人間風車

2004/02/27(金)
アルファ版

『くまうた』が文化庁のメディア芸術祭
審査員推薦作品に選ばれてて、
今日はそのオープニングっていうか内覧会だったので、
ちょこっと顔を出してきた。
メディアアートからデジタルグラフィック、
アニメ、マンガ、玩具、ゲームまで幅広いジャンルから広く薄く
(っていう言い方は悪いか)集められているので、
そういうのに興味がある、でもあまり見た経験がない人には、
一気に体験できるのでお徳かもしれない。
個人的には「FRANK」という2.5次元
アニメーションがおもしろかったかな。
くまも会場のはしっこでちゃんと歌っています。

くまうた情報

あと数時間で、某プロジェクトのアルファ版納品。
間に合うか!(笑)
こういうギリギリの仕事になってくると
「月末納品」という定義が問題となってくる。
クライアントにしてみれば、それは今日27日(金)であり、
ぼくらとしては3月1日(月)
朝イチでもいいじゃんということになる。
(土日の)ラスト48時間はすごく貴重な時間なので、
これが認められるかどうかで全然意味が違ってくる。
「今日中」なんて約束も同様にトラブルになる。
24時までか、明くる日の朝イチかでずいぶんとできることが違う。
(っていうのはまだ締め切りを守っているからいいけど、
最近は、「今日は締め切りー(マイナス)3日ですね」なんて、
嫌みなメールももらったりする(笑))

ということで、すったもんだしたあげく、
今日27日に仮アルファ・バージョンを納品、
1日に正式アルファ・バージョンを納品して差し替えるという、
極めて日本らしい結論に達した。
あまり合理的な意味はない気もしないでもないが、
これであちらの立場も保てるということだからヨシとしよう。


2004/02/26(木)
エンコードしまくり

マシンをG5にした。
よーやくパンサー<がまともに動くという
感じだ。
快適、快適。
とくにiTunesのエンコードが快
適だ。
仕事の合間にエンコードと思ったら、
あまりにエンコードが早いので(1枚のCDが2,3分)
仕事にならん状態であるくらいだ。
で、せっかくだから会社にある全てのCDを
iTunesに喰わせてやることにした。
ざっと数えたら900枚くらいのCDがあった。
1枚のCDが10曲だとすると9000曲。
最高のipodでギリギリ入るくらいかな。
つまり最高のipodを買わなくっちゃということだ(笑)
ということで、
ここのところ
机の前を離れるわけにはいかない状態が続いているので、
ちょうどいいやとせっせとエンコードしている毎日だ。
現在のところ、1000曲程度済みで5.2GB、
総プレイ時間は3.8日。
(ん?40GBで収まるだろうか、、、)
総プレイ時間3.8日かあ。
いったい音楽家というのは1秒作るの
にどれくらいの時間がかかるんだろうか。
1曲作るのに3日かかるとして、1曲約3分とすれば、
制作時間は、プレイ時間の1440倍となる。
総プレイ時間3.8日分の曲を作るのには5472日、
おおよそ15年となる。
いまのところ、全CDの1/9くらいをエンコードしたので、
持っている全部のCDの製作期間は、15*9=135人年分となる。
そう思うとちょっと姿勢が正される
という気持ちにはならいなうけどね。
ゲームはどうなんだろう。
総プレイ時間60時間の大作を作るのに2.5年かかったとする。
この場合、
プレイ時間に対しての制作時間割合は、365倍。
あ、音楽よりコストパフォーマンスがいい!(しまった)
ということで、この後に用意しておいた結論は、
仮説が間違っていたことがわかったので割愛。


2004/02/24(火)
レッドゾーン

今週はまだ1日しかたっていないのに、すでにレッドゾーン。
この一週間生き抜けますように、
というかいっそ「楽」にしてほしいくらいだ(笑)

先週はゲーム系ハード会社である
H社の人とブレインストーミング。
無責任極まりないアイデアを投げっぱなしの
ミーティングだったけど楽しかった。
最近は、まず先に経済的、物理的に可能かどうかという
(彼らの言うところの)
「外堀を埋める」ことから考える人が多くてつまらない。
そりゃあたしかに、そーゆーことも大切だけど、
その前に、ピクンと食指が動くネタで
あるかどうかってあたりが一番大切だ。
なんて当たり前のことが、
不況という霞の中では見えなくなってしまうのが恐ろしい。
それはそうと、
どうやらH社の人は僕らにハードのアイデアというよりは、
それを使ったゲームのアイデアってのを求めていらしたようで、
ぼくらが
「ピンとくるハードであれば、ゲームなんてできたも同然」
と言っているのを驚いたり呆れたりしていた。
別にゲームをなめているんじゃないけど、
遊びのベースというのがなんなのか、
そのあたりは普通のゲーム会社や
デザイナーとはちょっとずれているのかもしれない。
音楽で例えるならば、
ぼくの思うゲームってのは、メロディーや歌詞みたいなものだ。
んで、遊びのベースって言うのは、
リズムとその音色っていうニュアンスが一番近い気がする。
細野晴臣がインタビューで、
(リズムパートの後に)コード乗っける作業にはいると
「ああ、終わっちゃう、つまんない」と思うって言っていたけど、
その感覚はすごく近い気がする。
ベースのところでびびっとくるアイデアが見つかれば、
そのあと、それにRPGやアクションや
アドベンチャースタイルのどのスキン
(ぼくらは乱暴にも「ゲーム」をそう呼んでしまうときがある)
にするかってのは、
そう問題ではない。つまりどれでもうまくいく。
そう考えるわけだ。
残念なことにこうした考えに
同調してくるパブリッシャーにはまだ遭遇していないし、
市場にも評価されていないみたいだけど、
たぶん、正しい気がする。っていうか間違っていても楽しい。
H社の人も喜んでくれているといいんだけど。


2004/02/20(金)
準備ができている

以前、新宿御苑の裏道でバングラディシュ人らしい人に出くわし、
いきなり「トーゴー・シュレイン(たぶん東郷神社のことだと思う」は
どこかとを聞かれたときも驚いたけど、
今夜、マンションの前で、路上系の人に
「千葉はどっちだ」と聞かれたのは驚いた。
一応あっちと東の方角を指さしたけど、
ちゃんと行けただろうか。
っていうか歩いていくつもりなのかしら。

モノを創るにあたって、時間(余裕)があることが有効に働いた経験がない。
どうしてこうまぁ、
話を聞いた瞬間に浮かんだアイデアか、
締め切り直前の瀬戸際で浮かんだアイデアかしか、
使い物にならないんだろう。
(というのは、ボクだけの体感か)
よく、夢の中で「発見」をしたという話を聞くが、
精神科医の小田晋によれば、
夢の中で偶発的にアイデアが発生したのではなく、
無意識下ですでに見つかっていた「答え」が、
眠っている間、つまり意識の抑圧がかかっていない状態で、
ぽっかり夢の世界(意識と無意識の境界線)に
「浮上」してきたものらしい。
意識の抑圧とは、
××はこういうものだという常識や既成概念、
こんなこというと変人に思われるとか、
職を失うかももといった恥や恐れのことだ。
風呂に入っていたり眠っていたりトイレに入っているときなどに
ふとイイアイデアが浮かぶのも、
そうした時間は、意識の管理がゆるんでいるからなんだろう。
話を聞いた直後や土壇場は、
意識の管理がまだ入っていない、もう入る余裕がないため、
無意識下から浮上しやすいのかもしれない。
よくいいアイデアが浮かぶ瞬間の感覚を
「(アイデアが)降りてくる」と表現するが、
これも無意識下から浮上してきた時の体感を表現したものなのだろう。

ともかく、いいアイデアが出ないと思っているときでも、
無意識下ではすでに見つかっていることがあるということは、
ちょっとありがたい話だ。
昨日、今日と同じところで仕様作りが頓挫している。
どうしてもまともなアイデアが出てこない。
(こういうとき、アイデアを仕事にする人間はかわいそうだ。
ちゃんとまじめに机の前に座っているんだけど、
端から見れば丸二日さぼっているに等しく見えるからだ)
ひょっとしたら、今回も、もうボクの中で、
「準備」はできているのかも知れない。
問題は、どうやって意識の抑圧を取って、
意識の上に浮上させるかである。
凡人は抑圧を意識的に取るしかない。
(天才はもともと取れている。
故に、彼らの社会生活は破綻していることが多い)
まさしく「頭をとりなさい」だ。
誰か何か「頭を取る」薬でも生み出してくれると良いのだが。
(酒は抑圧も取るけど、受けとる力も取ってしまうからダメ)


2004/02/19(木)
仕様作り

今日の日本vsオマーン戦をもって、
「あきらめない」とかなんとかいろんな
「人生訓」が語られたけど、
唯一「人生訓」めいたことがあったとしたら、
それは「人生、結果オーライ」ということだろう。

ここのところ、待ちの時間の間ずっと『GarageBand
というmac用の作曲ソフトをいじっている。
おもしろい。
あらかじめ用意されたループ音源を
コピー&ペーストして曲にしていくツールだけど、
素人のあたしにはそれだけで十分に楽しいし、
けっこうもっともらしい曲ができる。
プロの人たちには物足りないみたいだけど、
0から「創作する」ことがプロの醍醐味だとしたら、
アマには「選ぶ」だけでも十分楽しい遊びであり、
十分なクリエイティブなのだ。
ここらあたりの思想が『くまうた』とそっくりというのは、
手前味噌すぎるかな。
(『GarageBand』のループブラウザと
『くまうた』のテーマの考え方は全く同じだ)
ともかく。
ユーザー参加型のエンターテインメントは、
使いやすいインターフェースと質の良い素材、
そして素材の組み合わせに無限の広がりが感じられる。
それだけ満たしていれば十分なんだと、
あらためて勇気づけられたのであった。
(それにしても、MIDI出力がないのは残念だ)

久しぶりに「仕様」作りに明け暮れている。
「仕様」というのが正式な作業名称なのか、
はたまたどの制作現場でもやっている作業なのか、
思いっきり人生の途中からこの業界に入ったので、
そこら当たりのことはよく知らないけど、
企画とプログラミングの間の翻訳作業みたいなことを
勝手に「仕様」とよんでいる。
例えば、
主人公のHP(体力)がなくなってきたら、ヘナヘナと座り込む。
っていうのが「企画」だとしたら、
HP<=30 なら 状態「ヘナヘナ」になる。
状態「ヘナヘナ」=アクション「ヘナヘナ」×3ループ
みたいな関数やルールでもって説明するのが「仕様」だ。
企画だけだと、プログラマーはプログラムのしようがない。
(ふつうは)
右脳でとぼけた企画を考えながら、
左脳でそれを表現するための関数を考える。
脳がまっぷたつに裂けそうな作業だけど、
意外とこういう仕事は好き。
この仕様作りには、数学の力がマストな感じがするだろうけど、
意外に数学的技術とゲーム・プログラムは相性が悪いことも多い。
(もちろん、ある程度数学的な知識はあった方がいいだろうけど)
数学や科学は、どんな場合でも使える
汎用の関数というものを考えがちだ。
簡素で場合分けの少ない関数が美しいとされる。
一方、コンピュータは
場合分け×各々の関数のほうが得意だったする。
逐次計算するよりも、膨大な計算結果をあらかじめ持っていて、
そこから選ぶ方が得意だったりもする。
数学や物理の関数は、人間型の思考の結果であるので、
シリコンの脳に必ずしも
フィットしているわけではないってあたりが、
やっかいなところだ。


2004/02/18(水)
96%の謎

オール電化の住宅が増えているらしい。
たしかに今の時代、
ガスと電気どちらも使わないといけない必然性はない。
それぞれ一長一短はあるんだろうけど、
各々の基本料金とか考えると、
どちらか一方にしたほうが得のような気がする。
さしずめ、ウインドウズとマックを
両方使っているような「ムダ」なのだろうか。

宇宙「96%の謎」』を読む。
どうも定期的に最新宇宙論を読まないと、
時代っていうか宇宙に乗り遅れる気がして、
落ち着かない。
まあ、最新の科学っていったて、
ボクが読むような一般書になるまでには、
すっかり「最新」ではなくなっているんだろうけど。
それにしても宇宙である。
ほんの十数年前までは、この宇宙はやがて止まるか、
そうでなくても減速していると思われていたのに、
実はどんどん膨張の速度を速めているのだ。
このまま膨張していくと、
やがては素粒子間の相互作用もままならないくらい宇宙は
薄くなってしまうらしい。
地球温暖化や鳥インフルエンザや
学歴詐称などで騒いでいる場合ではない。
我々の宇宙がブレーキの壊れた車みたいに、
今この瞬間も暴走しているのだ。
そう思うと気が気でない。
さらにこの宇宙の膨張は、
真空が生み出す斥力(せきりょく)によるのだけど、
その斥力のエネルギーの源つまりスポンサーが
誰であるのかわかっていないというあたりがどーなんでしょう。
さらにさらに。
上書のタイトルにもなっているように、
真空とブラックマター&エネルギーは、全宇宙の96%。
つまり我々を形作る物質とエネルギーは、
全宇宙のエネルギーの4%に過ぎないなんて、
住んでてすみませんというくらいのもんだ。
さらに我々の体の70%くらいは水だし、
残り30%の肉体を設計するDNAの97%がジャンクだというと、
実質我々を構成している要素って宇宙のいかほどなのだろうかと。
ちっちぇー。
そんなちっちぇー者同士の肛門の大きさを競いあっていても、
宇宙的には全くの無意味だ。
それにしてもこの宇宙の膨張の加速は、
インターネット技術の発達×PCの高処理化×ハードディスクの
大容量化に非常に例えやすいのは、単なる偶然なんだろうか。
くしくも、上書で佐藤勝彦氏が、
最近(宇宙レベル的にいって)、
宇宙が膨張を加速させだしたことについて、
「宇宙に知的生命体がうまれたこの時期に、
宇宙が加速をはじめたことは無関係なのだろうか」と書いているが、
そんなこと言われると、ますます「サムシング・グレート」
の存在を感じずにはいられなくなる。
10年後、我々とネット上の検索ロボットやウイルスは、
そう違わない存在になっているかもしれない。


2004/02/16(月)
もろもろ

男の技量は「ケツの穴のでかさ」
で決まるという話はよく聞くが、
ボク的には、むしろ、ウオシュレットの水圧の強さこそ、
男の技量を表すといいたい。
 ●
吉ギューで牛丼がないことに腹を立てた事件についで、
続編として是非ほしかった

 ●
も一つ、吉ギューもの。
吉ギューの社長が
なぜ、牛肉の調達先を米国から広げないのですか。
という問いに対して、
「豪州牛は牧草で飼育している牛が中心で、
我々の牛丼が求める味とは違う。
(米国産は穀物で飼育している)」
と答えていた。
牛は牧草を食べるのが自然であり、穀物で育てる方が不自然。
(ましてやビールを飲ませたり、
肉骨粉を食べさせたりするのは、、、)。
つまり、
自然に育った牛の味が「求める味とは違う」というあたりが、
不自然な話なのであって、
狂牛病も怖いが霜降りもどうなのか、
安全で不自然な食べ物はどうなのか、
ちょっとそのあたりも考えた方が良さそうだ。
 ●
テレビで伊勢丹が北九州市に進出とかいうレポートをやっていた。
その中で、東京都は違う客のニーズをどうつかむかについて、
「仮説と実証」とさくっと答えていたのがかっこよかった。
どんどん仮説を立てて、それを実行してする。
その結果を見て反省したり修正したりして次の仮説を立てる。
僭越ながら加えさせていただくなら、
仮説の質とともに、
「仮説と実証」1ターンの速度も
非常に大切なファクターであると思う。
そうしたマーケッティング技術も速度も持たない
(あるいは持つ意義も感じていない)
ゲーム業界が沈むのは当然の摂理だろう。
 ●
いまだに「おれおれ詐欺」が
成り立っているのが不思議でしょうがないが、
「あ、おれおれ、
ちょっとバグって製作期間が伸びちゃって苦しいんで、
少しばかり制作費追加してなくれないかなぁ」
なんてのに、
ひっかっかってくれるパブリッシャーっていないかなあ。
 ●
読んでもいないのに(読まないし)何か言うのは反則だけど、
「はい、負け犬ですけど、、、」という 展開は好きじゃないな。
l時間があったら、何にイヤな感じを覚えたか、
そこら当たりを内省してみようっと。


2004/02/12(木)
アップ画面

どういう理由か知らないけど、
近々、『くまうた』の公式サイト
が更新されるとかで、それように演歌をよこせということで、
久々に演歌を作ったというか、くまに作らせた。
なんか、やっぱり楽しい。
毎日何時間もやりこみたいというタイプの遊びじゃないけど、
来年でも再来年でも同じくらいの楽しめそうだ。
自分たちのゲームはどれも好きだけど、
こうしていつも新鮮な気持ちで遊べるのってのはそうはない。
  ●
たしかにこういうのを見ると頭がクラクラする。
日本の借金時計
新聞などでただ数字をいうだけじゃあ全然リアリティーがない。
つまり、我々がぞっとするのは、
瞬間瞬間の額がでかいということではなく、
それがすごい速さで増殖しているということなんだとわかる。
こういう時計はネットブラウザのメニューバーに表示できるとか、
デスクトップアクセサリーできるとか、
朝のテレビで時計代わりに表示するとかすると
もう少し、みんなでやばさを共有できるんだけどなぁ。
  ●
何で読んだか忘れてしまったけど、
ある研究で、野球のテレビ放送が始まったときから、
今に至るまでのロングとアップ画面の比率を
調べた研究があった。
細かい数字は忘れてしまったけど、
ともかくここ最近で選手のアップ画面の比率が
すごく高くなっているらしい。
状況の把握という点ではロングの方が正しいはずなのだが、
それ以上に、各選手の心理状態をみるほうが楽しい、
人のさりげない表情をのぞき見る、かぎ取るという楽しみこそが
テレビというメディアの最大の特性だということなんだろう。
こういうアップ画面の多様は野球に限らない。
バラエティーなんてのはほぼそればっかりだし、
最近しつこく言っているプロレスも同じだ。
プロレス中継はうんと以前からあったのに、
近年になって急にプロレスの
「(ニセ)リアリティー」が通用しなくなったのも、
アップ画面が多用されはじめたことと無関係ではないだろう。
アップにされた(リアルタイムの)表情ってのは、
本音がでてしまうものだ。
どんなに偽善者ぶっても、なんとなく本性が見抜けてしまう。
それはテレビというメディアのマジックではなく、
我々は普段でも、常に無意識的に、
相手のちょっとした表情の中に本心を見抜こうとしているのだ。
生まれた時から母親の表情(気持ち)を正確に把握しなくては
生き延びることのできないネオテニー
の悲しいサガでもあるのだろう。


2004/02/10(火)
未来分の還元

健康(自然)な生き物を食べるのが一番体にイイ。
抗生物質や農薬漬けになった生き物や
運動不足や過食で不健康な生き物を食べるのは危険だ。
ただ、やっかいなのは、
後者の方が安いと言うことだ。
(味もそうは変わらないモノもあったりする)
ただし、長期的に見れれば、
後者の方が安いとはいえない。
不健康なモノを食べていれば
それだけ体をこわす確率が高くなる。
体をこわすと医療費がかかる。
そこまで視野に入れると、後者の方が高くつく可能性がある。
ただ、この不況下、そんなことはわかっていても、
つい中●産の野菜を買ってしまったりするのが、
主婦心というものだ。
でも、こういう手もあるかも知れない。
医療費がかかるということは、
国民健康保険の利用があがるということだ。
つまり、
個人の出費だけでなく国家の出費も増えることになる。
だから、国家が、
健康な生き物を食べたら
避けられるだろう分の国民健康保険額を、
それを買った人に還元すればいい。
食べ物に限らず、
将来の節約分(あるいは増加分)を
今に還元するという考えは、
とても大切なのだと思うのだが。
 ●
新たなお風呂グッズがやってきた。
(やってきたっていうか、買ったんだけど)
『ヒーリングライト・リピュア』。
お風呂を真っ暗にして、
先に買った防水CDプレイヤー『TWINBIRD
でスケッチショーの『LOOPHOLE
hを聞きながら、湯船にプカプカ浮かべてると、
かなりいい感じなのよお。
今後は、泡系かな、あるとしたら。


2004/02/09(月)
もろもろ

碁石茶が届いた。
日本にはめずらしい発酵茶で、健康にいいらしい。
なんかのテレビ番組を見ながら注文したモノだ。
テレビではうまそうに飲んでいたけど、
酸っぱい+渋い=まずい。
1回飲んですっかり飽きたので、
まもなくムームーでの
ミーティングに登場することになるだろう。
  ●
ミスター高橋がプロレスの「約束事」を
ばらしてしまっただけでも大変と思っていたら、
今度は「週刊モーニング」でマッチメーカー
(プロレスの「筋書き」を作る人)の漫画が始まってしまった。
ミスター高橋を知っている人ってのは、
プロレスファン以外にはあまり知られていない人、
(プロレスファンにしても
かなり古いファンじゃないと知らない人)
だからまだよかったけど、
「週刊モーニング」はメジャーな漫画雑誌なので、
プロレス界もさぞ頭が痛いことだろう。
なぜなばら、
両者とも「筋書きがあるからすばらしいんだ」
とプロレスを肯定しているからだ。
むしろ、プロレスを非難してくれてるほうが
ありがたかったことだろう。
1)あらかじめ筋書き(勝敗)が決まっているからおもしろい。
2)プロレスには「どっちが勝つかわからない」という筋書きが必須。
この矛盾をうまく克服する屁理屈を考え出すのは、
(あ、屁と屈って字が似てるんだな)
かなりむつかしそうだ。

んなおり、この「アングル」
の答えを誰かおしえてくださいー。
永田との遺恨マッチを作るためというのはわかるが、
何故今、何故急にそういう「対決」が必要なのか、よめん。
  ●
大量に「処分」されるニワトリを見ていると、
ウイルスが突然変異を起こして、
いつか、
人→←ネコ、犬で伝染するインフルエンザウイルスとか
生まれるんだろうかと心配になる。
その時に起こるだろう悲劇を考えると、とても怖い。
  ●
NFLでおっぱいぽろりのジャネット・ジャクソンが訴えられた。
訴えたのは、もちろん、
NFLでもMTVでもなく、
テレビ観戦していたテネシー州の一般女性だ。
さすがアメリカ。
訴えてやる」を地でいく素早い反応だ。


2004/02/06(金)
分別法

某所で某ハードの説明を聞いてくる。
尊敬する×さんから
声をかけてもらっただけでも有頂天なんだけど、
説明を受けたハードもとてもおもしろそうだ。
そして、「一緒に何かやれるといいですね」と
これ以上ない曖昧な約束?をして帰ってきた。
帰り道、ふと自分は何を求められているんだろうかと思った。
(ま、わかったとしても、
求められたモノを返すみたいな器用なことはできないんだけど)
相手はプロレスの本道をいく人たちである。
一方ぼくはシュート(ガチンコ)をやりたいと思っている。
さすがに、今の主流のプロレススタイルを
求められていないのはわかったけど、
シュート的な演出のあるプロレスを求められているのか、
シュートのままでいいのか、
そこらあたりが今ひとつ掴めなかった。
といいつつ、
根っこがシュートなら、逆にちょっとプロレス的な演出を
入れるのはやぶさかではないと言うか好きなので、
ドロップキックもモンゴリアン・チョップも
隙あらばやりたいくらいだ。
ってあたりでgoがでるとおもしろいのだが。
しかしおそらく見ている人にとっては、
シュート的プロレスとプロレス的シュートって、
全然違いはわからないだろうから、
こだわっているのも
バカバカしいという気がしないでもないけど、
そういう性分なんだから仕方がない。

それはそうと、最近、
「是非一緒に何かしましょう」というお話をよくいただく。
ありがたい話だ。
ただこういう話は
全部が全部ありがたい話とばかりは限らない。
「企画だけ出していただければ、
あとはこちらでなんとかしますから」
という話には少し緊張して対応しないといけない。
過去には、企画を出したらその後連絡が途絶え、
出した企画が製品に組み込まれていたなんてこともあったからだ。
(もちろんこちらの勘違いである可能性もあるんだけど)
だからといってはなっから話を疑うのも失礼な話なので、
最近は同じパターンで話を進めることにしている。
いきなり、企画と一緒に簡単なプロトタイプを作ってしまうのだ。
プロトタイプの制作はこの時点で求められていない。
合わせてプロトタイプを製品版にするまでの
制作実費と期間、それに企画費を盛り込んだ見積もりをだす。
この見積もりもこの時点で求められていない。
企画費は、制作実費に織り込むのが普通というか礼儀らしいけど、
それはなんだか自分たちの
芯の仕事を否定しているみたいでイヤなのだ。
さて、こういう「先制攻撃」をすると、
対応はおもしろいほど、はっきり2つに別れる。
1つは音信不通になり、1つはすぐにレスがくる。
音信不通になるのは、
こちらの態度が非礼に思われたって時もあっただろうけど、
物質でも作業でもない
アイデアに対しての評価の低いところも、
そう反応せざるを得なかっただろう。
少なくとも、レスがあった話では、
そういう悲しい相違を感じたことはない。
(別の理由で頓挫することはあるけど)

この方法が目下の所、一番手っ取り早い「分別法」だ。
ベストではない気がするし、
ホントに失礼な対応なのかも知れない。
また、反応がないときは、
プロトタイプを作った分だけ損になるんだけど、
その後発生するかもしれない金銭的精神的「損」に比べれば、
保険と考えなくてはいけないだろう。


2004/02/05(木)
視点の変化

昨日のコーヒーカップの件でメールをいただきました。
等幅でラインができているなら、
飲んでいる量は、
一定量ずつ少なくなっているはずと言うご指摘です。
つまり、コーヒーカップが逆円錐形をしているわけだから、
下にいくに従って、等幅=体積は少なくなる。
というわけです。
いや、全くその通りです。
 ●
ミスター高橋の話の続き。
基本的には暴露本っていうのは好きじゃない。
警告とか正義を正すという大義名分の裏にあるのが、
単に対象へのやっかみや恨みだけであることが多いからだ。
ミスター高橋の本がある意味心地良いのは、
彼がホントにプロレスを愛していて、
心配しているのがわかるからだ。
(もっともプロレス界にしてみれば、ありがた迷惑だろうが)
ちなみに、
よく訳知り顔で「あれには裏があるんだよ」と、
無邪気にはしゃいでいるヤツより
俺は頭がいいんだ的アピールをする人いるけど、
そういう人もあまり好きじゃない。
正しい正しくない、頭がいい悪いの問題ではなく、
そんな「アングル」で見たって楽しくないからだ。
お客になるんなら、うまくだましてねくらいの
気持ちで楽しまなくっちゃだわ。

それはそうと、そのミスター高橋が、
プロレスの下火の一因に、
会場でプロレスを見る客と
テレビでプロレスを見る客の意識の違いを
指摘していたのは、おもしろかった。
会場で見る人にとっては、グラウンドなどの地味な技は、
よく見えないのでつまらない。
一方、テレビはほとんどが選手のアップ画面である。
だから細かいテクニックもよく見える。
プロレスは、
力道山の時代からずっと会場の客の方を向いているので、
会場でもよくわかる演出に固執してきた。
一方格闘技は、はなっから格闘技会場というのが
一般の人と「繋がっていなかった」ため、
一般の人が最初に出会うのはテレビであったので、
細かい「技術」に走ってもよかった。
格闘技を大会場の遠くで見るのはたしかにつまらない。
しかし、逆にプロレスをテレビで(アップで)見るのは
いろいろ見えすぎてしまってまずい。
今はどちらの「視点」の客が多いのか。
プロレスと格闘技の人気の逆転は、
そうした客のバランスが変わった結果なのかもしれない。

こうした客層の変化は、ゆっくりと静かに進むので、
当事者達にはなかなか見えにくいものだ。
ゲームの衰退にも、
なにかしらの「視点」の変化が関係しているのかも知れない。
そこらあたり、
(誰かが)もう一度見渡してみる必要があるのかもしれない。
ゲーム業界の悲劇の一つは、
そういうことを解析するマスコミが存在しないことだ。


2004/02/04(水)
インスタントコーヒー

結論から言うと、
おいしいインスタントコーヒーなんて存在しない。
別ものです。
インスタントラーメンとお店のラーメンの違いと同じで、
似て非なるモノです。
という至極予定調和的な結論に達しました。
というわけで、
せっかくいろいろ高級インスタントコーヒーを
集めたのでその評価など。

20040504_1.jpg

ネスカフェ・プレジデント
★★☆☆☆
香りはいいんだけど、
味は普通のインスタントコーヒーレベルと感じた。
香りも上品なんだけど、
もう少し似非ドリップコーヒー香を出してもよかったんじゃ
ないのかな。

20040504_2.jpg

ネスカフェ・ゴールドブレンド
★★★☆☆
おそらくネスカフェ・プレジデントの
下のクラスなんだろうけど、
香りはこっちのほうがいい。
っていうか、今回一番香りがよかったのがこれ。
ちょっと驚きました。
ここまで近づけられるんだと感心しました。
ま、近いが故に偽物感が強まるっていうのはあるんですが。

20040504_3.jpg

UCCザ・ブレンド114
★☆☆☆☆
ふつーです。レベル的にも真ん中です。
っていうか、
高級インスタントコーヒーとして集めたあたしが悪いです。

20040504_4.jpg

カフェトピア・イタリアン・エスプレッソ
☆☆☆☆☆
カフェでもイタリアンでもエスプレッソでもないです。
あんなにすばらしい家電や車を作るドイツが、
どーしてこうなるのかっていうかくらいの味と風味
というか、ソーセージしかない国らしい納得の味というか。

20040504_5.jpg

アフリカフェ
☆☆☆☆☆
無農薬の豆を使っていようといまいと関係ない。
アフリカに帰れ!

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グラシア
★★☆☆☆
これまた、確か無農薬の豆を使ったコーヒーだったかな。
お店で使っているところもあるという触れ込みだけど、
コーヒーの味に驚くより、むしろその店の感性に驚く。

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HC88
★★☆☆☆
グラシアと兄弟分?のコーヒーで、
ブラインドテストだと僕クラスの舌では判別不能。
格闘王国ブラジルもインスタントコーヒーはダメか。

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クスコ
★★★☆☆
たしか、通販カタログでも紹介されてたんじゃなかったかな。
味は、インスタントコーヒー独特の焼けたような味が
しなくってそこそこガマンできます。
ただ、香りはダメ、全然ない。
でも、今回の中でどれか1つ選べといわれたらこれを選びます。
っていうか飲んでる。

というわけで、インスタントコーヒーはダメとわかった。
が、ぜぇんぶ封を開けてしまったし、
どれもそこそこ値段が張ったので飲まないといけないと思って、
がんばって飲んでます。
そのままではダメなので、ミルクコーヒーにする。
牛乳1:コーヒー1くらいで飲む。
ミルクもお湯もできるだけ熱くする。
これでインスタントコーヒーの独特の焼けた味が緩和される。
ただ、牛乳の水っぽさがインスタントコーヒーの「風味」に負けるので、
「クリープ」で、ミルク側のバーチャル感を補強する。
インスタントコーヒーは1種より複数種がいい。
味のベースは「クスコ」にして、
香り付けに「ネスカフェ・ゴールドブレンド」を入れる。
というのが、今のところ一番おいしい。
(もうすっかりドリップコーヒーよりめんどくさい作業になっている)

おまけ。

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この(自分が飲んだ)カップをみて感激。
何に感激したかというと、縞模様が等間隔にあること。
無意識にコンスタントに一定量ずつ飲んでいる証拠。
なんてリズミカルな生活をしているのだ、おれは。



2004/02/02(月)
シュートとプロレス

高田延彦の自伝『泣き虫』を読んでちょっとショック。
彼が主宰していたUWFインターは、
シュート(リアル・ファイト)だと思っていたら、
プロレスであったというのが告られていたからだ。
プロレス、つまりアングル(筋書き)があったのだ。
そういやあ高田は当時からUWFインターを
「プロレス、プロレス」と言っていた気がするけど、
シュートなプロレスっていう意味だと思っていたが、
ホントにプロレスだったのね。
ま、プロレスだからダメだとか
ウソだったとかいう気は全然ないし、
プロレスはプロレスで好きなんだけど、
テレビのやらせだとわかったときというか、
AVで疑似本番だとわかったときというか、
赤穂の天塩がモンゴルの岩塩とオーストリアの
にがりで作られているのがわかったときというか、
そういう感じの残念感があった。

そのあと、
たまたまミスター高橋の『プロレス影の仕掛け人
ろ考えさせられた。
ミスター高橋とは元新日のレフリーで、
プロレスを愛するが故、
「プロレスは、筋書きがあり勝敗も決まっている、
計算された、すばらしいエンターテインメントだ。」
と暴露しちゃった人なんだけど、
アングルがあるからこそ、
安全で安定的で計画的な
エンターテインメントを提供できるという
彼の主張は正しいと思う。
上質な筋書きは、下手なリアルよりもうんと面白い。
小説や映画が「作り話」とバカにされることがないのと、
ノン・フィクションが
フィクションより偉いなんて言われないのと同じだ。
シュートとプロレス、
それぞれ違った良さがあるというだけの話だ。
プロレスが悪いのは、
フィクションなのにノン・フィクションだと言い張っている
ことだというミスター高橋の主張もうなずける。
ただ、
現在のプロレスの不況をそうカミング・アウト
してないからだというのは違う気もする。
日本人は、
プロレスに限らずリアルが好き国民性なのだと思う。
昔はプロレスのアングルが好きだったのではなく、
昔はプロレスはアングルじゃないと思っていただけの話で、
今、アングルであることを前面に出してやったとしても、
広く受け入れられるとは思えない。
ミスター高橋のプロレスに対する愛(の告白)は、
彼の意に反して、プロレスの逆風になってしまっている。

なんてことを考えされられたわけではなく、
ゲームはどうなのかという話だ。
どうなのかというまでもなく、プロレスなのだが。
シュート(リアル)を
画像のことと勘違いしているという話もある。
そんな中で、
自分は一人シュートをやっているんだとわかった。
プロレスだったゲームは
『ジャンピング・フラッシュ』だけだ。
『くまうた』はかなりプロレス的な
ルールを取り入れたシュートだが、
『がんばれ森川君2号』や
『ここ掘れ!プッカ』は完全なシュートだし、
『アストロノーカ』なんて完全にプロレスのように見えるが、
あれも実は完全なシュートだ。
今更わかるのもどうかしているが、
自分と業界のしっくりこなささの根底は
そういう違いにあったのだなぁ。
クライアントはぼくにシュートのような
プロレスを求めているのに対して、
ぼくはプロレスのようにおもしろいシュートがやりたいのだ。
(桜庭みたいにね)
ただ、格闘技がプロレスを押してるように、
ゲームの世界もシュートが
押しているなんて事実は全くなくって、
(むしろ逆なくらいだ)
そのあたりがヤバイ気もするが、
シュートはホントに受け入れられないのか、
もう少しチャレンジしてみるつもりだ。
年内に今までと違ったシュートを見せられそうなので、
その反応が楽しみだ。




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