人間風車

2006/04/26(水)
【ゲームと弁当】

ゲーム作りは弁当作りに似ているのかもしれない。
ふと弁当を作ろうと思った瞬間、
その人の頭の中には、
タケノコご飯とかかにクリームコロッケとか
エビフライとか卵焼きとかタコウインナーとか、
そういう単品がイメージされているんだろう。
そしてそれはとっても食べたいもの@nowなんだろう。
が、次の瞬間、
その弁当が売り物であろうと子供の弁当であろうと、
それ一品でいいんだろうかという不安がよぎる。
見た目がしょぼい。
もしこの一品が食べる人が嫌いだったらどうしよう。
ひょっとしたら手抜きと思われるかもしれない。
などなど。
ということで、もう一品添えることになる。
少し不安が消えた。
しかし、不安がなくなったわけでもストップしたわけでもない。
むしろ、アイテムを増やすことを許してしまったので、
ある意味歯止めがきかなくなったと言える。
一品と二品では意味が違う。
二品と三品以降は同じこと。
そう思うと2品で止めることに意味がなくなってしまう。
ということで、三品にしてみる。
ますます上のような不安は薄らぐ。
がしかし、代わりに、
じゃあ四品にすればもっと薄らぐんじゃないか
という気持ちが持ち上がってくる。
三品でストップする根拠もない。
コストとか労力とか技術とか大きさとか時間とかいった、
外からの限界がくるまで品数が増えていくことになる。
そしていつの間にか、
弁当は幕の内弁当になってしまうのであった。

いつか機会があったら、
この例えでゲームを憂えてみよう(笑)

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