人間風車

2002/12/27(金)
今年もありがとございました

さっき、今年の最後の山場を越え、オフィシャル的には一段落。
今日27日中に仕事を片付け、身内でささやかな忘年会。
明日は掃除をして、オフィシャルには、お休みとなります。
仕事明けは、1月6日です。
オフィシャル、オフィシャルと言っているのは、
個人的には、ここ1週間というもの「年末にちゃちゃっと、、」
と逃げまくっていたおかげで、
大晦日、正月くらいはなんとか休すもう、
休みたい、休めればなぁ、という具合。
と言いながら、ふと思うと、
ムームー的には、今年何も発表してないじゃありませんか!
ゲームは「ここ掘れプッカ」が最後ってことだから、
まるまる2年もなにも出していないことになる。
(きっとつぶれたと思ってる人も多いだろうなぁ)
個人的にも、今年2冊目の本を!と予定していたのに、
下書きすらできていない状態だし、
一体何が忙しいというのか!です。
生まれて初めて、忙しいけど退屈なんてことを経験したし、
ダメダメでしたねぇ。
でも、来年の春には2本ゲームを出します。
1本はPS2用、1本はPC用。
残念ながらまだタイトルも発表できないんですけどね。
PS2用の「く●●た」はヘンでいいです。
来年は、本も描きますとも。
個展もやるぞと思ってるくらいですから。
そして、以前からとってもやりたかった試みを組み込んだ
ゲームを作れるかもしれないし、と
来年はやる気まんまんです。
(あ、こういうことは来年の頭に書くんだっけ)

ということで、今年一年お世話になりました。
来年もよろしくお願いします。

ムームーの小物達#28 ダンシングベイビー

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2002/12/25(水)
おそるべきメディア

とくにTBSなどは、大晦日に「猪木祭り」なんてのがあるから、
ボブ・サップ特集をよくやる。
ぼくもボブ・サップは大好きで、
できれば早々に(膝などを壊さないうちに)格闘技などやめて、
プロレスに専念してもらいたいと思っている。
大きさ、エンターテインメント性、頭脳。
一級のプロレスラーの資質を持つ。
新日のプロレスラーなどは、見習って欲しいモノである。
ボブの爪のあかでも飲むべきである。
ところで、テレビでボブについてどこが好きかアンケートをすると、
「頭がいいから、性格がいいから」という答えが多いのに驚く。
みんなプロレスマニアじゃないので、
彼が薬学部を出ているとかそういう事実は知らないはずだ。
テレビでおちゃらけているボブの姿から、
それを読みとっているのだ。
恐るべしである。
恐るべきはテレビのそうした伝達能力だ。
クイズ王にならなくても、
朝まで生テレビでしゃべりまくらなくても、
頭がいいとか、性格がいいとか、
そういう本質が出てしまう、伝わってしまうのだ。
福●アナウンサーや武●●也が
いかに行儀良くまっとうなことをしゃべろうとも、
彼の性格が悪いに違いないことはテレビでは伝わってきてしまうのだ。
具体的にどういう言葉がとかいうことじゃなく、
たたずまいとか気配とかちょっとしたしぐさで伝わってしまうんだろう。
だからどんなに慎重に言葉を選ぼうとも、どんなに笑顔を作ろうとも、
ばれてしまう。
また、まっとうなことを言っているのにクレバーに見えない人は、
きっと本当にクレバーじゃないんだろうし、
ちょっと痛い感じの人は、ホントに痛い人なんだろう。
逆に、ひどい態度の人でもイヤな感じがしない人ってのは、
ホントにイイ人なんだろう。
こうしたテレビからの直感ははずれたことがない気がする。
おそるべきメディアである。
さすがのマクルーハンもそこまでは予言できなかったみたいだ。
テレビの本質は、結局の所、
テレビの向こうの人の本性を伝えてしまうことだけなのかもしれない。
こうした能力は、同じ映像メディアである映画にはない。
だから、映画は銀幕の中に完全な虚構の世界を構築できた。
だから、スターは完全な虚構の住人として振る舞えた。
しかし、テレビではその人の本性が伝わってしまうので、
タレントもいざぎよく
隣のお姉さん的な普通の人間として振る舞うより他ない。
テレビでは芝居がかった世界が持たない。
素の表情が出やすいバラエティー番組が重宝される。
芸よりもアドリブ性、反射神経が求められる。
こうしたテレビの能力は、他のメディアの追随を許さない。
ノーベル田中さんのすばらしさなんて、
映画や新聞などからは全然伝わってこない。
テレビ(ドラマ)はつまらなくなったとか、
ニュースが劇場化して節度がなくなったとか言われるけど、
テレビはようやく自分の才能に気がつきだしたと、
ぼくなんかには思える。

ムームーの小物達#27 本たち

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2002/12/24(火)
腐らない身体

段、防腐剤や殺菌、殺虫剤が含まれた食品を食べているために、
僕らの身体はずいぶんと腐らない身体になっているらしい。
そうかぁ、死んでも腐らないのか、、、と
困ろうかと思ったが、これといって困らないなぁ。
ただこれから殺人をしようと思っている人は
気をつけた方がよさそうだ。
死体を地中に埋めても腐らないで見つかってしまうからだ。
ちなみに、腐らなくなったのは犬やネコも同様らしく、
最近何かと問題の公園の砂場のウンチも、
腐らなくなって(分解されなくなって)、
いつまでも残るようになったためだということらしい。
われわれ、食物連鎖の頂上が腐らなくなると、
栄養素のリサイクルがうまくいかないのでうまくない。
細菌のためにも、腐りやすい身体にならなくてはならない。
そういえば、今日、出血したときに、
この鉄(血中のヘモグロビン内には鉄がある)は、
いったいいつ作られたのだろうかとふと思った。
いま、「宇宙のエンドゲーム」なんてのを読んでいるから、
ついそういうことを考えてしまう。
この鉄はたぶん最近食べた魚か動物から得た鉄であり、
その魚や動物たちは彼らのエサから得たモノであり、
そのエサたちもまた彼らのエサから得たモノであり、
といったい食物連鎖の中でなんどもリサイクルされてきたのだろう。
今日ボクの手から出るまでに、
いったい何匹?の生き物に利用されてきたのだろうか。
鉄原子の寿命ってどのくらいかわからないけど、
この鉄原子が誕生してから今日までの全ヒストリーが見たいもんだ。
この鉄原子は、
40億年前、地球の中心部で生まれたのかもしれないが、
地球自体が、それ以前に生まれ消滅した
星の残骸から出来上がっていることを考えると、
地球以前の星で作られた鉄かもしれない。
そうなると、
その星にいた生物の中で利用されていたかもしれない。
宇宙人由来の鉄かも知れないのだ。

ムームーの小物達#26 あにきの人形

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2002/12/20(金)
ボタン

「がんばれ、、、」や「ここ掘れプッカ」
それに新作「く●う●」の音楽を作ってもらっている
山口君主宰のマニュアル・オブ・エラーズ
忘年会におじゃましてきた。
みごとなほど芸のない忘年会だったけど、すごく楽しかった。
何もしないのに楽しいと思わせるってのは、
ビンゴ大会や芸人を呼ぶなんてこと
よりうんとむつかしいことであって、
それだけにすばらしい。
集まった人たちがみんなユニークで才能豊かであって、
いろんな話ができたのが楽しかった。
類は友を呼ぶ。
それだけ山口君やマニュアル・オブ・エラーズに
魅力があるってことなんだろう。
なんてね。(って書いてて照れてどうする)
一緒に仕事したいなぁと思う人がいたけど、
今度と思ったところで、
最速、再来年からってことになってしまうあたり、
ゲームの仕事ってホント時間がかかりすぎて性に合わん。

帰り際、
店の伝票プリンタのスイッチが入ってまま"プリント OK"
状態になっているのを、
山口君がめざとく発見。
「実行ボタンを押せば伝票がプリントされるぞ」
「押すか」「押してみようよ」
(だからどうしたって話だけど)
と大の大人5,6人で伝票プリンタを取り囲んでざわざわしている。
結局、みんな大人なのでボタンは押さなかったけど、
ボタンってのはどうしてこう押したくなるモノなのだろうか。
「実行」なんてボタンじゃなくっても
「危険」とかかれたボタンであっても
押したくなってしまったことだろう。
ボタンという装置が押したくてたまらん装置なのだ。
ここらあたり、深層心理学的に、アフォーダンス的に、
認知学的に深く考察してみる価値がありそうだ。
ボタンを押す快感だけに注視したゲームなんてのも
ありかもしれないと思った。
っていうか、
核ミサイルの発射装置がボタンであるのはまずいと思った。
それが地球を破滅させようがなんだろうが、
人間、ボタンは押したいのだ。
押してしまうものなのだ。
そういう危険ブツの起動トリガーをボタンにしてしまうのはいけない。
例えば、口径の小さいペットボトルのキャップ
とか、昔の缶切りとか、もやい結びとかそういう、
あまりやりたくないギミックでないといけないと思った。

ムームーの小物達#25 ショッカー

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2002/12/19(木)
もろもろ

野良猫Aが風呂場に陣取ってしまってからというもの、
他の野良猫が家の中にやってくることがなくなった。
彼が他の野良猫を威嚇して入れようとしないおかげだ。
体内共生とはこういうものかと思った。
人間と乳酸菌の関係のようなモノだ。
エサ(糖)と生活圏を与える代わりに、
乳酸を排出して他の細菌の増殖を押さえる。
では、うちのプーはなににあたるのだろうか?
 ●
「エイベックス」が、1枚300円のCDを発売するらしい。
2曲入りで税込み300円のシングル盤で、
その後に発売されるアルバムのための
プロモーション・ツール的意味あいがあるらしい。
値段の根拠は女子中高生らに人気のプリクラや
ハンバーガーセットの料金に合わせたということらしいが、
それらと等価にする根拠がわからんのよん。
っていうか、こうした「利益度度返し」のプロモーションをするなら、
むしろ無償で配る方がよかったんじゃないだろうか?
300円と値段がついてしまうことで、
作品の「価値」が固定化されてしまう。
しかも、300円という安値で。
安い→安易→ダメとイメージが瞬間的に定着してしまう。
っていう気がするんだけど。
かえって無償なら、値段は不定となり得る。
CCCDもこれも、
どうも最近の「エイベックス」の方針はボク的には???
といっても、
「エイベックス」のCDって買ったことない人間だけど。
 ●
幻冬舎が、ジャスダック(店頭)市場へ株式を上場するらしい。
出版不況が続く業界に限界を感じ、
売れた本のコンテンツを活用して映画、
ゲームなどの新事業を展開するのが狙いらしい。
戦略が彼(見城徹社長)が
元いた角川書店のそれと全く同じな気が、、、。
っていうか、映画、ゲーム業界も頭打ちなんで、
そう簡単に足し算にはならない気がするけど。
(隣の芝生は青く見えるのよねん)
むしろ驚いたのは、
幻冬舎の02年3月期の売上高は72億円だったこと。
従業員は40人ということだから、
1人18億円も売り上げたことになる。
本1冊の値段が平均1500円だったとすると、
480万冊も売れたことになり、
社員1人あたり12万冊(1日328冊)売った計算になる。
このパフォーマンス(売り上げ/社員数)は
スゴイなぁとタコ社長的には思う。
事業の多角化するには、
組織を大きくしていかざるをえないだろうから、
こうしたパフォーマンスの良さを
捨ててしまう事になる気がするのだけど、
どうなんだろう。
積極的経営=売り上げ規模を大きくすることってのが、
20世紀の常識だったけど、
この先もそうなんだろうか。
そうした恐竜的巨大化的進化じゃなくって、
むしろ、さらに社員を減らし今の売り上げを維持するっていう
小型ほ乳類的小型化的進化というのは
ないのだろうかと勝手に杞憂したりする。
といっても、
幻冬舎の本って(ほとんど)買ったことない人間だけど。

ムームーの小物達#24 草月流生け花だったりして

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2002/12/18(水)
まかない

ここのところムームーは、
ほぼ毎日みんなで一緒に夕飯を食べている。
っていうか作っている。
毎日7,8人分のご飯を作るってのは、
考えてみたらふつうの2家族分だからスゴイ。
事務所の貧弱な台所で、
1時間以内で(なるべく)1皿に料理で、
しかも今はカレー系なし
(今来てもらっているバイトの子がカレー全般ががNGなのだ)
と制限が多い。
またそんなこたぁ誰も気がついていないだろうけど、
10月以来1度も同じメニューを出していないのだ。
それでいて残った材料の使い回しにも気を遣っている。
ちょっと自分をほめてあげたい気分。
(正月休みアタリにまかない日記を作ろうと思ってる)
今日はほぼ日の「ご飯部」の人たちやらも参加して総勢16人!
でもなんかそんな人数のご飯を作るのも平気になっちゃいましたね。
慣れは怖い。
っていうか、5人分を越えたら20人分くらいまでは一緒だね、
料理戦略は。
そもそもまかないをはじめたのは、
近所の外食や出前にすっかり飽きてしまったこと、
自分の食べたいものが食べられる
(だから料理のリクエストは受け付けないのだ)。
それにぼくをのぞくスタッフは、
食べに行く時間のロスがはぶけるし、
それなりに栄養がとれること、
それにお金のかからないことも少しあるか、
ま、そんな理由が考えられるけど、
たいがいのことは一人っきりでするのが好きだけど、
どういうわけかご飯だけは一人はイヤだっていう理由もある。
とくに今みたいな人数で食べるご飯が好きだ。
このギャップはどこから生まれるのか?
こんどちわわさんに聞いてみよう。

ムームーの小物達#23 ボードゲーム達

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2002/12/17(火)
イイ映画

<あるボクサーが好きな言葉は「天上天下唯我独尊」だといい、
「世界で一番俺が偉いんじゃあ」と訳していた。
すばらしい。
さぞや仏様もお嘆きのことだろう。

今はだいたい朝の6時くらいに風呂から上がって一日が終わる。
それから寝るまでDVDで映画を見るのが習慣になっている。
それにしても最近文庫本でも買うようにDVDを買ってる。
安くなったっていうか映画館が相変わらず高いので、
2回見るつもりならDVDを買った方がお徳
なんて状況になっているのがいけない。
(だから3800円以上のDVDは、
よっぽどのことがないと買わないのだ)
てなことでバックオーダーは溜まるばかり。
さすがに7時を回ると睡魔が襲ってくるので、
なかなか1日で最後まで見られる映画はない。
いつしか、
睡魔にかって最後まで見た映画
=ボク的にイイ映画という基準ができた。
ということで最近のボク的によかった映画。
友へ チング
かっこいいやくざ映画。
もう日本のやくざ映画は完全に韓国に抜かれた。
バンド・オブ・ブラザース
スピルバーグとトムハンクスによる
ノルマンディー作戦あたりの戦争映画って
「プライベート・ライアン」そのまんまですが、
テレビ映画でここまでやれるのかと愕然。
オテサーネク
ちょっと前、ホントは怖いグリム童話とかあったけど、
あれのチェコ童話版といったところか。
アニメーションのデキがすばらしい。
チェコ映画は来るね(って、もう来てるか)
メメント
映像を仕事としている人は必見。
主人公の異常な体験を見ている人にいかに
映像的に疑似体験させるかについて、
こんな手法を思いつく人がいるんだと感心、というか嫉妬。
アザーズ
トム・ハンクス提供ニコールキッドマン主演ってことで引いてたけど、
見てみたらよかった。
「シックス・センス」や「サイン」が好きな人にはお勧め。
っていうか、ぼくは最近こういうアングルからの映画にはまっている。
ファーゴ
コーエン兄弟の映画はどれも好きだけど、これは特に好き。
何度見てもイイ。
次点
GO」
世界は好きだけど、窪塚のがなるだけの演技が、ちょっと、、、
トリック
テレビドラマだけど、全然見たことなかった。すっごく楽しめた。
テレビドラマでもここまでできるんだ。
K-PAX
好きな世界なんだけど、
もう少し輪郭線がハッキリしててもよかったんじゃなかろうか。
全然関係ない映画だけど、
見終わった後
フィールド・オブ・ドリームス」を無性に見たくなった。

ムームーの小物達#22 imacちゃん

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2002/12/16(月)
メダカのオスメス

小学生の学力テストの結果、
10科目で前回より学力が低下しているとのこと。
そんな中、朝日新聞では60%以上の小学生が
メダカのオスメスを見分けられないと嘆いているけど、
それはどうなのか。
メダカのオスメスを見分けられることと
学力ってなんの関係があるんだろう。
100歩下がって魚類のオスメスを見分けられる事の意味は?
1000歩下がって生き物のオスメスを見分けられることの意味は?
もし魚類のオスメスを見分ける意義があるとしたら、
北海道では鮭のオスメスを、東京ではアナゴのオスメスを、
岐阜ではあゆのオスメスの見分け方を出題すべきだし、
魚のオスメスを知ることより
ヒヨコのオスメスの違いを知ることの方がよっぽど商売になる。
っていうか、
そういうことがわからないことと、
分数や円の面積が求められないこととを
同じステージの問題として取り上げている朝日新聞はどうなんだろう。
そんなことよりノーベル賞受賞会場で相変わらず
「賞金は何に使いますか?」と
田中さんに聞いている自分たちの知能低下をなげくべき。
ちなみに、メダカのオスメスの違いはこういうことらしい。
やっぱ意味ない。



ムームーの小物達#22 2千円札

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2002/12/13(金)
大辻先生

大学時代の恩師であった大辻清司先生のところに行って来た。
先生は去年のちょうど今頃、まるで近所にタバコを買いに行くかのような
軽いステップで、向こうの世界に逝ってしまった。
ちょうど1年だしということで線香でもあげにいこうと、
いつものメンバーでおじゃますることにした。
んが、案の定、先生のお宅には仏壇も焼香もなかった。
奥さんは、
「いいのよ、あの人はこれで。
どうせこの部屋をブラブラ漂ってるんだから」
とつっこみようのない冗談を言っていた。
仏壇のかわりに、
小さなテーブルの上に友達の写真と封をきった吸いかけのタバコ
(両切りの缶ピー)と灰皿が置いてあったので、
ヘビースモーカーであった先生も
線香の煙よりタバコの煙の方がうれしいだろうと、
タバコに火をつけ、線香代わりに立てかけて置いた。
もう10年以上も毎年1回くらい先生の所におじゃまをしていた。
いつも集まるメンバーは、
みんなその1年間に作ったモノを持ち寄って
先生に見ていただくというのが習わしになっていた。
もうみんな40過ぎのイイおじさん、おばさんなんだけど、
その時ばかりは、課題を提出する学生そのまんまだった。
といっても、先生は非常に無口なかたで、
いつもニコニコ見てるだけで、
決して批評めいたなことはおっしゃらなかったのだけど。

誰でもそうだろうけど、
40年も生きているとどっかで自分の人生に
決定的な影響を与える人に出会う。
ぼくにとって大辻先生がその人だった。
今のぼくの物作りの姿勢は、先生の教えに寄るところが大きい。
自分の感性にこびりついた人からの「借り物」をはぎ取り、
主観をつきつめること、
モノ作りとはそういうことなのだ、みたいなことを教わった。
こうした姿勢は芸術の世界では矛盾を産まないだろうけど、
ぼくのように「商品」を作るものにとっては大いなる矛盾を産む。
自分の感性の「芯」に近づけば近づくほど、
それに共感してくれる人の数は(一時的に)少なくなっていく。
そのこと自体はモノ作りにはなんら関係もないことだけど、
「商品」を作る上では致命的な欠点となる。
売れることがなによりという商業的ものさしで測れば、
「ひとりよがり」「マスターベーション」にすぎないということになる。
ただ、彫刻家のロダンが予言しているように
「個人の主観を深く掘り下げていけば、人類共有の主観にぶちあたる」
ということもあるのかもしれない
(ビートルズなんかはそこに達しているのかもしれない)。
そこらあたりについては、自分の中でもうまく整理が着いていない。
どうしたらいいのか、もう少し先生に教えてもらいたかった気もする。
帰りがけ、奥さんが
「結局、うちのがいてもいなくても
(いたときもあまりしゃべらなかったから)変わんなかったわね」
とまた突っ込みようのない冗談を言った。


ムームーの小物達#21 中途半端なコレクション

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2002/12/12(木)
もろもろ

過去に数度講演なるものをしたことがあるけど、
ホント、寝てる人ってよくわかるんです。
んでそんな人を見つけると、すっごく反省しますね。
ああ、話のネタがおもしろくないのかなぁ。
話しのテンポが悪いのかなぁとか。
学校のとき、授業で寝ていると先生はその人を叱っていたけど、
あれはどう考えてもおかしい。
騒いで他の人に迷惑をかけた人を叱るのはアリだけど、
寝ている人を叱る権利はない。
彼が腹を立てる理由は自分のプライドが傷ついたからであって、
けっして生徒のことを思ってのことではない。
眠気を起こす授業をしている自分を棚に上げて、
生徒の非礼を叱るのはおかしい。
むしろプロ失格であると反省しろといいたい。
と今更言ってどうなる>おれ。
 ●
テレビで「貧乏生活バトル」みたいな番組をやっていて、
貧乏自慢が自分の部屋の惨状を自慢しあっていた。
のはいいんだけど、
ナレーションで、
自称貧乏人を「貧乏人、貧乏人」と呼ぶのはOKだけど、
「貧乏下宿、貧乏下宿」と連呼してたのは、大家に悪いだろう。
きっと大家は気ぃ悪いと思う。
 ●
最近物忘れが激しいので、メモをとる習慣をつけている。
これで忘れることはないと思ったがそうでもない。
超省略メモなので、
時としてなんのメモだか思い出せないことがある。
最近では
「草地にくらげ」というメモ書きがあった。
いったい何をおもいついたのだろう?
さっぱり思い出せない。


ムームーの小物達#19 わかる人にはわかる自慢のコントローラー

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2002/12/11(水)
感謝という気持ち

今は朝の4時54分。
外にゴミを出しに行ったらキーンとする冷たさだった。
テレビでは外の気温は0度くらいと言っている。
宇宙の最低気温はマイナス273度だから、
泣いても笑っても後273度しか下がりようがないのだ。
極北に住む人なんて、
あと220度で宇宙最低温度にタッチできるのだ。
温度の上限ってあるんだろうか?
よくわからないけど、1兆度とかはゆうにあるから、
そう思うと、
ずいぶんと我々は低い温度の世界に生きているんだなぁと
凍てついた星を見ながら、しみじみ思った。

今日は雪も降っていないので、
風呂桶の野良猫にどいてもらうことにした。
しっしとやるとファーッと威嚇して出ていく。
いつも寝場所とエサを無償提供してやっているというのに、
感謝という気持ちがないのか。
と言おうと思ったけど、そういやぁ、
感謝なんて概念は人間にしかないのかもしれないなと思った。
サルは感謝するんだろうか?
人間だけにある高等な精神作用なんだろうか?
そもそも感謝というのはどういう情動なのだろう。
親やパートナーに対する愛情とも違う。
もっと具体的に自分に与えられたモノ、コトに対しての、、、
お、案外説明が難しい。
本来自分にはそれを得る権利がないモノを与えられたときに
それを与えた対象に対して発生する一時的情愛といったところか?
(岸田秀ならなんて説明するんだろう)
ともかくネコにはなさそうだ。
感謝って概念がない以上、
きっとボクが地獄に堕ちたときも、
手とか貸してくれないだろうな。
期待薄。
と思うと、
とても蜘蛛に助けてくれたお礼に糸を出したなんて話は信じられん。
ほ乳類にもない情動が昆虫にあるとは思えない。
あれはきっとたまたま糸が出ちゃっただけに違いない。
それを主人公が勝手に助けてくれたと解釈したのだ。
そういやあ、
釣った後リリースされるブラックバスは
釣った人のことを感謝してるんだろうか?
それとも憎んでいるんだろうか?
泥棒が少しお金を返してくれたのと同じだから、
やっぱ怒っているかな。
ぼくが、ダメージを少なくするために
もどしをつぶした針を使っていたり、
リリースする際、
えらに強制的に酸素が送り込むように水を送り込んでやってる、
なんてことはちゃんと査定してくれているだろうか。
っていうか、例え感謝してくれてたとしても、
どうやって、地獄からの脱出を手伝ってくれるんだろう?

ムームーの小物達#18 軽石

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2002/12/10(火)
コントローラー

医療(手術)の現場でロボット(アーム)が活躍したり、
兵器なんかでも無人飛行機とかが出てきている。
これらは人間が操作するんだけど、遠隔で操作する。
手術では、ロボットアームを使う方が、
傷口が小さくて済むし、手ぶれなどの心配もない。
兵器では、人命を失うことがない。
など、ロボットを遠隔操作するのにはメリットがある。
この遠隔操作するコントローラーというのが、
どれもゲーム機のコントローラーに似ていておもしろい。
だいたい、左手で移動、右手で機能を選択、決定する。
このため、コントローラーの左にジョイスティック、
右にボタンが配置される。
そういう意味ではゲーム機のコントローラーってのは、
人間工学的によくできてるんだなぁ。
テレビでそういうロボットを操作する医師を見てて、
ちょっと思ったことがある。
どう見ても、その医師はゲームとかやらなさそうな人だったのだ。
ま、そんなことは医療技術と何の関係もないんだけど、
コントローラーを持った彼はどうも下手そうに見えてしまった。
あれがメスだったらそうは思わなかっただろうけど。
で思った。
たしかに手術をするには高度な医学的知識が必要だ。
でも、必ずしも医学的知識がある人が
手術という操作がうまいとは限らない。
知識も経験もあるけど、手先が不器用な人っているはずだ。
外科手術的作業だったら、
案外、料理人や大工の方がうまいかもしれない。
ホントは、そういう手先が器用な人が手術をした方が
手術のダメージは小さいんじゃないだろうか。
知識は乏しいけど手先が器用な医者にやってもらう手術と
知識は豊富だけど手先が不器用な医者にやってもらう手術。
どちらがいいかは、けっこう微妙だ。
で、ロボット操作なんかだったら、
案外ゲーマーがやったほうがうまいかもしれない。
コントローラーの扱いは、彼らの方が医者よりずっとうまいはずだ。
医者は傍らで、「次、そこ切って」とかアドバイスして、
ゲーマーがコントローラーを操る。
直接手術室に入るわけでもないから、
問題も少ない気がするんだけど、どうなんだろう。
手術はちょっと気持ち悪いっていうゲーマーもいるかもしれないけど、
無人兵器の遠隔操作なら世界観的にもゲームと全く同じだから、
こっちはお手の物かもしれない。
この際、手術のコントローラーも兵器のコントローラーも、
全部PS2のコントローラーにしてしまえばいいのにとか思ったりして。
そういう意味では、
これからはゲーマーの時代かもしれない、なんてこたぁないか。



ムームーの小物達#17 pitとムームー星人、それにテレタビーズ

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2002/12/09(月)
初雪

どこのドイツ人やねん、今年は暖冬だといったのは。
今さっき(朝の4時半)帰ってきたけど、雪が積もってます。
平年より24日も早い初雪だそうじゃないですか。
夜中の雪ってのは風情があってよろしいんですけどね、
ちょっと早いっていうか、秋はあったんですか?といいたい。
こんな夜は暖かい風呂にゆっくりつかりたいところだけど、
風呂のふたの上には野良猫が陣取っているので、
今日は風呂に入れない。
(さすがに雪が降っている中、追い出すのもかわいそうだから)
それにしても、
ホントにペットボトルってネコよけに効くんだろうか?
家の中のペットボトル作戦は全然効をなさなかった。
エビアン300mlのボトルじゃあ小さかったかぁ。
仕方がないので、
最悪ベッドの上に乗られても汚れないように、
ベッドの上にまんべんなく新聞紙をひいたら、
どうもこれがヒット。
どういうわけだか新聞紙がひかれたベッドはNGらしくって、
昨日、今日はのられずじまい。
ただ部屋の中には入ってこられてて、
うちのバカネコと寝てるんですけどね。

ムームーの小物達#16 ヒヨコ

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2002/12/06(金)
青空の下で×××

朝方の教育テレビなんかで、
BGVとして
ヨーロッパの草原なんかが映ると微妙な気持ちになる。
学生の頃だからもう20年くらい前のことになるんだけど、
いまだにそのときの微妙な気持ちがわき上がってきてしまうのだ。
大学時代の友達でXというのがいた。
彼とは同人誌を一緒に作るような仲だったので、
マンガとか映画とかデザインとかそういう話はよくしたけど、
女性の話、エロの話、
自分の体験話なんてのは全然話したことがなかった。
どっちかというと、彼とそういう話になるのはちょっと勘弁、
みたいなところもあった。
別に強い理由があったわけではないけど、
イイ意味でも悪い意味でも
彼とそういう話題はフィットしないと言うか、
彼のその手の話を聞くとおもうだけで
ぼくと彼の間の会話に
そういうテーマが入ることが気色悪いというか、
ともかくノーだったのだ。
ある日、彼が寮の部屋に遊びに来た。
なんだかんだ雑談をしていると彼が唐突に
「おれは、真っ青の空の下、
燃え上がるような緑の草原のまっただ中でセックスがしたいんだ」
といいだした。
意表をつかれたぼくの脳内で、青い空、燃え上がるような草原、
そこに横たわる裸の彼と女性、、、
という描画が瞬間的に完成してしまった。
(こういうときばかりは、絵を描く能力ってのは災いする)
不幸である。冗談じゃない、気色悪すぎだ。
全記憶を失ってもイイから、今のシーンは忘れたいと思った。
がしかし、時すでにおそし。
彼の中にうずまく、そのちょっときっつい性の欲望を、
強制認識させられてしまった。
以来、20年。
いまだに草原のシーンを見ると、その映像が浮かんでくる。
本来なら美しくすがすがしい草原の絵が、
ぺこぺこ動く彼の裸の尻というおぞましい映像と
合成されて目に入ってくるのだ。
悪夢といっていい。呪いといっていい。
ってことで、これを読んだ人も今日からそういう目に合うのだ。
とちょっとリングっぽい。

ムームーの小物達#15 某クマのぬいみぐるみ

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2002/12/05(木)
ペットボトルを並べる

野良猫がどんどん横着になってきてて、
以前は玄関のドアを開けたら
ターッと逃げていく後ろ姿が見えたくらいだったのに、
今では帰ってきてもベッドの上で安心しきって寝ている。
起こそうとするとフアーッと威嚇までして、
「うぜえ」という感じでノッソノッソと出ていく。
ベッドの上がノミや泥で汚れているのはすっげーイヤだし
(うちのバカネコはどうしてだかベッドの上に上がらない)。
ぼくはあつかましい人間やネコが大嫌いなので、
自衛策をとることにした。
うちのバカネコが
外に出ていく関係でドアを閉めたりすることはできない。
そこでいいことを考えた。
ベッドの上や周囲に水を入れたペットボトルをおくことにしたのだ。
家の庭先にペットボトルを置く家は多いが、
ベッド脇にペットボトルを置くのはぼくくらいじゃないだろうか。
今日(第一日目)はうまくいった。
たまたま来なかったのかもしれないが、
ともかくベッドの上に上がった痕跡はない。
めでたし、めてたし。
ただ、ペットボトルがすっげー邪魔なんですけど。

ムームーの小物達#14 バブーのトレカ

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2002/12/04(水)
苦い

忙しいには、2種類ある。
甘い忙しさと苦い忙しさ。
今の忙しさは苦い。
忙しさのレベルから言えば、
ウゴウゴをやっていた頃とそう変わりはない。
でも、忙しさの「味」が全然違う。
今日味わった苦さは、あくる朝起きるとまだ口の中に残っている。
毎日の苦さで舌がマヒして、
人生全般の味もわからなくなってしまっている。
そんな毎日だ。
こうした苦さを味わいたくなくて、
一度も就職をすることもなく社会との接点を可能な限り小さくし、
うまく逃げ回ってきたつもりなのに、
意外なところでつかまってしまった。
でも、どうせ捕まってしまったんだから、
この苦さはどこからくるのか、自分は何を苦く感じるのか、
そのあたりを整理できるチャンスだと思うことにしよう。
なんてことを風呂に入りながら小一時間考えた。
プロデューサーとの衝突。
これは今までだってある。
そもそもプロデューサーは、売れること、
コスト(制作期間と制作費)を押さえた「商品」を作ることを
第一義として考え仕事であるのにたいして、
ディレクターはいかに自分の納得いく「作品」にするかを第一義に考える。
当然、そこにはギャップが生まれるから、
お互いがお互いの仕事に熱心になれば、必然的にそこに摩擦が生まれる。
基本的には、こうした摩擦は楽しい。
調整とか説得とか説明とかは苦手だが、
違う価値観に触れること自体は楽しい。
自分にない価値観に触れることで、
また一つ自分のポケットが増えたような気になるからだ。
だから、原則的にそこに苦さは感じないはずだ。
共同作業のストレス。
1年間ずっと顔を見合わせて1つの作業をしているのだから、
ストレスはつきものだ。
ある人の思い違いや怠慢や不注意が、
他の全員にトラブルとなって降り注ぐ。
そんなことの連続だ。
細かいところでの価値観も違う。
白色が好きか、赤色が好きか、
たいがいはそうした主観的な問題であって、
だれが正しいというモノでもない。
多くの場合は民主的手法で解決されるので、
自分の欲求が100%通ることはまずない。
ただ、そのことも楽しいとはいえないが、
苦いと感じるほどの苦痛にはならない。
当たり前のことだと最初から覚悟しているし、
むしろ、自分以外のアイデアで作品がよくなったと思ったときは、
素直に助けてもらえてよかったと思う。
じゃあ、なんなんだろう、この苦さの源は?
と考えていたらなんとなく思い当たる節にでくわした。
具体的には書けないけど、
愛だ。愛。
愛が不足しているのだとわかった。
各々の作品に対する愛は十分に感じている。
きっとみんな今の作品を愛していると思う。
ほこりにも思ってくれていると思う。
ただ、決定的なところに対する愛が足らないのだ。
愛とはほとんど、リスペクトとイコールといっていいかもしれない。
(少なくともぼくにとって、
恋愛においても仕事においても、愛は尊敬の念から生まれる)
誰が誰に対して愛がないのか。
絶対に口にすることはできないけど、
それがわかった気がする。
それはメールや打ち合わせなど、
どのシーンをとっても表だっては出てきていない。
ただ、人間というのは幸か不幸か、
愛されていないことってのはかぎつけてしまうのだ。
どんなにゴージャスな言葉をもらっても、なんとなくわかってしまうのだ。
その愛のなさが、苦さの素になっているのだ、きっと。
ただ、
愛してくれていない人がそばにいることが苦痛なのか。
自分が愛していない人がそばにいることが苦痛なのか。
その両方なのか。
そのあたりはあやふやだ。
万人に愛されたいとは思わないし、
思ってみたところで不可能であることもよくわかっている。
そして奇跡的にも万人に愛されたとしても、
それは果たして幸せなのか?という疑問さえ持っている。
師匠であり友人である人の
「自分をホントにわかってくれる人なんて、世界に3人もいれば十分」
という言葉に激しく同意もしている。
ならば、自分が愛していない人が自分を愛していないことなど、
なんで苦痛になるのだろうか。
どうやら、もう一つ奥にドアがあるような気がする。


ムームーの小物達#13 ムームー星人

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2002/12/03(火)
合体

エニックスとスクウエアが合体して、
日本最大のゲーム制作会社ができた。

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再編じゃなくって、攻めの合体らしい。
ゲーム業界は今や斜陽産業といわれており、
売り上げ高は下がる一方である。
こうした環境がおもわしくない状況の中で、
巨大化するというメリットはなんなのだろうか?
銀行なんかも次々に合体しているところをみると、
なにかしらのスケールメリットというのがあるんだろうけど、
よくわからない。
っていうか、自然界では、環境がやせていくると、
だいたい小型化のほうに進む。
恐竜のように小型化できなかったヤツラが滅ぶことになっている。
身体を小さくし、維持費を少なくし、
環境が回復するまで低コスト、低リスクでしのぐ、
生物というか神様のストラテジーはだいたいそうなっている。
ゲーム業界は、大きく分けると2つのスタイルがある。
内部に制作部隊を持たず、プロデュース業に徹する会社と、
企画から制作、販売まで全ての機能を持つ会社。
エニックスは前者の代表選手であり、
スクウエアは後者の代表選手である。
前者は、制作部隊の維持コストがいらない。
そのかわり、いつまでたっても制作のノウハウや技術は蓄積しない。
後者は、制作部隊の維持コストがかかるが、
すべて自社内で回せるので、
効率よくやれば外注よりは制作費は安くつくだろうし、
ノウハウや技術も蓄積していく。
どちらのビジネススタイルがよいのか、よく議論の対象になっている。
その両者がくっついたのだから、驚きだ。
余計なお世話だろうけど、イマイチよくわからない。
ただ、DQもFFも持っているという、とんでもない会社になるのだから、
今までのハードを提供してきた会社にアドバンテージがあったのが、
ソフトを提供する(だけの)会社にアドバンテージが移行するという
相転換が起こるのは間違いなさそうだ。
ソフトだけを提供する会社にとって、
今のようにハードが入れ替わっていくことは百害あって一益なしだから、
そういうハード競争に
歯止めがかかるというメリットは期待できるかも知れない。
ただ、巨体を維持するために、
限られた売れるソフトだけが提供されていくという巨人病の心配もある。
何が売れるかわからない時代、
商品種を少なくすることは最終的にはリスクが高いこととなる。
種の単一化もまた生物の戦略に反している。

ムームーの小物達#13 眠るアイボ

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2002/12/02(月)
もろもろ

近、ずっと金曜日の夜くらいから急激に風邪気味になり、
土日と養生してなんとか回復、月曜日になるというパターン。
緊張感と免疫、睡眠時間と免疫の微妙なバランスのうえにいるらしい。
今日なんか3人(ぼくとプーと風呂場の野良猫)ともクシュン、
クシュンとやっている。
 ●
ちょっと前、Kさんからいただいたメール。
>考えてみればおかしいですよね。古代より人は生きるために必要な仕事の時間を
>道具や技術を開発することによって減らし、余暇の時間を増やしてきた。
>だが、それは増やせば増やすほどやらねばならないことは出てきて、、、
たしかにねぇ、
飛行機も車も速くなったし、洗濯機や電気炊飯器や掃除機もできたし、
時間を節約すること=技術の進歩みたいな感があって、
本来なら今頃、時間は余っているはずだったのに。
みんな時間が足らないと思っているんだもの不思議だ。
もし、人間が本来的に何もしたくない生き物なら、
こんなことにはなっていないような気が。
つまり、人間は時間があればあるだけ、
何かやっちまうってことなんだろうか。
何もしなくてもいい、
何もしてはいけないなんてのは、幸せなことなんだろうか?
苦痛じゃないんだろうか?
そもそも、「なにもしない」ってどういうことなんだろう。
ぼ~~っと景色を眺めていることなのだろうか?
それだったら、テレビをぼ~っと見ていることと同じだしなぁ。
なんて考えてしまうこと自体毒されているのかな。
 ●
ヒトはなぜ人生の3分の1も眠るのか?」という本を読んだ。
どうも、やっぱり全然眠らないと死ぬらしい。
しかし、寝ないことが直接の死因であるわけではないらしい。
そもそも、眠ることの意味はわかっていないらしい。
知らなかったけど、「睡眠負債」という言葉があるんだそうだ。
寝不足な分だけ負債が身体に溜まっていくのだそうだ。
身体は睡眠時間の貸し借りには非常に几帳面なようで、
8時間の眠りが必要な人が
5時間しか眠れなかったときにできた3時間の借金は、
いつもより3時間余分に寝る
(つまり11時間寝る)ことでしか帳消しにならないらしい。
しかも、少なくとも2週間前の借金まではそうやって
ちゃんと覚えているのだそうだ。
この借金はまとめて返してもいいらしいんだけど、
ず~~っと返さないとあるとき
急に借金取りが来るのだそうだ(睡魔ってやつね)。
そして借金取りにも返さないと、死んでしまうのだ。
つまり絶対返さないといけない、
ある意味、街金以上に怖い借金なのだ。
また、残念ながら借金はできても、
貯金(寝だめ)はできないらしい。
ともかくこの本は質の良い十分な時間の睡眠が
いかに大切かを説いている本なんだけど、
モダフィニルという、
アンフェタミンのように精神を興奮させることもなく、副作用もない、
眠気をすっかり取り払ってくれるクスリがあるという話に
興味がいってしまったのは、ちょっと悲しかった。
でも、万が一のためにほしい。
(ちなみに、このクスリ、湾岸戦争でカナダ軍が使っていたそう)

ムームーの小物達#12 バブーの指人形

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