人間風車

2003/01/31(金)
まかないご飯

ムームーのまかないには、いくつかの厳しい条件があるので、
ただ料理のレパートリーが広いぐらいではつとまらない。
時間は1時間しかない。コンロは2つしかない。
人手も2人しかない。
皿や調理道具をあまり使ってはいけない。
(調理や片づけに時間がかかってしまっては本末が転倒する)
電子レンジもあまり使ってはいけない。
(ヒューズが飛んだ日にゃあ、大変なことになる)
だから凝った料理は作れない。
あまりお金をかけてもいけないから、「男の料理」なんてのもできない。
栄養面、とくにビタミンBやC、
食物繊維をうまくとれるような食材を使わないといけない。
(まかないで疲労が取れたり、風邪引きを防げたりできれればラッキーだ)
しかし、キュウリ、ナスはあまり使えないし、カレー粉も禁止だ。
(メンバーの好き嫌いの問題)
その上、同じモノをなるべく作らないようにしないといけない。
(別に理由はないけど、自分にかせたルールなのだ)
だからけっこうむつかしいのだ。
ほぼ毎日のことだから、前もってメニューを決めておく余裕もない。
いつも、スーパーにいって食材を見てから、
上のルールとそのときのインスピレーションに従って献立を決める。
ぐだぐだ悩んでいる時間もない。
なんだか毎日ゲームをしているみたいで楽しい。
 ●
何人かの人から、角煮のレシピを聞かれたので、
ムームー流角煮のレシピを紹介。
(といってもたいしたことはないんだけど)
まず上の条件を満たすためには、圧力鍋が必須である。
通常、角煮を作るときには、最初に豚バラ肉をゆでこぼす。
しかし、そんなことをしていたら1時間クッキングには間に合わないので、
ムームー流ではゆでこぼさず、そのまま圧力鍋につっこむ。
ゆでこぼさないので臭い消しを強くする必要があるので、
ネギの青い部分、
ショウガ、ニンニク、八角、コショウ、クミン、カルダモンを加え、
たっぷりの焼酎、
それに砂糖、醤油、オイスターソース、みりん、はちみつで味付けする。

20030131_1.jpg

後は圧力鍋で30~40分煮るだけ。
砂糖を黒砂糖に、焼酎を泡盛にすると沖縄風になる。
ゆでたキャベツの千切りをご飯の上にしき、
角煮をのせて角煮丼のできあがり。

20030131_2.jpg

おいしそうっていうより、むしろ怖いんですけど、これ(笑)

ムームーのまかない#7 
鶏肉、砂肝とキャベツのサラダとフォー
20030131_3.png


2003/01/30(木)
やっぱ、この辺だなぁ

マシンを換えたのにあわせて、OSをOSXにした。
しっかしイヤだなぁ、このOS。たぶん生涯好きになれないと思う。
X(てん)というよりは×(ばつ)って感じ。
ビルゲイツ臭がするというか、技術系臭いというか、
macの特徴である文化系の香りがしてこない。
高機能でさえあればいいのか、高速で安定的であればいいのか、
そんなPC他にいくらでもあるじゃないといいたい。
は、いいとして、
OSXには、なじんでいたOUTLOOK(メーラー)がないので、
標準添付のMailという芸のない名前のメーラーを使っている。
このメーラーもダメダメなんだけど、
迷惑メール対策部分でちょっと好印象になってきている。
といっても、高度な迷惑メール対策機能があるわけじゃない。
どちらかというとバカである。
おそらく@マーク以前の文字列があやしい(人の名前っぽくない)のは、
全て迷惑メールとみなすというくらい単純な機能である気がする。
(違ってたらゴメン)
このため、よく大切なメールも迷惑メールとしてくれる。
(もっとも、周りに、
へんてこりんなメールアドレスのヤツが多いってのも問題なのだが)
迷惑メールは自動的にゴミ箱に送り込んでしまうので、
大切な手紙をゴミ箱から出さないといけない。
これは、本来的にはならよろしくない話だ。
しかし、最近はちょっとほほえましいというか、
多めに見てやれるというか、
おれがしっかりしなくっちゃというか、
そんな気持ちになってきた。
というのも、
この迷惑メール判断機能には学習モードというのがあって、
「ぼく(Mail)はこれは迷惑メールだと思います」という問いかけに対して、
「それは迷惑メールじゃないよ」と教えることができるのだ。
(逆に、迷惑メールじゃないと判断したものを
迷惑メールだと教えることができる)
これによって、何回か来るメールについては、
ちゃんと区別できるようになっていく。
(今のところ、まだまだなっちょらんが)
どうも、こういう学習系のソフトに弱いので、
許してしまうというか、感情移入してしまうというか、
育ててみたいなんて思ってしまう。
ただ、これが犬猫の形をしていたり、
何かしらゲーム的目的だったりしたら、
今はちょっとのれなかっただろうなぁと思う。
PCにいるときは、非常にクールなんで、
ゲーム的な仮想の世界で遊ぶなんて気分じゃないのだと思う。
メールというツールだったからこそ、
かえって感情移入できたんじゃないかなと思う。
(動物型文房具にはまるOLとある意味同じかもしれない)
こうした感性が一般的であるかどうかは全然わからないけど、
やっぱ、この辺だなぁやりたいのは、とあらためて思った。

ムームーのまかない#6 
ハムステーキ+パイナップルソース、スパゲッティー・トマトソースbr />20030130.png


2003/01/29(水)
日本近海の魚

週刊文春を見てたら、紙面いっぱいのなまこが載っていた。
27%くらい、うまそうと思った自分は、
世界標準からはだいぶ離れてるんだろうなぁ。
それにしても、日本近海の魚は不幸だ。
なんでも食べられてしまうからだ。
鮭や鱸や鯛や鮪や鰯や鰊や鰹は仕方がない。
世界中で食べれているからだ。
しかし、その他のヤツラは日本人の近くにいたがために
不幸にあっている。
ウニのようにトゲトゲで身体を武装し、
最も食べ物から遠い体色をしてても食われる。
サマーズの三村風に言えば
「食うのかよ。食うとこねえじゃん」とつっこまれそうな、
かめのてとかフジツボですら、汁の具や出しとして食べれてしまう。
ナマコだって、
この模様とデザインならまず大丈夫だろうと油断してたにちがいない。
(だから、砂地に無防備にごろんとしているに違いない)
っていうか腸管(このわた)まで食べれるとは思っていなかっただろう。
うみうしは、その昔は貝であって、殻を付けていたけど、
ここまできたら、もう食われることはないと判断して、
はずしたに違いない。
ホヤなんて「どこが海のパイナップルやねん」と思ってるに違いない。
桜エビも、あんな小さいのに、
ただ桜色できれいっていう理由で食べれてしまう。
フグなんて、毒まで持ってても食べられてしまうし、
食べるに足らない小ささでも佃煮や出汁に使われ、
ボラなんてのは卵(からすみ)だけが食べれてしまう。
煮ても焼いても食えないコハダは、
酢で締めるという離れ業で食べれてしまう。
青臭い魚は、脳にいいからと食われ、
ハモの嫌がらせのような骨も、名人技でクリアされてしまう。
かように、日本人は、どんな魚でも食べてしまうし、
魚卵から稚魚から成魚までどの段階でも食べてしまうため、
魚を絶滅させやすいと言われている。
遠からず、日本近海には、
煮ても焼いても締めても食えない魚だけの海になってしまうことだろう。

ムームーのまかない#5 
親子丼、サラミとレタスのサラダ、花麩とダイコンのみそ汁
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2003/01/28(火)
テレビ

うちのテレビは「千と千尋の神隠し」の問題が気にならないほど
(=気がつかないくらい)色ヤケがひどくって、
もう完全に寿命がきている。
ここ1,2年ずっと買い換えることを考えていたけど、
どうせなら、もうブラウン管はやめたい。
しかも、今のテレビ(29インチ)より大きいのがイイ。
と、35インチ以上のプラズマディスプレーを狙っているのだけど、
これが高いったらありゃしない。
確実に50万円以上してしまう。
このため腰が引けまくって、買えないまま今日に至っている。
しかし、さすがにここまで色が悪くなり、音がでなくなり、
6chが映らなくなると(これはアンテナのせいかもしれないけど)、
買い換えないわけにはいかない。
家に帰れば、電灯より先にテレビのスイッチを入れる男である。
唯一の楽しみが、就寝前のDVD鑑賞という男である。
テレビはただの家電ではないのである。
生命維持装置といってもいいかもしれない、なんてことはないけど、
一瞬もないときは許されない。
こんなにがんばっているんだから、自分をほめてやってもイイ。
ほめついでにご褒美をやってもイイということもある。
ボクが生まれたその日(現天皇の結婚した日)が、
テレビの普及を決定づけた日であるという、
やや強引な因縁もある。
となれば、ここは一発奮起するしかないと、
ほぼ腹を決めたら、また一つ問題がわかった。
なんと2011年には現行のテレビ受像器が使えなくなるのだ。
テレビ放送がデジタル化するためだ。
となると、35インチのプラズマディスプレーを今買っても、8年の寿命。
1年当たり、50万円÷8=62500円ずつ消耗していく、
つまり1日あたり171円ずつ消耗していくことになるのだ。
これはさみしい。
さてさて、どうしたものか。


ムームーのまかない#4 
イカとセロリの炒め物と香港風焼きそば、わかめのスープ
20030128.png


2003/01/27(月)
飢餓感

昼起きたら、
テレビでロンドンブーツがとんでもなく大きなトンカツを食べていた。
ナレーションが、
"このジャンボトンカツは、なあんと3200kcal!
 1つで餃子70個分のカロリー!"
と言っていた。
こういうのは困るなぁ。だってじゃあ餃子1個は何キロカロリーなの?
割り切れないんですけど、、、、。
 ●
昔、愛川欽也が食べても食べても食欲が満たされないという話をしていた。
大食漢ということではなく、
食べ盛りのころがちょうど戦中、戦後の食糧難の時代だったため、
腹一杯食べることができなかった。
そのときの飢餓感が抜けないらしい。
今では腹一杯うまいものを食べられるし、食べてるんだろうけど、
生理的な欲求は満たされても、精神的な飢餓感は消えないってことらしい。
写真家の加納天明が、撮った女の7割とは寝たとか、
最近の男はしたがらないとか、
やたらセックスにこだわるのも、
彼が思春期だった時代、日本では自由な恋愛ってのができなかったため、
そのころの性への飢餓感が、
彼をあそこまでセックスにこだわらせているんだろうと思う。
ムームーの押入はボードゲームで埋まっている。
ぼくのボードゲーム好きは今に始まったことではないので、
ずっと昔っから収集を始めていても不思議ではなかったはずなのに、
今の事務所に引っ越してきてからこうなったのは、どういうわけか?
我ながら不思議だったんだけど、
押入いっぱいに大好きなおもちゃが入っている。
というビジュアルがキーだったのだとわかった。
(それまでの事務所には押入はなかった)
小さい頃、十分におもちゃを買ってもらえなかったため、
押入いっぱいのおもちゃが入っている、
そんな夢というか妄想というか願望というか、
そういうイメージを幼少期、抱いていたんだろう。
大きくなって、そんな夢を持っていたこともすっかり忘れていたんだけど、
たまたま、それ以前に持っていた
数種類のボードゲームを押入にしまわれたことで、
一気に意識の上にあがってきて、
あわせて、おもちゃに対する飢餓感が急速に覚醒してきた。
そんなところなんだろうなぁと思った。
ということで、
もう遊びきれないくらいゲームはあることは理解しているけど、
この亡霊のような心の「飢餓感」は生涯満たされないことだろうから、
関係各位は覚悟されたし。

ムームーのまかない#3 チョリソーとチリビーンズ、浅野屋のパン
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2003/01/24(金)
麻雀放浪記

家に帰ったらテレビで「麻雀放浪記」をやっていたので、
思わず見てしまう。
何度見てもいいわぁ。
和田誠は熱狂的な映画ファンであることは有名だけど、
初監督でなんであんなにイイ映画が撮れたんだろう。
映画もすばらしいけど、
阿佐田哲也の原作もまたいい。
阿佐田哲也の本は「シナリオ麻雀放浪記」以外全て読んだ。
その中でも、
「麻雀放浪記」の番外編「どさ健博打地獄」シリーズが好き。
「てめえらにできるのは長生きだけだ」
と酒屋のおやじに毒づくどさ健が、20才そこそこの森川君には、
すっごくかっこよく見えたのだった。
(今は、もちろん、そうは思ってないけど)
さらにそのころ、学校にも行かず、
土浦は桜町の雀荘にピンでぶちにいくくらい麻雀にはまっていてて、
当時の桜町では、
麻雀放浪記の世界そのまんまのような人たちがまだいたもんだから、
阿佐田美学と現実がごっちゃになってしまってて、
今考えると、ひどい、暗い、冷たい麻雀をぶっていた。
そういう、やさぐれた麻雀が原体験なので、
友達同士で打つ@ホームな家族麻雀は今ひとつ苦手である。
(ちょうど、ストリートマッチで鍛えた人が、
スポーツ化した格闘技がしっくりこないのと同じかも知れない)
そういやあ、全然麻雀もやらなくなってしまったなぁ。
久しぶりに、ヒリヒリするような麻雀をうってみたいけど、
きっと負けて泣かされちゃうんだろうなぁ。
昔、酔ったおやじ相手にしてた、あれやこれやをくらって。

ムームーのまかない#2 青梗菜の豆鼓(とうち)炒め
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2003/01/23(木)
最高責任者

CEOって言葉は何となく知ってるけど、
冗談かと思える最高責任者役職名。
(週刊アスキーより抜粋)
全部いる会社ってあるんだろうか。
っていうか、どうせなら、全部埋めて欲しい。

CAO(Chief Accouting Officer)最高会計責任者
CBO(Chief Business Officer)最高業務責任者
CCO(Chief Compliance Officer)最高遵法責任者
CDO(Chief Development Officer)最高開発責任者
CEO(Chief Exective Officer)最高経営責任者
CFO(Chief Financial Officer)最高財務責任者
CGO(-)
CHO(Chief Human resorce Officer)最高人事責任者
CIO(Chief Information Officer)最高情報責任者
CJO(Chief Judicial Officer)最高法務責任者
CKO(-)
CLO(Chief Learning Officer)最高教育責任者
CMO(Chief Marketing Officer)最高市場開発責任者
CNO(Chief Network Officer)最高通信網責任者
COO(Chief Operating Officer)最高執行責任者
CPO(Chief Product Officer)最高生産管理責任者
CQO(ChiefQuality Officer)最高計画責任者
CRO(-)
CSO(Chief Strategy Officer)最高戦略責任者
CTO(Chief Tecnical Officer)最高技術責任者
CUO(-)
CVO(Chief Vision Officer)最高構想責任者
CWO(-)
CXO(-)
CYO(-)
CZO(-)


ムームーのまかない#1 角煮丼
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2003/01/22(水)
シンセサイザー話

楽器が弾けるわけでもないし、楽譜も読めないし、歌も歌わないけど、
シンセサイザーマニアである。
以下、シンセサイザーに明るくない人には、
なんのことかわからんだろうネタ。

中学校の時、岐阜市に出かけたとき、
楽器屋でどんな音でも出せる不思議な楽器という
キャッチフレーズで売り出されていた、
シンセサイザーを見て以来、
ずっとシンセサイザーというモノ
(というかコンセプト)のとりこになっている。
(もっとも、最近ではすっかりお行儀のイイ楽器になってしまったので、
少々興味が失せているが)
シンセサイザーの中でも特にムーグのシンセサイザーmoog system55 
にはぞっこん惚れた。
もちろん岐阜に現物があるわけもなく、
ただパンフレットを見ただけだけど、
壁のようにでかいシンセで、
モジュール間をケーブルでつなぐという仕組みが、
マッドサイエンスっぽくてかっこよかった。
(ムーグ博士もまた白髪で眼光鋭く、マッドサイエンティストぽかった)
1V1オクターブというわかりやすさも男らしかった。
70年代プログレのファンは多いけど、
シンセ好きからファンになった人間はそういないだろう。
ボクの場合は、シンセサイザーの音とはどういうものか聞きたさに、
ウォルター・カルロスの"Switched on Bach"から始まり、
キースエマーソンとリック・ウエィクマン、富田勲が
moog system55を持っていると知り、
ELP、YESなどを聞くようになった。
(このため、キング・クリムゾンは
メロトロンを使っていたのでしばらくは聞かなかったが、
逆にエンジェルとかボストンを聞くことになった)
自身もKORGの往年の名器MS20や
譲り受けたローランドのsystem100と700のモジュールを持っているが、
moog system55は、まだというかとうとう、現物を目にしたことがない。
ああ残念というか、そういう気持ちすらすっかり忘れていたところに朗報。
あのそのムーグがソフトシンセになって復活するらしいのだ。
MOOGIIIv (仮称)
う~~ん、DTMなんてなんにも用意してないけど、出た瞬間買うもんね。

こういう形で往年の名器が復刻するのは正しい。
ノスタルジックな意味だけではなく、時代を超えてイイってものはあるのだ。
そういうものは、その時代、
時代に応じた形、メディアで生き続けるべきである。
シンセはソフト化することで生き残ることができたし、
マンガはコンビニに売り場を移動することで復刻ができた。
小説は文庫本という形にかわって生まれ変わった。
映画はビデオ、DVDと何度も姿をかえて復活している。
津村順天堂のバスクリンなんていまだに堂々と薬局で売っている。
それなのに、ああ、それなのに、
もっとも復刻が簡単であるはずのゲームはどうしてそれができないのか。
もったいない限りである。

ムームーの小物達#38 花をいける器

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2003/01/21(火)
アマゾンでお売り物

おセンチなんて書いたので、何人かの人が心配してくれた。
でも、たわいのないレベルですので、どうもご心配おかけしました。
近年のぼくの課題は「弱音ぐらい吐けなくてどうする」である。
今まで人に弱音を吐けなかった。
弱音を吐かないではなく、吐けないというのが問題であって、
弱音を吐いたくらいで自我が傷つかないのだというのがわかったというか、
わかろうとしているというか、ま、そんなところなので、
やや必要以上に弱音を吐いているしだいである。
来年当たりには「愚痴」なんかにもチャレンジしてみようかと思っている。
 ●
最近、アマゾンでの売り物にはまっている。
買って役目が終わったり、
保存しておく必要もないと思ったモノは即売るようにしている。
アマゾンの売る仕組みはヤフオクなんかよりうんと簡単である。
なぜならば、アマゾンで売っているアイテムしか売れないからだ。
アマゾンで売っているものだから、
アマゾンがそのアイテムの紹介をしている。
だから、ヤフオクのように自分でアイテムの説明をしたり、
写真を撮ったりする必要がない。
また、アマゾンが代金徴収をしてくれるので
(というかそれが商売なのだが)、
取引上のトラブルも少ない(少なくとも売る側は)。
また、どういうわけかすぐ売れる。
そういっちゃあ買った人に悪いが、
よくまぁこんなもの買うなぁというモノも売れてしまう。
(っていうか、それ買ってるんですけどね)
最近では、●omic studioというペイントソフト専用のfont集が売れた。
ニッチなアイテムなので心配だったけど、すぐ売れた。
本体と間違えて買っただけに(どうりで安かったはずだ)、
売れて良かった。
売れるとこれがまた何故だかうれしい。
そこで売れたお知らせが来ると
「やった、また売れた!」と自慢してしまうのだが、
「儲かってる訳じゃないですからね」とみんなの反応は冷たい。
ちなみに、「マッチ箱の脳」1800円を
「ほぼ新品」状態として売ると、
売値の推奨値段は1320円となる。
この額で売れたとすると、
アマゾンには100円+1320円×15%=298円を支払う。
また、売った先への配送料は、アマゾンが260円まで負担してくれる。
つまりだいたい、1800円の本は1000円程度で売れることになる。
●ックオフなんかに比べれば、高く買ってくれることになる。
儲かる云々より、
本の状態だけをチェックして内容に関係なく、
一律数十円で買われるのに比べれば、
本に申し訳が立つというか、愛が感じられてよろしい。
というわけで売りにはまっているんだけど、
さすがに売れるアイテムが少なくなってきた。
買ったアイテムの大半はとっておきたいアイテムなので、
これは相当気合いを入れて「仕入れ」をしないとおいつかない。
ちなみに、今までのアマゾンでのお買い物の結果、
森川幸人さん、¥ 84,816 で商品が売れます!
ということらしい。

ムームーの小物達#37 登る人形

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2003/01/20(月)
おセンチ

自分らしくもなく、ここのところおセンチである。
何故だろうかと思ったら、わかった。
寒いからだ。
今日なんて、夜、朝ご飯を食べに出かけようとドアを開けたら、
さむざむと雨が降っている。
仕方がなく、買い置きのカップラーメンを食べる。
(ちなみに夜は菓子パンにサラミソーセージだった)
これでは、おセンチな気持ちになってもしようがない。
時間が許せば、2泊3日の温泉旅行で自分探しでもしたい気分だ。
なんかで、気温とカラオケでの演歌リクエスト率は、
反比例の関係にあると書いてあった。
わかる気がする。
寒さは人の気持ちを心細くするのだ。
(氷河期の記憶だろうかと思ったが、そこまでさかのぼる必要もないな)
きっと、今年は平年より結婚数が多いんじゃなかろうか。

正月だったか年末だったか、ぼんやりしてて覚えてないけど、
マリックが超魔術をやっていた。
あいかわらず、おもしろかった。
(アメリカのなんとかさんもすごかったな)
そんとき、ふと思ったのは、
古代の人がこの超魔術を見たとき、ぼくらみたいに喜んだり
、驚いたりしただろうかということだ。
ひょっとしたら、あまり驚かなかったんじゃなかろうかと思った。
ぼくらがそれを見て驚いているのは、
それが非科学的な現象だからだ。
タバコが500円玉を通過するとき、
金属という硬質な物質は、常温、常圧下で、
人間程度の力では変形しないという科学的知識に基づいて、
「ありえねぇ」と思う。
しかし、もともと科学的知識がなく、
万物が命を宿しているから、動いたり、言葉を吐いてもすっごく当たり前
なんて思っている古代人には、
500円玉がタバコを通したって、
普通のことにしか思えないんじゃないだろうか。
科学の進歩が、
世の中からファンタジーをなくしてしまったと言われるけど、
逆に科学への偏執的な信頼や信仰が、
ますます世の中をファンタジックにしているような気がする。

ムームーの小物達#37 インターネット糖尿病診断の通知書

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2003/01/17(金)
「快朝習慣」

ビフィズス菌サプリメント「快朝習慣」がなくなったので、
また通販でと思ったけど、
どこで買ったか忘れてしまったので、googleで検索したら
なんと「人間風車」が2番目にリストアップされていた。
(ちなみに「快朝習慣」では8件しかヒットしない)
あぶねぇ、これだからあぶねぇ。
一応ほめていたのでよかったけど、
こんな地球の端っこのHPのいち日記の一文まで、
googleのロボットは拾ってしまうのだ。
滅多なことは書けないなぁ。
これが、例えば、松井秀喜についてあることないことを書くなら、
それは安全?である。
なぜなら、今日現在、
「松井秀喜」で検索すると約36300件ヒットする。
これならばれることはない。
これが1000件くらいまでのヒット数だとちょっとがんばれば、
全て調べることができてしまう。
特にgoogleのようにキャッシュや、
キーワードの前後の文節を表示する機能があったりすると、
1000件くらいの検索はお安いご用だ。
だから、誰かをいじる場合には、
まずgoogleでその人のヒット件数を確認した後でするのがよろしい。
それにしても、
「人間風車」が2番目にリストアップされるくらいだから、
相当人気ないのではと思ったら案の定、「
快朝習慣」は販売中止になっていた。
でも、ビフィズス菌サプリメントと
HDDレコーダーはホントお勧めですよ。
と私は言いたい。
ネット買い物欲を昇華できなかったので、
「やずやの香醋」(こうず)でもを買おうかと思ったが、
直感的に、これに手を出したら
健康食品買いに歯止めが利かなくなる気がしたので、
やめることにした。
ところで誰かこういうソフトを作ってくれないモノかと思った。
任意の文章を構文解析して、
それぞれの文節、単語についてgoogleで検索をかけ、
そのトップにリストアップされたアドレスを埋め込むというもの。
例えば、
"からだの大切な構成要素であるタンパク質は、
20種類のアミノ酸が組み合わさって出来ています。"
という文章は、このようにリンクが張られる。
"からだの大切な構成要素 である タンパク質 は、
20種類のアミノ酸 が 組み合わさって <出来ています。"
これを自動化してくれるソフトがほしい。

ムームーの小物達#35 毎日のサプリメントたち

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2003/01/15(水)
唇はさみいしいんだ

生まれて初めてリップクリームを買った。
コンビニで東スポだけを買うのもなんだか気恥ずかしいなぁ、
というので何かないかなと思って気の迷いで買ったです。
道々ぬっていると
なんだか口紅を塗っているみたいで気恥ずかしかった。
っていうか、きょうび、
リップクリーム→口紅を連想する自分が気恥ずかしかったというか。
それにしても、唇がねちゃねちゃして、気色悪い。
どうしてみんなあんなもの塗りたいのかわからん。
つけたことないけど、口紅もきっとあんなねっとり感があるんだろう。
よくもまぁ、毎日ぬれるものだと思った。
あんなのを塗った状態で、
人の唇に接触したいなんて思うとはどういうことなのか、
小一時間問いつめたい感ありだった。
食べ物の味も悪くなるしね。
そういやあ、
昔、禁煙直後のころ、
煙が恋しいというより、
唇がさみしくってしようがなかった記憶がある。
なにかをくわえている、唇に接触させているってのは、
かなり強い快感なのだ。
考えてみれば、解剖学的には、唇は口内である。
口の中が外にめくり上がってしまった部分が唇である。
だから、唇にできた湿疹を口内炎という。
こんなことになっているのは人間だけらしく、
その理由はよくわかっていないらしい。
(デスモンド・モリスなんかは、
隠されてしまった生殖器の象徴として発達したなんていってるけどね)
そうか、だから唇はさみしいんだとふと思った。
口の中というのはともかく忙しい。
絶えず、唾液に満たされているし、
日に3回は大量の物質が入ってきて、
ゴツゴツしたり、ねちゃねちゃしたり、
熱かったり、冷たかったり、辛かったり、甘かったりするし、
たまに食べ物以外も入ってきたりするし。
ともかく刺激たっぷりの世界だ。
唇部分の細胞達もサルの時代は、
きっとそんな大忙しの世界の住民?だったんだろう。
何の因果か、外におっぽり出されてしまった唇部の細胞達は、
ヒマで仕方がないのだ。
そして太古の昔の忙しさがなつかしくてしようがないのだ。
だから、タバコを止めるとさみしがってしまうのに違いない。
学会に発表すべき理論か、
道々リップクリームをぬりながら、そう思った。

ムームーの小物達#34 マイ・デスクトップ

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2003/01/14(火)
無視

世の中に存在する最も凶悪で悪意に満ちた言葉でののしるよりも、
ただひたすら無視するということのほうが、
はるかに強烈な攻撃といえる。
もっとも効率がよく(なんたって何もしないんだから)、
効果的で、
合法的で(何もしないんだから名誉毀損のような罪にはならない)、
冷酷な攻撃だ。
汚いことば、きついことばは、
それ以上にイメージがふくらむことはない。
浴びせられた人は、
そのことばの等身大の怒りや不満を想像するだけでいい。
しかし、無視を受けた人は、
相手の怒りも不満もどのくらいのスケールなのか把握できない。
無限大の大きさにイメージが拡大する。
無視のもう一つの強力さは、
怒りの言葉が相手の人格を否定することなのに対して、
無視は、相手の存在自体を否定することだ。
これは辛い。
誹謗中傷されるというのは、
少なくとも存在は認めてくれていることになる。
人はどうしてこう、
他人によってのみしか、自己の存在を確信できないのか、
不思議でしようがないのだけど、実際にそうだ。
浮浪者が通行人に罵声を浴びせるのも、も、
他人からのリアクションによって、自己の存在を確認したいからだ。
他人のからのリアクションは、好意的なリアクションでなくてもいい、
たしなめらたり、非難されたり、
そうした否定的なリアクションでもいい。
すくなくとも、自分が存在していることはそれで確認できるからだ。
かように、無視はこの世でもっとも強烈な攻撃である。
2チャンネルの手だれたちでも、
「荒らし」の人への攻撃も「無視」が最強とされるし、
村八分や学校や会社でも、「無視」がもっとも強烈ないじめとなる。
このような「無視」の冷淡で無慈悲な攻撃性を知っていて、
確信犯的に使うのはまだいい。
「無視」は冷静で知性的な大人の対応、
無抵抗を示す平和的対応なんて思っている輩はたちが悪い。

この無視という攻撃とうっかりレス忘れが、
受け取る側としては同じ行為に見えることがおそろしい。
どういうわけだか、レスを忘れてしまうメールがある。
回転寿司で全然オーダーが通らない、
要領の悪い、あるいは存在感のない人のように、
まったく返事ください的オーラのないメールがあるもんだ。
そんなメールに対しては、つい返事を忘れてしまう。
こうしたメールの差出人は、
ぼくのことを無視しやがったと思っているだろう。
これは非常にやばいことだ、
とここに漠然と言い訳を書いておいたりして。

ムームーの小物達#33 チェブラーシカ

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2003/01/10(金)
むしろ来年20%にしてくれ

消費税を毎年1%ずつ上げるなんて案が出ているらしいけど、
どういうつもりなんだろうかと言いたい。
レジやコンピュータの設定を毎年直さないといけないとか、
パッケージの値段を刷新しなくてはいけないとか、
そーゆー手間をどうしてくれるのだといいたい。
(もっとも自分にそういう作業が発生することはないんだけど)
上げるんなら上げるで、すかっと上げきって欲しい。
どうせなら、
10%とか20%とかキリのいい数字にすぱっと上げて欲しい。
さらに%ではなく10円単位の税にして、
うざい1円、5円を廃止してほしい。
(1円玉を作るのには1円以上のコストがかかっているらしいし)
っていうか、
消費税を毎年上げれば、
毎年年末に駆け込み需要が見込まれるというが、
これは甘すぎる予想だろう。
明くる年1%上がったところでその影響はたかが知れているからだ。
むしろ、真綿で首をしめられるように毎年じんわり上げられるのでは、
上がったという実感がないので、
ず~~っと駆け込み需要なんて生まれないはずだ。
そういう意味でもすぱっと上げて欲しい。
もしくは、
毎年中旬にサイコロで来年度の消費税%を決めるみたいにすべきだ。
今の不況を脱出するには、個人消費を伸ばすしかない。
つまり、たくさん儲けて少ししか使わない人より、
少ない収入だけどよく買い物をする人の方が、
景気回復に貢献してて偉いのだ。
そうした人はほめらえるべきである。
スタパ斉藤なんて、国民栄誉賞をもらってもいいくらいである。
なのに、なんのご褒美もないのはおかしい。
長者番付なんかより、消費番付を発表すべきだ。
これだったら、誰にでもクレジットされるチャンスがある。
年間100万円以上の買い物をしたら、
キャッシュバックサービスがあるべきだ。
健康保険が1万円安くなるとか、
水道代が1ヶ月無料になるとかすべきだ。
そういやぁ、
財布の中に1枚のレシートを入れている。
・六甲おいしい水 ¥590
・バナナ     ¥150
ーーーーーーーーーーーーーー
・小計       ¥740
・外税5%      ¥37
ーーーーーーーーーーーーーー
・合計       ¥777
こいつぁ縁起がいいやと思って財布に入れているんだけど
(残念ながら今のところ、効果はない)
こういう数字になったとき、大当たりの賞金でも出してくれるとか、
そのくらいしてほしいもんだ。
税率を確率変動してくれてもいいんだけど。

ムームーの小物達#32 お気に入りのお香

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2003/01/08(水)
ネットワークゲームとは、とか

またまたわからなくなってきている。
こういうときは誰かにしゃべるか、文章に書いているのが一番だ。
ネットワークゲームでは、
「ネットワークゲームというよりは、
むしろ、コミュニケーション・ツールですね」
というキャッチコピーが、当たり前になってきている。
ネットワークゲームは、鍋屋みたいなもので、
制作者サイドは、
コンロや鍋(プログラム)と食材(グラフィックや音)、
それに代表的なレシピ(シナリオ、目標)などを提供するが、
それはあくまでもお客さんが
楽しい一時(チャット)を楽しんでもらうための、
媒体でしかほかないというわけだ。
だからいかに居心地が良い空間と素材を提供できるかが
制作のキーポイントであって、
従来のゲームのように、
丹念に作り上げた料理を作法通りに食べていただく
なんていう作り方とは、180度違うわけだ。
そういうことらしい。
ただし、問題点もある。
たくさんのお客さんが一度に入ってきてもいいように、
大きな店(サーバー)を用意しなくてはいけない。
にぎわっている店じゃないと、なんだか雰囲気が出ないし、
作り手側にしても制作コストや維持コストが出ない。
そう、大きな店を作ると、
制作コストだけでなく維持するコストもかかるのだ。
また、お客が飽きないように次々に新しい食材、
調理法も提供しなくてはならない。
とはいうものの、やはりどんなおいしいモノでもいつかは飽きられる。
そこで、どんなにがんばろうとだんだんと客が減っていき、
いつか、収入と支出のバランスが崩れるときが来る。
どこでやめるか、止めるタイミングが肝心となる。
勝ち逃げしなくてはいけないが、これはむつかしい判断だ。
そういう維持コストを下げるために、
店なんか持つのをやめようという考え方もある。
お客のうちの誰かが自分の家を提供してくれればいいという考え方だ。
作り手は、同じように、調理道具と食材とレシピを用意するが、
大きな店を作ったり、それを維持したりするコストは節約できる。
(もっとも、全く店がいらないという訳にはいかないみたいだけど)
ただし、これも問題がある。
まずは、誰かの家におじゃまするので、
あまり見ず知らずの人を招くなんてのは、ちょっと薄気味悪い。
かといって、友達だけとかにすると、
集まろうにも、なかなか時間が合わなかったりする。
前者は不特定多数の人との出会いを想定しているので、
ふらりと独りで入っていっても独りぼっちなんていうことはない。
ふむふむ。
では、独り鍋セットというのはありやなしや。
大概の場合、ネットワークゲームなのに
スタンドアローンなんてありえねぇという話になる。
もったいないし、寂しいし、流行遅れな感じもするし、
だったらゲーム機で遊べよという話になる。
ま、だいたいネットワークゲーム関係の話をすると
以上のような結論になる。
で、いつもぼくもそういうもんだろうと納得している。
が、今日、ジョナサンで(禁止されている)仕事をしてたとき、
ふと思った。
誰かと話のネタになればいいということと、
同時に同じ場所にいて遊んでいるということは等価なんだろうかと。
同じ店で同じ料理を食べていることは肝心だけど、
「あの店のあれ食べた?」
ってことでいいのではないだろうか?とふと思った。
つまり、必ずしも一緒にそこで食べなくても、
「食べた、食べた。あのトッピングがいいよね」
なんてことで話が盛り上がられるんじゃないだろうか。
で、時間が合えば、一緒に食べにいくこともできる。
そんなくらいでもいいんじゃないかと。
で、その場合は10人も入ればいっぱいの店っ
てことでいいんじゃないだろうかと。
昨今の流行モノは、
全てそれをネタにコミュニケーションできるアイテムである。
といわれている。
が必ずしもみんな同時にそれを持っているわけでも
いじっているわけでもない。
同時なのは、経験するタイミングだけであって、
それは同時刻に同じ場所というわけではない。
それじゃあ、ゲーム機と同じじゃんという意見に対しては、
じゃあ、ネットワーク使った遊びというのを、
ゲームの根幹に持ってきたり、
コミュニケーションする場や装置もプラスするってことでどうだろう。
それでOKとしたら、
これまたずいぶんと作り方がお手軽になるのだけど、
なんか落とし穴もありそうな気がしないでもない。

ムームーの小物達#31 生け花

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2003/01/07(火)
負けた人間に追い銭をやる

これまた朝日新聞に載ってた対談にあったネタ。
ギャンブラー作家?森巣博さんが、
バブル期の投資に失敗した銀行を援助しようとしている国の姿勢について、
「ここぞという勝負手で負けた人間に追い銭をやるのはバカです」
と言っていた。
経済のことはよくわからないし、
不良債権処理ってのは道義的にも正しく、合理的な処方なんだろうけど、
なんか、この森巣さんの解釈の方が、個人的にはしっくりくる。
投資ってのは儲かったり損をしたりするわけだから、
合法的な博打に他ならない。
ならば、そこでの浮き沈みの法則も
博打の世界のそれと同じなのかもしれない。
博打の場では、上の森巣さんの意見は至極当たり前な意見だ。
ダルダルな正月をおくっていたけど、1つだけらしいことがあった。
劇団四季の「ライオン・キング
を見に行ったことだ。
最初の10分間、あたしゃ、
ハンマーで頭をなぐられたような衝撃を味わいましたね。
ありゃスゴイや。
ストーリーは、「ライオン・キング」だからアレだけど、
動物たちのデザインと舞台デザインがスゴイ、すごすぎる。
もう、今年のマイ・ベスト1が決まったようなもんだ。
なんとしても、もう一回行かねば。

ムームーの小物達#30 イス

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2003/01/06(月)
金が信念

きんが しんねん とタイプしたらタイトルのように変換された。
そういう人間なのか>おれ。
それにしても、だらしのない正月だった。
三が日はほとんどベッドの上で過ごした。
初詣に行くこともなく、
年始に行くこともなく、コンビニすら行かず、
おせちを食べることもなく、
菓子パンとカップ麺と冷凍してあった餅で過ごす。
誰とも話さず、会わず、
テレビに飽きたら本を読み、本に飽きたら惰眠をとる。
(あ、なんか宮沢賢治の詩みたい)
太陽が頭の上を3回通るまでずっとそういう生活をしていた。
これが全く苦でも退屈でも寂しくもなかったのが、
自分でも怖かった。
自分はオヤジ化は進んでいないと言う自負があるが、
それを飛び越して「老人」が入ってることに愕然とした。
そんな中、
正月の新聞に河合隼雄さんが「コンピュータにおける検索は、
知っていることしか探し出せない窮屈な機能」と
論破しているのを読んで感動した。
なんというすばらしい洞察力。すごいじじいだ、全く。
検索する以上、キーワードを入力しなくてはいけない。
調べたいと思う以上
ある程度の予備の知識がすでにそこにあることになる。
コンピュータの検索は要点だけを抽出するので、
知りえることが予想できる範囲の解答しか得られない。
そうした予定調和の世界を窮屈といっているのだ。
(その後の、だから読書はいいというのは同感できなかったが)
アクシデントが起こらない探求はつまらないし、広がりがない。
これは男女の関係でもそうなんだろう。
男女に関係なく、
ステキな人っていうのは会うたびに軽いアクシデントがある。
予想外の答えや反応が返ってくる。
きっとそういうところに人は惹かれるんだろう。
そういう意味でコンピュータの中の世界や
ゲームの世界は飽きられる危険性がある。
そして同じくらい、挽回できるチャンスもある。
作った人のパーソナリティーが見えるコンテンツ。
それを今年の目標にしようと思った。
年末にみんなで遊んだ粘土細工当てゲーム「バルバロッサ
ゲーム性云々ってより、
それを媒体として浮かび上がる
各自のパーソナリティーを見るのが楽しいのである。
このあたりにめざすべき「遊び」があるんだろうなぁと思った。

ムームーの小物達#30 カエルの木箱

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