人間風車

2001/12/28(金)
良いおとしを

ムームーは本日(28日)を持ちまして、
年内の営業を終了させていただきました。
どうも、本年一年ありがとうございました。
来年は、7日(月)から営業開始の予定です。


年内にできあがらなかったゲームも
来年春には発売の予定です。
うまくいけば、もう1本年内に出せる予定です。
本も1冊出る予定です。


ということで、来年もよろしくお願いします。
では、良いおとしを。


2001/12/25(火)
毎日100億匹

マイ・サプリメントに強力な仲間が加わった。
ビフィズス菌。腸内善玉菌の代表だ。
買ったのは、「快朝習慣」って製品で、
どうもお通じにもいいのよ的な製品らしいんだけど、
ぼく的には、
これが一番ビフィズス菌の数が多かったので、
これに決めた。
なんと、
2粒のカプセルに
100億匹のビフィズス菌が入っている!
(60粒入りで2160円なので、
ビフィズス菌1匹当たり00000000.72円)
飲んだビフィズス菌のたいがいは、
胃液の酸にやられたり、
腸内悪玉菌に負けたり、
ストレスや栄養状態が悪かったりで、
死んでしまうんだろうけど、
なんせ毎日100億匹である。
1%の生存率でも、
毎日1億匹ずつ増えることになる。
いっぽう、腸内には、
100種約120兆個(重さにして1Kg!)
の細菌がすんでいるので、
2粒で1億匹プラスだとすると、
120万粒のカプセルを飲むと、
ビフィズス菌が、
腸内細菌の過半数を握ることができることになる。
というわけで、死んでも死んでも、
次々にビフィズス菌を腸内に送り込んでいると、
なんだか、
腸内ピグミンをやっているような気分になる。
もし、血液や尿や唾液とかで、
簡単に腸内細菌のバランスが測定できるようだったら、
これはゲームになるなぁとも思った。
自分の腸内細菌をゲームキャラとして
テレビ画面に表示できれば、
自分の体を使っての
シミュレーションゲームができるかもと。
これはいいなぁ。
ゲームの勝利=自分の健康、
ゲームの敗北は、、、しゃれにならん(笑)
今では、
血液をちょっと紙にしみこませて郵送すれば、
糖尿病とか癌とかを診断してくれるような
ネットサービスがあるくらいだから、
あながち夢物語でもないだろう。
自分の健康状態を利用して
ゲームするってのはいいかも。
と思った。


2001/12/20(木)
オスの存在理由

どうしてオスは子供が産めないんだろう。
あるいは、なんでオスが必要なんだろう。
よく考えたら不思議だ。
オスとメスの2つの性があるのは、
遺伝子に多様化をもたらすためと言われる。
自分だけで増える無性生殖では、
自分の遺伝子がそのままの形で子孫に受け継がれる。
これでは、環境が大きく変わったときなど、不利になる。
環境が変わると、全滅してしまう可能性があるからだ。
環境はどう変化するかわからないので、
いったいどんな遺伝子が、
未来の環境に都合がいいか、誰にもわからない。
となれば、いろいろな遺伝子パターンがあるほうがいい。
下手な鉄砲も戦略で、どれかの遺伝子が、
未来の環境にピッタリあうかもしれない。
むろん、確率的な可能性であって、
完全な戦略とはいいがたいが、
少なくても、単一の遺伝子よりは、
全滅の可能性がうんと少なくなる。
という理由で、セックス(遺伝子の交換)
が有利と言われている。
これは、たぶん、間違いないだろう。
でも、しかし、だが、
だからといって、オスが存在理由とはならない。
なんで、メスとメスじゃないんだろう。
お互いが、お互いの子供を産める方が、
2倍、子孫を残せることになる。
人間なんかでは、妊娠、育児などのリスクから、
なるべく少ない数の子供を育てる、
ってのが有利な戦略といえるけど、
じゃあ、魚や昆虫はどーなんだって話になる。
マンボウなんて2億個も卵を産むわけだ。
だったら、お互いが産んで、
4億個産んだ方がいいんじゃないだろうか。
生物は、増えれるだけ増えようとする。
そして、自然の圧力に従って数を減らす。
これが基本ルールのはず。
遺伝子を交換する一方が、
子供を産めないオスである理由はなんなんだろう。
不思議ー。


2001/12/18(火)
ネットロア

「あ、やられた!」てな感じで、
「世界がもし100人の村だったら」
(マガジンハウス)を速攻でゲット。
全人口における××の比率は××%なんて言われると、
なんか急に眠くなってしまうけど、
100人の村だったらなんて言われると、
急に読む気がしてくる。
それだけの本なので、
あまり抜粋してしまうのも悪い気がするんだけど、
例えば、その村は、
57人がアジア人で21人がヨーロッパ人、
男性が52人で女性が48人、
うち、異性愛者が90人で同性愛者が10人、
70人は文字が読めなくて、
1人だけがパソコンを持っていて、
50人は栄養失調で苦しみ、
6人がその村の富の6割近くを独占している、
てなことになるらしい。
たしかにイメージしやすい。
100人というのは、
パーセントを逆読みしただけですからね、
これは頭がいい。
全然知らなかったんですが、
これはインターネット(メール)の世界で
広がったネットロア
(ネットとフォーロア(民話)から作られた造語)
らしいですね。
ぼくなんか、この本を、
おもしろおかし
データ解釈集かてな具合で買ったんですが、
本来的な趣旨は、
今、寂しいとか不幸だと思っているあなた、
この村の事情を見てご覧なさい。
ほら、貴方は十分に幸せでしょ。
(もしくは、
世界はこんなに不公平でいびつな姿に
なってしまっているんですよ。
てな社会批評とも受け止められる)
てなことらしい。
こうした都市伝説とでもいうべき話が、
インターネットではたくさんある、
というかインターネットらしい。
インターネットの世界では、
あなたは少しも孤独でないも不幸でもないという
メッセージがとっても頼もしく感じられる。
メーラーを立ち上げても新着メールが来ていないとか、
自分のHPのビューカウントがあがっていないときとか、
掲示板になんの書き込みがないとか、
インターネットは、
物理的には世界中の人につながっているもんだから、
アクセスされうる(物理的な)可能性と
実際のアクセス数の間のギャップがすごく大きくなる。
ついつい、本来感じる必要のない孤独を感じてしまう。
(南国の孤島でひとりぼっちでいる方が、
よっぽど孤独じゃないんじゃないかな)


2001/12/17(月)
減点法

今日NHKの特番で、
債権回収機構の人が
「(銀行は)やって失敗したことには
ペナルティーを与えるが、
やらないで失敗したことには
ペナルティーをあたえない。だから、
(債務者を支援するかどうか)
判断をしないよう、しないようにする。」
といってたのを聞いて、なるほど!と思った。
そうか、世の中、失敗に対して、
一律にペナルティーを与えられるのかと思ったら、
なにか行動して失敗したことだけにだったんだ。
たしかに、なにかをしなかって失敗したって場合には、
その何かをしなかったことが直接の原因であるか、
わかりずらいから査定しにくいもんなぁ。
ともかく、これで、長年の疑問がとけた気がする。
お役所の手続きや決済とかが遅くなるのも、
そういう理由だったんだな。
ずっと、
担当となった人のやる気のなさが
原因だとか思っていたけど、組
織がそういう査定をする以上、
そりゃ仕方がないわなぁ。
誰だって、
自分がよりよく査定されるように働くわけだから。
僕らの商売は、
やった分だけしか評価されない仕事なので、
やらないほうがよかったなんてことは、
絶対起こらないので、つい、
そういう世間の常識?がわからなくなってしまうのだ。
なんかすごい発見をしたみたいで、
つい友達に自慢したら、
そんなの社会では当たり前だよと言われてしまった。
なんでも減点法の査定だから、そうなるらしい。
なるほどねぇ。
減点法っていう採点方法は、
なにかと考え方を窮屈にさせますな。
それにしても、
こう不景気が続くと、
なにかして成功するってことはすごく少ない
(=なにかすると失敗することが増える)だろうから、
なるべくなにもしないようにしようという動きは、
今後加速するんでしょうね。
さらに、こうした採点法は、
変化を求めない(好まない)
日本人の本来的な気質ととてもしっくりいく、
ってのも問題ですねぇ。


2001/12/14(金)
ムービーウォーズ

インディペンデント映画の
プロデューサーである仙頭武則さんの
「ムービーウォーズ」は、おもしろい。
日本映画が斜陽の一途をたどっていた90年代前半に、
インディペンデント映画を次々に作っていく
奮戦記のような内容なんですけどね、
とくに、巨資を投じた大作だけでなく、
低予算で高質な映画でも
ビジネス的に成立させていく方法を
発明していくあたりはかっこいー。
90年代前半、日本映画は、
巨匠がマンネリ化した内容の超大作を作り
(興行的に)失敗し続け、一方、
新人監督は映画製作のチャンスが与えられなかった。
そんな時代だったようです。
で、これに呼応して、
映画を見に行く人口はどんどん減っていったと。
なんだか、
これからゲーム業界が向かう状況
そのまんまじゃないかなぁって感じじゃないですか。
実際、大作は制作費のリスクの問題から、
大きな冒険はできないだろうから、
どうしても内容は従来の成功例に従うだろうから
マンネリ化も進むと思うし、
バブル期年間800タイトルだったといわれる
発売タイトル数も、
うんと減るだろうから、売れなかったり、
無名だったり、
新人であるゲーム作家とよばれる人間は、
ゲームを作るチャンスが激減するでしょう
(って、全く他人事じゃない!)。
そんな近未来を想うとき、
「ムービーウォーズ」
にはヒントがいっぱい書かれている気がして、
勇気づけられる。
モノ作りへの情熱と冷静な制作計画は、
本来矛盾することではなく、
今までは、
情熱だけを頼りに無計画に近いシステムで
作り続けたのが日本映画の最大の問題、
という彼の指摘は、
そのまんまゲームの制作体制にもあてはまる気がする。
一部の人は、ゲームがネットワークに開かれること、
(高度な人工知能を使ったりして)
人の相手をできること、
ロボットのようなボディーを持つ
(センサーを使うなど)ことが
ゲームの未来であるみたいなことを言ってるけど、
どうもそういうのはインテリな空論である気がする。
どうした内容が今後受け入れられるか、
そんなことは誰にもわからないと思う。
ならば、大切なのは、
というか現実的な方策は、
制限のないクリエイティブが商業的に成立できるような
制作の仕組みや意識の改革である。
という仙頭さんの考えに、賛成1票。
ほんとはね、これを読んでほしいのは、
プロデューサー候補の人なんですけどね。
もの(商品)を生み出すには、
どうしてもアイデアを生み出す人間と
それを世に出す人間の
コラボレーションが必要なんであって、
どちらか一方では絶対に成功しない。
んで、はなはだ失礼な言い方をすれば、
ゲーム業界では、
優秀なプロデューサーがクリエイターより
圧倒的に少ないんじゃないかと、
ま、責任転嫁の意図をふくめて、
そう思うんです。


2001/12/12(水)
納豆

昔からクスリも医者も嫌いで、
家には風邪薬も胃薬もない。
なのに、どういうわけかサプリメントは大好きで、
毎日、ビタミンB、鉄、ビタミンE、ローヤルゼリー、
プロポリス、βカロチン、ビタミンCをとっている。
(以上7粒は「元気メイト」
にまとめてはいっている。これすごく便利)
ちょっと疲れているときは、
それを飲んだ上に、
さらにビタミンB,C,Eを追加でとり、
少しでも規則正しい生活ができるようにと
メラトニンもとる。
また、年齢とともに落ちる免疫力を補うために、
牛のバージンミルクから作られるラクトースもとる。
寝る前には、毎日ホットミルクを飲むし、
最近ではこれにゴマきなこを入れるようにしている。
そんなおり、あるテレビ番組で誰かが、
「納豆は完全栄養食ですよ。おかずと考えるより、
サプリメントと考えるとイイですよ。」
といっているのを見て、なるほどと思ってしまった。
納豆が体にいいことは何となく知っていたけど、
毎日自炊するわけでもないので、
なかなか、納豆を食べる機会なんてないなぁ、
なんて思っていたけど、サプリメントと考えれば、
なにもご飯時に食べる必要もないのだ。
いつでも時間の空いているときに食べればいい。
これだったらとても気が楽だ。
ということで、
ここ2ヶ月くらいはほとんど毎日納豆を食べている。
外食したときも、家に帰ってから、
納豆だけで食べるようにしている。
ただ、それでもあまり好きにはなれない。
だいたいネバネバしたものはあまり好きじゃないし、
あの鼻に抜けるアンモニア臭がいやだ。
あまり好きじゃないと、
少しでも食べやすいものをとどん欲なるもので、
丸正本店で売っている納豆は、ほとんど食べてみた。
結果わかったことは、
小粒やひきわりはダメですね。豆の味がしない。
やっぱり、
ふっくら大きな粒の方が豆の味と
感触が残っていてよろしい。
そんな中でも、今のところの一番は、
おかめ納豆の「宝玉」かな。
(サブタイトルの「おとな用納豆。」
というのはよくわからん。納豆に"。"がついているのも)
豆の色からしていいし、
豆のうま味も食感もが残っているし、
あっさりとしてニオイも少ないのも、
納豆嫌いにはありがたい。
和辛子の代わりにわさびがはいっているのもイイ。
そんなサプリメント生活で健康になったかというと、
これははなはだ怪しい。
先月末からの風邪は治りきらないし。
でも、もしこのサプリメントをとっていなかったら、
もっとひどい風邪になっていたかも、
なんて思うと怖くてやめることもできない。


2001/12/11(火)
売れない理由

従来の遊びが飽きられているから。
新しい遊びを提案できないから。
粗製濫造が続いたから。
技術競争が頭打ちになっているから。
世の中が不況だから。
imodeなど
ITビジネスに顧客を奪われているから。
いま、ゲームが売れない理由として、
よくこんなことを言われるけど、
どーも今ひとつピンとこないなぁ。
技術的な問題や遊び自体がマンネリってことなら、
映画や本はどーなのよ、
ってことですしね。
粗製濫造は、あきらかに事実誤認だし、
一時期よくいわれた
携帯電話への流動もどーなんでしょうかね。
なんか、客層が違う気がする。
じゃあ、何故か、、、わかりません。
身も蓋もない考えをいうとすれば、
本来ゲームという遊びが好きな人っていうのは、
このくらい(今のユーザー数)
なんじゃないでしょうか。
このくらいのマスが本来的であって、
今までがちょっとブームというか
バブルだったというか。
だから、逆に、ぼくなんかは、
これ以上ひどくなることもないんじゃないかなぁと
楽観してるんですけどね。
このマスで成り立つビジネスモデルとは、
そういう方向に発想していくべきだと思うんです。
ただ、一極集中化、ゼロサム化は進むんでしょうね。
安心して買える信頼のブランドしか売れなくなるかもね。
映画でも小説でも同じ事が起こってますからね。
きっとそーなるんでしょうね。
これはやっかいな問題だなぁ。
ただ、人というのは飽きる生き物。
いくら安心安全お得なモノでも、
同じモノばかりは食べていられないはず。
てなポイントが唯一の望み、というか。


2001/12/07(金)
もったいないいと節約

そろそろ、
いろいろな雑誌で今年ヒッとした
アイテム特集をやってますが、
今年のヒットのキーワードは、
「もったいない」と「節約」、
あるいは、「速い」と「安い」だそうです。
どうりで、値段が高くて、
たくさんの時間を必要とする
ゲームが売れないわけだ(笑)。
「節約」、「速い」、「安い」を
キーワードにしたゲームって作れるんだろうか。
「節約」あるいは「もったいない」はなんだろう。
ゲームの値段自体というよりは、
買ったのに遊びきれないで
損したってことでかなぁ。
5000円、6000円もする商品なのに、
試してみたりできないですからね。
つまんないとか、思っていたものと違ったとかで、
十分に遊べなかったってとき、
その値段は痛すぎる。
お試しができるか、遊んだだけお金を払うとか、
そういう仕組みが必要じゃないでしょうかね。
そういう意味では、
月額課金のインターネットゲームや
iモード、アプリの仕組みってはイイですね。
「速い」は、プレイ時間ってことでしょーかね。
今まで、ゲームはたくさんの時間を遊べれば、
遊べるほどイイといわれてきて、
プレイ時間60時間!
なんてセールスがあったほど。
でも、これってじつは逆効果で、
そんなに時間を取られるならできない、
ってのが、
ゲーム以外にもいっぱいやることがある
一般ピーポーの感覚ですよね。
どーなんでしょ、
私感としては2時間以内ってとこじゃないかなぁと
思うんですが(ま、この場合、
従来の値段も変えないとダメですけどね)。
映画でもテレビの特番でも、
どーも2時間を超えると、
最近、ちょっときついですよね。
もったいないとは思わなくても、
ゲップが出る感があったりする。
試しにシンプル1500円シリーズとかで、
「シンプル1時間ゲーム」
とか出してくれないかなぁ。
あと「安い」はそのまんまですね。
なんかのアンケートで、
1回の買い物で躊躇しないで出せる金額は
3000円ってのがあった記憶がある。
これは、かなり説得力のある額だなぁと思う。
ゲームもそういう値段にできるといいのに。
っていうか、そういう価格設定にするためには、
どのくらいの人数で、
どのくらいの期間で作り、
どのくらいの内容になるのか、
そういうことを研究したほうが
いいんじゃないでしょうかね。
ROMカートリッジの時代だったら、
ハードのコストがあるからちょっと考えにくいんですけど、
今はCDやDVDですからね、
可能性があるんじゃないでしょうか。
それに、もう、
インターネットからダウンロードなんてのも、
パソコンのツールなんかでは
当たり前になってきてますしね。


2001/12/05(水)
作りすぎない

絵を描いていると、
やめどきというのがむつかしい。
描きすぎる前にやめるのには、勇気がいる。
余白が残った状態で
「あ、この塗り残しがイイ感じ」
なんて思うことがあるけど、
なかなか、
そこで「完成!」と宣言するのはむつかしい。
うしろめたいというか、
手抜きに思われるんじゃないかと思ったり、
描き込んだほうが
より良いんじゃないかと迷ったりする。
逆に、どんどん描き込むには、
努力や根気さえあればいい。
ゲームも同じだなぁと最近、思うことが多い。
たくさんお金を出して買ってもらうので、
できるだけサービスをしたいと思う。
でも、サービスというのは、必ずしも、
たくさんの遊びの要素や
プレイ時間じゃないっていうのは、
よくわかっているつもり。
今の時代のムードから言えば、
腹八分くらいがちょうどイイ量てのも、
わかっているつもり。
でも、なかなか、
そのくらいの要素で「はい、完成!」と言えない。
言わなきゃと思っているんだけど。
ゲーム制作も終盤となると、
ついつい、
駆け込みでたくさんのことを
詰め込もうという気持ちになる。
ゲームは完成が近づけば近づくほど、
ホントに喜んでもらえるかってのが、
リアルな心配になってくるんですが、
そんなとき、要素を詰め込めば、詰め込むほど、
なんか安心するんですよね。
特に、既存のゲーム的遊びは入れれば入れるほど、
その分だけ安心度が増す。
サービスできたみたいな気がしてしまうんです。
頭の一方で、そういうことが本当のサービスじゃない、
って声がするんだけど、、、。
胆力が足らんなぁ。




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