人間風車

2002/09/30(月)
0から数えるべし

プログラマーと仕事をしていると、
数の数え方が違って、トラブルが発生することがある。
トラブルっていっても、
こちらが数え間違えるってことくらいなんだけど。
なんで数え間違えるかというと、
プログラマー系の人のナンバリングは、0,1,2,3,‥‥なんです。
つまり9までで10個。
植木算じゃないけど、ちゃんと落ち着いて考えれば問題ないんですけどね、
急いでいるとか、徹夜で頭がパンクしているときなんか、
間違えちゃんですよ。
「アイテムの数は10個にしてくだいね」(プログラマー)
「了解しました」(あたし)
「0,1,2,3,‥‥10。オッケー」(あたし)
てな感じ。
日常では、0から初めてもこんがらがるだけで、
一つも良いことがないけど、
こと、コンピューターとつき合うとなると、
数字は0から数えた方がなにかとよろしい。
そもそも、0~9までが1桁、10からは2桁なので、
本来的には0から数える方が正しいのだ。
(少なくとも、コンピュータはそう数えている)
だから、これからの小学生には
「い~~ち、に~~い、さ~~ん、、、」
じゃなくって、
「ぜえ~~ろ、い~~ち、に~~い」
と教えた方がいい気がする。
(風呂につかる時間を
「ぜえ~~ろ」から始めるとなんかすっごく辛い感じがする)
いっそのこと、
0,1,2,3,‥‥9,a,b,‥‥f
と16進法で教えてしまうっていう手もあるかもしれない。
それで思い出したけど、
インドの小学校では
(全部の小学校というわけじゃないのかもしれないけど)、
九九じゃなくて十六十六を教えるなんて話を聞いたことがある。
つまり、16*16=256までのかけ算を暗記させるというのだ。
これまた、
コンピュータとつき合うには十六十六のほうが都合(きり)がいい。
πの値(表現)を暗算なら3、
電卓を使ったら3.14にするとかしないとか、
わけのわからんこと協議してないで、
そういうことを考えて欲しいもんでR。
「お前らはそこまでやらんといT時代には生き残れんのだ!」
と、もう覚える義務がないから、強く勧めちゃうもんね。


2002/09/27(金)
過去の名作

じょうずなワニのつかまえ方』が文庫本になっていたのでビックリ。
初版は1986年だったので、
かれころ16年ぶりの文庫本化ってことになる。
あまり売れたって話はきかなかったけど、どうして今なんだろう。
(ぼく的には大好きな本なんだけど)
最近、こうした文庫本化が急速に広まっている気がするけど、
気のせいだろうか。
果たして、上製本より文庫本のほうが売れているのかどうか知らないけど、
文庫本は安いし、よりモバイルだし、書店の棚を奪うスペースも小さいし、
そもそも日本人はなんでも小さいモノが好きっていうことなんかも、
文庫本のアドバンテージなのかもしれない。
昔の作品がリバイバルするのは、
著作権の問題(=権料が安いとか)なんだろうか、
新作が頭打ちなんだろうか、
イイものは時代に関係なく、
世代を越えて伝わってる、ってことなんだろうか。
そういやぁ、マンガでも『漂流教室』とか出てたし、
『明日のジョー』と『巨人の星』の抱き合わせみたいな本も出てた。
DVDなんかでも、昔のイタリア映画とかフランス映画や、
チェコやカナダの古いアニメなんかが出てたりしてるし、
『大きな古時計』なんて曲が流行ったりしてるのも、
なんか関係あるのかしら。
ともかく、
昔の名作がこうした形でどんどん復活してくれるのはありがたいし、
なんもかも、流行すたりで選ばれるんじゃなくって、
新しいも古いもイイものはイイって受け入れられているって考えると、
おじさんはうれしいぞ。
うがった見方をすれば、隔世流行ってことかもしれない。
(直)前の世代が熱狂してたものって、なんかダサイ感じがするけど、
一世代隔てた、その前の世代が熱狂してたものって、
けっこうかっこよく見えたりする。
ファッションの世界なんかの流行を見ているとそういう現象は顕著だ。
今回の隔世である70年、80年っていうってのは、
日本がホント調子よかった時代だったから、
さらに、そうした時代への郷愁がプラスされているのかもしれない。
ただ、そんなことに関係なく、作る方は大変だろうね。
同時代のライバルに、
さらに、過去の名作がライバルに加わるわけだから。
っていうか、過去の名作ってのは、何十年も生き続けている、
あるいは一度死んだのに生き返る化け物ってことだから、
同時代の流行モンより怖いだろうね。
そう言う点ではゲームは楽、っていうか守られている。
過去の名作は、ハードの問題から、
今のところ復活してくる可能性がないのだ。
って、それでいいのか。


2002/09/26(木)
自由度

昨日の続きみたいなニュースなんですが、
マツダのスポーツカー「ロードスター」は、
3億通りの組み合わせがあるカスタムオーダーを始めたみたいです。
1人3台づつ買っても、
みんな違う「ロードスター」にできるっちゅーことっすね。
20世紀までの商売は、
需要予測の上で生産する(つまり見込みで作る)ので、
3億なんて種類を作り置きすることなんてできなかったのが、
注文を受けてから作るという仕組みになった
(戻ったというべきか)ために、
こういう商売が出来るようになったわけですね。
ただ、だからといって、
選択肢の幅が広けりゃいいっちゅーもんでもないですね。
(別にロードスターのことをいっているわけじゃないけど)
選ぶ、探すというのは、意外にコスト高な作業なので、
自由、豊かの名の下に、ユーザーにこうしたコストをしいるのは、
サービスのつもりがサービスになっていない。
(ユーザーのことを)考えているようで考えていない。
十分に情報を与えているつもりで、
(選ぶ基準となる)情報を与えていない。
そんなことになりかねないわけです。
今作っているゲーム
(あ、去年から作っている作っているといっていた前のゲームは、
ほぼ完成した状態。発表や発売は、ある事情があって、
もう少し後になりそうです)では、
アイテム数が1000種類近くになってしまった。
これは、ゲーム雑誌などでは、おほめや売りになる要素なんだろうけど、
ボク自身は、ちょっとまずったかなと反省している
(といっても、今更引き返せないけど)。
コンシューマゲームの「やりごたえ」という呪縛が、
ネットワークゲームでは「やり続ける」
(=課金サービスにつなぎ止める)という呪縛に形を変えて、
あいかわらず、制作サイドに量的負担を迫っている。
っていうか、
量的にそれを克服しようとしている考え方自体が間違っているのだが。
っていうか、
やり続けてもらうことが必要なのか?ってことがそもそも問題なのだが。
それはともかく、
そうした課題を量的に乗り切る以外に、アイデアはなかったのだろうか?
そこんとこをもう少し一生懸命考えてみたかったと思ったりしている。
本当は、いちゲーム内で考えることと言うよりは、
ネットワークゲームがビジネスとして成立するには?
といった次元で考えるべき問題なんだろうけどね。
制作作業的爆発を押さえるために、
ネットワークゲームではユーザー間の「自由に任せる」という考えがある。
自由に考えさせ、自由に選択させ、自由に行動させ、
ゲーム内の世界観や美観、
それに秩序やバランス全てをユーザー間の「自由」に任せるという考え方だ。
そうすれば、制作者サイドは、
ある程度の「素材」とそれを調理する「場」さえ与えておけばいいことになる。
(もっとも管理作業は必要だが)
デザイン、パラメータ作成、
バランス調整などの作業はかなり削減できることになる。
これはこれで、ある意味正しい。
ビジネスとしては、そういうベクトルにしか活路がないのかもしれない。
ただ、「自由」という魅力的な響きの裏で、
エンターテインメントとして何かすっごく大切なことを
放棄しているような気がしてならない。
それが何なのか?実はよくわからない。
「作り込まれた、完成された世界や遊びを提供する」ことが
ゲーム制作者の義務だというような、
職人的気質から(だけ)でもない気がする。
選べる要素が多いことは基本的にはすばらしい。
しかし、
選べる要素が多ければ多いほど、すばらしいということになるのか。
きっと、そのあたりに根本的に疑問を感じているんだと思う。
適切に要素を枝ギリしてから提供するべきで、
肝心なのは枝切りのセンスじゃないのか、
そんな風に思っている。
ただただ量に頼ることと同じように、ただただ自由度に頼ることも、
考えていないってことでは同じである気がする。


2002/09/25(水)
マイ×××

まずは、巨人おめでとう。
今シーズンはいまいちテンションがあがらなかったけど、
やっぱりうれしい。
負けて優勝決定なんて、なんか、このシーズンを象徴している気がした。
っていうか、史上初の(監督初年+さよなら負け)優勝らしい。
そういえば、いつの間にか、巨人ファンって少なくなった気がする。
少なくなっただけならいいけど、
「え!巨人ファンなんですか?」と冷ややかに
反応されることが増えたのが気になる。
ナベ●ネのせいもあるだろうし、
そういうメジャーっぽいもののファンだっていうことが
俗っぽいってこともあるだろうし、
ああいう金にものを言わせた
(=強い選手を集めた)野球とそのファンってのは、
男気がないというか、大人げないというか、
人の道にはずれているというか、そういう思いもあるんだろう。
なんか、「巨人ファンです」って堂々と言えない空気が日増しに
強くなっている気がする。
でも、しょうがないのだ。
「なんで巨人ファンなのか?」という質問は、
ぼくにとっては「なんで男なんですか?」とか
「なんで岐阜出身なんですか?」とか
「なんで、うすいんですか?」という質問に等しい。
そのくらい、そう生まれてしまったのだからしようがない、
根元的な問題なのだ。
だから、巨人の野球がどうのとか、どの選手がどうのとか、
ナベ●ネがどうのとか、そういうことに関係なく、
生涯巨人ファンなんだろうと思う。
それにしても、もう少し阪神ががんばっていてくれたらなぁ、
盛り上がったのに。
ワールドカップが終わったら、(Aクラスから)いなくなっていて、
結局そのまま「壊れた潜水艦状態」のままだったもんね。
 ●
カスタマイズというかマイ×××というか、
そういうカスタムオーダーを受け入れた商品が売れているそう。
例えば、アンケートに答えると、自分の体調、
体質に合わせてサプリメント群(1日単位の)を
セットアップしてくれるサービス「パーソナルサプリ」(今、工事中)や、
石けんや時計、車のボディーカラー、携帯電話のカバーなどなど。
だれだって、自分のニーズにジャストフィットした
アイテムの方がいいに決まっている。
マクロ的にはみんなと同じでいたいけど、
小さな差異(=オリジナリティーと混同している)はほしい、
そんなマインドにもフィットしている。
ただ、今までの人対人、現実界のサービスだと、
それじゃあ商売にならん。ってあたりが、
インターネットの普及で商売になりはじめたってところか。
うち(ムームー)のNは、学生の頃、
アルバイトで個人向け小説を書いていたといっていた。
その人だけのための小説を書き、
ページ数に応じてギャラをもらうというアルバイトだ。
ジャンルや主人公の名前や顛末まで、
その人の好みに応じて書く完全マイ小説だ。
ぼくは、この話をきいたとき、
すっごくいいなぁと思った(作る方も、もらう方も)。
ゲームでもそういうことができたら、おもしろいかもしれない。
どうせ、将来的にはゲームはダウンロード販売が
主体になっていくんだろうから、
ダウンロード前にアンケートをとって、カスタムデータに書き換える、
書き加えるなんてことはできるかもしれない。


2002/09/24(火)
トロン

腰に違和感を覚えたので大事をとって、っていうか、
背中までプアンプアンに張ってて座ってるだけでも辛いので、
今日の夜なべは中止して、うつぶせ状態@ベッドでテレビ鑑賞。
NHK教育で「世界・大自然紀行」の再放送が何本も放映されてたので、
ず~っと見てた。
あきらかにモデリングや行動プログラミングが
間違っている昆虫や動物やキノコ、
CG合成としか思えない風景などなど、
ほんと神様の想像力(創造力か)はスゴイ。
当たり前だけど、全然かなわないわ。
ついつい「あ、このキャラの形、今度使える」とか
「この風景いけるなぁ」とか、
仕事のネタとして見てしまうのは仕方がないとして、
あ、このテクスチャーはどういう処理?ファーシェーディング?とか、
水の表現どうやってるんだろうか?とか、
この風景のポリゴン数多そうとか、
このキャラ数だと動き重そうなんて思ってしまうのは、
我ながらどうかしていると思った。
 ●
その後、ちょっとだけ仕事に関係するってことで、
世界初の本格CG映画「トロン」を見る。
実に20年ぶりくらいなんだけど、いいわぁ。
ま、ストーリーはディズニーだしってことであれだけど、
絵はサイバーだしテクノだし、
昨今のCGなんかよりうんとカッコイイ。
まだテクスチャーを貼るなんてこともできなかった
(少なくとも商用映画レベルでは)みたいだし、
人とかをCGで作ることもできなかったし、
実写とCGの動的合成なんてのもできなかったために、
CGっぽく見えるようなオプチカル合成が
ふんだんに使われているんだけど、
それがまた目新しい。
「より写実的に」ってことに進んでいってしまったCGは、
温故知新すべきだと思った。
ゲームも。
どうしてこう、環境が貧乏な時の方が、
人間の想像力、表現力は鋭いんだろう。
貧乏は感性の母か。
ゲームでおもいだしたけど、
「トロン」の中で出てくるバイクゲームってのが、pcゲームであって、
ずいぶん燃えたなぁ、またやりたいなぁと思ったら、
アーケードゲームでもでるみたい。ここ。


2002/09/20(金)
ウ●ンドウズのロス

それにしても、ほんとにおおよそ2億人と言われる人たちが、
あのバカで使い勝手が悪く、
ややこしく、日本語がヘンな、パクってこれかいという、
ウ●ンドウズというOSを使っているんだろうか。
と、あいかわらず日々怒っている私です。
(なにに怒っているかは、ここ
マ●クOSと比べたら、同じ作業をしても、
OSの出来に起因する事項で、
作業効率は30%くらい違うんじゃないですかね。
2億人の総仕事時間ロスを考えると、それはおそろしい。
1人が1日平均8時間働くとして、
ウ●ンドウズでの作業効率が30%とすると、
1人1日の作業ロスは、2時間24分となる。
1年250日働くとすると、1人1年36000分のロスとなる。
つまり1年間2億人の人がウ●ンドウズを使うことで、
7200000000000分の時間をロスしていることになる。
のべにすると、11666667人月(1日24時間労働換算)となる。
これがどのくらいの数かというと、
ギザ・ピラミッドの建設には、石の切り出し、
運搬、工事用道路の建設、
基礎工事などの準備段階で10万人が3ヶ月交代で10年、
さらに石の積み上げ作業に20年かかったと言われているので、
のべにすると、
18000000人月(1日24時間労働換算)くらいとなるので、
ウ●ンドウズのロス1年分で0.6個(つまり2年で約1個)の
ギザ・ピラミッドが建設できるとなるのだ!
おそろしいでしょ。
ウインドウズの誕生(バージョン1.0)の発売は85年だから、
もしそのときからみんながマ●クOSを使っていたら、
いったいいくつのピラミッドが建てられたことだろう。
(ウインドウズののべユーザー数の調べがつかなくって、計算を断念)
と嘆いているうちに、
マ●クOSもダメダメな方向に「豹変」してしまいトホホな状況。


2002/09/19(木)
アマゾンのすすめ

偉そうに言わせてもらえば、
ずいぶんとアマゾンはひいきにしてやっている。
毎月10冊くらいの本をアマゾンで買うし、
2,3本くらいDVD買うからね。
アマゾンがお気に入りなのは、
1500円以上の買い物なら送料がタダなのことと、
ぼくに関してのデータベースを作ってくれるところだ。
例えば、ぼくが、過去1年間にいったい何をいつ買ったのか、
そのヒストリーを保存してくれている。
(こういうデータを取られることを危惧する人もいるけど、
ま、いいじゃんとかボクは思う方)
また、過去に買ったものの傾向から、おすすめをプレゼンしてくれる。
(毎日違うアイテムを勧めてくれるので飽きない)
この機械的推論エンジンが、けっこう楽しい。
そんなに精度が高いわけでもないけど、
なんだか悪い気がしないというか、可愛げがある。
以前も書いたけど、昔 『イヴ・モンタン パリに抱かれて
が勧めれたときは、「なんでやねん その心は?」とか思ったし、
この間は 『テロメアの帽子』を勧めてくれた(笑)。
こうしたセールスが生身の人間からだったら、
ちょっとイヤな気持ちになっていただろうから、
不思議なもんだ。
っていうか、検索エンジンとこの推論エンジンだね。
IT時代(笑)のエンターテインメントは、と思った。
ちなみに、今日おすすめられたのは、
心の習慣―アメリカ個人主義のゆくえ』, 島薗 進 (翻訳), 中村 圭志 (翻訳)
感覚の地図帳』, 山内 昭雄 (著), 鮎川 武二 (著) 
「わかる」とはどういうことか―認識の脳科学』, 山鳥 重 (著)
の3冊。
『「わかる」とは、、、』はおもしろそうだなぁ。
ちなみに、勧めた理由もちゃんと教えてくれる。
『「わかる」とは、、、』を勧めてくれた理由は、
「 (ぼくが) この商品が購入されていたからです」ということらしい。
共感覚者の驚くべき日常―形を味わう人、色を聴く人 』
リチャード・E. シトーウィック (著), その他 
なるほどね、 認知学つながりなわけね。
(ちなみにこの本はとってもおもしろかったよ)
ついでに、こんなことまで教えてくれる。
「 この商品を買った人はこんな商品も買っています」
『 脳 回路網のなかの精神―ニューラルネットが描く地図 』
マンフレート シュピッツァー (著), その他 
『うそつき―うそと自己欺まんの心理学』 
チャールズ・V. フォード (著), その他
ぼくと同じ系統の趣味を持つ人が何を買っているか、
このあたりの情報はうれしいっていうか、
おおげさにいえば、
世界のどこかに同じ感性の人がいるっていうだけで、
さみしさが少し減ってよい。
ここらあたりも、
IT時代的エンターテインメントだと思った。
アマゾンのサイトまで行かなくても、
デスクトップにこういうヤツがいてくれれば、楽しいだろうなぁ。


2002/09/18(水)
かまとばあ

今年115歳の誕生日を迎えた世界一の年寄りである、
かまとばあさんの長寿の秘訣は、
2日寝て2日起きるという生活にあるらしい。
ボクはもう一人、全く同じ生活スタイルをしている友達を知っている。
名前を出せば誰でも知っているくらい有名なゲームデザイナーだけど、
名前は伏せておきます。
さてさて、
2日寝て2日起きていると言うことは、
彼女にとって1週間は3.5日しかないことになる。
彼女にとって1ヶ月は15日、1年は182日か3日しかないことになる。
つまり、我々から見れば115年生きているようでも、
彼女としては、57年と半年しか生きていないことになる
(生まれたときから、このライフスタイルだったと仮定して)。
彼女の意識とともに、彼女の細胞も、
同じように57年と半年しか生きていないような気になっていたとしたら、
彼女の長寿も理解できる!
という説はどうだろう。
生き物の寿命には、テロメア分子の長さが関係している
(もっとも、死ぬには他にもたくさんの要因があるが)。
細胞分裂を繰り返すことでテロメア分子が短くなっていき、
ある長さにまで短くなると細胞は分裂できなくなる。
イコール細胞の寿命となる。
さて、では細胞分裂はいかなるトリガーで起こるかというと、
カルシウムイオン(の濃度)が関係しているとか、
ある種のホルモンが関係しているとか言われるが、定かではないらしい。
もし、「寝て起きて」を1ターンとして細胞が認識しており、
あるターン数に達したら分裂するっていうようなことに決めていたら、
かまとばあの細胞分裂回数は、57.5歳くらいのそれになることになる。
つまり彼女の「実年齢」は、57.5歳ということになる。
「寝て起きて」周期は、実は意外と脳の深い(古い)部分で管理されている。
つまり、身体の成長やホルモン分泌などと密接な関係にある。
だから、細胞分裂のトリガーとして利用されているって考えるのも、
そうむちゃくちゃな考えではない。
それはそうと、「寝て起きて」周期。
この周期は、1日24時間周期の人以外に、1日23時間周期、
1日25時間周期の人がいたりするが、かまとばあは1日48時間周期。
いったい、人によってどのくらいの幅があるんだろう。
1日6時間周期なんていう人もいるんだろうか?
ちなみに、ぼくは1日12時間周期で暮らしているときが最も調子がいい。
こうした幅があるのはどうしてだろうか?
この周期にずれがあるということは、
深夜でも起きているヤツと寝ているヤツがいるということになる。
すると、夜中におそってくる捕食者がいたとしても、
起きているヤツは逃げ延びれるので、全滅することはない。
そういう意味あいがあるのかもしれない。
近い?例として、
セミは、多くの種類が地中で過ごす期間は、5年とか7年とか13年とか、
素数年であるらしい。
このため、そのセミだけを補食する捕食者がいたとすると、
同じように素数年周期の寿命でなくてはならないことになる。
もし、セミの地中生活が素数年でなければ、
その因数(の数)だけの種類の捕食者が生存できることになるので、
素数年であるほうが圧倒的に有利なのだ。
なんてこと思い出した。


2002/09/13(金)
イベントクリア

のあんとか、イベントクリア。
CEDECの講演用資料の制作は、ぜんぜん取りかかる時間がなくって、
完成したのは当日の朝2時。
そのあと、キンコスに駆け込み受講者用に180部コピー。
まだ湯気が立っているような状態で会場に持ち込め、なんとかセーフ。
ふ~~。
でも失敗続出。
全日、一生懸命ゲームの画面撮影したムービーは、
会社でプレビューしたときにはちゃんと再生できていたのに、
会場では再生できなかったし(あとで凡ミスとわかる)、
講演用資料の最後の4ページをノートブックに入れてくるのを忘れていた。
ということで、聞きに来てくださった方には、
「正直すまんかった」
ということで、会場でお約束したように、
プレゼンできなかったページを含めて、
HPで後悔、、、う~~んナイス変換>ATOK
もとい。
後日、HPで公開いたしますので、しばしお待ちを。
2日目は、知り合いのラウンドテーブルに、聴衆として参加。
オンラインエンターテインメントの
未来像をさぐるラウンドテーブルだったけど、
話の中心はどうしても、
「ゲームはなんで売れんのよ」「この先どーなるの」
「なにがダメなのよ」「どーしたらいいのよ」
というゲーム業界のかんばしくない現状についてになる。
それほど、ゲーム業界の現状は深刻なのだ(そうだ)。
まだ今後については、誰も突破口を見つけてないんだなぁ、
って感じがした。
ボク個人としては、
ネットワークゲームを従来のゲームと別物かのような考え方には
ちょっと違和感があった。
CGと手描きイラストみたいな区分をしているみたいな気がした。
(画材が技法が違うだけで、絵としては同じですよね)
たしかに、
ネットワークを利用することで遊びの種類は間違いなく増えるし、
ある意味質も変わるだろうけど、
それは1つの遊びが増えた程度の事じゃないんだろうかと思う。
「ネットワークを利用した」っていう点ばかりに注視し、
そこから遊びを逆算するっていう考え方は危険だろう。
ある遊びを思いついた。それを実現するためには、ネットワークが必要。
そういう流れじゃないとね、自然じゃない。
また、ネットワークで遊ぶ=不特定多数の人とのコミュニケーション=楽しい
(に違いない)という図式もずいぶん幻想が混じっているというか、
概念的だなぁという気がしたなぁ。
そこから「じゃあ、みんなで遊ぶゲームとは」
という手順で考えていったんでは、
やっぱり自然じゃない気がする。
ネットワークを通してひとりぼっちで遊ぶなんてのも、ありな気がする。
そもそも、ゲームという縛りがそろそろ窮屈になっている気もした。
従来のゲームを「ネット接続」で拡張したところで、
五十歩百歩のような気がする。
ネットワークを利用した遊び、快楽ってものの守備範囲は、
ゲームというジャンルより遙かに大きいのでは、とも思った。
仮想の世界でドラゴンを倒すとかって、
現実界で結婚から殺人まで起こすメールごっこに比べたら小さい、
小さい(イイ悪いは別として)。
そのあたりで、おもしろいアイデアが聞けるかなぁと思ったけど、
そういう姿勢が甘いね。>おれ。


2002/09/10(火)
違和感

プロスポーツ選手(とくにスゴイ選手)がよく
「違和感がある」という理由で練習をやめたり、
試合にでるのをやめたりする。
あれは、うらやましい。
痛いとか、動かないとか、壊れているのならわかるけど、
違和な感じがするだけなのに、
「あ、だれしねぇ」とか「弱っちい」とか
「おおげさ」とか文句を言われない。
それどころか、
常に身体のことに気を遣っているんだなとか、
すごい選手の身体はデリケートであり、
精密な身体なんだろうなとか、
無骨な顔してて、けっこう繊細なのねとか、
逆に尊敬させてしまうのだからスゴイ。
(軽い怪我で練習を休んだり、休場したりすると、
なっちょらんと叩かれるのに、、、不思議)
うらやましい。
「今日は頭に違和感があるので、ミーティングをやめた」とか、
「発想に今までに感じ事がないひっかかりがあったので、
大事をとった」とか、
「昔痛めた脳の古傷が、、、」とか、
言ってみたいなぁ。
かろうじて、
右手に違和感があるから今日は絵を描かないなんてのは、
許されるかな。
(画家じゃあるまいし、とかつっこまれそうだな)


2002/09/09(月)
人見知り

小さい頃から人見知りがはげしくって、
今でも知らない人と会うとか、
知らない人の前で話すというのは、苦手。
それだからどうなんだと完全に開き直れれば、
それはそれで楽なんだろうけど、
なんかなさけねえなぁ、
なんてちょっとコンプレックスに感じているもんだから、
「講演しませんか?」なんてたまに頼まれたときなどは、
本当は、やだ、断りたいと思うんだけど、
断ると、そういうコンプレックスを改めて自覚させられたり、
相手に(そういう人間だと)ばれてしまうんじゃないかと恐れが、
恥ずかしさやおっくうさを上回ってしまって、
「ああ、いいですよ」なんて軽く引き受けてしまったりする。
そんなわけで、今週の水曜日に、
CEDEC 2002 http://cedec.cesa.or.jp/
というイベントで人工知能について講演することになっている
(まだ、何について語るか決めてない)。
いつものことだけど、その日が間近にせまると、
なんで引く受けてしまうんだろうと後悔しきり(笑)。
だいたい、こうした依頼は、2ヶ月も3ヶ月も前だから、
なんかそんな先の話ならと油断してしまうのだった。
それにしても、人見知りってなおらないもんだねぇ。
きっとこれは死ぬまでそうなんだろうなぁ。
(高所恐怖症も)
それに、この間気がついたんだけど、人見知りする人って、
ネットワークゲームをやってるときでも人見知りするのね。
我ながらビックリした。(笑)
誰かに聞いたり、助けてもらえばいいのに、なんか話しかけれない。
誰かが親切に近づいてくると逃げ出してしまう有様。
むいてないかも。
 ●
なにげに「あるある大辞典」を見ていたら、
もやしに栄養がありありと言ってた。
漬け物にも栄養が!のときも驚いたけど、もやしも栄養あるんだ。
それにしても、よくまぁ、世の中、
これだけ栄養のある食べ物があるなぁと感心っていうか、
なんでも栄養あるんじゃないの、これじゃあ。


2002/09/06(金)
自走掃除機

どうも世の中「役に立つ」ものしか
受け入れられにくくなっている気がする。
エンターテインメントの世界でも、そういう気配がしてならない。
不況の世のムードが、ムダなことをするのを許してくれない。
「特打」のようなタイピングソフトが売れた時なんか、
とくにそう感じた。
特に電気的エンターテインメントは、
「時間の浪費」という罪悪感がつきまとう
(同じ遊びでも、スポーツなんかだと身体を使う=健康につながる)。
どうもなぁ、
「ムダ、無意味を楽しむ」のが
エンターテインメントの醍醐味という気がしないでもないが、
ま、時流だからしかたがない。
ただ、役に立つエンターテインメントというと
、すっごくダサイ感じになるのに対して、
おもしろいユーティリティーというと、がぜんおもしろく感じる。
(実は両者の機能はほとんどかわらないのに)
んなことを、
某エンターテインメント型ロボットのブレインmtgで話してたっけ、
なんてことを↓の記事を見て思い出した。
自走掃除機「トリロバイト
それにしてもこれほしい~~~っ。
いくらぐらいになるんだろう。
ボクには掃除ができるペットにしか見えない。
生き物っぽいって、
なにも外見が犬やネコじゃなくってもいいんだよねぇ。
しかし、なにも「トリロバイト」なんて、
硬苦しい名前にしなくてもよかったのに。
「トリロン」とか「トリたん」とかでもよかったのでは。
それにしても、
「掃除が終わると、自分で専用充電台に戻り、自動充電を行います」
ってあたりがイイし、
「充電台の位置によっては、自動で戻らない場合があります。」
てのが、またおバカでよろしい。
ただし、
「家具やソファーなどの障害物をよけて掃除を行なう」ので、
彼が自由に動き回って掃除ができるように、
部屋をきちんとかたづけないといけないだろうなぁ。
って、本末転倒か。


2002/09/05(木)
ビデオテープがなくな

今日ついにうちからビデオテープが消えた。
何ヶ月かかったんだろ。3,4ヶ月かかったのかなぁ。
家にいる少ない時間を利用して、
コツコツと撮りためてあったビデオテープをDVDにダビングしていた。
テープの数は数えていなかったのでわからないけど、
衣装プラケース7ケース分あって、
全部ダビングするのにDVD-Rのディスク104枚を使った。
(きっと、ほとんどのデータは、このまま見られないまま保存され、
次世代の保存メディアに移行されるに違いない)
全てのDVR-Rディスクがめいっぱい使われているわけでないので
正確な数字じゃないけど、
4.7ギガバイト×100枚くらい=470ギガバイトの情報量になる。
これはスゴイ!と書こうと思ったけど、きょうび、
これくらいのデータ量なら1つのHDDにすっぽり入ってしまうのね。
と思うと100枚以上のDVDディスクに保存ってのは、
はたして正しかったのか。
とわいえ、衣装ケース7箱が、
ディスクケース4つ(衣装ケースの1/2以下)
になってしまったのだから、
ありがたい。
わぁ、すっきりした。
でも、その割に部屋が片づかないのはどういうわけだ。
前にもお勧めしたように、
一時録画用にHDDレコーダー、保存用にDVDレコーダ。
この組み合わせは最高です。
ほとんどのエアチェックした映像は、1回も見れば十分であって、
そうやたらに永久保存しておきたいなんて思うものはない。
今までは、一時保存も永久保存もすべてビデオテープに担わせていたから、
いつの間にか、とんでもない量のストックになってしまっていたのだ。
という構造だったことが、上のシステムを使うようになって、
よ~~くわかった。
もう後戻りできないですね。
(このさい、ビデオデッキも捨ててしまうかな)
というわけで、
これからボクに録画を頼む人はDVDで納品となりますからね、
注意してくださいね。
今なら、両者が一体になったマシンも出ているので、お買い時だと思う。
これとか↓
http://www.panasonic.co.jp/products/video/digital/hs2/index.html


2002/09/04(水)
出前地獄

ず~~っと外食が続いている。
外食ったって、食べに出られればまだなんとかなるけど、
ず~~っと出前となると、マンネリもはなはだしい。
(ああ、自分で作りたい)
「腹減ったねぇ、何か取ろうか」ということになって、
候補が読み上げられる
「●右衛門の弁当は?」
「変わり映えのしない幕の内の攻撃がモリリンを襲う。
 モリリンの食欲が5下がった」
「じゃあ、オー●ルのカレーは?」
「小麦粉のくどいとろみがモリリンを襲う。
 モリリンの食欲が10下がった」
「じゃあ、勝つ●のとんかつは?」
「脂っこい揚げ物の攻撃がモリリンを襲う。
 モリリンの食欲が20下がった」
「んじゃああ、ピ●ーラのピザは?」
「まったりとしたチーズがモリリンを襲う。
 モリリンの食欲が10下がった。
 モリリンの食欲は死んでしまった」
「どれにするんですか!」
「う~~ん、どれもピンとこない」
これじゃあ、某プロデューサーと同じじゃん!

味のことはともかく、野菜が不足しまくっているのが辛い。
野菜定食とか野菜丼とかはないのか!といいたい。
なのに、世の中には野菜を食べない人っているのがいる。
(ぼくらの業界では驚くに足らないくらい多い)
ピーマンが嫌いとか、セロリは食べないというのではない。
野菜全てが嫌いで食べないのだ。
それでも元気に生きているのだ。
野菜を食べない人をどうのこうの言う「手」はいくらでもあるけど、
食べないとダメ~~っていうより、食べなくても平気っていうほうが
強いというか適応しているというか優秀っていう気がしないでもない。
そもそも、野菜は第6の栄養素(食物繊維)が
豊富だということで大切がられている。
しかし、第6のってーは、
サッカーなどで12番目の選手
(サポーターのこと)っていっているのと同じで、
聞こえはいいけど、要は直接は必要ないヤツってことだから、
食べなくったっていいっちゃーいいんだろう。
むしろ、菜食主義者のほうが、栄養的な害は大きいだろう。
今ちょうどテレビに映っている牛たちの食事(草)が
すっげーうまそうに感じるのは、
かなり重症な証拠なんだろう。


2002/09/03(火)
ボイド的社会

タマちゃんとか、
カルガモ親子に対するフィーバー(死語)ぶりを見ていると、
私たちは、ゴジラが東京湾に上陸してくても、
(逃げずに)見に行っちゃうだろうなぁ。と思う。

そんなぁことより、
それぞれのキャラに、次のようなルール(だけ)を与えて、
20匹くらいのグループをつくる。
1.グループの中心に向かおうとする。
2.仲間とスピードと方向を合わせようとする。
3.仲間や障害物とぶつからないように回避する。
たったこれだけのルールじゃあ、そう大した動きしないと思うでしょ?
ところがどっこい、けっこう、生き物っぽい動きをするんですよ。
<参考>
http://web.media.mit.edu/~lifton/proj/Boids/
http://www.red3d.com/cwr/boids/applet/
これらは、
「ボイド」と呼ばれる人工知能業界では
有名なアルゴリズムなんですけどね、
個体個体は単純な動き(ルール)なのに、
集団になると複雑な動きになる(見える)っていう典型例なんです。
アリやハチの社会なんかもこれに該当しますね。
つまり、ぼくらは、1つ1つは単純だけど、
それがたくさん集まったときにどう振る舞うか、
そういった「複雑系」について予測ができないのです。
つまり何がいいたいかと言うと、
上のような単純なルールしか持たないキャラが20体そこそこでも、
予測不能な複雑な振る舞いをするのに、
同時に数千人の人間様が脳をフル回転させて自由に判断して動き回る、
マッシブマルチプレー型ネットワークゲームで
どんなことが起こるか予想せい、
予防せい、準備せい、なんて言われても、そらぁ不可能なんです。
学術的に不可能なんっす。
精神論ではどーにもならんのです。
といいたい。
起こったことに対してなるべく早く対処する、
くらいしかないでしょう。
といいたい。
これは、今までのスタンドアローンで遊んでもらうゲームでは
考えられんことです。
ゲーム中の遊びの要素は把握しているんだけど、
たくさんの人がそれをどう使うか、
どのタイミングで、どのくらい使うか、
その総和がどういう結果を生むのか、、、
いやぁ、全然わからんっすねぇ。
ここらあたりが、
ネットワークゲームを作ることの醍醐味だなぁと思ってます、
思わってみせる、思いたい、思えるかもしれない、
思えないこともない、思うべきか、、、




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