人間風車

2002/11/13(水)
【20代】

先週、立て続けに20代の人たちと話す機会があって、
そのとき「森川さんは、20代のころ何をしてましたか?」
と聞かれて口ごもってしまった。
彼らは、ぼくの人生に興味があったというよりは、
今の自分たちと20代のときのボクとを比べてみたかったのだろう。
でも、心配に及ばない。君たちの方がうんと立派だ(本心)。
と言ってあげればよかったなぁと今頃思うのだけど、
結局何一つ「形」にすることができなかった自分の20代というのは、
今でも少しちくっとするほろ苦い時代だったので、
そう言ってあげる余裕がなかった。
別に隠しているわけではないけど、ホントに書くことがないので、
プロフィールにもCGをやり始めた
30代からの履歴しか書かないでいる。
今更ここで書いてもしようがないのだけど、失敗や挫折でも、
なにかしら彼らのためになったかもしれないなと
思ったりしていることもあり、
ちょっと書いておこうかなと思った次第。

大学に入って、
ひょんなことからマンガ(といっても同人誌に)
描くことになって以来、
「今までの商業マンガにないマンガを描こう!
商業マンガを破壊しよう!」とばかりに、
新しい試みのマンガをがんがん描いていた。
(ちなみに、「マッチ箱の脳」が処女作ではなく、
某出版社からマンガを1冊出してたりして)
ちょうど、時代(80年代)も
サブカルチャーがもてはやされていた時代で、
青林堂が最後の輝きをみせ、奥平イラ、ひさうちみちお、
えびすよしかずなどニュータイプの作家がデビューし、
けいせい出版がそうしたサブカルなマンガを出版していた。
関西では、「漫画ゴールデンスーパーデラックス」
(漫金超と略されていた)
というこれまた野心的な雑誌が出版されていたし、
「楽書館」など質の高い同人グループが出たり、
「ぱふ」や「コミックボックス」やコミケが同人誌界の
新しいムーブメントを支援していたりして、
マンガが変わるかもしれないというムードがあった時代だった。
今思っても、ぼくらが描いてきたマンガは新しいモノだったし、
それなりにおもしろいモノだったとおもっている。
ただ、時代の後押しがあってもなお、
保守的な商業マンガ業界に
割り込んでいくことはなかなかできなかった。
そうこうするうちに、青林堂やけいせい出版がつぶれ、
漫金超もいつのまにか出なくなり、
同人誌界はいつのまにやらアニメオタク集団が主体をなすようになり、
独創的なマンガは姿を消し、「うるせいやつら」や「パタリロ」、
「キャプテン翼君」などのパロディーマンガばっかりになってしまい、
急激に失速してしまう。
そして、結局、
商業マンガには全くと言っていいほど
影響を与えることが出来なかいまま、
ボクもいつの間にかマンガを描かなくなった。
20代のほとんどの時間を、
マンガを描くことと映画を見ることに使ってきたので、
この挫折感も大きかった。
この挫折は、今でもコンプレックスとして残っている。
だから、20代ですでに大手ゲームメーカーに資本援助を受け
会社を立ち上げている人、
数々の有名ゲーム制作にたずさわってきた人を前に、
自分の20代の話は語れなかった。
最近ようやくそのころの総括ができるようになったので、
今、ここに20代の時の自分がいたら、小一時間問いつめてやると思う。
「マンガは先人が開拓したメディアである。そうした人の土俵で、
壊してやるとかいうのは甘ったれている」
「もし何か新しいことをしたいなら、
自分たちで新しいメディアをみつけるべきだ」と。


ムームーの小物達#1プッカのあみぐるみ

20021113.jpg

« もろもろ | | ちょっと足りない »