人間風車

1999/06/28(月)
遺伝子の著作権

この間新聞で読んだんですが、実験段階で、
光るマユなんてのができてるんですね。

これは、どういうことかというと、
ある種のクラゲの光遺伝子をカイコに組み込んだら、
光糸をはくカイコができたということです。

早いっすねぇ。
ちょっと前まで大腸菌使って物質作らせて、、、
なんて時代だったのに。


人ゲノム計画(人間の全遺伝子を解明しようとする計画)は、
まだ、完成してませんが、ここの遺伝子は、
こういう病気を起こす物質を作るなんていう情報は、
ずいぶんと解明されているみたいです。


で、たとえば、ボクが(というかぼくの遺伝子が)、
ある難病に対して画期的な効力を持つ物質を生産する、
非常に希な人(というか遺伝子)だったとするじゃないですか。

で、ぼくの遺伝子を直接組み込めば、
たちまちその難病に対してOKになっちゃうとか、
大腸菌なんかに組み込めば、
難病治療用の薬品を生産できるとか、
そうなるじゃないですか、きっと。


つまり、ボクのこの遺伝子は、
とってもお金を生むわけです。


こういう状況で、果たして、
この遺伝子の著作権はどうなるんでしょうか。

スポーツや芸術などの才能を語るとき、
よく「もって生まれたモノ」なんていう言い方をしますが、
遺伝子なんざ、まさに「もって生まれたモノ」なんで、
それも、その人の才能なんて言い方もできるわけです
(関係ないですけど、金持ちの家に生まれたことなんかも、
ぼくは、その人の才能なんていいます)。

だとすれば、その人の所有物なんだから、
その人に権利があるってことになるんでしょうかね。


じゃないと、
遺伝子の塩基配列さえわかってしまえば、
合成するなんてと簡単でしょう。
そういう著作権がなければ、
世界中どこでも複製が簡単にできてしまう。
(なんだかデジタル世界の問題とダブルあたりがおもしろい)


これって、きっと金が絡んでくる問題になるんで、
けっこうこれから大変でしょうね。


PS:

もう、スポーツなんかの「もって生まれたモノ」がないのは、
はっきりわかったんで、
せめて、
遺伝子の中に金目のものがあるといいなぁなんて思うのは、
不謹慎?


1999/06/21(月)
喫茶店のホットコーヒーが、すこぶるまずい季節

この季節、
喫茶店のホットコーヒーがすこぶるまずくなる。

理由は簡単で、
暑いからオーダーが出ない。→朝入れたコーヒーが、
暖め続けられる。=煮詰まる。味も香りもぶっ飛ぶ。


普段は、ブラックでした飲まないんですが、
もうこの季節のコーヒーは、
ミルクとかたっぷり入れないと飲めませんね。
熊の胃(古い?)じゃないんだから、
苦ければいいってもんじゃない。


でも、そういうコーヒーに遭遇すると、
ああ、夏が近いんだナァと感じて、
それはそれで風流だナァとか思います。


(最近は、ドトール系があるから、
そういう季節感もなくなったけどね)



1999/06/15(火)
宇多田ヒカルのHPなど

宇多田ヒカルのHPでは、
宇多田ヒカルの生のメッセージが読める。

彼女は、マスコミ嫌いとか、
戦略的に露出をおさせているなんて、
マスコミやマーケッターなんかが言ってますけど、
あのHPの彼女の生メッセージ読んだらね、
もう全部ホントのことわかってしまうわけで。


こういうHPを見て、テキスト系のメディアって、
どう思うんでしょうかね。

アーティストの生の声、つまりパーソナリティーが、
お金や嫉妬や怒りやヨイショのフィルター通さすずに、
ユーザーに伝わっちゃうってるという事実を
どう思ってるんだろう。
ボクがその業界の人だったら、
もう、すっかりしょげてるか、焦ってると思う。


宇多田ヒカルのHPのアドレスは、ここ↓。

http://www.toshiba-emi.co.jp/hikki/home9905.htm

東芝EMI(株)の管理、
関与、寛容さが、なんともいいバランスなんだよなぁ。


1999/06/11(金)
余っているCPUパワー

ぼくなんか、それを聞いたとき、
とっても驚いてしまったんですが、
「スターウオーズ」で使われた
モーションコントローラーカメラの制御には、
アップルII(アップル社のマックより前のマシン)が
使われていたそうです。

それから、今に至るまでのパソコンの進化といったら、
そりゃもうすごいです。

で、現在の、ごくごく普通のパソコンでも、
メイルや報告書書くなんて作業は、
あくびが出るような「軽い」仕事なわけで、
CPUはほとんど遊んでるわけです。


以前、アメリカで「この暗号は、
実時間内で解けない(すごく組み合わせが多いので、
常識的な時間内では解を見つけられないと言う意味)。
解けるか挑戦してみ?」とやったことがあります。

結果どうなったかというと、
それはあっという間に解いてしまいました。

この解き方ってのが、すごく気が利いています。

まず、上のような事情から、
どのパソコンも実はヒマしてるんです。だったら、
そのヒマな時間貸してもらおうと考えついたヤツがいるんです。

方法は次の通りです。

まず、暗号を解くためのプログラムをインターネットを
通して配信します。
暗号全体を解くのは大変なので、
ここからここまでを調べるというように、
各プログラムには、作業領域が割り当てられています。

このプログラムは、
軽く、パソコンのバックグラウンドで走るタイプなので、
その人の仕事には差し障りません。
CPUがヒマしているときだけ、
割り当てられた領域の暗号解読の作業を行います。
そして、作業の結果をインターネットを通して回収します。
そしてまだ解が見つかっていなかったら、
つぎの分担をもらう。

これをとんでもない台数のパソコンでやったんです。
インターネットを使った、
見ず知らずどうしの共同作業です。


暗号の開発者はきっと、暗号の解読に必要な日数は、
1台(もしくは常識的な台数)で、
何日かかるというように試算して、その結果、
常識的な時間では解読不能という
結論を出したんだと思うんです。


それが、1台なら100年かかる作業も、
36500台のマシンがあれば、1日で終わるじゃないという、
とんでもない子供じみた発想に破れたわけです。

痛快です。


現在、このプロジェクトは終了していますが、
代わって、宇宙からやってくるおびただしい電波が、
地球外知的生命体からのメッセージであるかどうか、
判別するためのプロジェクトという、
これまたファンキーなプロジェクトが始まっています
(原理は上と同じ)。

興味のある方は、下を訪ねてみてください。

http://www.setiathome.ssl.berkeley.edu/


1999/06/08(火)
コピー天国香港は幸せか

香港のコピー商品の数や種類、コンセプト、
それにコピー技術には驚かされます(香港だけじゃないけど)。
ほとんど、オリジナルと同時に、
オリジナルもしくはそれ以上のクオリティーで、
おまけがついて、オリジナルより安価に発売されています。

こうした事情に対して、オリジナル制作者以外には、
いいことじゃないなんていう人もいますが、
そうでしょうか?

道義的な問題は当たり前なんで、いうまでもないのですが、
こうしたコピー主体の社会なため、香港では、
オリジナルを作る人がいない、
いても、とても少ないらしいです。

当たり前のことで、
オリジナルを作り出すための諸々のコストより
コピーするコストの方がうんと小さいから、
オリジナルをつくることなんて、
商売として成り立たないからです。

ですから、オリジナルを作れる人も育ちませんし、
そういう土壌すらできないんじゃないでしょうか。

さて、で、
安くいいものが手に入る香港の人は幸せかといいますと、
ボクは決してそうじゃないかと思うんです。

たとえば、日本の漫画はやっぱり、
日本人の感性に一番チューニングがあっているわけです。
多くの要素はワールドワイドに共有できるとしても、
完全にマッチするのは日本人だと思うんです。

そういうことが、香港ではおこらない。
香港オリジナルが育たない以上、
香港の人たちは、
100%自分たちにマッチするものに
出会うとことができないことになります。

そのことは、安く、そこそこ満足できるものが、
低いリスクで手に入る喜びでは代償不能だと思うんです。

そういう意味で、ぼくなんかは、
日本でオリジナルを生み出してくれる
作家や組織に感謝しているわけです。

コピーすることは、主に経済的な点で、
メリットでさえあるという考え方は、
香港だけでなくて日本でも、けっこうお目にかかります。


1999/06/03(木)
姓名判断2

人間風車(5.28)「姓名判断」が
恐ろしく中途半端に終わっているとご指摘を受けて、
確認してみたら、書きかけの原稿だったんですね、
あれ。まちがって登録OKなカテゴリーに
いれてしまったみたいです。すみません。
(この原稿の通し番号が81なので、20個もそういう
「書きかけ」が、このマシンにはあるわけで、
そういうのを平行してチマチマいじっているんで、
こういうみっともない事態になってしまうのでした)


で、姓名判断は、ある程度信じるわけです。


名前の付け方は人それぞれかもしれませんが、
それぞれなりに親のパーソナリティー、
人生観、価値観、夢が反映されている気がします。


たとえば、剛、勝、力、一、激なんていう名は、
そういう「強さ」系に対して、親があこがれていたり、
大切だと思っていたり、そうあってほしいと思っていたりして、
つけられたような気がします。


また、一郎、次郎、三郎、春男、夏夫、秋夫、冬美なんて、
名前なんて所詮記号よ。テイク・イット・イージーよ」
という親のパーソナリティーが感じられなくもありません
(事実ボクの知り合いの春生君は、
4月に生まれたのでこの名になったと悲しそうに語っていました)。

親のそういう、パーソナリティー、人生観、価値観は、
子育てにも影響してきますから、強(つよし)
君が「こらぁ、ケンカに勝つまで帰ってきたらあかんでぇ」
なんて教育がされている可能性は、
純君がそう教育されている可能性より、
はるかに高い気がするんですが。


そういう教育を受けた子が、素直にそういう子に育っていく、
というのもこれまた、
そうでない子がそうなる可能性よりも高いんじゃないかと。




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