人間風車

2003/02/25(火)
ただで生きる方法

最近よく知り合いから聞くけど、
ファイル交換技術の発達とブロードバンドの普及でもって、
ソフトを買うという時代が終わってしまいそうだ。
音楽も映画も小説もゲームもあっという間にインターネットに流れ、
コピーされてしまう。
これれのソフトが物質だったころは、
誰かにあげると自分の手元に残らないし、
遠いところに住む人に手渡すという作業も物理的な負担であった。
そうした負荷が抑止力になっていたが、
電子メディアではそうした障害?がまったくない。
そもそも、こうしたコピーが深刻な問題なのは、
それを作る人がいなくなってしまうことだ。
誰もお金を払わないということは
それを作ることを生業にはできないということだからだ。
一時的にはみんなタダで得したと思うかも知れないが、
次に楽しませてくれるものが出てこなくなるわけだから、
長期的に考えれば損なのだ。
こうした問題は音楽の世界ではもうかなり深刻らしく、
音楽に関係する人はよくこぼしている。
これは対岸の火事なわけではなく、
データ量の軽いモノから順にそうなってきているというだけの話だ。
こうした流れを止めるには、2つの方法しかないとよく言われる。
1つは、コピーはいけないことなんだよと啓蒙するヒューマンプロテクト。
もう1つは、コピーできないように
仕組みをメディアやネットワークシステムに組み込むコピープロテクト。
しかし、どちらも技術的なハードルは高く、いたちごっこに終わりかねない。
こんなとき、ぼくなんかは(あまり深くも考えないまま)、
全部がタダになったとき、
ぼくら(クリエイター)は生きていけないのだろうか?
そういう時代でも生きていける方法はないもんだろうか?
という方向に考えてしまう。
1つはどのみち、
今の流れは止められないだろうという現実主義的な考えから。
もう一つは、いちユーザーの立場にもどったとき、
どっちがうれしいかという考えからだ。
果たして、そんなイイ方法があるのかどうか、皆目わからない。
ただ、テレビ番組はタダという事実があるじゃないか。
リナックスだってタダだけど
それに関わってお金を得ている人だっているじゃないか。
NPOなんてのもあるわけじゃないか。
ってあたりを根拠にお気楽に考えてしまう。
それらの方法がそのまま当てはめられるとは到底思えないけど、
プロテクトも決して楽ではないと思えば、
こうした方向で考えてみるというのも価値がありそうな気がする。

ムームーのまかない#20
チョリソのピッツァ風、豆のカレー
20030225.png


2003/02/24(月)
コスモぐらし

「コスモぐらし」というゲームを作っています。
と告知できるようになりましたので、告知します。
春には発売です。
ウインドウズのゲームです。
ネットワークゲームです。でも、一人でも遊べます。
のどかなゲームです。戦いもありません。
野菜を育てて売るゲームです。
「アストロノーカ」の世界です。
ゲーム内容は楽しいです。
安いし、簡単だし、カワイイし、ともかくお手軽です。
以上。
 ●
たまりにたまった新聞をかたづけつつ読んでたら、あらいやだ。
宇宙の年齢が決定してたじゃないですか。
137億才。
我々、インフレーション宇宙愛好家にとっては(理論値より)
やや年を取りすぎているってのが難ですが、
その他諸々の観察結果は、
愛すべき理論の正しさをより強固にしたようなのでめでたし、めでたし。
ぼくらは、アインシュタインの一般相対性理論については、
全然理解できないけど、
宇宙が広がっていることについては、
なんとなく知っているし、理解している。
んが、
一般相対性理論の発見されたのより、
宇宙の膨張の発見の方があとであることはあまり知られていない。
(ぼくは初めてそれを知ったときには驚いた)
アインシュタインは、自らの理論を宇宙モデルに当てはめたら、
どうしたって宇宙が重力で
つぶれてしまうことになってしまうことに気がついた。
なのに、宇宙は大きさが変わらない
(彼の時代は誰もがそう思って疑わなかった)。
困った彼は、
重力と同じ力の反発力(宇宙を広げる力)が宇宙にはあって、
ちょうど帳尻があっているのだと、
勝手に架空の反発力(宇宙定数)を「創造」してしまった。
その直後、
ハッブルが宇宙が膨張していることを発見してしまったから、ばつが悪い。
アインシュタインも「生涯一の失敗!」と宇宙定数の誤りをみとめ、
ひっこめてしまった。
宇宙が膨張しているということは、逆に考えると、
今日より昨日のほうが宇宙が小さいことを意味している。
つまり延々昔にさかのぼると、宇宙は1点からはじまることになる。
あるとき1点から始まった宇宙は大爆発
(ビッグバン)を起こし、広がった。
そして今でも広がっている。このあたりまでは誰でも知っている。
そして、この爆発による膨張の速度は、
だんだんと重量の影響で速度が落ちるか、
真空ではいつまでも止まらないように、
宇宙の膨張もこのままの速度でふくらむか、
どっちかだろうと思われてた。
しかし、今回、
宇宙はどんどん速度をあげて膨張していくことがわかった。
これは真空(といっても食料保存やなにの膨張ポンプなんかにつかう
「真空」とはやや意味が違うのだが)の力によるものらしいが、
この力が宇宙を広げているらしい。
つまり皮肉にも「宇宙定数」と同じ性質の力が
宇宙にはあったことになるのだ。
あ、書いてみたら、あんまり感動的でもなかったな。
失礼しあした。

ムームーのまかない#19
温野菜のバルサミコソースかけ、ポークソテー、トマトと豆腐のスープ
20030224.png


2003/02/21(金)
サムライメック

あくる日目が覚めるとまた、次の難儀メールが届いている。
ほうら、やっぱり今日も来ました、今日も来た~~っ。
あまりに自分の常識と違うことを正々堂々要求されたんで、
瞬間、「あれ、おれがまちがってるのか?」って
思っちゃったくらい。
 ●
むっかし最初に作ったゲーム「サムライメック」を
世界一愛してくれてる人のサイトがなんと
「サムライメック」の公式ページになった!
ここまで愛してもらえると、ホント作ったかいがあるというものだ。
公式ページになったのにあわせて、体験番が無償ダウンロード
できるようになったので、よかったら遊んでみてください。
あ、そうそうmacユーザーしか遊べません。
ビルゲイツ派の人はすみません。
(macユーザーがこう言える機会ってほとんどないので、ちょっと優越感)
これをたった一人でプログラムした松原さんの技術がしっかりしているため、
10年近く前のソフトなのに、OS9でも動くのだ。
このゲーム、さすがに色数や解像度やゲーム方式などなど、
古さを感じないわけではないけど、
ちゃんと作ってあります。
うちは、企画の奇抜さとかキャラのかわいさみたいなことを
売りにしていると思われているようだけど、
実は、ちゃんとしたゲームを作るってのが、一番の売りなんです。
ただ、その「ちゃんとしている」
ベクトルがマスに向かっていないだけなのだ!
(といばってどうするって話ですけどね)
今思うと、このときのメンバーってのは、
天才肌の人が多かったなぁと思う。
こういう天才密度の高い仕事ってのはやっていてホント楽しい。
お金をいただきながら、高めていただいているって感じがするのだ。
(ま、今だからそう思えるって話もあるけど)
どの人も人格的には難ありな人ばっかりだったけど、
仕事はするどかったなぁ。
もう一度、ああいう、
こじんまりとした規模で作るってのをやりたいもんだ。

ムームーのまかない#18
フォーと焼き餃子
20030221.png

2003/02/20(木)
下には下がある

一つ前のプロジェクト「く●●た」
(まだ発売されていない)について、
やっかいな話が持ち上がっているという知らせを受け、
本日緊急ミーティングとあいなった。
事前にスタッフから、
「もう、無茶苦茶な話なんですよ」
「森川さんの方から、無理ですと言ってください」
的なネゴネゴをさんざんされていたので、
重い気持ちを抱えてのミーティングとなった。
どういう話か、例によって具体的には書けないんだけど、
ようは、こういうことのようだ。
マスターアップ直前である「く●●た」が、
思いの外、関係者の反応が良いこともあって、
パワーアップさせるべく、
新たにネットワーク機能を付加せよという話だ。
ベータ版承認も終わり、バグも残り少しとなった時点で、
本体に新たなプログラムを追加するという話なので、
素人目に見てもリスクの高い話だ。
さらに、
それらのアイデアは以前こちらから提案していたアイデアであって、
その時は、もろもろの事情で却下されたアイデアである。
そのため、苦肉の策で代替案を盛り込んだため、
そのアイデアが復活するとなると、
この代替案との相性も問題になってくる。
だいたい、そんな話だ。
なんで今頃そんなリスクの高いことを!という話である。
んが、その話を聞き終えたとき、
メールやチャットで悲鳴をあげてたメンバーには申し訳ないけど、
なあんだそれだけかぁとしか思わなかった。
だって、
そのアイデアを実装するための作業時間を考慮して、
締め切りを延ばしてくれるんだよ。
そのアイデアを実装するための追加作業の対価を払ってくれるんだよ。
なによりも、
そうしたアイデアについての協議の場が設けられ、
そのアイデアについて意見がいえて、
しかも決定権は我々制作者サイドに与えられたんだよ。
別にこのアイデアをやれってゴリ押しされているわけじゃない。
しかも、
そのアイデアは確かにゲームを一段とイイものにするアイデアだし、
その実現に向けてプロモも協力してくれるっていうんだよ。
軽い、軽い。甘い、甘い。
簡単、簡単。正しい、正しい。楽しい、楽しい。
はっきりいって、今のボクにはトラブルのうちに入らないね。
普通。いや、むしろ天国にさえ感じるね。
想像してみてほしい。
そうした難儀が日替わりでやってくることを。
しかも、期限も予算の余裕もない。
知らないところで決まり決定項として降りてくる。
アイデア自体もどうかと思うものがおおい。
毎日毎日ギリギリのところでクリアしても、
そんなことはなかったかのように、
あくる日目が覚めるとまた、次の難儀メールが届いている。
そんな恐怖の日々を想像してみてほしい。
それでも人間、生きているんだよ。働いているんだよ。
荒れ狂う激情の荒波の下には、
静かで冷たく暗い深海があることを初めて知ったよ。
ほうら、少しは自分の不幸は小さく見えてきたでしょ。
ほうら、むしろ自分は幸せなほうかもしれないと思えてきたでしょ>F君

ムームーのまかない#17
クリームシチューともう一品(なんだろ)、パン
20030220.png


2003/02/17(月)
「有能」と「無能」

ぼくは仕事をしているとき、
パートナーを「有能」と「無能」の2種類にしか分けない。
これで十分なのだ。
いい人だとか努力屋さんだとか礼儀正しいとかおしゃれだとか、
そういうことは仕事の上ではあまり関係ない。
(とくに僕らのような仕事だと)
「無能」なんて言葉は、ずいぶんとひどい言葉に感じられるけど、
別にそんなことはない。
その人はその仕事に向いていないという意味でしかなく、
けっしてその人の人格を否定しているのではないのだから。
例えば、ぼくは野球や音楽や物理の仕事には「無能」である。
その程度のことだ。
むしろ、ぼくは誰でも何かの仕事について有能であるに違いないという
おめでたい考え方に賛成だ。
なんの根拠もないのだけど、
そう思って生きているほうがうんとハッピーだからだ。

こと仕事に関しては、
無能な人と仕事をすることは何一つよろしくない。
無能な人の水準がベースになってしまうからだ。
「哲学者と浮浪者はポルノの話をする」って言ったのは、
サルトルだっけ(忘れた)。
でも、そういうことになってしまうのだ。
どうしたら、無能な人と仕事をしなくてもいいか、
どうしたら、有能な人と仕事ができるか、
そういうことに対して執着するぼくは、冷たい人間なのかもしれない。
でも、一度でもとんでもなく有能な人と仕事をしてしまうと、
その感動や興奮が忘れられなくなって、
やみつきになってしまうものなのだ。
ついていくのが精一杯、
毎日が緊張と感動と驚きでいっぱい、
毎日、消化しきれないくらいの栄養をもらっている感じがする、
ヘトヘトだけど、負けられないぞ、楽しいぞ、やめたくないぞ、
一生この仕事は終わらないでくれ、
仕事をしてて、そんな思いをすることって確かにある。
冷たいとかひどいとか言われようがなにしようが、
あああああぁ、そういう仕事がしたいのよん。

ムームーのまかない#16
大豆もやしの炊き込みご飯、鮭の粕漬け、根菜の汁もの
20030217.png


2003/02/14(金)
指を切る

連日のハードユーズで、
自慢の杉本の包丁もすっかり切れなくなってしまった。
研がなきゃなと思って、肉を切っていたら、
ぐっと力を入れたところで、包丁が肉からはずれ
指につきささり、ごりっと骨に当たって止まった。
こういうとき、痛いとか指の神経が心配ってことより、
吹き出した血で料理素材が汚れる!と腹をたてるあたり、
我ながら偉いと思う。
切れない包丁は、切れる包丁よりうんと危ない。
切れない包丁で無駄な力がかかるから怪我をする。
人生はかように、、、
となんでもかんでも人生訓に結びつけようとするのは、
いけないことだと常々思っているのでやめた。
だいたい、同一生物で、ほぼ同一の環境下で行っている行為など、
生物的に共通の原理で発生していることは自明の理であり、
たいがいは、油断しては危ないとか、イヤなことも良いこともあるとか、
人は失敗するものだとか、その程度の原理原則に帰結するに決まっている。
つまりは、どんな行為も人生訓的要素を本来的に有しているのだ。
だから、あらゆる行為からそれらの基本成分を見つけだしたとしても、
物質を構成する元素を見つけだす程度のことであり、
新しい元素を見つけだすくらいのことがないかぎり、
大して意味がないのである。
なんてことはどうでもいいのだが、
夜、うっとうしいのでバンドエイドをはずしていたら、
傷が開いてしまってたらしくって、
そこらじゅう、血だらけになっていた。
冷蔵庫も電子レンジもコンピュータもトイレのドアも
蛇口もズボンも読みかけの本も畳もネコまで血が付いている。
いったいいつから血が流れていたんだ。
っていうか、痛覚はないのか>おれ。
そういやあ、なんもしないのにすぐ鼻血を出す友達がいた。
そいつは、夜中寝ているときでも自然に鼻血が出るらしく、
朝、起こしに来た母親が
血だらけのベッドで横たわる血まみれのヤツを見つけて、
卒倒しかけたらしいという話がある。
そのくらいの量の血が部屋中についていたなら、
それはそれで絵的にOKなのでよかったのに、
こんな、そこら中に拇印を押したような血では全然意味がない。

ムームーのまかない#15
タイ風炒め麺
20030214.jpg


2003/02/13(木)
キレルならメールで

プロジェクトのスタッフ中、
もっとも温厚と思われるA氏がとうとう爆発してしまった。
無理もない話である。
っていうか、彼が爆発しなかったら、
今日はボクが爆発してただろうから
ラッキー。
それにしても、人間って不思議だ。
彼が爆発したこととで、
ぼくの怒りの原因がなくなったわけでもなんでもないのに、
す~っと怒りが収まってしまう。
さっきまでの気持ちはどこへやら、
「まぁまぁ、そこは一つ、、、」
なんて仏様みたいな気持ちになっている。
そういやぁ、葬式なんかでも、
あ、だめ、泣きそうと思ったとき、隣で号泣とかされると
ふと涙が止まってしまうこととかあるな。
こういう心理って、どういう原理なんだろう。
仕事で爆発することは、大いによろしいとぼくなんかは思っている。
ただ、ミーティングでどなるとかはよくない。
なぜなら、「ふざけんな!」とどなってイスの一つも投げてしまうと
怒りのエネルギーはすっかり解放されてしまうか、
逆に真っ白になって暴走してしまうか、
ともかく怒った際に大切なことである「私は何を怒っているのか」と
「ではどうすればいいのか」の傾向と対策ができなくなってしまうからだ。
これでは、スポーツと同じで爽快感だけを得られるだけで、
仕事に役立たない。
だからメールとかで怒るのがよろしい。
メールに書く、つまり頭の中の「思い」を「言葉」に翻訳していく段階で、
怒っている真意やその量、あるいはその対策、今後の方針などが
はっきりしてくる。
自分の怒りが的をはずしていることがわかったり、
自分にも非があることに気づいたり、
思いの外怒っていないことがわかったり、
そういうことが書いている段階でどんどん整理されてくる。
だから、怒ったことが全員の
その後の仕事にプラスに働く可能性が出てくる。
また、だいたいの場合、書いている段階でクールダウンしてくるので、
場合によっては、「今回は許してやろう」なんて出さずにすんだりする。
そういう意味では、メーリングリストや複数の人にCCするほうがいい。
多くの人に配信すると思うと、さらに慎重になり、冷静になる。
的外れな怒りは恥ずかしいと思うし、
なるべく多くの人に同情して欲しいと思うので、
さらに怒りの本質を論理的に説明、つまり解釈しようとする。
これもまた、仕事にはプラスになる。
ぼくなんか、こうしてどれだけのメールを出さずに済んだことか。
(っていうと、きっとスタッフは、
捨てなかった分だけであの数かいと思ってるだろうけど)
さあ、あしたも相手の出方によっては、あたしの出番があるよん。

ムームーのまかない#14
豆腐と豆乳丼、エビのタイ風サラダ
20030213.png


2003/02/12(水)
ギャップ

まいはぎって植物は人の声に反応して、葉をうごかすそうだ。
ほしい!見てみたい!と思ったけど、
南国の植物で育てるのが大変らしいのでやめた。
それにしても、人間の声に反応するなんて、
昆虫や動物ならいっぱいあるのに、
どーして植物だとワクワクするんだろう。
つまりは、人間の声に反応するという
イベント自体にわくわくしているのではなく、
そんなことはできっこないと思っていた植物が、
それをするという予想とのギャップがわくわくするってことなんだな。
これはゲームのヒントになるかもしれないと思った。
イベント自体で驚かすより、イベント自体はありふれていても、
それが発生することが予想外であれば、
驚いたり喜んでもらえたりするってのなら、
これはお得な話だ。
ただ、そのイベントってのは、
生き物らしいさがないとダメなんでしょうね。
突然、植物が火を噴いても、、、、
あ、それもいいか!
じゃあ、生き物らしくなくっても、
それとそれが起こすイベントにギャップが存在すればいいってことか。
あら、簡単じゃん。
と瞬間思ったけど、
現実に起こるんならねっていう大事な前提を忘れていた。


ムームーのまかない#13
トマトとミートボールのスープかけクイティオ
20030212.png


2003/02/11(火)
汚ギャル

「生で食べられるホウレンソウなんです」とか
「刺身でも食べられるんです」
なんてことが「売り」として語られる。
どうしてまあ、
日本人ってこう「生で食べられる」ことをありがたがるんだろう。
もはや、新鮮であるとか、清潔であるとか、
そういう次元の価値観ではない気がする。
 ●
なんでも一週間以上も風呂に入らないとか、
下着を替えない若い女の子がいるらしい。
そういう女の子のことを汚ギャルというんだそうだ。
(って、古いか>おれ!)
若いのに、女性なのにってことで、
彼女たちを嫌悪の目で見るってのはどんなもんかと思うけど、
じゃあ、そういう子好きかと言われたら、
ちょっと遠慮してしまうな(何を)。
でもふと思った。
彼女たちは、
ひょっとしたらアトピーとか花粉症にならないかもしれない。
もともと、これらの病気は清潔が「原因」と言われてて、
免疫系がヒマしているのが原因なのだ。
このため、衛生状態のよくない東南アジアでは、
それらの病気はないと言われているし、
日本でも、
レゲーのおじさんたちにはそれがないことが知られている。
ちなみに、他の皮膚病にもかかりにくいらしい。
汗とともに体外に出た脂肪酸が分解され作られた乳酸が、
風呂に入らないので、いつまでも皮膚を殺菌してくれているわけだ。
汚ギャルは、風呂にも入らず、
不規則な生活をし、ジャンクなものを食べ、
地べたにウンコ座りしてたりすれば、衛生状態は悪いはずだから、
きっと免疫系は大忙しのはずだ。
健康であることと清潔であること、どちらが偉いんだろ。
っていうか、是非、
彼女たちが汚いおかげで健康であると証明されてほしい。
そして、しかめっ面で彼女たちを見ている評論家達を
ぎゃふんと言わせて欲しいモンである。
でも、ぼくは一生関わりたくないけどね。


ムームーのまかない#12
チキンのトマト味のスープ、マカロニ、浅野屋のパン
20030211.png


2003/02/10(月)
プリプリの週末

1万円の絵が6600万円になったって、
お宝探偵団みたいな話があったけど、
考えてみればヘンな話だ。
その絵の美術的価値は、6600万円の価値であったものを
1万円の価値と見誤っていたと認めたってこと?
それとも、ゴッホ作といえども絵のクオリティーからすれば、
1万円の価値だってこと?
どっちにしても自分の本職
(美的価値の査定)がダメダメだってことを証明してしまったわけだから、
喜んでる場合じゃない気がするな、あの画廊?の人は。
 ●
さて、金曜日から今日まで怒りっぱなしの週末になってしまった。
もともと怒りっぽいのではあるけど、
こう怒るネタが続く日というのもめずらしい。
そもそもは金曜日のP●Lである。
FF×は全然やっていなかったので解約しようと思い、電話をした。
本人しか解約できないので、ぼくがしたわけだ。
パスワードとか住所とか名前とか電話番号の確認の後に、
生年月日の確認を求められた。
はて?そんなのあったっけと思ってるくらいだから、
入力ミスをしたか適当なのを入れたかしたらしい。
ホントの生年月日を言ったら登録された年月と違うといわれた。
ボク的にはだから何?程度にしか思っていなかったが、
「...ので解約のお申し出にはお応えできません」と言われた。
冗談じゃない。
じゃあ、間違って入力した生年月日を言い当てるまで
解約できないってことかい。
それまでずっと会費を払えって言うのかと思ったが、
そこは大人。
「本人確認なら、登録したクレジットカードの番号とかでダメなんですか」
と紳士的にいこうと思ったら、
「じゃあ、なんで違う生年月日を言ったんですか!」
と逆ギレされ、こっちもすっかり切れてしまった。
(いや、誇張ではなく、ホントに相手がそういう口調で言ったのだ)
ま、それはアクシデントに近い話で、
今後そうそんなことはないだろうから、
ま、イイ。
んがその後がいけない。
その後は本業の某プロジェクトに対しての怒りだからだ。
詳しいことは書けないけど、
借りものの権力をバックに高圧的な態度に出るってのは、
森川君に対してやってはいけないことno1なのだ。
どんなに慎重に言葉を選んで語ろうとも、
そうした考えであることは伝わってしまうものなのだ。
愛情と一緒よ。
どうも、日本では、
お金を出す=立場が強い、偉いっていう妙な考え方がまかり通っている。
仕事を頼むものとそれを受ける者はパートナーであり、
上下の関係にないはずだ。
さらに、それを止められない自分の非力さにも腹が立つ。
と深夜までプリプリだった。
「怒るべきか、怒らざるべきか」
正確には、怒りを表すべきか、表さざるべきか。
会議の間ずっとそのことを考えてた。
こんなとき、友人のY君の言葉を思い出す。
「イヤなヤツのことを怒るのは馬鹿げている。
なぜって、イヤなヤツのために自分の胃を痛めるなんて、
そんな損な話はないじゃないですか」
名言である。その通りだと思う。
と、同時に松本人志の言葉も思い出す。
「人間、怒るときに怒らんといかんですよ。
じゃないと、
ホントに怒るべきところなんか、
怒ったらあかんところなんか、
わからんようになってしまうんですよ」
これまた、一利あると思う。
結局、怒りを静めることもできず、
かといって、怒りを顕わにすることもなく、
そんな半端な自分に対してさらにイライラしてと、
まったくさえない週末だった。
気晴らしに出た散歩の途中で立ち寄ったラーメン屋で、
脱いだコートが床に落して、背油でベタベタに汚したに至っては、
神を呪った。

ムームーのまかない# 11
カブのそぼろあんかけ、鳥の水炊き
20030210.png

2003/02/06(木)
OSX

ううん、このままで嫌いになってしまうなぁ、mac。
OSXにしてから、何一つ良いことがない。
painterは動かない、プリンターも動かなくなった。
どこにデータが保存されてしまったのかわからない、
っていうか今どこにいるのかわからない。
デスクトップがトップにない。
複数の人でマシンをシェアするために、
階層構造がややこしくなったみたいだけど、
PCのPはパブリックじゃなくって、パーソナルのPなのだ。
コンピュータが高価だった時代ならいざ知らず、
きょうび、1台のマシンを複数の人で使うことを
前提にしているというのは、正しいのだろうか?
どうもUNIXという古い時代の考え方が混在しているように見えて
気に入らない。
ウインドウの開閉もうざい。
CPUパワーをあげ、CPUの数も2個になってるというのに、
処理が重い、描画が遅い。
これじゃあ、ホントにウインドウズと同じじゃないかと
文句たらたらの毎日を送ってるのですた。
まだOS9の人は絶対変えない方がいいよ。
こんなにダメ(=ウインドウズそっくり)なら、
処理は速いし、マシンは安いし、ソフトも充実している、
ウインドウズの方がマシかもしれない。
appleのもくろみとは逆で、
ウインドウズに切り替える人が増えるんじゃないかなぁ。
ぶつぶつ。

ムームーのまかない#10
ニラのまぜご飯、
ブタ薬味醤油焼き+ハナッコリーの炒めもの、
キュウリと豆腐のスープ
20030206.png


2003/02/05(水)
物忘れ

「まかない」の回で同じ事を書いていると指摘を受けたので見てみたら、
ほとんど同じことを書いているのにビックリ。
つい最近書いたことなのに、全然覚えていないことにビックリ。
酒に弱い人はアルツハイマー病にかかりやすいというニュースが
ちょっと脳裏をかすめる。
こういうとき、本当はいかんなぁと思わないといけないんだろうけど、
もうちょい物忘れがひどくなれば、
同じ本、同じ映画を何回でも新鮮な気持ちで見聞きでき
てラッキーなのではと思ってしまう。
が、きっとその時には前に見たことを忘れているので、
ラッキー(お徳)かどうかもわからないんだろう。
昔っから人の名前を覚えるのは苦手だったけど、
最近では顔も覚えていないことがある。
右脳もいかれはじめているということか。
だいたい、人間ってどのくらいモノを覚えられるのだろう。
無尽蔵に覚えられるのだろうか?
脳をモデルにした人工知能「ニューラルネットワークモデル」の記憶限界は、
だいたいノード(脳でいえば、脳細胞にあたる)の数の
20%程度であるといわれている。
こうした法則が脳にも当てはまるのだろうか。
(ちなみに、(大脳の)脳細胞の数はだいたい150億程度だから、
150億×0.2=30億個の細胞が記憶に関わる働きがあるということになる)
っていうか、
使わなくなった記憶は、ハードディスクみたいに消去できればいいのに。
例えば、アボガドロ数6.02*10^23とか、
もう絶対に使う予定がないデータはさっさと消去したいもんである。

ps:
1本の折れたバットからは、約5ぜんの塗りばしを作ることが可能という。
って何かの間違いだと思うけど、
っていうか、いったい1年間にどのくらいバットが折れるんだろう?

ムームーのまかない#9
タラのみぞれ鍋
20030205.png

2003/02/03(月)
美術と金持ち

日本はよく、唯一成功した社会主義国といわれるくらい、
貧富の格差が少なく、教育レベルが一様に高い国だ。
それはそれでとってもすばらしいことだけど、
桁外れの金持ちがいないってことは、
まわりまわると我々貧乏人には
そんなことなのかもしれないなと思った。
たまたま見てたNHKの日曜美術館で、
アメリカの億万長者が収集した絵画コレクションを一般に公開したり、
美術館に寄付されたり、
新進のアーティストの支援(といっても作品の購入だけど)などをして、
ニューヨークの美術シーンを豊かにしていると紹介していた。
(あのノートンユーティリティーで有名なノートンさんも、
現代美術の収集家だったのね)
美術をはじめとする芸術は、基本的には生活の余剰であるから、
億万長者じゃあないとそれらを支援することはできないのだ。
芸術家だけじゃなく、
我々もまたそれを鑑賞できるという恩恵にあずかれる。
もっとも、十分な金持ちならみんなそうなるかといったらそうでない。
ってのはある。
どっかのあんぽんたんが「おれが死んだら一緒に燃やせ」
と言ったりとかしているのを聞くと、
日本じゃあ、いっくら青天井のお金持ちが生まれるような
構造にしてもダメなのかもしれない。

アメリカのおもしろいところは、
そういうヨーロッパ譲りの美徳が
ビジネスとしっかり結びついているところだ。
彼らにとって、
美術品の公開や寄付は企業や個人のステータスアップの材料
(つまりビジネス戦略の重要なな要因)になっているし、
税処理上のメリットにもなる。
また、美術品(特に新進気鋭の作家のそれ)
の購入は投機の対象である。
日本では、
どういうわけか芸術は
お金と無縁の世界にあるべきという風潮が強いが、
かえってお金というモノを意識しすぎているからのように思え、
アメリカのような態度の方がよっぽど自然に見えたりする。

ところで、ゴッホの絵は何億というお金で
売買されているようだけど、
例え今彼が生きていたとしても、
彼には最初に売った1回のお金しか入ってこない。
昨今の音楽やゲームの著作権、二次使用権をめぐる論争では、
原著作者に、
二次使用(売買)以降になんら利益が
もたらされられないことが問題である。
と主張されている。
たしかにそれは一利あるけど、
絵画の二次以降の売買は、画商やコレクターを肥やす。
彼らはその利益を元にして、新人への投資を行っている。
と考えると、
全体で考えるならばそれはそれで良いことでもあるようにも思える。
むしろ、昨今のゲーム小売店のように、中古販売を許されないので、
資金繰りがきつくなり、売れ筋のゲームしか購入できなくなっている。
っていう市場の方がやばい気がする。
売れている人たちには申し訳ないけど、業界全体のことを思えば、
二次売買、投機的売買を許す構造にしてもらいたいとも思う。

ムームーのまかない#8
チリタコライスと余り物野菜のスープ
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