人間風車

2006/03/24(金)
【理性による検閲】

DIMEの今週号に、
大好きな作家、筒井康隆のインタビューが載っている。
彼の発想法がとてもおもしろく、
且つ、
似てるかもと思ったのでちょっと紹介。
「着想」に至るまでの(ネタの)断片は、
意識(エゴ)上に置いておいてもしようがない。
無意識、前意識に留めておかないといかない。
そうした深いところに貯めておいたネタが、
ふと「理性」による検閲を免れて、
素のままで浮上してきて急激に合体するときにはじめて、
それらは新鮮で大胆で斬新で個性的で革新的で
バカバカしいアイデアとなる。
まー、だいたいそんなことを言っている。

要点は3つだと思った。
1つは、理性の検閲とは
常に常識や見栄や道徳観や諸々の利益といった
「社会性」のフィルターだ。
そういうフィルターを通ってきたからこそ
役に立つアイデアってのも多いが、
こと創作に関しては、百害あって一利なしだろう。
いかにそうした検閲をのがれて「しゃば」に出してやれるかが、
とても大切なテクニックとなる。
もう一つは、
無意識下に貯蔵しているネタは1つでは役不足であり、
複数のネタが合体したときに
はじめて強い力を発するということだ。
そして、どのネタとどのネタがくっつけるかもまた、
意識(常識)のフィルターを通してではダメだ。
意外なくっつき方っていうのもまた、
検閲を免れた時のみできる合体ということだ。
最後の一つは、
そういう意識の検閲を免れる手段というか儀式を
身につけないといけないということだ。
きっとこれは個人個人で全然違うだろう。
筒井康隆は惰眠やパチンコだそうだ。
ボクの場合は、散歩か風呂か落書きだ。

自分と筒井康隆を並べて語るなんて恐れ多すぎだけど、
精度や質の差はあるにしても発想法はそっくりなんで驚いた。
例えば、
遺伝的アルゴリズムと演歌とシロクマ
といった無意識の世界で個別に浮遊してたネタたちが、
ふいにくっついてゲーム仕様として意識に登ってくる。
どう発想したのかと聞かれると、
やっぱりそういう感じということになる。

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