人間風車

1999/02/26(金)
意識の下

「言葉にならない」思いというのは、
誰にでも経験があることで、
誰もがその存在をしっかりと自覚しているんですが、
その重要性を認識しているかというと、自分を含めて、
???だと思うんです。

最近、年上の友人であり師匠である人から、
この、言葉に(まだ)ならない思いというものの
大切さについて、よく聞かされます。

彼は、インターネットで膨大なH系グラフィックを集め、
それを拾捨するうちに、
それまだは漠然としていた彼にとっての「エロ感」の本質が、
対象の「人格」であることがわかった(
=言語化できた)そうです。
聞いていて、非常に興味深かったことを覚えています。

わかった=言葉化できたというのは、
ちと乱暴な図式かもしれませんが、意識の下に眠る思いは、
言語化して初めて自分でも「認識できる」ことは、
間違いない気がします。
「我、言葉化にする故に我あり」といってところでしょうか。


ま、ですから、
地下に眠るマグマを汲み上げて発電に利用するように、
この意識の下の資源をなんとか汲み上げて、
実社会で活用するという作業は、大切なことだと思いますし、
だいたい、ちょっと自分がわかった気がして、
楽しいものです。


この地下の資源の汲み上げ方というのは、
いろいろな方法があると思います。彼のように、
ざるで砂金を集めるみたいに、
まず、ともかく気持ちのおもむくままに動く。
そして、できあがったモノを、
これまた「考えないで」拾捨選択する。
(理屈というフィルターを通さないことがコツ)。
そして、残ったモノをみてそれを解析する。
という方法もありでしょうし、
瞑想やクスリもありかもしれません。


かくゆう自分は、彼のHPでやらしてもらっている
「森川君の遺伝子」という場で、
チンタラと汲み上げ作業をしています。
まだ、あふれ出るマグマを汲み上げるだけで、
全然収束していっていないんですが、いつか収束して、
「あっ、おれの好きなキャラってこういうんのなんだ」
とわかる日が来ることを、楽しみにしています。


1999/02/19(金)
ゲームで恋は語れない

プレイステーションがたちあがったとき、
「ゲームは子供だけのエンターテインメントではなく、
大人から老人まで楽しめる
エンターテインメントにしなくてはならない」
というSCEIの社長の言葉には、感動した覚えがあります。

が、現在、残念ながらその理念は達成されていない、
むしろ後退している気がします。

同年代である30代の人に「ゲームやります?」と聞くと、
「最近やらなくなったなぁ」、
「ごめんなさい、やらないのよ、ゲームは」、
「ゲームは目が疲れるからね」、
「やってみたい気もするんだけど、時間がなくってさぁ」、
「はまると困るから、やらないんだよ」、
「高いでしょ」という返事が多いです。


これはどれもイクスキューズな気がします。その証拠には、
この人たちは小説を読むし、映画を見るし、
(人によってですけど)伝言ダイヤルやってたり、
妻も子も愛人もいたりするんですから。
上の理由は、イクスキューズなんですよね。


かくゆう自分も今は全くゲームをやりません。
研究の意味でやらなくてはいけないのでは、
という意見もちょうだいいたしますが、
やりたい気にならないんだもの、しようがありません。

これは単純に大人が楽しめるエンターテインメントでは
少ないということにつきると思います。


作り手の人材の質の問題も大きいと思うんですが、
やはり、規制が多すぎます。特に下(しも)系の規制が強い。
パンチラもキスもヌードももちろんアレも、全部NGです。

(そのくせ、殺したり、
壊したりはどこまででもOKなんですがね)


そういうのが入らないと大人が楽しめないという考え方は
ヘンだという意見はごもっともです。
ボクもそう思います。


が、映画でたとえれば、ディズニー系の映画か、
怪獣映画しかNGというような、
この不自由な「お子さまな感じ」が、
多くの大人の食わず嫌いを生んでいるような気がするんです。
あの「タイタニック」ですらゲームの倫理からすると、
NGってことになるわけですから。

これでは、
大人の恋をゲームで語れる日なんてのはこないわけです。
作りたいという意味じゃなくて、
そういう手のものも同じ棚に並んでいてほしいじゃないですか。


1999/02/15(月)
散歩

ほとんど唯一の運動であり、趣味であるのが散歩です。 

結構長く歩いても大丈夫です。
住んでいるのは四谷ですが、
ここから目黒や王子くらいまでなら歩きます。

散歩を快適にするために、
いつも用意するモノがあります。

お金と缶コーヒーです。


だいたい、散歩というのは「目的地」がないのが常なので、
だいたいヘトヘトになったところが終点となります。
この終了地点は、知らない場所だったり、
とんでもなく遠い場所だったりすることが多いわけです。

ですから、帰りはどうしてもタクシーになります。
結構馬鹿にならない額になってしまうんですが、
精も魂も尽き果てているので、仕方がありません。
ですから、それ相応のお金をもって散歩に出かけるんです。

この「行きだけのことを考える」散歩は、非常に気が楽です。
いけるとこまでいけばいいんですから。
帰りのこととかを考えると、
何かと自主的に配慮してしまいますからね。


缶コーヒーは、主に冬の散歩用のアイテムです。

冬の散歩は体が温まるまで結構寒いもんです。
厚着をすると重いし、体が温まった後がやっかいです。
ですから、暖かい缶コーヒーは湯たんぽとして使います。

使い捨てカイロよりいいのは、
用をなさなくなった後飲めることです。
体が温まった後は、さめてる方がおいしいですし


1999/02/12(金)
働きアリ#2

>「働きアリは全てメスではなかったでしょうか。

>勘違いだったら失礼しました。」---------N安藤さん


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やっぱり?なんかそんな気がしてたんです。

親戚の働き蜂の針は、
卵管が退化したモノだっていうことですし。
で、調べてみました。
ご指摘の通り、解剖的にはメスでした。

詳しくはこういうことらしいです。

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働きアリ(worker):

働きアリは性的にはメスであるが,
卵巣などの生殖器官は退化しており,
慣例的に次の"雌アリ"とは区別されている。

種や属によっては
しばしば大きさの異なる働きアリをもつ場合がある。

その中で,特に頭部が大きく,
小型のものと明らかに区別がつく個体を兵アリ(soldier)という。
属によっては兵アリによらないと同定が困難な場合もある。


雌アリ(female, queen):

雌アリは頭部に単眼があることや胸部の形態以外は
基本的に同種の働きアリと同じである。
胸部は翅があるため(脱翅していても)中胸背板が発達し,
後胸背板もはっきりと認められる。

雄アリ(male):

雄アリは一般に頭部が雌アリや働きアリと異なり,
複眼や単眼が発達し,
触角の節数が多く柄節は短く大あごは退化しているが,
胸部は雌アリ同様よく発達している。

検索表で示す種や属を特徴づける形質は
雄アリには適用できない場合が多い。

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どうも、働きアリは、男というより、
あがった(女性が終わった)おばさんってとこですか?
(あっ、これはマズイかな)

いやぁ、失礼しました。

お礼とともに訂正させていただきます。ー>安藤さん


1999/02/08(月)
働きアリ

働きアリは、巣を作ったり、外敵から巣を守ったり、
女王アリのエサを見つけて運んできたりと、
そりゃもう、奴隷のように働いていますわけですね。

それを見て我々は、アリの世界=女王アリのもと思い、
働きアリのことは、ふびんだと思ったり、
同情してエールを送ったり、
来世も働きアリとしては生まれて来たくないと思うわけです。


でも、ひょっとしたら、当の働きアリって、
「俺達がこの社会を作っているんだ、動かしているんだ、
養ってるんだ。俺達ナシではこの社会はあり得ない!」
なんて強い自負を抱いているかもしれませんよね。

「我々働きアリこそが主人であり、
それ故にその責務を日夜果たしている。
女、子供はすっこんでろ。」とか、
そう思っているかもしれません。

もし、誰かが我々の世界を遠くから眺めていたとしたら、
その人?は、この社会の主人公は誰だと思うんでしょうか。


家でグデーっとしブクブク太りながらも、
子孫繁栄を一手に担う女性と、彼女と子孫のために、
せっせと住み家を作り、エサを運ぶ男と、
どっちを主人公と思うんでしょうか。


1999/02/04(木)
踊る大走査線

映画「踊る大走査線」がいい成績を上げているらしいですね。 

これは、テレビ番組の映画化されたものらいのですが、
プロデューサーが、広報からストーリー展開まで、
徹底的にテレビ的手法にこだわったことが成功に結びついたと、
何かのインタビューで読みました。

従来、テレビ屋が作った映画はダメだと言われてきました。
そういうジンクス?定説?が破れたわけです。


この映画(実は見ていないのですが)が成功した理由は、
いっぱいあるのでしょうが、
テレビ番組と映画の「高さ」が
同じになったんじゃないかという気がします。

僕らの世代は、映画は日常(空間)と切り離して、
映画の世界にどっぷり浸かるという楽しみかたをしますが、
今の若い人にとっての映画は、
よそで見る大きなテレビ程度の感覚なんじゃないでしょうか。

恋人と「これ行ったことあるよね」なんて話しながら、
映画を見ている若い人を見ていると、これって完全に
「居間」の感覚じゃんと、思います。

僕らの世代は、ですから、
ついついテレビ番組とは違う「質」の映像を
映画に期待してしまいますが、若い人にとっては、
「有料」であることがOKな映像や情報であれば、
別にテレビ番組と違う「質」でなくても
いいんじゃないでしょうかね。

映画「踊る大走査線」は、
その辺のことを非常にクールにとらえて
いるんじゃないだろうかと、見てもないくせに、
そう思ったんです。


1999/02/02(火)
猿のオナニー

いや、その、そういうことを霊長類がする、
という話は本で読んで知っていたんです。が、
あるテレビ番組で、映像として見ちゃったときは、
ショックでした。

なにが、ショックってその時の猿の表情なんです。

あたかも、かゆい背中をかくように、おしっこをするように、
ヒョウヒョウと顔色一つ変えずにするんですもの。
ショックです。

ある宗教では、そういう行為はもちろん、
そんなこと思っちゃうのすらいけない、とありますが、
そういう執着やら煩悩からの脱出とかとは全く違う次元で、
「溜まらば、出す」なんてかんじに「昇華」してしまっている。
彼の顔を見ていたらなんだか、そんな気がして、
少し尊敬してしまいました。

ちなみに、多いときは日に3回ほどやられるそうです。


1999/02/01(月)
電話加入権

そういえば、携帯電話って電話加入権ってないですよね。
あの最初に払わされる7万円くらいのやつ。

以前からあれって、いったいなんなんだろうと、
ぼんやりと思っていたんですが、
今では「全く根拠のない慣習」
だったとわかって愕然としました。
(もちろん、徴収されたお金は、
設備投資されているらしいのですが)

明治時代、電話を自宅に引き入れる際、電電公社は、
電話線を電柱から?自宅まで「自費」で引き入れた人に対して、
優先的に引いたことが始まりらしいです。
それが、いつの間にか、「お金」に代用され、
やがては「権利」といわれるようになったと、
まぁそういう感じらしいんです。

ともかく、今では全く根拠がない。なのに、
「慣習」だからと続いている。

こういう古いというかお役所的感覚が、
民営企業になってもなお残っているアタリが、
なんだか絶望的な感じです。

こういうところに、通信事業の発展のためには、
電話料金を安くするべきだ!と言ってもねぇ、、、
と思っちゃうワケです。


そんな中、アメリカの知り合いは、
インターネットもケーブルTVを利用するようになって、
ISDNよりうんと早いし、
ただだ(正確には「ただ」ではないんだと思いますが)
と喜んでいます。


もう、こっちですね、活路は。




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