人間風車

2003/06/27(金)
諸々

それにしても最近のうちのチーム
(巨人)の野球は見ていて痛々しい。
故障者続出で、満足な戦力で戦えない。
ペタジーニは逝ってよし。
こういうときこそ、大枚はたけよ>ナベツネといいたい。
投手陣は去年と違って、すこぶる調子が悪い。
あらゆる負け方がありうる、苦しい戦いの連続だ。
(それでも2位なんだから、
原監督はよくやっているんだと思う)
ま、このくらいのハンディーがあったほうが
セリーグは盛り上がるからいいんだけどね。
(まだまだ)がんばれ阪神!
 ●
年を取ると
「最近の若い者は、、、」という発言が増えるのは、
年を取る毎に
「最近の若い者」が増えるからだ、とふと思った。
各年齢に均等に人口が分布しているとすると、
単純計算で、
あなたにとっての
"最近の若い者"の数=[あなたの年齢-20]*1200000人
となるから、
年を取る毎に対象者が増えるわけだ。
若い者のうちのダメダメなヤツの割合を30%とすると、
年間、400000人ずつ若いダメダメなヤツが増えるわけだから
当然、遭遇する確率は高くなる。
このことが「増えてきた」と勘違いする原因ではないだろうか。
(関係ないけど、あるとってもスケベな人が、
年とともに「対象者」が増えてくるので、
年を取るのが楽しくてしようがない。と言っていたが、
これと同じ原理だ)
 ●
ある人がmacがとんでもなく
斬新なデザインのコンピュータを出したと報告してた。
確かにね。
これをコンピュータだと思ったら、
すっげービックリしただろうなw。
これはLSIがプリントされたウエハーですな。
 ●
寝る前に気持ちをクールダウンさせようと、
バス用アロマオイルを買った。
んが、入れすぎてしまって、
目が開けられないくらいの刺激臭が立ち上がり、
湯面に厚い油膜がはってしまった(涙)。
クゥエートの油田でオイルまみれになった海鵜の気分だ。


2003/06/26(木)
困った20代

何気なく「ラブーシュカ」という番組
(クロスワードをやる番組)で、
回答者の女性が、
ジュリアス・シーザーの言葉「●●は投げられた」って問題で、
「さじ」と書いたのをみて、思わず受けてしまった。
さじをなげたら、終わっちゃうちゅーの。
 ●
今日のご飯は、昼ビッグマック、夜ピザ、夜食ラーメン。
ってダメじゃん。
子供じゃないんだし。
そんなことより、ビッグマックを買ったのは失敗だった。
ビッグマックは199円だったけど、よく考えたら、
普通のバーガーが59円なんだから、
それを2つ買った方がうんとお徳じゃん。
しまった!
っていうか、一緒に買ったくそまずいコーヒーの
Lサイズが200円っていうのが許せん。
バランス悪過ぎだ。
 ●
知り合いのM氏から怒りのメール。
ちょっと企画を手伝ったプロジェクトがぽしゃったのだが、
相手の誠意のなさにM氏が怒ったのに対して、
相手が逆ギレしてメールを送ってきたというのだ。
「情勢が変化すれば考えも変化するし、
自分も下請け時代にもっと酷い経験もしてきた」という内容だ。
情勢というのが上司の反対というあたりが痛い。
その相手の逆ギレは、ぼくに対してまで飛び火したようで、
「そもそも(ぼくの)アイデアが●●●に
通用するとでも思ったんですか。」
と書いてある。
っていうか、つい数週間前まで
「いいっすねぇ」って言ってたじゃんと思うのだが。
M氏は自分のことのように怒ってたけど、
ぼくは、例のあれで
怒りのアキレス腱が切れてしまっているので、
こんなことじゃあ、腹は立たない。
この相手というのが20代の若い人で、
M氏は最近の若いヤツは、
こういうのが多いと嘆いていた。
同じようなことを
前のプロジェクトで一緒だったN氏も言ってたっけ。
20代の若い人が全員ダメだとは到底思えないけど、
そういうダメダメに遭遇する確率は確かに上がったような気がする。
(ひょっとすると、割合的には変わっていないのだけど、
そういう場に自分の方が行ってしまう
機会が増えただけなのかもしれない)
仕事ができないのは、実経験が少ないのだから仕方がない。
そんなことは全然かまわないけど、
お金を支払っている=偉い、
制作会社=下請けという上司の悪い考えだけ、
さっさと身につけてしまって、
高圧的に迫られたりすると閉口してしまう。
そんな「借り物」全然効かないのに。
苦労するぞぉ。


2003/06/24(火)
白黒

最近、CGにしても絵にしても白黒にしか反応しない。
白黒の映像をみるとびくっとくる。
グレートーンはないほうがいい。白黒だけ。
それは、
世の中に色があふれているから、かえって新鮮に感じる。
という単純な理由からなんだろうか。
だったら、ほとんど生まれてからずっとそうなはずなんだけ。
よくわからんです。
ほんと、自分の生理ってわからん。
というか脳は脳自身のことはわからんのだ。
(ひょっとしたら、存在自体も認識していないのかも知れない)
ともかく、白黒で緻密でよく動く。
ゲームのビジュアルもそういうのしか、
イメージできない体になりつつあり、
関係者に迷惑がかかりそうな今日この頃だ。

個展のページに展示する作品の
いつくかのサンプルを置いてみました。
どれもB2(515 x 728)サイズなんで、そこそこデカイです。
今、B1の絵を描いているんですが、すっごく後悔してます。
ボールペンで描く大きさじゃないです。
大リーグボール3号を投げてるときの
星飛雄馬の気持ちがよおくわかるくらいの筋肉痛。
でも、描いているときって、
どんどん大きな絵を描きたくなるもんなんだよなぁ。
(完全にインフレ化している)
一般にはB1サイズまでの紙しか用意されていないことを
紙じゃなくって神に感謝。


2003/06/23(月)
アウトザイダー・アート

人間はどうやって、絵を創造するんだろう。
神話や思想や具体的な対象物を
写し取るタイプの絵ならわかるが、
そうでない絵はどういう過程で生み出されていくんだろう。
例えば、ダリは、
よくオブジェが杖にもたれてかかっている
というシーンを描くが、
これは彼の精神的な疲労を表しているとかなんとか、
よくいわれる。
そういう精神状態を象徴するってことは確かにあるだろうが、
全ての絵が精神的エネルギーを前提というか
背景にしているんだろうか。
絵を描く人なら誰でもそうだろうけど、
絵を思いついた瞬間は、
そうした精神状態から導かれているという自覚は全くない。

アブストラクトでない限り、
想像の世界を描いた場合でも、そこに描かれる家や風景、
人などは、
それまでに自分の中の映像ライブラリーから利用される。
どの絵が利用されるか、どう加工されるかは、
意識的な場合もあるし、無意識の場合もある。
しかし、その出発点がどちらであっても、
たいがいは、その後の「創作」の過程で、
意識というか知識というか常識というか定石というか、
そういう意図的な力が働くのが一般的だ。というか常識人だ。
構図をかっこよくしたり、わかりやすくしたり、
あえてデフォルメしたり印象的な色を置いたり、
流行のモチーフを使ったり、
キャンパスに入る大きさにし、
あるいは小さすぎないようにしと。
絵を仕事にすると、絵を幾度も描くと、絵について学ぶと、
こうした余計な、
たいがいの場合つまらないフィルターを
無意識のうちにかけてしまうので、
注意しないといけない。
っていうか、フィルターをかけないようにと、
意識している時点でダメなのだが。
ところがそうしたこの(つまらない)
常識の壁を易々と越えてしまう作家達もいる。
たいがいの場合、軽い知的障害を持った人たちなのだが、
(知的障害者というカテゴライズする意味が
全くないのにと思うのだけど)
彼らはそうした才能を持っていることが多いようだ。
我々凡人、常識人には、
彼らのようにひょいと常識の外に
飛び出すことはできないのかもしれないけど、
少なくとも、そうした作品に
「感じる」権利だけは与えてられているようだ。
アウトサイダー・アート


2003/06/20(金)
絵を描いてます

ふだん、絵を描くといったって、
ゲームの世界観やキャラのデザイン画程度なんで、
あまり描き込むとか、完成させるとか、
情熱とか、勢いとか、深みとか、
迫力なんてことはまったく考えることがないので、
今回のようにちょっとかしこまって描くっては、
どーもイマイチ調子がつかめない。
止め際のむつかしさは、
描き込むが不足しているってことよりも、
描き込みすぎてしまうことのほうにある。
個人的なイメージとしては、
絵は描き足らなくても描きすぎても生命力を失うと思っている。
描き足らないのは、自分でも気がつきやすいし、
さらに描こうというのはすごく自然な思考なので迷うことはない。
一方、これ以上は描きすぎになり、
努力と誠意に反して絵としては死んでいく。
という判断をするのはむつかしい。
もう描くところがないというところまで、
描ききってしまうのは簡単だけど、
描く余白はあるが、
ここを描いてしまってはいけないという判断は
なかなかできないものだ。
今まさに、そのむつかしさに直面している。
どんどん絵に「厚み」を与えていくのは、
作業としては大変だけど、精神的には楽だ。
ただ、どーもある段階から、その「厚み」とやらと引き替えに、
大切なもの(鮮度みたいなモノ)が
なくなってしまっていくような気がしてならない。
(きっと、作曲をする人なんかも同じことで悩むんじゃないかな。
音を厚くしていくのは簡単だろうけど、
これ以上削れないというシンプルな構成を見つけるのはむつかしそう)
今回のように軽くしていくこと(消す)ができない道具だと、
ここらあたりの見極めはかなりマジメにやらないといけないので大変だ。
(ただ、やっぱり、水彩や墨絵と同様、後戻りが許されない道具っては、
やってて楽しい。いっつもある程度の緊張感があっていい)

さてさて、残すところ2週間程度だけど、
まだ半分ちょいといったところか。
間に合うんだろうか、、、(笑)


2003/06/18(水)
自分を許す

昨日、
>A氏は4匹、M氏は5匹とまずまずの釣果
>(なにげに自慢してる?)。
などと途中報告したバチがあたって、
その後は、彼ら二人は数匹ずつ釣り、ぼくはボーズ。
途中で精算してみるなんてのは、
博打でもっともいけないことなのだ。
ああ、それにしても「釣り堀り」河口湖もいいけど、
今度は、最高にきれいな本栖湖で釣りをしたいもんだ。
 ●
絵の方は、仕事が終わってからチコチコと描いている。
ある画家が
「結局、絵の完成なんてのは、
どこで自分を許してやるかってことなんだ」
と言っていたけど、たしかにそういうところはある。
自分を「納得」させるじゃなくって、
「許す」ってあたりのニュアンスは、よくわかる気がする。
どこまで描いたら終わりなのか、その客観的な基準はない。
100%満足なんてこともない。
その気になれば、延々、生涯描き続けることもできる。
ゲームもそうだけど、そこらあたりの決着がやっかいだ。


2003/06/17(火)
ただ今釣り中

今日はかねてからの約束でバス釣り中。
現在朝の10時@河口湖の湖上。
しかもずっと冷たい雨。かれこれもう6時間も釣っている。
幸いノルマの7匹を釣り上げ、
A氏は4匹、M氏は5匹とまずまずの釣果
(なにげに自慢してる?)。
っていうかこうして湖上からメールを送れるのってすごい。

20030617.jpg


2003/06/16(月)
業務連絡

1)今年もCEDECで講演します。
CEDEC 2003『進化へのシナリオ-可能性の探求』 
9月4日(木)・5日(金)開催

今年は、ナムコの赤尾さんという方と
二人でAIについて話すことになりました。
テーマは「群知能」ってことになりそうです。
実体験を交えてっていうよりは、
AIってこういう活路があるんじゃない?
こういう使い方だとゲーム(制作)と相性がいいんじゃない?
ってあたりを空想や希望を交えて話すって感じになりましょうかって、
くらい、まだ何も具体的に決まってないんですけどね。
責任も1/2になったことだし、去年よりうんと気楽です。

2)個展をやります。
小規模な個展をやることにしました。
今年に入って、やる、やると言って
知り合いのギャラリー「Sapana」に頼んでて、
頼んでおきながら予定を先延ばしにしてもらって
なことを何回もしてたんですが、
ついにホントにやることにしました。
といっても、ささやかな規模です。すみません。
最近よく使うようになったボールペンによる
ドローイングがメインです。
アンプラグドです。
まだまだ描いている最中。
仕事が終わっての深夜からしか時間が作れないので、
なかなか進まないとか自分に言い訳したりしながら、
右手がプアンプアンに筋肉痛をおこしながら、
鋭意制作中です。
詳細は左の欄を参照下さい。

3)く●●たマスターアップ
PS2ソフト「く●●た」が無事マスターアップ。
(といっても、ずいぶんと前に僕らの手は離れていたのですが)
7月には、情報公開可能になる予定です。
発売は秋らしいです。


2003/06/12(木)
リストマニア

それにしても、アマゾンのサイトはホントよくできてるなぁ。
例えば、インターネットショップを運営するとして、
ただ商品目録と売買決済フォームを用意しておくだけじゃあ
客はこないだろうから、客向けのサービスとして、
売れ線情報を出すとか、
商品に対するコメントを書くなんてのは誰でも思いつく。
しかし、それを全部自分たちでやるとすると、
アイテム数だけの作業になるし、
苦労してそうした情報を提供したところで、
売り手のコメントってのは、買い手はあまり信用しないので、
労多くして、、、となりかねない。
アマゾンのサイトではそのアタリが非常にうまい。
要は、買い手を売り手側につかせてしまえばイイっていう戦法だ。
同じ買い手が書いた評というのは、
売り手の「買って、買って」臭がでまくりの評より
信憑性が持てる(イメージとして)。
しかも、誰だってタダの受け手、
消費手でいるよりは発信側にまわりたいという気持ちがある。
かといって、一からモノを創り出すのはなかなかやっかいだ。
となると、何かについて感想(評)を述べるってあたりが、
手頃な発信イベントとなる。
何かについてってのも、
映画や本やゲームが対象となれば、より書きやすくなる。
(お手本も多いし、自分が実際体験しているわけだし)
手頃だし、楽しいし、それなりに緊張するし、マジメにやる。
潜在的には、一億人総評論家体質なはずだ。
書いた以上はそれを誰かに見てもらいたい。
せっかくだから、多くの人に見てもらいたい。
となると、「見せ場」ってのは多くの人が寄る場であるほうがいい。
そうした場を一から自分で作るとなると、これまたやっかいだ。
そういう意味でもアマゾンという場は最適である。
なんせ、みんな何かを買おうと来ているのであって、
つまり、アイテムについてよりたくさんの
正確な情報を知りたいと思っているわけだから、
単なるアイテム評の場よりは読む真剣さが上だ。
こうして、書き手もそれを掲示する側も、
それを読む側もみんな得ってあたりがすばらしい。
アマゾンでは、ユーザーに単に個別のアイテムの評価の場だけでなく、
リストマニアといって、
自分のお気に入りリストを作って公開できる場を与えている。
例はこれ
これは作りがいがあるし、見る側もけっこう役に立つ。
さらに評価する人の評価なんてのも、ユーザーにやらせているわけで、
評価の質を高めたり、中古売買のトラブル防止なんかにも役立っている。
こうしたユーザーを作り手側にまきこむ手法がすばらしい。
ネットゲームなんてのは、
せっかくダイレクトにユーザーからのレスポンスを受けられるんだから、
こうした手法を利用しない手はないと思うな。
っていうか、こうしたユーザー間自己組織化を
メインとした遊びってのを考えてみるのも面白いかもとか思った。


2003/06/09(月)
東京国際ミネラルフェア

毎年恒例の東京国際ミネラルフェア
#フェア2003に行ってきた。
言わずと知れた日本最大の鉱石の販売展示フェアだ。
今年も拡大も縮小もなく、
熱くもならず寂しくもなく、粛々と開かれていた。
ブームとは無関係な鉱石の世界なのであった。
それにしても今年は辛かったな。
ほしい石はいくつもあったんだけど、どれも手が出ない。
欲し石と財布のバランスがすこぶる悪かった。
今までは、持っていない石を集めることだけで楽しかったので、
どんなに小さな石でも全然OKだったんだけど、
あらかたの種類の石を集めてしまったので、
あとは、大きなサイズに入れ替えていくことになる。
が、石は大きさに比例して乗算的に値段が高くなっていく。
今回、ほんとにほしい、ほしい石も
9万円と20万円という値段なのだ。
あいにく今は「自分をほめてやりたい」ネタもないので、
自分へのご褒美っていう言い訳もできない。
(引越祝いっていう手もあるにはあるけど)
そういえば、今年、「逸見石」という新種の石が出てた。
21世紀になっても新種(しかも日本産)がでるアタリ、
石も奥が深い。
それから石の世界も中国の進出がめざましい。
ホンモノから偽物まで中国の石がたくさん出されていた。
中国産の偽物は非常によくできているらしい。
偽物といえば、琥珀の偽物の話がよかった。
最近?のバルチック産の琥珀は、
小さい虫だけが入っているだけじゃないらしい。
(琥珀は虫が入っていると入っていないでは、全然値段が違う!)
大きな虫まで入っているものがあるようだ。
虫だけであきたらず、葉っぱや花も入っているモノもあるらしい。
新生代に作られた琥珀に、
広葉樹の葉っぱが入っているアタリがナイスである。

興味のある人は今週の火曜日まで@新宿でやってるよ。
たぶん、ぼくはもう1回行く感じ。


2003/06/05(木)
リタイヤ

もし、なんかの間違いでとんでもない金持ちになったら、
さっさと仕事をやめて、
悠々自適に趣味に生きるんだろうか?>おれ
もし遊んで暮らせるくらいのお金があったら、
一から十まで自分のすっきなように
ゲームや本を作ったりするんじゃないかな。
どうも西洋の文化には、
人生の成功=なるべく若い内にリタイア
という価値観があるみたいだけど、
これはどうなんだろう。
そうした西洋的価値観がいちば~んと思っている文化人達は、
できればいつまでも働きたいと思っている人種を
人生の楽しみを知らないとか、
寂しく単調な人生であるとか、
きまじめすぎるとか、
生き甲斐を知らないとか散々にいうけど、
これはどうなんだろう。
ぼくなんか逆に、
趣味のレベルのことなんか、いっくらやってもつまらない、
っていうかすぐに飽きるんじゃないかと思うんだけど。
仕事レベルの、きびしさ、辛さ、怖さがあって、
はじめて楽しいってなるんじゃないかと思ったりする。
軽い「楽しい」なんて、いくら集めても、
いくらそれに時間をつぎ込んでも、
どっかりした満足は得られない気がする。
たまに日本に帰ってくる大橋巨泉なんて、
なんかすっごく不自由にというか
無理があるような暮らしてに見える。
ホントにリタイア生活に満足しているなら、
ああやたらにリタイア生活をいい、
いいとあえて言わない気がするし、
仕事に戻ってくることなんてこともしないんじゃないかな。
悠々自適に、たまに気が向いたら仕事をする、ッていう感じよりは、
みんなに忘れられたくない、ほめてほしい、うらやんでほしい、
そういう「価値」を認めてもらいたくって、
帰国しているような気がする。
なあんていうのは、叶わぬ者のひがみかな。


2003/06/03(火)
リンのリサイクル

宇宙にリンが逃げ出していくとどうなるのだろう。
ゲームデザイナーとしての神様の最もよくできた仕様の一つに
「リン」のリサイクルモデルがある。
リンはあらゆる生物に必要な元素である。
体を作るのに必要な元素であるだけでなく、
DNAを構成する重要な元素でもあるからだ。
神様の仕様はこうだ。
全ての生物は生きるため、子孫を残すためにリンは必要不可欠。
しかも絶えず摂取する必要がある。
生命が誕生したとき、リンは活発な造山活動などによって、
地球内部から十分に供給されていた。
生命が十分な数に達したとき、造山活動を停止し、
地球からの供給はほとんどなくなった。
このため、すでに世の中に存在するだけのリン、
つまり生物の体に取り込まれている分だけのリンしかなくなったので、
リンを得るためには、
他の生物の持っているリンを奪うより他なくなった。
(あるときはそれを殺して、あるときはその死体から)
かくして、生物環の中で、リンのリサイクルができた。
我々が生まれ死ぬということは、
リンをリサイクルしている行為に過ぎないといっても
過言ではないかもしれない。
非常によくできた仕様だ。
この単純な仕組み(ルール)だけで、
生物間の食物連鎖が必然的に自律的に進む。
で、ふと思った。
たしかにこの40億年間はそれでうまくいっていた。
しかし、これからの100年後、
果たしてこのシステムはうまくいくだろうか。
仮に人間がこの先も存続し続け、
科学を進歩させ続けられたと仮定して、
宇宙へ出ることが容易になったとき
ヤバイ問題が発生する気がする。
例えば、外宇宙への移民や宇宙埋葬。
こうしたことが簡単になった時代には、
「宇宙にリンが逃げ出していくとどうなるのだろう」
という問題が出てくる。
リンは相変わらず地球からは供給されない。
一方、人間に蓄えられたリンは宇宙に逃げていく。
(移民となり、死体となり)
地球内での移民や埋葬なら、リンは存在場所が変わるだけで済むが、
宇宙に出ていってしまったリンは、そうではない。
地球からどんどんリンがなくなっていくことになる。
とすると、維持できる生物数がどんどん少なくなる。
資源がどんどん目減りしていくとき、
生物のバランスは大きく変わってしまうに違いない。
神様はそこまで見通して仕様を作っただろうか。


2003/06/02(月)
もろもろ

わけあって「コスモぐらし」の表舞台?からは姿を消してるけど、
先週のGM(ゲームマスター)イベントでは、
交通整理的仕事を請け負って参加していた。
ほうら、何もトラブルなんか起こらないじゃない
と思ったり、
たしかに、こういう作り手と遊び手が
直接コミュニケーションできる遊びってのは、
コンシューマゲームでは味わえないなぁとか、
思ったりしてた。

それどころではない合間をぬって、
ご近所何人かで「マトリックス・リローデッド」を
オールナイトで見に行った。
あいかわらず、
派手でスタイリッシュな映像のオンパレードだったけど、
1作目のような感動はなかったなぁ。
(もちろん、すごいことはすごいんだけど)
見たこともない映像は人を驚かすけど、
それをバージョンアップさせた映像ってのでは
人を驚かせられないのだなぁ。
すべてが予定調和の領域に入ってしまっているのだ。
映像手法で驚かすってのは、このあたりがやっかいだ。
ゲームの事情と全く同じだなのだ。
話的にも3作にするにはくるしい設定なので、
大変そうだ。
スミスもたくさん出てくる作戦を使ってしまったので、
次は巨大スミスくらいしか手が残ってないぞ。




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