人間風車

2008/05/23(金)
【同じ種類の集団の問題】

今日の「ほぼ日」の一言。
(毎日更新されるので、
リンクじゃなく、引用で失礼します)
「いろんな人種の人たちが混じってるチームほど、
おもしろいものをつくるエネルギーを感じた」
「同じ種類の人の集団は、どうもおもしろくない」

うちのような小さな会社は
同じ価値観を持った人が集まるというか残る。
つまり、同じ人種だけになりがちだ。
そのことは作品の色がクッキリ出やすいという長所もあるけど、
たしかに、上の指摘のような予感はある。
耳が痛い。

上のようなことは、
ゲームの世界だけじゃなく、
どこの世界でも通用しそうな話だ。

ここのところは、若い人に入ってもらっている。
(年齢差は20才以上!)
対等に話し合いをすることで、
よい意味でカルチャーショックを受ける。
今後は、垂直方向(年齢)のギャップだけでなく
水平方向(違う価値観)のギャップも味わえるように
メンバーを構築していく必要があるんだろなー。
(でも、とりまとめが大変そうだなー)

アメリカのゲームをやっていると
(といっても「撃ちゲーばっかりだけど)
ハリウッド映画を見ているような感覚になる。
はたまた、
ユニバーサル・スタジオのアトラクションに
のっているような感覚になる。
ゲームもアトラクションも映画も同じ手法に感じるのだ。
同じ所に楽しさの重点がおかれ、
同じ所がごっそり割り切られている。
・リアルにこだわる
・物語性
・一本道
・1アイデア
見る側、やる側の技量、つまり、
記憶や技術に頼らないで楽しんでもらう。
日本のRPGのようなお手伝いイベントや
複雑な迷路、正しい場所選びなどという遊びは、
かなりの記憶力を必要とする。
常時、かなりのことを覚えていないと解決しない。
こうしたゲームではおうおうにして、
頭が疲れる、疲れているときは出来ない、
間隔があくとわからなくなる、
こうした現象が起こるのはそのためだろう。
また、複雑な操作(複数の操作の組み合わせ)もまた
同じような現象が起こる。
それを是としないので、
1本道、1アイデアになるんだろう。
実際、アメリカのゲームは迷わない。
「×××に行け」という話を忘れてしまっても
矢印などでちゃんと誘導してくれる。
オンメモリーでプレイする必要が全くない。
物語性やリアリティーにこだわるのは、
そういう単調さを補うモノかもしれないし、
彼らの文化が
映画がベースにしているためかもしれない。

どこの国にもきっと固有の
文化のベースというのがあるんだろう。
それは
映画かもしれないし、音楽かもしれないし、
食文化かもしれないし、文学かもしれないし、
宗教や恋愛かもしれない。
それに根ざした創作物というのは、
その国民にフィットしやすいんだろう。
日本のそれはなんだろう?
多趣味で飽きっぽい性格の国民性なので、
うまく見えてこないと思うのは
あたしの目が節穴なせい?

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