人間風車

2007/07/24(火)
【数字に一喜一憂】

(現代の)人間と他の動物を分ける
決定的な要素の一つは、
数という概念をもつことだろう。
数と広げなくても、量でもいいだろう。

体重の数字。
体脂肪の数字。
貯金残高の数字。
試験の数字。
100m走の数字。
車の燃費の数字。
自分の歳の数字。
家の大きさの数字。
持っているゲームの数字。
などなど。
あらゆることを数字で測る、
あらゆることを数字で比較する。
(現代の)人間ってのは、
この手法にどっぷり使っている。
結果、
あらゆる面で、数字で一喜一憂する。
数字を扱っているつもりが、
いつの間にか数字に操られているようなものだ。

今でのこうした数字に無頓着な民族がいる。
おそらく、昔の人もそうだったろう。
どうしてまー、
こんなに数字にとりつかれるというか、
あやつられるようになったんだろうか。
不思議だ。

かくいう自分も
断食明けから体重をずっと記録している。
1つのことを2ヶ月も続けること自体、異例だ。
続けられている理由は、
達成感(この場合は体重が落ちていくこと)が
客観的に感じられることだろう。
鏡を見たり、腹をつまんだり、
体調をかえりみれば、それなりに
体重が落ちていることは自覚できるんだけど、
どーも自分自身で、それらの体感を
「客観的事実」として受け入れないところがある。
それが数字となると、
すんなり受け入れてしまう。
数字が科学的真実に見えてしまう。
数字のほうこそバーチャルなはずなのに、
数字の方が実態を持ってるように感じてしまうのは、
おかしな話だ。
しかも、
こうした感覚は、どー考えたって危なっかしい。
病んでますナー、現代人は、っていうかおれ(笑)

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