人間風車

2002/10/31(木)
動物が先か、植物が先か

まずは巨人優勝おめでとう。
それにしても、この4試合はできすぎ。
特にピッチャー。
あの4人があんなに調子がよければ、どこだって勝てないよ。
シーズン中でも、4人が揃ってあんなに調子が良かったってことは、
あんまりなかった気がする。
岡島、条部まで調子がよかったもんね。
そういう意味では、西武は不運だった気がする。
それにしても、
二岡のMVPに文句はないけど、清原にあげてほしかったなぁ。
たしかにヒット数は3本と少ないけど、初戦の先制ホームラン、
3戦目の同点ホームランは、意義の上ではMVP級だと思った。
 ●
それはそうと、
最初に生まれたのは、動物性の単細胞動物だったんだろうか、
植物性の単細胞動物だったんだろうか。
動物性か植物性かは、細胞壁があるかないかで区別されるので、
最初は柔らかい膜だったのが、硬くなったのか(動物性から植物性へ)、
硬かった膜が柔らかくなった(あるいはなくなった)か
(植物性から動物性へ)、
どっちなんだろ。
理科の知識として動物、
植物を分けるのは細胞壁の有無だってのは知っていたけど、
よく考えたら、それがどうした。っていうか、
壁のあるなしがどれほどたいそうな差なのか、
そんなこと考えたことがなかったが、
いつもの帰り道、ふと思いついた。
昔はみんな動物だった。細胞には壁がなく、ふにゃふにゃしてた。
おかげで、しなやかに曲がったり、動いたりすることができた。
ある日、その中の一人が病気で身体が硬くなってしまった。
調べてみたら、細胞の1個1個の皮が固くなっていて、
細胞が自由に変形できなくなったのが原因だった。
細胞の皮は見る見る厚く、硬くなっていき、
皮と言うよりは壁という感じになってしまった。
おかげで、身体は完全に硬直し、
とうとう動くことが出来なくなってしまった。
彼はひどくなげいたものだが、ある日、
この特質をポジティブに考え直すことにした。
みんなの細胞は柔らかいが故に弱い。
細胞は死んだら溶けてしまう。
だから、年をとると身体をささえることができなくなって、
エサをとれなくなったり、逃げられなくなったり、
複雑な内臓をコントロールできなくなったりして、
あっさりと死んでしまう。
それに対して、硬いから崩れない。死んでも殻が残る。
むしろ、外側を死体のままに、
中側だけを生きた細胞のままにしておけば、
外界から身を守ることも出来るし、雨や風に対して丈夫だ。
ただ、動けないから、獲物を取りに行けない。
そこで、葉緑体(かつては独立した生き物だった)と
話をつけて共同生活をすることにした。
彼を住まわせ育てる代わりに、
彼が作った食料(ブドウ糖)を分けてもらうことにした。
また、動けないから、
パートナーを見つけ子孫を残すこともむつかしくなった。
それは、以前の仲間(動物)に頼むことにした。
タダで作れるブドウ糖を駄賃にして、
代わりに子孫(花粉や種)を運んでもらうことにした。
こうして彼は、
動けないハンディを他の人の協力を得ることでうまく克服し、
逆に、運動をするための筋肉やそれを制御する神経系(脳)も
栄養を摂取し循環させる複雑な内臓もいらなくなり、
シンプルで低コストな身体になれた。
このため、さらに省エネ化が進み、
寿命を延ばすことができるようになった。
動けないこともまんざら悪くはない。と彼はそう思った。
なんて感じで進化してたらおもしろいのになぁ、とか思った。
実際、裸子植物(実をつける植物)が誕生するのは、
7000万年くらい前である。つまり、恐竜より新しい生き物なのだ。
 ●
爪を切る夢というのは、
「今ある関門を突破できる」という暗示だそうです。
というメールをいただきました。
正夢でありますように。


2002/10/30(水)
もろもろ

今日にも巨人が日本一になる(笑)(笑)(笑)。
巨人ファンは135戦全勝でもうれしいんでしょ、
というくらい勝ちにこだわってると揶揄されるけど、
いいんだもん。つおいってすばらしい。
それにしても、
他の球団だったら3~5番を打っていただろうと思われる選手が
何人いるだろうと数えてみると、
仁志、二岡、清水、高橋、松井、清原、江藤、阿部と
8人もいるじゃないですか。
これにピッチャー入れたら1球団できてしまうことになる。
こりゃあ、つおいはずだ(笑)。
それでうれしいのかって、それはうれしいに決まってる。
パーティー全員レベル99にしてボスキャラに挑みに行くような快感さ。
 ●
最近、macでコピー&ペーストが出来ないことが多い。
最初はOSかキーボードが逝ってしまったかと思ったけど、
ふと見ると、caps lock+c(v)を押しているのに気がついた。
これではコピー&ペーストはできない。
最近バカウインドウズをさわる機会が多く、
ウインドウズのコピー&ペーストである
control+c(v)のほうを手が覚えてしまったのだ
(ウインドウズのcontrolキーの位置にmacはcaps lockのキーがある)。
なんか、昔、
嫌いなやつのタバコの消し方のクセをまねてしまってて
自己嫌悪に陥ったときの気持ちに近い、いやぁな気分(笑)。
きっっと、macも「最近、なんだやたらcaps lockを押してヘン」と、
ぼくの「浮気」に気がついてるだろうなぁ。
だから、怒って、アピアランスが壊れるとか、
そんなあり得ない故障を起こしたりしてるんだ。
今は仕事でど~~~~してもウインドウズの
お相手をしないといけないんだけど、
でも、愛しているのは君だけだよ、ベイビー。
 ●
そういえば、最近よくツメを切る夢を見る。
実際、髪の毛とかひげとか伸び放題でも平気だけど、
爪だけは短くしていないと気が済まない。
深爪ギリギリまで短く切らないと気が済まない。
んで、慎重に慎重に爪を切っているという実にリアルな夢を見る。
別に深爪してしまうとかいった「事件」も起こらず、
粛々と爪を切っているだけの極めて地味な夢。
よく締め切り前とか、誰かに追いかけられる夢とか見るけど、
これなんか何を象徴しているのかわかりやすい。
(昔は必ず捕まってしまったけど、最近は何故か逃げ切れることが多い)
それに対して、爪を切るってのは何の象徴なんだろ。
何度も見るってからには、
それなりのシグナルだと思うんだけど、見当がつかない。


2002/10/29(火)
せっかち

ドッグイヤー(1年で7年分進む)だから、
急げ急げといわれる。
一方、スローライフで生きたらともいわれる。
ドッグイヤーだなんてせかされて生きるのは辛いけど、
せっかちな性分なので、のんびりと生きるのもむつかしい。
のんびり暮らすにはどうしたらいいか、
どういう生活フォーマットが最も効率よくのんびりできるか、
そんなことをせっかちに考えてしまいそうな気がする。
最近、つくずく自分がせっかちだと思ったのは、
電動歯ブラシでゴシゴシ歯を磨いているのに気がついたときだ。
なんのための電動歯ブラシ、、、
せっかちだから、効率が悪いって事も嫌いだ。
ネコにエサ(パッ缶)を開けてやってから、
電子レンジで牛乳を温めようとした自分に後悔する。
牛乳を電子レンジに入れてから、
エサをやるという手順の方がロス時間が少なかったからだ。
頭から洗い出してしまったときも後悔する。
身体を洗って、(流さないまま)頭を洗えば、
頭を流すとき身体の石けんも同時に流せるから、
そちらのほうが効率がよいからだ。
ともかく、そういう効率の悪いことをする自分がイヤっていうか、
そういうことを反省してしまう自分がイヤだ。
だから仕事でもムダがでることがとってもイヤだ。
ムダがでるといけないから、
いきなり仕事に手をつけることはしない。
段取りを考える。
自分がこれから行おうとしている作業手順が
本当にロスのない手順なのか、
十分に考え、テストをすることさえある。
ムダが出ないためなら、どんなムダもおしまないのだ。
そして、最大限の費用対効果を求める。
よく、手順をあれこれ考えてるより、
さっさと始めちゃったほうが早いんじゃないのといわれるけど、
そうはいかないのだ。


2002/10/28(月)
インカのジャガイモ栽培

ジャガイモの発祥地インカでは、複数の種類のジャガイモをまく。
例え、天候が悪くても、病気が流行っても全種は全滅しない。
つまりなにがあっても収穫できるようにという知恵なのだ。
それもこれも、インカの段々畑は痩せていて安定していないので、
そうしたリスクマネージメントが必要なのだ。
これが肥沃な安定した土壌だったりすると、
こうしたやり方は効率が悪いことになる。
その土壌に最も適した少ない種類のジャガイモだけを
栽培する方がうんと効率がいい。
そんなことは当たり前だし、誰でもそう思っているだろうけど、
肥沃で安定してた土壌が急激に痩せたり、
天候が悪くなったりした場合、
どうするべきかってなると、それぞれに判断が違う。
インカのように、多様な品種を栽培して全滅は避ける、
もしくはその中から
悪環境に適した品種を探し出すという方法に切り替える、
もう一つは、
さらに、過去から今までによく育った、より少ない品種にしぼって、
ムダを少なくしようという方法。
前者は長期戦を覚悟し、
目先のことより未来の安定に焦点を当てているのに対して、
後者は現状の維持に注力する方法といえる。
ゲーム業界は、今や斜陽産業と言われているけど、
景気を土壌に置き換えると、
ジャガイモの種類を絞ろう、
絞ろうとしているソフト会社が多い気がする。
過去、あるいは今育っているジャガイモばかりが求められる。
今やっているプロジェクトの遊びの一部が、見方によっては、
「動●の●」にある遊びの要素に近いといえば近い。
ぼくらとしてはもちろんオリジナルな遊びだと思っているし、
誰かの作品に近くならないよう、近くならないように注意している。
ある会議で、そうした似てる的指摘があったとき、
「もちろん、そう思われないよう(近寄らないよう)注意します」
と言おうと思ったら、
「ああ、あの売れたゲームに似てるんだ」
とあきらかに、安心したような表情をされたのにはガッカリした。
(もちろん、
制作の現場にはそんなことを喜んだり勧めたりする人はいないけど)
今売れているモノが来年の今日、売れる遊びである保証はない。
むしろ、環境が悪化の一歩をたどっていることを考えると、
今売れているモノはやばいんじゃないか、
と考えるほうがまっとうな気さえする。
そんな中、某社の人と会って話をしてたら、
体力が残っている今こそ、
インカ的戦略ができる(ラスト)チャンスなのだ。
ということで、意見が一致。
「そういう視点で一緒に何かを」という話をいただいて気分がよかった。
ゲームの王道を突き進んでいる、本来なら最も保守的であるような、
誰でも知っている某社(頭文字ですらばれる)が、
そういう危機感や考えを持っているのには驚いた。
そういう話なら大好きさ。
早く時間を作って、企画をまとめ見てもらおうっと。


2002/10/25(金)
stack over fow

10月末のベータ版を前にして、
ネコの手でもバカの手でも借りたい毎日。
っていうか、信号待ちしているときなんか、
ここに車が突っ込んできてくれれば「ごめんね、作業途中で」
って死ねる(=休める)のにとかつい考えてしまう今日この頃。
ほんっと、ゲームって作ってて楽しいのは、
ああいう遊び入れたいねとか、
こんなアイデア考えたよとかそんな話で盛り上がれる前半だけであって、
この段階にはいると、バランス調整、バグ取り、メモリー管理、
締め切りなど、しんどくてつまらくって、
しかし極めて重要で気が抜けない作業ばっかりになるから、
イヤになっちゃう。
根気よく、慎重に、計画的に、緻密になんて、
おおよそ自分の性格の対極にあるものばかり。
こんな時、つくずく自分はプロト作家に向いているんだろうと思う。
こういうのを作りたいっ、こう作ったらとかそういう段階まで監修して、
「後は君たちだけでも立派にやっていけるはずだ」と去る。
そんなスタイルが理想だ。
と言ったらスタッフに「誰だってそうだ」と
子供の戯言を聞くような目で見られた。
ま、そりゃそうだ。
子供で思い出したが、
そんなのっぴきならない状況の中、
うちのNは「今日は『探偵神宮寺三郎
(ゲームね)の発売日だから」と
会社を休んだ(ゲームをやるために)。
たしかに、ボクは常々
「時間の使い方は任す。
締め切りと質さえ守ってくれれば、会社に来なくったっていい」
と言っている。(実際Nはそれは守っている)
んが、ベータ版締め切り1週間を切った今日である。
連日、みんな昼から朝までがんばっている今日この頃である。
いつ突然の質問や注文が入るかもしれない。
例え手が空いていたとしても待機するのが大人ってーもんだ。
会社を休んでゲームをしているだけでも子供なのに、
「だって、ずっと前から楽しみにしてたんだから」って理由が、
全く子供だ!
さすがに、筋肉痛を肺ガンと間違えただけのことはある。
さすがに、
スワンボートを大きな鳥と見間違えて腰を抜かしただけのことはある。
さすがに、
クリスマス(のケーキ)を誰かの誕生祝いだと思ってただけのことはある。
ゲームクリエイターには「子供心」が必要だとよく言われるけど、
そういう意味では、Nには天性の素質があるといえるのかもしれない。
(っていうか社会復帰は不可能だ)
一方、こっちは、いつものせっかちさが出て、
つい「いい、俺がやる」と仕事を増やして自爆してしまっている。
説明したり、チェックしたり、
できあがってくるのを待ったりするのがイヤなので、
ついそう言ってしまう。
そして、いつものようにパンク。
脳内のモニターには、"stack over fow"というメッセージが点滅している。
「何かお手伝いできることがあったら言ってください」と
社交辞令で言ったスタッフもまた、同じ地獄の釜に入っている。
いかんのよねぇ、これは。
船長はなんもしないで、水平線を眺めていないとダメなんだよね。
エンジン調整したり、ボイラーたいたり、炊事したり、
掃除してたりと細部を見ていると、
船がコースをはずれてしまうことがあるから。
とくに今回のように、
横から突然の突風(これも馬から落馬的表現なのか?)が吹くような場合は、
特にちゃんと見てないといけないはずなのに。
そのためには、ホント何も具体的な作業はしちゃあいけないのだ。
とわかっちゃいるけど、できない。
そこがぼくとムームーの最大の弱点だろうなとも思うけど、
性分だから仕方がないか。


2002/10/24(木)
我々は不安なのだ

某テレビ局から「マスクラット」を探す番組への出演以来がきた。
マスクラットって何?
マスカットの間違い?
ぼくとマスクラットの関係は?
とかいろいろ想像したけど、
外来のネズミである「マスクラット」のことだったのね。
それはわかったとして、
そのテレビ局の人と知り合いじゃないし、ぼくが著名人でもないのに、
なぜそんな依頼がと思ったら、
人間風車でちょこっと書いていたのだった。
(っていうか、「マスクラット」について書いているのではなく、
「マスクラット」てのもいるのね。
とし書いただけなのですっかり忘れていた)
だから、きっとgoogleかなんかで「マスクラット」を調べて、
ぼくんとこにたどり着いたんだろう。ということで決着。
便利になったもんだ。
で、取材の件ですが、もちろん断りました。
別にネズミに興味ないもん。
 ●
今日、みんなで(パエリアの)宅配弁当を食べながらテレビを見ていると、
竹中大臣がいろんな人に攻撃されていた。
その議員さんの反対意見というのが、
学級会での発言かというくらいのレベルの発言であって、
理屈になっていなかった。
(こりゃダメだ。やっぱドル預金にしてよかった)と内心おもった。
竹中大臣の方針というのは、
きっと理屈的というか学問的には正しいのだろう。
ただ、その方針に日本人ならではのメンタリティーという
パラメータが入っていない気がする。
日本人は不安になりやすい。
つい先日新聞にも出てたけど、
日本人は、あるプロモータ遺伝子の長さが西洋人に比べて短い。
このプロモータ遺伝子が長いほど、不安になりにくい。
だから、日本人の不安症というのは遺伝的な気質なのだ。
髪の毛が黒いとか、アルコールに弱いとかと同じで、
どうしようもなく持って生まれたものなのだ。
だから、すぐに不安になってしまうのだ。
そもそも不安というのは、ソース(理由)がない。
(もっとも、ある恐怖や不満がトリガーや
二次的な要因として働くことはある)
その点、恐怖や不満という情動とは異なる。
いつ誰かに狙撃されるかわからないというのは、
恐怖であって不安ではない。
だから、どんなに幸せの絶頂にいようが不安になれるし、
あるいは逆にどんな逆境でも不安にならずにいられる。
それが証拠に、脳内のセロトニンの濃度を上げてやると、
重度の不安は化学的に解消されてしまう。
マヒさせるとかじゃなくって、その実体自体がなくなるのだ。
で、えっとえっと、
竹中さんの提唱する、
痛みをともなう迅速かつ断固たる改革は正しいし、
そのためのペイオフも正しい。
ただし、それは西洋的な手法としては、の話だと思う。
竹中さんレベルの知性と教養の持ち主なら、
そうした痛みが経済回復の速度を高め、
最終的な痛みとしては小さくなるとか、
銀行の状態の情報公開によってペイオフのリスクは回避できる。
と理屈で不安を押さえつけることが出来るだろうが、
われわれ一般ピーポーにそれを求めるというのは、
ちょっとどうかと思う。
体臭を舐めるんじゃねぇ。じゃなくって大衆をなめるんじゃねぇ。
といいたい。
進んで不安になりたがってるのでは?
不安がないと不安なのでは?
と思いたくなるくらい不安になりやすいのが我々日本人なのだ。
ペイオフ解禁と聞けば、
それがどういう仕組みなのかなんて関係なく瞬間的に不安になり、
例え10万円の貯金でも大手銀行に預金を移そうとするのが、
我々日本人なのだ。
痛いとか淘汰とか断固たる決意とか、
そういう言葉は日本人には禁句なのだ。
同様に、業績本位の査定とか、実力主義とか、
苛烈な競争とか弱肉強食も禁句なのだ。
(個人的には、企業に(本人が望めば)終身雇用を義務づけるほうが、
日本人にはいいんじゃないかと思う)
不安にはソースがない。
どんな些細な、どんなに無関係なことでも不安になる。
しかし逆に考えると、不安を解消するのに理屈や根拠はいらないことになる。
不安にならないようなムードさえ演出できればそれでいいことになる。
(その点、女性の恋愛感情に似ているかもしれない)
そのあたりに、日本的不況脱出法があるような気がする。


2002/10/22(火)
イメージショット

肉体も精神も、生まれたときから右上がりに成長していき、
20代後半をピークに下降していくという山なりの曲線を描く。
どれかひとつくらい、
ずっと右上がりなことってあるといいかなとか思った。
欲がらみだとギラギラしすぎてアレだから、
例えば、年とともに足が速くなるとかだったら、
おもしろかっただろうな。
生まれたときから右上がりで速くなる。
老人であれば老人であるほど高速移動するってなったら、
町の風景は全然違ったものになってただろうな。
100才越えたじじいなんて、速すぎて見えない。
かろうじて空気摩擦で焦げたニオイがするだけとか。
いつか、そういう絵本を描きたいとちらっと思った。
どうも昔っからストーリーが作れない。
起承転結を考えられないと言うか。
できることといえば、
ある瞬間のシチュエーションを思い浮かべることぐらいで、
これでは1,2ページで事足りてしまうので、
絵本や漫画や小説になりにくい。
つまり、「商品」としてなりたちにくい。
なんとか、利用法(表現方法)はないものかと考えているのだけど、
今だイイ方法が見つからない。

ある日トイレにいったら、
おしっこがとまらなくなってしまって困ってしまう。
ふと見てみると、となりにも同じ状況の先客がいた。
二人はしきりに困った困ったといいながら、
でもどうできるわけでもなくいる。

この夏、いよいよ地上出だけど、確かに生まれたとき、
頭上は空き地だったけど、今でもそうだろうか?
道路になっていたり、
家が建ってしまってたりしてないだろうかと心配しあっている。

人にウソをいっては、鼻を伸ばしてしまうピノキオ。
でも、彼は故意にウソをついていた。
伸びた鼻を削って割り箸を作っては、生活の足しにしていたのだ。

実はあらゆる(自然)死は、(見えない)神による殺人だった。

チンチンは実はキノコだった(わけわからん)とか、
ある日地球上の全てのアリが巣穴から宇宙船で故郷(宇宙)
に旅立ってしまうとか、
ああ、文章に書くと、すっげーダメじゃん。
時間があったら、(脳内の)イメージショットを撮っておこう。


2002/10/21(月)
心の曲がり角

うちのバカ猫は12才くらいなので、
もうすっかり年寄りの部類に入る
(猫の年齢を人間の年齢に換算するときは
7倍すると言われているから84才となる!ホントくぁ???)。
うちのメダカは、
寿命は4年くらいといわれたのに、もう7年も生きている。
(4年が寿命ということだから、人間に換算する場合は、
だいたい18倍くらいか。
とするとうちのメダカは今年126才くらいになる)
で、おいらが43才ということなので、
スゴイ老人家庭ということになる。
(あ、おれが一番若い!)
40になった直後は、
この「40」という響きがイヤでイヤでしようがなかった。
女性が年齢を言いたがらなかったり、
さばを読む気持ちがなんとなくわかった気がした。
なんか、40という言葉を吐く度に、
その回数分だけふけていく気がしたもんだ。
が、最近はだいぶんと開き直ってきた。
年とともに肉体が朽ちる。
それをなんとかひきとどめようとして努力は止めて、
朽ちた肉体でできることは何?と考えるようになってきた。
女性に持てるように身体をキープする
(そんなことしたことないけど)というよりは、
こんな身体でもイイといってくれる女性を捜そう。
ま、そういう感じに発想が転換してきたわけだ。
まだ、「老いもまた楽し」なんて気持ちにはなれないけど、
きっと、こうやって、
少しずつ壊れていくことが老化であり
死なんだなぁという実感が沸いてきた。
それはそうと、
最近、年齢によって趣味というのは変わっていくもんだけど、
最近の趣味が、
自分が小学生だったころの趣味と同じになってきた、
戻ってきたという感じがする。
今ほしいものは、
電子ブロックとT2戦車のプラモデル(大きいヤツ)だし、
巨人ファン度も20代より強まっている気がするし、
釣りやプロレスやボードゲーム好き(復刻した)なんてのも、
小学生の頃と同じ気がする。
高校生から20代終わりまでは、なんていうのか長~い反抗期で、
常に、乾いていて、満ち足りなくて、
不安と不満で、社会に怒り、神に怒り、自分に怒って、
宇宙の全存在と戦っていたような気がする
(これといってそうしなくちゃならない
原因があったわけでもない気がするけど)。
だから、ロック以外、趣味なんてのはなかった。
そういう「憑き物」も40を過ぎると自然に取れるものらしく、
何か決着がついたとかいうわけでもなく、
怒りも不満も不安も自然に収まってしまった
(なくならないけどね)。
と同時に、昔の趣味がよみがえってきたわけだ。
ちょっと前「25才はお肌の曲がり角」というコピーがあったけど、
「25才は心の曲がり角」なのかもしれない。
25才で心が折り返したとすると、
今の心は7才と同じ位置ということになり、
だいたいそのころの趣味と今の趣味は一致している。


2002/10/18(金)
(芸術家になるべきだった!) ま、ともかくまだ落書きが止まらない

ちょっと古いネタですけど、
沖縄県の中学校の男性教諭(33)が、
自宅マンション8階から猫を投げ捨て、
ひん死の重傷を負わせたとして、
器物損壊の疑いで現行犯逮捕された。
男性教諭は、
同せい中の女性(30)に別れ話を切り出されてけんかになり、
「腹が立ったので、女性がかわいがっていた猫を投げ捨てた」らしい。
那覇署は
「悪質なので、罰則の重い刑法を適用した」
と説明している。(毎日新聞)という事件があった。
腹が立ったので本人を投げたならわかるけど、
代わりに猫を投げたのはどうかしている。
ペットを投げ捨てたことが
「器物損壊」になるということにも驚かされるが、
それ以上に
「器物損壊」という罪の方が、
動物愛護法違反の罪より重いということに驚かされた。
 ●
IQテスト問題で思い出したが、小学1,2年の間に、
ぼくは2度、親と先生の面談があった。
一つが、昨日のIQテスト問題であり、
もう一つは授業中の落書き問題であった。
ともかく落書きを始めると、描いている世界に入ってしまう。
子供の頃だから、その世界というのは、
宇宙戦争とか怪獣との戦いだったりする。
戦いだから命がけなのだ。子供の遊びとは訳が違う。
のほほんと算数なんかやっている場合ではない。
真剣に戦っているので、
ついつい、ビューンだとかダダダッという擬音が口から出てしまう。
ということで、このときは親が学校に呼ばれ、ぼくも同席させられた。
いまでもはっきり覚えているが、
「こういう悪いクセは今のうちに直さないと将来大変なことになる」
と野田先生が親に注意をしていた。
地球を守ることがどうして悪いのか!
さすがにそんなことは思わなかったが、
落書きが将来に悪影響を及ぼす悪戯だと言われたことは、
とってもショックだった。
それが今となっては商売になっているのだから、世の中わからんもんだ。
そういえば、落書きというのは誰でも、
大人になってもするもんだと思っていたが、
どうもそういうもんでもないらしい。
ぼくは相変わらず落書きのクセがぬけない。
待ち合わせをしているときや打ち合わせ中などは、
いつも落書きをしている。
(紙がないときは手にでも落書きをしてしまうのは、
自分でもいかがなものかと思っている)
ただ、昔のように落書きの世界に入り込んでしまうってことはなくなって、
ちゃんと人の話は聞いているし、意見もいう。
ただ、落書きをしない人から見ると、
大の大人が紙いっぱいに落書きをしている姿は、
異様に見えるか、すっごくつまらないための所行に見えるらしい。
ともかく評判がよくない。
特にデート中はすこぶる評判が悪い。
ところが、絵の質としては、この落書きの絵の方が、
ちゃんと仕事用に描いたよりイイ場合が多い。
糸井さんは、いつも落書きのほうをほめてくれる。
これはどうしてだろう。
見せることや使われることを意識していない分、
自由に描けているからだろうか。
(だったら、ぼくは芸術家になるべきだった!)
ま、ともかく、そういうわけで、まだ落書きが止まらない。
将来、大変なことになるかもしれないので、早く止めないといけない。
以前「ほぼ日」で落書きをたくさん発表した残骸がここにあります。


2002/10/17(木)
IQ診断

IQ(Intelligence Quotient)には、ちょっと悲しい思い出がある。
たしか小学1年か2年の時、知能テストがあった。
問題の全容は覚えていないが、
一つだけけっこうハッキリ覚えていることがある。
問題の一つに、バスの絵が描かれていた。
(この絵を使ってどういう質問がされたかは覚えていない)
ただ、このバスの絵を見て、ぼくはどうにも落ち着かなくなってしまった。
このバスにはドアがなかったのだ。
きっと、ドア以外のディテールも描かれていなかったと思うんだけど、
森川少年にとって、ドアのない車はいけなかった。
詳細は覚えていないけど、
ドアのないバスに乗っている人たち
(そんなの描かれてなかったと思うが)が、
慌てふためいているとか、運転手が悪者に変身したとか、
いつの間にか自分もバスに乗ってたりとか、
そんな妄想が次々に沸いてきたので、
テストどころのさわぎではなくなってしまった。
(今思うと、『ウルトラQ』第28話「開けてくれ」なんかが、
原体験的に影響してたんだと思う)
その後、どのくらい解答したのか覚えていないけど、
そのテストの結果(点数)が大変なものだったのは確かだった。
テストの点数が出た直後、先生が家庭訪問に来たのだ。
どんな話がされたかは、とうとう聞けずじまいだったが、
IQテストの点数が低い=知能が低いってことだから
(と当時の先生や親は思っていたに違いない)、
おそらくは、
「森川君の実力にあった、ちょっと特別なクラスへ転入したほうが、
本人も楽じゃないでしょうか」とか、
きっとそんな話が出たんだと思う。
以来、うちではIQとか知能とかいう言葉が出ることはなかったし、
先生が妙に励ましてくれたりしたし、
他の子は、親か先生からIQテストの点数を教えてもらったのに、
とうとうぼくだけ教えてもらえなかった。
ぼくの知能指数は相当すごかったに違いない。
親も先生もひた隠しにしてたけど、
子供心にうすうすそんなことを感じていた。
社会や理科の点数が悪いのとは意味が違う。
知能が低いのだ。
今では、だれもがIQテストの点数が
知能とは関係ない事くらいしっているけど、
当時は、それに子供は、真剣にそう信じられていたから、
かなりショックな出来事だった。
以来、IQテストを受け直すチャンスがなかったので、
名誉を挽回することができなかったが、
なんと、インターネットを通じて
IQテストができる時代になったじゃありませんか。
「10分でIQ診断」
さっそく試してみた結果は、以下の通りだった。
「知能指数、ふつうに戻ったみたい」と親に伝えるべきだろうか。
しっかし、このIQって概念、百害あって一益だと思うんだけど。

※試してみる方へ:
 問題自体は簡単なので、時間をかければ誰だって正解できる感じ。
 ただ、点数の査定には解答時間も査定されるみたいですよ。

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ソースネクストの「10分でIQ診断」をご利用頂きありがとうございました。
テスト結果は下記の通りです。

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試験名 オンライン知能テスト
受験日 2002/10/17
開始時刻 05:54
終了時刻 05:58
所要時間(分) 4 分

         満点 得点 IQ   
判定結果 100点 100点 139.57


2002/10/16(水)
三つ子の魂百までも

ストレスに強い、弱いは、
乳児期の親の育児態度で決まってしまうらしい。
乳児期の親が、
その子供の要求をいかに正確に理解し、
それに的確に応答するかという「情緒応答性」の「でき」で、
将来その子供が社会に出たとき、
ストレスにうまく対応できるかどうかが決まってしまうのだそうだ。
「三つ子の魂百までも」ということわざがあるけど、
才能から性格、
体質までほとんど3才までの育てられ方で決まっちゃうってことっすね。
「親がなくても子は育つ」とはいうけど、
幼児期の親ってのが、決定的な影響を与えてしまうってのだなぁ。
さらに最近では、運動神経や芸術的な才能ばかりでなく、
太りやすさや集中力、記憶力、切れやすさ、
ホモになりやすさなど、
あらゆる資質に関係する遺伝子が見つかっていることを考えると、
3才以降の私自身の経験ってのは、
一体今の自分にとって、
どのくらい影響があったのだろうか?と考えされられてしまう。
もちろん、
遺伝的才能というのは、
レースにおいてスタート地点が一般の人より前にあるだけであって、
その後、走らなければ簡単に抜かれてしまうものだ。
そんな説明もできる。
たぶん、それは正しいんだろう。
しかし、もし、遺伝的才能とか3才までの育児が、
スタート地点だけでなく、
その後の走るスピードにも影響するとなったら、どうだろう。
身も蓋もない話になってしまう。
それじゃあ、私たち凡人には辛過ぎるし、つまらな過ぎるから、
抜けるチャンスもアリって方向に考えている。
なんてこともあるのかもしれない。
ある意味、「人間はみな平等である」という
概念に歩調を合わせた感がしないでもない。
なにぶん、自分が、
遺伝的にも3才までの教育でも
「恵まれている」ことがないものだから、
実際のところよくわからない。
ただ、仮にスタート時点もスピードも
遺伝子と3才までの教育で決まってしまう、
となっても、ぼくはわりと平気というか、
恨んでも羨んでもどうなるもんでもないし、
どうなるもんでないことを
アレコレ考えても仕方がないじゃないと考える方なので、
どちらでもかまわないのだけれど。
ちなみに、「情緒応答性」が悪い親に育てられた子供は、
自分の方から親へ歩み寄る「早期自律」をしいられる。
この早すぎる自律性のおかげで、親や先生から見れば、
小さいのに「手のかからない子」、「聞き分けのいい子」、
「自分で何でもできる子」、「辛抱強い子」と、
良い子に育っているかのように見える。
しかし、そのバックグラウンドで、
将来のストレス社会の被害者になるべく準備を進めているのだ。
う~~ん、こっちのほうは、なんとなく身に覚えがある気がする。
小学生の頃から、
「きっとぼくのような子供らしくない子供は、大人は嫌いだろうなぁ」
と思っていたりもした。
また、こうした傾向を持つ人は、
晩婚あるいは結婚しない人が多いそう。
さらに、(対人関係を必要としない)
コンピュータ関係の職についている人に多く見受けられる。
っていうのだけど、
それはどんなもんか(コンピュータ好き=非人間的、
非社交的というステレオタイプな考え方にはヘキヘキする)とは思うが、
現状だけ見れば全てその通りになっているので、
ちょっとまずいなぁと思った。


2002/10/15(火)
何に驚いたか

この間、道を渡ろうとしていたら向こうからバイクがやってきて、
急に「ヴオオオオン」なんてけたたましいエンジン音をたてたので、
ものすげー驚いてしまった。
おもわずのけぞってしまったけど、どうも感覚が妙。
と思ったら、バイクは音ほどスピードをあげていなかった。
きっとエンジンがぼろいんだろう。
ふかしたけど、加速しなかったみたい。
(っていうか、人が前を横切ろうとしているのにふかすか?)
とにかく、「妙な感じ」の原因は、
視覚情報と聴覚情報がずれだったようだ。
視覚的には、十分に安全であると認識してたにも関わらず、
聴覚的に驚いてしまったわけだ。
つまり、驚くという情動は、視覚より聴覚に反応したわけだ。
ホラー映画で驚くとき、
ぼくらはそれを映像のせい?おかげ?だと思っている。
振り向いたら後ろに人がいたとか、
死んだと思った人が手をつかんだとか。
そういう「意味」に驚いたんだと思っている。
しかし、実は、そのとき鳴る大きな音だったりすることが多い。
ためしに、音を消してホラー映画を見てみてほしい。
ホント、おどろかないんですよ。
おどろくみたいな生理的な反射は、
聴覚のほうがより密接に関わっているみたい。
聴覚の方が視覚の方より処理が早い(少ない)からかもしれないし、
感覚野に直接つながっているためかもしれない。
ともかく、ぼくらは、
あらゆる情動は視覚情報から得るみたいに考えがちだけど、
案外、ちがうんだよなぁ。
ゲームなんかでも、驚かせたいとか、和ませたいなんて考えるとき、
ついつい理屈として、イベントや絵で演出なんて考えがちだけど、
音だけで十分ってことが、意外と多いんじゃないだろうかと思う。
そのあたり、もう少しちゃんと考えたり、実験してみたいなぁ。
っていうか、ホントは嗅覚とか触覚とか、より原始的な感覚の方が、
ダイレクトに感情に影響を与えるんだろうと思うから、
それらを取り入れた遊びなんてのを作ってみたい。
女性が男性の好きになる点としてあげるポイントってのも、
こうしたプリミティブな感覚であることは偶然だろうか。


2002/10/11(金)
ノーベル賞モノの値段

よく冗談で
「そんなことわかったら、ノーベル賞もんだよ」というけど、
そういうとき、
ノーベル賞モノ→偉大な知的財産→巨万の富なんてことをイメージする。
作業服姿で記者会見したことや、
見かけも名前もこれ以上ないってくらい凡庸で、
すっかり有名になってしまった、
というかノーベル賞のイメージを変えてしまった田中さんだが、
彼のノーベル賞の対象となったアイデアは、
もちろん特許申請されている。
では、ノーベル賞モノの特許(アイデア)に対する報酬って
どのくらいだろうかと思ったら、
なんと1万円だったらしい(しかも上司と二人で)。
なんてことがニュースに流れてしまうわけだから、
島津製作所としては、今回の件は、
うれしかったり迷惑だったり、ってところだろう。
日本人は、水とアイデアはタダだと思っている。
とよくいわれる。
ノーベル賞級のアイデアで1万円ってのは、ある意味、
もうアイデアで巨万の富なんてあり得ないっていうことになる。
島津製作所としても、田中さんに特別報奨を出す予定らしいが、
さすがに社則でノーベル賞を受賞した際には、、、、
なんてのは想定していないだろうからもめそう
(一説には、ノーベル賞賞金の分配をめぐってももめそうとのこと)。
ここは、一つ、男気を出して、気前のいいことをしてほしいところだ。
ちなみに、
慣例としてノーベル賞を受賞した人は文化勲章を与えられるそうだけど、
文化勲章は文化功労者としての賞された人しか資格がないらしく、
急遽、田中さんを文化功労者と認定するらしい(笑)。
 ●
韓国で、86時間連続でネットゲームをプレイし続けた人が死んだらしい。
またまた「かように、ゲームは子供に悪影響があるから、、、」
という論調で語られそう。
でも、ゲームに限らず、ジョギングしてても、しゃべってても、
ご飯たべてても、ひょっとしたら寝てても、
なにしてても86時間ぶっつづけでやってたら死ぬよね。
ちょっと前にも中国でネットワークゲームプレイ中に人が死んでいるけど、
日本ではゲームは過去のブームになりつつあるし、
ネットワークゲームってのは、
さらに一部のコアなファンだけの楽しみだけど、
韓国、台湾、中国のネットワークゲームの人気ぶりはすごいらしい。
ゲームのプロ(プレイを人に見せるプロ)もいるらしい。


2002/10/10(木)
メモ

今日、仕事の打ち合わせに来てくれた人に
「次にやろうとしてるのは、おもしろいですよぉ」
ともったいぶっていったら、
いきなり「×××を使ったゲームでしょ?」と当てられてしまったので、
「あれ?前に話しましたっけ?」と聞いたら、
「何回も、ここ(人間風車)で書いてるじゃないですか」と言われて、
しまた!とおもた。
最近ようやくわかったのだけど、
頭の中で考えていることってのは、
そのままだとけっこういい加減なもので
たいして形になっていないことが多い。
だから、いきなり準備もなしに、
人に話そうとすると案外うまく話せないなんてことが多い。
脳の勘違いというか思い上がりなのだ。
アイデアは外部に出力する(話したり書いたりする)ことで、
はっきりとした形になる。
話したり書いたり、
ともかく人に伝えるためには理路整然としていなくてはならないし、
矛盾や不足があってもダメだし、
伝える手順までしっかりしていなくてはならない。
そういう作業をしていくうちに、アイデアの欠陥がみつかり、
修正され、補強される。
だから、アイデアは話したり書いたりしないといけないのだ。
(ただ、アイデアの元は、逆に紙の上では生まれないから、やっかいなのだ)
それに、脳の中に置いたままだと消えちゃうしね。
外部に記録しておけば、その心配もなくなる。
(もっとも、何をいわんとしていたのか、
さっぱり思い出せないメモもけっこう多い)
だから、よく「いやぁ、そのことについてはちゃんと考えているんですけどね」
なんていう人の考えなんて、あてにはならないのだ。
もちろん、アイデアレベルとしてはすばらしいという可能性もあるけど。
と、40過ぎてはじめてわかった次第。
ということで、考えたら書くっていう習慣をつけるべし。
と考えているんだけど、いつもいつもメモ帳を持ってっていうのは、
どうも性格上むつかしいので、つい、
ここについでとばかりに書いてしまうのだった。
幸い、そのアイデアとゲームがどう結びついているのか、
どのポイントに着地するのか、
そのあたりは、ぼく自身にもはっきりわかっているわけじゃないので、
誰かに先を使われるなんてことはないだろう。
なんて、鷹をくくっている。
(っていうか、それほど、
使えるアイデアだとも思われていないだろうし)
そういう意味の最近のメモとして、
ゲームボーイの画面は、
唯一WYSWYG(←マックユーザーじゃないとわからないと思うけど)だから、
「何メートルまでいった」なんてことは、
ゲームボーイなら自慢しあえるはずとか、
アリの個体個体をニューラルネットワークのノードと考え
、階層的に相互作用させることで、
集団的判断をさせることができるかもとか、
心理ゲームなんかで、「そのときあなたはどう答えますか?」
っていう質問に対する答え(メッセージ)が、
プレイヤーキャラを育てていったりとか、
答えたと別の(本来の)場で、相手からそのメッセージが返される。
とか書いておこう。
ほら、さっぱり使えないでしょう。



2002/10/09(水)
こんなDVDも買っています

おお。ほんとに「末承諾広告※」という迷惑メールが届いた。
こりゃあやっぱり、
みんなでドコモにこうしたメールを教えて
(転送して)あげないといけないね。
どこが窓口になるんだろう。誰かinfo@docomoを知らないかなぁ。
昨日の続きで、今回はヨーロッパの映画から始めてみた。
眺めのいい部屋』 → 『鳩の翼』 → 『ある貴婦人の肖像
→ 『オルランド』(見ていない) → 『マルホランド・ドライブ
→ 『ブルーベルベット』 → 『ツイン・ピークス』 
→ 『ツイン・ピークス ローラパーマ最後の七日間』。
とここで袋小路。
たまたま、
今見ているのが
『ツイン・ピークス ローラパーマ最後の七日間』ってーのは、
なんかの偶然なんだろうか、っていうか偶然ですね。
それにしても、少しは『ツイン・ピークス』の謎
(というか不具合)が解けるかと思ったら、
逆にわかわからん状態になりつつある
(って、寝る前のヘロヘロ状態でチンタラ見ているからだろうけど)。
それはそうと、
さすがに、『2001年宇宙の旅』に戻る、
なんて劇的な結果にはならなかった。
世界中の赤の他人の2人が、
7人だっけか15人だっけかの知り合いを経由するとつながる
(なんとか現象っていうんだよね)みたいなことは
起こったらおもしろかったのに。
全く知り合いでもない人と、
どのくらいの知り合いを経由するとつながるか、
ってわかったら楽しいだろうか。
はじめての人との挨拶として
「そうですか!××さんとお知り合いですかぁ」
的なネタが多いことなんかを考えるとそういう
「距離」が簡単にわかるとおもしろいかも。
そのためには、
あなたの知り合いリストみたいなデータベースが必要となる。
本名なんかだと事故がありそうでアレだけど、
ハンドルネームだったら、
みんな、そうしたデータベース作りに参加してくれるかもしれない。
何人でつながるかを距離(f距離)と考え、
直接の知り合いを0fとして、任意の人とのf距離を測定する。
芸能人とか学者とか、
絶対接点がないだろうなと思う人とのf距離とかわかったら楽しそうだ。
みんなが乗ってくれたら、
きっとウルトラマンとかショッカーの怪人とかとの
f距離なんかもわかることだろう。


2002/10/08(火)
こんなDVDも買っています

">今日は、「未承諾 広告※」と
「未承諾広告 ※」という迷惑メールが届いた。
迷惑メールを出すヤツに腹がたつのか、
こんなもんも止められないヤツに腹が立っているのか、
だんだんわからなくなってきた。
 ●
この間、「最近、どんなゲームに興味ありますか?
(作りたいですか?)」
と聞かれたので、
「カスタム検索エンジンに興味がある」と答えたら、
すごく不思議そうな
(「ゲームは?」っちゅーってんのに、、、と困惑した)
顔をされた。
検索エンジンをペットみたいに想像してみて、
例えば、アマゾンのDVDを探させるとしたら、
どんな感じになるんだろうと思って、
ちょっと人力で試してみることにした
(こういうときは、プログラムが組めたらいいのになぁ、
いっちょトライしてみるかと3秒くらいマジメに思う)。
アマゾンには、「このDVDを買った人はこんなDVDも買っています」
っていうコーナーがある。
例えば、これを頼りにDVD巡りをしてみる。
一番好きな映画『2001年宇宙の旅』からはじめると、
この映画のDVDを買っている人は、『プリズナーno.6』、
レクイエム・フォー・ドリーム』、
地獄の黙示録』を買っているらしい。
おお、どれも好みじゃよ。
ってことで、この中から1つ選ぶことにする。
ま、無難に『地獄の黙示録』ということにしよう。
(ちなみに、ディレックターズ・カット版はよくなかった。
冗長すぎると思った)
同じように、
『地獄の黙示録』を買った人がこんなん買ってますリストから、
次の映画を選んでいく。
(以下同)
選んだのは、『未知との遭遇
基本的にスピルバーグはあんまし好みじゃないけど、
どれかっていうとこれか。
で、これを買った人が買うDVDから選んだのが、
ジョーズ
これと『激突』は好き。
次は『遊星からの物体X
これもいいわぁ。
狼男アメリカン』とかもそうだけど、
これらの特撮映像(変身シーン)に対する感動って、
CG時代になってから味わっていない気がする。
で、次が、
ポセイドン・アドベンチャー
『遊星からの物体X』とこれを買う人の趣味ってのは、
イマイチわかんないけど、この映画もいい。
タイタニック』の4096倍はいいと思う。
その次は苦しい。どれもイマイチ。
太陽の帝国』なんか、ちょっと主人公の子供がイヤ。
でも笑点の山田くんがイイ演技しているし、いいか。
次は、『ドライビングmissデイジー』。
うん、これはいい。
是非、『テルマ&ルイーズ』あたりと抱き合わせで見てほしい。
その後が、
オースティン・パワーズ』どういうわけか、
昔からこうしたベタなアメリカおバカ映画は大好き。
裸の銃を持つ男』とか古くは『病院狂時代』とかね。
その次はまた苦しい。
んが、基本的にはティムバートンのファンということで、
スリーピー・ホロウ』(でも、これはイマイチだったなぁ)
エド・ウッド
ブレイブ
とここも苦しい。
ジョニー・デップ主演の映画ばかりが並ぶ。
さすがに女性に大人気のジョニー・デップだけある。
ファンのまとめ買いの結果なんだろう。
たしかにイイ役者だなぁとは思うけど、
どうもなんかイマイチ興味がない。
というところで、やっと別の候補が現れた。
フェイク
大好きなアルパチーノの映画。
なんかお勧め度は低いみたいだけど、この映画も好き。
アルパチーノといったら、『ゴッド・ファーザー』だろうけど、
ぼくは『スカー・フェース』あたりが好き。
ってことで、
『フェイク』の後もジョニー・デップ映画ばかりが買われている。
アルパチーノが共演してるなんてこと、
ファンにはちっとも関係ないのね。
ってことで、ジョニー・デップ映画から選ばざるを得ず、
デッドマン』を選ぶ。
(この映画で、ジャームッシュ監督とぼくとの蜜月が終わった)
ここでもジャームッシュ監督の映画が候補に挙がらず、
さらにジョニー・デップ映画ばかりが候補に並び、
アリゾナ・ドリーム』、
21ジャンプ・ストリートセレクション3
と選んだところで、選ぶ候補がなくなって終了。
自分の趣味を追うってのもいいけど、
自分と同じ趣味を持った人が何を買ったか、
それを追うのもそれなりにおもしろいと思った。
自分の見た映画の評価のデータベースを作っておけば、
ロボットでもこれくらいの検索はできそうかな。


2002/10/07(月)
未承諾広告※

NTTドコモは、
「未承諾広告※」メールを受信拒否できるサービスの提供を
10月1日から提供すると発表した。

んが、まだ迷惑メールがやってくる。
こうした「タイトル」によるフィルタリングは、抜け道が多いので、
ある程度来るだろうなぁとは思っていたさ。
ただ、法律で、「表示義務に違反した場合、
業者は行政処分(指示、業務停止命令)の対象となる。
さらに行政処分に違反した事業者は、
指示違反の場合が100万円以下の罰金、
業務停止命令違反の場合が300万円以下の罰金
または2年以下の懲役が科せられる。 」となってて、
送る側もそれなりのリスクがあるから、
あちらとしても力(りき)を入れた
メール(のタイトル)にしてくるに違いないと思ってた。
例えば、「こんにちは」とか
「Re:」とか「ドコモからのお知らせ」とかいった、
それは防ぎようがないだろうというタイトルで来るかと思った。
そしたら、なんの^2。
「未承諾広告」とか「未承諾広告×」とか
「未承諾広告*(←英字)」とかじゃありませんか。
これはなめられてますよ>ドコモさん。
犯罪犯してるのに、挑発してるかのようなタイトルだもん。
近いうちに「末承諾広告※」とか「未承若広告※」、
「来承諾広告※」なんてのもくるな。
っていうか、
そういう類似のタイトルに対してフィルターは
かけてなかったのね>ドコモさん。
っていうか、
「未承諾広告」の文字列に対してさえフィルターは
かけてなかったのね>ドコモさん。
んでいいんでしょうか。
役所の仕事じゃないんだから、たのんます。
こちらは、それに対する不快感だけじゃなくって、
お金まで取られているんですから。
世間の一般的なメーラーでは、もっと賢くタイトルを判定して、
フィルタリングしてますよ。
ともかく善意の第三者である時運だけが被害者になるのは気にイラン。
犯罪なんだから、警察かドコモにメールを転送してやろうと思ったけど、
訴訟してやるっていきまいたところで、被害額が1円/1通じゃなぁ、
損害賠償1000万円!とかいえないし、、、
と思ったら、
いまやアメリカンジョークの代表選手となった
「アメリカの訴訟」で、新記録達成。
「3兆4千億円の賠償命令 米たばこ訴訟で評決」
米大手たばこ会社フィリップ・モリスが
喫煙の危険性を知らせなかったとして、
肺がんを患った米カリフォルニア州の女性(64)が
損害賠償を求めていた訴訟で、
同州の裁判所の陪審は4日、
同社に280億ドル(約3兆4000億円)の
懲罰的損害賠償の支払いを命じる評決を出した。
とさ。
(アメリカだったら、メール1通で1000万円でも取れたかも)
それにしても、
ここまでの額になると会社としても払いようがないだろうから、
(倒産した方がやすい!)
きっと、お金とは違う形で責任を果たすとか、
そういうことになるしかないんだろうなぁ。
そうなると、賠償額は、
そのスケールを示す仮想の値に過ぎなくなるのかも。
よく懲役200年という判決がでるののと同じで。
だったら、まだまだ「新記録」は期待できるかも。
そしていつか、
「地球上の全てのお金を集めても足りません」
なんて額が出るんじゃないだろうか。
というか出てほしい。
タバコに匹敵する対象となると、酒か車かピストルか。
いやいや、スプーンとか、人の吐く息とか、
時計とか、家電とか、電磁波全部とか、
そういった根元的なレベルでのターゲットを選んだ訴訟じゃないと、
記録樹立はむつかしいかもしれない。


2002/10/04(金)
ジャングルの老兵

1年以上同じパスワードで立ち上げていた
パソコンのパスワードをど忘れして、
呆然としてしまった。(なんとか思い出したけど)
携帯電話でメールを確認しようとして電話を耳に当てていたのに、
しばらくして気がついたのにもあせった。
最近よく独り言を言っているらしいし、
手の汚れが気になって何回も何回も手を洗いに行くってのも、
かなりヤバイ。
夜中コンビニに出かけ、
絶対食べることのないあんパンを買ってしまうのは、
自分でもわけがわからない。
連日まかないご飯を作っているが、塩味に鈍感になっているのもまずい。
みぞうちを押し込まれるような感覚や、
じっとしているのに冷たい汗をかくなど、
どれもこれも、本の例題にあるような、ある疾患の典型的な症状だ。
ヤバイなぁ、もつかなぁ。今回ばかりは自信がない。
救いは、自覚があることと、どう対処すべきかわかっていることか。
 ●
深夜、NHK教育で第二次世界大戦の激戦地
(サイパンとかガダルカナルとか)を訪れて、当時を振り返る。
みたいな番組をやっていた。
それを見てたら、戦争の勝敗には、兵士が優秀かどうかなんて、
あんまり関係ないんだなと思った。
指揮機関のおつむのよさで決まってしまうのだ。
こうした番組や戦争映画を見ると、
つい自分の置かれている立場や
仕事を戦争現場のそれに照らし合わせてしまう。
自分はってーと、
40を過ぎてなお戦場にいて日夜戦っている老兵ってところか。
年齢や場数から、現場での指揮はまかされているが、
その采配は現場で処理すべき事項に限られている。
これはこれでよい。
クーラーの利いた部屋で、
まるでゲームのコマのように部下を指示するなんてのは、
性分に合わない。
常々、生涯、戦場にいたいと思っている。
だから、きっといつかはジャングルで敵の弾に当たって死ぬんだろう。
(そんな自分を想像して、うっとりしている)
それはいいけど、
現場ではリーダーシップを求められ、
しかし上層部の命令には従わなくてはいけないという、
中間管理職的な立場はイヤだ。
会社に入るときっといつかそういう立場に立たされるに違いないってのが、
生涯就職しないと決めた理由の一つであるくらい、
そういう中途半端な立場はイヤなのだ。
全ての責任は負うし、誰にも文句はいわないから、
全て自分勝手にやるのだと22才のとき決めたのだ。
なのに、、、皮肉な話だ。
特に、上層部と考え方が合わないときは最悪だ。
今、自分の兵に何をさせないといけないのか、
敵がどこにいて、どういう作戦でやっつけるのか、
戦うべきか、逃げるべきか、休むべきか、
そうした判断は現場にいる人間にしかできない。
自らの身体を使って、肌で感じ取るしかできないのだ。
毎日空腹と疲労と死の恐怖と戦いながら過ごす、
そういう生活の中でしか、感じとることは出来ないのだ。
現場には机上の計画にはない、予期せぬ出来事がたくさん起こる。
それらに出くわしたときには、瞬時に判断し、決断しなくてはならない。
そうした即決即断ができるのも現場だけなのだ。
だから、作戦を遂行中の具体的な戦い方や手順などは、
戦場の人間に任せてもらえないと困る。
現場を理解しない無謀な作戦を強制されれば、
「ガダルカナルの二の舞だぞ。」とおれは誰に叫んでいるのか。


2002/10/03(木)
必要以上に税金を払う

必要以上に税金を払ってはいけないのだろうか?
寄付とか献金とかじゃなくって、税金。
所得番付に載るために、
故意に税金をたくさん払ってはいけないのだろうか?
所得がたくさんあったように見せかけるのは犯罪だから、
ウソの所得に相当する税金を払うのはできない。
だから、必要以上にたくさんの税金を払う場合は、
「余分に」払う必要がある。
なんでそんなことを思っているかというと、
新宿のいつも通る道沿いに「スリ●ドカン」があるんだけど、
ちっこい貸しビルのワンフロアだけだし、このネーミングだし、
本来なら、誰も気にも留めない、
あるいは怪しいとさえ思う店のはずだ。
ところが、数年前、ここの社長が所得番付にのったことで、
この店は(ネーミングのインパクトも手伝って)一気に有名になって、
たくさん税金を支払った=正直者=いい店っていう印象までゲットした。
CFをうったわけでもなく、
キャンペーンや値引きサービスをしたわけでも、
慈善運動をしたわけでも、社長がハンサムっていうわけでもなく、
ただただ、法律に従った額の税金を支払っただけなのに。
このイメージアップ効果を宣伝広告費に換算したら、
いったいいくらになるんだろう。
支払った税金なんかすっかり
「元」がとれてしまってるんじゃないだろうか。
と考えると、
会社のイメージアップには広告より税金を支払うほうが得かもしれない。
慈善運動や寄付活動では、なかなかマスコミが取り扱ってくれない。
マスコミが取り扱ってくれなければ、上のような効果は望めない。
だから、ただたくさんの税金っていうのでもダメで、
長者番付にのる、
長者番付の1番になるくらいの納税額じゃないといけない。
長者番付発表、1番の人の取材は、
マスコミが毎年必ず取り上げてくれる安定したネタなのだ。
ただ、正当な所得に対する税金しか払えないとなるとつまらない。
ぼくらにチャンスがないからだ。
どっかから借金でもしてきて、
所得相当以上の税金を払えないといけない。
(ま、たとえ、それが許されても一番になるほど払えないけど)
昔、ギリシャの貴族達は、自分の名声をあげるために、
競ってパンを寄付したそうだ。
これは誰も迷惑しないっていうか誰かの助けになるので、
例え動機が不純だとしても、
受け止める方がちゃんとジャッジしていれば、けっこうなことだ。
余分な税金を払うってことも、同じことがいえる。
そのあたり、税務署に聞いてみたい気もするけど、
藪からヘビを出すようなマネはやめよっと。


2002/10/02(水)
通販カタログ

台風が来てたらしいが、
雨が降り出す前に会社に行って、そのままず~~っと仕事場。
さっき帰ってきたら、台風はすでに津軽海峡をわたらんとしてて、
台風に会えずじまい。
風呂本がないなぁと思っていたら、
ポストに通販のカタログが入っていたので、それを読みながら長風呂。
いやぁ、おもしろいは、このカタログにのってるアイテム。
冷やかしじゃなくって、隙あらば買ってやろうと思っているのだ。
(実は、このカタログの中にあった磁力と振動で目の疲れを取る装置
「ブリーズアイ」や光と音のシャワーで頭をよくすることができる
ボイジャーエクセル」は持っていたりする)
ほとんどのアイテムは、マイナスイオン、
(それを出す)トルマリン、ゲルマニウム、遠赤外線、
お決まりの高波動、宇宙波動、磁化波動を発生し
(多くは複数のそれらを発生し)、血液をさらさらにし、
宿便を出してくれ、育毛を促進し、肝臓の働きをよくし、
肩こりやひざの痛みをやわらげ、体内の毒素を排出し、
ストレスを解消し、女の心を惑わし、夜のチャンピオンに復活でき、
宇宙と共鳴しながら、みるみる自信がわいてきて、潜在能力が目覚め、
幸運までもたらしてくれる上に暖かい。
ついでに、ガソリンタンクに入れれば燃費も良くなるし、
汚れた水の浄化してミネラル水あるいは波動水、磁化水にかえてくれる。
すばらしい。
水道管につけるだけで、あっという間に水道水を健康磁化できる
(S極だろうか、N極だろうか?)
便利な装置もある。
ただ、うかつにビデオテープやコンピュータのハードディスクは
水道に近づけられないぞ。
1000気圧、5000度で焼き上げられた
(臨界プラズマ条件に迫る勢い!)鉱石とクリスタルでできたコップは、
これに水を入れるだけで黒トルマリンの4倍のマイナスイオンをだし、
波動水を作ってくれる。
これ以上、簡単にマイナスイオンを「摂取」する方法はない!
そうした「健康」グッズ以外にも、
貯金通帳が6冊も収まる手帳(記帳が楽しくなる!)や
フェラーリ型のDVDプレイヤーや卓上で炉端炭火焼きが楽しめるコンロ、
電動パルスで顔をマッサージする手袋(あくまで顔用)、
7万キロカロリーの炎で青草まで瞬時に焼き尽くすバズーカ、
赤外線による撮影(オービス?)を阻止する赤外線遮断スプレー、
パソコンや携帯電話に貼るだけで
悪性電磁波を良質波動に変換してくれるシール、
90度回転する腰につける携帯電話ケース
(携帯電話の出し入れが早い!)、
いつもむくのに苦労する生栗を簡単に皮むきできるはさみ、
鼻に毎日3分微震動を与えるだけで、
鼻頭骨が伸び西洋人の鼻のようになれるノーズサイサー、
などなど押さえておきたいアイテムがいっぱいあった。


2002/10/01(火)
西友返金パニック

西友は、先週末の豚肉偽装問題へのお詫びとして、
対象品購入客に返金を行なった西友の子会社・北海道西友元町店
(札幌市東区)が大変なことになったらしい。
その結果、買ったかどうか怪しい人
(新聞では「若者たち」と示唆的に書いているけど、
それはちょっと偏見が入ってる気がする)までもが請求に殺到した。
なんでこうなったかというと、
偽装期間中に「国産豚ロース」か「国産牛タン」を買った
覚えのある客に対し返金するというルールだったらしいが、
レシートがなくても(買った証明がなくても)返金に応じたのらしいのだ。
結果、30日までに、販売額の4倍近く返金する異常事態となったらしい。
だましだまされで、西友的にはおあいこか(笑)。
って、これじゃあ落語のネタじゃないの。
いったい、西友はわれわれ「お客さん」をどう査定していたんだろう。
こう偽装事件が氾濫しているご時世に、
まだだませる「お客さん」だと思い、
証明なしだって、本当に買った人しか請求に来ないだろう
(バカ正直な)「お客さん」と思っていたんだろうか。
そこらあたりの考え違いがねぇ、悲しいっすね。
っていうか、ここまでババを踏んだら、
開き直って、
こういう「失敗屋」をウリにしていくっていう手もあるかもね。
あの店は、よく失敗(値段をつけまちがえたり、個数を間違えたり)して、
そのたびにどういうわけか店側が損をする(=客が得をする)。
そんな店だったら、繁盛する気もする。
(もちろん、そうした効果による売り上げ予想を正確にして、
計算通りの損を算出しなくてはならないが)
あ、それではっとした。
昔、小学生の頃、隣町にばばあがやっている駄菓子屋があった。
このばばあは、算数が苦手らしく、
いくつかお菓子を買うとよく勘定を間違えた。
(1つのお菓子だと、足し算がないので間違えない)
計算間違いには、こっちが損をする間違いもあったが、
その場合は指摘すればよかったので、結局いつも得をした。
このばばあの勘定間違いは、近所の子供の間では有名だったので、
ぼくらはわざわざ隣町まで買いにいっていた。
ぼくらは自分たちが得したもんだと思いこんでいた。
んが、ひょっとしたら、
これはばばあの高度な戦略だったのかもしれないと、
いま、はたと思った。
よ~く考えてみれば、1つのお菓子でも、おつりの間違いがあるはずだ。
でも、そういう間違いがあった記憶がない。
足し算は間違えても、引き算は間違えないってのは、不自然だ。
隣町からわざわざやってくること、複数のお菓子を買うこと、
そんなことを計算の上での「サービス」だったのかもしれない。
たしかに、「2個だから30円おまけ」なんて与えられるサービスより、
相手は計算間違いに気がつかなかったけど、こちらはそれに気がついた。
っていう勝ち取ったサービスの方が、冒険っぽくって、小学生的にはうれしい。
もう、死んでしまったいるだろうから確認できないのが残念だけど、
「負けて(負けたふりして)勝つ」みたいな商売はあるかもと思った。

「西友返金パニック」




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