人間風車

2002/11/29(金)
ゆらぎに姿を与える

ボードゲームに『can't stop』ってのがあって、
サイコロを振って出た目に応じ
てコマを進めるというゲームなんだけど(詳細は上まで)、
これなんかをやってもらうと、その人の博才がよくわかる。(気がする)
サイコロの目だから完全にランダムなわけで、
サイコロ1つなら、1~6の目が均等の確率で出現する。
はずなのだけど、
実際にはすごく偏るのは誰でも体感していると思う。
また多人数で勝敗を競っている場合は、
誰かに勝ちが偏ることもよくある。
こうしたことは、確率論的にはありえないが、
少ない回数の試行ではこうした偏りが生じる。
この確率の「ゆらぎ」をどう感じ取るかが、
博才なんじゃないかなと思う。
どう感じ取るか、どうイメージ化するか、
そのセンスが博才のような気がする。
実際、博打の強い人ってのは、このイメージ付けが非常にうまい。
表現がうまいってのかな。
麻雀なんかでは、「牌が光っている」とか「イヤがっている」とか、
「風が吹いている」とか「つもが重い」とか
「まっすぐに来ている」とかそういう表現をする。
(麻雀はかなりストラテジーを必要とするゲームだけど、
ランダム性も高い)
ゆらぎをうまいこと(=的確に、視覚的に)表現できる人は、
本来は規則性のないゆらぎに
規則性やら性格やら形やらを見いだすセンスがあるということで、
自分が与えたゆらぎの「姿」に従って、手を進めていくことで、
単純な確率論よりもはるかに高い効率で勝ちを手にしていく。
そういう人が博打が強い人というのだ(と思う)。
強気いっぺんとうな人ってのは、まず弱い。
慎重なだけの人も弱い。
確率論や一般定理に頼っている人も弱い。
自分(の手)だけから、ゆらぎを見つけようとする人も弱い。
場のゆらぎをうまくイメージ化できる人、さらにそれを信じ切れる人、
そういう人が強い。
そういうゆらぎをイメージ化する能力って、どうして生まれるんだろう。
不思議だぁ。
誰かゆらぎの可視化モデルとか作って欲しい。
それまでただランダム(無秩序)だと思ってたものが、
意外にきちっとした形を持っていたりするかも知れない。

ムームーの小物達#11 笛を吹くカエル

20021129.jpg


2002/11/28(木)
サンタクロース

この季節になると、クリスマスがどーのこーのとうるさい。
どうせこっちは、
会社で仕事の合間にショートケーキでお茶するくらいで、
Nが「おや、きょうは誰かの誕生日?」
と言うくらいささやかなもんさ。
てなことで、サンタにまつわる定番的ネタ。
『サンタクロース追跡プログラム』
NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)で
毎年行っているサンタクロース追跡プログラム。
世界中でサンタクロースが今どこにいるのかの印が地図上に表示され、
さらにCGを利用した実況ムービー(日本語)を視聴することができる。
ノーラッドは、レーダー、サテライト、
サンタカムやジェット戦闘機など四つのハイテク・システムを使い、
クリスマスイヴに
北極を出発しようとしているサンタクロースの動きをチェック。
サンタさんが出発したのをレーダーが捉えた瞬間から、
赤外線探知サテライトを使って追跡を始める。
トナカイさんの鼻は、
ミサイルが発射されるときに放出するものに似た赤外線を放つので、
サテライトは、問題無くルドルフの真っ赤な鼻を感知できるらしい。

『サンタクロース研究』
サンタクロースと赤鼻のトナカイさんの科学的検証をしている。
詳しいこと(実証)はページを見てもらうとして、
キリスト教国における一世帯平均
こども数は2.57人/世帯なのでサンタ活動対象世帯数はおよそ、
1億800万世帯であり、
どの世帯にも少なくとも一人はよいこがいるという仮定の下、
サンタさんの活動可能時間を30時間とすると、
サンタさんは、1秒間に1000世帯のサンタ活動をこなす必要があり、
0.1秒のあいだに、煙突のそばにソリを止めて、ソリから飛び降り、
煙突に飛び込んで、靴下にプレゼントを詰めたり、
ツリーになにかぶらさげたり、ケーキのつまみ食いをしたりして、
煙突を駆け上がり、
ソリに乗り込んで次の家の煙突まで移動しなくてはならない。
このため、
サンタさんの移動スピードはマッハ3000
(最高速のジェット戦闘機の1000倍以上の速度)となる。
また、世界中のよい子に渡すプレゼントの総重量は30万トンにもなり、
この重い荷物をしょったサンタさんがマッハ3000で走ると、
ソリが停止したときサンタは18000Gの加速度をうけることになる。
などなど、サンタさんの科学的検証を行っている。
(今もってココに勝る科学的検証はみたことがない)

ムームーの小物達#10 双子のクマ

20021128.jpg


2002/11/26(火)
家庭内ロボットのイメージ

21世紀は、家庭にロボットがやってくる時代だと言われている。
ただ、ボクにはアイボアシモのような
動物や人間の姿をしたロボットが家庭に入ってくるというイメージ
がどうしても持てない。
(だって、1人でも狭いのに、
アシモとかがいたら邪魔でしょうがいもの)
ロボットには、
役に立つロボットと楽しませてくれるロボットの2種類がある。
ロボット工学的には、
この二つの機能を両立させることは不可能なのだそうだ。
2001年のHALじゃないけど、彼が論理的矛盾に陥ってしまうのだ。
このため、
役に立つか楽しいかどちらか一方の機能しか持つことが出来ず、
開発の負荷などの問題などから、
アイボのような楽しませてくれる系ロボットが先行している。
(人の役に立つ、
つまり失敗してはいけないロボットの開発は現状では不可能なのだ)
たしかに、アイボの登場はすごい衝撃だったけど、
同時に登場とともに袋小路に入ってしまっている感もある。
楽しいとはどういうことなのか、定義は非常にむつかしいけど、
予想を裏切り期待に応える対応ということもその大事な要素だと思う。
しかし、
予想を裏切り期待に応えるだろうという予想のもとに設計されたボケは、
予想の範囲内であり期待に応えてくれるものじゃないあたりがむつかしい。
なんとなく感情っぽい振る舞いをするとか、
ペットっぽい振る舞いをするくらいでは、乗り切れない気がする。
このことはロボットに限らず、
自律型自動生成エンターテインメント
(そんなの目指しているのはムームーくらいのものかも知れないけど)
全般にとっても大きな課題なのだ。
ただ、家庭にロボットがやってくると予感は、ぼくも感じている。
ただしそのイメージは箱モノ系家電であったりする。
例えば、ソニーのコクーンなんていう
ハードディスクレコーダーの先(未来)のほうに、
あるべきロボットの姿が見えたりする。
コクーンは、自分で勝手に録画する機能がある。
ユーザーがあらかじめキーワード
(例えば「サッカー」とか「料理」とか)を与えておくと、
それに関連した番組を勝手に録っておいてくれるのだ。
そして勝手に録った番組が再生されるときには
「お役に立ちましたでしょうか?」と聞いていき、
そのときのご主人の反応(はい、いいえ)を記憶し、
よりご主人の要望に近い検索ができるようになっていく(学習する)。
まだまだ「固~~い!」発想ではあるけど、
この延長線に家庭内ロボットのあるべき姿があるような気がしてならない。
コミュニケーションとは、第一義に意志の疎通である。
意志の疎通の成否によって二次的に感情が発生する。
「私たち考えてること同じ!」とか
「何を考えてるのかさっぱりわからん、ぷんぷん」みたいに。
もちろん深層ではそれ以外のコミュニケーションもあるが、
それはかなり高度なレベルでのコミュニケーションであり、
ロボットがそうした深層での
コミュニケーションに耐えるところまで進化するには、
まだ相当な時間がかかると思う。
だから、ロボットの短期的目標としては、人間との意志疎通、
そのうちハッキリ役割や成果がわかる機能の授受というレベルでの
意志疎通あたりに焦点を持っていくべきかもしれない。
そうしたコミュニケーションの結果、
二次的に感情(フェチ的愛情)を感じることが出来るのではないだろうか。
今後、あらゆる家電がインターネットに接続される時代になるので、
そうなるとネットワーク家電が自分で考え判断し、自分でやる、
そうしたことが多くなりそう。
そうした機能こそがロボット的というか
パートナー的なんじゃないだろうかと思う。
(と本日は少々論文調)

ムームーの小物達#9 ブタの貯金箱

20021126.jpg

2002/11/25(月)
知らないネコの添い寝

急に1月上旬の寒さだなんて、心も体も準備ができてないわだわ。
人もそうだけど、野良猫なんてもっと準備が出来てないに違いない。
人間ならストーブをたいたり着込んだりして急をしのげるけど、
ネコは、急に毛や脂肪をふやせない。
だからこの異常な寒さは生死にかかわるんだろう一大事だろう。
この間起きたら、ベッドの横に知らないネコが寝ていた。
びっくりしたボクにビックリして起きた知らない
(たぶん野良)ネコは、
ふぁ~~~と威嚇して逃げていった。
それに驚いて、うちのバカネコが、後を追うように外に逃げていった。
(意味不明)
お風呂場で知らないネコが寝ているのはなれっこだし、
いない間にベッドの上にネコがいたということもあったけど、
自分が寝ている横で寝ているのはさすがに初めてだったので、
おどろいた。
去年のように脱糞されなくてよかった。
それにしても、
いくら「死んだような寝姿」といわれるボクでも、
人が寝ていることに気がつかないわけがないだろうから、
少々の危険を冒してでも、
暖をとらねばならなかった事情があるんだろう
(風邪を引いていたとか)。
それくらい、先週の寒さは急であり、ひどかったんだろう。
それにしても、侵入者くらい気がつけよ>プー
 ●
DVDで「アザーズ」を見る。
公開当時は、トム・クルーズ総指揮、
ニコール・キッドマン主演ってことだったので、
ちょっとそれはなぁ、、と思って見なかった映画だったけど、
意外とよかった。
(以下少々ネタばれなので、これから映画を見る人は注意)
どうも「シックス・センス」と同じで、
死んだ人側からこちらをみるというアングルが好きなのだ。
夜中一人で車に乗っているときなんか、
今自分は本当に生きているのだろうか?
ひょっとしたらさっき
交通事故を起こして死んでしまっているのかもしれない、
なんてわけのわからん思いにとりつかれることがある。
ひょっとして今の地球の全人類はみんな死んでいるのかもしれない。
幽霊を見る人は偶然生きている人を見たのかもしれない。
なんてことも考えられなくもない、、、はずはないが。
それにしても、
日本の自分が死んだことに気がついていない霊
(地縛霊)というアイデア?
と同じアイデアが西洋にもあるのは不思議だ。
死人から、そんな話は聞けないわけだし。
きっと、なにかしらの共通の原体験があるに違いない。
ボクは死後の世界というのは信じないし、
精神と肉体をわけるという考え方もしないけど、
我々の現実界が同時多層的に存在することは信じている。
ボクが信じていなくても、量子力学がそれを予言している。
ただし、量子力学は、
このパラレルワールドが相交わることを許さないが、
ひょっとしたら瞬間的に混在することがあるのかもしれない。
そしてそうしたことに対して感度の高い人がそれをキャッチし、
瞬間交わった他の世界の人を幽霊と見るのかもしれない。

ムームーの小物達#8 プーの写真

20021125.jpg


2002/11/22(金)
もろもろ

あっという間に一週間が終わる。
今月中には、とかいっていたのが来週中には、ってことになって、
今年中には、が1ヶ月チョイになった。早い、早すぎ。
そういやぁ、今週は交差点渡ったっけ?と思い出してみる。
(家と会社は歩いて200歩くらいなのだ)
う~~ん、今週も交差点渡ってないかも、、、
(でも明日は必ず渡る予定)
今や、世界で一番規則正しい
生活しているフリーランスじゃないのかしらん、
と思うくらい、会社と家のピンポン生活。
 ●
アメリカの訴訟劇は楽しいなぁ。
このまま行けば、
アメリカで最大の産業になるんじゃないでしょうかね。
資料の作成、弁護士等の費用、
通信費などいろいろな雇用と内需を産んでいるのはたしか。
それに多額の賠償費もね。
それはそうと、
デフォルトの立場が「私は悪くない」
という考え方にはついていけない。
それに「平和のためなら戦争も辞さない」という考えももね、
なんだかなぁ。
ということで、訴訟ネタを2つばかり。
ハンバーガーで肥満訴訟
禿げなかった訴訟
今や、人類に平等に分かたれているのは「時間」だけしかない。
また、これほど個人の時間が不足している時代もない。
インターネットの資源が増えるに従って、
研究調査のコスト(時間も含む)がさがったが、
ここまで資源が増えると、
探すというコストが大きな問題になってくる。
おそらくそう遠くない将来、
自力だけでピンポイントで探すなんて
不可能になってしまうんじゃないかなぁ。
(googleのプライオリティー付けのアルゴリズムだって、
そろそろ破綻してきているし)
となると、共感できる人が集めたモノを見るというのが、
基本的な姿勢になるのかもしれない。
 ●
たまたま今日の風呂本(DIME)に載っていた記事。
ワイパアゴキパオ」というゴキブリ退治の殺虫剤だが、
こうした発想大切だなぁと思いましたね。
この殺虫剤は殺虫剤が入っていなくって、
ゴキブリを泡で固めてしまう。
このためゴキブリの死体を見なくて済む、
固まった泡なり捨てられるので死体を直接触らなくてもいい。
というものだ。
これはすばらしい発想だと思った。
理屈で考えると、
殺虫剤を開発するには考慮しなくてはいけない要点は、
殺虫効果、安全性、使いやすさ、製造コスト、
今売れている商品スタイルなどと思ってしまう。
こうした既成概念は危険だ。
必ずしも消費者のニーズとイコールではないからだ。
よく考えたら、ゴキブリに最も遭遇する機会の多いのは女性であって、
女性にとって、ゴキブリの姿を見るのが最もイヤなことなのだ。
すぐに死んでくれるとか、身体に害がないとかより、
姿が消えてくれることの方が大切なのだ。
安易な既成マーケッティングは、こうした意見をくみ取れない。
消費者の声を素直に聞くという
最も難しい方法からじゃないと生まれない。
う~~ん、他山の石じゃないしな、
我田引水でもないし、なんだったけ、
ともかく自分への教訓としたいもんだ。

ムームーの小物達#7 人形達2

20021122.jpg


2002/11/21(木)
神は評価しない

仕事の業績にしても、
学校の成績にしても、
スポーツ選手の能力にしても、芸術の質にしても、
それを正確に公平に評価することは難しい。
AIの世界でも、マクロ経済の世界でも、
この評価(関数)を作ることが一番難しく、
かつ、一番のキーとなる作業となる。
こういうときは神頼みである。
っていうか、神様のマネをすべきである。
神様はいったい、
どういう評価システムを使っているんだろうかと考えた。
ら。
評価してないじゃないとわかった。
古典的な進化論では、進化は自然淘汰でおこる。
つまり、優秀なヤツが生き残り、ダメダメなヤツが滅ぶ。
と言っているが、
現実はぜんぜんそうなっていないことが、最近わかってきている。
(もっとも、あきらかに機能不全な個体は生き残れないが)
残るモノは優秀だからというより、
偶然であることのほうが多いのだ。
例えば、小魚の群。
どう考えたって、
優秀だから食われないとか
ダメだから食われたということじゃなくて、
天敵から遠かった運のいいヤツが生き残ったに過ぎない。
進化もまたしかりであって、我々ホモサピエンスにしたって、
ネアンデルタール人より優秀であったとはいえない。
たまたま、氷河期がひょんと終わったので生き残ったに過ぎない
(ネアンデルタール人は、
氷河期に過剰適応していたために絶滅したと言われている)。
つまり、神様は評価するという仕組みをもっていないのだ。
サイコロをふって、いかす、つぶすを決めているに過ぎない。
アインシュタインは、神様はサイコロを振らないといっていたけど、
量子の世界から進化のしくみまで、
なんでもサイコロで決めている気がする。
学校も会社も株の売買なんかも、
案外、業績や成績や予測値で選ぶよりランダムに選んだ
方がいい結果がでるってことがあるのかもしれない。
マクロランダム学(そんなのないけど)とか、
意外と面白い現象や法則が見つかるかもしれない。

ムームーの小物達#6 白い 人形

20021121.jpg

2002/11/20(水)
バーチャルセックス

この間、「主に」とタイプしようとしたら、
第一候補が「重荷」になっていた。
最近では、FEPも賢いので、
長い文章だとかなり的確に変換してくれる。
とくにぼくが使っているATOKはすごく賢い。
間違いが少ないうえに、
よく使う言葉を第一候補にもってきてくれる(って、どのFEPでもか)。
長い文章では、ユーザーが使う単語というよりは
、文脈から漢字を選ぶのでそう個性はでないが、
単文節だと個人がよく使う言葉の方が優先度が高くなるので、
個性が出やすい。
んで、上の例。
つまり、ぼくは「主に」とかくより
「重荷」と書くことの方が多かったと言うことだ。
これはそのまんま、
ここのところのぼくの生活を反映していることになる。
たしかに、ここんとこ「重荷」が多い。
ここ(人間風車)とか個人メールにも
「重荷」ってことを書いているのかもしれない。
なんて、思ったりする。
下手な占いよりも、単漢字変換でどんな変換になるかのほうが、
自分を見つめ直すには役立ちそう。
例えば、「しぼう」なんてのはどうだろう。
太っていることが気になっている人なら「脂肪」だろうし、
もっと深刻な人は「死亡」になっていただろうし、
人生設計に取り組んでいる人は
「志望」が第一候補になっていたかもしれない。
「ひこう」や「せいそう」なんてのも個性が出そう。
「ひろう」とか「かわる」なんてのは、
もろ仕事状況の影響とかでそうだし、
「せい」なんて、もう一発でばれてしまいそう。
今までの例を自分でやってみよ。
脂肪、肥厚(えええ?!)、正装(おお!)、
披露、変わる、製(しまった、落ちなかった)。
日本語は世界で類をみない「同音異義語」が多い言語だから、
探せばまだおもしろいのがいっぱいありそう。
で、ちゃんとした人が解析したら、それなりに性格付けとかできそうだ。
だれか、そういう単文一括変換占いみたいなのを作ってくれないかな。
ネットワークで共通のデータベースを使えば、
どの単語が標準的であるとか、
その単語はどのくらいマイナー、メジャーであるかなんてのもわかるし、
単漢字バトルなんてのもできるかも。

ムームーの小物達#4 蛙の朱肉入れ

20021120.jpg

2002/11/19(火)
単文一括変換占いみたいなの

この間、「主に」とタイプしようとしたら、
第一候補が「重荷」になっていた。
最近では、FEPも賢いので、
長い文章だとかなり的確に変換してくれる。
とくにぼくが使っているATOKはすごく賢い。
間違いが少ないうえに、
よく使う言葉を第一候補にもってきてくれる(って、どのFEPでもか)。
長い文章では、ユーザーが使う単語というよりは
、文脈から漢字を選ぶのでそう個性はでないが、
単文節だと個人がよく使う言葉の方が優先度が高くなるので、
個性が出やすい。
んで、上の例。
つまり、ぼくは「主に」とかくより
「重荷」と書くことの方が多かったと言うことだ。
これはそのまんま、
ここのところのぼくの生活を反映していることになる。
たしかに、ここんとこ「重荷」が多い。
ここ(人間風車)とか個人メールにも
「重荷」ってことを書いているのかもしれない。
なんて、思ったりする。
下手な占いよりも、単漢字変換でどんな変換になるかのほうが、
自分を見つめ直すには役立ちそう。
例えば、「しぼう」なんてのはどうだろう。
太っていることが気になっている人なら「脂肪」だろうし、
もっと深刻な人は「死亡」になっていただろうし、
人生設計に取り組んでいる人は
「志望」が第一候補になっていたかもしれない。
「ひこう」や「せいそう」なんてのも個性が出そう。
「ひろう」とか「かわる」なんてのは、
もろ仕事状況の影響とかでそうだし、
「せい」なんて、もう一発でばれてしまいそう。
今までの例を自分でやってみよ。
脂肪、肥厚(えええ?!)、正装(おお!)、
披露、変わる、製(しまった、落ちなかった)。
日本語は世界で類をみない「同音異義語」が多い言語だから、
探せばまだおもしろいのがいっぱいありそう。
で、ちゃんとした人が解析したら、それなりに性格付けとかできそうだ。
だれか、そういう単文一括変換占いみたいなのを作ってくれないかな。
ネットワークで共通のデータベースを使えば、
どの単語が標準的であるとか、
その単語はどのくらいマイナー、メジャーであるかなんてのもわかるし、
単漢字バトルなんてのもできるかも。

ムームーの小物達#4 鉱石のコレクション2

20021119.jpg

2002/11/18(月)
消費は美徳

ネットワークコンテンツは、
作り上げられた完成品をユーザーに渡すのではなく、
ユーザーと一緒に作り上げていくものだ。
また、ネットワークゲームで一番おもしろいのは、チャットである。
とネットワークゲームを作ったことのある人は、100%そういう。
みんながそういうんだろうからきっとそうなんだろと
単純に納得してしまう一方、
どうも今ひとつからだが納得していない。
昔から自分への戒めとして「頭だけで納得するな」と言っている。
理屈として理解できただけではダメで、
身体から納得しないモノについてはわかったといってはいけない。
と自分に言い聞かせているので、つまり、
そういうネットワークゲーム作りの醍醐味は(今のところ)わからん。
ということにする。
また、僕らが作り上げた世界を遊んでみてくださいという
従来のゲームの作り方というか、
ゲーム職人魂みたいなモノも中途半端にあるので、
ネットワークゲームに「作品性」は必要ないなんて言われると、
ちょっと抵抗してみたくもなってしまう。
でもきっと、
時代は僕らのような職人魂を必要としない方向に進むんだろうなぁ、
じゃあ、俺くらい残ってやるかとか、
伝統職人のおやじみたいなことを思う今日この頃。
 ●
今はデフレといっても、物価が下がるだけなので、
よ~~く考えたら暮らしやすいと言ってもいいはずなのに、
消費が冷え込んでいるというのは、
この先よくなりそうにないっていうイヤ~~なムードのためだ。
来年くらいからは、物価と合わせて所得も下がり出し、
本格的なデフレスパイラルに突入する。
そうなると、もう無駄なモノなんて買えなくなる。
予感とかムードとかで買い控えるのではなく、
実際にお金がなくて買えなくなる。
こうなったら、もうブラックホールでしょうね。
そーなったら、作為的な超インフレを起こすか、
経済特需(戦争とか)が生まれない限り、脱出できないでしょう。
つまり、今この瞬間(物価が安く、所得は下がっていない)が
消費復活の最後のチャンスとなる。
ともかく、消費が拡大すれば経済は活性化し、デフレも止まる。
「消費は美徳」と改めて宣言すべきだ。
(そういう意味ではここんとこのあたしはずいぶんと
政府に貢献している)
ただ、消費拡大が第一目標というなら、今の所得税は間違っている。
今、モノを買うともれなく消費税がついてくる。
買えば買うほど、お金が余計に減る。
何も買わなきゃ、所得税だけで済むのに、
同じ所得でも消費拡大に貢献すると、
プラス消費税も支払わなくてはならないのは、おかしい。
これじゃあ、稼ぐだけ稼いでため込んでしまいたくもなる。
だから、政府は支払った消費税に応じたポイント還元をすべきだ。
マイレージを導入すべきだ。
支払った消費税に応じて、キャッシュ(税金)バックとか、
国の施設がタダで使えるとか、国有林の木をくれるとかすべきだ。
小学生のベルマーク(今でもあるのかな?)もやめて、
レシート集めにすべきだ。
そして父兄の買い物レシートの消費税の合計分に応じて、
学校に黒板用定規とか、モップとか送るべきだ。
国民に番号を振るくらいなら、レシートに番号を振って、
それを使って宝くじをするのもいい。
韓国のようにクレジットカード番号を使った宝くじでもいい。
国がクレジットカードバトラーとかいうゲームを作って、
子供の消費を促してもいい。
賞金や商品をあげなくても、
1年間所得税5%引きキャンペーンとかでもいい。
たくさん買ったら、選挙の投票権は2票!ってのもいい。
地域住民の支払った消費税額に応じて、
道や鉄道を作ったりするのもいいだろう。
その年、一番モノを買った(=消費税を支払った)都市に、
首都を移転するというのもいいかも。
そのくらいのことをすれば、消費は拡大するんじゃないだろうか。


ムームーの小物達#3 鉱石のコレクション1

20021118.jpg


2002/11/14(木)
ちょっと足りない

あのスタバが、業績が急速に悪化、株価も急落したそう。
この事実を見て確信したね。
「ちょっと足りないサービス」が大切なのだと。
足りないから求められるのだと。
満たしてしまえば飽きられるのだと。
「足りない、もっとほしい」
というユーザーの声にダイレクトに応えてしまうと
「飽きた」という答えが返ってくる。
ビジネスチャンスとばかり、十分な量を提供してしまうといけない。
ユニクロにしたってスタバにしたって
オーナーのビジネスセンスってスゴイはずであって、
意識のどっかでは、
十分に与えてしまうことは
ヤバイかもくらいの危機感は感じているはず。
でも、そうしないことは目の前のお金を
取りこぼしている感じがしてしまうから、
そんな自分に対して、
「ニーズにあった十分なサービスの提供が我が社の使命」なんて、
いいきかせちゃうんだろうなぁ。
これだから商売はむつかしい。
知り合いの夫婦で、お互い共稼ぎでロケとか出張とかが多くて、
家庭内独身状態が多い夫婦を知っているけど、
この夫婦は実に仲がいい。
もちろん、
一緒にいる時間が短いイコール仲がいいなんてことでないけど、
もう少し一緒にいられたら、
といつも軽く「飢えている」から常に
「一緒にいたい」という気持ちを維持させてるんじゃないでしょうかね。
永田農法っていうのも、水や肥料をギリギリまでおさえて、
野菜の生きていく力を引き出すってことだし、
断食なんかも、身体に軽い危機感を与えることで体質を変化させる。
京懐石料理なんかも、お上品な盛りにリピーター効用があるんだろう。
もう少しほしいってあたりで止められるから、
もっとほしいという欲求の火を消さないでいられるんだろうし、
これ以上足りないとやばいかもと火が消えない努力もする。
だから、ちょっと足りないあたりがジャストぼなボリュームなんだろう。
ただ、死んでしまうほど飢えさせてはいけない。
そうおもうだに、
ゲームの腹一杯感のサービス提供ってのはダメダメじゃんと思う。
それはそうと、
「満たしてしまうまでは与えない」って、
女性が本能的に持っている
「戦略」そのものであることに驚愕(極めて私感)。

ムームーの小物達#2 プッカのあみぐるみ2

20021114.jpg


2002/11/13(水)
20代

先週、立て続けに20代の人たちと話す機会があって、
そのとき「森川さんは、20代のころ何をしてましたか?」
と聞かれて口ごもってしまった。
彼らは、ぼくの人生に興味があったというよりは、
今の自分たちと20代のときのボクとを比べてみたかったのだろう。
でも、心配に及ばない。君たちの方がうんと立派だ(本心)。
と言ってあげればよかったなぁと今頃思うのだけど、
結局何一つ「形」にすることができなかった自分の20代というのは、
今でも少しちくっとするほろ苦い時代だったので、
そう言ってあげる余裕がなかった。
別に隠しているわけではないけど、ホントに書くことがないので、
プロフィールにもCGをやり始めた
30代からの履歴しか書かないでいる。
今更ここで書いてもしようがないのだけど、失敗や挫折でも、
なにかしら彼らのためになったかもしれないなと
思ったりしていることもあり、
ちょっと書いておこうかなと思った次第。

大学に入って、
ひょんなことからマンガ(といっても同人誌に)
描くことになって以来、
「今までの商業マンガにないマンガを描こう!
商業マンガを破壊しよう!」とばかりに、
新しい試みのマンガをがんがん描いていた。
(ちなみに、「マッチ箱の脳」が処女作ではなく、
某出版社からマンガを1冊出してたりして)
ちょうど、時代(80年代)も
サブカルチャーがもてはやされていた時代で、
青林堂が最後の輝きをみせ、奥平イラ、ひさうちみちお、
えびすよしかずなどニュータイプの作家がデビューし、
けいせい出版がそうしたサブカルなマンガを出版していた。
関西では、「漫画ゴールデンスーパーデラックス」
(漫金超と略されていた)
というこれまた野心的な雑誌が出版されていたし、
「楽書館」など質の高い同人グループが出たり、
「ぱふ」や「コミックボックス」やコミケが同人誌界の
新しいムーブメントを支援していたりして、
マンガが変わるかもしれないというムードがあった時代だった。
今思っても、ぼくらが描いてきたマンガは新しいモノだったし、
それなりにおもしろいモノだったとおもっている。
ただ、時代の後押しがあってもなお、
保守的な商業マンガ業界に
割り込んでいくことはなかなかできなかった。
そうこうするうちに、青林堂やけいせい出版がつぶれ、
漫金超もいつのまにか出なくなり、
同人誌界はいつのまにやらアニメオタク集団が主体をなすようになり、
独創的なマンガは姿を消し、「うるせいやつら」や「パタリロ」、
「キャプテン翼君」などのパロディーマンガばっかりになってしまい、
急激に失速してしまう。
そして、結局、
商業マンガには全くと言っていいほど
影響を与えることが出来なかいまま、
ボクもいつの間にかマンガを描かなくなった。
20代のほとんどの時間を、
マンガを描くことと映画を見ることに使ってきたので、
この挫折感も大きかった。
この挫折は、今でもコンプレックスとして残っている。
だから、20代ですでに大手ゲームメーカーに資本援助を受け
会社を立ち上げている人、
数々の有名ゲーム制作にたずさわってきた人を前に、
自分の20代の話は語れなかった。
最近ようやくそのころの総括ができるようになったので、
今、ここに20代の時の自分がいたら、小一時間問いつめてやると思う。
「マンガは先人が開拓したメディアである。そうした人の土俵で、
壊してやるとかいうのは甘ったれている」
「もし何か新しいことをしたいなら、
自分たちで新しいメディアをみつけるべきだ」と。


ムームーの小物達#1プッカのあみぐるみ

20021113.jpg

2002/11/12(火)
もろもろ

そういえば、空を飛ぶほ乳類っていないなぁ。
有袋類でもいないか。
なんでだろ?
飛ぶことは妊娠(ほ乳類や有袋類の特徴)に悪いのかなぁ。
と思うだに、飛行機とかはナシだと思う。
 ●
先日、うちから少しいったところの中華屋が
ちょうど生ゴミを出していた。
ゴミを捨てたポリバケツから蒸気が上がっていたので、
なんだろうと中をのぞくとスープを取った後の出し殻が捨ててあった。
よく見てみると、げんこつ(ブタの大腿骨)、
まる(1匹まるまるの鶏ガラ)、コンブにソーダカツオ、
それにタマネギ、ネギ、にんじん、ショウガ、
ニンニクなどの野菜とリンゴが入っている。
驚いた。
オリジナリティーこそないが、正統派の立派なスープの材料だ。
これだけきちっとスープをとっておいて、あの味かい!
と驚いたのだ。
どうやってたらこの立派なスープから、あのよどんだ、
単調な、塩辛く、薄っぺな味にスープを作れるんだろう。
と驚いた。
そういやぁ、
会社の近くの駄菓子パン屋とばかり思っていたパン屋が、
実は裏に釜があってちゃんと焼いていたのを知ったときも驚いた。
手作りでありながら、なんという既製品感!と。
そういう系で驚いたと言えば、インスタントコーヒーが、
コーヒー豆を挽いてドロップしたちゃんとしたコーヒーを
フリーズド・ドライさせたものだと知ったときも驚いたっけ。
絶対に化学的に作られた偽物だと思っていた。
 ●
話してもわからない。話しても通じない。話しても合意しない。
そういう人というかそういうテーマもある。
いくら議論を重ねても合意点が見つからないことだってある。
みんな、違う遺伝子をもち、環境で育ち、
違う教育を受けてきたのだから、
価値観が違うのはしようがないことである。
究極的には、赤がいいか青がいいかといった主観の対立になるのだから、
どっちが正しいとか、どっちが偉いとかいうことじゃなくって、
ただ違うだけなのだ。
どうしても決着をつけるなら、ジャンケンかケンカか多数決か、
そんなところしかないはずだ。
ってことを話がわからない人、通じない人、
合意してくれない人と意見が食い違うとややこしいことになる。
話せばわかるって話はわからないっていう話が通じない。


2002/11/11(月)
カメラ付き携帯電話

絶対これ「P504iS」買う。
ようやく出た504iカメラ付き携帯電話。
jphone系の人に、
カメラ付き携帯電話をみせびらかされてきたので
(特に釣った魚の写真を送ってこられたのが悔しかった)、
ずっとずっとほしいと思っていた。
docomoも204シリーズではもう出てるんだけど、
なんか503iから204に落とすのもなぁと思っていたので、
まったかいがあった。
それにしても、ほんの5年前まで、
パソコンの機能(メールやインターネットへのアクセスやゲーム)や
カメラの機能が携帯電話に組み込まれようとは、
むしろ本家より主役になるようになるとは誰が想像しただろう。
むかしラジカセがそうであったように、
こうした小さいアイテムを多機能にするっていう動きには、
歯止めが利かない。
ビジネス的方針っていうより、
日本人の血がそうさせている気がする。
誰かが求めていようがいなかろうが、
そんなこたぁ関係ないっていう感すらする。
行くとこまで行かんと気が済まないのだと思う。
さてさて、パソコン、カメラの後は、
どうした機能が組み込まれていくのか楽しみだ。
クレジットカードやテレビってあたりが、
組み込まれてしまうんだろうか。
ところで、こんなに携帯電話が高機能になってくると、
買い換えの際、
古い携帯を強制的に回収するのはどんなものかと思ってしまう。
電話としては使えないかもしれないけど、
mp3プレイヤーやカメラ、電話帳としては使える。
まだ十分に使えるのに、
中古に廻ることもなくスクラップされてしまうのは、
エコ時代にふさわしくない。
なんとか、電話機以外の機能端末として使えないか。
なんて思ってしまう。
ってよりも、つまり、
同じ電話番号で複数の携帯電話が同時に使えちゃまずいだけで、
同時じゃなければ何台もの携帯が使えていいはずなのだ。
そしたら釣りの時は防水式のを、仕事の時はカメラなしを、
なんてTPOで使い分けられるし、中古市場もできそう。
携帯電話のID部分がカードがされていて、
それを抜き差しして、複数の携帯を使い分けるとかできないものか、
なんて思ってたら、ヨーロッパのGSM方式っていう携帯電話では、
もう実現されているそう。
なあんだ、そうしてほしいなぁ、日本も。
って思ってたら、auがどうもそういう方式の携帯電話を出すらしい。
しかも個人情報だけでなく、クレジットカードの機能も付加するらしい。
う~~ん、「P504iS」やめてauに乗り換えるべきか。
 ●
昔から寝付きは悪いんだけど、
ここのところは特にひどくって床に入ってから2時間以上も眠れない。
ので、床についてから映画が1本見れてしまう
(眠れないから映画を見ているのか、
見ているから眠れないのか微妙だけど)。
映画も漫画もゲームも小説も同じ「娯楽」なんだけど、
なんでゲームをやったときは時間を無駄にしたって感じるのに、
映画だとそうは感じないんだろう。
むしろ、自分の肥やしになったなんて思ってしまう。
何でだろう。決して全ての映画が教訓的であったり、
知識を与えてくれたり、
幸せな気分にしてくれるっていうわけでもないのに。
クソ映画をのぞいて、
だいたい得をしたっていうか心が豊かになった気になってしまう。
こういうお徳感覚って、ゲームをやったときにはないなぁ。
ああ、時間を使ってしまったという罪悪感しかない。
この差はなんだろ。
なんか、ちゃんと整理して考えるべき大切な問題が、
そこにあるような気もするけど、よくわからない。
っていうか、そんなふうに感じるのはボクだけなのかもしれないな。
(今度、誰かに聞いてみよう)


2002/11/08(金)
ボードゲームの怨念

新宿の某コンピュータデザイン専門学校の
ゼミにゲストとして呼ばれ、
あることないこと、偉そうなこと情けないこと、
いろいろしゃべってきた。
専門学校に行っている人たちってのは、
技術を手にしたいという明確な目的がある人ばかりで、
そこらの大学生みたいに目が死んでない。
とオヤジ臭いことをいうあたし。
こういうやる気のある人たちの前で話すのは楽しい。
例によって、
ゲームに人工知能を使った経緯みたいな話を求められたんだけど、
みんな数理系に強い人ばかかりなので、
「評価関数における極所解からの脱出法として、
熱力学的確率を発生させる装置が組み込まれ、、、」
なんて説明でいいので、楽だった。
専門用語を使って話すってのはホント楽なのだ。
日本語で人工知能を語っているみたいに楽さというか。
「マッチ箱の脳」のように平易な日本語で書くというのは、
慣れない英語で話しているような苦労がある。
 ●
昨日の余韻でネットワークゲームについて、いろいろ考える。
コンシューマゲームを作っていたときは、
いい加減に作ろうとアレだけど、
作り込みすぎないように気をつけていた。
それまでのゲームが、フルボディーなフランス料理、
京都の重い和菓子などのように、重厚に作られすぎていてい、
自分を含むライトなユーザーにはたっぷり過ぎる感じがしたので、
もっと軽いモノを作りたかった。
ところが、ネットワークゲームを作ることになって、
逆に作り込んだモノを作りたくなってきている。
これは自分でも不思議だし、
そうした考え方が、
ネットワークゲームには
ふさわしくないと昨日さんざん教えてもらったので、
やばいなぁと思っている。
そして、今日風呂に入っていたら、
どうして今頃、
そういう気分になったのかようやくわかった気がした。
ボクの中では、
ネットワークゲーム=1万人の知らない人同士が
共通の遊びを通して出会える場というイメージがないのだ。
ボクの中では、
コンシューマゲームがやっとボードゲームを取り込めるようになった、
ネットワークとは遠隔地の複数の人(友達)と
プレイできるボードゲームっていうイメージがあるようだ。
ボクはTVゲームはまったくやらないけど、
ボードゲームについては、ちょっとオタッキーなところがある。
とっても好きって言うくらい好きであり、
しかも作り込まれたゲームが好き。
今でもボードゲームを作ってみたくてしようがないけど、
日本では全く需要がないので作れないでいる。
そんな潜在的な欲求が、
ネットワークゲームを作るということになって、
急に顕在化してきたのだと思う。
んで、オタッキーであるから、
ボードゲームはちゃんとしたモノを作りたい。
厳密でおもしろい、何度でも出来る、入りやすく奥が深いルール。
そんなゲームを作りたい。
コンシューマゲームでは、さんざん、
ゆるゆるなゲームを作ってきたのによく言うよというか、
因果なモンだというか、
よもかくボードゲームへの怨念が今出てきているのだなぁと、
今日風呂に入りながら、しみじみそう思った。
ところが、
ネットワークゲーム=不特定多数が同時に遊べるゲームであるとすると、
不特定多数を想定した厳密でおもしろいルールなんてモノは、
存在しない気がする。
現実会もそんなおもしろいルールはない。
ただ、命にかかわるようなリアルな報酬、危険があるので、
それを求め回避するというところにストラテジーが生まれる。
どう世界を作り込んでも、
ゲームの世界の中にはそうしたリアルはあり得ない。
だから、せいぜい人々が集う場ときっかけを与えるのが、
ネットワークゲームの役割である。
と昨日力説されたわけである。
ネットワーク=不特定多数が同時に、
という可能性を否定するつもりはないが、
だからといってそうでなくてはならないってこともないのかもしれない。
ナップスターのようにp2pなゲームってのもアリなはずだ。
そうした仕組みではボードゲームのような
厳密で楽しい遊びなんてのはあり得るかもしれない。
どうせ後発なことだし、
そっち系で行ってみようかなとちょっと思ったりした。


2002/11/07(木)
作法の違い

「ハーボット」の作者である遠藤さんや
日頃おつきあいさせてもらっているCE社の中嶋さん、
それに次の次のプロジェクトを画策しているメンバーらをお招きして、
夕食&「最近のネットワークゲームはどうよ?」的なお話会を催す。
話題がつきず、7時半に始まったにも関わらず、
結局朝の5時半までお引き留めしてしまうことになった。
お疲れさまでした>all
ネットワークを使った遊びのおもしろいとこ、
むつかしいとこなどいっぱい教えていただいた。
よ~くわかったのは、
自分たちがいかにネットワークを使った遊びについて
無知であるかってことで、
ネットワークを使った遊びの広さと
ネットワークゲームの広さが全然スケールが違うこと、
ネットワークゲームを作るときの作法と
コンシューマゲームを作るときの作法が全く違うこと、
インターネットを利用した遊びがいかに
(直接的には)お金になりにくいか。
などなど、興味深い話をいっぱい伺った。
(ああ、こういう話を5月あたりに聞いておくべきだった!)
コンシューマゲームは、
作ってプレスされてしまえば、仕事は完了する。
店頭に並んでしまえば、いかに後悔しようが取り返しがつかない。
ゆえに、完璧なレベルまで作り上げる。
実際、コンシューマゲームの場合、
1ヶ月以上のテストプレイ期間を設けて、手直しを繰り返す。
それに対して、ネットワークゲームの場合は、
発売後も「運営」という仕事が残る。
発売後、1年間はそれにつきあわなくてはらなない。
一般に、ネットワークゲームの場合、
月々××円という月額課金で「買って」もらうことになる。
だから、少しでも長い時間遊んでもらうことが、大切になる。
1万本×1年のほうが、10万本×1ヶ月より実入りがいいのだ。
そのために、新しいサービスをどんどん加えていくなどして、
飽きられないようにしなくてはいけない。
こうした期間がだいたい1年続くモノらしい。
遊び手は飽きないだろうけど、
作り手が飽きてしまうのでは?と思ったが、
そういうものでもないらしい。
なぜならば、ユーザーの要望を聞きながら、
コミュニケーションをとりながら、
ソフトを改善していくのは、麻薬のように楽しいことらしいのだ。
だから逆に言うと、事前に作り込んでしまっても意味がないことになる。
むしろ、発売後の改善がしやすい
システムにしておくとかいった方が大切な要因のようだ。
そのあたりの考え方が、コンシューマゲームと全然違う。
音楽に例えれば、コンシューマゲームはスタジオ録音、
ネットワークゲームがライブのようなものだ。
料理に例えれば、コンシューマゲームは会席料理、
ネットワークゲームは鍋料理のようなものだ。
ムームーが今のっぴきならない状態にあるのは、
身内の不幸や怪我のせいもあるけど、
コンシューマゲームの作法をそのまま、
ネットワークゲームに持ち込もうとした無知によるものであることが、
今日よくわかった。
コンシューマゲームの「作り込む」という職人的作法は、
ネットワークゲームには向かない、というか無意味であったのだ。
(今更、軌道修正のしようもないので、
このまま力ずくで作り上げていくしかないのだけど)
ただ、理屈でわかっているだけで、
まだネットワークゲームの「客との対話の中で作る」
ってのを身体が覚えたわけではない。
きっと、これから1年をかけて
そのアタリを体感していくことになるのだろう。
どんな感じなのだろうかとワクワクもするが、
正直、これから1年かぁと暗澹たる気持ちにもなる。

疲れたけど有意義な一日だった。


2002/11/06(水)
散らかっている

部屋が散らかっている。
こう忙しくては仕方がない。と言いたいところだけど、
忙しくっても、忙しくなくても散らかっている。
掃除をしないからだ。
洗濯も料理も風呂を入れるのも、あまり苦にならないんだけど、
掃除だけは嫌いだ。
おまけに整理整頓も嫌いだ。
だから、これ以上に散らかるとさすがに
健康に悪いと思ったときだけ掃除をする。
だから、今この瞬間死ぬわけにはいかない。
40過ぎて、独身で、こんな部屋で息絶えてたなんてのは、
親がかわいそうすぎる。
ただ、掃除や整理整頓が嫌いだからといって、
散らかった部屋が好きっていうわけでもない。
朝方、疲れ果ててこの部屋に戻ってきたときなど、
思わず引き返したくなるくらいだ。
人(とくに男性)はよくこういうとき結婚を考えるらしいけど、
わかる気がする。
でも、掃除目的ですぱっと結婚できるほどの
瞬発(青春)力はもはやない。
となると、やっぱ家政婦さんを頼むしかないか。
ということで「お掃除サービス」の料金などを調べてみたら、
1週間に1回で1万3千円~2万4千円くらいするのだった。
ということは、月5万~10万くらいか、、、、。
けっこう高いモンだなぁ。
4週間に1回コースでもいっか。
(って、すこし真剣に考えている自分が怖い)
でも、誰か知らない人に、
あまりに汚い所に入ってこられるのもヤダから、
サービスを頼むんだったら、
ちょっとくらい掃除してからじゃないとダメだなぁ。
って、これじゃあ、近所に美人がやってる床屋ができたってんで、
毎日、ちゃんとひげをそって髪を整えて
ノコノコでかけていくっていう落語のネタまんまじゃないか。
ただ、散らかっているが、
これをきれいに片づけられてしまうのも不便なのだ。
散らかし屋さんならわかると思うけど、
非常に合理的に散らかっているからだ。
他人から見れば、
ただ散らかっているだけに見えるかもしれないけど、
よく見てもらえば、
いつも座る座椅子を中心に円周上にモノが散らばっているのだ。
だから、立ち上がってモノを取りにいかなくても、
身体を回転するだけで簡単に手が届く。
リモコンから目覚まし時計、読みかけの本、
綿棒までなんでも取れるようになっている。
しかも使用頻度が高いモノから
回転角が小さくて取れるようになっているので、
見栄えさえ気にしなければ、合理的な配置とさえ言えるのだ。


2002/11/05(火)
星を探すのに顕微鏡は使わない

ほうら、ゴーンさんもこう言ってるじゃないですか。
「営業の担当者は立場上、目の前のニーズしか考えないが、
今のテーストにフィットするすばらしいデザインも、
実際に商品化するころには陳腐化している可能性がある」
(朝日新聞11.5)
そのまんま、あるところにメールしてあげたいくらい。
ただし、営業がそうしか考えないのが問題なのではなく、
営業からの声がデザインの現場にまで
影響を与えてしまうことが問題なのだ。
 ●
それにしても、日曜、月曜とよく寝た。
仕事している以外はず~~~っと寝ていた。
寝るって気持ちいい。
おかげで風邪気味だったのも直ったし、
身体もだいぶ楽になった。
医者や薬より睡眠だなぁ。
ただ、
仕事をしている(マップを作っている)夢を見るのには閉口した。
っていうか損した気分。
夢であっても、脳は働いているし、
時間だってちゃんと過ぎている。
成果物が実存しないだけだけど、そんなこと、
コンピュータで仕事してればいっくらでもある。
(マシンがフリーズしたら、直前の作業なんて夢同然だ)
てなわけで、
仕事の夢を見た時間分だけの
ギャラ損した~って考えるのはけちか。
 ●
ぼ~とテレビを見ていたら、
人間が歩くときには電磁波が発生すると言ってた。
人が歩いているとき、
テレビの5倍の電磁波が出ているんだそうだ
(それが強いのか、弱いのかわからないけど)。
しかも、一人一人の電磁波のパターンが違うらしい。
指紋や声紋のようなもんらしい。
んで、番組では、
犬は飼い主が帰ってくる直前に帰宅を察知できるのは、
主人の出している電磁波を感じ取れるからに違いないと言っていた。
人間はそうした微弱な電磁波は感じ取れないが、
犬などはとても電磁波に敏感なのだそうだ。
(ということは、渋谷を散歩させられている犬なんて、
電磁波感じまくって大変なんだろうなぁ)
ただ、
・人間は固有のパターンの電磁波を出している
・犬は電磁波に敏感である
よって、
・犬は飼い主の電磁波を察知している
と結論つけられるかというと、それはどうだろうかと思った。
たしかに、
我々が現在知っているエネルギーというか物理的作用としては、
電磁波というのが一番近い気がする。
だからといって、
まだ我々は全てのエネルギーや
物理的作用を知っているわけではないので、
ひょっとしたら未知の作用によるものかもしれない。
(ほんの500年前、
自分たちが酸素や窒素という分で取り囲まれているなんて、
誰も知らなかった)
よく科学の世界では「
星を探すのに顕微鏡は使わない」という言い方がされる。
どういうことかというと、
星というのは遠くにある暗い、大きな物体である。
という知識や予想(あるいは先入観)があるので、
それに見合った観測機械を選ぶ。
だから、顕微鏡ではなく望遠鏡を選ぶ。
つまり、あらかじめここに、このくらの大きさ、
量で在るに違いないと予測できるものしか見つけられないのだ。
もし、塵のように小さな天体が、空気中を漂っていたとしても、
それを見つけることが出来ないのだ。
よく、ノーベル賞的発見が、
変人(先入観を持たない)や失敗によってなされるのは、このためだ。
だから、電磁波で云々と決めつけてしまうのは、あぶなっかしい。
ひょっとしたら、
まだ見つかっていない第三のエネルギーが存在するのかもしれない。
人間の第六感とか、霊感とか念とか気とか、
そういったものも、あるいは、
そうしたまだ発見されていないエネルギーを
感じ取っているのかもしれない。
現在見つかっているエネルギーや作用で観測や説明ができないから
存在しないなんていう言い分はナンセンスだ。
センサーの感度は人によって違うから、
そういうエネルギーを感じ取れる人ってのがいるのかもしれない。


2002/11/04(月)
ライカ犬の話、道をせまくする、高速料金を無料にして、渋滞を緩和する

>CNNのニュース。
地球周回軌道の人工衛星「スプートニク2号」に
搭乗して有名になった旧ソ連のライカ犬は、
これまで衛星内で1週間程度生きていたとされていたが、
実は打ち上げ数時間で死亡していたらしいことがわかった。
のだそうだ。
どうやら、宇宙船室内の温度調節機能に問題があって、
異常に温度があがってしまったのが原因で、
打ち上げから5~7時間くらいで死んでしまったのだそうだ。
それで、『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』を思い出した。
この映画は、孤児院育ちの少年が、
いろいろな場面でくじけそうになったときも
「ロケットで宇宙に放られたライカ犬(の気持ち)
に比べたら、へっちゃらさ」
と元気に暮らしていく、とってもキュートな映画だけど、
今回のニュースが、さらにこの映画にコクを与えた感じ。
DVDを買おうっと。
 ●
えっと、今、朝の5時44分なんですが、
なんかこれまたキュンとさせられるニュースが流れてる。
この人間風車がアップされるころには、
みんな知っている話になっているだろうけど、
巨人の松井がメジャーリーグに逝ってしまうのだそう。
がんばってほしい、応援するよという気持ちと、
ああ巨人がぁぁ、という気持ちとで複雑な気持ち。
今年の松井の打点は112打点だから、
巨人は来年1試合あたり1点弱点数が低くなることになる。
1点差勝ちが何試合あったかしらないけど、
この試合分が引き分けもしくは負けになるわけだから痛い。
(って、そんな計算しなくったって、十分痛いのわかるか)
これで今年以上に、
メジャーリーグのほうがおもしろくなってしまう気配。
今年のワールドシリーズなんかも盛り上がった展開になってたしね。
パワーvsパワーの野球の方が、エンターテインメント的だし。
どういうわけか、野球の場合、
日米対決は「親善試合」なんてことになっている。
だいぶ力も拮抗してきたことだし、
日本選手もいっぱい逝っているのだし、
そろそろ、サッカー並みに、
真剣な試合をしてもいいんじゃないかなと思う。
 ●
渋滞緩和策として、
道路幅を狭くするというアイデアがあると聞いて、おっと思った。
道幅を狭くすると、路肩に駐車をするのに気が引けるから、
狭くなってもかえって車がスムーズに流れるのだそうだ。
以前、台湾で、正月の帰省ラッシュをさけるため、
高速道路をその期間無料にしたら、
高速道路がスムーズにながれたという話があったけど、
こういう逆転の発想(解決案)って、ど
んな職種にでもあるんだろうなぁと思った。
長い時間遊んでもらうために、
たくさんのシナリオ、グラフィックを用意する。
じゃなくって、あっという間に終わってしまうようにする。
あっという間に終わるから何回でも出来る。
なんてのが、
案外正解になったりするんじゃないだろうかとふと思った。




« 人間風車: 2002年10月 | | 人間風車: 2002年12月 »