人間風車

2002/07/31(水)
ぼけぼけでR

ぼけぼけでR(古い!)。
太陽をさけ、吸い込まれるようにスタバに入り、
「カフェラテのダブル」と注文する。
(どんなに暑くっても、アイス系は飲まないのだ)
すると、
「大きさはどうなさいますか?」と店員がたずねるので、
あ、聞こえなかったかなと思って、ちょっと大きな声で、
「ダブル!」と答える。
すると、店員さんは、にっこり笑みを浮かべながら
(でも目の奥が笑っていない)
「大きさはどうなさいますか?」という。
どういうことなんだぁあああああああ?
と、ぼけぼけの頭をフル回転して、再び
「だからこのダブル、、、」とメニューを指さして気がついた。
スタバはトールなんだった。
ダブルはいきつけのフレッシュネスバーガーだった。
ああ、こっぱずかしい。
「カフェラテ」なんてフルで言ったのもかっこわりい。
「ラテのトール」ってさらっと言わなきゃだわ。
店員も他の客も「だせぇ」と思ったに違いない。
しかし、そもそも、たかがコーヒーのサイズに、
Lだのラージだのダブルだのトールだのグランデだの、
いろいろあるのがおかしい。
まぎらわしい。
っていうか、店毎で名称を覚えないといけないのがうっとうしい。
っていうか、残り少ない(脳の)メモリーをそんなことに使いたくない。
日本なんだから、大中小でよろしい。
あるいは松竹梅でよろしい。
 ●
近くの「ジャマイカうどん」(こんな名前でもカフェ)
で昼ご飯を食べていたら、
ヒスパニックらしい人達がいて、一人が、店員に、
「セニョリター、これらの値段を出してくーださい」と言っていた。
どうも「お勘定」という意味らしい。
う~ん、確かに意味は通じるぞ。
本かなんかで、日本語を独学したんだろうか。
ちょっとかわいかった。


2002/07/30(火)
昆虫が海にいないわけ

昆虫のいない所に生きたければ、海中に住むより他ない。
と言われている。
全生物種の3/4が昆虫の仲間といわれている。
中国人よりも多いのだ。
その昆虫が何故か、海にはいないのだ。
これは不思議だ。
なぜって、われわれ生命は、海の中で生まれたわけで、
その後、海→川→陸(空)と生息の場を広めていった。
そして今でも、ほとんどの種は、その一部が海に棲んでいる。
我々ほ乳類だって、クジラやオットセイなど、
たくさんの仲間が海に暮らしている。
(オットセイなんて一度陸に上がった後、再び海に戻っているくらいだ)
なのにぃ、全生物の3/4という膨大な仲間がいる昆虫が、
何故に海にいないのか?
川にも陸にも行かずに、頑固に海に暮らしている仲間はいないのは何故?
彼らは海から生まれてこなかったというのか?
不思議でしようがない。
どうも昔から、彼ら(昆虫)とは仲間じゃない気がしてならない。
同じコアセルベート(生命の原型)から生まれたとは思えない。
映画「スターシップ・トゥルーパーズ」を見てひらめいた、
きゃつらは宇宙から来た地球外の生命体に違いない。
きっと隕石にくっついてきたに違いない。
(実際、クマムシの仲間などは、短い時間なら
 真空、気圧0の世界でも生きていられるらしい)
だから、海にいないのだぁ。
という自説がさらに強固なモノになった。
(でも同じDNA使ってるんだよなあ)
 ●
NTTがワン切り業者の回線を停止した。
これは正しい。
ワン切りや迷惑メールは、
全国民規模的通信障害を引き起こす通信テロに近いものだと思うからだ。
という一般ピーポー的考えもあるだろうけど、
ワン切りは、相手が受話器をとっていないので、
NTTには通信料が入らない。
回線を使うだけ使われて1円にもならんわけだから、
これを許すわけにはいかない。
という点でNTT的に正しい。
これに対して、迷惑メールは、NTTの通信設備に対する負荷や
発信者が1円もNTTにお金を落とさないという点では同じだが、
被害者(受信者)がその代償を払ってくれる点が違う。
ワン切りには迅速な処置、迷惑メールには慎重な処置と、
その対応に差をつけるのも、NTT的に正しい。


2002/07/29(月)
クーラーの廃熱

今日こそ、やや涼しいけど、東京は連夜の熱帯夜。
どうも、今年の夏は暑い!なんて話じゃなくって、
ヒートアイランド現象が問題のよう。
ということは、これからどんどん、
毎年毎年、都心の気温は上がっていくってことだ。
あと数年もすれば、
東京は熱帯雨林気候になってしまうのかもしれない。
東京を暖めている3つの主犯は、
1.クーラーの室外機の廃熱
2.車の廃熱
3.コンクリート(ビル)の保熱(太陽の熱をため込んでしまう)
らしいです。
どれも、だからどうしようといわれても困る問題ばかり。
1.なんて、暑いからクーラーをつける。
クーラーをつけるから暑くなるの悪循環ですからねぇ、
困ったもんだ。
以前、老人にとって東京暮らしが一番イイ。
なんて言っていたけど、
年をとったらこの熱帯夜が命とりになりかねない、と心配になる。
例えば、クーラーの廃熱が100度あれば、
それでお湯を沸かして発電ができたりして、
それはそれで有用(もっと大変なことが起こるけど)だろうけど、
むぁ~っとしたくらいの低い温度(37、8度くらいか)じゃあ、
お湯は沸きそうにない。
こうした低い熱の輻射を利用した発電とか、あり得ないのだろうか?
なにかの化学反応にもってこいの温度とかないのだろうか?
水の浄化に使えるとか、肩こりにイイとか、
なにかの栽培にぴったりとか、車の燃費がよくなるとか、
ベアリングの摩擦が減るとか、通信速度が早くなるとか、
そういう利用法はないものだろうか?
東京ではたぶん、
すっごくおおくの人が寝ている間もクーラーをつけている
(おれもおれも)。
たぶん、1ヶ月2000~3000円くらいは
余分に電気代を使うことになるだろう。
仮に10万人がそうしたクーラー族だったとすると、
2000円×10万人×2ヶ月=4億円!の電気特需となる。
これに飲み物、着るモノとか避暑レジャーとか
熱射病や食中毒などの治療代やらを考えると、
かなりの経済効果!
そっか。
廃熱は、沈滞する日本経済への起爆剤という利用法があるのか。


2002/07/26(金)
1回限りのセックス

有名な話ですが、
アリやハチは、
分家すべく空に飛び立った羽アリ(オスとメス)が空中で交尾したのち、
オスは受精後即死に(笑)、メスは地上におり穴を掘り、子を産み、
その穴の女王様になるわけです。
驚いたのは、その後、穴の中で生まれる子というか奴隷?はみんな、
その空中セックスのときの子なんですねぇ。
このときの空中セックスは、1匹のメスと無数のオスがくりなす乱交で、
メスはたくさんのオスと交わるわけです。
精子の数で言えば数百万単位!の精子を受け取ることになります。
ただ、メスがセックスをするのは、この処女飛行の時1回のみ!
じゃあ、ハネムーンベイビーが数百万匹!っていうかというと、
そうではなく、受け取ったけど受精はしないんですねぇ。
どういうことかというと、
メスの身体には貯精嚢という精子を貯める袋があって、
処女飛行でゲットした数百万の精子は、
いったん、そこに貯められるのです。
んで、その後一生かけて、必要な時々に、
そこから精子を取り出して受精するという計画出産をするのです。
ちなみに、受精卵は全てメスになります。
分家の時などにオスが必要となるときは、
精子を使わないで産む(無精卵)とオスになります。
(オスの染色体数はnなので、
オスは母の1/2クローンということになる。ややこし~)
アリででは20年くらい生きるヤツもいるそうですから、
ずいぶんと長く大切に?使うわけです。
っていうか、精子の寿命ってそんなに長いのか。
(どうして、そんなに長いこと精子が「保つ」のかわからないらしい)
パパはそのセックスのあと、すぐ死んでしまってますから、
未亡人出産ってことですね。
全く昆虫のすることは不思議だ!と思ってたけど、
最近は、昆虫ばかりの話じゃねぇなぁってことになってきましたね。
この間、死んだ夫の(生前保存して置いた)精子を使って、
人工授精したなんて話がニュースになりましたが、
これなんか、理屈の上では同じですからね。
そのうち、結婚したらまず夫の精子を抽出し、それを冷凍保存しておく。
それをどのタイミングで利用するかは女性が決められ、
仮にそのとき夫が他界してたり、離婚してても、
彼との子供はいつでも作ることができるのよ。
あるいは、
恋人の精子をコレクションして、生涯、歴代のBFの子供を産めるのよ。
夫や恋人じゃなくったって、古今東西の有名人の子供だって産めるのよ。
なんてことになってしまうかもしれません。

なぜって、こうした多様な精子との受精、
自分の都合のいいタイミングに合わせた受精の方が、
子孫の繁栄(自分の遺伝子の繁栄)的に有利、
つまり生物原理に即しているからです。
それにしても、つくづく、オスの役割って、、、と考えさせられてしまう。
「人は死して皮を残す」という言葉があるけど、
将来は「オスは死して精子を残す」ってことになるのかしらん。


2002/07/25(木)
40を過ぎてからの開き直り

そういやぁ、なくしたバターはまだ見つからない。
http://www.muumuu.com/morikawa/entries/2002/0625.html
バターは腐らないのだろうか?
腐っても臭わないのだろうか?
ネコかゴキブリが食べてしまったのだろうか?
ともかく、見つからないけど臭わないので、ヨシとしようか。
ああ、なんかこういう考え方って、
自分の人生を全てを支配している気がするなぁ。
いいのかなぁ、これで。
と書きつつ、こういう年になってくると、
自分の弱点や欠点をなんとかしたいという気持ちは、
ほとんどなくなってしまう。
良かろうと悪かろうと、
このやっかいなパーソナリティーは直らない
(直るものならとっくの昔に直っているはず)
なんて試してもいないのに、そう開き直る。
直らないなら、いっそ、このパーソナリティーを活かしていこう、
このパーソナリティーが許される世界に生きようなんて、
妙なところを積極的に考えてしまう。
こうした考え方は、きっと20代のボクだったら、
後ろ向きであり、退廃的であり、
消極的に開き直った考え方だと思ってしまったことだろう。
でも、ちょっとニュアンスが違うんだなぁ。
この微妙な違いは、この年にならんとわからないだろうなぁ。と思う。
身体がどんどん壊れていき、見た目が崩れていくのを自覚するのは、
30代半ばあたりはけっこうイヤなもんだったけど、
今では、買い換えのきかない中古車をごまかしごまかし
乗りこなしていような感じで、
その「やりくり」が、けっこう楽しいと思えるようになってきた。
(もっとも、もし神様がもう一度「新車」をくれるというなら、
喜んで乗り換えるが)
自分の才能についても、等身大の大きさが見えた、
見えてしまったというのも、悲しいことではあるけど、
それはそれでいっそすがすがしい気になることもある。
こういう気持ちになってからの方が、若い頃よりも、
なお「一生懸命がんばります!まだまだがんばりたいです!」
って謙虚になれるんだから、不思議だ。
なんてね、完全に空が晴れたみたいに書いているけど、
あいかわらず、急に暗雲が立ちこめるなんて日がないわけではない。
でも確実に晴天(っていうか薄曇りくらいか)の日が増えてきたのは、
確かな気がする。


2002/07/24(水)
むかし、火の玉を見た

いやあ、驚いた。そういうことだったのくぁ。
これで声を大にして言える。
「あたしは、20年くらい前、火の玉を見ました」
(UFOとか火の玉とか見たというと、友達がいなくなるっていうか、
別の友達が増えそうだったので、ずっと言わないでいた)
どうやら、昆虫界では有名な話みたいなんですけどね。
昆虫学者の故春田俊郎氏は、ある夜、
山でガの採集中に火の玉に出合った。
氏は、(何を思ってか)それを追いかけ、
なんと持っていた捕虫網で捕まえてしまった。
網の中でなお青白く光っているブツをのぞいてい見ると、
なんとユスリカ(蚊の親戚みたいな昆虫ね)の群であった。
なんでユスリカが光っていたか。
それは彼らが、発光バクテリアに寄生されていたかららしい。
ご存じのように、
ユスリカは「蚊柱」と呼ばれるような
大きな集団を作って飛んでいることがある。
この発光バクテリアに寄生されたユスリカの「蚊柱」が
火の玉の正体だというわけだ。
発光バクテリアに寄生されて弱っているユスリカ達の飛行が、
これまた火の玉っぽいのだった。
いやぁ、戦後すぐこんなことがわかってたんですねぇ。
何もプラズマがどうのとか(by 大槻教授)、
そういうややこしい話でもなかったのですねぇ。
こういうことを学校は教えてくれなきゃ。
いやあ、ちょっと感動。
というわけで、ぼくが見たのも光る「蚊柱」だったんすね。

20020724.jpg


2002/07/23(火)
たくさんで遊べればそれでいいのか、という問題

マルチプレーで遊べるゲームということになると、
参加できる人数を、
ついサーバーのハード的限界に設定してしまう
(今だったら、同時3000人程度だろうか)。
そしてもし3000人が同時にこれをやったらどうなるんだろうとか、
そういう想定でもってプログラムを組んだり、データサイズを考えたり、
フィールドの広さやイベントの量やスケールやアイテムの量を設定する。
んが、この人数設定は、
遊び的には正しいのだろうか?とふと思ったというか、
間違いじゃないかと気がついた。
たとえ、マシンスペック的に3000人遊べるとしても、
10人までとしたほうがおもしろいってことがきっとあるはずだ。
サッカーだって、野球だって、
グラウンドの広さとかボールの大きさや数なんかから、
メンバーの数を決めている訳じゃなくって、
あの人数だからこそあの遊びが楽しくなる、
そんなチューニングの結果から決まった数だろう。
たとえ、100人でサッカーできる環境があったとしても、
きっと遊びとしてはつまらないんだろう。
ボードゲームをやっていると、
4人で遊ぶか5人で遊ぶかで全然、
遊びの深さが変わってしまうことをよく経験する。
だったら、
マッシブ・マルチプレーであるネットワークゲームだって、
そのゲームならではのちょうどいい参加者数ってのがあるはずだ。
ついつい、課金とかハードの都合とか、
そういうことばかりで決めがちだけど、これは間違いで、
このゲームの場合、何人で遊ぶのが楽しいのか、
そーゆーことは真剣に考えないといけないんだと思う。
前にも書いたけど、同じ遊びでも、
居間にあるテレビに映しての遊びと持ち歩きマシン上での遊びってのは、
全く違うべきだ。
だから、例え携帯電話のマシンスペックが上がったからといって、
過去のお茶の間系ゲームを移植しても、ダメなんだと思う。
本だって、文庫本と上製本ってのでは読む環境が違うわけだから、
安易な移植ではなくコンテンツを変えるべきなのだ。
ついつい、ハードとか作りやすさとか経済性とか流行とか、
そんなことばかりに注意を向けてしまうけど、
使う人間のこととか使う場のことを第一に考えないといけないんだろう。


2002/07/22(月)
ゴキブリ酒

暑い、暑すぎる。
ここのところ、米のご飯がどうにも重いので、
麺類ばっかりの食事になってましたが、
以下が原因で、
どーやらしばらくそうめんやうどんは食べられない気配。
 ●
数字についで、虫についてたくさん本を読むハメに陥っている。
てなこともあって、
今日は四谷3丁目あたりのお茶できる場所を3軒ハシゴして読書三昧。
(途中、久しぶりにパチンコをしたら、1000円で3箱ゲット!)
おかげでよく読めた。
んが、持っていった本を間違った、っていうか買ったのが間違った。
基本的には興味深い本だったんですけどね、
途中ですっかり参ってしまった。
「虫ずが走る」ってこういう感じなのかなぁ。
いやぁ、夏ばて以上に効いたぁ。
これは誰かに「お裾分け」しないと、
どーにも「虫が治まらない」(笑)。
ってことで、以下、かなりキツイネタもあるので、ご用心を。
(タイトルでダメな人は、絶対読んじゃダメ)
 ●
<レベル1>
「寄生虫館物語」を読む。
この手の本を読むと、
寄生虫学者の人達の感性はどーなってるんだぁ?って
いつも感心したり呆れたりしてしまう。
生の魚や獣を食べると、
寄生虫に感染するおそれがあるので十分に注意をされたし、
ってーのはよくわかる。
そういいつつ、彼らを捜しに、
ウキウキしながら未開地の「トイレ」を探し回れる、その神経って?
っていうか、弁当食べながら検便検査できるってなに?
<レベル2>
サナダムシは長いって話はよく聞いているけど、
ある女子高生のお腹には、合計45メートルの彼がいたって、、、
どーなってるんだぁ。
(8匹合計の長さらしい)
<レベル3>
寄生虫は、本当の宿主の中にいるときには、非常におとなしいらしい。
(宿主が死ぬと自分も死んでしまうので)
ただ、誤って本来の宿主でない生き物に入っちゃうと
(迷入というらしい)、
彼らもパニくって暴れるため、侵入された側も大変なことになる。
だから、本来的に人間に寄生する寄生虫だったら、
大丈夫。ってのはなんとなくわかる。
んが、だからといって、自分の中で飼うっていうのはいかがなものか。
サナダ君くらいならなんとなくわかるが、
皮膚の下を走り回る
(走り回ってるのが皮膚を通して見えるし、こぶができたりする!)
顎口虫(がつこうちゅう)を飼うってのは、どうよ。
しか~も「今ちょうど皮膚の近くに来てますから、
せっかくだから見ますか」
とか言えるその神経やいかに。
<レベル4>
「虫の味」を読む。
これはさまざまな虫の料理法が書かれた本である。
著者は料理人でなく、昆虫学者である。
どういうわけだか、
昆虫学者は自分の研究対象を食べることを当たり前としている。
対象を理解するってことのうちに、
「味」まで含まれているあたりが恐ろしい。
さてさて、イナゴや蜂の子、ザザムシくらいなら食べたこともあるし、
そうはイヤではない。
でも、いくら将来の食糧難対策のためっていっても、
ハエとかゴキブリとかはどーなんだろう。
しか~も、ゴキブリの「刺身」なんて、ぎゃ~~~だ。
(おまけにゴキブリ特有の臭みが口の残るとか書いてある~~)
さらに、シラミを食べるにいたっては、絶句。
プチッ、プチッとか書くな~!
<レベル5 最終>
最後のネタは、今でも、思いだしすだにおそろしい。
虫なら食べるのも勝手にせいとか思える。
んが、寄生虫を食べるって、他人でもやめてほしい!!!
「寄生虫館物語」に出てくる研究者は、
サナダムシの片節(一部)や双口吸虫を食べたらしい。
よく水洗いして臭みをとって、砂糖醤油で煮るって、
きつすぎるんですけど、、、。
 ●
ああ、書くんじゃなかった。また気持ち悪くなってきたぁ。


2002/07/19(金)
下の毛

それにしても、下の毛は神出鬼没である。
どーしてこんなところに落ちてるの!
どーやってここに来たの?って
誰でも1回は驚いていたことがあるでしょう。
これがまた、楽しい発見ばかりだったらいいのに、
その場を気まずくしてしまう発見も案外おおい。
ぼくが今まで経験した中で一番気まずかったのは、
某出版社の取材を受けたとき、女性のインタビュアーの人が、
うちの雑誌はこういうので、こうこうこういう所に載る予定で、、、
なんて持ってきた雑誌をペラペラやってたときに、
開いたページの間に挟まってたときですかねぇ。
どっちかというとお上品というかインテリタイプの方で、
何事もなかったかのように、
それをつまんでお手持ちのハンカチーフにお包みになられたんですけど、
なんか、その稟とした態度がさらに場の空気を凍らせてしまった。
(さすがに、「私のじゃございませんのよ」とか
自爆するような発言はなされなかったが)
関係ないけど、この手のきまずさは、ボクも経験している。
エレベーター内のニオイの忘れ物事件。
あるとき、エレベーターの中に入ったら、
ひどいニオイの忘れ物があった。
窒息しそうなくらいのやつ。
たまらんなぁ、早く下につかないかなぁと思った瞬間、
エレベーターが空いて、女性の方が入ってきた。
瞬間、事態が自分にとって非常に悪いことを悟った。
あきらかに、その人はそのニオイに傷つき、不快な表情をしている。
「いや、あたしのじゃ、ないですからね」
と言いたいところだけど、それは証明不可能だし、
その一言は、
その場で起こっている事態を明確に顕在化してしまうことになる。
だから言えない。
しかし、彼女はボクを疑っているに違いない。
でもボクには自分の無実を証明できない。
それはそれは悔しいやら、気まずいやら。
きっと、その雑誌社の人も、今そんな感じなんだろうなぁと思った。
それにしても、新品の本の間のそのブツは一体誰のモノだったのか。
なんてことを思い出した。
というのも、
実は、さっきビデオデッキがテープを巻き込んでしまったので、
デッキのケースを取り外して、巻き込んだテープを取り除こうとしたら、
そのデッキ内にそれがあったのでした。
あたしの?
じゃないよね。いくらなんでも、そんなところに入るわけないでしょう。
じゃあ、組み立て現場で混入した?
わかりませんけど、やあ、ビックリしましたぁ。
尾籠な話でもすみません。


2002/07/18(木)
ローカルミニマム

ぼくはどっちかというと集中力より分散力
(by糸井重里)のほうがあるみたい。
一つのことをじっくりやると、どーもローカルミニマムに陥って、
くどくなったり、わかりにくくなったり、複雑になったり、
細かくなったりしすぎてしまう。
いくつかのことを平行してやってるときのほうが、
外から見る視点が確保できて、全体像をうまく把握できる気がする。
ということで、今、やっかいなプロジェクトを二つ平行して進めている。
どっちもまじめに一生懸命考えないといけないプロジェクトなので、
この時間(朝の5時)などは、頭がパンクしそうになる。
人工知能が学習を進める際にも、
このローカルミニマム(局所解)の存在が問題になる。
人工知能は、自律的に学習し、学習の精度を高めていくシステムである。
今行った修正(状態の遷移)がイイ線いってたのかどうか判断するために、
たいがいのモデルでは、エネルギー関数を利用して評価する。
つまり修正した状態のエネルギー状態が、
修正前より低ければ学習が進んだと評価するわけだ。
数学が苦手な人向けには、
こういうイメージのほうがわかりやすいかもしれない。
今、あなた(人工知能)は目をつむって平地を歩いている。
平地といっても山あり谷(穴)ありの凸凹した平地だ。
あなたの目的は、穴(エネルギーが最も低い場所)を探し出すことです。
しかしあなたは目隠ししているので、直接地形を見ることができない。
そこで、あなたはこういうことにする。
まず一歩足を差し出してみる。
そこが後ろ足より低い位置になっていれば、
それは穴に向かっていると考えられる。
逆に後ろ足より高い位置になっていれば、
山に登っていると考えられる。
もし、前者ならそのまま足を進め、もし後者なら足をひっこめ、
別の方角に足を伸ばしてみる。
この単純な判断を繰り返すことで、
あなたはどんどん穴の方に進んでいく。
そして、一歩踏み出したところが、
直前と同じ高さになったところに行き着くと、
そこが穴の底、つまりゴールということになる。
ところがここでひとつ問題がある。
この平地、穴が一つとは限らないのだ。
穴が一つなら、今あなたがたどり着いた穴の底がゴールになる。
しかし、穴がたくさんある場合は、
そこが一番深い穴かどうかわからない。
つまりある程度正しい答えかもしれないが、
一番正しい答えとは限らないということになる。
これをローカルミニマム(局所解)問題という。
こうした問題は、人工知能だけでなく、我々にもよく起こる。
ある考えがひらめくと、それがイマイチなアイデアだと自覚できても、
それに取り憑かれて、
新たな発想ができないなんてことはしょっちゅう体験する。
さて、人工知能の場合、この問題をどう解決しているのか。
実のところ、最善策は見つかっていない。
じゃあ、あたしはどうしているかというと、
ローカルミニマムに陥らないように、他ごとを考えたり、
メモリーをゼロクリアーしたりするように心がけている。
これはある意味、人工知能においても有効な手段かもしれない。
ただ、こうした方策は、「逃避」と相性が良すぎることが問題だ。


2002/07/17(水)
オスが求めてメスが選ぶ

生き物の世界っていうか、
有性生殖界では「オスが求めてメスが選ぶ」っていうのが、
セントラルドグマになっている。
メスが選ぶという事情はよくわかる。
ほ乳類のメスでいえば、
卵子の元細胞(卵母細胞)は胎児の段階で一生分作られてしまう
(人間の場合、100万個くらい)。
その後は、卵母細胞は作られない。
胎児のうちに作った卵子を成熟させ、
28日に1個ずつ排出するに過ぎない
(平均すると、生涯でだいたい400個くらいといわれている)。
つまり、卵子は、だいたい20年から40年くらい、
体内に保存されていることになる。
この間に、体内の化学物質やストレスなどの内因や紫外線によって、
卵子内の遺伝子は傷が付くことが多い。
卵子だけで子孫を作ると、
遺伝子にバグを残したままになる危険性が大きくなる。
そこで、精子の遺伝子を使って、
遺伝子の修復を行う(これが有性生殖の意味なのだ)。
精子は成人してから作りだす。
また、精子はだいたい3日くらいの寿命といわれている。
体内に残っていても、賞味期限が過ぎると分解されてしまうか、
強制的に体外に排出されてしまう。
このため、精子の遺伝子に傷がつく可能性は、
卵子のよれよりもうんと小さくなる。
だから、メスがオスの遺伝子を利用して、
子孫の遺伝子の修復をする。
どちらか一方の遺伝子が壊れていても、
もう一方の遺伝子を使えるというわけだ
(両者の遺伝子がたまたま壊れている可能性もあるが、
その可能性はかなり小さい)。
このため、メスは、
より傷の少ない遺伝子(を持つオス)を選ばなくてはいけない。
ところが、遺伝子の善し悪しを直接確認することはできない。
それではどうやって見極めるのか。
よくできたもので、多くの生物において、
遺伝子が優良だと、身体の左右のバランスがいい、
つまり左右の対称性が高いらしい。
すでに蝶々あたりでも、左右の羽のバランスがいいオスのほうが、
パートナーとして選ばれることが多いとのこと。
人間のハンサムなんていうのも、
顔のパーツが左右均等であるってことが
ベースになっっていると思われる。
よく女性が指のきれいな男性が好きという話をきくが、
胎児期の指の発達は生殖器の発達と同じ遺伝子を使っている
(つまり指の発達がいい=生殖器の発達がいい)、
なんてことを本能的に知ってのことなのかもしれない。
ニオイなんてのも、
遺伝子の優良さの何かしらの見極めになっているのかもしれないし、
また逆に、ちび、でぶ、はげといった、
遺伝的トラブルを持ったオスが総じてモテないのも、
こうした事情が影響しているんだろう。
メスは、遺伝的欠陥をもったオスを廃するという消極的な作戦だけでなく、
優秀な遺伝子を持ったオスを積極的に求める作戦も持ち合わせている。
身体が大きい、力が強い、色がきれい、
貢ぎ物が多い(=エサの捕獲能力がある)なんてことが、
遺伝子の優秀さの証となる。
こうしたことは、モテる男の条件と見事なくらい符合している。でしょ?
というわけで、メスは慎重にオスを選ぶ。
さてさて、そんな中、
遺伝子のよし悪しを直接調べられる時代が近づいている。
そんな時代には、オスはいったいどのように選ばれるんだろう。
それはそうと、じゃあ、オスはなんで求めるのか。
この理由はさっぱりわからない。
だれか、あたしの魂の救済の意味を含めて教えてほしいもんだ。


2002/07/16(火)
幸せ太り

雑誌ネタなので、ちょっと怪しいけど、
どうもネコは「幸せ太り」をするらしい。
ネコでも犬でも、最近では肥満ちゃんが多い。
犬の場合は、一気に食べこむ性質があるらしいので、
エサを与えすぎると、食べ過ぎて太る。
それにだいたい、
運動といってもちょっとした散歩ぐらいだから
簡単に肥満になるらしい。
一方、ネコは本来、単独行動でエサをとる習性があり、
持久力がなくって、
瞬発力だけで生きてきたっていう歴史があるため、
肥満にならないよう(瞬発力がなくなるから)、
自分で食べる量をコントロールできるらしい。
たしかに、昔から「ネコ残し」という言葉がある。
ネコは、どんなおいしいものでも
(必要以上に絶対食べないので)、
よく残すという意味だ。
ところが、最近の飼い猫は肥満ちゃんが多いらしい。
エサが高栄養化したことが原因かというと、そうでもないらしい。
室内で飼われているから運動不足が原因かというと、
そうでもないらしい。
(だいたい、ネコが元気に動き回ってる姿ってあまり見ない)
ゲージに飼われながら、たっぷりのエサを与えらても、
ネコは太らないらしい
(そういう「研究」があるのはちょっとかわいそう)。
では何故太るのか、実のところ、よくわかっていないらしい。
ところで、最近の飼いネコで、エサを食べているところや、
ウンチやおしっこをするところを見られても平気であったり、
主人に腹を見せながら寝たりしているネコが増えたらしい。
これは本来のネコの姿ではない。
野生を忘れ、安心しまくっているネコが見せる姿だ。
そういえば、ペット本なんかには、
ネコは神経質なので、トイレをのぞいたり、
ご飯を食べているところをじろじろ見ないように、
なんて書いてあったっけ。
この野生が壊れているネコが、太っていることが多いのだそうだ。
つまり、身も心も安心しきったネコが太る、
「幸せ太り」がネコにはあるらしいということだ。
ちなみに、うちのバカネコは、肥満度1くらいの体型をしている。
うちのネコは、自由に外に出かけられるから、
運動不足ではないはずだし、
特別、高カロリーなものを食べさせているわけでもない。
一方、トイレもご飯も見られても平気である。
っていうか、なでられながらご飯を食べるのが好きである。
また、腹を見せ、よだれを垂らしながら寝ているし、放屁もする。
だから、たしかに幸せ太りってあるかも、とか思った。
ちなみに、人間の女性も幸せ(とくに食べ物的快楽)と
脂肪の蓄積率には関係がある、
なんて記事も読んだことがある。
なんか、生理的なつながりがあるんでしょうね、幸せと太ること。
太っている人が幸せそうってのも、
単に外見上の問題ばかりじゃないのかもしれない。


2002/07/12(金)
円高

郵政三事業法案問題が、なし崩しで決着されたのを見て、
「これはもう日本はダメだ」と思ったボクは、
ある日の深夜、銀行の預金を全てドル建てにしてしまった。
今までなら、
円預金をドル立ての預金にするのは銀行(の2階)に行って、
めんどう(そう)な手続きをしなくてはならなかったけど、
今ではインターネットを使って簡単に、
しかも何時でも手続きできてしまう。
てなことで、
そういう方面に対して全くものぐさなボクでさえ、
簡単に手続きできてしまう。
てなことで、めんどくさいので、
月々の振り込みなど分を残して全部ドル建てにしてしまった
(と書くとたいそうな額に聞こえるけど、ぜんぜんたいしたことない)。
これはボク的には「日本よ、さらば」という決意だった。
こんな無策な政治家たちには、日本の復興は望めない。
おれは経済的にはアメリカの子になる!
と思った次第。
一応、虎の子をあずけるわけだから、
それなりにタイミングを考えた結果だ。
それまで1ドル124円台でウロウロしていたが、
日本経済の底入れの兆し(からか)、徐々に円高が進行。
おおかたの(ホントあてにならん)経済評論家の
「1ドル120円が円高の歯止めの目安になるだろう」
という言葉を鵜呑みして、
1ドル121円というタイミングで振り替えた。
そのとたん、エンロンについでワールドコムの不正監査疑惑が浮上。
アメリカ経済のあやうさというか
病んでいる面を見せつけられることになる。
(って、ボクが、そういうことに暗すぎただけなんだけど)
1週間ちょいで、円高が急激に進む。
おまけに、
ボクが想像してた以上に頭が悪かった日本政治家(しおじー)が、
誰がどう聞いたって
「1ドル115円ですね、歯止めは」的発言をするに及んで、
1ドル116円まで円高が進んでしまった。
つまり円<>ドル振り替えの手数料を含めると、
ボクは1ドルあたり7円の損をしたことになる。
はっきりいってシャレにならん(涙)。
こう低金利な時代、預金金利より為替差益のほうが大きいなんて、
簡単な話じゃないんだなぁ。
こういうことはもっと、緻密にこまめに慎重にやらんといかんらしい。
だいたい、インターネットでそういうことをしようなんてする人
(=めんどくさがり屋)が、
為替で遊ぶ(=こまめで慎重な人でなくてはならない)なんてことが、
そもそも矛盾しているのだ。
と高い授業料を払って学んだ。
ちなみに、今更円に戻せないので、
さらにドルを定期預金に切り替えてしまった。
6ヶ月後、相場がどうなっているか楽しみ。


2002/07/11(木)
台風

朝起きたら、函館は横殴りの雨。
これはやばいと夜発の飛行機を
午後一の便に変更して戻ってきました。
案の定、本来乗るはずだった便は欠航になっていた。
あぶないところだったですだ。
そうそう、飛行機が雨雲の上に出ると、そこには青空があった。
よく考えれば当たり前のことなんだけど、
ちょっと感動しり、人生訓にも感じるとか思った。
「ほら、この雲の上には、いつも青空があるんだよ」
とかいうフレーズをすがしかおにプレゼントしたくなった。
 ●
今回の台風で実家の近く、大垣あたりで揖斐川が決壊してた。
実家より下流なので心配することはないだろうけど、
大垣で思い出したが、岐阜県民しかわからないなぞなぞを思い出した。
1~~つ。
Q1:「王が来た高校知っとるか?」
2~~つ。
Q2:「岐阜人は、マクドナルドのハンバーガーを
    一つしか食べられません。
    なぜでしょう」
(答えは最後)
 ●
台風が来ると、お約束のように、川や海にさらわれる人がでる。
(元旦の餅をのどにつまらせる事故と同じ)
みんな「なんでわざわざ台風の日にそんなところに行くかねぇ」
とあきれるけど、
実はぼくもそういうことをしたことがある。
中学生のとき、増水した揖斐川を自転車で横切ろうとしたことがある。
増水していないときには何度も成功していたので
(普段30cmくらいの深さしかなかった)、
なんとかなるだろうと思ったのだ(と思う)。
しかし、問題は深さより流れの速さなのだ!と思ったときは遅く、
自転車もろとも流された。
結局、自転車は流されてしまって、自分だけかろうじて岸に戻れた。
死ななくてよかった。
(後日、自転車は盗まれたと親に報告した)
だから、流されてしまった人というのには、
ちょっと同情というかシンパシーを感じる。
台風って、どうしてこう人をワクワクさせるんだろう。
困ったモンだ。
台風ニュースもず~っと見てるもんね。
今も、台風が東京上空を通らなかったことを残念!
なんて不謹慎なことを思っていたりする私。

<答え>
A1:「大垣北高校」
A2:「まぁ、くどなると」。。。「まーくどなるど」


2002/07/09(火)
今日は北海道

ゲームにAIを利用したことは、
ゲーム業界では誰もほめてくれないけど、
人工知能業界では少しだけほめてもらえている。
そんなことや、工学系の学生がゲーム好きであり、
(なんとこのご時世に)ゲーム業界入りなどを夢見ているとか、
そんなことが関係したりして、
今日は北海道は函館未来大学で、
AIやらゲームやらの話をしに行ってきます。
AIはネットワークと絡むことで、
再びおもしろくなる可能性があるとか、
ゲーム業界は今や斜陽産業なので来ちゃダメとか、
そんな話をしてこようと思っている。
人前で話すことは苦手なんで、
ふだんはこういう依頼はお断りしているんだけど、
北海道=新鮮な魚=今はイカが旬!
と食い意地にまけてお引き受けしてしまった。
以前、函館に釣りに行ったとき、
アルコール処理されていないウニを食べて、
すっごく感動したこととか思い出したりして、
もう頭の中は寿司ネタのことでいっぱい。
講演?+朝起き+飛行機<魚。
明くる日は、空港からほぼ日事務所に直行。
任●堂がらみの秘密の催しがあるので、それに参加する予定。
これも楽しみ。
というわけで、そろそろ起きる時間になってしまう~。


2002/07/08(月)
やめてはいけないゲーム

ネットワークゲームでは、
サービスイン(発売)後のサービスが必須となる。
なぜならば、ソフト(ROM)の代金以外にも
毎月の課金も大事な収入となるからだ。
飽きないで何ヶ月も継続して遊んでもらうためには、
次々とあたらしいサービスをしていかなくてはならない。
とまあ、こういう事情なわけである。
といっても、どんなにがんばっても、発売後、
参加者は少なくなっていく。
一方、サーバーを維持していくためには、一定のコストがかかる。
参加者が1人でも1000人でも、コストはそうはかわらない。
月々の収入は減っていく一方で、コストは一定。
つまりどこかで収支が必ず逆転することになる。
サービスイン後のサービスの追加は、「延命措置」に過ぎない。
となると、いつやめるかが問題になる。
この問題をうまく解決したソフトはあるんだろうか。
今までの売りきりのゲームではあり得なかった問題だし、
ネットワークゲーム自体の歴史も浅いので、
誰もまだイイアイデアを出せていない気がする。
今のところ、
ともかくユーザーを逃さないようなアイデアを
出すことばかりに力をそそいでいるけど、
これはまずい気がする。
問題の先送りをしているだけの気がしてならない。
サービスを開始する前に、
どうやって終わるか、しっかり計画を立てておく必要がある。
じゃないと、寂しい終わりしかないことになってしまう。
逆に永遠に終わらない
(人気がなくならない)ゲームを作れば幸せかというと、
そうとも言えない面がある。
永遠にサービスを続けると言うことは、
そのゲームに生涯をかけることになる。
これでは次のチャレンジができないし、だいたい飽きるだろう。
というか飽きてほしい。
(どんな遊びだって、やりつくされて飽きられるのが正しいと思う。
だからこそ、新しい遊びが生まれるからだ。
なんて心配しなくても、必ず人は飽きるんだけどね。)
となれば、長くユーザーが遊んでくれるってのも、
考え物だということになる。
期間限定にするという手もあるけど、
発売してからずいぶんとたってからソフトを購入した人はどうする、
という問題がある。
となると、発売後、
ソフトの値段をどんどん下げていくなんてのも
考えるべきなのかもしれない。
賞味期限が短くなった食品が値引きされるように。
でも、弱気なソフトに見えるかもなぁ。
むつかちー。


2002/07/05(金)
結線力

ほぼ日の本「海馬」は、ホントおもしろいです。
ジャンルとしては、大脳生理学なんでしょうけど、
そう言うことに知識のない人、
興味のない人にも十分に楽しめる本です。
んで、おもしろかったですメールを出そうと思って、
なにがそう自分にはおもしろかったんだろうと、
頭の中を整理してたんですけど、
新しい事実とかっておどろきじゃないんですね。
新しい解釈、理論、哲学ってのともちと違う。
日常にそった話の展開だからという本人達のウリとも違うなぁ(笑)
(ボク的にはね)
じゃあ、なんだろうと考えてみたら、
点の集合じゃなくって、
点と点を結ぶ線が書かれていることだろうな、とおもいました。
科学本は、通常、科学的事実を系統立てて書いていかないと、
正しいものでなくなってしまう。
プロの人たちは、正しくないものは商売上書けないし、
正しく並んでいることがわかりやすいことであるという
科学者らしい考えも持っている。
しかし、事実(点)が正しく配置されている本は、
つまらないってことも少なくない。
ぼくら素人にとっては、
全ての「点」がおもしろいわけじゃないし、
全ての「点」を理解したいわけじゃないですからね。
自分の気に入った点だけを読み散らかしたい。
(所詮、娯楽のいっかんだから)
そうなると、全部の点がもれなく、
正しく並べられているっていうのは、
逆にありがた迷惑になることすらある。
まず「海馬」にはこれがない。
っていうか「点」の数も相当少ない。
なぜならば、ホストの糸井さんが、
上のような素人根性丸出しで質問しているです(笑)。
代わりに「海馬」には「線」が見えます。
普通の科学書にも線は見えるのですが、
それは容易に想像がつく結線であって、
そこには驚きがない。
それに対して、「海馬」では、
普通の科学書では結ばれないような点と点を
「あ、ここつながりますね」ってな感じでつなげている。
ここでも、イイ意味の素人っぽさと持ち前の勘の良さが生きている。
糸井さんがむすんだ幻の線を池谷さんがきちんと実線にしている。
「あ、そことそこ、結びますか」と言った具合に、
二人で編み出したその線たちの模様がぼくには新鮮に感じられた。
そんなところじゃないかと思った次第です。
科学にかかわらず、大事なのは、知っている点の数ではなく、
線で結びつける力だと思います。
クイズ王じゃあ、偉大な発見や発明はできないのです。
するどいなぁと思う人って、
誰もつながるとは思っていなかった点をつなげてしまう、
その結線力がすばらしいってのありますからね。


2002/07/04(木)
嫉妬

自分の中にわき上がる情動のうち、
もっともやっかいなものの一つに「嫉妬心」がある。
岸田秀によれば
「嫉妬とは、自分にもそれを得る権利があると思っている事象を、
自分が得られないで他人が得ているという
状況になったときにわき上がる感情」みたいなことらしい
(なにせ20年近く前に読んだので、精度は怪しい)。
ここでポイントとなるのは、
「自分にもそれを得る権利があると思っている」ということは、
客観的な事実である必要はなく、
権利があるという勝手な思いこみでいいということだ。
誰だって、ある程度、
セルフイメージが実際の自分より拡大しているので、
誰だって本来の自分以上に、嫉妬してしまうということだ。
セルフイメージが異常に拡大した人や万能感に満ちている人は、
「あ、それホントなら俺にもできたはず、得たはず」
と思うことが多いから、
その分、嫉妬心がわき上がることが多くなる。
嫉妬心は、誰にとってもチクチクした不快な情動だし、
カッコワルイ情動であるので、
そういう気持ちがわき上がったことを素直に認めることは、
なかなかつらい。
そのため、嫉妬の対象のアラを探して、
そこを批判すること(攻撃すること)で、
嫉妬心のエネルギーを解消して、
そういう自分の中の認めたくない
情動はなかったかのようにしようとする。
こうした心の防衛は誰にでも起こることだ。
誰だって、
セルフイメージが実際の自分より少しは拡大しているので、
本来(第三者からみたら)
そんな権利がない対象に対してだって、嫉妬する。
ぼくらはいつも嫉妬し、その気持ちを隠そうとしている。
嫉妬心が起こることを押さえるのは、
われわれ凡人にはむつかしいけれど、
嫉妬している自分を素直に認めることは、わりと簡単にできる。
ぼくは、このことだけは注意をしている。
嫉妬の対象は、だいたいは同業者
(と勝手に自分が思っているだけの相手も含めて)
の作品に対してだけど、
嫉妬心を認めたくないがために、無理な批評をしたり、
無視したりしては、
自分のクリエイティブに対する感覚を狂わせてしまう。
嫉妬した対象を素直にほめるのは難しいので、
そんなときは「嫉妬しているんで、素直にほめられない」
と言ってしまうことにしている。
こういわれた相手は、だいたいほめ言葉と取ってくれるし、
あっさり「負け」を認めたに等しいので、
けっこう素直に「よ~し、おいらも頑張る」
という気持ちに持っていける。
また逆に、しょうみ、嫉妬心がわかないときがある。
ボクの場合で言えば、
マンガはすっかり嫉妬の対象からはずれてしまった。
誰の作品でも、素直におもしろいと言えてしまう。
それはきっと、
ぼくがマンガという土俵からすっかり
降りてしまったということなんだと思う。
いちファンという立場になってしまっているので、
「自分にもそれを得る権利がある」
なんてこと思わないと言うことなんだろう。
と考えれば、それに嫉妬をするってことは、
まだその道で「生きている」ってことの証なのかもしれない。
と思うことにしている。

岸田秀の「嫉妬の時代」(青土社)

ps:
それはそうと、今日もツボにはまってしまった
(いつも朝方のヘロヘロな時間にこれを書いているので、
こういう直球にはまってしまうのだろうか)

20020704.jpg


2002/07/03(水)
プライベート・エンジン

みんなきっとそうだと思うけど、
ネットサーフィン(45?)って何回か山が来ると思う。
ボク的には3回目か4回目の山を迎えている感じ。
今回のマイブームが始まった要因としては、
常時接続、ブロードバンドという通信環境の整備と、
googleの出現が大きかった気がする。
そういやあ、
ちょっと前まではじっくり読みたいページなんかに行くと、
一回回線切ってたりしたなぁ。
音やでかい絵が貼ってあったりしたページは、
失礼な!って思ったっけ。
アニメーションなんかあったりしたら、ゆるさん!と思ってたし。
そうじて、時間と通信費というコストがかかりすぎていた。
それが一気に解決した。
とくに、なにもしないでタダじ~~~っとしていた時間が
大幅に少なくなったのがありがたい。
これで見る気を取り戻した感じがする。
行き先にしても、
それまで見つけようのなかったページにも簡単に行けるようになった
(物理的な可能性としては、
googleの出現以前でもあったっちゃーあったのだが)。
こうなると、残すところ、
じゃあどんなところに行ってみたいの?>おれっていう問題になる。
どっかおもしろい所を見つけたい、
なんかおもしろい経験してみたいっていう欲求はあるんだけど、
じゃあ、何が見たいのか、
何をおもしろいと思うのかと言われると、
漠然としててうまく説明できない。
(これって、買い物の欲求と同じやねぇ)
ということは、自分では見つけに行けないことになる。
捜し物はどこにあるかということには、
googleがすばらしい助けになってくれるが、
「捜し物はなんですか」ってなると、
助けてくれるパートナーがいない。
ここらあたりかなぁ、これからほしいのはと思った。
向こうから「これどーです」とアピールしてくれるってのが、
一番簡単な方法なんだろうけど、それってちょうーうざい気がする。
となると、自分のことをよく知った誰かに
探してもらうとかしないといけない。
この人とは感性が合う、そういう人の紹介ってのもあるかもしれない。
(おすぎのおすすめ映画みたいに)
ただ、それだと全員の欲求(場合分け)には対応できないし、
自分自身にジャストフィットした紹介もむつかしい。
となると、プライベートサーチエンジン的機械(AI)式
エージェントがほしくなる。
また、逆に、HPを作っている側からすると、
どうやって見に来てもらうかが大きな問題としてある。
広告をうつわけに行かないし、
知り合いにリンクを貼ってもらってもそうは広がりはしない。
そうなると、これまた、
プライベート宣伝エンジン的機械(AI)式エージェントがほしくなる。
こうして、ご主人様が仕事をしてたり、寝てたりしているとき、
探しているエンジンや見てほしいエンジンが、
インターネット空間上をかけめぐり、
出会いながら、探しているモノ同士や見てほい者どうしが情報交換したり、
探している者と見てほしい者が相性バッチリな相手を見つけたり、
そういうロボット出会い系みたいなことがあるとおもしろくなるかも。
下手なゲームを遊ぶより、
プライベート・エンジン育てたりしたほうがおもしろいかも。
とか思った。

ps:
いかん、今日もツボにはまってしまった

20020703.jpg


2002/07/02(火)
もろもろ

人間のパターン認識っていうか連想記憶って、
不思議というかよくできているというか。
やまりん社長がやりまん社長に読めたと思った瞬間、
そういうスケベな社長の顔までイメージできてしまうんだからすごい。
うこんがうんこに読めたー日にゃ、あの黄色の固まりが、、、

imodeで2000文字までのメールを
受信できるようになったというんで、
さっそく設定を変えたら、これが大変。
2000文字のメールは、
250文字のメール8つに分割されてくるというのが、
こんなにウザイとは思わなかった。
午前2時のメールピーク時、
連続8通メールが何回も届いたものだから
(仕事のメールは携帯に転送してるのだ)、
まじ、携帯が(バイブレーションで)壊れるかと思った。
ということで、すっかりもとの250文字受けに戻した。

え~~と、無断転載です。
連絡の取りようがないので許してください>ゆうゆうさん
世の中には、無料でデータをアップロードさせてくれるサイトがあって
(さすがにURLを公開するのをやめます)、
友達同士のデータのやりとりの場に利用されています。
ここにアップされているデータ(主に画像)は、まったく無分別です。
エロやグロやら、この間の旅行の写真やら、
富士の絶景やら自慢の車やらコラージュやら、
そんなのがカテゴリー分けされないままアップされています。
ここではアップしたファイル名は、
アップした時間による機械的な名前
(例えば20020702000540.jpgとか)になっているので、
実際に見てみないとどんなグラフィックかわからない。
唯一、アップした人のハンドルネームとアップしている時間
(深い時間ほどいかがわしい画像であることが多い、気がする)
が手がかりとなるんですが、
そういうのを手がかりに、
まるでくじ引きでもするように絵を開くのが、
ちょっとした楽しみになってしまっています。
※当たりはずれが大きいというか、
大変ショッキングな写真があったりするので、心臓に悪いですし、
ホント気分が悪くなることもあるので、
あまりというか全然おすすめできない遊びです。
んで、そこでおもわず笑ってしまったのがこの写真
(「直球」なんですけどね、なんかツボに入った)。

20020702.jpg

2002/07/01(月)
さっさと仕事に戻れ

「さっさと仕事に戻れ、愚図ども」
というカーンの声が聞こえてきそうだ。

なんか、カーンがゴールを許した瞬間って、
ウルトラマンがゼットンに
負けたときのようなショックがあった。
って、にわかファンなのに。

さあてと、次、何か楽しくなりそうなことないかなぁ?
って、これって典型的なにわか道じゃん。

ほっておいた巨人の応援にもどるか。




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