人間風車

2010/03/24(水)
【追記というか反芻というか】

一昨日の『激震マスメディア』では、
旧メディア軍の大敗といった感があった。
要約すると、
・良質なモノさえ作っていれば客はもどってくる
・良質のモノを作るには体力、資質がいる
・伝えるための仕組みの問題ではなく、内容の問題
という主張は、
モノ=本、プロレス、野球、ゲーム、、、
体力=大手企業
とおきかえれば、
おもしろいほど、
どの世界でも同じ主張をしていることに気がつく。

旧メディアのこうした主張の裏には、
新規の仕組み(諸々のインターネット技術)では、
まだ旨みがない。
今の仕組みから得られているような収益が期待できない。
じり貧挽回のために、
今より収益の上がらない仕組みに
飛び込むことはあり得ない。
だから興味もないし、ライバル視もしていない。
という本音も見え隠れする。
言うまでもなく、近視的判断だ。

インターネットを介しての情報の授受は、
だれもが同じチャンスを持つ。
結果、玉石混合の大量の発言が発生する。
多種多様で膨大な量の発言は、
総体として、
ゆらゆらと動き続け、
1つにまとまることもなく、
かといって拡散するわけでもない
魚群のような振る舞いを見せる。
カオス的だが、
短絡的な極論がでれば、すぐにその反論が出、
議論が白熱しすぎれば、
沈静化の動きが出るように、
絶えず、動的平衡が生まれる。
集合知といってもいいし、
これこそが社会性だと言ってもいい。
逆にこうした集団の知性が働くためには、
一定量の情報が必要だ。
従来のマスコミが
少数精鋭で良質な情報のみを提供しよう
とする試みとは真逆の仕組みだ。

従来の職人気質的価値観に寄れば、
早く、たくさんは
粗製濫造→質的低下→客離れ
ということになる。
ゲーム世界で言えば、
アタリショック」という警告となる。
そうした考えには、
集団とは、
各々の個の合算や平均ではなく、
それとは全く別の1つの人格を見せる
という発想がない。

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