人間風車

2006/04/21(金)
【脳内汚染】

「水中毒」に続いて初めて知った言葉「脳内汚染」。
どうやら岡田尊司氏作の言葉らしいが、
有名な言葉なんだろうか。
某雑誌のコラムに、
"ニートの発生は、テレビゲームやネット依存などによる
『脳内汚染』とも関係があろう。"
と書いてあって初めて知った。
"とも関係があろう"というクールな言い回しに、
筆者の冷静且つ公平な視線を感じるけど、
"テレビゲームやネット依存などによる『脳内汚染』"
という言い切りには躊躇が感じられないあたりは、
少々ビックリした。
テレビゲームやネットは、脳内を汚染するのかな?
別にゲームやネットばかりじゃなくても、
過度の依存はなんでも脳内を汚染しようなものだが、、、。
(そもそもニートは社会の問題や犠牲者なんだろうか
っていう疑問もあるけど)

そんなことを思いながら、
ふとまったく関係ない思いが浮かんだ。
インターネットが気がついたときから
当たり前にある世代というのは、
ある意味不幸である気がしないでもないということだ。
うまい例えではないけど、
身近なところに銃がある子供たちと
ある意味、同じ不幸さがあるように感じる。
銃が人を殺すわけではないが、
もし身近に銃がなければ、少しは悲劇は減っただろう。
(もちろん、銃は人に危害しか与えないが、
インターネットは、
危害よりも何百倍も幸せをもたらしてくれるから、
同じ土俵で語ってはいけないものではあるが)

時代には関係なく、
子供だって愚痴りたかったり、
(自覚して)暴言を吐いたり、
誹謗中傷やねたみや偏見や八つ当たりをするものだ(ろう)。
それはいいことでも悪いことでもないだろう。
単に自然な「生理的現象」と見るべきだろう。
ただ、昔ならそれらは、
日記に書くか、友達に言うか、ラジオ局に投稿することぐらいしか
吐き出す手段がなかった。
不特定多数の人にぶちまけるなんていう手段なんてあり得なかった。
それがインターネットの普及で、
簡単にできるようになってしまった。
吐き出す手段がなかった時代、そういった悶々たる思いは
いったん自分で飲み込んで、
自分の中で「消化」するより仕方がなかった。
そういう「消化」することは、
少なからず他人や社会や自分を理解することに役立っている。
そうした処理をしないまま、
外界に鬱々たるエネルギーを放出してしまうことは、
放出する者にとっても、そのターゲットにとっても、
とても不幸なことだ。
昔の子供が偉かったわけではなく、
昔の子供だって、今のような環境だったら
同じようにしたに違いない。
そういう意味で、
今の子供たちの方が少し不幸だとも言えると思うというわけだ。
(もっとも、そうした不幸以上にラッキーも手に入れていると思うが)

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