人間風車

2001/01/31(水)
10万馬力

デシベル、ジュール、カロリー、ヘクトパスカル、
電子ボルトなど、エネルギーの単位は、
どれも科学っぽい言葉が多い。当たり前だけど。
そんな中で、
なんでまだ「馬力」なんていう単位が
残っているんだろう。不思議。
まさかと思って、和英辞典で調べてみたら、
「馬力」にあたる英語は" horsepower
《略: h.p., hp》"だった
(ま、horsepowerが馬力と訳されたんだろうけどね)。
ちなみに、「10 馬力出す」は、
"produce 10 horsepower"となる。


鉄腕アトムは10万馬力っていうことだから、
10万頭の馬の力ということになる。
10万頭の馬。スゴイ数だ。
大京町に10万頭の馬がいる、
って考えただけでクラクラする。
なにもしなくったて、
いるだけでスゴイパワーというか影響力。
路地なんて、せまっくるしくて仕方がないだろうし、
きっと、糞とかもスゴイことになるだろうなぁ。
たぶん、鉄腕アトムより強いと思う。
馬1頭が、1人乗りの馬車を動かせるとすると、
10万馬力の馬車は、
10万人乗りの馬車を動かせることになる。
10万頭の馬がひっぱる10万人乗れる乗り物。
壮観だろうなぁ。
そして、たぶん、鉄腕アトムより便利だと思う。


それはそうと、1馬力は、
どのくらいの力なんだろう?
正確な量は決まっているんだろうか?
どっかに、メートル原器みたいに、
馬力用原器というか馬力用原馬がいるんだろうか。
なんで馬だったかも気になる。
牛じゃダメだったのか。
馬のいない国じゃあ、どう感じるんだろう。
われわれだって、
10万三つ指ナマケモノ力とかだったら、
さっぱりイメージできないもんね。
どうせなら、力は馬力、速さはイヌ力、
高さはキリン値、重さは象値、
賢さはサル値みたいに、
物理量が全部動物名だったら、
こんなに科学離れが進まなかったかも知れない。


2001/01/30(火)
撒き餌としてのゲーム

注文があってから作るっていうシステムは、
けっこうすでにあるものなのね。
メールでいただいた例。
タモリのジャングルテレビで
リクエスト次第で商品化するコーナー。
けっこう、こういうのふえてきているね。


たまたま新聞を読んでいたら、自費出版でも、
まずはインターネット上で公開して、
注文部数だけ印刷するっていう
オンデマンドってーやつですか、
そういう出版システムができつつあるみたいですね。
今までなら、
小ロット=製造コストが高い=採算性がない=ボツ
っていう公式だったんだけど、
注文数が明確+少部数用デジタル低コスト印刷術
=在庫リスクがない+採算性がある=できるじゃん、
ってなっているようです(自主出版ネットワーク)。
早く、本以外のブツについても、
こういう公式がなりたつようになるといいのになぁ。


一方、似たようなオンデマ方式で、
個人から作品をつのり、ホームページで作品を公開。
1作アタリ500円で発売、
売り上げの50%を著者に還元っていうモデル
(文芸社)があるみたいだけど、
この方式はどんなもんでしょー。
成功を祈るけど、
無理な気もするし、違う気もしますね。
なんていうのか、
こういうと古いヤツっていわれそうだけど、
いつの時代になっても本は紙でしょ。
ってことだと思う
(もちろん、全てのテキストが紙に写し取られる
価値があるとは思わないけど)。


余談ついでに。
アルクが自社の英語辞書を無料公開にしてしまった。
「サイトを販売チャンネルのみとして考えると、
ネット販売は成功しない」
っていうのは、正しい考え方だと思う。
TVドラマなどが、
広告のための強烈な撒き餌だというのと
同じことだと思う。
インターネット上でも、そろそろ、
そういう考え方が出始めたってーことでしょうかね。
となると、単に、「買ってください」
を連呼するだけのネット販売ビジネスは、
ますますきついでしょーね。


さらに、ついでに思ったこと。
テレビ上での撒き餌がドラマや映画や
ニュースだったりだとすると、
インターネットのそれは何か。
テレビ上での撒き餌にプラスして、
ツール(スクリーンセーバーなんかもそうだもんね)
とゲームかなぁと思ったりもする。
そういう意味でも、ゲームは、
買うものともらうものの2極化が
進むんじゃないでしょーかね。
映像で言えば、映画とテレビドラマもしくはCF。
そういう位置関係。
ゲーム屋さんでゲームを買うっていうのは、
映画「タイタニック」みたいなもんで、
たま~~のハレの出来事っていうことに
なるんじゃないでしょーか。
一方、形態やPDAやインターネットなんかでは、
撒き餌的ゲームがたくさん無料で遊べる。
(JAVAやFLASHの普及が、
そういう可能性をうんと高めている)
そうなる気がする。
そんでもって、そんでもって、
次のとんがったクリエイターが生まれる土壌って、
撒き餌的ゲームの方だという気もする。
映画よりCFを撮っている人が
輝いた時代があったみたいに。


ps:
すっかり忘れていたけど、
例の「インパク」にうちも参加してるんですよ。
わくわく農村ネット/アストロN

ゲーム「アストロノーカ」
のカードゲーム版って感じです。
よかったら、訪ねてみてみて。


2001/01/29(月)
靴屋は靴の注文があってから靴を作る

大量生産、大量消費時代っていうのは、
誰かから注文があったからそれを
作るっていうことではなく、
誰かが買ってくれるだろう、
買わせてみせようっていう原理に基づいた、
モノ創りシステムだった。
このシステムは、同じモノを大量に作れるので、
コストを抑えられる、
たくさん儲かるという利点があったので、
今でも覚えているけど、
社会の教科書には「産業革命以前は、
靴屋は靴の注文があってから靴を作りだした
(だから、非効率だった)」と書いてあった。
いつのまにか、
唯一絶対のモノ創りシステムであるかのような
錯覚を我々に与えた。
ところがどっこい、
インターネットなんていう
仕組みができてきてくれたおかげで、
どうも、そうばかりでもないっていう
雰囲気がしてきた気がする。
時計や家電で、
「こんなん作ろうと思いますけど、
あったら買ってくれます?」
っていう告知をして、
注文がある程度あったら、
実際に作り出すっていうビジネスモデルがそれだ。
(いやぁ、この言葉はいつ使ってもはずかしい)

リスクを恐れる日本人(企業)にとって、
そしてこのご時世にとっては、
なにかと都合がいいシステムでもある。
小さな差別化を喜ぶ買い手側にも都合がいい。
何かで読んだんだけど、インターネット上で
「もしこれを作ったら、買いますか?」
ってアンケートに「はい」
と答える人の70%が実際に買うそうだ。
「話半分」以上の話になるのならこれは
ありがたい話だとおもう。
これは、われわれ、
非メジャー系クリエイターにも、
朗報かもしれないなぁと思っていたところ、
いがらしみきおがインターネット上で連載を始めるらしい
(もう始めたのかな)。
で、評判になったら本にするということらしい。
是非、このシステムは成功してほしいなぁ。
そしたら、
業界に蔓延する商品化および販売不安症候群が、
少しは緩和されるだろうに。


関係ないけど、友達から個人的な注文を受けて、
その人だけのための小説を書くという
アルバイトをしていた友達がいる。
けっこう楽しそう、
ゲームでもありかって思うアタリが、
非メジャー系の所以か。


2001/01/26(金)
本末が転倒、さらに転倒

PS2を買ったとき、遊びたいゲームがなかったので
(っていうか、ゲーム自体やりたくなかったんだけどね)、
「マトリックス」のDVDを買った。
以来、DVDを結構買うようになってしまった。
昔の名作だと2000円からありますからね、
これはお徳感強いですよ。
ビデオだとどうしても劣化しちゃいうんで、
持っていたいという欲求が生まれなかったんだけど、
そういう意味でも買いだしね。
大きさがCDと同じだっていうのも、
意外に重要なポイント。整理しやすいですからね。
これからも買いまくりそうだなぁ。
「ウルトラQ」全作なんてやめて~~って感じ。
買っちゃうに決まってるもの。
そんなわけで、
PS2が完全にDVDプレイヤーに
なってしまったわけですが、
実は、マジにDVDを見ようとすると
PS2は結構ダメなんですよ。
コントローラーで操作っていうのが面倒だし、
画質もよくない(と思う)。
ま、ゲーム機の「おまけ」機能だから、
文句いっちゃーかわいそうなんだけど。
で、HORIのPS2用リモコンとかも
買ってみたんだけど、なんかイマイチで、
結局DVDプレイヤーを買った。
そしてPS2はしまわれてしまったのだった。
本末が転倒、さらに転倒で、
DVDプレイヤーとDVDソフトって、
正立したわけです。
結構、こういう過程を踏んでいる人、
多いんじゃないでしょうかね。
DVDプレイヤーも安くなったんで、
最も安いDVDプレイヤーという
PS2のアドバンテージもなくなってきたし。
そういえば、
DVDソフトを買っていて気がついたんだけど、
パッケージに「PS2で見られる」
みたいなシール貼ってあるんですよね。
これ、考えてみたらすごい、っていうか妙な話ですよね。
これじゃあ、ゲームは売れないはずだ。


ps:
DVDプレイヤーにあわせて、
BSデジタルチューナーも買った。
11月に注文したのが、2週間ほど前、
ようやく届いた
(開局期間や年末年始の特番が見たかったのに~~っ)。
結構、番組は寒いし、開店休業のチャンネルも多いけど、
番組表が(自動的にダウンロードされて)
いつでも見られるってのは、
結構便利。技術の未来って、
案外こういう地味なことなのかもね。


2001/01/23(火)
眠る瞬間

深夜、鶴瓶が「眠る瞬間、見たことある?」
って真吾くん(この字だっけ?)に聞いていた。
びっくりした。
ぼくだけじゃなかったんだって。
そういえば、って小さい頃のことを思い出した。

小さい頃、
眠る瞬間を知りたくて、
ずっと自分が寝る瞬間を見張っていたことがある。
もちろん、失敗。

小さい頃、
新聞にはいったい何文字書かれているんだろうと
気になって、数えた。
面積当たりの平均文字数から算出なんて
気の利いた計算はできなかったので、
一文字一文字数えた。
何文字だったかはすっかり忘れてしまったけど。

小さい頃、
世界中に、何枚の葉っぱがあるんだろうか、、、幼心に、
さすがにこれは無理だな、と思った。

小さい頃、
テレビかなんかで、川には源流がある、
最初は1滴の水からはじまると知って感動した。
どういうわけか、道もそうにちがいない。
家の前の道も源流、
最初の1滴にあたる場所があるに違いないと、歩き出した。
歩いているうちに夜になってしまった。
見知らぬ町の見知らぬおばさんに、
交番に連れて行かれた。
そんなつもり全然ないのに、
「迷子」ということになってしまった。
捜索願まで出ていたらしい。

小さい頃、
おしっことうんちを同時に出したいと思った。
これは生理的に無理みたい。
小さい頃、堤防に穴をあけて、
町側に水をひきたくなって、
堤防に穴を掘っていたら、
堤防監視員にこっぴどくしかられた。
堤防監視員、そんな人がいるんだってことに驚いた。

小さい頃、
畑の柿の実をすべてたたき落とした。
どうやらとんでもない問題になったらしいが、
親が解決してくれた。

小さい頃、
最強の毒薬を作ろうと思って、
洗剤、薬品、農薬、灯油などを混合した。
カブトムシやクワガタも入れた。
最後に電気を加えようと、
切断したコードをつっこんで電気を通した。
ボっと火花があがり、
薬品の化学反応で指が真っ黒になった。
しばらく色が落ちなかった。


ps:
インターネットのライブカメラもこういうのだと、
ちょっといいね。
イギリス、マンチェスターの幽霊が出ると
ウワサの館のライブ中継。
http://www.irelandseye.com/
ghost/webcam/iugeur3ig.shtm



2001/01/22(月)
売り切れゴメン

昨年出したゲーム
「ここ掘れプッカ」と本「マッチ箱の脳」が、
そこいらで売り切れているらしい。
と書くと、売れている!
っていっているように思われるかもしれないけど、
悲しいかな、違う(笑)。
売り切れているのは、営業や小売りの人が思っていたより、
もしくは思った通りの数だけ売れた、
というだけで、客観的な尺度での「売れている」とは、
ちと、というかだいぶスケールが違う。
ま、そういう営業や小売りの人の「査定」についてはね、
もー、仕方がないですよね。
そう判断するのはあちらさんの自由であり
権利であるわけですから。


それはそうと、同じ売り切れでも、
ゲームと本では、ぼく内のムードはかなり違います。
ゲームの売り切れはがっかり。
本の売り切れは、ちょっとうれしい。って感じかな。
それはどういうことかというと、
ゲームは、超メジャーな作品をのぞいて、
在庫が売り切れたからといって、
その分、再注文が発売元に来るってことがないんです。
どちらかというと「売り切れゴメン」の方が多い、
らしいです。
というのも、ゲームは買い取り制なので、
売り残るとそのまんま、
その代金が小売店の損害となります。
中古へ売ることもできないし、
安く仕入れることもできない、2本分の利益は、
1本売れ残るとなくなってしまうっていわれる
薄利多売的商売らしいですから、
売り切れたところでストップ、
というのはばくち的感覚からいっても
正しいといわざるを得ません。
再注文すれば、
売れ残る可能性は高くなるわけですからね。
それだったら、
次の売れそうな新作を買った方がマシってことです。
年間800タイトル(なんと平均1日2本以上!)
出るといわれるゲームですから、
次の候補を探すのは簡単なことです。
てなことで、ゲームが売り切れているってことは、
ニア・イコール、
それで売り上げストップということですから、
がっかりってことなんです。
それに対して、本は、再販制ですから、
再注文をとって売れ残ったとしても、
小売店は被害を受けない
(や、ちょっとはうけるんでしょうけどね)。
だからゲームに比べれば、
出版元に再発注がかかる可能性が高い、
つまり、まだ売れるかも!
ってなるわけです(あくまで可能性としてね)。
だから、本の方の売り切れはちょっとうれしい。
正確に言うと、あまりがっかりはしない。
だって、お目当ての本を買いに行ったらなかった。
そんなときは、みんなその本を注文するっていうより、
他の本買うでしょ。いっぱい他の選択があるからね。
だから、そういう意味では、
売り切れは機会損失って考えることもできるから、
喜んでばかりもいられないともいえますから。
そう考えると、ゲームなんて、
もっと最悪ですけどね。

再販制っていうのは、
それなりに問題があるみたいだけど、
数を見込めない本も出版できる
(しやすい)っていうことでは、
ゲームより健全そうですね。
おそらく、今後、しばらくの間、
ゲームは同じようなゲームが沢山出る、
ジャンルは限られた種類だけっていう
時代に突入するでしょう。
一時期のハリウッド映画みたいに、
2,3といったシリーズものや、
そのバッタモンばかりがでる、
そういう時代になりそうです。
同じようなモノがたくさん。
いろいろなモノが沢山の種類ある、
どちらが楽しい市場なんでしょうかね。


2001/01/19(金)
女の浮気

どうして、女性は浮気をしないんだろう?
する人もいるけど、進んでする、喜んでする女性は、
あまりお目にかかったことがない。
少なくても、進んで浮気する、喜んで浮気する男性より、
はるかに少ない気がする。
よく女の人は「あたし、一人の人が好きになったら、
あとの人は目に入らないから」っていうけど、
どーも、道徳心とか倫理観とか打算とかそういった
不純な動機からではなく、心の底から、つまり、
本能的にそう思っているとしか、思えない。
じゃなきゃ、ああ、純な目で語れない、、、はず。

で、最初の疑問に戻るわけです。
そもそも、人間のメスが排卵日がわからなくなったのは、
それをオスに知られないため、
隠すためだったためではないかという説があります。
なんで隠す必要があったかというと、
浮気できないからです(ぼくが言ってるんじゃないよ、
その学者が言っているんだから)。
排卵日がわかってしまうと、
パートナーのオスがその日を支配してしまう。
これによって、
100%メスはパートナーのオスの子供しか生めなくなる。
しかし、排卵日がわからないとなると、
100%パートナーのオスが支配するっていうことが
むつかしくなる。
まさかね、毎日、、、ってわけにもいかないだろうから
(ぼくが言ってるんじゃないよ)。
となると、他のオスの子供を産む
「チャンス」がそこに発生する。
というのも、多くの動物の場合、
オスは自分以外のオスの子供は殺してしまう。
自分の血(遺伝子)を残すことが、
子供を育てる唯一の理由だからです。
排卵日がわかっていて浮気をすると、
第一に浮気(で妊娠)しにくくなるのにプラス、
もし浮気相手の子供であった場合、
それが簡単に見破られてしまう。
この二つの理由から、オスに排卵日を隠したのだ
(くどいようですけど、そういう学説です)。
排卵日がわからないとなると、
できた子がオスは自分の子かどうか、
明確に判断できません。
最悪でも「俺の子じゃないかもしれない」
くらいのグレー判決どまりとなります。
(今の我々ならDNAで照合するっていう手があるけど)

学説は続けます。
メスが浮気するには理由がある。
そもそも、セックスをして子を作るっていうのは、
自分(メス)の遺伝子をただコピーするだけでは、
遺伝子が壊れている箇所を修復したり、
よりイイ遺伝子をゲットできないからで、
そのためにオスの遺伝子をもらう。っていうことです。
だから、メスはオスを選ぶ必要があります。
できの悪い遺伝子なんかいただいた日には、
なんのためのセックスか、
わからなくなってしまうからです。
よりイイオスを選ぶっていうのが
正しいメス道っていうわけです。
オスが求め、メスが選ぶ、は生物界の常識です。
ですから、パートナー以上のオスが出現したとき、
メスは、必然的に浮気をするのです
(とその学説は言っている)。

なのに、そうじゃないのは、、、、って、
ここまで書いて気がついた。
そっか、メスは浮気はしないんだ。
ただ、さっくり別れて新しいオスとの生活を始めるんだ。
きっと、育児のコストとオスの知性が生物界一高いから、
浮気より新しい生活っていうのを選んだんだな。
なぁんだ。悩んで損した。
でも、目移りするってーことには変わりないんだろうな
(って、ぼくが言ってるんじゃないよ、学説だよ)。


2001/01/18(木)
身体性復活

この間、同業の友達と飲んでたときに、盛んに出た話題が
「コンピュータとかもう、おもしろくないね」
っていうことだった。
この場合の「コンピュータ」には、
PCだけじゃなくゲームもインターネットも含まれている。
たしかに、ゲームや携帯電話をからめたIT産業には、
まだ残っている遊びがあることはあるんだけど、
総体としては、落ち着いてしまったなぁということだ。
「80年代が終わったってことだね」
ということで、合意。


そういう言い方をすると、
そのアイテムが流行の頂点に達したのを見計らって
「そのアイテムはもうトレンドじゃない」
ということレトリックだけで生きている
トレンドウオッチャーみたいに誤解されそうで
イヤだなぁと思うんだけど、もちろん、
そういうつもりじゃないし、
ぼくらに先見的センスがあるとかそういうことでもない。
たぶん、僕らは普通の人たちより、
時間的も内容的にもたっぷり
コンピュータに接しているので、
飽きるのも一足早い、
ただそれだけのことだと思う。


で、じゃあ、これからは何(がおもしろい)
って思う?というと、スキーだったり格闘技だったり、
陶芸だったり、盆栽だったり、石堀りだったり、
身体性を伴った遊びばっかりがあがってくる。
そういう身体性復活を求める、
自分的欲求を自覚するときって、
肉中心の食事が続くと、
無性に野菜がほしくなるときのバランス感覚と同じような、
ほっとした感がある。
まだ、おれは「まとも」だって、感じ。


そういえば、以前こんな議論をしたことがある。
野菜も肉も炭水化物もバランスよく必要とする我々と、
お菓子と肉さえあればいい連中とどちらが、
生き物的に合理的、というか進化しているんだろうって。
われわれ類人猿が、こんなに雑食性になったのは、
陸上での生存競争でやぶれて、なんでも食う、
じゃないと(食べ物がなくって)
生きていけなかったからであって、
今のなんでも食うじゃないと(体のバランスを崩して)
生きていけないとでは、ちと意味が違ってきている。
いつのまにか、なんでも食べられるから、
なんでも食べないとならない、
に変質してしまったとも言える気がする。
1日3食とか、朝食絶対、とかそういうのもね。
そう考えると、
今の偏食のヤツの方が進化しているのかもしれない。
ま、ジャッジできるにはもう少し時間がかかりそうだけど。


ps:
そんなわけだから、でもないんだけど、
仕事がらみで今月末に鉱石を堀に行く。
わざわざこの寒い時期になんで、
て気持ちもあるんだけど、今からワクワク。


2001/01/16(火)
最近、ゲームについて思うこと

僕らが言うと、
「おいおい」とつっこまれそうな気もするけど、
ゲームって高すぎますよね。
DVDや音楽CDなんかに比べて、
ちょっと世間離れした値段になってしまっている気がする。
ただ、制作コストからすると、
けっしてめちゃくちゃな値段設定になっているわけではないし、
赤字のゲームだってたくさんあるんですけど、
でも、それは作り手側の論理であって、
NTTの接続料金の設定の考え方と同じっすからね。
これは言い訳にはならん気がします。

例えば、3800円で売る。
そのためには、
制作費はこのくらいに納めなくてはいけない。
そのためには、
このくらいの期間と人数で作らなくてはいけない。
このくらいの数売れないといけない。
そのためには、どんな内容のソフトであるべきか?
この連立方程式は、
知恵と運で解決するような気がするんだけどナァ。
今のように、売れない、売れない、
でも値段も内容も売り方も従来のママでね。
なんてのは、
どうみても甘えているだけっていう気がするけどなぁ。
(自己批判を含めて)


それとは別にゲームも、
サッカーやバンドブームのように、
単なるブームだったんだろうか、という気もする。
この日本独特?の「ブーム」っていうムーブは、
危険っすよね。
ブームが去った後は草木一本生えない、
っていわれるくらいだから。
「ゲームって、もうほら、かっこわるいじゃない」
ってことで片づけられちゃうのは寂しい。
ま、それもこれも大人が耐えられる遊びを提供して
こなかったゲームの作り手側の責任だと思うんですけどね。

なんか、今のゲームの内容って、
映画で言えばディズニー映画だけある。
っていうくらい偏っているじゃないですか。
たしかに、大人の心を打つディズニー映画
だってたくさんあるけど、
もっと愛や毒やエロスや哲学がある映画だって

ほしいじゃないですか、大人としては。
でも、今のゲームは、
そういう大人の要求には応えられていない。
マンガだってね、大人しかわからん、
大人のためのマンガが提供されているというのにね。
だから、子供子供ばかりじゃね、
文化として成熟のしようがないですよね。


一方、そういうこととは逆に、
ゲームってどんどん身近な場所に来ているナァ、
とも感じている。
昔、大学の研究室で生まれたTVゲームは、
その後、近くの喫茶店にやってきて、
やがてコーヒーを飲まなくても、
喫茶店の定休日とかも関係ない、
ゲーセンにやってきて、
それがついに自宅の居間までやってきた。
どんどん、我々の近くにやってきてるわけっすね。
これがゲームボーイになると、
いつでも手元にあるって、
ますます近くになり、携帯電話に入ることで、
それ専用端末を持っていなくってイイっていう
「近さ」にまで来ている。
これは、あきらかにわれわれが、
「呼んでいる」からに違いないのであって、
そういう見方をすれば、われわれは相変わらず、
ゲームは好きなんだ。と言えるのかもしれない。
今のゲーム離れっていうのは、
家庭用ゲーム機が誕生したとき、
ゲーセンがさびれたのと同じで、
ゲームの「居場所」が変わろうとしている、
その過渡期にあるからなのかもしれない。


どちらかというと、
後者の予想が正しいことを祈っているんですけどねぇ。



2001/01/12(金)
おもちゃデジカメ

おもちゃデジカメを2台買った。
2台、というのには、全然意味がないんだけど、
だって、安いんだもん。
前のデジカメ(サイバーショット)は、
確か5,6万円したと思うんだけど、
このおもちゃデジカメたちは、
6000円くらいなんですぜ、ダンナ。
もちろん、カメラとしての機能は、
そりゃなさけないものですよ。
30万画素ってデジカメが出始めた頃のスペックだし、
液晶モニターもついていないので、
どう撮れたかはパソコンに転送しないと確認できない。
でも、なんだか、いいんですよお、これが。
単4電池で動くし、小さい
(ほんとびっくりするくらい小さい)し、軽い。
パソコンへの転送もUSBだと簡単だしね。

最初からダメな子ってわかっているから、
撮れた絵が、ぶれてたり、色がとんでたり、
ピンがあまくったて、あまりイヤな気持ちがしない。
この手軽さ、特に、精神的手軽さはすてきです。

最近のデジカメは、主流が300万画素だから、
画像処理にしてもデータ容量にしても質量的にも重い。
そういう「鈍さ」がどうもピンとこない。
逆に、こういうおもちゃデジカメとか、
携帯電話についているカメラとか、
そういう「精神的に軽い」カメラのほうが、
カメラの本質をついている気がしてならない。

(現状の)インターネット環境とも相性よいしね。
ゲーム機なんかもね、
こういうおもちゃデジカメなんかとリンクできると
おもしろいんだけどなぁ。
せっかくjpgという共通の画像フォーマット
で記録されているんだし。
って、ことで最近はいつもこれを持ち歩いている。


ps1:
どのくらいなさけない画質か、これ↓見て。
(ボクの仕事机まわり)

20010112.jpg

ps2:
今のBGMは、Jeff beckのYou had it coming。
なんか、前作の続きってかんじだねぇ。
前作がすごくよかったんで、ちょっと残念。
一所に止まっていないのが、彼のステキなところなのに。


2001/01/10(水)
掃除機

掃除機をかった。
今度は、深夜のテレビショッピングでお馴染みの
蒸気で汚れを吹き飛ばす掃除機だ。
ノズルの先から高温高圧の蒸気を発射して
汚れを落とすという仕組みの掃除機だ。
年末、どうしても換気扇を掃除したいなぁ、でも、
油でベトベトの羽を触るのはイヤだなぁと思っていたところ、
テレビでこれを見た。
運命の出会いだと思って即注文した
(よく考えると、単に年末の大掃除の時期に
あわせた商品というだけのことだったきもする)。

結果、どうだったかというと、
確かに高温高圧の蒸気は、油汚れを溶かす。
これは予想以上だった。
でも、溶けた油汚れは、風圧で飛び散る。
結果、換気扇はきれいになったが、
そのまわりや掃除機自体が油で汚れた。
掃除機についた油汚れは、
仕方がないから手で取り除いた。意味ないじゃん。

おまけに、もう一つ、落とし穴があった。
めがねが曇るのだ。視界0。これは困った。
ただ、いいこともあった。
たっぷりの蒸気を吐き出すので、のどにやさしいのだ。
冬の乾燥した時期にはありがたい話だ
(でも、そのあと、アタリ一面水浸しになるんだけどね)。


ちなみに掃除機はこれで5つ目である。
通常の掃除機から、ハンディーな掃除機、
電池で動く掃除機、あらゆる掃除機を持っている。
いついかなる条件でも快適な掃除ができる環境が整っている。
でも、ご想像の通り、めったに掃除をしない。
キライだから仕方がないのだ。
そういえば、知り合いに、
コンピュータでの仕事を快適にすすめるために、
いろいろユーティリティー・ソフトを持っている人がいた。
これがあると、必要なファイルを見つけるのが容易になるとか、
一括で変換してくれるとか、データの保護ができるとか、
便利そうなソフトを自慢げに見せられたことがある。
でも、この人、仕事遅かったナァ、って思い出した。
ぼくの掃除機も同じか。


ps:
今のBGMは、Remington super 60のPLING2001。
最近、この手のチープテクノがお気に入り。


2001/01/09(火)
子供はえらい

いつのまにやら、子供達の間では、
「遊戯王」なるカードゲームが流行ってるみたいですね。
遊び方は「ポケモン・カード」と似ているけど、
元祖「マジック・ザ・ギャザリン」により似ているので、
その分できがいい、ともっぱらの噂。
それにしても、子供達の遊びのバランス感覚は、
すばらしいなぁと思いますね。
まわりにごろごろしているコンピュータオンリー、
TVゲームオンリー、カラオケオンリー、
フィリピンバーオンリーの
遊びしかしない大人たちにくらべて。
マンガでもミニ四駆でもゲームボーイでもカードでも、
分け隔てなく楽しめるっていうのは、
かなりバランスがいい。
今は、彼らのアンテナにひっかかるアイテムはないから、
あれなんだろうけど、きっと体を動かす遊びだって、
全然ウエルカムなんだと思う。
最大の楽しさは生身の人間とのコミュニケーションである、
なんてことも本能的に理解しているとすら、感じ得る。
どうしてこういう子供が、その後、
偏った遊びしかできなくなってしまうのか、
そちらのほうがふしぎなくらいだ。


2001/01/05(金)
今年の抱負

謹賀新年。
新年あけましておめでとございます。
本年も、がんばったり、
迷惑をかけたりすると思いますが、
よろしくお願いします。


年が明けて、ことしは、
新しいことを勉強しようと思った。
普段の正月は全くそんな気持ちは、
沸いてこないのだけれど、どうしたものかたまに、
こういう気持ちになることがある。

10年ほど前には、
モランボンで韓国料理を勉強した。
1年休まず通った。
大学まで一度ももらったことのなかった皆勤賞をもらった。
おかげでずいぶんと韓国料理を作れるようになった。
5年ほど前には、人工知能を勉強した。
独学だったし、
文化系で数IIBまでしかやっていなかったので、
結構骨が折れた。
だいたい、なんとなくわかるまでに1年半かかった。
これはゲームに利用させてもらった。
本も書かせてもらった。
人工知能学会やロボット学会やアイボの開発関係者の
人たちなどとお知り合いになれた。

で、今年は、数年前からチラチラと本を読み出している
「量子力学」を勉強しようと思っている。
でも数学も物理もできないので、
これまた苦戦している。ちちと進まない。
っていうかまるっきりわからない。
完全な理解ははなっからあきらめている。
ファインマンの
「量子論を完全に理解している人間など、ひとりもいない」
という言葉を素直に信じることにしたからだ。
このわからなさ、理解にくさは相当おもしろい。
ただ、難解というのではなく、
「我々が見られないモノは存在するのか?
我々がいなくても、物理の法則は成り立つのか?」
なんて、われわれの従来の価値観、
哲学まで揺るがしてくれる。う~~~わかんねぇ。

さすがに、量子論がゲームに
利用できるなんてことはなさそうだけど、
今世紀は、「量子論」という言葉を
よく聞くようになる気がするなぁ。
そのくらい、応用の段階に入りつつあるみたいよ。
っていうかとっくの昔から、
LSIの技術とかには不可欠な理論らしいんだけどね。




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