人間風車

2005/03/28(月)
【短編ゲーム作家】

花粉症がいよいよ本格化したか!と思ったら、
どーやら風邪を引いたらしい。
ほんと、この時期、紛らわしくって仕方がない。
この症状があったら風邪。
この症状があったら花粉症。
っていう定義はないもんだろうか。

アントニオ猪木を非難してる暴露本は多いが、
それらの本で共通しているのは、
人間猪木寛至の最低な点ではなく、
アントニオ猪木は至上最高のレスラーだと言っている点だ。

猪木が困ったさんであるよりも、
彼を嫌っている人でさえ彼のプロレスは評価している、
っていうことのほうがうんと重要だ。

自分は、小説家で例えるなら短編小説家なんだと思う。
陸上選手で例えるなら短距離走者だと思う。
1つの話を重厚に作り上げていくよりは、
1つの「ネタ」だけの、
いわば「初速」だけで果ててしまうタイプだ。
別に長編作家は短編作家より偉いということはないから、
そういうパーソナリティーをがっかりはしていなけど、
ことゲーム製作に関しては、ちと困る。
小説で言う短編集にあたるゲームジャンルがないのだ。
『メイド・イン・ワリオ』のように短編ゲーム集はあるけど、
あれは短歌集みたいなもので、
「5秒で終わるゲーム」という一つのテーマを、
いろいろなゲームで表現しているというあたりで一貫しており、
立派に?長編作品であると言えるからだ。
(小説で言えば変則の章立てといったところか)
もっと、ちょうど音楽のアルバムのような、
その時のその作家のムード、ブーム、興味が
全面に出て(結果、いろんなタイプの曲が入っていたりする)
っていう感じのゲームが出せるとありがたいのだが、
おそらくそういう企画は通りにくいだろうし、
売れないかもしれない。

こうした作り方がうまく行くためには、
ゲームもゲームの内容だけでなく、
作家を全面に出していかないといけない。
「GLAYの新曲だから買う」
みたいなことが起こらないとうまくいかない。
すでに
「彼のゲームだから買う」とか
「あのソフト会社の作品だから買う」
ということもあるけど、
どうもちょっと違う気がする。
作家個人が目立っていないと言うか、
ソフト会社単位でとらえられがちというか、
小説家や映画の監督や音楽のミュージシャンとは、
見方も扱いもちと違う気がする。
(これらはどこの会社の作品かとかあまり気にしない)

ともかく、まー、
短編ゲーム作家てのが存在していいのではないか、
いや今の時代は存在すべきだとすら思うのだが、
どんなもんだろう。

« スピードが肝心なんです | | 失敗百選 »