人間風車

2002/12/13(金)
【大辻先生】

大学時代の恩師であった大辻清司先生のところに行って来た。
先生は去年のちょうど今頃、まるで近所にタバコを買いに行くかのような
軽いステップで、向こうの世界に逝ってしまった。
ちょうど1年だしということで線香でもあげにいこうと、
いつものメンバーでおじゃますることにした。
んが、案の定、先生のお宅には仏壇も焼香もなかった。
奥さんは、
「いいのよ、あの人はこれで。
どうせこの部屋をブラブラ漂ってるんだから」
とつっこみようのない冗談を言っていた。
仏壇のかわりに、
小さなテーブルの上に友達の写真と封をきった吸いかけのタバコ
(両切りの缶ピー)と灰皿が置いてあったので、
ヘビースモーカーであった先生も
線香の煙よりタバコの煙の方がうれしいだろうと、
タバコに火をつけ、線香代わりに立てかけて置いた。
もう10年以上も毎年1回くらい先生の所におじゃまをしていた。
いつも集まるメンバーは、
みんなその1年間に作ったモノを持ち寄って
先生に見ていただくというのが習わしになっていた。
もうみんな40過ぎのイイおじさん、おばさんなんだけど、
その時ばかりは、課題を提出する学生そのまんまだった。
といっても、先生は非常に無口なかたで、
いつもニコニコ見てるだけで、
決して批評めいたなことはおっしゃらなかったのだけど。

誰でもそうだろうけど、
40年も生きているとどっかで自分の人生に
決定的な影響を与える人に出会う。
ぼくにとって大辻先生がその人だった。
今のぼくの物作りの姿勢は、先生の教えに寄るところが大きい。
自分の感性にこびりついた人からの「借り物」をはぎ取り、
主観をつきつめること、
モノ作りとはそういうことなのだ、みたいなことを教わった。
こうした姿勢は芸術の世界では矛盾を産まないだろうけど、
ぼくのように「商品」を作るものにとっては大いなる矛盾を産む。
自分の感性の「芯」に近づけば近づくほど、
それに共感してくれる人の数は(一時的に)少なくなっていく。
そのこと自体はモノ作りにはなんら関係もないことだけど、
「商品」を作る上では致命的な欠点となる。
売れることがなによりという商業的ものさしで測れば、
「ひとりよがり」「マスターベーション」にすぎないということになる。
ただ、彫刻家のロダンが予言しているように
「個人の主観を深く掘り下げていけば、人類共有の主観にぶちあたる」
ということもあるのかもしれない
(ビートルズなんかはそこに達しているのかもしれない)。
そこらあたりについては、自分の中でもうまく整理が着いていない。
どうしたらいいのか、もう少し先生に教えてもらいたかった気もする。
帰りがけ、奥さんが
「結局、うちのがいてもいなくても
(いたときもあまりしゃべらなかったから)変わんなかったわね」
とまた突っ込みようのない冗談を言った。


ムームーの小物達#21 中途半端なコレクション

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