人間風車

2001/11/30(金)
宇宙の桁数

私たちの宇宙は、
真空の揺らぎがもたらしたインフレーションにより、
0.0000000000000000
000000000000000001秒間の間に、10000000000000000000000000
00000000000000000000000000
00000000000000000000000000
0000000000000000000000倍もの膨張をした。
てな具合に宇宙くらい、
大きな話になると、
私たちの10進法はスケールが小さすぎて役に立たない。
もし、アリが数を数えられたとしたら、
そのときはきっと、
自分の足の長さを基本単位にするだろう。
そしたら、木の高さとか公園の広さとかでも、
上と同じようなとんでもない桁数になってしまって、
困ることだろう。
宇宙のどこかには、
宇宙の大きさとか速さとか時間とか、
そういうのを楽々書ききれるような
桁数を持った宇宙人もいるんだろうか。
少なくても神様は、持っているんだろうなぁ。

宇宙は真空のエネルギーを使って、
今でもどんどん加速しながら膨張しているらしく、
止まることはないらしい。
じゃあ、宇宙には寿命がないのかというと、
あと1100000000000000年くらい経つと、
今ある星もこれからできる星も
すべて燃え尽きてしまい、
二度と空に星(光)を見ることがなくなる。
さらに、100000000000000000年くらいには、
そのころの宇宙の唯一の存在である
ブラックホールも蒸発してしまい、
宇宙にはな~んにもなくなってしまうらしい。
どんな宇宙なんだろ。
見てみたい。
輪廻転生があるならば、
死後49日以内に生まれ変わるはずなので、
平均70年生きたとすると、
あと1428571428570000回くらい
輪廻すると見れることになる。


2001/11/27(火)
プッシュ型サービス

新潮社が、携帯電話向けの連載小説を売り出す。
月100円で1回1000文字程度の小説が、
メールの形で配信されてくるものらしい。
これ自体、
それほど独自性があるITの最先端をいく、
という仕掛けじゃないけど、
メールで小説が読めるのはちとそそられる。
別に小説である必要はないんですけどね、
ちょっとした読み物ってのが、
携帯電話としっくり合うと
以前から思っていたんですよ、
というか、今、ほしいんです。
今、毎週1回、
電車で10分くらいのところに行っているんですが、
10分くらいだと本を読むには短いし、
何もしないには手持ちぶさただし、
ってことで、よくメールとか読み返してたり、
それがつきるとつり革広告を読んでいたりする。
んで、
メールくらいのボリュームの読み物が
ほしいなぁと常々思っていたんです。
iアプリなんてのもありなのかもしれないけど、
電車の中って、
ゲームを遊ぶとかそういう感じでもないし。

メールで小説がいい点はもう一つ
(こっちのことのほうが大事だろうと思う)。
向こうが届けてくれること。
いわゆるプッシュ型サービスってやつですか。
どっかのサイトに取りに行かなくても、
自分の携帯までとどけてくれる。
これがありがたいというか、
サービスのポイントだと思うんです。
新聞が、自宅に届くんではなく、
売店まで買いに行かなくてはならないものだったら、
結構うざいですよね。
たぶん、ぼくなんかは、買わなくなると思う。
こちらまで届けてくれるか、
取りに行かなくてはならないか、
企画書なんかに書くと小さな差に見えるけど、
この一手間は、心理的には大きな差です。
別に小説じゃなくても、
エッセイでもニュースでもフォーカスでも
iアプリでも何でもいいんだけど、
プッシュ型エンターテインメントって
未来があると思うんだけどなぁ。
前にも書いたけど、
HDDレコーダーを使っているんですけどね、
なにがいいって、
番組表を勝手に届けてくれるところなんですよ。
きがつくと、
その日の番組表がHDDの保存されている。
これはとても便利なんです。
これもプッシュ型サービスですよね。

ps:
携帯で「小さな本」を読ませるという企画を
あるクライアントに提案したことがある。
クライアントはとても気に入ってくれたんだけど、
なんとド○モのNGをくらった。
携帯で文章を読みたいヤツなんて
いないからダメなんだって。
でもみんなメール読んでるじゃんねぇ。
てなこともあるので、
新潮社のサービスは是非成功してほしい。
ちなみに、このサービスは、
auとツーカーのみです。


2001/11/26(月)
制限付きの遊び

例えば、インターネットゲームとか、
サービスサイトを作るとなると、
サーバーの運営費が問題となる。
一ヶ月のレンタル料金はたいしたことがなくても、
永遠に、
となると運営コストは
無限大ということになってしまう。
ゲームは、近年、この永遠にとか、
何回でもとか、長い時間とか、
そういう遊びであるべきだみたいな
「妄想」にとりつかれている気がする。
そうした考えをひきずったまま、
「いざ、インターネットへ」としたとき、
上のような問題にぶつあたる。
ゲームは永遠に遊べないといけない、
ということであるから、
サーバーを立ち上げたら、
永遠に運営し続けなくてはならない。
そうすると、
どんなにゲームの販売で利益を上げても、
サーバーのランニング・コストが
月掛けでかかっていけば、
いずれ利益を全部食いつぶしてしまう。
永遠ではなく、
赤字になる前にうちきろうとしても、
採算ラインというのは、
売り上げ数からしか計算できない。
一方、サーバーの設計(運営期間を含む)は、
売り出す前、
ゲーム制作時にある程度決めないといけない。
一見、解決不能な問題に思える。
実際、こうした事情で、
「じゃ、やっぱりサーバーを立てるのはやめ」
と帰着することがある。
問題にすべきは、
サーバーの運営期間をどうするという事ではなく、
果たして、
ゲームは永遠に遊べなくてはいけないのか、
ということだと思う。
いつまでも遊べる、何回でも遊べる、
何時間も遊べる、何人でも遊べる、
そうした永遠とか無限性とかは、
果たして、今、
ユーザーに必要とされているんだろうか。
ぼくなんかは、むしろ逆である気がする。
にもかかわらず、
こうした(仮想の)要求に対応するために、
制作者はたくさんの絵を作ったり、
イベントを作ったりと、
大変な労力とコストを費やすことになる。
ここいらで、
ゲームはある意味「限定された遊び」である、
と宣言してしまっていいのではないかと思う。
限定というのは、
単にサーバーの運営期間だけのことではなく、
10時間しか遊べない、一人でしか遊べない、
1回しか遊べない、そうした限定のこと。
いつでも、いつまでも売っていない、
なんていう限定も、
四国でしか売っていないとかいう限定も、
おもしろいかもしれない。


2001/11/22(木)
全マニュアルデータベース計画

最近、
インターネットで遊ぶことは
めっきりすくなくなった。
代わりに、
インターネットを道具として使うことが
本当に多くなった。
以前から、映画情報とか、
地図とかそういう情報を得るには重宝していたけど、
ここのところは、辞書として重宝している。
世の中には、なんと、
役に立つサイトが多いことか。
著作権の切れた有名な小説なども、
ほとんどがテキストとして
インターネット上にあると聞くし、
写真集を
全部スキャニングして公開しているサイトもある
(これは犯罪だけど)。
出版物だと絶版とかあるけど、
サイトではほぼ永久に残るし、
タダだし、googleとか使えば検索も早いし、
インターネットは、
データベースの場としては、最高。
しかも、誰もが提供者になれるのがいい。
見知らぬ同士が、(無意識の共同作業で)
巨大なデータベースを作っているなんて想像すると、
なんかワクワクする。
で、いま、ぼくがもっとも熱望しているのが、
全マニュアルデータベース化計画。
古い家電やコンピュータ関連製品なんかで、
本体はちゃんと動作するのに、
マニュアルがどっかにいってしまっていて、
動かせないなんてこと、けっこうないですか?
あれは困るんですよね。
古い製品自体は、
オークションで手にはいるけど、
さすがにマニュアルだけ
手に入れるということはできない。
だから、このさい、
家電からゲームのマニュアルまで、
すべてPDF化して、
インターネット上においてしまうという計画。
だれかやってくれないかなぁ。


2001/11/20(火)
鼻水が止まらない

鼻水が止まらない。
もうかれこれ1週間以上も鼻水が止まらない。
鼻水はウイルスや細菌が体内に入り込まないように、
鼻孔ないをふさぐ役割の粘液である。
が、だったら、
鼻孔からこぼれ出すほど作ることはないのにと思う。
うざいし、だいいち、もったいない。
って思ったところで、
そういやぁ、
鼻水の成分ってなんだろうと気になった。
で、すっかり辞書として使っている
googleでいろいろ調べてみた。
まずおどろいたのは、私たちは普段でも、
1日に約1リットル鼻水を出ているということ。
鼻水の比重を1としても、これは1kgにあたる。
風邪を引いているとき、
倍の量の鼻水が出るとすると、
鼻水だけで2kgも体重が減ることになる。
鼻水ダイエットも夢ではない。
で、鼻水の成分。
そもそも鼻水は、
45000個の「鼻腺」という穴から分泌される粘液と
「涙のう(るいのう)」から出る「涙」。
そして、呼吸している空気に含まれる水蒸気。
この三つから作られているそう。
(だから、泣いたときもラーメンを食べたときも、
鼻水が出るのね)
で、「鼻腺」から分泌されるのは、
血管内の成分ということだから、
主に血しょうに近い成分ということか。
血しょうは、約91~92%の水、
約7%の各種タンパク質、
そしてごく少量の脂肪、糖、
無機塩類から成り立っているらしいので、
鼻水もおおむねそんなところなんだろう。
ここに含まれるタンパク質というのは、
アルブミン、α1-グロブリン、α2-グロブリン、
β-グロブリン、γ-グロブリン、
つまり免疫系のタンパク質ってことね。
だから、鼻水には殺菌作用があるんだ。
よく考えられてる。
それにしても、
こんな高価なタンパク質を
湯水のごとくたれ流すなんて、
ますますもったいなくなってきたぞ。

そうそう、
この1週間で2箱のティッシュを使ってしまった。
ティッシュはなんでも、
第一次大戦中にケガした
兵士を手当するのに木綿が不足し、
傷口にあてがうために発明されたそう。
今のように、
箱から1枚抜き出す度に次のが出てくる
「ポップアップ方式」は、
1921年にアメリカ・シカゴの
アンドリュー・オルセンさんが考案。
ちなみに、
日本では古くからそういう紙
(浅草紙、ちり紙)があったんだけど、
江戸時代末期に日本にやってきた欧米人は、
汚れを拭うのに紙を使い捨てにするのには
たいそうビックリしていたそう。
なんでも、
ジュール・ベルヌの「80日間世界一周」
にも書かれているくらい。
んで、紙製品というとアメリカって思いがちだけど、
ティッシュペーパーの消費量は、
日本人が一番だそうです。
さて、ティッシュ2箱は、
割り箸700本程度の紙資源だそうで、
これに対して、
日本人一人が一年間に消費する箸は
平均210膳(420本)だから、
ぼくは、
この一週間で箸の年間消費量の倍に相当する
紙資源を消費してしまったことになる。
もし、日本人全員が風邪を引いて、
ティッシュ箱を2箱使ってしまったとすると、
84017700000本の箸に相当する
紙資源を使ってしまうことになる。
これは、直径30cm、
長さ6mの丸太170万本にあたるので、
かなりの自然破壊となる。
風邪は体にも厳しいが、
自然にも厳しいのだ。

(以上、たくさんのサイトを参照したのでURLは割愛)


2001/11/16(金)
甘いモノに挑戦

「酒は飲めれないんですか」と言われた後、
セットになって「じゃあ、甘いモノがお好き?」
と聞かれる。
残念ながら甘いモノは全くダメなので、
そういうと、
決まって「酒も甘いモノもダメなんですか」
と驚かれる。
いつから、
酒と甘いモノが背反するアイテムとして
セットになったんでしょうね。
科学的には全然関係なさそうなのに。
それはそうと、
本当においしそうにお酒を飲む人がいる。
ただ陽気になりたいとか、
ストレス解消や勇気や元気を出すためや
うさを晴らすために飲んでいる人っていうのは、
あんまりうらやましいとは思わないんだけど、
おいしそうに飲む人をみると
うらやましくってしようがない。
同じように、
満面の笑みで甘いモノを食べてる人もうらやましい。
なんか、自分だけ、
2つも人生の快楽を得ていないみたいで、
くやしい。
酒は、肝臓の機能の問題なので、
これは生理的にどうしようもないけど、
甘いモノっていうのは、
生理的な問題じゃないだろう。
だって、
糖分というのは基本エネルギーなんだから、
だいたい、
甘いモノを食べると気持ちが
悪くなるってことがどうかしている。
そんなこと、生物的にありえないはずだ。
ならば、甘いモノは食べられるはずである。
それによく考えたら、
缶コーヒーとかけっこう飲むじゃないの>おれ。
ということで、
ちょっと甘いモノに挑戦しようかと思っています。
一つでも快楽が復活したら、
うれしいじゃないですか。
いきなりアンコとかは厳しいので、
くず餅とかそのあたりから始めようかなぁ。


2001/11/14(水)
好きな色を塗る

「マッチ箱の脳」がそこそこ売れたので、
もう一冊本を作らせてもらえることになった。
っていうことで、今、絵本を描いている。
ホントは、ゲームが夏に制作を終え、
そのあと絵本を描いて年内発売の予定だったんだけど、
ゲームのアルファ版制作と絵本制作が重なるという、
よくある事態に陥っている。

絵を描いていて、そういえば、
こんなに自由に
色を使ったのは久しぶりだなぁと思った。
今回は、絵本なので、
描いたモノと色の関係をあまりまじめに
考えないようにした。
1677万色の中から選んだ好きな色を、
どんどん画面上に置いていくという感じで描いている。
おかげで全体としては、
ちょっととっちらかっているけど、
これが楽しい。
画面のどこもかしこも自分の好きな色。

小学校の時、写生で、
太陽を白く描いたことがある
(というか、塗らなかった)。
先生が見たように、
見えたように描きなさいというので、そうした。
でも、先生には「太陽は赤色でしょ」と注意された。
どう見てもぼくには太陽は赤色には見えなかったけど、
そのとき、
見えるように描くとは、
世間のみんなが見えるようにという意味なんだな、
とか、そういうことを漠然と思った気がする。
友達の弟は、小さい頃、
黄緑色が大好きで、
黄緑色が使いたくて仕方がなかったらしい。
んで、最初はおとなしく
木とか草とかの部分に使っているんだけど、
そのうち、辛抱たまらなくなって、
地面も空も人も家も全部黄緑色で塗ってしまい、
彼の絵はいつも黄緑一色の絵になってしまったそう。
それを見た学校の先生に
「異常」とかなんとかと言われたのが、
すごく傷ついたって言ってたっけ。
彼はそれですっかり
絵を描くのがイヤになってしまったそうだけど、
ひょっとしたら、すごい絵の才能があったのかもね。
(科学や歴史も美術も音楽も、
本来はおもしろいものなのに、
学校教育はそういう芽を
常識というハサミで刈り取ってしまう。
これはもったいないことだ。)
先生に「太陽は赤」と言われた以来、
無意識のうちに、
色を塗ることに遠慮というか理屈や常識、
知識が入り込んでいた気がする。
遅ればせながら、
ようやくそういう呪縛から
完全に離れられたみたいで気持ちいい。


2001/11/13(火)
栗の作戦

栗はどういうつもりなんだろう。
だいたい、実をつける植物は、
自分の真下で種が芽を出してくれても困るので、
それを動物や昆虫に運んでもらう。
そのために、甘い果実というご褒美をつける。
あるいは、あり余るほど作って、
食べ残してもらった分を
地中に埋めてもらったりする。
ところが、栗にはあのイガイガがある。
あきらかに彼は食べられることに
ノーといっている。
まだ種が熟していないとき、
つまり木になっているときに、
そういう殻につつまれている種は他にもあるけど、
たいがい、そういう種は、
落ちるときに殻からはずれて裸で落ちる。
なのに、栗は落ちてもイガイガがついている。
かたくなにノーといっている。
明らかに、
誰にも
運んでもらわなくてもけっこうといっている。
どういうつもりなんだろう、
どういう作戦なんだろう。
どうやって、
子孫を拡散するつもりなんだろう。
っていうか、
拡散しているんだから不思議だ。


2001/11/12(月)
早く作るということ(3)

今やっているプロジェクトの
「早く作る」計画は失敗と書いた。
これに対して、
いくつかのご意見やご指導をいただいた。
お尻に指をつっこむ記事以来の多さ。
やっぱり、
どこの現場も今のゲームの制作速度には
危機感を持っているんだなぁ。
ある方からは
「制作に長くかかってしまうということは、
それだけ作家の寿命を
消費してしまうと言うことでもある」
という意見をいただいた。
その人の知り合いの人は、
ゲーム開発に5年もかかってしまったとのこと。
たしかにね、
そのくらい時間がかかってしまうと、
(クリエイターとしての)
寿命はかなり消費してしまったと感じるでしょうね、
きっと。
それから、多かったのが、
当事者が読んだら気を悪くして、
志気が下がるのではと心配してくれた意見。
でも、それは大丈夫だと思ってます。
今のスタッフは、
いいものを作ろうという意識は高いです。
そのあたりは頼もしいスタッフなのです。
ぼくに対して気分を害しても、
仕事の質を落とす心配はないでしょう。
このことはクリエイティブの現場では、
少しも矛盾しないんですね。
昔、坂本龍一が
「ラストエンペラー」について話していたんですが、
あの現場では、監督のベルトリッチとスタッフ間、
イタリア人のスタッフと中国人のスタッフ間では、
すごく仲が悪くてしょっちゅうもめていたそうです。
で、「もう、二度とあいつとは仕事をするもんか」
ってみんな言っているんだけど、
でも同時にみんな
「これはイイ映画になる」って信じているので、
みんな一生懸命仕事してたんだって。
なんだか、その感覚はよくわかる。
ついでに、
それを見ていた坂本龍一のハラハラした気持ちも。
プロジェクトが成功するかどうかは、
みんなが、その作品がイイと思えるかどうか、
そこにかかっているんだと思う。
ダメな作品かもという予感が
スタッフ間に走った瞬間ら最後、
どんなにアットホームな現場で仕事しようと、
その作品はダメなんじゃないしょうかねぇ。

ついでに、ぼくは、
ゲーム制作におていは、
民主主義もいらないと思っている。
っていうか、
民主主義で作っちゃいけないと持っている。
この考え方も、よくトラブルを産むんですよねぇ。


2001/11/09(金)
早く作るということ(2)

ということで、
ゲームは早く作らないとダメだと思う。
今やっているプロジェクトは、
内容もさることなら、
そういうゲームの作り方みたいなモノを
プレゼンできる、
画期的なモノになるはずだった。
早く作ると言っても、
内容を薄くしたり、
大勢のスタッフを使うんでは意味がない。
一言で言えば、合理的に作るということが肝要だ。
ゲームの世界では、
グラフィックもサウンドもプログラムも
ほとんどじまえで作るのが普通だ。
たしかに、ゲームのコアな部分、
オリジナルな部分は、そう作らざるを得ない。
でもでも、たとえば、
メモリーカードへの書き込みの
アルゴリズムみたいな、
どのゲームにでも必要、
どのゲームでもやることが同じ、
そういうプログラムや仕様や
グラフィックも結構多いはず。
そういうのも、
各プロジェクトが独自に作っているというのは、
どうなんだろう。
ありものを使うというのも手ではないだろうか。
世の中には、
著作権フリーの音楽やグラフィックも多く存在する。
使用権利を売っているものもたくさんある。
そういうのを使わせてもらえば、
製作期間短縮という意味でコストダウンになる。
また、買わなくても、
タイアップだってできる。
こうしたことは映画やテレビなどでは、
当たり前の手法というか作戦だ。
具体的な話はまだできないけど、
今回のプロジェクトでは、
最初からそういう趣旨を計算に入れて
ゲームのデザインをしたことで、
うまくすれば1年以内で作れる感じだった。
もう、インタビューでどう答えるか、
どう自慢するかも考えていた(笑)。
ところが、思わぬ誤算があった。
作り手の意識だった。
今まで、ぼくはずっとフリーランスの人とか、
小さなソフトハウスの人とばかり仕事をしてきた。
彼らは、製作期間が長引いてもいいことなんて、
なにひとつない。
通常、報酬はグロスで計算されるので、
そこにかかわる時間が長ければ長くなるほど、
時給が悪くなる。
だから、早く作ろうとする。
また締め切りに対してもシビアだ。
締め切りを守らなかったとか、
イイ仕事をしなかったとかになれば、
速攻、仕事が来なくなるからだ。
だから、締め切りも守る。
なるべく守ろうとする。
すくなくとも、守ることは大切だとは思っている。
守らなかったら悪いと思う。
そういう人とばかり仕事をしてきたので、
そうやって、
がむしゃらに仕事をするのが当たり前だと思っていた。
これが甘かった。
大きな企業の戦士は、
関わっているプロジェクトが
早く終了しようとしまいと、
あまり関係ない(と思っているようだ)。
コスト高になるなどの問題は、
会社や上部が考える問題であって、
直接、自分の身にかかる問題ではない
(と思っているようだ)。
少なくとも、
そんなことで給料が下がるなんてことはない。
そんなことで、
プロジェクトの締め切りは、
彼らにとってなんら問題ではなくなる。
極端な話、一生この仕事をしていても、
給料はもらえるからだ。
逆に、
このプロジェクトを早く終えようと
給料が上がるわけでもなく、
単に次のプロジェクトに参加させられるだけだから、
そうする必然性はさらにない
(と思っているようだ)。
ホントは、そんなことをしていたら、
会社の業績が悪化して、
リストラなどで、
最終的には自分の身に降りかかる
問題なのだと思うんだけど。
もちろん、「早く作ろうよ、作ろうよ」
とギャーギャー言っているのだけど、
そういうのは、一般上司が言う、
最もポピュラーな小言と同じだから、
響かない響かない。
ある有名な(だった)プロジェクトで、
製作期間が3年にさしかかったとき、
そのゲームの発案者であり、
リーダーである人がぽつりと言っていた。
「結局、
このプロジェクトで一番お金をもらってるのは、
最初っから関わってるスタッフなんだよね。」
彼もフリーランスだったので、
おそらく、報酬は制作日数×いくらじゃなくって、
一括いくらでもらっていたんだろう。
製作期間が3年に及んだ時点で、
その人の一括いくらが、
スタッフの制作日数×いくらに負けてしまったのだ。
こうしたことは、考えようによっては、
ゲーム業界の致命的な欠陥であるともいえる気がする。
って、話がずれてしまった。
ともかく、そんなわけで、
早く作っていばる作戦は大失敗に終わりそうだ。
う~~ん、そういう(他人の)意識を改革するのって、
ゲームを考えるより難しいぞ。
でも、3人×1年っていう作り方が、
ぼくの夢だから、またチャレンジするのだ。


2001/11/07(水)
ピグミン 2

ピグミンの終盤は、
なんか、がっかりというか、ラッキーというか。
ずいぶんと前から漠然と、
次にAIを使うとしたら
「群知能」かなぁと思っていた。
群知能というのは、
個体個体ではさほど賢い能力を持っていなくても、
それらが情報をやりとりすることで、
集団としては賢くなるという仕組みのこと。
PS1やN64くらいのパワーでは、
いくら簡単な能力のキャラといえども、
数百匹動かすとか、
そういうことはむつかしかったけど、
PS2やGCならできるかもなぁ、
宇宙アリを飼うゲーム?
とかおもしろそうだなぁとか思っていたところに、
ピグミンという集団を
扱ったゲームが出るというウワサを聞いた。
しかも、作り手はあの宮本さん。
やばいと思った。やられたかもと思った。
たまたま、
サンプル版をたっぷりいじれるチャンスがあって、
いじってみたら、やば~い、やられてるって思った。
そういうムードがあった。
しかし、
サンプル版ではゲーム的要素
(例えばゲームの目的とか)が入っていなかったので、
宮本さんがどう料理したのか、確認できなかった。
で、さっそく製品版を買ったわけです。
というのも、集団を扱う遊びでは、
ゲーム的遊びにまとめにくい。
「レミングス」のようにパズルのコマのように扱うと、
キャラクターに思い入れがしにくく、
アイテムと変わりなくなるし、
「ワールドネバーランド」のように
個々が生活している感を尊重すると、
プレイヤーの注意が散漫となり
ゲームとしての求心力を失う。
環境映像のように扱う手もあるが、
そういうのを楽しめる人の数は少ない。
漠然と見ているとおもしろい動きをするのだが、
どうゲーム的遊びに落とし込むか、
なかなかむつかしい。
ぼくの宇宙アリのアイデアも、
ぜんぜんそのあたりの問題を突破できなくて、
ほおっておいた次第。
で、宮本さんはどう料理したのか。
どういう解答を見つけたのか。
興味津々だった。
ってことで、最初の話。
結論から言うと、ピグミンの終盤の仕組みは、
「ゼルダ」や「マリオ」と同じ
アクション・パズル的遊びになっている。
地形がパズルになっていたり、
敵キャラのある箇所に
ピグミンをぶち込むとやっつけられるとか。
これはこれでちゃんと作られているんだけど、
これではピグミンは爆弾やはしごなどのアイテムと
変わりないことになってしまう。
せっかく、
いろいろなところで謎の生物ピグミンの
不思議な生態をにおわせているのに、
その生態のおもしろさを生かし切れていないと思った。
ので、がっかり。
といっても、
いわゆるゲームとしてはちゃんとした
遊びになってるんですけどね。
でも、さすがの宮本さんも、
集団を使った全く新しい遊びを見つけられなかったんだ
(ひょっとしたら、
見つけていてもマスを見込めないので
使っていないのかも知れないけど)、
まだぼくにもチャンスはあるんだってことで、
ラッキー。


2001/11/05(月)
安全装置付きの仕組み

ゲーム業界がバブルだったころは、
ソフトウエアの企画部の独断でプロジェクトが
はじまるってことが多かったのですが
(すくなくても、ぼくが知っているところでは)、
最近では、企画部でOKがでた企画に対して、
営業とかプロモーションなどの
実際に売る立場の人が加わって、
企画を通すかどうか審議(第二次審査みたいなもの)
がされることが多いようです。
バブルがはじけて、ゲームが売れなくなって、
死屍累々な実情を見て、
作り手のノリだけで作られてはかなわん、
ということなんでしょう。
(ゲームが売れないことの第一の原因は、
ただ不況ってことだと思うんですがねぇ。
だって映画でも漫画でも小説でも売れてないでしょ)
実際にに売っている現場の人は、
今何が売れていて、何が売れていないか、
今の市場の実情を知っているので、
企画の(商品としての)善し悪しを判断するには、
こういう人の意見が
役に立つっていうことなんでしょう。
売れそうにないソフト開発に
お金を使ってしまうリスクを回避できるというわけです。
でも、この安全装置付きの仕組みが、
ゲーム業界の斜陽化に拍車をかけているんじゃないか、
ってーのがぼくの意見です。
たしかに営業の人は、今の市場には詳しいです。
ですから、彼らは、提出された企画を、
今、売れているソフト(遊び)といかに近いか、
離れているかで、評価します。
今売れているソフトに近ければ点数が高く、
今売れているソフトに遠ければ点数が低くなります。
(だいたい、今一番売れているソフトが100点で、
それからの減点法というのが気に入らない)
こうして斬新なアイデアの企画は、
ボツになっていきます。
仮にそういうアイデアが通ったとしても、
安全策として、
今売れているゲームの遊びを
どんどん付加されていってしまい、
ゲームが肥大化し、
作り手も遊び手もヘキヘキしてしまう。
(もう、だれも大盛りゲームなんて、
望んでないと思うのに)

世間では、ゲームの企画(遊び)は出尽くした、
とかクリエイターの質が下がった、
ゲーム自体が飽きられたとか言われますが、
どうなんでしょ。
ぼくは仕事柄、
ゲームデザイナーと話す機会が多いのですが、
そんなとき聞かせてもらうアイデアは、
すばらしい、おもしろい、
今すぐぼくがほしいと思う
アイデアが少なくないです。
ただ、
これは上のシステムによって淘汰されてしまいます。
決して、
クリエイターが無能になったわけじゃないです。
すっごいアイデアを持った人がいっぱいいます。
って代弁したい。
ゲームは映画や小説やマンガと違って、
ユーザーと一緒に作る遊びです。
映画や小説やマンガは、
ユーザーはそれを受けるだけですが、
ゲームの場合はユーザーはコントローラーをいじり、
頭を使い、一緒に参加します。
ユーザーが参加してはじめて完成するとさえいえます。
そういう意味では、
プラモデルとかペーパークラフトとか
ぬりえに近いんじゃないでしょうか。
遊び方自体に直接参加しているので、
他のエンターテインメントに比べて、
遊び方自体にも早く飽きます。
だから、
常に常に新しい遊びを発明して
提供していかないといけないのが、ゲームです。
逆にいえば、
われわれが常に新しい遊びを提案していけさえすれば、
みんなも遊んでくれるはずです。
(世の中が不況とか、ゲームの値段とか、
流通とかの問題もありますが)
ユーザーが新しい遊びをほしがっている、
クリエイターもそれを作りたがっている、
でも、それが作れないのが現状です。


2001/11/02(金)
モザイクの解像度

ある打ち合わせの場で、
ある人たちが
J-PHONEのカメラで撮ったパンチラ写真に、
欲情できるかという、
まことに不謹慎な話をしていました。
欲情しない派は、
あんな低い解像度でのパンツなんて、
パンツと認識できないといいはり、
欲情派は、
そもそも人間は脳で認識するものであり、
「ネタ」であれば解像度は関係ないといいはる。
テーマがパンチラでなければ、
これはこれでけっこう高尚な議論ではあります。
で、思ったんですが、
AVビデオなどでは、
隠さなくてはいけない箇所には、
モザイクがかかります。
このモザイクはサイズの規定があるんでしょか。
猥褻罪のなかに、
見えてはいけないところとともに、
その隠し方にも決めごとがあるんでしょうか。
例えば、
1平方センチメートルあたり
100個以下のモザイクにすべし。とか。
もし、あまりに細かいモザイクだと
「元」が想像できてしまうからダメだというような
曖昧な定義なら、
これは困ったことです。
どのくらいの解像度なら、
「元」が想像できてしまうかは
それぞれの人(の認識力)によって、
違ってきてしまうからです。
運悪く発表者の認識力が一般以上に悪かった場合、
本人はちゃんと法を守って隠しているつもりなのに、
罪を犯してしまうことになります。
パソコンの画面などは、
はなっからモザイク画面みたいなものですから、
パソコン画面に映っているエロ画像は、
最初っからモザイクがかかっているとも言えるわけです。
世の中には、あんな絵では(解像度が低すぎて)
「元」が想像できないって人だっていると思います。
誰か一度、ネット上で非常に荒い(=解像度の低い)
モザイクから始めて、
どこまで細かくしていったら、
捕まるか試してみてほしいものです。




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