共通の遊びを通して出会える場というイメージがないのだ。
ボクの中では、
コンシューマゲームがやっとボードゲームを取り込めるようになった、
ネットワークとは遠隔地の複数の人(友達)と
プレイできるボードゲームっていうイメージがあるようだ。
ボクはTVゲームはまったくやらないけど、
ボードゲームについては、ちょっとオタッキーなところがある。
とっても好きって言うくらい好きであり、
しかも作り込まれたゲームが好き。
今でもボードゲームを作ってみたくてしようがないけど、
日本では全く需要がないので作れないでいる。
そんな潜在的な欲求が、
ネットワークゲームを作るということになって、
急に顕在化してきたのだと思う。
んで、オタッキーであるから、
ボードゲームはちゃんとしたモノを作りたい。
厳密でおもしろい、何度でも出来る、入りやすく奥が深いルール。
そんなゲームを作りたい。
コンシューマゲームでは、さんざん、
ゆるゆるなゲームを作ってきたのによく言うよというか、
因果なモンだというか、
よもかくボードゲームへの怨念が今出てきているのだなぁと、
今日風呂に入りながら、しみじみそう思った。
ところが、
ネットワークゲーム=不特定多数が同時に遊べるゲームであるとすると、
不特定多数を想定した厳密でおもしろいルールなんてモノは、
存在しない気がする。
現実会もそんなおもしろいルールはない。
ただ、命にかかわるようなリアルな報酬、危険があるので、
それを求め回避するというところにストラテジーが生まれる。
どう世界を作り込んでも、
ゲームの世界の中にはそうしたリアルはあり得ない。
だから、せいぜい人々が集う場ときっかけを与えるのが、
ネットワークゲームの役割である。
と昨日力説されたわけである。
ネットワーク=不特定多数が同時に、
という可能性を否定するつもりはないが、
だからといってそうでなくてはならないってこともないのかもしれない。
ナップスターのようにp2pなゲームってのもアリなはずだ。
そうした仕組みではボードゲームのような
厳密で楽しい遊びなんてのはあり得るかもしれない。
どうせ後発なことだし、
そっち系で行ってみようかなとちょっと思ったりした。

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