人間風車

2007/07/05(木)
【教育か応報か】

悪いことをした子ども達は、それなりの事情があって」
こういう発言を聞いたりすると、
やはりちらと考えてしまう。

ぜんぜん詳しくないのでアレですが、
犯罪を犯した者への懲罰は、
基本的に「教育刑」つまり、
悔い改め、更正するための戒めという
意味合いが強いようだ。
「この罰をよ~くかみしめて、
今後、ちゃんとした生活を送るように!」
というわけだ。
ときどき、
「え!こんなに軽い刑!」
と思う判決に出くわしたりすることがあるのも、
根底に、こうした思想があることが
大きく影響しているようだ。

教育刑に対して、
教育刑の「慈悲」のようなものを
削除したのが応報刑である。
乱暴に言ってしまえば、そういえるかもしれない。
教育刑ほど、
罪を犯した者の再生を重視しない訳なので、
原則、その分、罪は重いモノになる。

応報刑であるべきか、教育刑であるべきか、
どちらが正しいのか、
もちろん、自分なんぞにはちっともわからない。
しかし、
マスコミが妙なあおり方をすることも影響してか、
世論としては、
応報刑を望んでいる声が
日に日に大きくなっていってる気がする。
教育刑がうまく作用しているのか、
つまりホントに再犯が減っているのか?
少年だからと言って刑が軽くなっていいのか?
飲酒運転のように、
過失だからと言って刑が軽くなっていいのか?
そういう気持ちが大きくなっているからだろうか。
あるいは、
最近、悲惨で耐え難い事件が頻発しているからだろうか。
そしてまた、それがこの先、
もっと増えそうだという不安があるからだろうか。
重い罰という
犯罪の「抑止力」を欲しているからだろうか。

少年法に関して言えば、
何歳を境に、大人と同じに扱うべきか、
それはとても難しい問題だし、
何歳かはアレとして、
たしかに、
罪に問うのは酷な年齢というものもある。
しかし、そのことと、
加害者が誰であるかと言うことは関係のない、
被害者の感情を考えると、
誰も罪を負う者がいないという判決は、
被害者に気の毒すぎる気がする。
例えば、
不幸にして未成年者が罪を犯した場合は、
保護者が罪を負うというのはどうだろうか。
保護者とは、
子供がまだ一般社会で「成立」しえない歳の場合、
その「管理」と「保護」の責任を負うべき立場の人のはずだ。
罪を犯した者自体がまだ、
社会の責任を負うには幼すぎる場合には、
同時に、まだ、保護者は、
その子の責任を負うべき立場にあるということだから、
管理不行き届きということになるからだ。

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