人間風車

2002/02/28(木)
テレビの画質

テレビのモニターは、
525本の横線(走査線)から構成されています。
525本の横線は、60分の1秒ごとに、
奇数番の横線、
偶数番の横線が交互に発光する仕組みなので、
画面全体(525本)が
同時に発光することはありませんが、
人間の目の残像時間がだいたい20分の1秒あるので、
残像現象から、
画面全体が光っているように感じられるのです。
こうした方式をNTSC
(national television system committee)
方式と呼び、モノクロ方式は1953年に、
カラー方式は1960年には開発されました。
NTSC方式は、アメリカ、日本で採用されていますが、
ヨーロッパの方ではPAL(phase-alteration by line)
と呼ばれる別方式が採用されています。
画質的には、
PALの方がすぐれているといわれています。
と聞いて驚きませんでしょーか。
なんと家電の王者テレビの画質や方式が、
ここ50年変わっていないのですよ。
一般ピーポーはもっとイイモノにしたいとか
変えたいという欲求を抱いていないということですよ。
他の家電、電脳類で、50年前の方式がいまだに活きていて、
しかも、それに大多数の人が不満を抱いていない、
なんてこと他にありますでしょうか。
しかも、お隣のヨーロッパでは、
もっとイイ画質の方式が存在しているというのに。
あるいは、今なら、ハイビジョン、
デジタル放送などがあるというのに。
じつは、かなりの家電、電脳好きのぼくですら、
今のままでいいんじゃないのって思っています。
より高性能に!というのが家電や電脳に対する
一般的な欲求であるのに、これは不思議な現象です。
ぼくはこの原因をテレビに対座するときの
テンションに求めます。
テレビの前に立つとき、
人のテンションは著しく低いと思うのです。
お茶の間にあり、他の人と話したりしながら、
あるいはご飯を食べながら、
眠りそうになりながら、彼女といちゃいちゃしながら、
電話をしながら、、、
そんなながら的に見られるメディアなわけです。
見る人のテンションの低さは、そのまんま、
テレビ番組の内容、質に反映されています。
識者が高いテンションでテレビ番組を評価するとき、
それがはくち的にみえるというのは、当然でしょう。
最近では、「そこで、、、」とか「あ、これだよ」と
出演者のナレーションやセリフまで、
大きなテロップで表示されますから、
ますます、テンションを低くしてても見られます。
試しに音量0でバラエティーを見てみてください。
いっこうに困らないはずです。
低いテンションは、番組内容に限らず、
その画質に対してもそうなわけです。
だから、少々見にくくったって、荒くったって、
色ズレしたって、あまりかまわないわけです。
日常的に、
そういうテンションでつきあっているメディアで、
ゲームのようなハイテンションでしか遊べない遊びというのは、
ブームが去った今、一般人には、もう辛いのではないでしょーか。
辛いです>おれ。
(ラスト4行が、主題でありました)


2002/02/27(水)
PS2第三の方針

コアユーザーだけが残っている市場では、
やはり任天堂は強い。
現に、売り上げベストテンのうち、
4つがゲームキューブソフトとなっている。
4つというのはPS2と同じだが、
ハードの出荷台数が7倍くらい違うわけだから、
これはスゴイことだ。

PS1時代にブームとなった
新し系のゲームに揺らがされることなく
(あるいは、
体勢を変えられなかったのかもしれないが)、
頑固なまでに従来通りのゲームを作り続けてきた、
その成果なんだろう。
コアなゲームなら任天堂。
そういうブランドを
かたくなに守ってきた成果なんだろう。
一方、PS2は、
ユーザーの嗜好がコア回帰となるとさすがに弱い。
ゲームの売り上げが下がりだしたとき、
従来の「新しいモノ」路線をさっさと
撤廃してしまって、
コアゲーム路線に走ったが、
そうした方針を押し進めるソフトに恵まれず、
任天堂の巻き返しを許してしまったというところか。
さらに、
PS2は新たにブロードバンド構想を打ち出した。
新しい遊び路線を捨て、
スタンドアローンのコアゲーム路線を捨て、
第三の方針を打ち出したことになる。
これが成功するかどうか、
ぼくなんかには全くわからないが、
ちょっとここのところの動きは、
バタバタしているなぁという印象を受けないでもない。
確かに、多数の人とネットワークを通して
一緒に遊ぶのは楽しい遊びだ。
インターネットとゲームマシンがつながるのも、
新しい遊びやサービス
(例えば、追加アプリのダウンロードとか)
も考えられる。
ただ、日本の貧弱なネットワーク事情を考えると、
それがジャストナウな遊びなのだろうか。
さらに、FFXIがキラーソフトになるらしいが、
それ以外のラインナップや
もろもろのサービス案を見ていると、
本腰をいれてこの方針を押し進めるという
迫力を感じないといったら、言い過ぎだろうか。
などなど、
少し他人事でないだけに(今は言えないけど)、
ちょっと不安だったり不満だったり。

ps:
「ざっくばらんに言えば、、、」と誰か言っていた。
久しぶりに聞く言葉だけど、「ざっくばらん」って何語?
ちなみに英語ではfrank。


2002/02/26(火)
ゲーム外の遊び

ということで、ともかく、今のゲーム市場は、
コアなゲームユーザのみが残っている。
そして、ドラクエが出るとかFFが出るとか、
そういう「祭り」のときだけ、
ライトユーザーが戻ってくるそういう場になっている。
そして、それはゲーム産業の衰退している過程ではなく、
ここらあたりが、
ゲームという娯楽の着地点なのだろうと思う。
ゲームが好きで仕方がない人というのは、
このくらいの数であろう。
こうしたコアユーザーが、
仮に常に新しい遊びを求めているとしても、
テレビモニターを使った新しい
(ゲーム外の)遊びではなく、
あくまで従来のゲーム内での新しい遊び
(新しい映像表現、テーマ、世界観、ルールなど)である。
新しいゲームといわれるピグミン、
動物の森、動物番長も、キャラクターや世界観、
ゲーム内ので哲学みたいなものは新しいが、
遊びとしては従来のゲームの遊びの範疇に
きちっと収まっている。
収まってしまったというよりは、積極的に収まっている。
つまり、任天堂は、そこいらが、
現在でのK点であることをきちんと見据えて、
そう判断しているからだ。
そんな状況の中で、
ゲームの外の遊びを提案している俺たちって何?
と考えると、
我ながら、不幸だと思う(笑)。
でも、そういうものが作りたいのだから仕方がない。
そういうものが
おもしろいと思ってしまうのだから仕方がない。
そういう遊びもゲーム機で提供されるべきって、
思ってしまうから仕方がない。
そういう無茶を許してくれてしまう、
理解者がいるから仕方がない
(いや、マジ、感謝してますけどね)。
ゲーム機がゲーム以外の遊びを提供できないうちは、
ライトユーザーが再びゲーム機に近寄ることは
2度とない気がする。
そんな生みの親の心配も知らずに、
今のこの瞬間も、
隣の部屋のモニターの中では、ある動物が××している。
ずっと、××している。
一生懸命××している。
例によって、自分で考え、
自分で判断して、××している。
例によって、
コントローラーは置かれたままでいる(笑)。


2002/02/25(月)
保守化

2月4日~2月10日の
ファミ通の売り上げベスト10を見てみると、
侍~SAMURAI~、バーチャファイター4、
グランディア エクストリーム、
不思議のダンジョン、
ファイナルファンタジーX インターナショナル、
三國志VIII、スーパーマリオアドバンス2、、、
と、7,8年前を思い出させるような、
オーソドックスでコアなゲームが売れている。
これはどういうことかというと、
そういうコアユーザーしか
市場に残っていないってことじゃないだろうか。
PS1の立ち上げのときの、
いわゆるライトユーザーというのは、
ゲームブームの終焉とともにいなくなって、
ブームなんてものとは、はなから関係ない
ゲーム大好き少年少女だけが、
ゲームをやってる、買ってる、
そんな事情を反映している気がする。
そして現在のこのユーザーの数は、
ゲーム市場の真のというか、
安定期の姿(数)じゃないのかなぁと
個人的には思っています。
だから、画期的なゲームを出せば、
ゲーム市場は再生するという意見にも、
逆に、もうゲーム市場は衰退の一歩をたどるだろう、
という意見にも、賛成できません。
TVゲームを好きな人の数ってのは、
今くらいが正常じゃないんでしょうか。
映画だって、音楽だって、演劇だって、
コアユーザーの数って、きっとこんなもんでしょ。
ゲームもブームが去って、やっと、平常値に戻った、
ただそれだけの気がする。
そして、求められるゲームの内容も、
そんなに革新的なことは求められていないのでは、
という気がします。
とくにここ1,2年。
もちろん、年に1,2本くらいは、
突然変異的にヒットする変わり種ってのは出ると思うし、
大きな流れとしては、
アクションゲームからRPGにみたいな
流行はあるでしょうけど。
こうした状況を、
市場の安定と見るべきか、保守化と見るべきか、
あるいは衰退と見るべきか、、、


2002/02/22(金)
アルファ版2

>エンターテインメント重視
(ゲーム的な要素の強いもの)、、、
という発言は、自分でもどうかしていたなぁと思う。
それがゲーム色が強かろうと、弱かろうと、
エンターテインメントでなくてはならないだろうに。
反省。
それはそうと、今アルファ版を迎えている
このソフトはゲームとは言えないなぁ。
じゃ、なにかというと、
テレビに映るエンターテインメントだ。
テレビに映るエンターテインメントには、
テレビ番組(ドラマ、ニュース、歌番組、、、)、
ビデオ(主に映画)、
まれにインターネット、
それにゲームがある。
一方、日本人が1日でテレビを見ている時間は、
平均で2時間程度のようだ。
<
この2時間を、上の遊びが奪い合う。
映画1本見れば、もうテレビタイムは終わりである。
ドラマを1本見れば、もう映画も見る時間がない。
となれば、終わるまでに100時間かかる、
なんてことをウリにしているゲームが、
はじき出されるのはよくわかる。
一時期、ゲーセンでしかできなかった遊びが、
自宅でできること、
それまで高性能のコンピュータでしか
お目にかかれなかった、
3Dの映像が映し出される、
なんてことで、ゲームは瞬間的に注目を浴びたけれど、
そうした感動も一段落ついて、
再び、テレビの他の遊びと冷静に比べられると、
上のような理由から、やっぱ、立場が苦しい。
ゲームが流行らないと言うのは、
やりたいゲームが提供できないというよりは、
ゲームをやるだけでテレビタイムが終わりなんてイヤ、
というごくごく普通の感覚がよみがえったって
あたりが原因のような気がする。
一日、1時間以上も時間を取るような
テレビモニターを使った遊びは、ゲームに限らず、
これからは苦しくなっていくんじゃないだろうか。
映画だって他人事ではない気がする。
(もし、映画がビデオ化やテレビ放映を
大事な収入源とするならばの話だが)
てなことで、
ぼくがめざしている、というか、今一番ほしいのは
ゲームというよりは、
テレビに映るエンターテインメントだ。
ゲーム機で提供する遊びだからといって、
ゲームである必要はないだろう。
てなことを次回言おうっと。


2002/02/21(木)
アルファ版

去年から作っていたゲームが
アルファ版をむかえている。
アルファ版というのは、
まだバグや調整不足のところはあるけれど、
基本的な要素は全て組み込まれている
バージョンのことです。
つまり、ここにおいて、
ゲームの全貌が見えたわけです。
もちろん、
ゲームの全体像というのは設計の最初から
見通しながら作っていくのですが、
やっぱり机上の計算と実際にプレイするのでは、
体感が違います。
しかも、もう後には戻れない。
修正できるところがあるとしても
大規模な変更や追加は難しい。
第三者の感想や意見も聞こえてくる。
てなことがリアルになってくるバージョンなので、
怖いし、不安だし、後悔もあるしで、
心中は穏やかでない(笑)。
さてさて、誰も聞いてくれないのでいうけど、
ぼくは、自分の作ったソフトを非ゲーム、
ゲームとわけているところがあります。
そして、半ば意図的に、交互に作っています。
比較するのは、おこがましいのですが、
故黒澤明監督もそういう作り方しているのですよね。
「隠し砦の三悪人」や「椿三十朗」など
エンターテインメント重視の娯楽時代劇と
「生きる」や「どですかでん」みたいな文芸作品は、
じつは交互に作られています。
エンターテインメント重視
(ゲーム的な要素の強いもの)を作ったときは、
それなりに周りの評価は暖かいものです。
暖かい評価はうれしいものです。
でも、ぼくの場合、どういうわけか、
しばらくすると、それだけでは不満になってくるのです。
エンターテインメント性というのは、ある意味、
お客さんへのサービスです。
買ってくれる人に楽しんでもらいたい、
そういう思いが第一義になります。
一方、では、それが、
自分個人が今一番おもしろいと思っていることかというと、
そこには若干ギャップがあります
(もちろん、本意でないものなんて作れないですが)。
もっともっと、
自分の今一番おもしろいと思っていることを、
混じりっけなしに、
それだけで作ってみたいという気持ちが出てきます。
そんな思いで作った企画が、運良く通ってしまうと、
もう自分を止められません。
そういうのは、自己満足だ、
マスターベーションだ、売り物とするな、
という意見も耳にします。確かに一理あります。
でも、極論すれば、
自分が本当におもしろいと思うものを提供することが、
一番のサービスであるとも言えるのです。
てなことで、今回は非ゲームです。
自分がいいと思えるものが、
(たくさんの)他人もそう思ってくれる、
それが究極の幸せなんですが、、、
こればっかりは、祈るより他ありません。


2002/02/20(水)
ビフィズス菌その後

ビフィズス菌を飲んでいるという話を
前に書きましたが、
この習慣はまだ続いています。
毎日10億匹ずつ腸に送り込んでおります。
これは、かなりいいです。
あきらかに腸の調子がよろしいです。
なんていうんでしょう、腸が軽くなったというか、
腸への意識が減ったというか、
ともかく調子がいいです。
自信を持っておすすめできます。
さすがビフィズス菌。
なんか、こう毎日毎日送り込んでいると、
腸でビフィズス菌を育てているような
錯覚にとらわれます。
んで、
この間のように風邪を引いてお腹を壊したときなんか、
ああ、ビフィズス菌が逝っちゃう、、、
なんて思わず叫んでしまいます。
これじゃあ、
サナダムシを「飼っている」ことを自慢している
某博士と同じ系の変態じゃないかぁとも思うんですが、
でも、そのくらい感謝しているというか、
あいらしいです。
ちなみに、他の最近のマイヒットは、
粉末の日本茶。
風味という点では、葉っぱにかないませんが、
毎日がばがば日本茶を飲む者としては、
茶殻がでないのはありがたいです。
こしきにくっついた茶殻って、
洗うのうざいんですよね。
しかも、70%は栄養素を茶殻として
捨ててしまうといわれる日本茶、
その分の栄養もゲットしているので、一挙両得です。
これもかなり続きそうなブームなので、
たぶん、遠からず、
電動茶粉器を買ってしまうでしょう。
んで、お気に入りのお茶っぱで、
マイパウダーティーを作るでしょう。
どの葉が粉に向いているか、
どうブレンドするのがいいか、
そういう試行錯誤が、今から楽しみ。


2002/02/19(火)
オリンピックのコンドーム

ソルトレークは、
モルモン教徒のメッカ(ん?へんな表現)なので、
選手村でコンドームが大々的に配布されているのは、
どーも気に入らないようです。
男女の営みは、
正式な夫婦間のみで行われるべきだからです。
さらに、もっと原理的な人たちには、
避妊という行為さえもけしからんという話です。
一方、選手村での「夜のオリンピック」は有名な話で、
コンドームが配布されていないと、
現実的に大問題になるそう。
てなことでふと思ったんですけどね、
ぼくもコンドームの配布には反対ですね。
というのも、この期間、
選手村にはスポーツに関する
優秀な遺伝子が集結しているんです。
あの狭いエリアに世界中から、
とんでもなく優秀な遺伝子が凝集している。
こんなこと、めったにない機会でしょう。
だったら、もっと積極的に「遺伝子の交配」をすべし!
できたら全組み合わせ的な多様な交配をすべし!
というのがぼくの意見。
んで、めでたくこの期間にできた赤ちゃんは、
誰が父親なのかなんて詮索しないで、
神の子として、IOCが生涯めんどうをみるべき。
さすれば、4年に一度ずつ、
優秀な人類が大量に効率よく
誕生させることができるんです。
これはすばらしいじゃありませんか。
せめて、
使用済みコンドーム(の中の遺伝子)は回収すべき、
ってのはナマ過ぎる話か。
昔、ある学者が、
ノーベル賞受賞者の遺伝子(精子)を
集めようとがんばったんだけど、
みんなおじいちゃんになっちゃってて、
うまく集まらなかったなんていう、
ギャグみたいな話がありますが、
現役のスポーツ選手なら、その点も心配なし!
もったいないよお(笑)。


2002/02/18(月)
CC

とうとう、ネコのクローンが作られてしまった。
ほ乳類のクローンは、
すでに羊のドリーで実現しているので、
技術的な関心は今ひとつみたいだけど、
ペットのクローンというのは、
家畜のクローン以上に需要があるだろうから、
実用?という面では、
なんか一歩進んでしまったかなぁという感がある。

20020218.jpg

このcc(クローンネコの名前)の
無邪気な顔を見ていると、
ドリーには悪いけど、
ドリーの時より、イヤだなぁ感が強い。
ペットのクローンというのは、
無駄の多いブリーディングを
さらに効率化、高精度?化させるという意義?と、
死んでしまったペットを
よみがえらせるという意義?がある。
ただ、前者はともかく、
後者はかなりやっかいな問題となるだろう。
たしかにペットロスは深刻な問題ではあるが、
生き物は必ず死ぬ、
そして、多く場合、ペットは飼い主より早く死ぬ、
そうした事実を受け入れることが、
ペットを飼う人のまずもっての資格と考える。
ペットのクローンによる再生は、
こうした前提を揺るがしてしまう。
もし、ある程度の安全性と
価格とシステムが完備されてしまうと、
道義的な違和感を抱えつつも、
ペットを失った哀しみに勝てないで、
つい、クローンを申し込んでしまう人が
たくさん出てくるだろう。
(自分だって、そういう環境が整ったときどうなるか、
はなはだ怪しい)
死んでもまた作ればいい、
さらに、死ななくても、
成長しすぎてかわいくなくなったら、
(殺して)赤ちゃんとしてリスタートさせればいい、
そういうように、
命の価値観が変質していくことは目に見えている。
家畜ではそうした問題が一般化することはないし、
逆に、自分たちの子供(人間)では、
あまりに事が重いことなので、
そう簡単には実現化しないだろう。
そんな中で、ペットのクローンというのは、
もっとも簡単に実現化されそうで気が重い。


ps:
クローニングに詳しくない人のために、
クローンの作り方を説明。
まず、あなたのペットの細胞を少しばかり採取する。
必要があるまで、冷凍保存しておく。
やがて、クローンが必要になったとき、
細胞は解凍される。
一方、
まったく関係のないメスネコから卵子を採取しておく。
(卵子の提供もあっという間にビジネス化するだろう)
このメスネコの卵子から核(DNA)を取り除く。
代わりに、
あなたのペットの細胞の核(DNA)を注入する。
これで、
2nのDNAを持つ擬似的な「受精卵」が完成する。
この受精卵に化学的、電気的処理を加え、
成長(細胞分裂)をさせる。
新たに、代理母ネコを用意し、
その子宮にこの受精卵を挿入する。
(代理母ネコの提供もあっという間にビジネス化するだろう)
これで、代理母ネコは「妊娠」し、
やがてあなたのペットを産む。
体の模様など、
後天的に決まる見かけは変わってしまうけど、
これであなたのペットがそのまま、
新たに生まれることになる。


2002/02/15(金)
祭りだ!ワショ-イ

知り合いが2chで
大変なことになっているというので、
いってみたら確かに大変なことになっていた。
2chにいえば「祭りだ!ワショ-イ」状態になっている。
ただ、これは全社会的にも大変なことなんだろうか、
とふと疑問に思った。
僕らの周りでは2chのROM
(読むだけの人)が多いし、
ネタにされることも多いので、
なんかすごく2chについてナーバスになっているし、
イイ意味にも悪い意味にも
過大に評価しすぎている感がある。
上の大変状態だって、発言数から言えば500程度、
しかも同じ人が複数回発言していたり、
意味なしの発言まで含めてそのくらいの数なので、
1億分の500と考えれば、
全然たいしたことはないともいえる。
インターネットでの騒ぎというのは、
どうもスケール感がつかめなくていけない。
今までの口コミ、
マスコミでの「騒ぎ」の実際のスケールというのは、
体験的にだいたいわかってきたような感があるけど、
インターネットでのそれは、どうも経験不足で、
うまく大きさを測れない。
(大概の場合、巨大視しすぎている感あり)
ただ、そうした実尺の問題とは関係なく、
1通のメール、
1つのメッセージでも人一人を落ち込ませるには
十分なパワーがある。
そしてそれはぼくら一般人だけの話ではなく、
普段、日常(仕事)的に批評批判にさらされる人だって、
同じなのだ。
そういうことも私たちは考えないといけないんだよと、
私はいいたい。
(ホントは2chでいうべきなんだろうけど、胆力不足)

ps:
カーリングはスポーツなんだろうか?(笑)


2002/02/14(木)
超ひも理論

「ホーキング、未来を語る」は25万部、
「エレガントな宇宙」も20万部以上売れているそう。
どちらも最新の宇宙論を紹介する本ですけどね、
こういう本がこんなに売れるなんて、不思議。
ホーキングのほうは、まあ、
有名な人だからまだわからないでもないけど、
「エレガントな宇宙」の作者ブライアン・グリーンは、
現役バリバリの物理学者で、
一般的には有名ではないので、とくに不思議。
というのも、
たしかに両方とも平易な文章で書かれているし、
たくさんの図版が使われているけど、
内容は決して、わかりやすい内容ではないのだ。
少なくてもぼくにはチンプンカンプン。
私たちの宇宙の成り立ちを、
今一番うまく説明できるモデルである
「超ひも理論」について書かれているんだけど、
この理論が提案する11次元の宇宙像というのは、
ぼくら一般人がイメージするのはむつかしい。
売れない、売れないと言われる出版界で、
どうして、こういう手の本がこんなに売れるのか、
ホント不思議。
(うれしい不思議だけど)
20世紀のはじめ、
相対性理論と量子力学が発見(発明?)され、
われわれの世界のようなマクロな世界の
振る舞いについては相対性理論が、
素粒子のようなミクロな世界については量子力学が、
うまいこと説明できるようになった。
ところが、このふたつの理論は、両立ができない。
お互いかなり相性が悪く、
カップリングで使うことができない。
一方、宇宙の振る舞い(とくに始まりなど)を
説明しようとすると、
宇宙空間的なスケールと素粒子の振る舞いを
同時に扱わなくてはいけないので、困ってしまう。
そこで、相対性理論にも量子力学にも頼らない
(あるいは両立させることができる)
新しい理論が必要となる。
この有力候補が「超ひも理論」ということらしい。
ということで、「超ひも理論」
については全く理解していないんだけど、
実証主義ということがどういうことなのかは、
よくわかった。
以前、神様は10進法を使うんだろうかと書いたけど、
この宇宙が、
実際に10進法で書かれているかどうかを問題にするのは、
実存主義であって、
実証主義では、
宇宙が10進法を使っていようがいまいが問題にしない。
例え、使っていなくっても、
10進法でもうまく説明ができれば、
それでノープローブレムということなのだ。
だから、この宇宙が「超ひも理論」を
使っていなくったってそれは問題でない。
問題は「超ひも理論」が宇宙の全振る舞いを
うまく説明できるモデルであるか、
どうかということなのだ。
うまく説明できるのではあれば、
存在しようが存在しまいが、
正しかろうが間違っていようが、問題でない。
理論物理とはそういうものらしい。

ps:
事務用品の宅配業者アスクルで、
「義理チョコ」を売っていた。(笑)
さすが、アスクル。


2002/02/13(水)
大風邪

一週間前の月曜日、
なんか風邪っぽい感じだったので、
早めに寝よとベッドに入った。
最初はちょっと熱っぽいなぁ
くらいの気持ちだったんだけど、
寝しなに熱を計ってみたら、
なんと39.2度もあった。
その数字を見たとたん、
急に風邪がひどくなった(気がする)。
そして、結局、
今週の月曜日までほとんどの時間を
ベッド内で過ごすハメとなった。
病は気からとはよくいったもんだ。
特に現代人は、
なにかと数値で病気の度合いを見られるから、いけない。
この数字の桁数や%や上下動に一喜一憂してしまう。
そういえば、以前、プーが入院したときも、
白血球数やなんやからを毎日測定してて、
通常のネコの50%以下とか、
いっこうに数値が増えないなんてことに、
すごく動揺していたけど、今になってよく考えたら、
そうして動揺している自分たちをよそ目に、
当のプーは、けろっと元気な顔をしていたっけ。
きっと数字的にはまだ回復していなくても、あの時点で、
プー的にはもう回復してたんだろう。
でも、そんときでも、
本人の見た目より数字ばっかりが気になったし、
そちらのほうが正しい、科学的だなんて、
本末転倒な考えにとりつかれていた。
今回の風邪だって、体温なんて測らなければ、
こうはひどくならなかった気がするな。
病気の数値化は、ほんと、そういう意味では怖い。
ちなみに、ぼくは風邪ではクスリを飲まない。
風邪を「治す」クスリがないことを知っているからだ。
(存在するのは、風邪の症状を抑えるクスリのみ)
だから、いつも、
「今、この高熱で、ウイルスは活動がが鈍ってきているぞ。」
「白血球がウイルスを攻撃してるぞぉ」
といったかんじの、イメージ治療に心がけている。
これ結構効きますよ。

ps:
長島監督が、
いろいろな球団のキャンプの視察にいっている。
いくところ、いくところで、人だかりができ、
選手も監督もうれしそうにしている。
そんな光景を見ていると、
ほんと、このひとはこういうのが似合う人だなぁと思う。
そして、一球団の監督なんてのより、
こうして野球界全体を見渡す立場って方が、
うんと似合っていると思った。
球界の象徴天皇だねぇ、彼は。


2002/02/04(月)
2足歩行

土曜日の朝、
ネコが足を引きずりながら帰ってきた。
どうも怪我をしたらしく、
片足をあげたままじっとしている。
かなり痛いらしい。微熱もある。
あわてて、病院に連れて行ったら、
どうもケンカで噛まれたらしく、
ネコの牙がつけたと思われる穴が、
足の裏表に、くっきりあいていた。
しかし、消炎剤と抗生物質を注射してもらったら、
すっかり元気になって、
今では何事もなかったかのように歩き回っている。

びっこをひきながら歩いているプーを見たとき、
心配しながらも、4足歩行はすごいなぁと感心した。
1本がダメになってもちゃんと歩けるのだ。
必ず3点が着地しているので、
どうしたって、転ばないのだ。
それに対して我々人間は2足歩行なので、
1本でもダメになると、
もう歩くことも立っていることもできない。
アイボとアシモにどのくらいの
技術差があるかを語られるとき、
よく、この4足歩行と2足歩行の差があげられる。
ロボットにしても、2足歩行は大変やっかいなのだ。
それにしても、
我々はどうして2足歩行をするようになったのだろうか。
2足歩行を始めたために、手が自由になり、
それゆえ、文明が発達したといわれるが、
それは2足歩行の結果でしかない。
樹上生活時代のぶらさがり行動が、
肩関節の自由度を高めた。
この自由な腕振りが、
2足歩行のさいのバランス取りに
重要な役割を果たしているというが、
2足歩行が可能になったからといって、
いぜん4足歩行の優位はかわらないわけだから、
わざわざ2足歩行を選ぶ理由にはならない。
2足歩行にしたために、移動速度も落ちたし、
転倒する可能性も高くなった。
腰痛や肩こりも起こり、
子宮口が下向きになり流産もしやすくなった。
なのに、2足歩行を選んだ理由はなにか?
どうも今でもよくわかっていないみたいだけど、
ぼくは、(たしか)デスモンドモリスが唱えた
「人間水棲説」が好きだ。
森から追い出された祖先は、
地上の肉食動物からの攻撃を逃れるために、
彼らの追ってこられない場所に住むしかなかった。
高い崖にある洞窟なんていう手もあったろうけど、
もっとも手っ取り早いのは水の中だ。
もちろん、水中で生活をしていたというわけではなく、
普段は水辺か足が着くくらいの水の中で暮らしていて、
敵が来たら沖に逃げるという
生活をしていたというのだ。
背丈くらいの水の中だと立っている方が
自然な姿勢になる。
そんな環境で2足歩行を取得していったというのは、
考えやすい。
我々が体毛を失ってしまったことや、
生まれてすぐ泳げること、
残る体毛が泳ぐ方向になびいていること、
さらにミッシングリンクとよばれる、
猿人から人間への間のある一定期間の化石が
見つからない理由も説明がつく
(水の中では化石が残らないから)。
てなことで、「人間水棲説」はかなりもっともらしい。
(今でもイチ仮説にしかないらしいけど)


2002/02/01(金)
AA

2chに本名で書き込むと書いたので、
何人かから、真剣に(笑)
心配してくれてるメールをもらった。
たかがイチBBSに書き込むだけなのにね、
すごい話だ(笑)。
それはそうと、
2chについては全くの素人なので、
知らない用語が多くて苦労する。 (;´Д`) ハァハァ
煽り禁止とか、AAとか、祭りとか、
トリップ見つけましたとかね、
セクースとか、最初はなんだか全然わからなかった。
顔文字や記号は、
通常のメールなんかでもたまにもらうので、
知っていたつもりだったけど、
これも奥行きが違いますね。(゚∀゚)
文字だけで書かれた絵のことをアスキーアート(AA)
というらしいんですが、結構、
絵としてよくできてるのでビックリ。
どうやって描いたんだろうか、
エディターがあるのならほしいなぁと思った。
下のモナーは有名なので知っていたけど、

     ∧_∧
    ( ´∀`) <オマエモナー
    (    )
    | | |
    (__)_)

  / ̄ ̄ ̄ ̄\
/     ●   ● 
|Y  Y         \
| |   |         ▼ | パクッ
| \/   ____人__|
|      |∨∨∨∨∨ ←
ここに抹殺したい事項を書き込むみたい
\     \∧∧   )
 | | |\  ̄ ̄\\\
 | | |   ̄ ̄ ̄ し し/
 (__)_)

この犬(ぞぬ)とか、かわいいなぁ。
さらには、
モーニング娘一人一人にAAがあるのを見てびっくり。
ああ、森川タン、カルチャーショクーだわ。
ガ━━━━━━(゚д゚)━━━━━━ン!

( ● ´ ー ` ● )
安倍なつみ(モーニング娘。愛称:なっち)
を指す顔文字。

川 `~` )||   ( ゜皿゜)
両方とも飯田圭織(モーニング娘。)を指す顔文字。

( ^▽^ )
石川梨華(モーニング娘。)を指す顔文字。

@ノハ@   @ノハ@
( ' д')    ( ´д`)
加護亜依(モーニング娘。)を指す顔文字。
弱ったり、困ってるときは右側のようにになる。

( ´ Д `)
後藤真希(モーニング娘。)を指す顔文字。

从´∀`从    从#~∀~#从
中澤裕子(元・モーニング娘。)を指す顔文字。
右側はほろ酔い気分のとき。

(ё)   (・e・)
両方とも新垣里沙(モーニング娘。)を指す顔文字。

AAについては、辞書まで作られているので、
興味のある方はどぞ。
http://www.kotoba.ne.jp/glossary.cgi?k=ascii_art&fsz=2




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