人間風車

2002/12/04(水)
【苦い】

忙しいには、2種類ある。
甘い忙しさと苦い忙しさ。
今の忙しさは苦い。
忙しさのレベルから言えば、
ウゴウゴをやっていた頃とそう変わりはない。
でも、忙しさの「味」が全然違う。
今日味わった苦さは、あくる朝起きるとまだ口の中に残っている。
毎日の苦さで舌がマヒして、
人生全般の味もわからなくなってしまっている。
そんな毎日だ。
こうした苦さを味わいたくなくて、
一度も就職をすることもなく社会との接点を可能な限り小さくし、
うまく逃げ回ってきたつもりなのに、
意外なところでつかまってしまった。
でも、どうせ捕まってしまったんだから、
この苦さはどこからくるのか、自分は何を苦く感じるのか、
そのあたりを整理できるチャンスだと思うことにしよう。
なんてことを風呂に入りながら小一時間考えた。
プロデューサーとの衝突。
これは今までだってある。
そもそもプロデューサーは、売れること、
コスト(制作期間と制作費)を押さえた「商品」を作ることを
第一義として考え仕事であるのにたいして、
ディレクターはいかに自分の納得いく「作品」にするかを第一義に考える。
当然、そこにはギャップが生まれるから、
お互いがお互いの仕事に熱心になれば、必然的にそこに摩擦が生まれる。
基本的には、こうした摩擦は楽しい。
調整とか説得とか説明とかは苦手だが、
違う価値観に触れること自体は楽しい。
自分にない価値観に触れることで、
また一つ自分のポケットが増えたような気になるからだ。
だから、原則的にそこに苦さは感じないはずだ。
共同作業のストレス。
1年間ずっと顔を見合わせて1つの作業をしているのだから、
ストレスはつきものだ。
ある人の思い違いや怠慢や不注意が、
他の全員にトラブルとなって降り注ぐ。
そんなことの連続だ。
細かいところでの価値観も違う。
白色が好きか、赤色が好きか、
たいがいはそうした主観的な問題であって、
だれが正しいというモノでもない。
多くの場合は民主的手法で解決されるので、
自分の欲求が100%通ることはまずない。
ただ、そのことも楽しいとはいえないが、
苦いと感じるほどの苦痛にはならない。
当たり前のことだと最初から覚悟しているし、
むしろ、自分以外のアイデアで作品がよくなったと思ったときは、
素直に助けてもらえてよかったと思う。
じゃあ、なんなんだろう、この苦さの源は?
と考えていたらなんとなく思い当たる節にでくわした。
具体的には書けないけど、
愛だ。愛。
愛が不足しているのだとわかった。
各々の作品に対する愛は十分に感じている。
きっとみんな今の作品を愛していると思う。
ほこりにも思ってくれていると思う。
ただ、決定的なところに対する愛が足らないのだ。
愛とはほとんど、リスペクトとイコールといっていいかもしれない。
(少なくともぼくにとって、
恋愛においても仕事においても、愛は尊敬の念から生まれる)
誰が誰に対して愛がないのか。
絶対に口にすることはできないけど、
それがわかった気がする。
それはメールや打ち合わせなど、
どのシーンをとっても表だっては出てきていない。
ただ、人間というのは幸か不幸か、
愛されていないことってのはかぎつけてしまうのだ。
どんなにゴージャスな言葉をもらっても、なんとなくわかってしまうのだ。
その愛のなさが、苦さの素になっているのだ、きっと。
ただ、
愛してくれていない人がそばにいることが苦痛なのか。
自分が愛していない人がそばにいることが苦痛なのか。
その両方なのか。
そのあたりはあやふやだ。
万人に愛されたいとは思わないし、
思ってみたところで不可能であることもよくわかっている。
そして奇跡的にも万人に愛されたとしても、
それは果たして幸せなのか?という疑問さえ持っている。
師匠であり友人である人の
「自分をホントにわかってくれる人なんて、世界に3人もいれば十分」
という言葉に激しく同意もしている。
ならば、自分が愛していない人が自分を愛していないことなど、
なんで苦痛になるのだろうか。
どうやら、もう一つ奥にドアがあるような気がする。


ムームーの小物達#13 ムームー星人

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