人間風車

1998/11/27(金)
太陽系の外はあるのか?

AIをゲーム中のキャラに組み込むという作業を長くやっていると、
時々妙な気持ちになる。

誰もほめてくれないので、自分でほめますが、
「がんばれ‥‥」のキャラクターPiTは、
10色を見分ける視覚と5種類*10段階の匂いを
区分できる臭覚と同じく5種類*10段階の音を
区分できる聴覚を持っています。
この感覚器を利用して、
ステージ中のアイテムや環境を識別してます。
これが実際のロボットなら「おおおっ」と
驚いてもらえるのでしょうが、ゲーム中では他の方法でも、
同じような演出ができるので、そうは驚かれませんでした。
余談ですが、すごく賢い麻雀用のAIを開発しても、
きっと同じように驚かれないでしょうね。

ま、それはどうでもいいことなのですが、
我々(開発スタッフ)はPiTが知覚できるように、
アイテムの色を10種類に限定するなどなど、
いろいろと「彼が自分で「わかったような気になる」
ようにいろいろと苦労するわけです。

事実、簡単な感情とか、
生理的報酬(気持ちよいとか、おいしいとか不快とか、痛いとか)
を受け取ったり、学習に基ずく状況判断や、経験を学習し、
学習から判断を導き出し、
逆に経験によって学習を追加したり
修正していくようにしてありますので、
彼はきっと、ステージやアイテム、
そして自分自身を「存在するもの」を信じていることと思います。

残念ながら、存在とは?生きる意味とは?命とは?
みたいな哲学は学習できないので、
自己の存在意義についてみたいな「思想」はもっていませんが。
しかし、不快から逃れ、
生命の維持を第一にするようには
命令(本能化)してありますから、
下等な生き物レベルの判断はできるかもしれません。

もちろん、本当の生き物のレベルには、
まだ全然いたっていないのですが、
今後こういうことを進めていったら、どうなるだろうと、
そんなことに思いが及ぶことがあります
(ホントはそうういうことが
「ゲームの快楽」の方向に向かっているか、
そういうことをまじめに考えなくちゃ行けないんですけどね)。

例えば、この宇宙は神様がデザインしたゲームだったら、、、。

人知を越えた天才が、40億年もゲーム開発に時間をかけたら、
ゲーム中のキャラクターに、
その世界が「実存している」なんて思わすくらい簡単でしょう。

太陽系の外は本当にあるの?空に輝く星星は、
ひょっとしたらドームに描かれた絵では?
人間の観測程度にあわせて、光のスペクトルが調整されてて、
宇宙には空間が存在し、
広がりつつあるという結論を得られるようにされているのでは?
光より早く移動してはいけない理由は、
ゲームスペック上の問題では?量子力学に見られる不安定さは、
ゲームデザイン上の都合では?
相対性理論が宇宙のはじめのその瞬間を説明できないのは何故?
などなど。

「しかし、手に持つこのコップはたしかに存在してるじゃない」
と思われますが、
それもアナタの脳がそう判断しているだけでしょう。
PiTだって、アイテムの「重さ」も、
「アタリ」も知覚しています。

人工生命系のゲームを作っていると、
時々、この宇宙は誰かの進行中のゲームなんじゃないだろうかと、
ヘンな感覚にとらわれることがあります。


1998/11/24(火)
アリは象を倒せるか?

どうもフリーウエア(簡単に言えば、
ただで使ってよいアプリケーション)のOS
「LINUX」が流行っているらしい。
推定800万人(日経産業新聞98/10/1 注1)が
使っているらしい。残念ながら、
これがすっげー数かどうか、ぼくにはわからないが、
少なくとも日経産業新聞は、すっげーと言っている。

話を進める前に、
ちょっとLINUXについて紹介します
(といっても日経産業新聞の抜粋)。

LINUXは、
フィンランドの学生だったライナス・トーバルズさんが、
ネット上でのハッキング(注2)を楽しもうと
開発したオリジナルのOSで、
大学内の電子掲示板に乗せたところ、
あっという間に世界中に広がり
(構内→いきなり世界中という構造がインターネットらしくて、
おかしい)、世界中の「ボランティア」エンジニアが、
(トーバルズさんの知らないうちに)
新機能の追加やバグ修正をし、
「使いやすさや安定性は、ウィンドウズNTより上」
(個人的には「NTより上」といわれてもそんなには感心しないが)
と評されるまでにいたり、
あのビル・ゲイツ会長もがぜん危機感を強めている(本とかナァ)
というシロモノらしいです(全て、日経産業新聞のからの抜粋)。

インターネットの名前がボチボチとちまたに出始めた頃、 
その可能性について尋ねられたことがあって、
そのとき「『私の赤ちゃん見てください』
以上の情報性はあんまり期待できないんじゃないの」

と答えた記憶があります。

この予想は見事にはずれたんですが、その要因は、
「無償の善意」のパワーの見積もりの間違いでした。
僕らは、ずっと「情報」を売るという商売をしてきているので、
「そんなことタダでは教えな~い、あげな~い。」
という根性が染みついているんで、
世の中もきっとそうだろうと踏んでいたんですが、
いやいや、大間違いでした。
ネット上の「無償の善意」はすごい数と
パワー(能力)があったんですね。

さて、このLINUXは、「無償の善意」によって、
ネット上で開発、改良されていった、
ということが「新しい」ですよね。
しかも、機能もすばらしく、開発のスピードも尋常じゃなく、
話半分としても、
あのビル・ゲイツをびびらしているなんて聞くと、
人ごとながらウキウキしてしまいます。
インターネットならではの醍醐味ですねぇ。

我々一人一人が「大河の一滴である」ということを
実感させられました(ん?、ちょっと違うけど、ま、いいや)。

さてさて、このアリの集団(無償の善意)が、
果たして象(マイクロソフト)を倒すようなことが
おきるかどうなのか、楽しみ、楽しみ。

PS:

気になるトーバルズさんの現在ですが、
半導体メーカーにお勤めでもちろん巨万の富を得ることもなく
「LINUXは僕の人生のほんの一部分。
壮大な趣味」だとのたまわっているそうです
(これまた日経産業新聞の抜粋)。

いやいや「金」でない「富」はいっぱい得てますよ、
トーバルズさん。

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注1:こういうニュースを一面にする日経産業新聞はすてきだ。

注2:ハッキングというと、
なんだか犯罪めいた印象がありますが、
これは間違っています。
悪さをする人は「クラッカー」と呼ばれる人たちです。


1998/11/20(金)
コンピュータは老人用マシン

この間、「手」で手紙を書かなくてはいけない用事があった。
そしたら、漢字が出てこない、出てこない。
頭の中でついスペースバーを押している(漢字変換)。
どうも、最近、マイ脳のかな漢字変換機能が壊れ方がひどい。

もう、結構はじまっているけど、人の名前が出てこない、
線がまっすぐ引けない、長く書いていると筋肉痛もおこる、
なんてこともだいぶ始まってきています。

そう考えると、コンピュータという、ハイテク、未来、
若者の代名詞的存在は、ひょっとしたら、老人、機能補完、
補正なんていう方が正しいのでは、とさえ思えてきます。

これから、歳をとってくると、
ますますコンピュータの力を借りないと、
どうにも生活が成り立たなくなるんじゃないか
という気がします。

生理的機能のサポートだけでなく、
例えば電子メイルとかいうシステムもそう。
切手を買いに行ったり、ポストに投函する手間もいらなくて、
パソコンの前に座っているだけでこと足りてしまうんですから、
ありがたいはなしです。大勢の人に同じ手紙を出すのも、
全く簡単ですし、その気になれば、
結構くどき文句だっていけますし。

そう思うと、つくづくコンピュータは
「老人力」がついてからのマシン、
老人用マシンだナァと思うんです。


1998/11/18(水)
ポスト・メジャー

近くを流れる小川に水車を作って、
その村の人たちが使うだけくらいの
発電をおこなうところがあるようです。

サークル的と言いましょうか、同人誌的と言いましょうか、
「スケール」でいえば、相当小さな話ですが、
これがどうにも「新しい」とか「これからのもの」
と感じてしまうのは、どういうわけでしょうか。

産業は、大量生産、大量消費で成り立つもの。
もしくは、それが成功であり、王道である。
今までは確かにそうだったかもしれません、が、
これからも王道なんでしょうか。

大量に売れる=受け入れられるためには、
自分のコアな気持ちに、
幾分かの「サービス」を足さないと成立しません
(などと思っているのが間違いかもしれないけど)。
最大公約数ってやつですからね。

その苦労が、買う側の人の気持ちをすっかり満たすのなら、
苦労のしがいというモノもあるのですが、
残念ながら、買う側の人おのおのにも、
幾分かの「そうでない気持ち(他人の気持ち)」が
残ってしまいます。
雑誌なんか買うとそうですよね。
全てのページが好き!なんてことはまずありません。

で、作る側も買う側も、
この幾分かの「そうでない気持ち(他人の気持ち)」に対して、
無駄な?労力とお金を使うわけです。
そして、このコストを帳消しにするために、
「大量」という概念がでてきてしまう。
これはどうも、何か、
本末が転倒している気がしてなりません。

では、どういうシステムがあり得るか。

わかりません。考えつきません。

年上の友達&師匠の人は「それは、
人肌の暖かさが伝わることだよ」と
すばらしいヒントを与えてくれました。
確かに大量、無記名、無差別に売られるモノには、
あまり体温を感じません。

ひょっとしたら、体温がさめないうちに、
お客様に渡すためには、と考えていくと、
ゴールにたどり着くんでしょうか。わかりませんが。


1998/11/16(月)
コピー紙は、最高なのだ!

たまに、手書きのイラストの仕事をする。 

僕も一応芸術系の学校をでているんで、マチエールですか、
そういうのの重要性は理解しておりますし、
人一倍、画材に気を使う方だと思います。

で、最近は何に書いているかというと、
「コピー紙」である。何を書くにも「コピー紙」。

イラストを受け取った人は、
きっとがっかりしているだろうなとも思うんですけど、
きょうびの「コピー紙」が最高だと信じているからです。
別に原稿料が安いからとか、
そういうことじゃないんで安心してください。

一説によれば、
「コピー紙」は通常の紙の3倍のパルプを
使っていると言われています。
高速、高密度のコピーを可能にするためだそうです。
ですから、実は「コピー紙」はとても高級な紙なんです。
しかも安いし、どこでも手に入る(コンビニでも手に入る!)し、
当分なくなりそうにない(これ意外と重要)。

画材屋さんで買う紙だとなんだかちょっと身構えてしまうけど、
非常にリラックスして対面できる。
A#サイズ、B#サイズという定型サイズなので、
フォルダーへの収まりもよい
(画材の#号とかいうのは、本当に何とかしてほしい)。
何から何まで良いことずくめなんです。

書き心地も、さすがに水気の多い画材はダメだけど、
それ以外だと結構使えます。適当ににじみ、
適当にざらざらしており、
良すぎないところが良いとさえ言える。
もう最近これさえあれば、全然OKという感じです。

ちなみに僕的には、
鉛筆+コピー紙→コピー→油性マーカー+コピー紙が
今一番グッド(あ、ベストか)。


1998/11/13(金)
つまらないこと#1

ある雑誌に載っていたデータです。 

1997年の国立社会保障人口問題研究所の調査では、
18~35歳の男女の恋人いる率(同性愛をのぞく)は、
次の通りらしいです。

 男:彼女いる率=41%

 女:彼氏いる率=52%

この数字を見たとき、?と思いました。数字があわない。
彼女いる率が41%なら、
彼氏いる率も41%にならないと
つじつまが合わないんじゃないかと。何故だろう。

で、仕事が止まりました。

これは、サンプル(調査対象)の男女の人数の
差であると考えることもできます。
上の%に整合性を与えるための計算してみると
次のようになります。

女性のサンプルが100人だとすると、男性のサンプルは127人。
これは、あきらかに変です。
調査員の気持ちになってみればすぐにわかります。
「では、これから意識調査を始めるが、サンプルの数は、
女性100人、男性127人とする」
「ラジャー!」なんてはずはないでしょうし、
ハガキかなんかだとしても、男女の数はあわせるでしょう。

もっと高度に、18~35歳の男女の人口比率から
サンプル数の比率を割り出したとも考えられますが、
男性が27%も女性より多いという話は
聞いたことがありません。

今のところ全くナゾです。

それよりも、そういうどうでもよいことで、
仕事を中断して、電卓を叩き出す自分が、時に、
とてもイヤになることがあります。

もっと、生産的なことしろよ、と。


1998/11/11(水)
ちょっと、金田一探偵

韓国は何かと「近い」国だけれど、
あんまり漢字を使わないので、韓国にいくと、
ハングルのメニューにとても困ってしまう。

だいぶ前だけれども、友人何人かと韓国に行ったとき、
喫茶店に入った。この店のメニューがハングル、
オンリーだった。で、もちろん、困った。

まぁいざとなれば、
意志を伝えるためにいろいろな手段があるんですけど、
なぜだか、そのときは、みんな申し合わせたように、
なんとかハングルを読解できないものかと考え始めていた。

幸い、英語の発音が韓国と日本では似ていること、
ハングル文字は発音記号であることは知っていた。

沢山のメニューの中で、
僕たちは△△×、△■@■、×#$△■@■
(もちろん、ホントはハングル文字)
というメニューに目を付けた。

まず、文字数の少ない△△×。
喫茶店にありそうな3文字の飲み物とは???ミミズ?
これはあきらかに違う。正解であっても注文したくない。

で、でた結論は「ココア」。ここで、△=コ、×=アであると。

そうすると、

  △■@■=コ■@■

  ×#$△■@■=ア#$コ■@■

ということになる。

また同時に、コ■@■は、
ア#$というオプションを付けても
飲める物だということもわかる。

 コ■@■で、ア#$というオプションがつく飲み物???

 コ■@■=コーヒーだ。となれば、
 アのつくオプションア#$=アイスだ。

こうして、×=ア、#=イ、△=コ、$=ス、@=ヒ、
■=-の6文字の発音がわかった。
この6文字を手がかりに、ソーダ、アイスクリームなどなど、
メニューのほとんどを読解した。

なんだか、すっかり金田一探偵になった気がして、
とてもうれしかったことを覚えている。



1998/11/09(月)
アイデアは、足下に落ちている

あるアイデアを出すと、
「私も、ちょうど同じようなことを考えていたところなんですよ」
と必ずそういう人がいるし、自分でもそう思うことがある。

その人も僕もうそを言っているわけじゃないと思うけれど、
「考えていた」というのは少し正確でもない気がします。

100歩譲って、
その人や僕の頭の中にも同じアイデアが
すでにあったとしましょう。
が、言葉となって、或いは絵となって、
或いは造形物となって、世に出現していない以上、
それは「存在しない」ことなのだと、僕はそう思います。

それにもまして、
「同じアイデアがすでにあった」という感覚は、
錯覚であることが多い気がします。


同じように、誰かのアイデアを見聞きしたとき、
「なんだ、大したアイデアではないな」
と思うことがあります。

この「大したこと、大したことない」と判定する基準は、
そのアイデアのすばらしさであることより、そのアイデアが、
(自分にとって)突拍子もないこと、奇抜なこと、
奇想天外なこと、非常識なこと、全く理解できないことという、
つまり自分(の観測点)からの距離の大きさ、
つまり自分からの遠さだったりすることの方が
多いんじゃないかという気がします。

「同じようなことを考えていた」アイデアというのは、逆に、
自分からの距離がとても近いがために、
すでに自分の中にあったかのような錯覚を
起こすんじゃないかと、そう思うのですが。
口には出てこなかったけど、
すでに頭の中では「考えていた」という錯覚。


よく考えると、距離がある、ないなんて、
アイデアの質とは関係ないですよね。確かに、
遠いアイデアは、見た目、聞いた耳いいですけど、
それだけなんてことはよく経験します。

逆に、足下に落ちているような、
近いアイデアのほうが
「使えるアイデア」であることが多いんじゃないかと。
(よく考えれば、身近なアイデアほど実用的であるのは、
至極当然なのですが)

しかし、上の判定でいくと、
近いアイデア=僕もそう考えていた=大したことないと
なってしまいますから、
使えることは認めても、感心しないことになります。

そもそも、遠い=自分では見つけられない、
近い=自分にでも見つけられる、という前提が、
間違いなのでしょう。
足下にあるアイデアを見つけだすことは、
そうはできないことだと思います。


1998/11/06(金)
押してもダメなら、引いてみる

真実かどうかは知りませんよ。

今日(注1)テレビを見ていたら、中国で
「地震が起こるかもしれないから、みんな避難するように」
と忠告したのに、誰も避難しようとしなかったそうです。
そこで、(避難所となる場所で)「娯楽映画を上映します」
とやったら、みんな押し掛けたそうです。その後、
めでたく(はないか)地震が起こり、
人々は難を逃れたそうです。

減税しますよ、アナタの預金は守りますよ、
公共投資もしますよ、
とさんざん鼻先のニンジンを見せ(られ)ても、
いっこうに景気は回復しません。
そんなとき、ある人が
「それは簡単。『消費税を10%にしますよ。インフレが来ますよ』
と言えばあっという間に、景気は回復するよ。」
とこともなげに言ったのを聞いて、ひっくり返えりました。

総選挙を前に、
こんなことを言える政治家はいないと思いますが、
(そのときの自分の財布のことを忘れて)いやぁ、
これはありかもしれないと感動しました。


押してもダメなら、引いてみな。でした。


注1:今日 98年11月1日(日)




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