人間風車

2000/09/28(木)
カプサイシン

アメリカ人(というか英語圏の人)に謝らねばと思った。
彼らは、唐辛子の辛いも、熱いもどちらもhotという。
この2つの感覚に区別がないなんて、
どういう味覚構造をしているんだ、
と常々、バカにしていたからだ。
ところが、今日(27日)の
朝日新聞夕刊に載っていた記事を読んで、ビックリ。
唐辛子の辛み成分であるカプサイシンという物質は、
我々には、辛いと熱いとも感じるのだそうだ。
どうも、カプサイシンは、「辛い」と感じる神経も、
「熱い」と感じる神経も興奮させるらしい。
だから、唐辛子を食べたときも、熱い思いをしたときも、
同じhotでいいことになる。

どうりで、靴下の中に唐辛子を入れておくと、
体がホッカホッカするわけだ。
辛いモノを食べると、体が温まるのは、
辛いモノ成分が代謝をよくして、筋肉が動いて熱を出して
、、、なんてもっともらしい話を聞いたことあるけど、
なんてことはない。
カプサイシンが「辛い」という感覚も
「熱い」という感覚も同時に刺激されただけ、
っちゅー話だったのね。

アメリカ人さん、バカにしてごめんね。
でもでも。
胡椒も唐辛子もpepperってのは、
いかがなものでしょうか。
全然、違うテイストの香辛料だと思うんだけど。


2000/09/26(火)
天性の精神的素質

うちの猫が地域猫化している話をこの間書いたけど、なんと、
今出ている「散歩の達人」ってー本に
写真がでているじゃありませんか。
びっくり。
最初のページの左上のアメショ
(アメリカンショートヘアーという種類の猫)。
これじゃ、ホントに、地域猫じゃん。


オリンピックで金メダルをもらった人は、
「全然緊張しないで、楽しんで、訳が分からないうちに勝っちゃった」
っていう人が多かった気がする。
ぼくなんか、見ているだけの人間なのに、
彼らの置かれている立場に自分を置いちゃって、
一人心臓をバクバクさせてしまって、
もし、自分だったら、
絶対プレッシャーでぺしゃんこになって失敗しているだろうなと、
一人自己嫌悪に陥っているのに。

オリンピックに出るような人は、
みんな天性の肉体的素質を持った人ばかりなんだろうけど、
うえのような人は、さらに、
天性の精神的素質を持った人なんだろうな。
これは、持って生まれた素質なんだと思う。
微妙だけど、集中力とか、
いわゆる精神力とも負けん気とも粘り強さとも、
違う質の精神的素養だと思う。
だから、そういう素質がない人は、
無理にそういう振りをしてもダメなんだと思う。
前のオリンピックで「楽しんできます」って惨敗してたけど、
ああいう舞台で楽しめるって精神は、素質なんだから、
普通の精神的素質の人は、やめたほうがいいんだと思う。
逆に、「これが最後だから」とか「絶対に勝つ」とか、
「日本を代表して」とか「日本を守って」とか、
自らにプレッシャーをかけて、それを実現してしまう、
とんでもない人もいる。
ヤワラちゃんなんか、もう、信じられないモンね、あの精神力。
これも精神的素質だから、
我々凡人はマネや振りをしても仕方がないだろう。


普通の精神的素質の人は、
こんなときは「精一杯、がんばってきます」
でいいんだと思う。


2000/09/25(月)
しまった

全くしまった。
本当は、今日は、感動につぐ感動の一日のハズだったのが、
こともあろうか、両方の感動とも見逃してしまった!
オリンピックの女子マラソンは、朝の8時くらいまで、
なんとか「起きていた」んだけど、
ついにゴールを見ぬまま落ちてしまった
(=失神するかのように寝てしまうこと)。

朝の6時くらいまでなら平気で起きているのだけど
(今、これを書いているのも、朝の6時4分)、
さすがに8時をすぎると苦しい。
寝ちゃダメ、寝ちゃダメとまるで雪山の遭難者のように、
自分を励ましたんだけど、とうとう睡魔にまけてしまった。

その夜、飲めない酒を飲んだのもいけなかったかもしれない。
マラソンが始まる前、
ゆっくりぬるいお風呂に1時間も入っていたのも、
風呂上がりに暖めたミルクを飲んで、
すっかり気持ちをリラックスさせてしまったのも、
敗因かもしれない。

風呂に入る前、ちょっとのつもりが、
たらふく食べてしまった夜食もまずかった。
ともかく、眠ってしまった。
夜中のBSでなんとか見られたから、
いいといえばいいんだけど。う~~~ん、
リアルタイムで感動したっかたぁ。ごめん!高橋さん。

さて、失意のまま夜になったんだけど、
この日は、わが巨人の優勝が決まるかもしれない日でもあった。
が、しかし、前日同様、巨人打線はどうにもならない。
相手(中日)のピッチャーのできもいい。
9回表まで終わって4対0。
それまでの流れで行けば、
そして、ここのところの巨人打線の調子から言えば、
9回裏を見ずにでかけてしまったぼくを責められないだろう。
だって、負けた瞬間を見るのって、
すっごく気分悪いんだもん。
とくに今日のような試合。

ところが、ご存じのように、奇跡の逆転で優勝してしまった。
虫の知らせというか、
出先で急に胸騒ぎがして、i modeで巨人速報を見たら、
二岡のホームランが出た直後だった。
おもわず、人目もはばからず叫んでしまった。
ぎゃああ、何という日なんでしょ。
この日のために、ともに130日余、
ともに戦ってきたのに!
その締めくくりの瞬間を見逃してしまうなんて!


ということで、今日は、
オリンピックと巨人で感動三昧の日のはずだったのに、
後悔三昧の日になってしまった。
奇しくも、
巨人も4年目の優勝だったのに。


2000/09/22(金)
地域猫

うちには、もう8才になる猫(元オス)がいる。
住んでいるところがマンションの1階であることもあって、
外に出ていく。
幸い、お風呂の窓は人が入れないくらいの
開き方ができるようになっているので、
そこから出入りしている。
どこでどうして知れ渡ったか、
近所の人たちは、みんな、
うちの猫の名前を知っている。
アメリカ製の猫であるためか、
たいそう愛想が良く、「抱かれ上手」なため、
主人なんかよりうんと近所つきあいがよい。
人気もあるようだ。

よく外で、近所のおばさんと遊んでいるうちの猫に出会うことがある。
そんなとき「ほら、プーちゃん(うちの猫の名前)、お父さんよ」
って言われるけど、
俺は猫じゃないっちゅーの。

昼間、ぼくが仕事に行っている間は、
どうもよその家に行っているらしい。
なぜなら、雨が降っているときでも濡れて帰ってくることがないし、
ときどきは、香水のにおいをつけて帰ってくることがあるからである。
香水のにおいだけでなく、
イヤリングが首輪に縫いつけられていることもあった。
最大4個もつけていたこともあった。
どうも、主人なんかよりうんと、もてるらしい。

というわけで、うちの猫は、ほぼ地域猫となっている。
(周りの人がいい人ばかりで、ホントよかった)

うちの猫が外と家を自由に出入りできるとうことは、
よその猫も自由に家に出入りできるということである。
家に帰ったとき、そういう猫に出会うと、
「フーッ」と威嚇されることがある。
困ったモンだ。
エサくらいなら、別にどうでもいいんだけど、
帰り際に「俺のエサ場宣言」(スプレーと言われる臭いおしっこ)
をされると、きつい。
ぼくはもうずいぶんと慣れてしまったけど、
猫を飼ったことがない人が、うちに来たら、
きっと、鼻がまがってしまうことだろう。

エサで思い出したけど、
うちの猫は、一日4缶のエサを食べ、
茶碗1杯の牛乳を飲む。
よく食わせすぎだとあきれられるけど、
食べるんだから、仕方がない。
別に太りすぎてもいないし。
それに、全盛期は7缶も食べたんだよ。
そういえば、ペットショップで彼の主人となることを決めたとき、
店の人が「この猫ちゃんは、よく食べるんですよ」といってた。
でも、そのときは
「またまたぁ、大食らいの猫、なんて話きいたことないよ」
と心の中でつっこんだけど、
まさか、こんなに食べる猫とは、、、。


2000/09/20(水)
マイナー競技も見たい!

どうも、生活がオリンピック中心になってしまって、
仕事がはかどらない。
ま、いいか、4年に1度のことだし。
今回のオリンピックは、全部で何種目なのか知らないけど、
せっかくだから、マイナーな競技もみてみたいなぁ。
射撃とかカヌーとか、絵が地味そうでいいなぁ。
知らないスポーツもいっぱいあるだろうし。
そういやぁ、テコンドーも、
今回、参考種目(っていうんでしたっけ)
であるんじゃなかったっけ。
せっかくBSとかCSとかたくさんチャンネルが
余ってるんだから、
柔道や水泳やサッカーなど、
日本人の活躍しそうな競技はメジャー・チャンネルに任せて、
狭間競技を放映してほしい。
そうできないのは、きっと、というか、
間違いなくバカ高い放映料のせいだろう。
放映料を視聴率に置き換えていくために、
人気競技しか放映できなくなってるんだと思う。
これは、もったいない話だ。
そこでこういうアイデアはどうだろう。
オリンピック競技毎に放映料を設定する。
人気(=放映申し込みの多い)競技ほど値段を高くして、
マイナーな競技は、放映料を安くする。
そうすれば、貧乏な放送局でも、オリンピック放映に参加できる。
ぼくらも見られる。
いいアイデアだと思うけど。

映画とかゲームなんかもね、
そういう値段設定にした方が
おもしろいことがおこるんじゃないだろうか。
作り手側の事情だけで(市場の原理や欲求を無視した形で)、
値段を設定するのはどんなものか。


それにしても、柔道は、初日、男女とも金をとったために、
予想外の苦労をしいられている。(と思う)
というのも、その後の試合では、
あきらかに日本に厳しい判定が出ているからだ。
これは偏見ではない。
おもしろいことに、オリンピック柔道では、
ゲーム後半、優勢なものほど不利な判定になるようになっている。
消極的な試合、かけ逃げなど卑怯な戦法、反則、
どれもそれまでの得点が優位であるものほど、
厳しく判定される。
西洋式公平性価値観による操作だ。
この操作が、1つの試合だけではなく、
柔道全日程の中でも行われている。ような気がする。
人種的差別ではないので、イヤな感じはしないんだけど
、困ったモンだなぁとは思う。

こうした最終面での有利不利の重みを、
それまでの順位で逆転させる手法は、
「リッジレーサー」(カーレース・ゲーム byナムコ)なんかで、
使われている。
このほうが、終盤逆転が起こる可能性が高まって、
ゲームとしておもしろくなるからである
(実際に、「リッジレーサー」ではうまくいっている)。
だから、エンターテインメント的には一概に悪いとは言えない。
フェアさ命のスポーツとしても。
そうそう、エンターテインメント的といえば、
寝技終了のタイミングもそうだ。
アレは、どう見ても早すぎる。たしかに、
膠着状態がなくなって、あきないので、
エンターテインメント的には正しい判断だ。

オリンピック柔道は、講道館柔道とは、
もう別のスポーツになりつつある。
そう遠くないうちに、
オリンピック柔道の寝技は衰退してしまうだろうし、
後半のそういう判定基準を考慮した戦略(試合運び)が、
もっと進化するだろう。


2000/09/18(月)
田村万歳!

今日16日(土)は、夕方7時前から泣きっぱなしだ。
そう、田村亮子の優勝。チャンネルを回すたび、
決勝戦が映るたびに泣いていたので、とうとう、
夜中まで泣きっぱなしになってしまった。
ふだん、ぼくは全くと言っていいほど泣かない。
映画でも、小説でも、ドラマでも、泣いた経験はあまりない。
悲しいときも、辛いときも、泣かないぁ。
というと、強い野郎に見えるかも知れないけど、
それは全然違う。
人以上に、ささいなことで落ち込むんで、
しょげて、なげいて、怒ったりする。だけど、
泣かない
でも、今日は、涙がとまらんかった。よかったー一人で。


田村はねぇ、正直、今回は無理だと思ってた。
あきらかに、ここのところ、戦闘力が落ちていたからだ。
怪我もあるし。
試合巧者として、なんとか連勝を重ねていたけれど、
難しいんじゃないかなぁと思っていた。
だから、「引退までの全試合で、
負けたのは3回のオリンピックの決勝戦だけ」
という悲劇の天才柔道家になるんじゃないかと思ってた
(関係ないけど、優勝したけど、
これで引退しちゃうんじゃないだろうか)。
試合を見ていると、
右手の握力がかなりなくなっているように見える。
小指の靱帯が切れた怪我が影響してるんだろう。
だから、相手をひきつけながら、動き回れない。
慎重な動きというよりは、
あれより動きようがなかったという感じがして、
見ていたとても痛々しかった。
だから、最後の「一本」はほんと感動した。
おもわず、ガッツポーズしてしまった。

それにしても、人はどうして感動したとき泣くんだろう?
不思議だ。
別に彼女が勝とうが負けようが、
自分には全く関係ないはずなのに。
そもそも、自分的には、悲しいとき辛いときなかないのは、
泣いたってしようがないじゃないか、
かっこわるいじゃないかという
「合理性」と「見栄」からだと思う。
だとすれば、なおさら、感動したときになく必要はない。
う~~ん、不思議だ。


それにしても、ほんと、良かった。
それから、野村はとんでもない天才ですね。



ps:
日本選手団のマントについて「なんだ、ありゃ」と思ったのは、
ぼくだけだったんじゃなかったんですね。
日本伝統文化の象徴である「風呂敷」をイメージし、
それをアピールした。
そう受け取っておきましょう。


2000/09/13(水)
花田家の騒動

相撲の花田家の騒動は、依然延焼を続けている。
こうも、一人一人が順番にやり玉に挙がっていく
家族というのもめずらしいんじゃないだろうか
(って、実は芸能ネタって全然音痴なんですけど)。
まるで「連載企画」、「連載マンガ」のようなネタの出し方だ。
こうしたことの背景には、花田家への国民のシット
(あ、「嫉妬」のほうね)がベースにあるんだろうけど、
相撲自体がつまらなくなっている、あきられている、
という事情もある気がする。周辺のネタがにぎやかになるとき、
その本体は危機にある、そういう方程式は、
なにも角界だけの話ではないけど。


前から言っているんだけど、
今の双子山部屋を作ったのが角界の大失敗だった気がする。
あんな、大所帯で、
関取がたくさんいる部屋を作ることを許してしまってはいけなかった。
相撲では同門対決は、優勝がかかっていないかぎりない。
公正な相撲実現のためだ。
つまり、関取がたくさんいる部屋の関取は、
強い力士と戦う場が減る分、有利になる。
例えば、曙は、貴花田、貴乃波、貴闘力と戦わなくてはいけないが、
貴花田、貴乃波、貴闘力は、曙だけとだけ戦えばいい。
これ明らかには貴さんチームが有利だ。
若花田がいたころはもっと有利だったわけだ。
こうして、(今ではそうはなくなったけど)双子山部屋の連勝が続いた。
これは興ざめだ。
どっかの野球チームの優勝くらいしらける(らしい)。
優勝だけではない。双子山部屋の力士は、
こうして有利なマッチメークのため、
いい成績を収めることができる。
このため、出世が早い。
誰とはいわないけど、
明らかに実力以上の出世をしているといえる力士がいたりする。
これもしらける。
実際、最近では、上位関取が下の力士にバンバンと負ける。
「横綱相撲」なんていのは死語になってしまった。
これは、上下の力が拮抗しているというよりは、
分不相応の出世の副作用であると思う。

この調子でいくなら、
角界は2大部屋制にするしかないかもしれない
(それはそれでおもしろそうだけど)。
あきらかに、部屋が大きくなればなるほど、有利だからだ。


PS:
野球場のピッチャーズ・マウンドからホームベースまでの距離は、
どの球場でも同じだ(何故か高さは違うんだけど)。
しかし、球場の広さ、
つまり、ホームベースから外野フェンスまでの距離は、
球場それぞれによって違う。
各チームにはホームグラウンドというのがあって、
年間試合の半分(正確に半分かどうかしらないけど)は、
ホームグランドでの試合となる。巨人なら東京ドームがそこだ。
で、疑問。
野球にはホームラン数という正式な記録がある。
このホームラン数は、あきらかに球場の広さが関係する。
事実、神宮球場や広島球場でのホームラン数は多い。
逆に、福岡ドームでのホームラン数は少ない。
となると、狭い宮城をホームグラウンドとしている選手は、
広いホームグラウンドの選手より、
ホームラン数が有利になるんじゃないでしょうか?なんせ、
ホームグラウンドでの試合が50%なんですから。
これだと、ホームラン数って、
ただ数だけで査定するのは不平等じゃないのかなぁ。
少なくとも、ホームラン王争いの場では。
各球場のホームラン指数を割り出して、
それを選手のホームラン数にかけあわせないと、
公平じゃないのかなぁ。
松井のあわやの外野フライを見るたびに、
その疑問が頭をよぎる。


2000/09/11(月)
桑田くんは悪くない!

今日も桑田は打たれた。
4点も点を失った。
テレビではこぞって桑田の不調を非難したり、心配している。
でも、桑田くんは悪くない!悪いのは長島だ!とぼくは思う。
そもそも、こんな負け試合になんで桑田を投入したのか?
意味ないじゃん。
(って長島さんの判断に合理的理由を求めること自体、
意味ないじゃんって話もあるけど)
インタビューなんかを見ていると、
桑田はとても几帳面でまじめで、計画的な人のようだ。
だから、先発ピッチャーのときのような、
つぎの先発予定日に向けて、だんだんと、
計画的に体を作っていき、テンションを高めていく、
という仕事には向いている。

それに対してストッパーは、
毎日、毎日が臨戦状態という仕事だから、
これは桑田に不向きなのでは、という気がする。
ましてや、長島マジカルミラクル采配である。
通常の野球常識では考えられない起用がある。
ますます、桑田は不向きな気がする。
きっと集中力がマックスに達しないうちに、
マウンドに送られているんだろう。
そういう先入観があるからかもしれないけど、
マウンドに向かう桑田の顔は準備不足的表情なことが多い気がする
(桑田に限らず、巨人の押さえはみんな、そうなんだけど)。
う~~~ん、かわいそうな桑田。


原子物理の世界では、魔法数というのがあるそうです。
原子は、その中の陽子や中性子が一定の数のとき、
壊れにくくなるそう。
このときの一定数を魔法数と呼ぶのだそうだ。
どうして、陽子や中性子の数が魔法数の時、
原子が壊れにくいか?今のところよくわかっていないらしい。
ちなみに、現在見つかっている魔法数は、2,8,16,20,28,50,82,126だそうだ。
物理界に存在する魔法数って、
なんかミスマッチでおもしろい。
この(一見デタラメに見える)数列に、
何か意味(啓示)が隠されたいたらおもしろいのになぁ、
などとつい考えてしまうのは、
昨日「π」(パイ)というビデオを見たせいだな、
きっと。


2000/09/07(木)
今日はコック

今日(7日木曜日)は、
ほぼ日」での恒例の夕飯会。
ぼくは、レンタルコック(ちょっとひわいな表現、、、)
として料理を作っています。

今回のお題は「手加減なしのエスニック料理」。
いつも、辛いものがダメな人とか、エビ、カニがダメな人、
あれがダメな人、これがダメな人のために、
いろいろ手加減をしているんですが、
今回は、真のベトナム、タイ料理を伝えるべき、
いっさいの妥協ナシに作る予定。
プリック(タイの小さな青唐辛子。すっごく辛い!)
もちゃんと用意したもんね。
この模様はライブ中継される予定なので、
良ければ見てみてください。
3時くらいから放映予定。
http://www.1101.com/kitchen/index.html


ところで、「おいしい」って感覚は、ふしぎですね。
知り合いの友達に、多い、
安い=おいしいという感覚の人がいます。
この人にとって、「おいしい」
とは優れた経済性ということになります。
珍味に行ってしまう人も、
希少性=「おいしい」という感覚なんだと思います。
こういう例は極端にしても、ぼくらは、多かれ少なかれ、
食材の持つ成分とは無関係な要素で、
おいしい、まずいを感じているような気がする。
好きな人と食べるとなんでもおいしいなんていう感覚も、
単なるおのろけだけとは言い切れないかもしれない。

業界の人たちが、報酬のいい仕事を「おいしい」といったり、
いかしたおねーちゃんを「おいしい」と言ったりする感覚も、
ベースに、なにか共通の脳的反応があるのかもしれない。

おいしいとともに、甘いという感覚も、
舌先の化学的反応だけとは言えないようだ。
ただ単に、単糖に、糖分を感知する
味覚芽が反応するというだけのものではない気がする。

例えば、まったりとのった脂肪を甘いと感じるし、
昔の人は、植物にどくがあるかどうかを甘さで見分けていたという
話も読んだことがある。
藍染めの職人が、藍の熟成を調べるとき、
甘いかどうかで判断するという話もある。

おいしいとは何か?甘いとは何か?これらはいつか、
きちっと説明しきってみたい、
と思っているんだけど、
まだまだ全然つかめていない。


2000/09/06(水)
刑法に対する、素人の素朴な疑問

我が子の顔を布団に押しつけ窒息死させた
17才の父親に対する処分は、
「少年院送致」と決まったそうだ。
「殺意が認められない」という裁判官の判断で、
殺人ではなく、傷害致死罪となったわけだ。
「殺意が認められない」と判断した詳しい理由は知らないから、
滅多なことは言ってはいけないとおもうけど、
彼には、幼い子供の顔を布団に押しつけたら、
死んでしまうという認識がなかったから、ということなんだろうか。
もし、そうだとすると、そうしてしまうと、
死んでしまうとわかっていた場合なら、殺人罪になったんだろうか。

そういえば、クスリを飲ませて眠らせた女性を、
冬の夜、外に放置して凍死させた事件があったが、
この事件でも、「そうすれば死んでしまうかもしれない」という認識が、
被告になかったから刑が軽くなったというような記憶がある。

上の2件、そんなことしたら、
相手は死んでしまうという認識というか想像は、
そんなに難しいもんじゃない気がする。
このとき、死んでしまうかも知れないとわかっているのに、
そうした人とそういう想像ができなかった人とで、
刑の量が変わってしまうとしたら、これは問題だと思う。
単純に考えれば、想像力が欠如していているほうが
「得?」になってしまうからだ。

そういえば、こんな事件もあった。ある少年が、
シンナーを吸って近所の女性を刺し殺してしまった事件だ。
この事件の裁判中、被告は、
その時(らりっていたので)普通の判断能力がなかったため、
刑事責任を問えないというような話がでたのを記憶している
(最終的にどういう判断になったかは知らないけど)。
極度の精神障害と、シンナー吸って判断能力を失っていたのを、
同じ「普通の判断能力がない」ということで語ってしまうのは、
どうみてもおかしい気がする。


ついでに。
死刑という制度自体には、個人的には疑問がある。
ただ、その次に重い刑が、
「終身刑」じゃなくって「無期懲役」しかない法制では、
死刑やむなしと考えざるを得ないとも思っている。
そもそも「無期懲役」という刑は釈然としない。
慣習?相場?としての期間は決まっているんだろうけど、
「無期」って量はなんか、ぼんやりしているし、
言葉の重みでなんとなくごまかしているような気さえする。


人権は正しく公平に守られるべきである。
というのは全くその通りだと思う。
ただ、無原則、無制限な人権保護がいけないのは、
あらゆる「無原則、無制限な権利」がいけないのと同じだと思う。


なんて、法律については、からっきし素人だし、
全然勉強していないので、
あまりこういう思慮のない意見というのも、
いけないなぁとも思うけど。
ま、「刑法に対する、素人の素朴な疑問」っちゅーところです。


2000/09/05(火)
いじるという遊び

久しぶりにゲームを買った。
ゲームボーイソフト「ころころカービー」というゲームだ。
このゲームは、加速度センサーが入っているので、
ゲームボーイ本体を傾けると、
ゲーム中のキャラクター(カービー)が、
その傾きに応じて移動する。

ゲーム内容は、ゲームボーイを傾けて、
カービーをころころ転がして、目的の場所に移動させるという、
そのまんまなものなので、ま、ちょっとベタすぎない?
って気もしないでもないけど、ゲームボーイを傾けると、
ソフトの中もそれに対応する、つまり、
キャラが箱(ゲームボーイ)の中にいる感は、
とてもおもしろいと思った。

このおもしろ感っていうのは、
目や耳だけが遊んでもらっている、
という遊びに飽きているという事実と無関係でない気がする。
5感のうち2感しか遊んでもらえないわけだから、
そりゃ、他の感覚器はおもしろくない。

ゲームはロボットのように触ることができない点が
不利と言われている。
重さ、固さ、暖かさ、ニオイなど、
残りの感覚をゲームが表現することは、
モニターに映す遊びであるだけに、
なかなか厄介な問題だ。
それをどうにかしようとする、一つのアイデアとして、
このゲームはとてもおもしろいなと思った。

この夏のはじめ、ようやく一つゲームを作り終えたんで、
そろそろ、次をと思っている今日このごろなんだけど、
どうも「テレビの前に座ってゲームをやっている自分の姿」
というのが想像できなくて困っている。

ぼくは、ゲームのアイデアをおもいつくとき、
テレビの前に座ってゲームをやっている自分の姿が見える。
そして、そのときのモニターをのぞき込む形で、
どういうゲームなのかが見えてくる。
それを写し取るというのが、
ゲームのアイデアを思いついたということになる。

だから、「テレビの前に座ってゲームをやっている自分の姿」
が見えてこないと言うのは、ちと、調子が悪い。
きっと、この時期、ドラクエをやるために、
モニターの前につきっきりの人って多いと思うけど、
どうもね、そういう自分の姿が見えてこないんですよね。
まずいといえば、まずいけど、でも、
それが自分の正直な気持ちなんだなぁとも思う。

その代わり、ゲームを手にしている姿は、よく浮かんでくる。
ゲームをやっていると言うよりは、
その装置をいじっている感じ、というほうが近いかもしれない。
モニターの中をのぞき込んでみると、
白黒の絵だったりするから驚く。

これはなんなんだろ?何をしているんだろ?
思いつくまま紙に写し取ってみると、
自分でもびっくりしてしまうほど、ゲーム的でない絵。
あまりに突拍子もない絵なので、さすがにうちのメンバーにも、
そのアイデアは話していない。

「手に持っていじる遊び」。
今の携帯用ゲームもそうなんだけど、
そうした従来のゲーム的遊びとは、
ちと違う。う~~ん、
「ゲーム」(という言葉)じゃないんだよなぁ、
きっとこの遊びは。

もっと希薄というか、原始的というか。
「遊ぶ」というより「いじる」って感覚の方が近い気もするし、、、。
しっかし、こんな遊びのアイデア、
どこに持っていけばいいんだろ。


2000/09/04(月)
i modeは通勤ツール

今あるi modeの有料コンテンツは、
的がはずれている感じが否めない。
従来の雑誌、ゲームをいかにi modeの仕様の中にまとめるか、
そんなコンテンツが多い気がする。
ぼくも最初の頃こそ、有料サービスに登録していたが、
今では、リモートメールなど有用なツール以外は、
全て解約してしまっている。
なにか、今ひとつピンとこないのである。


i modeの有料コンテンツは、
月額300円以下に定められている。
この金額は、キオスクなどに置かれている雑誌の値段が、
参考になっているそうである。
こうした誕生のいきさつと、
i modeが通勤ツールとして最適という感じは、
無関係でない気がする。

通勤ツールというのは、ぼくの勝手な造語である。
i modeは、通勤、通学中に電車の中でいじるに最もふさわしい、
逆に言うと、通勤、通学中の電車の中でいじるくらいが、
一番よろしい装置である。という意味です。
新聞を縦4つ折りにするよりも、文庫本よりも、小さいでしょ。
これは、混み合っているときには、大変ありがたい。
しかも、それ一つで、本にも情報誌にも、
新聞にもゲームもなる、
場合によっては音楽プレイヤーにだってなる。
そういった暇つぶし専用のマシンではなく、
電話だってかけられる!

通勤、通学の経験がないあたしが言うのもなんですけど、
通勤時間って、そんなにテンションも高くないし、
時間だって、そうはながくないですよね(中には、
1日の1/6を通勤時間に費やすなんていう人もいるだろうど)。だとすると、込み入った小説とか、
ましてやゲームとか、あまりよろしくない気がする。

そう考えると、ますますi modeは通勤ツールである。と思う。
異論のある人もたくさんいると思うけど、
今日、ぼくはそう結論した。

そう決めつけると、じゃあ、何があるべきか、
なにがあるとうれしいか、
スッキリ見えてくるから不思議である。

具体的には、、、
これはちょっとヒミツだけど。むふふ(猪木笑い)。




« 人間風車: 2000年8月 | | 人間風車: 2000年10月 »