人間風車

2001/10/31(水)
ピグミン

ピグミンをやってるんですけど、
もう息詰まってます。
反射神経とかの問題じゃなくって、
どうやら仕掛け的なところで詰まっているようで、
反射神経だけでなく、
知能も落ちたかと思うとちょっと悲しい。
なんか、いろいろ試すの面倒なんですよね、
黄色のピグミンの方が赤色より飛距離が大きいとか、
そんなこと、いちいち試すの面倒だもん。
なんか時間がないから、あんまり、
そういう意味でのやりごたえとかいらないのよ、
おじさんは。
もっと、
直感的にわかる仕掛けじゃないと
もうついていけないかも。
てなことで、ピグミンをやりながら思ったこと、
つれづれなるままに。

最大100匹が自律的に(勝手に)
行動するのをみるのは壮観です。
PS2なんかでは、
マシンパワーを
画面のリアルさでアピールしてましたが、
こういう風に、
たくさん動くんだぜというほうが、
説得力がある。
人工知能の世界では「群知能」
とよばれる研究分野があります。
個々の知能は低くても、
共同作業することによって、
高い知能をもった個体より
イイ仕事ができることがある。
ってことです。
このことは、コスト的にとても有利です。
1個体の知能が低いというのは、
その開発費や製造費が安いことを意味しています。
壊れても、すぐに換えがきくことになります。
高価で壊れたら換えもないなんていう、
高性能の1体より、
壊れても換えがきく安価な個体を
たくさんというほうが、
なにかとコスト的にいいわけです。
今、世間ではリストラ流行ですが、
逆転の発想として、
壊れても?換えがきく安価な集団で
構成された会社があってもおもしろいかも。
ピグミンの行動はAIってことですが、
個々の個体が取る行動は、
それほど高度なモノではありません。
でも、集団だとカワイイんですよね。
個体ではあり得ない、
集団としてのかわいらしさみたいなものが
あるんですよね。
魚や鳥やありの集団みたいなものとかね。
ピグミンはそういうの、
うまくいってるなぁと思いました。
ぼくなんか、
ピグミンをただぼーっと見ていられるモードが
ほしかった思うんですが、
ま、そんなこと思う人あんまりいないんでしょうね。


2001/10/29(月)
女はニオイで選ぶ

女性が嫌いな男性のナンバー1に選ぶのが
「くさい人」なんてことをよく聞きます。
また、逆に、
女の人って好きな彼氏のニオイが
好きっていう人多いですよね。
好き嫌いの第一要因が、
臭覚だってのがおもしろいです。
(ま、くさい=悪臭というより不潔ってイメージで
使ってることが多いんでしょうけどね)
というのも、
人間の感覚の中で
臭覚が一番劣っているといわれるからです。
人類は直立歩行をはじめたために
臭覚が退化したと言われています。
ニオイとは物質ですから、重力の影響を受けます。
このため、
地上付近の方が上空よりニオイ物質が沈殿しています。
直立歩行によって、四足歩行していたころより、
ニオイの密度が低い環境となって、
臭覚が退化したってことです。
(ということは、きっと大人より子供の方が
臭い思いをしているに違いない)
それとは別に、臭覚というのは、
あまり脳の理性や知識なんかを
つかさどる部分とは連絡が密じゃない、
というより、
それよりうんと古い脳(の機能)らしいです。
臭覚は理性や知識ということより、
感情とか直感とか情動とか、
そういうエモーショナルなアニマルなものと
関係が深いみたいですね。
つまり、ニオイで人の
(好き)嫌いを判断しているというのは、
知識や理性、つまり、
金持ちとか出世しそうとか頭がいいとか、
そういう打算ではなく、古い脳にというか、
情動的、直感的、生物的な判断に従って、
男を選んでいるのですねぇ。
(好きになる男は確かに直感的に
判断してるかもしれないけど、
結婚相手は理性的にしてる可能性もアリ)
子供を産むという大事を担わされた性だから、
遺伝子をもらうパートナーも
生き物的にしっかりしていないといけない、
ってんで、そのあたりシビアなんでしょうね。
ちなみに、そういう意味では、
「見た目」も重要そうです。
というのも、蝶々なんかですら、
羽が左右きちんと対称であるオスのほうが
選ばれやすいそうです。
蝶などでは、
ちょっと栄養バランスが悪いと
羽が左右対称にならないから、
左右対称であるというのは、
栄養状態がいい、つまり、
獲物を見つける力がある、運がいい、
病気になりにくい、いずれにせよ、
遺伝的にイイということになります。
メスは、そういうイイ遺伝子をゲットするために、
羽でチェックしているんですねぇ。
ちなみに、人間の美女、美男というのも、
顔の対称性が高いというのが、根本にあるようです。
また、ある遺伝学者などは、
顔が対称であるほど遺伝的欠陥が少ないという
研究報告をしている人もいます。
となると、女性はイイ遺伝子を選ぼうとしている、
イイ遺伝子を持った男が好きってーことですねぇ。
おれらに求められているのは遺伝子だけか。
って男はちょっとさみしい。
"女は存在であり、男は現象である"(多田富雄)


2001/10/26(金)
クリエイティブ的火事場の馬鹿力

今やっているプロジェクト
(一応、PS2用のソフトだから、
ゲームってことになるんだろうけど、
ちょっと、いわゆるゲームとはニュアンスが違う)
が大詰めを迎えている。
この時期になると、だいたい、ぼくはカリカリしている。
立場上、
プロデューサーからは
「まだできんのかい」と叱られ、
スタッフからは
「そういわれても、できないものはできない」
と開き直られ、
中間管理職的ストレスをいやというほど、
いただくためだ。
せめて、
遠慮なく不機嫌面ぐらいさせてもらわなくては、
胃に穴があいてしまうのだ。
ただ、今回は、
今までのそういうアレとは
ちょっと質が違うイライラもある。
今まで作ってきたゲームは、だいたい、
自分でスタッフを集めてきた。
この人と仕事がしたい、
そう思う人にプロジェクトに参加してもらえるように、
自分でお願いにいった。
どの人も、それぞれの分野でがんばっていて、
ピン立ち(独立している)人ばかりだった。
でも、今回は、いろんないきさつがあって、
S社のスタッフとの共同作業になった。
ま、幸運なことに、
みんな有能な人たちばっかりだったので、
基本的にはプロジェクトはうまく進んだ。
よそ様がどういうスケジュールで
ゲームを作っているのか、
知らないけど、ぼくは、
今のような仕上げの時期になると、
ようやくエンジンがかかり、
床にねっころがるような生活をするのが常でした。
交差点で信号待ちしているときなんか、
マジで、ここに車がつっこんでくれさえすれば、
誰にもとがめられずに眠れるのに、
と真剣に雨乞いまらぬ車乞いするくらい、
疲労困憊する日々が続くのでした。
ところが、今回はそれがない。
プロジェクトが順調に進んでいるからではない。
むしろ、順調に遅れている。
でも、みんな暦通りに働いている。
当然といえば、当然の話なんですけどね。
S社のスタッフはみんなサラリーマンなので、
暦通り、
常識的な残業時間内で働くのは当たり前の話です。
このプロジェクトが早く完了しても、
次のプロジェクトに組み込まれるだけだから、
急ぐ必要もない。
でも、これにはおどろいた。
いつものように、
最後の修羅場を想定していたのに、
いまだにそれはないし、もうない気もする。
もっとも、徹夜続きが果たして効率的か、
というとこれは怪しい。むしろ逆な気もする。
だから、作業効率からすると、
週末は仕事のことを忘れてリフレッシュするほうが、
いいのかもしれない。
普通の職種だったら、きっとそうだろう。
でも、
クリエイティブの現場はそうじゃないんじゃないか、
そういう気がしてならない。
なんていうんでしょうね、
火事場のバカ力みたいなもんでしょうか、
それまで、うんうんうなっても、
いい解決案やアイデアがうまれなくって、
やばいぞ、やばいぞ、時間がないぞ、
つかれたぞ、ねむいぞ、胃がキリキリするぞ、
でもなんとかしないとやばいぞ、
逃げるか!っていう限界に達したとき、ふっと、
一気に問題を解決してくれるようなアイデアが
生まれることがあるんです。
こういうことって、経験上、
それまでの余裕のある状況からは発生しないんです。
どういうわけか、そういう追い込まれないと生まれない。
そういう瞬間(だけ)が、
クリエイター冥利につきる瞬間であり、
そういう瞬間に生まれたもの(だけ)が、
次への糧になっているような気がします。
筋トレでいうスーパーリカバリーと似ているかもしれません。
筋繊維が斬れてしまうまで筋肉をいじめて、
はじめて、筋肉が太くなるというのと。
今までは仕事をしてきたピン立ちの人たちも、
多かれ少なかれ、
みんな同じようなことを経験してきたと思うんです。
(じゃなきゃ、フリーで仕事は来ないと思う)
だから、言わなくても、みんな、いざという時は、
こっちが参ってしまうほど、
すごいテンションで仕事してくれた。
でも、今回はそれがないんですよねぇ。
なんかマゾなのかなぁ。
そういうのがないと、仕事している、というか、
生きている実感がしないんですよねぇ。
「俺を寝かすなよ、もう」


2001/10/25(木)
夕飯、失敗

久しぶりに夕ご飯に失敗した。
けっこう、雰囲気の良かった店だったので、
ちょっと期待して入ったんですが、、、
まずかった。
すっごくまずいカツ丼でした。
カツが冷たい。
前もって揚げておいたカツに違いない。
せめて、卵でとじる前に、汁の中で暖めろ。
油も悪い。
カツをサラダ油で揚げるな!
カツはラードだろ、ラード。
衣も厚い。肉よりも厚い。
断面が衣、肉、衣って同じ厚さで3層になってる。
つまり、全体の2/3が衣ってことじゃないか。
これじゃあ、衣丼だよ。
もう、一口食べた瞬間から、
このまま食べ続けるべきかやめるべきか、
迷い出しました。
この瞬間食べるのをやめれば、
まだ別の店で「やりなおし」ができる。
850円が無駄になるだけだ。
あと30年生きるとすると、
1日2食のぼくの残り食事回数は、おおよそ2万回。
そのうちの1回つまり、
残り全食事の0.005%がこんな食事に
なってしまっていいのだろうか。
850円なんて、一週間、
(毎日買っている)
キリンファイヤーを買うのをやめれば、
とりかえせる。
やめるべきだ。
そう、右脳がささやいた。
一方、左脳は、
たしかに、このカツ丼はまずい。
今までで最悪といっていいだろう。
「愛の貧乏大脱出」
に出しても恥ずかしくない店だろう。
ただ、食事は味だけか?
いや違う。食事は本来、栄養摂取のためである。
だとしたら、
一概にこの店がダメとはいえないのではないか。
むしろ、
うま味調味料の味があまりなかったことを考えれば、
ここは、味覚には厳しいが、
体にはやさしい店かもしれない。
油をしっかり吸った衣はいただけないが、
後は栄養的には問題ないではないか。
どうしようか、、、と迷ったあげく、
結局、残りのカツには手をつけず、
暖かいご飯部分だけを食べて出てきました。
これで、右脳、左脳、
両方の言い分をとったことになる。
なんと、日本的解決法。
おかげで、
お腹は中途半端に空いている
(けど、もう一軒というほどでもない)。
お金は850円。
味は、ご飯だけですからねぇ、、、ないに等しい。
ってことで、右脳も左脳も不満足。
あ~、なにやってんだか。
以前、超まずかったスパゲッティー屋で、
残した麺で「ま、ず、い」と書きのこしたように、
ご飯でアピールしておけばよかったかな。


2001/10/23(火)
狂牛病

焼き肉屋がこぞって
「うちはアメリカ、
オーストリアからの輸入肉を使用しています」
と宣伝している。
ちょっと前なら、輸入牛肉を使っていることは、
マイナスイメージにこそなれ、
宣伝には使えない事実であったのに。
あるところのカレーは、いつの間にか、
ビーフカレーからチキンカレーに代わっていた。
日本では(とくに何故か関東では)、
鶏肉<豚肉<牛肉という価値観になっているので、
カレーでもビーフカレーの方が
チキンカレーより威張っていたのに。
今回の狂牛病の騒ぎが収まった後、
輸入牛肉やチキンカレーを売りにしているところは、
どうするんだろう。
それにしても、狂牛病が、15年前、
イギリスや地続きのヨーロッパで
発生してしまったことは、
仕方がなかったとしても、
どうして日本で発生させてしまったんだろう。
イギリスやヨーロッパの犠牲を活かせなかった、
日本政府の無策が腹立たしい。
だって、おそらく日本より生産量がうんと多いだろう、
アメリカやオーストラリアでは
発生していないんですからね。
これは、政府の対策の違いってことでしょう。
狂牛病っていうネーミングも悪かった。
正式な病名
牛海綿状脳症(Bovine Spongiform Encephalopathy)
のほうが良かったかどうかはアレだけど、
「狂」なんてつく病気で、
しかもそれが感染するなんて言われるとねぇ、
それだけでぞっとします
(って、こんなところソフトにしても意味ないだろうけど、
っていうかその方がヤバイかもしれないけど)。
それにしても、この事件があるまで、
肉骨粉なんてものは存在さえ知らなかったし、
牛にそういうの与えてるのとか、
牛がそういうのを食べることさえ知らなかった(
おまえら草食動物だろ)。
それに、
30ヶ月くらいで「処理」
されてしまうのも知らなかった
(すごく短命なのね。なんかちょっとかわいそう)。
ついでに、「処理」とか「焼却処分」とか
「出荷」とか「解体」とか「粉砕」とか、
なんだか、ブツ的な表現ってのが多いけど、
もうちょっと生き物的な表現ってないものだろうか。
(ってその方が生々しすぎるか)。
それにしても、今回は牛の問題だったけど、
魚の養殖とか、農業とか、
そういう食の生産現場では、
私たちが全然知らないギョッとしてしまうことが
行われているんでしょうねぇ、
きっと(ぞ~~~~)。


2001/10/22(月)
死生観

えひめ丸からぞくぞく遺体が回収されていますが、
遺体の扱いは、
(日本人の)遺族の気持ちを考慮して、
日本の流儀にのっとっておこなわれているようです。
例えば、
遺体袋には足から入れる、
受け取りの際には帽子を脱ぐ、合掌するなど。
死生観というか死体観というか、
死体に対する考え方は、
日本人ってかなり特殊というか、
西洋人とは違うみたいです。
魂はどこにあるのか、
死んでしまった後、
遺体には魂が残っているのか、
魂が抜け落ちた後の遺体はただの物体なのか、
そういうところの考え方がずいぶんと違うようです。
私たち日本人にしてみれば、
身内の遺体はたとえ、
それがツメ1つであろうと見つけだして、
家に連れ帰りたいと思うし、
遺体に対しては、
生体と同じような礼儀や敬意を払ってほしいというのが、
自然な気持ちだけど、
西洋的価値観では、
魂が救済された後の体は、
ただの物質でしかないようです。
もちろん、どちらが正しいとか、
そういう問題じゃないですけど。
ちなみに、ここらあたりの話は、
御巣鷹山に墜落した日航機123便の話である
「墜落遺体」(飯塚 訓著 講談社)
にくわしく書かれています。
生々しい事実の連続ですが、私たち日本人が、
いかに遺体に対して尊厳をもって接しているのか、
感動さえ覚えます。
ところで、自分はどういう死生観なのかというと、
こと自分の死体については、
どっちかというと西洋的な感覚というか、
無宗教であるため、
もっと淡泊な考えでいます。
死んでしまったら、遺体はただの物質に変わる。
ていうか、
生きている間でも、
肉体は魂を入れる入れ物に過ぎないと思っています。
(きっとボディーに全く自信がないとか、
そういうことも関係しているんでしょうけどね)
ただ、魂は脳の化学的、生理的作用に過ぎない、
ってほど、科学主義というか唯脳論的でもなくって、
どっちかというと、
きっと全生命(の魂)を
統括したサムシング・グレートなものがあるというか、
いるというか、
まぁそんなことを漠然と信じている方なんですが。
だけど、ぼくの(受け持った?)魂が活躍できるのは、
ぼくに生が与えられている間だけで、
それが終われば、魂はどっかに帰るか、
統合されるか、消滅するか、
いずれにせよ、そのとき、
体という乗り物はお役御免に
なるんじゃないだろうかと思うわけです。
でも、ただ燃やしてしまうのはもったいない。
魂の寿命と体の寿命は必ずしも一緒じゃないですからね。
もし、ぼくの魂の役割が終わった時点で、
まだぼくの体が寿命があるなら、
誰かに再利用してもらいたいと思っていますし、
へんな話というか気色の悪い話、
プー(うちのネコ)や鳥の餌になって(鳥葬されて)
彼らの体の一部になれたらいいなぁとすら思っています。
高校のとき、そんな話をしたら、
親がとても悲しい顔をしましたが、
きっと、
自分たちもそう扱われるんじゃないかと
思ったからでしょうね。
でも、大丈夫。
他人(の遺体)に対しては、
人並の尊厳を抱いています。


2001/10/19(金)
代理戦争

日本の格闘技ファンは、
海外の格闘家達に評判がいいらしいです。
格闘技が盛んな国というのはたくさんありますが、
日本ほど(ファンが)格闘家を
尊敬する国はないかららしいです。
それにしても、
和をもって尊しとなす国で、
実際にホント争いごとの少ないこの国で、
なんで、格闘技がこんなに盛んなのか、
海外の格闘家はきっと、不思議に思うでしょうね。
私たちは、倫理的、道徳的に、
争い事はよくないと教えられています。
これはこれで、
稀少かつ貴重な価値観というか美学だと思うのですが、
かといって、社会生活の中で、
言い合いたいこと、怒鳴りたいと思うこと、
なぐりたいと思うことがないわけではありません。
ただ、美徳に反するからガマンしているだけです。
こうして貯めてしまった負の貯金は、
何かの形で排出しなくてはいけません。
多くの場合、酒の場がハレの舞台となって、
その役割を果たしてくれますが、
どうも、抽象度が高くてこれだけでは、
うまく消化できません。
同じ代理行為でも、それよりは、
実際に、怒鳴る、脅す、殴る、
蹴るを見るということの方が、
うんと元来のストレスに直接的なわけです。
そして、格闘家は、自分の代わりに、
身を削って戦ってくれるわけですから、
感謝したり、尊敬しないわけにはいきません。
一方、血の気の多い国では、
代理行為なんてまどろっこしいことを必要としないで、
実際に言い争ったり、
殴り合ったりするんでしょうから、
代理行為がさほど必要とはされないでしょう。
ゆえに、格闘技は好きだけど、
格闘家はそれほど尊敬されない、
ってことになるんでしょうね。
日本ではよりガチンコ(リアル)ファイトが
求められていってます。
プロレスよりプライド
(最近のプライドはちょっと???だけど)や
K1みたいなものの方が人気があり、有名です。
とくに、大人の間では。
これは、大人は、
実際の社会でリアルなストレスを食らっているので、
それの代理戦争も、
リアルであってもらわなくてはうまく代償できません。
戦いに、申し合わせや話し合い、協力があっては、
自分の抱えている
リアルさとギャップが出てしまうからです。

ぼく的には、そういう代理戦争的なモノに、
スタパ斉藤がいます。
彼は物欲王者で、
ほしいと思うアイテム
(主に家電、コンピュータ系)は躊躇なく、
反射的に買うという人で、
PDA一つ買う胆力もない自分の物欲を
見事に代償してくれています。
ぼくにしてみれば、
物欲界のロドリゴ・ノゲイラ
(あ、すごく強い格闘家ね)みたいな存在です。
中村うさぎなんて人も女性には、
そういう代理戦争してくれてる人なんでしょうね。
そう考えると、

こういう人たちがいてくれるおかげで、
ぼくは、怪我もせず、散財もせず、
平和に暮らしていけるわけですから、
感謝しなくてはなりません。


2001/10/18(木)
摂氏と華氏

なんだか豆知識みたいな話ですが。
摂氏、華氏っていう温度の
「目盛り」があるじゃないですか、
あの氏っていう文字、
ひょっとしたら名前につく氏かと思ったんですが、
ビンゴですね。
(って有名な話なんでしょうか)
摂氏とは、
Celsiusさんという人の名前の発音
(セルシウスさん?)
の頭文字の「せ」から摂の字が当てられたとか。
ちなみに、彼が決めた温度設定は、
氷点と沸点の間を100等分するというもの。
100等分つまり、
100 degrees centigrade
だから°Cって表記するんですね。
これに対して、
華氏はFahrenheitさんという人。
Fahrenheit(ファ-レンハイト)だから、
ファ氏の方が正しいのではとも思うんですが、
中国では
Faに近い音の華を使ったためということらしい。
だから、
華氏とかいて
「ふぁし」と発音するのが正しいんですね。
ていうか、なんで中国の発音表記が使われているの?
ちなみに、彼の目盛りの定義は、
健康な人間の血液の温度を96度、
氷と食塩の混合物の温度を0度に定めたものだそう。
華氏って、
日本じゃなじみがないからアレだけど、
人間の血液の温度って人によって
バラバラじゃないんでしょうかね。
そんな安定していないものを定義に使ってたなんて、
信じられません。
しかも、96度という半端な数字はどこからきたの?
摂氏も華氏もなんで中国の発音表記が
利用されているのも不思議なら、
バセドー氏病を場氏病としなのは何故?また、
ヘクトパスカルやランゲルハンス島やヤコブ病など
発見者の名前がついているものも、
氏がついていないのは何故?
900ヘクト比氏度とか
表記しないのはなんでなんでしょね。
それにしても、こういうの、
一昔前なら、
辞書片手に調べるしかなかったんですが、
今ではgoogleで検索をかけると、
そういうの説明してある
無名無償のボランティア的サイトが簡単に見つかるから、
スゴイです。
以前「エスキモーの食生活」
なんてので検索してみたんですけど、
あっさり見つかりましたからね。
恐るべしgoogle、
恐るべし無名無償のボランティア的サイト。


ps:
原新巨人監督、
巨人のテーマは「愛」ってーのは違うと思いますよ。


2001/10/17(水)
カップヌードル

今日の「プロジェクトX」は
カップヌードルの制作秘話でした。
日清はインスタントラーメンを発明したのに続き、
カップ麺も発明したんですから、スゴイ会社です。
現在全世界で80億食も
食べられているって言うんですから、
スゴイです。
中国人は、日本の食材で、
味の素とインスタントラーメンだけは
認めるといっている、
なんて話もあるらしいですし。
このカップヌードルもそうなんですが、
こういう全く新しい商品って、
必ずと言っていいほど、
発売前の流通や商社や社員の評判が悪いんですよね。
別の番組だったと思うけど、
サランラップやポカリスエットなんかも、
そうだったようです。
流通ってのは、
過去から現在までのデータをもってして、
「今後」を予測するという考え方をするので、
今までにない商品ってのに対しては、
どうにもうまく判断ができないようです。
ゲームなんかでも、
全く同じやっかいな問題が起こっているので、
うちのような
誰も作っていないモノを作ろうなんていうところは、
結構苦労します。
流通が受注してくれる分だけしか、
製造してくれない。
よっぽどのことがないかぎり
売り切れゴメンで増発してくれない。
つまり、
最初の流通の判断イコール販売実績になってしまう。
ってことで、ユーザーの判断を仰ぐ前に、
結果が出てしまうのが実情です。
そんなこともあって、
カップヌードルの販売の苦労は、
すごく親近感を覚えました。
こういう流通の障害を乗り切って、
商品をヒットさせるなんて、
奇跡を見ているようです。
手にとってもらえれば
わかってもらえるんだと消費者に直接売ろうと
営業の人ががんばっているのも、
うらやましかったですねぇ。
どっかの営業も、そういう気概を見せてほしいもんだ。
ところで、
試作の段階で社員の評判のよくなかったカップヌードルに、
当時の社長が
「エビや。エビが入れば売れるんや。
エビはゴージャスやから。」と、
具にエビを入れることに固執したってのも、
スゴイですね。
だって、ふつうのラーメンで、
エビが入っているラーメンなんて、
あまりないですもんね。
普通なら、本物のようなチャーシューを作れ、
入れろとかそういうベクトルで考えると思うんですが、
そこをエビだと言い切った社長はスゴイと思いました。


2001/10/15(月)
ぼくのために必要な人

20年後には、
日本は未曾有の老人社会になって、
一人の青年が4人の老人の面倒
(といってもその分のお金だろうけど)
をみないといけないということらしい。
気の毒な未来の青年達よ。
っていうか、よろしくお願いします。
それはそうと、
現在のぼく一人が生きていくために、
何人の人の手を煩わせているんだろう。
ぼくが食べる分のお米を作るのに
何人のお百姓さんが必要なんだろう。
ぼくが着る服を作るのに、
何人の職人さん、デザイナーが必要なんだろう。
たとえば、日本人は平均して、
年間170個の卵をたべるそうである。
一方、
ニワトリは平均1年間に100個の卵を産むそうだ。
ということは、
ぼくは年間1.7羽のニワトリの
お世話になっていることになる。
同様に、日本人は平均して、
3.5キロの牛肉を食べるそうなので、
牛1頭の正肉量は200キロであるから、
ぼくは年間、0.175匹の牛のお世話に
なっていることになる。
いつも読んでいる風呂本(週刊誌)が、
発行部数12万部で、
それが10人の編集者で作られているとすれば、
ぼくは、快適なお風呂生活のために、
0.01人の編集者のお世話になっていることになる。
なんてやりだすと、
ずいぶんとたくさんの人や動物の
お世話になっているに違いない。
世の中に感謝でR(古い!)。
これに対して、いったい、
ぼくは何人をお世話しているのだろう。
バカネコ1匹は確実なんだけど、
それ以上は自信がない。


2001/10/12(金)
ゲーム未満ツール以上

個人的に利用しているプロバイダーはiij4uです。
国内最高レベルの太い回線が売り物で、
未だかつて「話し中」
だったことを経験したことがありません。
それがありがたかったのですが、
ちょっと今浮気を検討中。
浮気相手はso-net。
早いのか太いのか、
そういう事情は知りませんが、
ポスペを代表とする、
ソネット会員向けのコンテンツに惹かれているのです。
こんどの「ソネットタウン」なんか、
ちょっとというかだいぶ気になるコンテンツ。
今流行のコンシューマゲームなんかより、
よっぽど気になります
(といいつつ、なにが流行っているのかよく知らない)。
PS2もゲームキューブも、
次は通信だってことで、
プレイオンラインや
ファンタシー・スター・オンラインやらが
注目されてますが、
これはどうなんでしょうね。
ゲーム機がインターネットに繋がるには、
ゲーム機にモデムを買い足さないといけません。
また、
すでにPCなんかをインターネットに接続している場合、
電話回線をつないだりはずしたりしないとダメでしょう。
また、文字を打ち込むとき、
入力装置がコントローラーしかないっていうのもね、
やっかい。
これは結構ハードルが高いでしょう。
一方、
だいたいのPCは最初からモデムが内蔵されていますし、
PCユーザーでインターネットに接続しないなんていう人は、
いまやレアでしょう。
というかそのためにPCを買ったという人の方が
多いことでしょう。
キーボードやテキストエディット機能がない
PCもないでしょう。
当然、
もうどっかのプロバイダーとも契約済みでしょうし、
NTTの高額通信料のおかげやらなんやらで、
定額制もずいぶんと進んでるんじゃないでしょうか。
そういう事情を比べると、
通信を使った遊びってことでは、
圧倒的にPCのほうがしきいが低いことになります。
しかし、
じゃあPCのインターネットゲームが
流行っているかというと、
全然そういう話は聞きません。
1万本売れたらヒットというような市場らしいです。
PCに向かって(まで)ゲームをしたい人ってそうは
いないってことですよね。
いかに通信環境がはなっから整っているといっても、
今のコンシューマゲームを持ち込んでも
ダメなんでしょうね。
これは、
ネットサーフィンやメールをやりとりするくらいの
軽い遊びのほうが、
PCに向かったときの(ユーザーの)低いテンションに
あっているからじゃないでしょうかね。
てなことを考えると、
「ソネットタウン」とかその前の「シープドッグ」
(どちらもやったことないんだけど)なんかは、
ちょうどそういうテンションにあるソフトなんだろうなと、
そういうニオイがしてきます。
こういうゲーム未満ツール以上の
テンションを持つソフトが今一番ピンときます。
だから、ゲーム関係者は、
プレイオンラインや
ファンタシー・スター・オンラインよりも
こういう芽生えに注目すべし!
通信云々っていうIT系の問題ではなく、
これらのソフトの持っている
温度というかテンションってのが、
今後のコンシューマのカギじゃ!
コンテンツの内容云々より、
対座するときのテンションのフィット感が
大切なんじゃなだろうか!
と最近、感じちょります。


2001/10/11(木)
やっぱりテレビってすごい

昨日からちょっと風邪気味だったので、
今日は昼過ぎから夜までずっとテレビを見ていた。
こうしてダラダラとテレビを見て一日をつぶすなんて、
そういえばすごく久しぶり。
それにしても、テレビって楽しいなぁ。
ちょうど、秋の改編期で、
特番が多かったこともあるのかもしれないけど。
なんかローテンションで楽しめる
エンターテインメントとしては、最高ですね。
ハイテンションで楽しい遊びっていうのは、
たくさんあるけど、
今日みたいに、
体調が悪いときにはそういう遊びはむつかしい。
同じ映像でも映画なんて、ちょっとつらいのよ。
体調が悪くないときだって、
仕事から帰ってきてほっとしている時間の遊びって、
こういうローテンションの遊びじゃないと
身が持たないですよね。
ゲームのようなハイテンションの遊びは、
ブームの時こそ、
そういう時間でもできたけれど、
ブームが去った今では、
ちょっと気持ち的にムリになってきている
(だから売れない)っていうのは、
よ~くわかる気がする。
テレビ番組はローテンションでも
楽しめるように作られているので(きっと)、
よし批評するぞとハイテンションで見たりすれば、
いくらでもあらが見えてくるけど、
それはなんか的はずれな批評の気もする。
テレビがスゴイのは、それだけじゃない。
タダだというのもスゴイ。
タダじゃない、
CFの商品の価格に添加されているのだという
もっともらしい意見もあるけど、
やっぱ、体感的にはタダですよねぇ。
インターネットもタダの遊びとしては、
すぐれていると思うけど、
おもしろさの質、量ともに、
テレビにはかなわない。
それに、通信費がかかっているので、
コンテンツ自体がタダでも、
体感的には全然タダって感じがしないし、
けっこうテンションを高くして
遊ばないといけないもんがおおい。
風邪を引いてテンションが低くなると、
ちょうど、お腹の調子が悪いとき、
胃腸に優しそうな食べ物とそうでないモノを
自然に分別できるように、
なにがテンションを必要としない遊びで、
なにが必要とする遊びであるか、よくわかる。
なんか、
ゲームもこういうときにやりたいなぁと思う
ローテンション系の遊びにならないとダメなのかなぁ、
っていうか、そういうゲームがほしいなぁとか、
なんかぼんやりした頭でそんなこと考えていました。


2001/10/09(火)
機械の代理戦争

アメリカがバトルを始めだしてしまいましたねぇ。
今回も、
トマホークとかスカッドミサイルとか
ステルス戦闘機など、
ともかく「犠牲者」を出さない方針のようです。
幸い、アフガンの死亡者も20名にとどまったとか。
こうなると、ミサイルや爆弾は、
建物や機材だけを壊しているってことですねぇ。
やる側もやられる側も死者を出さない。
それはそれでよかったことだけど、
妙な感じがしないこともない。
トマホークなどは、
GPSを積んだりして自分で判断しながら飛んでいく、
ロボットみたいなミサイルらしいですけど、
そういうロボットや機械が、
敵の機械や建物などを壊す戦争、
人工物同士が戦う人命尊重の戦争っていう、
なんだか、妙というか矛盾しているというか、
無意味なというか、
そのほうがマシというか、
だったらいいか、というか、
なんとも不思議な感じがしますなぁ。


2001/10/05(金)
NHK朝のスポーツニュース

ま、今年の野球シーズンも終わってしまうからいいけど、
NHKの朝(5時30分から)のスポーツニュースは
、なんでああなんでしょ。
最初に結論を言ってしまうんです。
「さて、プロ野球です。
今日もヤクルトは優勝ができませんでした」
なんて最初に言われちゃあ
(しかもすっごくまじめな顔で)、
ドキドキもワクワクもできないですよ。
ぼく的には、
この時間のニュースが最初のニュースなんで、
いきなりそう言われちゃうと困ってしまう。
なんていうか、
推理小説の犯人を最初に言われてしまうとか、
映画の結末を最初に言われてしまうような、
そんながっかり感。
「さて、今日、
ヤクルトは優勝は決められたのでしょうか」
とか言って始めてくれれば、
ほんの数分間だけでも、
ドキドキワクワクできるものを。
民放の過剰なスポーツ中継やニュースなんかより、
マシといえばマシなんだけどねぇ。
ちょっといけず。
ま、NHKらしいといえば、らしいんだけど。


2001/10/04(木)
字源

中国、宋の宰相である王安石は、
我々、字源愛好家では有名な人です。
何が有名かというと、
間違った解釈をしたことで有名なんです。
漢字というのは、
意味を表す部分と音を表す部分でできています。
漢字には、へんとつくりがあるので、
意味のある部分と音を表す部分の合体したもの
(形声文字という)、
意味のある部分が合体したもの(会意文字という)
の二種類がありますが、
この王安石は、
なんと「漢字は全て会意文字である」として、
意味の解釈をし通してしまったのです。
有名な間違い解釈として、「波」があります。
彼はこれを水の皮という意味だと解きました。
なるほど、水面を表皮とイメージするのは、
なんかアリな感じがします。
ところが、実際は、波の皮の部分は、
(は・い)という音を表しているのあって
(つまり、波は形声文字)、
意味はありません。
彼の説が正しいとすれば、じゃ、
滑は水の骨ですか(これ、有名な反論)、
ということになってしまう。
彼の解釈では、他に、
欲は、谷が欠けているとなる。
谷は、くぼんでいる形からモノを受け入れることを意味し、
それが欠けている、つまり満ちていないもの、
それが欲というものだ。
(欲の欠部分は本来「決」
のつくりであったので、これは間違い)
とか、
冨は、同と田からできていて、
田が同(あわ)さって穀物がたくさん
収穫できるから富むとなる。
とかがある。
(冨は、富の俗字なので、
同と田に分けること自体が間違い)
んで、そういう短絡的な解釈はダメですよ、
という反面教師として彼の名前や
失敗例はよく出てきます。
でも、ぼくは個人的には、
彼のこの強引な解釈が結構お気に入りだ。
「全ての漢字は、会意文字だ!
すべて意味のある部分が合体しているのだ」
とするのは、遊びとしては楽しい。
婆は、
波のようなしわくちゃな表面を持った女だからだとか、
おもしろいじゃないですか。
だいたい、漢字の源を探そうとする遊びは、
へんとつくりの意味の組み合わせをどう解釈するか、
その探偵まがいの推測がおもしろいんであって、
それがただ音をあわらしたもの(形声文字)とわかると、
けっこうガッカリするものだ。
ぼくの名前、幸人の幸は、土+羊としようか。
土はすなわち農業を、羊すなわち牧畜を意味する。
この2つの営みがあることが豊かなこと、
つまり幸せなのだ。
とかどうだろうか。
残念ながら、
王安石の原書はなくなってしまっているので、
彼の強腕の全貌を知ることはできない。
こうなったら、ぼくが2代目になって、
そういうのやってみようかな。

王安石の解釈文などは、
「漢字って、もともと、そういう意味だったのか」
(志田唯史 角川書店)から引用しました。
これ、読みやすい本なので、
字源愛好家の入門書としてはおすすめ。




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