人間風車

2002/08/30(金)
小学生が青ざめる時期

そろそろ、小学生は青ざめている頃だろう。
今週末が「やま」だろう。
週末は、一家総出のイベントになるだろう。
ぼくも、小が生の頃、この時期はブルーだった。
毎週日曜日の夜の「日曜洋画劇場」のテーマ曲が
聞こえるとブルーになったように、
甲子園大会の決勝がはじまると、ブルーになっていた。
小学生の夏休みは、
虫取り→ラジオ体操→朝の夏休みアニメ劇場
→お昼ご飯→水泳→昼寝→野球→‥‥ととても忙しい。
宿題なんかやっているヒマはないのだ。
少なくとも毎日は無理!
だいたい、毎日宿題をやることがどうしてそんなに偉いのか、
「毎日」ってとこに重きを置かれているのが、げせなかった。
(ま、一日でもイヤだったんだろうけど)
ぼくはとうとうダメだったなぁ。
毎年やっつけだった。
何年生のときだったか忘れたけど、
読書感想文の宿題をやる時間がなかったので、
ちょうど読んでいた
(たしか千葉てつやかなんかの)読み切りマンガについて、
さも伝記小説かのような感想を書いたら、
「県の作文コンクールに出すので、先生も協力する。」
「ついては、その「本」を先生にも読ませない。」
てな話になって、ばれてしまいすごく怒られたことがある。
 
もし、ぼくが小学校の先生だったら、
「夏休みの宿題は、毎日の日記です。」
「しか~し、それはラスト3日間で仕上げなさい。」
「毎日書いてはいけません。」
「ラスト3日間で、
しかも毎日書いてたみたいにばれないように仕上げなさい」
そういう宿題を出す。
だいたい、社会に出ると、
毎日自分のペースでコツコツやれる機会なんてほとんどなく、
尻かっちん、やることいっぱい、でも時間なし!
って状況で、いかにすばやく仕事を仕上げるか、
いかに優先順位をつけるか、いかにごまかすか、
(できなくて)いかに言い訳するか、いかに謝るか、
いかに消えるか、そういうことのほうが多いのだ。
そういう修羅場をくぐり抜ける力のほうが、
毎日コツコツやれる能力より、ずっと大切な能力なのだ。
夏休みこそ、そういう能力を身につける絶好のチャンスなのだ。
さて、ラスト3日間で日記を仕上げるとなると、
インターネットの活用は必須である。
まずは、日記のお決まり、その日の天気を調べなくてはならないので、
夏休み期間中の天候記録があるサイトを探す。
次にネタとなるイベントがないといけないので、
ニュースサイトを調べて、全国的な事件を調べ、
それについての感想を書く。
たまに、ローカルなニュースを織り込んだ方がもっともらしさが増す。
それだけだと、どうも自分の日記という感じがでないので、
自分的イベントが必要だ。
天候をよくチェックし、海に行った、山に行ったというイベントは必須。
住んでいるところ付近の有名な行楽地を検索するとともに、
例年の渋滞情報などもゲットしておいて、
「パパの車が渋滞につかまり、家に帰るのに3時間もかかった」
などと書けるといい。
絵日記であるなら、
google imageで夏の主要イベントの
グラフィックをゲットして参考にするといい。
しかし、3日間という期限では、
それでも全日を埋めることはむつかしいかもしれない。
そんな場合は、書くことができなかった日を設定するしかない。
そのネタとしては、
夏らしい病気(食あたりや夏風邪)なんかがいいだろう。
ただし、もし、そういう病気にかかったことがなかったのなら、
どのくらいの症状なのかを調べなくていけないし、
どのくらいの頻度でその「ネタ」を使えるのか、
発症頻度あたりまで調べておく用心さは必要である。
このくらいやれば、実社会で「役に立つ」夏休みの宿題になると思う。

ps:
「水と太陽だけで404日断食」(yahoonewsより)
ほんとうかぁ。
水と太陽だけで404日断食しているインド人がいるそう。
ぼくが行ってた断食道場の人は、
人間は20何日か絶食すると死ぬとかいってたけどなぁ。
水と太陽だけで1年以上なんて、植物じゃないんだから(笑)。
それはそうと、
"水と太陽の光だけで1年以上も生き延びた男性の生体調査が、
火星などへの有人飛行の道を開くのでは、と期待をこめて伝えている。"
ってのは、そういうもんかぁ(笑)
ちなみに、昨日のヤモリネタでも、
火星探検用ロボットに応用が、とか書いてた。


2002/08/29(木)
やるなぁヤモリ

この間、夜中のファミレスで、
ヤモリが窓をはいずっているのを見つけた。
そういやぁ、以前住んでいたマンションは、よくヤモリが現れた。
どうも、カーテンのない窓だったので、夜中には虫が集まってきて、
それを狙ってヤモリが集まってきたらしいんだけど、
窓に(裏向きの)ヤモリシールが
いっぱい貼ってあるみたいでおもしろかった。
ヤモリが蛾を食べると、透けた腹の中に入っていくのがよく見えた。
そんときは、なぁんも不思議に思わなかったんですけどね、
ヤモリがガラス窓にぴったり張り付いていられるのって、
吸盤がついているとか、そんな簡単な仕組みじゃなくって、
えらく複雑なというかアカデミックな仕組みだったんすねぇ。
(以下yahoonewsより抜粋)
ヤモリは、手足の裏側に、長さ0・1ミリの剛毛が何百万本も生えており、
その先端はさらに細かく分かれた独特の構造を持っており、
このブラシのような剛毛の先端と接する(ガラス)面との間には
「分子間力(ファンデルワールス力)」
(極めて接近した分子が結合する時に働く引力)が作用し、
一時的に両者をくっつけるという仕組みらしい。
ちなみに、この力は、
剛毛1本でもアリ1匹を持ち上げられるほど強力なのだそう。
それにしても、
ヤモリはどうしてガラス面を歩けるまでの「力」を身につけたんだろう。
人間がガラスを発明するまで、
自然界はそんなにスベスベな面ってなかったとおもうけど。
っていうか、
こういう素朴な疑問(ヤモリはなぜ滑り落ちないか)って、
いまだに研究対象としてあるのね。

全然関係ないけど、
macのMP3プレイヤーipod(http://www.apple.co.jp/ipod/)を
「大人のゲームボーイ」として使いたい運動をおこしたい。
詳しいことはわからないけど、ipodは、
アドレス帳とかスケジュール帳としても利用できるらしいから、
簡単なゲームなら作れるんじゃないかなぁ。
ハード的にも、MP3プレイヤーとしては必要ないくらい、
いろんな操作ができるジョグダイヤルがついているし、
ビジネス的なネックだったmac用ハードってことも、
今度windows版が出るから解決。
大きさといい、デザインといい、
大人のゲームボーイ(Adult GameBoy)としてはもってこいなのだ。
少なくとも、あたしはほしい。
一応、一緒に作ってくれる勇士を募集しておこうっと。

さらに、今日という日をメモリーしておくために。
「吉田ぁ!偉い!すごい!感動した!」
武道の魂を失ったと言われる柔道だけど、極めた人の柔道は強いのだ。
(中高と柔道部だったので、柔道びいきな私)


2002/08/27(火)
精子の数

1回のアレで出動する精子の数は1億~4億匹と言われている。
以前から、どうしてそんな大勢が必要なのか不思議でしようがなかった。
よくいわれるのが、
競争に勝った優秀な精子だけが受精の権利を得る。
っていう説明だけど、これはおかしい。
陰嚢内で、精子同士が生存競争でもしていれば別だけど、
そんなぁことはない。
ただただ、作られて貯められる(使わなければ分解される)のみで、
精子の優劣を決めようなんて仕組みはない。
出撃!となれば、作られた順に出撃するのみであり、
出撃メンバーが選ばれているわけではない。
たしかに、「大海」を泳ぐ力、酸に対する強さなどは、
精子毎に優劣があるけど、
それはあくまで卵子にたどり着くまでの精子自体の能力であって、
肝心の持ち物(DNA)の優劣とは関係ない。
(また、最初にたどり着く、着かないは、
ほとんど運であるといわれている)
となると、いくらなんでも、
1億匹が出撃する必要はない気がする。
ひょっとすると、100匹作るのも1億匹作るのも、
さしてコストが変わらないのかもしれない。
(たしかに精子の構造は簡単だ。
片道の燃料を積んだ特攻機みたいなモノだ)
だからといって、宇宙一倹約家の神様が、
そういう無駄なことをするとは思えない。
(実際に、10%程度の数でも十分に妊娠できるらしい)
じゃあ、どうして1億匹も一斉に出撃させる必要があったんだろう。
とず~~っと不思議だったわけ。
ンで、最近読んだ本で、
なるほど!それはもっともらしいというアイデアにでくわした。
精子は、身内の競争のためにあんなにたくさん出撃するわけではなく、
他のオスの精子との戦いに勝つためだというのだ。
といっても、我々人間では、よほどのことがないかぎり、
他のオスの精子と1人の女性の卵子を奪い合うなんていう状況はない。
(考えるだにおそろしい状況!)
これは、どうもまだ我々の祖先が水中にいて、
メスが産んだ卵にオスが精子をかける、
そんな時代のなごりだというのだ。
たしかに、鮭の産卵のシーンとかを見ていると、メスが産卵するやいなや、
たくさんのオスが我先にと精子をかけている。
そんな場合、自分の精子が勝つためには、
「物量」に頼らざるをえないだろう。
(一瞬のできごとなので、個々の精子の能力が関係するヒマがない)
そうした戦略のなごりだという説だ。
魚、あるいは両生類の時代のなごりが、そのまま残っているものなのか、
そのあたりはちょっと???だけど、
他のオスの精子との競争のための対策であったというのは、
なるほどなぁと思った。


2002/08/26(月)
ネコ先生

ネコは、1日平均16時間くらい眠るらしい。
ちょうど、人間と逆なわけだ。
人生の2/3を費やしているわけだから、
彼らにとって眠ることが人生(猫生)にとって、
もっとも大切な営みなんだろう。
私たちが起きている時間を充実してすごせるように、
睡眠を大切にするのとは逆に、
彼らは、充実した睡眠を得るための、運動であり、食事である。
もし、我々人間も16時間くらい眠らないと
生きていけないような動物だったとしたら、
生き甲斐より寝甲斐のほうが重要視されただろうか。
 ●
バスプロの河辺さんは、バス=ネコ説を唱えている。
確かに、ネコをじゃらすのとバスをルアーで誘うのは似ている。
うまく、生き物らしく動かさないと反応してくれない。
元気な生き物的な動きをしてもいけない。
捕まえるのが難儀そうな生き物は獲物にならないのだ。
また、大きすぎたり、ちいさすぎたりしてもいけない。
瀕死、あるいは油断している動きをした、適切な大きさのものしか、
獲物として反応してくれない。
いる場所なんかも似ている。
いる場所もたえず快適な場所でなくてはならない。
ネコは、夏場風通しがよい、木陰を好むが、バスも流れ込みがあったり、
わき水がある水通りがよい、藻のまわりや物陰に潜んでいる。
だから、夏のネコを観察していると、
ちょっとバス釣りがわかった気になる。
 ●
そうそう、
夏ばて防止は栄養のあるものをよく食べることなんて言われるけど、
夏のネコを見ていると、ちょっと疑問だ。
夏のネコは、ともかく食べない。
ついでに、冷たいモノ(ミルク)も飲まない。
きっと、夏場は無理して何かを食べると、
胃に負担をかけたり、雑菌のリスクがあったりして、
かえって、リスクが高くなるからだろう。
だから、ぼくも見習って、
この夏はいつものように無理に精をつけるような食べ方はしなかった。
(うなぎも結局たべなかったなぁ)
おかげで俄然調子がいい、なんてことはないけど、
別段、調子が悪いって事もなかった。
 ●
ま、ともかく、ネコはともかくイイお手本になりますね。
教えれらること多いっす。


2002/08/23(金)
法医昆虫学

唐突に。
ちょっと古い本になるけど「死体は語る」は、おもしろいですよ。
(というと被害者の人には申し訳ないか)
例えば、夫婦で焼死していたことがある。
検死官は、その状況(重なり具合だったけかな)を見て
夫の方がちょっとだけ早くなくなったと判断し、
そのように報告した。
これが問題になってしまった。
夫婦には子供がいなかったので、
夫が死んだ直後に夫婦の財産は全て妻に移った。
(もっとも、その後すぐに亡くなってしまうので、
法律の上の解釈としてだけだが)
そして、妻が死んでしまう。
この夫婦には子供がいないので、
妻が受け取った夫婦の財産は妻の親のものとなる。
と法律的な流れではそうなるらしい。
これに、夫側の親が怒った。
つまり、夫婦が同時に亡くなったとすれば、
両方の親が財産を受け取れたのに、
ちょっと細かく報告したために、
そういうややこしい事態が発生してしまったのだ。
今読んでいる「死体につく虫が犯人を告げる」も、
なかなかおもしろい。
(あ、死体つながりで読んでいる訳じゃなくって、
「虫」つながりで読んでいるんですからね)
死体につく虫というのは、いろいろな種類の虫がいて、
来る目的も違えば、たずねる「場所」も違うし、
たずねる時期も違うらしい。
(ちなみに、最も早いのはクロバエの仲間で、
仏様になってから10分以内でやって来るらしい)
こうして、死体が見つかったとき、そこにいるた虫の種類や、
その虫の成長段階を調べることで、
その仏様が死後どのくらいたっているか、
どこで亡くなったか(その場所場所で固有の虫がいるので、
ある程度、別の場所で殺害して運んできたとかがわかるらしい)、
殺害方法はなにか(傷口にたかる虫の種類からわかるらしい)、
とかがわかるらしい。
こうした学問を「法医昆虫学」というらしくって、
立派に確立している検死術のひとつなのだ。
って知ってたですくぁ?
いやぁ、ちょっと気色悪いけど感動した。
それにしても、この本でも、
楽しみながら仏様からの昆虫採集している描写が多く出てくるんだけど、
どうなっているんだろうね、この人達の感性は(笑)。
と、最近、こういう話ばかり自慢げに話すので、
きっと周りの人は、
ボクのことを同じようにあきれられているのかもしれない(やばい)。


2002/08/22(木)
ただダウンロード

ダウンロード販売にするか、パッケージ販売にするか、
pcゲームの場合だと、そのどちらの売り方もありうる。
どちらも、一長一短であり、どちらが優れているってわけではない。
ダウンロード販売にすれば、
パッケージ、ROM制作のコストが抑えられる。
また、流通コスト、小売りのマージン分のコストも削れる。
在庫に悩むこともない。
年中無休、自分の家で買える。
バグが出たなどの最悪の場合、データの更新が容易である。
ただ、データ量はかなりになるので、
ADSL以上の通信環境を持っていないと、
ダウンロード時間がとんでもないことなる。
また、発売と同時に多数の人が手に入れる
(ダウンロードする)のもむつかしい。
なによりも、モノとしては何もないっていうのが寂しい。
(実は、ずっと自分のゲームはパッケージの制作まで深く関わってきた。
 基本的にはそういうブツが好きなのだ)
コピープロテクトもパッケージよりはむつかしくなる。
また、ずいぶんとそうではなくなってきているだろうけど、
基本的に、日本人は無形のもの(ソフトとかアイデアとか)に
お金を出すことにあまり慣れていない。
パッケージなら、
抵抗のない額でもデータ「だけ」に同じだけ払えるかというと、
ちと不安になる。
一方、パッケージ販売はブツとしての楽しみはある。
作ったぁ~~という気分になれる。
ただ、上のコストや在庫リスクの問題は頭が痛いし、
昨今の不況下で、
有名ゲームでないゲームを小売りが買ってくれるかという問題もある。
仮に置いてくれたとしても、
ぼくらがユーザーとして望んでいる人たちが、
pcゲームコーナーに行くとは思えない。
となると、ほぼダウンロード販売のほうにアドバンテージがありそうだ。
基本はダウンロード販売、もしブツとしてほしいという注文があったら、
そのたびにオンデマンドでブツとして販売というハイブリッドでいくか、
ダウンロード後、+αでノベルティーみたいなのが
買えるとかでもいいかもしれない。
もしくは、本屋に置かない資料集とか。
それだったら、かえって、
受注後生産の手作りっぽいアイテムのほうがよかったりもするかもしれない。
ただ、ぼく個人としては、さらに「無料」ダウンロードを提案したい。
あるいは、1パッケージに5枚のROMが入っているとか(笑)。
ネットワークゲームなので、課金サービスに入らないと遊べない。
だから、極端な話、アプリ自体はタダであってもいい。
(もっとも、課金サービスだけで採算を合わせるにはかなりきついのだが)
コピーされまくってもいい。
むしろ、かっってにコピーしてくださいとする。
雑誌の付録になっていてもいい。
他のソフトに無料でバンドルされていたっていい。
道ばたに置いてあってもイイ。(うそ)
ゲームを買ってもらっていない人でも、一部ゲームが遊べて、
その結果(手に入れたアイテムとか)が、
ゲームを買った人にプレゼントできるとしてもいい。
とさえ思う。
アジアまでをターゲットとして考えたとき
(どうせ、海賊版が出てしまうので)、
それでも採算があう方法は?と考えを進めた方が現実的であるとも思う。
んが、こうした考え方は、
オモチャ商売がベースとなっている業界的価値観からすると、
まだまだラジカルな話に聞こえてしまうようだ。


2002/08/21(水)
webカメラ

近、ず~~~~っと机の前にいる。
そして、その間、ず~~~~っと一方のマシンにはネコが映っている。
知り合いのHPのwebカメラの映像なんだけど、
いいんだよねぇ、ネコが寝てる姿って。
寝てる姿を見せるだけで、人を幸せな気分にさせるんだから、
ネコったらスゴイ。
ここは、昼間、ご主人様はご出勤なのでネコだけが映っている。
っていうかネコも映っていないときもあるんだけど、
そういうリアルさというか行き届かなさがいいんだよね。
たまに、ネコが映るだけで「やったぁ」とか思うって、
ずいぶんと得なネタだ。
(とつい、ゲーム的に考えてしまう)
ちょっと足りない、軽いストレス状態ってのは、
ユーザーを前のめりにさせるには必要な要素なんだよねぇ。
(とつい、ゲーム的に考えてしまう)
ず~~っと見てて楽しいもんじゃないんだけど、
たまに横目でチラチラ見てるにはいいんだなぁ、これが。
今の(というかボク的な)エンターテインメントの重さって、
これくらいなんだよねぇ。
(とつい、ゲーム的に考えてしまう)
やっぱ、コーヒーメーカより金魚よりネコだね。
ナマケモノとかのがあったら、見てみたいなぁ。
「動いた!」ってことだけで、感動するんだろうなぁ。
うちもやってみたいんだけど、
うちのバカネコは、最近野生化してて、
ほとんど家にいないからダメだろうなぁ。
メダカっていう手もあるけど、金魚よりつまらんだろうし。
そういやぁ、
どっかのプログラマーがずっと仕事している自分の映像を
ライブで流しているサイトもあったっけ。
なんか、すっごく男らしい(=汚い)部屋が
ず~~っと映ってるんですけどね、
夜食を食べる時間がボクと同じタイミングなんですよね。
これがなんというか、親近感があるというか、
同情しちゃうというか、自分を見てる見たいというか、
たまには日光にあたらないとダメよと心配になるというか、、、
そんな風に、深夜、
じ~~っと見知らぬ男の仕事ぶりを見ている自分にふと気がつくと、
すっごく恥ずかしい気持ちになったのだった。
もう少し高速つかいっぱが普及したら、
webカメラを使ったリアルタイムのゲームみたいなのを作ってみたいなぁ。
インターネット空間のあちこちを逃げ回る犯人を、
(定点)webカメラで追いかけるみたいなの。
それっか、「ブレードランナー」の写真解析みたいな感じで、
手元のPCからライブカメラを動かして、
事件のあった部屋を探るみたいなの。
っていうか、HP:0状態なのに、
次のゲームのことを考えている自分が嫌い。

※回線が細いみたいなので、
 迷惑になるといけないからサイトは公開しません。
20020821.jpg

2002/08/20(火)
うぬぼれる力

ぼくはほとんど弱音も愚痴も吐かない。
と書くと、強い男みたいにとられるかもしれないけど、
実のところはその逆で、弱みも見せられない、
見せることや見つかってしまうこと(くらい)で自我が
ピンチになるんじゃないかと怯えている、そんな人間である。
だから、弱みは見せないよう、
見つからないようにがんばっているわけなのだ。
んが、最近そう虚勢をはるのにも少々疲れてきたので、
弱っていたり、くよくよしてたりするときは、
はい、そんな感じです。と白状してしまうことにしている。
長いつきあいの人には、それが「異変」に見えるらしく(笑)、
心配とかしてくれるんだけど、ま、そのくらいじゃあ、
自我がピンチにならなくなったってことっすよ。
 ●
モノを創っていく仕事で一番大切な資質はなんでしょう、
なんて聞かれるときには、
体力とうぬぼれる力と答えることにしている。
実際の現場では、クリエイティブな才能以前に、
体力がないと話にならない。
仲間のクリエイターは、みんなそういうからきっと間違いないだろう。
うぬぼれる力は、特にボクなんかみたいに、
数字的に才能が証明されているってわけじゃない者にとって、
大切な力である。
スポーツのように客観的な基準がない世界だから、
最終的には、
「自分はいけてる」という、うぬぼれだけが心の支えとなる。
この支えがないと、流行にキョロキョロしたり、
クライアントの顔色をうかがったりとかいうことになりかねない。
ただ、このセルフイメージには何の根拠もないので、
すっごく簡単なことで揺らいでしまう。
故に、恍惚と不安を繰り返すことになる。
(このため、心の金属疲労を起こすことにもなる)
いつも心が揺れている。止まっていられない。
その揺れる力が、モノを創るエネルギーになっているんだと思う。
そういう意味では、恋愛に近いのかもしれない。
恋愛も愛されている証拠を探すのは不毛であって、
結局の所、愛されているんだわという、うぬぼれしか頼りどころがない。
(と思う)
よく、自他共に才能を認め、
本人も創りたい創りたいといっているにも関わらず、
何も創らない人がいる。
そういう人はきっと何も創らないでも、心が安定しているんだろう。
才能があることとモノを創れることは、必ずしもイコールではないのだ。
 ●
昨日の引用文で、引用元からクレームがつきましたので、
要請に従い、「無断転載しました。部分引用でした。」と明記します。
(ただし、部分引用といっても、後半を削っただけで、
文章を再構成しているわけじゃないです)
失礼をいたしました。お詫びいたします。
ただ、先日の趣旨は、
単に、
「こういう一文があって、へこんだのよ」ということだけであったので、
言ったのが誰であるかとか、
こういう人はどんなものかといった糾弾でもなく、
この言い分は正しいのか!とジャッジを求めてたわけでもないです。
だから、あえて(無用なトラブルをさけるために)、
著者名もHPのアドレスも記さなかったのですし、
この一文にへこんだという部分だけを引用しただけであって、
「自分の都合のいいところだけ」を取り上げた「悪意」じゃないです。
(だいたい、議論や裁判をしてるわけではないので、
都合がいいも悪いも、こちら的にはない)
とちょっとだけ反応。
ま、といっても、マナー違反はマナー違反ですから、
この点に関してはお詫びしときます。
なお、第三者に興味本位に「祭り」にされてもイヤなので、
先日の引用文は削除しました。
あしからず。
ともかく、この一件はこれで終わり!


2002/08/19(月)
ピンとこない

今進んでいるプロジェクトで、
ようやくキャラがテストステージを歩き出した。
んで、こまったことが発生。
トップが「どうもピンとこないんですよね」というのだ。
どこがってことじゃなく(どこがってわからなく、か)、
なんかピンとこないということらしい。
こうした批評は困る。
このデザインがイマイチとか、この大きさがまずいんじゃないかとか、
この色がとか、この広さや数がとか、
そういう具体的な指摘なら、受け入れるにしても反論するにしても
論点がはっきりしているのでやりやすい。
ところが、漠然とした不満となると、
それが何なのか、全方位的に検証しなくてはいけなくなる。
しかも、こっちはいいと思ってやっているので、
どっちの方向をどう直していいのか、あるいは議論していっていいのか、
さっぱり検討がつかない。
あらゆる点を見直すという、とんでもない作業になってしまう。
だから困ってしまうのだ。
ただ、こうした感想は真摯に受け止めないといけない。
この形が、この動きが、この色が、といった具体的な不満より、
漠然とピンとこないということのほうが、
はるかに核心的な問題だからだ。
こうした核心の問題について、
私たちは言葉でうまく説明できないということがよくある。
例えば、「わたしのどこが好きなの?」
なんていう質問に困った男性は少なくないと思う。
好きか、嫌いか、それはすぐに自覚できる。
ただ、どこがとか、どのようにとかになるとこれは難しい。
結局、常識的な、
あるいは彼女が喜びそうなポイントをあげることになるのだけど、
実のところ、
そんなに明確なポイントとしては認識していないのだ。
心の中心に浮かんでくる印象や感情は、きっと総合的なものなんだろう、
だから、ピンポイントの言葉としては表現できないのだろう。
だからといって、それはいい加減であるということにはならない。
むしろ、本質的であるといえる。
だから、「なんとなくピンとこない」というのは、
マジにヤバイ問題なのだ。
それにしても、こういう経験は初めてだ。
今までいくつかゲームやCGを作ってきたけど、
ムードやトーンについて、
納得してもらえなかったのはこれが始めての経験なのだ。
(っていうか、それだけは自信があったのに、、、)
ゲームとしてのツメについて、指摘されたりすることはあるけど、
最初の「つかみ」でNGっていうのは、これが始めての経験。
う~ん、ちょっとショックだったりする。
そんなことは重なるもので、
「テロメアの帽子」について、↓のようなコメントに遭遇。
つまらないとか、わからないとか、
稚拙とか失望したとかそういう批判はいただいたことがあるけど、
あからさまに嫌悪をぶつけられたことはなかったので、
これまた、ちょっとへこんだ。
なんかねぇ、、、ま、いいんだけど。(苦笑)
そんなわけで、暗闇の中、とりあえず前に進むしかないという毎日。
ちゃんと、出口に向かってますように、、、


2002/08/16(金)
個人フィルター

インターネットの普及で、
私たちの情報ゲットのコストは下がっただろうか?
イエスでありノーである。
たしかに、インターネットには、
無料で有用な情報がいっぱいいっぱいある。
(有料であるにしても、本やビデオよりは割安)
しかし、あまりにありすぎるため(しかも玉石混合なので)、
ほしい情報を探し出すためには時間がかかる。
つまり情報自体のコストは小さくなったが、
それを探す時間的コストは大きくなっている。
もう、自力だけで自分のほしい情報を探すってのは、
骨が折れる作業になりつつある。
となると、誰かに集めてほしくなる。
誰かの集めた情報で間に合わせたくなる。
そういう欲求が強くなってきてると思う。
少なくとも、ボク的には。
いわゆる情報誌みたいな情報紹介メディアてのがあるけど、
それらは、
なるべくたくさんのコンテンツを取り扱うってのが基本姿勢だから、
こうした欲求には見合わない。
しかも、
受け手よりも情報提供者の顔を見ながらのコンテンツ紹介になるから、
批評は甘くなり、結局あまり役に立たなかったりする。
例え、毅然とした公平なチョイスだったとしても、
たくさん売れることを考えると、
どうしても全方位的なアンテナでとらえることになるだろうから、
あたしにピッタリなんていう
ピンポイントでフィットするってのは難しい。
となると、個人の顔が見える、
私利私欲私感的紹介メディアってほうが都合がよろしい。
ピーコが紹介する映画なんていうのも、
こうしたスタイルの紹介である(面もある)。
ピーコという感性フィルターを
通り抜けた映画だけが紹介されるわけだから、
かなりフォーカスが絞られた紹介になっている。
まだ汎用的すぎるっていう意見もあるだろうけど、
このあたりが商業的にはギリじゃないんだろうかと思う。
ただ、映画なら年間本数もたいしたことないだろうから、
こういうスタイルでいいだろうけど、
ゲームとか本とかになったら、
もっと絞られた収集と紹介でなくてはならない。
まして、インターネット世界のニュース、
日記、HPなんてなったら、
これはもう、
かなり絞られた濃い個性のフィルターがかかっていないとダメだろう。
となると、10人、100人単位の同感者しかいない世界になっていく。
この数字はITビジネスを考える人を落胆させる数字だけど(笑)、
それでいいのだ、それしかないのだ、それでこそ楽しいのだ、
ということなんでしょーね。
つくづく、インターネットの普及とともに
「最大公約数的大量」であることの価値は、なくなったなぁと思った。
インターネットはワールドワイドなメディアだけど、
同時にローカルミニマムなメディアでもあるんだなぁとか思ったりして。
早いとこ、ビジネスモデルもそれに合わせたものにしてかないとね。
残念ながら、完全にボクにフィットしているというわけではないんだけど、
(たまたま知り合いのところで紹介されていたので)
こういうニュース収集サイトみたいなのは、
これからもっと重宝になるんだろうなと思た。
三流ニュース
http://www.memorize.ne.jp/diary/05/76202/index.html
きっと、いっぱいあるんだろうけどね、こういうサイト。

2002/08/15(木)
sheer heart attack

virgineでどういうわけだかQUEENの
"sheer heart attack"が平置きになっっていた。
なつかしいぃ~~、買っちゃおうかな。と思ったけど、
いや、QUEENってまとめ買いしたんじゃないかなと思いだして、
会社の靴棚(ここがCD置き場になっっている)を調べたら、
ありましたがな。
ああ、またダブリで買うところだった。
あぶない。あぶない。
んで、さっそく聞いてみる。
いいなぁ、やっぱり。
"killer Queen"内の歌詞"Gunpower galetine" は、
あいかわらず、"がんば~れ、たぶち"って聞こえるし
(って「がんばれ田淵君」も死語か)
ぼくはQUEENのベストアルバムはと聞かれたら、これを勧める。
これを最初に買ったのは、確か高校3年の時の正月休みだったと思うけど、
あのころ、レコード!を買うのは結構勇気いったっけ。
1ヶ月に1枚も買えたらいいほうだった気がする。
ラジオのエアチェックやレコパル(またまた死語)
とかでさんざん吟味した上で、
さらにレコード屋で迷いに迷って、
清水の舞台から飛び降りるつもり(ややオーバー)で買ったっけ。
当時は試聴なんて気の利いた仕組みはなかったから、
ホント真剣勝負だった。
聞いてクソレコードだったりしたら、
再び清水の舞台から投身自殺したくなるくらいの気持ちになったもんだし、
死ぬくらい聞くんだけど、レコードって痛みやすいから、
テープに落としてから聞いたっけ。
レコード1枚に対して真剣だったよなぁ。
だから、"sheer heart attack"もほとんどの曲歌えたりするもんねぇ。
それに比べ、今じゃあ、歌詞はおろか、
タイトルやアーティスト名もわからない、
ジャケットだけで買うことも、
買ったかどうかも忘れてしまうってこともある。
真剣みがたらないや。
音楽に限らず、ソフトはそれを受ける側にもある程度、
真剣な態度ってのがないとつまらない、
っていうかちゃんと入ってこないってことがあるから、
こうした態度は危ない。
受けとる力不足で、ちゃんと受け止められなかったのに、
それをソフトのデキの問題だと思ったりしては、
作り手には失礼だし、自分も損をする。
そう思うと、いつも言っているように、
ソフトはもっと安くなるべしという思想も考えものなのか。
安い→買いやすい→理解が甘くなる→飽きられるって流れは、
総合的にいって、作り手に不利益ってこともあるのかもね。


2002/08/09(金)
お盆休み

あっという間に、世間はお盆休みですね。
ムームーも来週の前半8/12(月)~14(水)を
お休みとさせていただきます。
お察しのように、ぼくは休み(め)ません。
んが、電話等には出ない予定でおります。あしからず。
それにしても、暑い(今年、何度この言葉をはいたことだろう)。
どうも来年以降も暑いらしい。
東京は熱帯雨林化してるらしい。
ってところまでは、この間も書いたけど、
暑いだけじゃなくって、熱帯地方の毒クモとかマラリア蚊とかが、
越冬できるようになってきたみたいなので、シャレになりません。
みなさんも、彼らにさされないように、楽しいお盆をお過ごし下さい。

20020809.jpg


2002/08/08(木)
すばらしすぎるお役所

ほうら、やぱーり。このIT音痴ぶり。
"総務省はインターネットから不正侵入される可能性があるとして、
住基ネットを常時接続しないよう指示した。""
[毎日新聞8月8日]
これはどういうことなんだろう、、、。
つまり、その、インターネットはハッキングのおそれがあるから、
「住基ネット」は自治体のLANだけに
つながれるということなんだろうか。
つまり、その、インターネットを通して、24時間、
個人が自由に各種書類の問い合わせや申請や登録ができるってことは
想定されていなってことなんだろうか。
常時接続してはダメってことは、
職員のいる時間9時5時だけのサービスになるんだろうか。
職員のいる時間なら、ハッキングの心配はないということなんだろうか。
っていうか、常時接続とインターネットにつながっていることって、
意味が違う、、、。
すばらしすぎる。
うちの近くに、新宿に抜けるバイパストンネルがあるんですけどね、
そこは、よく渋滞するんですよ。
しかも、真ん中あたりの曲がったところで渋滞するので、
トンネルに入ってみないと渋滞かどうかわからない。
そこで、トンネルの入り口に電光表示板が用意されていて、
そこに渋滞情報を流していたのです。
「た」というのは、今は電光掲示板は使われていないからです。
なんか、壊れたのか、メンテナンスなのかなぁと思っていたら、
ある時、テレビでその訳が紹介されてて、ひっくりかえった。
お役所の言うには、
「電光掲示板に渋滞と表示したところ、利用者が減った。
せっかく作ったトンネルなので、それではもったいないから表示をやめた」
というのだ。
結果は彼の予想通りになって、
現在、(渋滞しているかわからないため)
混雑時もトンネルは十分に利用されている。
すばらしすぎる。
ETCという高速道路の料金自動支払システムは、
料金所を待たずに通り抜けられるというメリット以外、
あまりにメリットがないため、利用者が全然伸びないらしい。
一方、ETCの設置は順調に進んでいるので、
その分、現金やチケットでの支払い口が減って、
料金所は今まで以上に混み出した。
これはいかんと、急遽、ETCの窓口を「ETC/一般」と変更して、
ETCでも現金やチケットでも支払える窓口にした。
この結果、ETC利用者の、
料金所を待たずに通り抜けられるというメリットはなくなった。
すばらしすぎる。


2002/08/06(火)
住基法案

「生身の人間を背番号で管理するなんて、
非人道的なことを断じて許すわけにはいかないのですよ」
と、自信満々に語る政治家を見て、うわぁと思った。
だって、じゃあ、電話番号は、、、?
ああ、つっこむのも怖い(笑)。
これを聞いて、ぼくも住基法案に反対という気持ちになった。
推進派の中にも、
この反対派の人と同じくらいデジタルというか
コンピュータに音痴な政治家がいるはずだ。
そんな人にデジタル管理されたんじゃあ、たまったもんではない。
今まで通り、紙で管理してほしい。
どうせ、デジタル管理になって作業が大幅に削減できても、
人員コストがさがる訳じゃないだろうし、
スピードの改善もそうは期待できない。
だいたい、正式な身分証明書というものがないんだから、
どのみちオンラインで全て済むなんてこともなさそうだ
(サインアップできない)。
インターネットで申し込みして、
役場に行って(身分を証明する代物をもって印鑑押して)
発行してもらう、
なんてことになりそうな感じ。
デジタル管理による恩恵と
情報流出や改ざんのリスクのバランスが悪すぎる気がする。
それはそうと、「背番号」は11桁らしいんだけど、
果たして、そんな小さな桁数でいいんだろうか。
また、電話番号や郵便番号の時のように、
後から桁を増やすことにならないだろうか。
人事?ながら心配。
現在の日本の人口は、1.2億人だから、9桁で足りる。
しかし、こうしたIDを管理するためには、
たいがいリストチェック用の桁が必要となる。
また、保存すべきデータは10年や20年っていうわけじゃないだろう。
これからあの世にいく人、
これからこの世に来る人の分の「背番号」も
用意されていなくてはならない。
そう考えると、11桁で足りるんだろうかと心配になる。


2002/08/05(月)
ほめること

チンパンジーに勉強させる秘訣は、ほめることらしい。
日●サル軍団のように「行為(芸)をしいる」ことなら、
恐怖や苦痛を与えることでも可能だが、
勉強つまり自律的学習となると、そうはいかないものらしい。
ほめられることで、学習(事象の記憶と理解、応用)が進む。
脳とはそういう仕組みになっているらしい。
しかも、後でほめてもダメらしいし、
ほめる度合いが一定していないとダメらしい。
おとといはすっごくほめたけど、今回はほめない。
そういうことではいけないらしい。
こうした効果は、きっと人間にもあてはなるのだろう。
どういうわけか、日本では、ほめると油断するとか、
つけあがる、と結びつけられてしまう。
だから、部下やパートナーがよくやったとしても、
次の失敗につながりかねないとして、ほめないことが多い。
心の中では「いいぞ、でかしたぞ」と思いながら、
口では「もっとできたはずだ」とか「次はそうはいかんぞ」と戒める。
そんなシーンをテレビドラマや実際の仕事の現場でよく目にする。
しかも、美徳のように描かれることが多い。
これはどうなんだろうか。
その一方で、本意でもないのにほめるなんてことをやってのける。
お世辞、おべっかは、社会の潤滑油的な役割を果てしている。
もしくは、ブタもおだてりゃなんとかと言うような、
相手を卑下した「策略」として語られる。
どちらにしろ、表面的にはほめていても、
ほめることを肯定しているわけではない。
そういうぼくも、ほめることは下手な方だ。
でも、それではダメだ、なるべくほめようという自覚はあるだけマシ。
(と自分をほめてあげている)
確かに、ほめることで油断したり勘違いしたりすることはあるだろうけど、
それはほめるポイントが間違っていたり、
ほめるべきじゃないのにほめるとか、
主に、ほめる側に原因があることが多い気がする。
ほめることの効果は、
高橋尚子選手と小出義雄監督の関係を見ていると、すごく納得する。
小出監督は、ともかくよく高橋をほめる。
小出監督はすばらしいなぁという立場になったり、
高橋尚子選手はうらやましいなぁという立場になったり、
ともかくイイ関係だなぁと思う。
 ●
あるプロジェクトが、一つ目の山を越えた。
みんな(あ、ぼくも含めてね)よく頑張ったーっとほめてあげなくっちゃと
思っていた矢先、クライアント側から、
まだアレもダメ、これもダメと注文が入った。
注文はどれもこれもごもっともなものばかりだし、
こちらも自覚してることだけど、
この2週間、ドロになるまで働いて、
やっとのことでここまでこぎ着けたのだから、
まず最初に、一言ぐらいほめてくれてもバチはあたらんだろうと、
真っ先に自分が反応してしまって、ほめるタイミングを逸してしまった。
もういい大人なんだから、ほめられたぐらいで、
油断も勘違いもしないし、たずなもゆるめないよ~だ。
ほめてくられたら、もっとがんばっちゃうのに(って、子供か)。


2002/08/02(金)
宇宙人は電波を使うんだろうか

とうの昔に土日がなくなり、
毎日14~16時間働いている今日この頃。
なのに、1日のノルマが達成できなくって、
to do listはでかくなる一方。
その日その日、その日が絶対締め切りの作業をなんとか納品して、
毎日をしのぐ。
借金地獄ってこんな感じなのかなぁとふと思った。
いっそ、仕事的自己破産しようかとふと思ったりもする。
どうも、ここのところ仕事の入れ方が悪い、下手、無茶、無計画。
そこにもってきて、暑いので作業の進みが遅い。
あまりに暑いので、
散歩ができないのがいけない。
湯船にゆっくりつかれないのもいけない。
ぐっすり眠れないのもいけない。
(自分的に)イイアイデアは、
そういう時間の中で生まれる事が多いのだ。
だから、なかなか作業が進まない。
と、いろいろな方面に言い訳的メッセージを発信したりして。
 ●
SETI
(宇宙人からの電波を探しているプロジェクト)をみてて、
果たして、
宇宙人が自分たち以外の知的生命体に
メッセージを伝えるために電波を使うだろうかと、
ふと疑問に思った。
なぜなら、電波は1秒間に30万キロしか進まない。
地球ー月間でも1秒くらいかかる遅さだ。
現在、知的生命がいるかもと期待されている、
地球からもっとも近いエリアへは、片道の交信で30年くらいかかる。
こんな遅い信号を使っていては、
「はじめまして」「こんにちは」なんて最初の挨拶している間に、
交信者の寿命が来てしまう。
だから、我々より進化した知的生命体は、
こんな遅い信号を使わないのではないだろうかと思った次第。
だとしたら、電波によるメッセージを探しているSETIは、
根本的な間違いをしていることになる。
現在の所、
電子や光(ともに秒速30万キロ)より早く移動できるものはない。
だから、電波より早く伝わる信号はない。
かというと、量子論的には、そうでもないかもしれないらしい。
量子効果を利用した通信ができれば、
物理的な距離(時間)は意味がなくなり、
それこそ、時空を越えた通信が可能になるかも。
宇宙人もそうした通信を使っているのではないだろうか。
詳しくは説明しない、っていうかできないけど。


2002/08/01(木)
なんで暑いのは不快なのだろう

今日もぼけぼけでR。
CPUが熱暴走寸前でR。
それにしても暑い。暑すぎる。
気温も30度を超えると、たいがいの人は不快に感じる。
(ま、日本の場合は、湿度という問題もあるけど)
で、ふと「やや、これは不可思議なりぃ」と思った。
というのも、私たちの体温はだいたい36度程度である。
これは、生命が生まれた頃の海水の温度だと言われている。
私たちの体の中で起こるさまざまな化学反応には、
36度くらいの温度がちょうどいいわけである。
これが42度を超えても、35度を下回っても、
うまく働かなくなる(=死ぬ)。
非常に狭いバンドでしか働かないホメオスタシスなのだ。
体内の温度を年中36度に保つため、
私たちは大きなコストを支払っている。
だいたい、
摂取カロリーの70%は体温を作るために使われるといわれるから、
1000~1500kカロリーも使っている勘定になる。
外界が寒ければ寒いほど、体温は多く奪われるから、
その分たくさんカロリーを消費することになる。
逆に外界の温度が高すぎれば、
冷却(=汗を出す)のためのコストがかかる。
と考えると、外界が体温と同じ、
ちょっと厳密に考えれば体温よりやや低めあたりがいいということになる
(筋肉を動かすことで、自然に発熱してしまう分を差し引くため)。
生き物は、身体に都合がいいことは、たいがい「快」として感じる。
だとすれば、体温よりやや低い気温くらいが
一番快いと感じなくてはいけないはずだ。
(この際、湿度はさほど問題にならないはずなのだが)
つまり、今くらいの気温が一番気持ちいい(=身体に都合がいい)
と感じなくてはいけないはずなのに、
とんでもない、とんでもない。
むしろ、体温より10度くらい低い24,5度くらいのほうが快いと感じる。
(この10度の落差のため、夏場より余分にカロリーを使っているはずなのに)
これは不思議だ~~~なんてことを、タクシーの中でぼんやり考えていたら、
ラジオから、高校野球東京都予選の実況が流れてきた。
このウンチ暑い中、彼らは、長袖長ズボン、
しかも靴下2枚重ねで走り廻っているのだ。
(ロン毛がいないのが、唯一の救いだ)
すごい、すごすぎる。何もこんな時期に、
こんな時間帯にやらなくてもとフビンに思ってしまう。
青春、さわやかな汗、夢、努力、栄光と挫折っていうより、
渇き、疲労、汗だく、土ぼこり、熱射病、脱水症状、ミイラ化、
残酷、灼熱地獄、、、そんな言葉しか浮かんでこなかった。




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