人間風車

2000/08/30(水)
ゲームのエミレーション

日経エレクトロニクスに載っていた記事。
今年の5月にあったE3(Electronic Entertainment Expo)で、
とんでもないソフトの発表があったようです。

bleem! for Dreamcastという名のそのソフトは、
ドリームキャスト上で、
PSのソフトが遊べてしまうというエミュレータです。

具体的には、まずドリームキャストに
bleem! for Dreamcastをかける。
するとbleem! for DreamcastがPSの
ソフトをかけるように言ってくるので、
bleem! for Dreamcastをドリームキャストから取り除いて、
代わりにPSのソフトを入れる。
たった、それだけの操作で、
ドリームキャストでPSのソフトが遊べてしまうわけだ。

PSやスーファミのパソコン上でのエミュレーションソフト
というのは今までにあったが、
あらゆる意味で特化しているゲームマシンで、
それをやってのけてしまったのには、恐れ入る。

さて、これはPSにしてみれば大問題であって、
当然のように、
特許、著作権の問題として裁判沙汰になっている。
また、ソフトメーカーは、
ゲームをプレイしてくれる人が増えると、
単純に喜ぶこともできないようだ。

違法コピーソフトが出回る可能性があるからだ。
現にパソコン上でのエミュレーションでは、
往年のファミコン、スーファミのソフトが、
インターネット上に大量に出回ってしまっている。
ただ、無責任に、イチユーザーとしてみると、
これは大歓迎な話である。

今のように、ハードの種類も移り変わりも早いと、
過去の名作はまったく遊べない状態になってしまう。
これは、文化資産的にあきらかにもったいない。
例えば、映画は、8ミリ、ビデオ、
DVDとその再生メディアが変わっていこうと、
我々は、問題なく過去の名作を見ることができる。
本だって、マンガだって復刻という手段がある。
しかし、ゲームは、そうしたことが大変難しい。
往年のゲーム全てが遊べる
万能ハードを作るのは事実上無理だろうから、
ゲームでは、エミュレーションソフトという考え方が、
一番有効だといえる。

なんとか、制作者側の利益
(最終的には、ユーザーの利益にもつながる)を守りつつ、
エミュレーションソフトの普及も計れるといいんだけど。


2000/08/29(火)
意外!

間違いなく、インターネットは老人向きインフラである。
足腰が立たなくなって、
「外の世界」に出ていくことができなくなったとき、
インターネットは、外の世界へアクセスする最適の「窓」となる。


なんかで読んだ、クーラーの普及と若者のキレやすさとは、
ひょっとしたら関係あるかもしれない。
という説はおもしろかった。
がまんする、ゆずる、押さえる、
という抑制力は前頭葉の働きらしい。
この前頭葉は主に、幼児期に発達する。
ガマンする力というと社会生活における耐える力みたいな
高度な力ばかりを想像してしまうけど、
暑さ、寒さに耐える力なんていうのも、
脳(前頭葉)にしてみれば、同じガマン力なのだ。
だから、クーラーが発達して、暑さ、寒さに無縁になり、
そういうことに耐える力が培われないと、
前頭葉の発達が未熟なままになり、きれやすくなるという説。
たしかに、社会生活、
つまり他者との関係を経験する以前に、
われわれは、そういう自然との関わりを体験する。
我々は我々が考えている以上に、
ただの動物だということは、
もっと自覚しなくてはいけない。
女性より、オスの猿との方が意見が合う、
分かり合える(はず)というのが持論です。


ストレスを与えることでストレスが減るという考え方もおもしろい。
動物園などで、動物にストレスがたまらないようにと、
手に取りやすい所にエサを置くよりも、食べにくい場所、
そこに行くまでにじゃまな物を置く、
などの障害(ストレス)を与えた方が、
かえってストレスをためないらしい。
ストレス回避がストレス発散になっているらしい。


インターネットの発達は、
あらためて受注生産のシステムを復活させた。
インターネット上で、こういう商品がある、
あるいは作ろうとしているんだけど、
買ってくれる人いますか?
というアンケートをとる。
その結果、買ってくれる人が、ある数以上になると、
実際に製造が始まる。もしくは、値段が下がる。
産業革命以前、人々はクツがほしくなると、
靴屋に行き靴を注文していた。
靴屋は靴の注文が入ってから、靴の製造を始めた。
そんな産業革命以前の仕組みが、
インターネットという最新のインフラとともに、
復活したというのはおもしろい。


以上、今日は、最近、意外でおもしろいなぁと思ったことでした。


2000/08/28(月)
UFOは見たくない

UFOといっても、猪木の団体の話でない
(というか、こっちのほうがマイナーか)。
できれば、未確認飛行物体とか宇宙人とか
見ないでいたいということだ。
真夜中、山奥とかドライブしていると、
マジにそう願うことがある。

なぜなら、もしUFOを見たら、性格上、
人にだまっていることはできないだろう。
普段親しくない人にまでメールを出してしまうだろう。
絵まで添付してしまうかもしれない。

しかし、どんなに熱意をこめて説明しても、
あるいは熱意をこめればこめるほど、
普通の人には理解されないだろう。
そして、きっと友達が減るだろう
(ま、違う「友達」が増えるという話もあるが)。
それがいやだ。だから、UFOよ、
現れないでくれとマジに思ってしまう(だけでも危ないか)。


アインシュタインによって、
一応何人も光と同じ速度以上のスピードでは
走ってはいけないことになっている。

だから、たとえ時速10000kmで飛べる
宇宙船ができたとしても、
一番近い?50光年の遠くにあるベガに行くにしても、
10万年以上かかってしまうことになる。
生身の生き物が、地球にやってこられる
可能性はとても低いだろう。

だからといって、地球以外に生命が存在しないことにはならない。
我々の銀河には1000億個の太陽系があり、
さらに、われわれのような銀河は
1000億個はあるだろうという雑な推測がある。
ならば、地球と同じような条件を持つ惑星が
一つや二つあっても不思議ではない。
逆にないといいはるほうが苦しいと思う。


もし、我々以上の知的生命体がいたとしたら、
どうするだろう。
ぼくならこうする。
生身の体が光速で移動できないとすれば、
我々の「情報」を電波に乗せて発信すればいい。
電子の速度は光の速度と同じだから、
まず宇宙最高速での移動が可能となる。

我々の「情報」とは、DNAの情報に他ならない。
例えば人間のDNA(塩基対)の数は30億個にすぎない。
これがどのくらいの情報量かというと、
塩基の種類は4種類なので、
1塩基対当たり2ビットということになるから、60億ビット、
つまり75MB(メガバイト)となる。
CD-ROMの容量は、
640MBであることを考えるとこれはかなり小さいデータということになる。

まず、ボイジャーの「伝言板」がそうしたように、
以下の文章は2進法で書きますよ、という宣言文を書く。
10進法は、10本指の我々独自の進法なので、
そのまま使うわけにはいかない。
これに対して2進法は、ある、なし、であるから、
まず物質世界全般で通用するはずである。
そのあと、これから先の文章は、我々の体の基本構造であり、
それは4つの種類の塩基でできている。
4種類の塩基の構造はこれこれで
(どの原子がくっついてできているか)とか説明する。
そして、最後に我々のDNAの情報を書く。

こうしてできた情報を強力な電波
(どのくらいの波長がいいのか知らないけど)
で宇宙のあらゆる方向にまき散らす。

現在の我々の科学力でさえ、DNAシンセサイザーを使えば、
指定通りに塩基をつないでいくことが可能である。
だとすれば、我々以上の知的生命体のところに
そのような電波が届きさえすれば、
DNAを作ってもらえることになる。
あとは、クローン技術(まだ我々にはない技術だけど)を使えば、
「実体」も作ってもらえることになる。


ぼくがもし、宇宙人なら、きっとそうするね。
(別に宇宙人じゃなくても我々地球人でもいいんだろうけどね)
というか、そういう電波来てないのかなぁ?


2000/08/25(金)
リングスとゲーム

今日は大阪にいます。
元新日の前田日明ひきる総合格闘技団体リングスの試合を
見に来ています。
現在、プロレス~格闘技のプロ団体は、たくさんあるけど、
ぼくはこのリングスが一番のお気に入り。

最近では、格闘技の中でも、
アルティメット(なんでもあり)系の格闘技が人気である。
格闘技のことは知らなくても、ヒクソンや桜庭、ルミナ、マッハ桜井、
宇野なんて名前を知っている人も多いと思う。
簡単にいってしまえば、従来のプロレスのショー的要素を排除して、
なるべく禁じ手をなくし、キック、パンチ、タックル、
寝技までありの格闘技ということになる。
リングスもまた、こうした ガチンコ系の格闘技グループである
(異論のある人もいると思うけど)。


ショー的要素を排除し、勝敗にこだわるため、
これらの格闘技にはプロレスにみられるような、
派手な技(たとえばロープの最上段からバック転しながら、
相手の上に落ちるとか)はほとんどでない。
また寝技での膠着も多い。

これは、格闘技の知らない人には、大の男が二人、
他人様の前で、汗びっしょりで、抱き合っている、
絡みあっているとしか見えないだろう。
このため、みる側にも、楽しむためには、
ある程度の「スキル」が必要となる。
また、子供には全然おもしろくないだろう。
これがこれら格闘技のメジャー化をさまたげている
(といっても、「プライド」なんかは、
とてもメジャーになったけど)。

ただ、格闘技だけじゃなくても 、
みる側が少しだけ努力するというか、
積極的になるというか、理解しようと前向きになった方が、
断然楽しいというものは多いと思う。

他のスポーツしかり、釣りも絵も文学も詩も映画でも。
お客様が、ふんぞりかえっているだけでも理解できるもの、
子供にも理解できるもの、
そういうものが「サービス」であるという意見もある。
そうでなければいけないと言い切る人さえいる。
そうでないものは、
「マスターベーション」だと避難する人もいる。

プロである以上、お客様がたくさん入ることは、
とても大切なことであるのは当然のことで、だから、
彼らもお客様に満足してもらいたいと思っているのは当たり前。

かといって、誰にでもわかるような「サービス」を提供するのはどんなものか。

こういったジレンマは、ゲームの世界(というか、
ぼく個人のクリエイティブの問題かもしれないが)ににている。

ゲーム=子供の遊び、、、なのかなぁ?子供が理解できないもの、
遊ぶに前向きになる必要のないもの、
そういうものしかゲームじゃないのかなぁ?
という疑問を常日頃、感じている。
かといって、
誰もわかってくれなくてもいいなんていう感じでもない。
おもしろいといってくれる人が 多いのはありがたいし、
うれしいし、絶対必要(経済的にも精神的にも)。
じゃあ、どのへんで帳尻を合わせればいいんだ?

リングスの試合を見ているとき、ふと、
その答えを探そうとしている自分に気がつく。


2000/08/23(水)
チケットの価格

NHKの「クローズアップ現代」は、あいかわらずさえている。
(あの時間帯pm7:30~というのは、間違ってると思うけど)
今日取り上げていた話題は、電話を使ったチケットの売買。
どうやら、今やプロ?が行う電話でのチケット買いは、
コンピュータで行うらしい。
たくさんのコンピュータが一斉に電話かけまくって、
時には代表番号以外の「裏番号」を見つけだして、
即座にチケットをゲットするらしい。
どうりで、我々人間では「大変かかりにくくなっています」になるはずだ。

こうして手に入れらたチケットは町の金券ショップに売られる。
金券ショップの値段は、持ち込んだ人が決めるそうなので、
チケットを独占的に購入した人が持ち込んだ場合は、
(他から持ち込まれる心配がないので)値崩れしないことになる。
つまり、チケットの価格を操作できることになる。

こうした行為はあきらかにダフ屋行為なのだが、現在の法律では、
興業会場の周辺でのダフ屋行為しか罰せられないそうだ。
なんと迷惑防止条約違反だったんですねぇ。
もちろん、こうした電脳ダフ屋にもリスクはある。
あまりに高くふっかけたり、
あまり人気がないチケットをゲットしてしまったときなど、
売れ残る危険がある。

ただ、かなりの確率で回避できそうなリスクだと思うが。
番組では、これはまずいんじゃない、ということだった。


これを見ていてふと思った。
現在、インターネットを通して、
小口の株の売買が盛んに行われている(そうだ)。
株というのは「指し値」(あらかじめ、指定しておいた値段)
で売買が可能である。
だから、指し値で売買する場合は、
コンピュータに任せっきりにできることになる。
「2000円になったら、買っといてね」てな感じに。
(今、そうなっているかどうかは知らないけど)
これに対して、ホスト側(証券会社)も
コンピュータが売買をできるとなると
(今、そうなっているかどうかは知らないけど)、
おもしろい?ことになるなぁなんて、無責任に夢想する。


株というのは、株価が安定して微動だりともしなくなると、
誰も儲からなくなる。株価は変動しない限り、
儲かる人も損をする人も生まれない。
例えば、最終的にはご主人様(人間)が指定する「指し値」で
売買するというルールになっていたとしても、
それまでの駆け引き(売り買いの気配を見せる、
あるいは実際に少し売り買いする)の自由をコンピュータに与えたとする。

そういう判断能力を持ったアプリケーションができたとすると、
彼らはどうするだろう?

彼らは、株価が変動するほうが商いのチャンスが増えると判断するだろう。
となると、インターネットを通して、
そういうアプリケーション同士が競合したり協調したりして、
株価が変動する方向、
方向へと市場を誘導するんじゃないだろうか。
彼らはお金のありがたみも怖さも知らないから、
人間の金銭感覚を超越した変動も、
なんの抵抗もなく決断できるだろう。

こうなると、市場はコンピュータの独断場になり、
人間は奴隷に成り下がる。人間が商いに参加しようとしても、
コンピュータ同士の売買の早さは、
(原理的には)1秒間に地球7周半の世界である。
人間の売買の反応速度では間に合わない。
買おうとアクションを起こしても、
すでに株価は次のステップに変動している、なんてことになる。

こうして、昔のSFが予言していたようなコンピュータが支配する世界(証券の世界だけだけど)が生まれる。


番組を見てて、ふとそんなことを考えましたとさ。
ま、現実には、何かしらそうはいかない、
法律なりルールがあるんでしょうがね、きっと。
(株の世界って全然無知なんで)


2000/08/22(火)
プロデューサー不在

昨日NHK教育で、糸井さんが幻冬社の編集長と
「クリエイティブ」について語るという番組があった。
いっぱいおもしろい話が聞けて、
大変おもしろい番組だったんだけど、見終わった後、
日本でもっとも不足しているのはプロデューサー
じゃないのかなぁと思った。

特にクリエイティブの現場では、
圧倒的に不足している気がする。
周りを見渡す限り、
優秀なクリエイターというのはたくさんいる気がする。
しかし、一部のクリエイターをのぞいて、
総じてクリエイターは、セルフプロデュースが苦手である。
いいものを作るところまではできても、
それをどう伝えるか?
買ってくれそうな人の手に取るところまでどう持っていくか、
そういう才にはめぐまれていないのが普通である。

こんなとき、プロデューサーという仕事の人の出番である。
プロデューサーというと、
制作のためのお金をかき集めてくる仕事というのが
一般的な解釈のようだけれど、
プロデュース本来の意味から言ったら、
それらの仕事に加え、
そのクリエイターの創ったモノを買ってくれる人に、
うまく伝え、うまく手渡すまでが仕事だと思う。

そういう意味では、
幻冬社の編集長の人はすごく優秀なプロデューサーだなぁと思った
(ちょっと苦手なタイプではあるんだけど)。

すごくヒットするものというのは、確かに、
そのもの自体に力があることは確かだけど、
そこには例外なく、すぐれたプロデューサーが存在する。
ややもすると、画期的なものというのは、
「世間の常識」によって
「水子にされてしまう可能性が高い」(by糸井重里)ので、
そうならないようにするためには、
すぐれたプロデューサーが必須条件となる。

ぼくらクリエイターは、ユーザーに遊んでもらって、
その上でユーザーに受け入れられないなら、
それはそれであきらめもできるし、納得もできる。
これに対して、ユーザーの目に届く前に、
何かしらの判断をされてしまって、
十分なユーザーの判断を仰げないまま終わってしまうことが
何よりも悔しい。

そんなとき、
そういう困難に一緒に戦ってくれる、
考えてくれる、
プロデューサーがいてくれたらなぁとついつい思ってしまう。


音楽の世界では、
ミュージシャンがプロデューサーを指定するなんて話をよく聞く。
ゲームの制作の場でも、そういうことがあるとおもしろいな、
そういうフリーのプロデューサーがいてくれたらなぁと思う。
ま、クリエイティブの現場に口をはさまれるというのは、
それはそれでストレスもありそうだけど。

ゲームデザイナーになるのもひとつの道だとは思うけど、
プロデューサーになるというのも相当アリなんだと思うんで、
今、専門学校に行っているような人は、是非、
そういう道も考慮に入れてほしい。


2000/08/21(月)
シェアウエア

DragThingというシェアウエアは、
macユーザーならおなじみのランチャーソフトです。
この作者ジェームズ・トムソンがMac Power(2000 9号)
のインタビューで、おもしろいことを言っています。
「もしDragThingが市販ソフトなら定価は40ドル
くらいになって、
1部当たりの私のもうけは1ドルくらいになってたはずです。
しかし、これが20ドルのシェアウエアなら、
1部につき17ドルの設けになります。
私にとっても、購買者にとってもいいことだと思います。
お金を払う前にたっぷり試せるのも、
シェアウエアのいいところです。
またバグが見つかってから、早ければ数時間以内に、
地球の裏側にいるユーザーにまで修正版を届けることができる点も
シェアウエアならではのメリットでしょう。」


これら、すべてのメリットが、そのまんま、
現在のコンシューマ・ゲームの弱点になっている気がします。
特に価格を安くすることで、
制作者も購買者も得をする仕組みというのは、
うらやましいかぎりです。
もっとも、パソコン用ソフトで、
はなっからインターネットでの流通が可能である。
また、そううまくいっているシェアウエアは例外的である、
という事情はあるでしょうが。


インターネットという仕組みは、小さくたくさん、
あるいは、小さく少なくいろんな種類、
そういう今までの大量生産、大量消費と相反する商売をするために
適している気がします。
あと、注文があってから作るという産業革命以前の
生産システムとも相性がいい気がします。


例え、コンシューマ・ゲームがEコマース(named by SONY)になろうと、
「市販ソフトなら定価は40ドルくらいになるが、
シェアウエアなら20ドルにできる」
という仕組みを発明しない限り、
そんなには明るい未来はないと思うけど、
どうでしょう。


ps:
ちなみに、彼は大のゲーム好きで、
お気に入りは「ゼルダの伝説」だそうです。
DragThingについての詳細は、www.tla-systems.co.uk/まで

2000/08/18(金)
擬態

枯れ枝かまきりにしても、
木の葉虫、木の葉蝶、花かまきり、
などの擬態って、あれなんでしょ?
どうなっているんでしょ。

枯れ葉の形や色だけならまだしも、
葉脈や汚れや、はたまた、
ちぎれた部分まで再現しているんですから不思議です。

理科の本では、こう説明します。
たまたま、突然変異で、枯れ葉なり、
木の葉なりに似た形、色になった個体は、
そうでない個体より捕食者からよく身を守ることができたため、
生き残りやすかった。

また、より擬態のできがいいほうが、
生存の確率が高いので、
よりできのよい擬態の方向に進化した。


例え、100歩譲って、
「昆虫は、自分の周りの木のように変身する能力がある。」
としたとしましょう。
しかし、彼らの目は複眼であって、
とてもお粗末な映像にしか映りません。

仮に見たとおりに擬態できたとしても、
我々人間が驚くほどの形に変身できるはずがありません。
鳥などの捕食者が見間違える程度の、
つまり、彼らの視覚認識能力に合わせた擬態ができる、ってーのは、
どう説明したらいいんでしょう?


ウイルスによる進化説を唱える人もいます。
ウイルスは、感染した後、再び外に出るとき、
感染先の遺伝子の一部を一緒に持ち出してしまうことがあります。
そして、別の感染先に、
その持ち出した遺伝子を持ち込んでしまうことがある。
すると、ウイルスを媒体に、最初の感染先から、
次の感染先に遺伝子が移動する。

仮に、そのウイルスが、豚にも人間にも感染できるウイルスなら、
人間の遺伝子が豚に組み込まれてしまうこともあり得る。
豚と人間が直接交配することはできなくても、
こうして、豚と人間が遺伝子のやりとりをすることができる。
という説です。

この説を拡張すれば、木の葉の遺伝子が、
そこにいる昆虫の遺伝子に潜り込める。
これによって、木の葉の形の(遺伝子を持った)
昆虫が誕生するというアイデアです。

しかし、そもそも、形ってどうやってきまるんでしょ。
遺伝子は、「こういうタンパク質をつくりなさい」という命令書だから、
遺伝子上には、そもそも「こういう形にしなさい」という命令は書けない。

このあたりはどう説明されるんでしょ。
さらに、豚と人間ならまだわかりますが、
植物と昆虫間での遺伝子のやりとりがあるってこともあるんでしょうか?

わかりません。


昔から擬態の仕組みは不思議でならないんですが、
不思議に話題にならないし、
うまく説明してくれる本はありません。
どなたかよい本を知っていらしたら、
是非教えてください。


2000/08/17(木)
攻撃?野球

巨人打線は今日も爆発。それもそのはずである。
2番二岡、3番江藤、4番松井、5番清原、6番高橋、7番マルチネス、
みんなすごいホームランバッターである。

二岡をのぞけば、みんな他球団の4番打者だった人か、
もしくはそれに相当する打者である。
8番はキャッチャー、9番はピッチャーでこの二人は守備の人達、
実質7人中5人(71%)がホームランバッターなのだから、
打って当たり前だ。

それにしても、日本のプロ野球史上、いやアマをいれても、
こんなチームあっただろうか?
攻撃オンリー、ホームランバッターオンリーのチームなんて。

PRGでいえば、魔法使いも僧侶も盗賊も使わないで、
戦士だけのパーティーで旅するようなものだ。

こんなチームのアイデアは、マンガや小説で使ったら、
「そんな浮世離れした話誰が信じる!」って、
まちがいなくボツになるだろう。
ホームランバッター中心の構成であるために、守備、
特にピッチャーの中継ぎ、押さえはぼろぼろである。
押さえることができない。点をバンバン取られる。
でも、それ以上に点数を取るので勝つ。

これはこれで、一つのチームとしては、個性があっておもしろい。
できればよそのチームでやってほしかったが。

これからのプロ野球、
こういう個性はある意味必要なのかもしれないという気がする。
だんぜんおもしろいもの。
外人枠なんかもはずしてしまって、
外人球団とかできてしまうなんてものいいかも。


この際、ナベツネは、狂?権を発動して、
パリーグのように指名打者制度
(ピッチャーのかわりに打つ(だけ)の人を指名できる制度)
をセリーグに導入してしまうと言うのはどうだろう。
そうすれば、もう一人ホームランバッターを買ってきて、
入れられますよー>ナベツネさん


ロシアの戦艦クルスクが沈んでしまっている。
残り酸素は18日までしかもたないそうである。
海は大荒れ、海底は泥状で視界が悪い上、潮流が早いらしい。
すでに無線交信も途絶えてしまっている。
まさに映画「Uボート」の世界になっている。

あの映画を見て以来、
絶対潜水艦だけには乗るまいと誓ったぼくとしては、
胸が詰まる思いだ。

どうか、無事救出されてほしい。


2000/08/16(水)
「禁止用語」のはぎれ

「サウスパーク」の劇場版を見てきた。
内容は、いつもの感じなんだけど、
ふだん家で見るのと映画館で見るのではやっぱり勝手が違う。
う~~ん、強烈。

映画の中では、「禁止用語」がテーマとなっているだけあって、
そういう用語のオンパレード(結構、知らない用語もあった!)なんだけど、
妙に耳にやさしい。
これはどうしてだろうと帰りの道々考えていたら、
あちらの「禁止用語」は、
短く吐き捨てるような単語がおおいからじゃないかと思い当たった。

ファッ●、シッ●、ピ●ッ、コッ●などなど。
だから、あれだけ多発されると(というか連呼されると)、
なんだか歯切れもいいし、テンポもいいし、
なんだか韻を踏んでいるようにさえ聞こえる。
これが、そういう言葉にリアリティーのない我々日本人には、
なんとも、いい感じに聞こえるんじゃないだろうかと。
で、では日本語の「禁止用語」はというと、これは、
どうもパッとキレのいい言葉がない。

馬●野郎!く●ったれ!へ●たい!あ●う!ち●しょー!
どれも今ひとつな感じがする。流れる。
では、なにか歯切れのいい和風「禁止用語」は作れないものかと、
ぺしっ!とか、ぶっと!とか吐いてみたんだけど、
さすがに意味不明すぎる(道々やっていたので、すれ違う人には、
若干あぶないヤツに見えたかも知れない)。

ま、テンポや抑揚が少ないのは日本語全体の問題だから、
当たり前なんだけど。


それにしても、ディズニーアニメから「サウスパーク」まで、
アメリカアニメの幅の広さには脱帽させられる。
多様性こそ、進化の要といわれるけど、

昨今のPS2のゲームなどを見てみると、
少し心配になる。


2000/08/11(金)
豆腐からの視点

こう暑いと、たまの雨は、空気が冷やっこくなってきもちいいね。
たまの負けもまた、気持ちが引き締まっていい。
あ、巨人の話ね。


夜8時の教育テレビの料理番組は、
毎回趣向が凝らされていておもしろいんで、
よくご飯を食べながら見ている。
ご飯食べながら料理番組を見ているのを
「ヘン」って言われたことがあったんで、
「でもHのときビデオ見ることあるでしょ」と反論したら、
さらに墓穴をほったことがあった。
という話ではなく、だから今日もまた見ていたんですが、
今日は中華風の揚げた豆腐の甘酢あんかけというのをやっていた。

そのとき女子アナが「なんだか、豆腐のようには見えませんね」
(確かに揚げられている豆腐は、揚げ餅みたいだった)と言ったところで、

相棒の男性アナ:「豆腐のほうからも、そう見えないですよね」

女子アナ:「ええっ?」

(しばらく・・・間)

料理人:「はい、できました」

このあと番組は、この一件にフォローを入れず、粛々と進む。
豆腐からの誰が見ているの?豆腐が料理を作っている人を見ているってこと?
あ~~~、料理の味なんかより、男性アナの「その心は」が知りたい!



i modeの有料サービスの総額が800円になっていた。
リモートメールとGファンは覚えがあるが、後はなんだろ。
きっと、入会したきりすっかり忘れてしまっているんだろう。
こういう水道の蛇口からポタポタ系の出費を
馬鹿にしてはならいので、
すぐ脱会しなくてはならない。

しかし、有料サービスの総額は書かれていても、
どのコンテンツからの請求からかは記載されていないので、
ドコモのサービスセンターに問い合わせることにした。

そしたらなんと3カ所もたらい回しにされたあげく
「個人のプライベートな情報に関するお問い合わせには、
お答えできません」
だって。

だって、さっきまで住所や電話番号で、
こっちの身元確認してたじゃない。
くいさがると「ご本人と確認できませんので、、、」
とらちがあかない。
じゃあ、メールかfaxで送ってくれというと、
そういうサービスはしていない。
もし閲覧したければ、指定のドコモの店に来いとのこと。

これはひどいよね。
例えば、カードの引き落とし明細書だって、
どこであんなたがいくらの何を買ったかそういう詳細は必ずついているのに、
どこから請求されたか請求書に記載してないどころか、
電話で問い合わせても答えてくれないなんて!

ひどい、ひどすぎる。

1000万人も加入者がいて、
怒っているのぼくだけなのかなぁ? 


2000/08/10(木)
牛の生活

青空の下、草原でのんびりしている牛を思う。
草原とは、彼らにとって食べ物だから、
彼らのそうした風景を我々人間に例えると、
どこまでも続く炊きたてのご飯の平原の真ん中にいる。

炊きたてのご飯のおいしいニオイに取り囲まれる。

どれだけ食べてもいい。どこから食べてもいい。

食べても、食べても食べきれない、

見渡す限りの炊きたてのご飯。

そんな中にいる。
そう思うと、うらやましくないですか。


ところで、
インターネットのビジネスモデルを特許として
申請するってヤツですが、
あれはどうなんでしょうね。

有名なのは、ボタンクリックで
買い物ができるシステムを特許にした
アマゾンドットコムのビジネスモデルが有名ですが
(たしか、アマゾンは特許権を行使しないと宣言したと思うけど)。
こうした商売の方法をなんでもかんでも特許化して、
他の人が(無料で)使えないようにしてしまうと、
すごく窮屈になるんじゃないでしょうか。

せっかくインターネットというものが、
個人の環境を考慮しなくても、誰でも発信者になれる、
そういうグローバルなシステムなのに。

そうしたら、
結局自分の首を絞めることになる気がする。
こうしたモデルの考案自体をビジネスにするってことを、
さもしく感じるのは、そういう能力のない者のひがみでしょうか。

特許化とLinuxに代表されるシェアウエア化、
どっちが将来性あるかというと、
後者のような気がします。


2000/08/09(水)
巨人ヤクルト3連戦

それにしても、先週末の巨人ヤクルト3連戦はよかった。
じつは、うち(巨人)は、「41日ぶりの連敗」
でこの連戦1勝2敗と負け越した。
じぁ、なにがよかったかというと、ヤクルトの3投手、
川崎、伊藤、石井。この3人の鬼気が、闘志がすごかった。
ほんと、かっこよかった。
負けても、納得したし、感動した。
石井にも勝ってほしかったなんて、
わけわからん気持ちにもなった。

巨人ファンをやっていて、相手選手をほめると
「あ、例年買うつもりでしょ」とか「なんぼや」と
ナベツネのマネで冷やかされる昨今ですが、
あの3投手はずっと巨人のライバルとして、
がんばってうちを苦しめてほしいなぁと思う。
実は広島の川口なんかがこちらに来たときも、
同じことを思ったんだけどね。



この間、大仁田と長州が対戦した。
あ、プロレスの話ね。

たしかに、大仁田はすごい。
話題性だけで1万2千人もの人を集めてしまうんだから。
ショービジネスであるプロレスでは、この集客能力というのは、
誰もが大事な能力だとしっているので、
たいがいのプロレスラーは、大仁田のことをほめる。
長州も、対戦後、同様な理由でほめていた。
でもでも、強い(ま、この定義は、プロレスの場合微妙だけど)、
でかい、こわいという人並みはずれていることが、
プロレスラーの本業じゃないのかなぁ、それをなしに、
話題性だけで売ってくのをアリとしてしまうことは、
長~~~い目で見たら、危険だし、
毒だと思うというアントニオ猪木の意見に一票。

うちらのあたりでも、そういう人いるけど、
はっきりいって、迷惑だと思ってる私。


2000/08/08(火)
冗談には、歩度がない

ほどがない、ってよくいいますが、
「歩度がない」って書くんだ、しらなかった
ワープロで文章を書いていると、
自分のボキャブラとは関係のない漢字を使ったりできるから、
ある意味、他人から見える人格というか資質を変えてしまいますよね、
ワープロという機械を使うということだけで。


ここのところ、ずっとワウワウで
「サウスパーク」ってアニメの特番を見ながら、
だらだら絵を描いたり、仕事をしているんですが、
相変わらずすごいです、
「サウスパーク」。

特番だから、毎日毎日、何本も連続してみるんだけど、
あらゆる差別が無差別に扱われ、あらゆる社会問題がテーマとなり、
あらゆる暴力がふるわれ、あらゆる暴言がはかれ、
あらゆる有名人がいじられる。
このアニメを生理的に受け付けられない、
倫理的に許せない、という人の気持ちはよくわかるが、
ぼくは結構好きである。
まぁ、基本的に、異常好き、悪好き、毒好きなので。

この間、ダウンタウンの浜ちゃんが、
なんたらという歌手をいじって謝罪させられたとかで、
出ていたけど、
ギャグはいつもああいう毒を含んでいるものなので、
ああいう形で規制してしまうと、
ギャグを殺してしまうことになると思う。
欽ちゃん系の笑いばっかりになったら、イヤじゃない?

よく、「冗談にも歩度がある」っていわれるけど、
ダウンタウンやたけしのギャグに歩度を余り求めすぎると、
殺してしまうことになるんじゃないかな。
そう思って、「サウスパーク」をみてみるとすごい。
ここまでやるか、って感じ。
アメリカでヘアー解禁になったとき、ある政治家が、
「私は、こうしたわいせつを快く思わないが、
こうしたものを求める人の権利を奪うこともできない」
というようなことを言っていたけど、
「サウスパーク」もまさに、
そうした価値観の上に成り立っているんですね。
アメリカの、そうした「自分の価値観以外の価値観も尊重する」
ってとこはとても好きだなぁ。


ただ、毒の強いギャグ=おもしろい、
というわけでないのは、誰の周りでも一人はいるだろう、
口の悪いギャグセンスのない人の話を聞いたときの不快感をおもいだせば、
一聞瞭然。

「サウスパーク」もダウンタウンもおもしろいのは、
やはりネタやストーリーがとてもおもしろいからで、
彼らにとって毒はスパイスに過ぎない。
このあたりを勘違いしているヤツがいるので、
それはそれで困る。


2000/08/07(月)
巨人の優勝

悪いけど、さすがに、今年はうち(巨人)の優勝でしょうね。
いやぁ、あいかわらず、
長島采配(とくにリリーフの使い方)には?????ですが、
勝てば官軍、文句はありぁせん。
で、残る心配は、そごう亡き後、
どこが優勝謝恩セールをしてくれるかということだけです。


前回の続き。
今の若い悪いヤツは、合理的に悪いことをしている。
これはその通りだと思うんだけど、
そういう悪いことが、相手にとっても、
自分にとっても、とんでもないことになる、
そういうところまで合理的な予想というか想像ができないのは、
困ったというか、かわいそうなもんだ。
こういう想像力を奪ってしまっているのも、
家庭や学校の正しい側の教育だと思う。

クイズ王が、いかに単独の知識をたくさん持っていても、
立派な科学者や学者になったという話は聞いたことがない。

点としての知識も、
それを線として結びつける能力(想像力)がないと、
役にはたたないからだ。

学校教育は、そういう「点と点を線で結ぶ」教育を全くしていない。
まるで、クイズ王を育てているような教育だ。

想像力は、クリエイターのための能力ではなく、
広く一般生活を送るための能力である。
こうした能力が失われてしまっていることは、
ダークサイド(少年非行)だけの問題ではすまされない。

困ったモンだ。


そういうことを、困ったモンだ、
としか言えない自分も困ったモンだけど。


2000/08/04(金)
諸刃の剣

今悪い少年達が、目の不自由な人を襲ったという事件を読んだ。
なんともやりきれないなぁ、こういうの。

でも、こういうとき、こういう気持ちになるとき、
ぼくらはつい、
悪い奴らにある種の「美学」を求めてしまっている気がする。

素人には手を出さない、弱い者いじめをしない、
集団で襲わない、手加減する、ってのは「美学」であって、
悪さを合理的にするためだけなら、無用というか、
邪魔であったり無意味な価値観、戦略ということになる。

だから、目の不自由な人を襲う、というのは、
合理的に悪いことをするということにおいては、
至極まっとうな戦略と言うことになる。
目の不自由な人に限らず、おやじ、泥酔している人、
浮浪者、子供、女をターゲットにする方が、
失敗や身の危険が少ないということになるからだ。
それにさらに、集団で、凶器を使い、人気のないところで襲い、
犯行後ばれたり、報復されないように殺してしまう、
というのもさらにリスク回避には有効な戦略となる。

昨今の悪いことをしているヤツというのは、
平然とやってのけるのも、
合理性だけを追求しているからだと思う。
だから、彼らの方が、
そういうことに対して強いショックを受ける我々が奇異に見えることだろう。


だって、社会も学校も親も、いつも合理的に、
リスクを避ける生き方を彼らに教え続けてきたはずだからだ。
彼らは、そうした価値観を、進学や就職や結婚だけに利用するだけでなく、
悪いことにも利用しているだけなんだと思う。
どうして、悪いことだけは、正々堂々、強いヤツから、
むやみに怪我を与えないで、なんていう「美学」を求められるのか、
それを彼らは理解できないし、意味がないと思うし、
損だと思っている。

それに対して、我々、ほとんどそういう悪いことをしたことのない者は、
つい、そうした知らぬ世界には「美学」を求めてしまう。
そんなことが、ショックの根底にある気がする。
少年の凶悪化は、我々が常日頃、広く、
当たり前のように教えられ、
求められている「合理性の追求だけ」
という価値観のあやうい一面を反映しているのではないか、
そんな気がする。

そして、昔の悪いヤツは、、、
なんていっていた時代は、きっと、社会全般の価値観も、
「合理性の追求」だけじゃなかったんじゃないだろうか。
(生まれる前の時代の話なので、推測するのみだが)


合理性ってーのは、そういう諸刃の剣なんだと思う。



2000/08/03(木)
最近、ゲームをやらない

今日は、メディアアーティストの岩井君と
ポケモンのDr.Y大山君と、ハワイでCG映画を作っている
(というと業界の人はアレだとわかると思うけど)
小高が、ムームーに遊びに来てくれた。

この間の集まりでもそうだったんだけど、
「最近、おもしろいの(ゲーム)やった?」
という話題になると誰もが、「最近、ゲームやんないから」
という答えになる。

人ごとじゃない。ぼくもすっかりゲームをやらなくなっている。
どうしてだろ。
時間がない、おもしろいゲームがない、ってことなのかなぁ。
それとも、ゲームという遊び自体が流行りすたりのものだった
ということなのだろうか?
年を取ると興味が失せる遊びっていうことなんだろうか?
大人になるとお菓子を食べなくなるみたいなもので、
生理的に卒業してしまうんだろうか。

最近ゲームをやんないという、自分を含む大人達は、
じゃあ仕事ばっかりやっているかというと、
ちゃんとテレビや映画を見たり、本や漫画を読んだりしているし、
旅行にもでかけるし、服も買う。
これらは、ちゃんと大人の相手をしてくれるソフトが
用意されているからだ。
となると、ゲームの場合、ソフトの問題であるような気もしてくる。
商品の値段の問題かもしれない。
時間がもったいない、不健康、かっこわるい、役に立たない、
そんな理由も浮かんでくる。
でも、自分を振り返っても、どうしてやらないのか、
明確な答えはわからないでいる。

ただ、大事なお客様をある年齢になったらリリースしてしまう、
そういうもったいないことをしていることだけは事実だ。
これはもったいないし、やばいことだと思う。
なんで、そんなにやっけになって理由をさがしているかというと、
こういうゲームを卒業してしまった人の、
卒業の理由の中には、次のゲームのヒントがある気がするからだ。


2000/08/01(火)
頼むよ、プロ野球

Jリーグの選手はオリンピックに行けるのに、
どうしてプロ野球の選手はオリンピックに行けないの?
っていうのは、小学生の質問のようだけど、
でも、どうしてそうなっちゃうんだろ。

そりゃ、この時期、古田なしで戦えというのは酷だと思う。
でも、オリンピックは4年に一度必ずあることは
わかっているわけだし、その年はオリンピックの期間中、
というか野球期間中だけ、試合はナシにするとか、
そういうやりくりとかできそうなものなのになぁ。
プロとアマの確執とかいうのも、ファンの立場からしたら、
つまらんし、引くなぁ。

野球にしても、僕らの仕事にしても、
なくても実生活に問題ナシのしろもんだから、
余計、ファンを大切にしなくっちゃいけないし、
いつも、ファンの方を見て考えたり、
判断したりしなくっちゃいけない、
って思うんですけどねぇ。




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