人間風車

2004/03/29(月)
差別化されていない

次(ボツになるかも)とその次とも、
携帯ゲーム機用のゲームだ。
(どこのハードとか、
どのパブリッシャーからとかは言えないけど)
現時点の気分では、コンソール型のゲーム機用のゲームを
作りたい気持ちになれないし、
逆に、ようやく携帯ゲーム機も
いろいろ「遊べる」環境(スペック)が整ってきた
という感があるので、
かなり強い気持ちで携帯ゲーム機に移行している。

それにしても不思議だ。
どーして、コンソール型のゲーム機と携帯ゲーム機が
同じ遊びになっているんだろう。
(ついでも携帯電話用のゲームも)
ゲーム内容を聞いただけだと、
それがコンソール型のゲーム機用のゲームなのか、
携帯ゲーム機用のゲームなのか、
はたまた携帯電話用のゲームなのか、
区別が付かない。
つまり、差別化されていない。

多くのゲームの作り手が、
マシンのハードスペックばかりを気にする。
携帯ゲーム機のCPUパワー、
色数、3D処理などハード的進化から、
従来の(コンソール型のゲーム機用)ゲームの
これが再現できる、できないとかいった感じで、
遊びが設計されているようだけど、これはどうなんだろう。
これは、
1)マシンパワーが同じなら同じゲームを再現できる
2)マシンが違っていても
同じゲームなら同じおもしろさを与えられる
3)あるいは、同じようにつまらない
ということが前提になるはずだけど、
果たしてそうなんだろうか。
ゲーム機が置かれている場所、
ゲーム機の形、重さ、
両手で遊ぶ、片手で遊ぶ、
それに画面と顔の距離、
そういう違いはマシンパワー云々より、
うんと大きな問題だと思う。
それらの要素が違えば、「遊び」自体がちがってくるはず
と考えるのが、普通だと思うが、
関係者には、意外なほど受け入れられない。
上の仮定に疑問に感じない感性が不思議でならない。

じゃあ、携帯ゲーム機ならではの遊びとは何か。
具体的な提案は守秘義務の問題でできないけど、
今までのムームーの(コンソール型のゲーム機用の)手法とは、
ちょっと違ったものを提案できると思う。
といっても、全く画期的でもなんでもなく、
いたってノーマルなアイデアなんだけど。
故に(なのに)ボツになる可能性もあるのだけど(笑)


2004/03/26(金)
「ゲーム宇宙論」

昨日の補足。

水素ガスに放電すると4色の光が放たれ、
それぞれの光の波長は、
赤:青:藍:紫=
3^2/(3^2-2^2):4^2/(4^2-2^2)5^2/5^2-2^2):6^2/(6^2-2^2)
となることは昨日の通り。
当時、電子が原子核を回っていることはわかっていたが、
特別な(断続的な)軌道上に
存在するとは思われていなかった。
ボーアは、上の式を見たとき、
電子は決まった軌道上にあるんじゃないか、
上の式の2,3,4,5,6っていうのはその軌道番号で、
電子は軌道を乗り換えるときエネルギーを
放出(吸収)するんじゃないか、
だから光るんじゃないのか、
たとえば、
3^2-2^2は、軌道3から軌道2に軌道を乗り換えたときに
放出されたエネルギー(=光)量のことではないか、
と、瞬間にイメージしてしまったらしい。
当時、電子が特定の軌道上を移動する(=軌道の番号)
なんていう概念はなかったのだから、スゴイ。

それにしても量子力学である。
量子力学を一言で言えたら苦労しないが、
ミクロの世界の物質は、
人間が見ていないときは、
薄い霧のようなもやもやした存在で、
いる場所もはっきりしないのに、
人間が見ようとした瞬間、
粒に「変身」して決まった場所に現れる。
という非常になめた理論だ。
この宇宙は、きちっとした法則で動いているはずで、
ミクロの世界での現象が「確率的」に見えるのは、
全ての法則を見つけだしていないからだ。
というアインシュタインの主張のほうが、
よっぽど釈然とする。

キーポイントは、「観察することまで」てところだ。
この「観察」とは人間だけに限るんだろうか。
ネコが観察しても確率的な存在は「収束」するんだろうか。
ほ乳類はOKで、虫なら観察にならないとかあるんだろうか。
ゾウリムシやウイルスが観察しても収束するんだろうか。
誰か教えてほしい。

しかし、なんでまた、
神様はミクロの世界を
「決定論」的に作らなかったのだろうか。
あるいは、
マクロの世界を「確率論」的に作らなかったのだろうか。
おそらく神様は、
まさか自分たちの作ったキャラが、
そこまでミクロの世界
(1000万分の1ミリ以下)まで観察するとは、
予想していなかったのではなかったんじゃないだろうか。
あるいは、
ミクロの粒子の振る舞いまで決定論的に計算するんでは、
計算負荷が高すぎて、メモリーもいっぱい喰うので、
観察されるまではなにも計算しないで、
観察された瞬間にだけ、
(乱数を使った)計算をするようにしたのかもしれない。
なんて、ゲームとして考えると非常に理解しやすい。

量子力学は、
なんで観察すると収束するかとか、
その証拠はなんてことはどーでもよくて、
実際の現象をうまく説明できるんだからそれでいいじゃん。
ということなのだから、
この世界は神様が作ったゲームと考えると
全てがうまく説明できる
という「ゲーム宇宙論」なんてのも
同じ次元の「屁理屈」として通用しそうだ。


2004/03/25(木)
天才

アインシュタインが(特殊)
相対性理論を生み出したのが26歳、
ボーアが「(前期)量子論」を生み出したのが27歳。
多くの天才が、20代に偉大な発明や
発見をしているのは偶然ではないだろう。
天才が求められる時代は、
それまでの価値観が行き詰まっている時で、
そういうときには、従来の「常識」を疑ったり
無視して飛び越える必要がある。
「常識」を飛び越えるには、「常識」を
身にまとっていない身軽さが必要だ。
(身軽なだけで頭がなければ、
ただの気の毒な人になってしまうが)
知らず知らず「常識」がこびりついてしまったり、
「常識」が身に付いていることが、
便利であったり楽であったりすることを
学んでしまった年寄りには、
なかなか「常識」を捨てることはできない。
さらに生理的なレベル、
つまり脳の「ジャンプ力」もなくなる。
故に、天才になれるのは20代が多いのだろう。

宇宙に対する理解が全然進まない。
物理学に対する基礎的な知識がないからだ。
ので、ちょっとまじめに体系的に学ぼうと心に決めた。
でも古典物理はやっぱりつまらないので、
20世紀からの物理、つまり量子物理学からってことにした。
(それじゃあ、結局理解が進まないという心配もあるけど)
法則を理解するのはやっかいだが、
それを発見した人のパーソナリティーや
そのときのいきさつはヘタの小説なんかより
うんとおもしろい。
例えば。
水素ガスに放電すると、光を放つ。
このときの光のスペクトルを調べると
4色の光であることがわかり、
それぞれの光の波長は、いかのようらしい。
赤=656.210nm
青=486.074nm
藍=434.010nm
紫=410.120nm
この数字を見ても我々凡人は、なんもわからない。
せいぜい、
細かいとこまで調べるんだなぁと感心するくらいだ。
ところが、バルマーという数学教師は、
この数字が法則性を持っていることを見抜く。
赤:青:藍:紫=9/5:16/12:25/21:36/32
という比率であり、さらに整理すると、
赤:青:藍:紫=
3^2/(3^2-2^2):4^2/(4^2-2^2)5^2/5^2-2^2):6^2/(6^2-2^2)
となるらしい。
整数論をやっている人の
こういうことに対する直感にはいつも驚かされるが、
(興味のある人は『ペトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」』
とかお勧め)
同時に、
きれいな規則性発見!ってとこで終わってしまうのもすごい。
さらにすごいのが、ボーアである。
彼は、この規則性を見た瞬間に、
これが原子核の周りを回る
電子の法則性を表していると見抜いてしまう。
(各数字は、電子の軌道数を表している)
瞬間というのは、彼がこの「バルマーの系列」を見てから
1ヶ月後には論文を書いてしまっているからだ。

一見無秩序な数列に規則性を見つけるヤツもすごいが、
その(数的)規則性から、
具体的な物理現象を想像できるヤツはもっとすごい。


2004/03/23(火)
我々は全宇宙の何パーセントだというのか

あまり同業者のことを
ほめることはよくないんだと思うけど、
塊魂』はいいなぁ。
なんか、作り手の人とは
お友達になれそうな気がするくらい、
近いニオイを感じる。
こういう、今は亡き「ライトユーザー」向けの、
手軽さがにじみでいている
ソフトが出ることが大切なんだと思うし、
ライトユーザー向けのために、
体験版を配ったり、TVCFをうったり、
ライトユーザーに知ってもらうための仕事も大切だと思う。
(普通の人はゲーム雑誌とか読まないもんね)
そして値段もね。
そういう全ての要素がかなえられているので、
うらやましいというか嫉妬する(笑)。

我々の体や星を構成する物質やエネルギーは、
全宇宙のエネルギーの3,4%にしかすぎない。
我々の体の60%は水だし、
我々のDNAで意味のなす配列(遺伝子)は
3%程度に過ぎない。
じゃあ、いったい、
我々は全宇宙の何パーセントだというのか、
そう思うと、
仕事上のイヤなことなんて吹き飛んでしまう、、、
ことはないが、
「小さいこと」とだけは再確認できる。

それにしても、
どうして重力だけが他の宇宙との間を行き来できるのか、
他の宇宙との間でも「万有引力」は働いているんだろうか、
この宇宙のどこかにいるだろう宇宙人と
「引き合っている」と思うだけでワクワクするのに、
他の宇宙の宇宙人とも引き合っているかも知れないと思うと、
おかしくて仕方がない。
ファインマンの「経路総和法」が重力にも適応できるとなれば、
過去の人とも干渉し合うことができることになるので、
案外100年後には、
霊媒師が「それ見たことか」とか言っているかもしれない。
なあんて、
基礎知識のないまま無責任にあれこれ考えるのは楽しい。


2004/03/22(月)
5800円の菓子箱

ふとテレビを見たら、
ネコのツボマッサージみたいなことをやっていて、
丹田(へその下)を
マッサージしてやるといいと言っていた。
そういやあ、ネコのへそってどこだろう。
ある?、、、いや、科学的にはあるべき、、、
でも見たことないなぁと、
さっそくバカネコをひっくり返して見てみたけど、
これが全然見つからない!
ネットで調べたらやっぱりあるのだが、
どーしても見つからない。
でも丹田に限らず、
そーやってやたらに腹を触られるだけでも、
けっこう気持ちがいいみたいだで、
訳も知らずゴロゴロ言っていた。

久しぶりに某社のI氏と会って
ゲームについていろいろお話をする。
作っているゲームのトーンや立場は全く違うんだけど、
どういうわけだか、ゲームのあるべき、
あってほしい方向みたいな考えが
非常に近くていつもお互い
「そうだね、そうだね」という話になる。
二人とも(全く正反対の意味で)ゲーム業界全体の
事なんて考えている立場じゃないのに、
常に話は「こういうゲームが売れてるね」
というミクロな話ではなく、
「遊び全体の中でゲームのポジションは
どーなっていくべきか」とか
「ゲーム業界で若い人がうまく育つためには」とか
そんなマクロ?な話ばかりしている。
こういう(ある人達から見れば「青い」)
話をしているときが一番楽しい。

そんな中で出た話。
最近のゲームの作り方は、
まず最初に、
「はい、これにお菓子を詰めてね」と
5800円の菓子箱が渡される。
まずお菓子の値段が決まる(どれも同じになる)。
値段相応の箱の大きさ
(総プレイ時間とか遊びの要素の種類)も
なんとなく相場みたいなものがあるので、
値段とともに大きさも決まる(どれも同じになる)。
あたかもゲームが生まれたときから
決まっているルールか宿命みたいに、
当たり前のように、
まず5800円の空菓子箱が渡される。
そして、
「5800円も出して、
こんなガラガラの菓子箱じゃ誰も買わないよ」
という意見によって、
本来作りたいモノ以外のお菓子を
詰めなくてはいけなくなる。
中には、
「クッキーの入っていない菓子箱なんてありえない」
みたいな言い方をする人までいて、
例えメインが和菓子とかで、
クッキーが合おうと合わなくても、
無理矢理クッキーを入れなくてはならなかったりする。
こういうことがどーなのよというか、
違うんじゃない?って話だ。

こうなると、
おいしそうなショートケーキを生み出したとしても、
出せないってことになる。
ショートケーキだけじゃあ
5800円の菓子箱はいっぱいにならないので、
クッキーもチョコも入れなきゃいけないことになってしまう。
こうするとこの菓子箱のフォーカスがぼけてしまう。
せっかくショートケーキ4個なら1500円で出せるのに、
クッキーやチョコを入れたため、
5800円分のコストがかかってしまう。
一方、買う側は、
ほんのちょっとケーキが食べたいと思っても、
5800円のセットを買わなくてはならない。
財布も厳しいし、
そんなにたくさん食べたくないし、
ましてや、クッキーもチョコなんていらない。
って思い
「そんなんだったら、買うのがまんする」
ってことになる。
これが今のゲーム離れの1つの大きな原因じゃないのか。
ってことだ。
お菓子に飽きたんではなく、
5800円もするピントのぼけたボリュームだけある
お菓子なんて食べたくないってことでないのか。
ということだ。
この仮説が正しかったら、
まだ「策」があるねなんてことを話した。
もちろん、「安売りのお菓子」っていうのは不正解。

ps:
これは無罪だな(笑)


2004/03/19(金)
祝:日本サッカー

祝:日本サッカー。
Jリーグはあいかわらず興味ないけど、
日本サッカーはかっこいいなぁ。
みんなおしゃれだし、かっこいいし、強い!
ビールがけじゃなくって、
ミネラルウォーターかけってあたりもなにげにおしゃれだ。

これじゃあ、ますます野球は人気がなくなるな。
日本の野球はすごく強いはずだけど、
ああいうナショナリズムを刺激される
感動ってのがないのが残念だ。
(野球自体が世界的には、
マイナーなスポーツだってこともあるが)

宇宙の加速度的膨張とコンピュータの
HDD容量の増大の類似性を指摘する人は多い。
近年もっともホットな理論「膜宇宙理論」では、
我々の宇宙は11次元(あるいは12、26次元)の
膜上にあるとされるが、
膜とディスクってのも何かしら形的に類似性を感じる。
さらに、「膜宇宙理論」では重力(だけ)は膜を浸みだして
他の宇宙に干渉するといわれるが、
これもハードディスクの磁気干渉との類似性を感じる。
また、他の3つの力および物理法則は、
各宇宙毎に違うと予測されているが、
これはディスクに描き込まれたアプリとかOSとか、
そういうったものに近いかもしれない。
なんて考えると、ますます、
我々は神様が作ったゲーム上のキャラで、
自分たちが存在している宇宙(HDD)の
特性を調べられるまでに
進化したのかもしれない。
という思いが強くなる。

友達からのメールでこんなイベントがあると聞いた。
こういう遊びをしてもらえると、
作り手としてはとてもうれしい。
めずらしく?Yプロディユーサーもよろこんでいた。
やっぱり、ただの受け身的な、
あるいは消費されるだけのゲームより、
こうして一緒に作り手になって遊んでもらえる
ツール的なゲームの方がおもしろそうだ。


2004/03/17(水)
もろもろ

花粉症だ、花粉症だ、
でも今年は軽いかもぉと思っていたら、
風邪だった。
こんなに暖かな日が続いているのにいつ引いたんだろう。
っていうか、ほんとまぎらわしい。

BSでイギリスのウナギのパイの作り方をやっていた。
ウナギを輪切りにして、
塩とハーブを入れたお湯でボイルする。
皮と骨を取り除き、塩コショウして、
パセリをたっぷりきかせた牛スープをかけ、
パイに包んでオーブンで焼く。
実にまずそう!
作る過程を見ていて、
なんとかしないと!(何か入れないと)、
このままじゃ、
おいしくなる余地がないぞと思っているうちに終了した。
さすがイギリス料理。
ふかしただけのジャガイモが
一番おいしいと言われるだけのことはある。
世界征服が何にも役に立っていないのだ、彼らは。

鳥インフルエンザウイルス感染防止のため、
窓のない鶏舎で飼い、
頻繁に消毒をすることが推奨されている。
って、なんかすごく微妙なんだけど。


2004/03/16(火)
30年前ブーム

先週やその前「ちょっと出てくる」と行って、
『クラフトワーク』と
『デビット・ボウイ』のコンサートに行って来た。
(行きたいと思っているとチケットの方から来るのよねんと
誰に言い訳しているんだってのー)
会場で配られているチラシを見ると、
来日予定のアーティストに
『キッス』、『エアロ・スミス』、
『ディープ・パープル』などの名前が並んでいた。
いったいいつの時代だってーのー。
映画でも『鉄人28号』、『キャシャーン』、
『デビルマン』、『大魔神』なんてのが作られているし、
名前は出せないけど、30周年目のアニメが復活するので、
それを使ったゲームを作って欲しいなんていう
話がうちに来るくらい、
リバイバルブームというか30年前ブームだ。
音楽もそうだし、マンガもそうだ。

全く当たるか当たらないかわからないものより、
「実績」のあるモノのほうがリスクが少ない。
かといって「古い~っ」と言われるモノではまずい。
古いならいっそ30年くらい経つと、
若い人には新しいモノとして見える。
そういうリバイバルの法則(迷信?)を
当て込んでの戦略なのか、
30代以降の「大人買い」人種を期待してのことなのか、
ネタ切れなのか、温故知新なのか、
日本がもっとも元気があった70年代への懐古からか、
よくわからないけど、
しばらくどこもかしこもそーなりそうだ。
1ファンとしてはありがたい話だけど、
過去の全てのヒット・アイテムがライバルとなるわけだから、
クリエイターはたまったもんではないだろう。

そんなことより、質量を生み出す(ギミック?の)
「クォーク凝縮」の存在が確認された。
これって「エーテル」に近い考え方っすねとか、
この場合、ヒッグス粒子ってのは
どーなってしまうんでしょうか?とか、
ちかいうちにモノ・ポール粒子も
発見されてしまうのではないかとか、
ボクとしてはそっちのほうが大変な問題だ。


2004/03/15(月)
ブログに残すわけ

ぼくは着メロを使わないのであれだけど、
着メロに自己主張をのっける人の多いこと、多いこと。
曲もそうだし、音量もそうだ。
着メロには、その人のセンスや主張や
社会性みたいなものがよく出るのでおもしろい。
こうなるとデフォルトのセッティングをしている人でさえ、
そういうことに
こだわらないことにこだわっているように見えてくる。
そんなもんだから、たいていの曲や音では驚かないが、
今日聞いたキングクリムゾンの『レッド』には驚いた。
おばさんだったのにも驚いた。
経緯も背景も読みとれない、
センスも主張も社会性も解析不能だ。

会う人事に「みんな反対だったんだってね」と心配された。
同じような立場の知人友人が多いから、
その会議の凍りついた空気(笑)がどんなんだか、
ある程度想像ついたんだろう。
そういえばその会議の席上、
(竹村健一が「全員賛成ならやめてしまえ」って言ってたけど、
全員反対ならどうしろというかなぁ)
とかふと思った。

「成功はその人の財産であり、失敗はみんなの財産である」
という言葉が好きなので、
自分の失敗はなるべく忠実にブログに残そうと思っているとか、
記憶の中の怒りや悲しみは、
時間とともに劣化してしまうものだから、
(もったいないから)ちゃんと記録しておきたいとか、
ずっと先に読み返したときの楽しみにしたいとか、
愚痴をいって清々したいとか、あわよくば同情を買おうとか、
いろんな思いで書いているので、
関係者のご迷惑は勘弁して貰おうと思っている。
(理屈になっていない)

そういえば、第三者による「査定」は、
おおむね「評価不能」ということで終わった(笑)。


2004/03/12(金)
気の重い一日

ムームーの入っているマンションの管理人さんが、
「おたくに毎日届いているアマゾンって(小包)何なの?」
と不審がっていたそうだ。
PCとかインターネットとか通販に関係ない人って、
アマゾンっていったら南米のあれくらいしか
思いつかないだろうから、
不思議だろうなぁ。
っていうか、「毎日」ってあたりがか、、、。

さて、今日は気の重い一日だ。
先に「おもしろくねぇ」と言われたプロジェクトを
第三機関にも判断してもらうという日だ。
基本的には正しい手順だと思うが、その実は怪しい限りだと、
すでに機嫌が悪いボクと、
1つでも有用な指摘をもらえればありがたいと思うべきと
謙虚に構えるボクの二人がいる。
批評が出た後にあれやこれやいうと
負け惜しみやひがみに思われるので、
先に言いたい放題言っておこう。

おもしろい、おもしろくないというのは主観であるので、
どちらも理屈で相手を納得させるのはむつかしい。
ということで、第三者の意見を聞こうというわけだ。
これは正しい。
ただし、その第三者の定義というか質が問題だ。
本来ならユーザーの意見というのが一番いいのだが、
機密保持の問題から、
開発段階でそういう機会を作るのはむつかしい。
結果、ゲーム評論、解析を専門とするプロ集団に委託される。
こうした組織は幾つもあって、
たいがいのソフトは一度はどこかの査定を受ける(たぶん)。
そしてどの組織も制作者には評判が悪い。
当然だ。
だいたい悪口しか言われないからだw。
7割はただしい悪口(指摘)であるが、
3割は悪口のための悪口だ。
(たぶんに制作者よりの意見だが、制作者だからいいのだ)
悪口のための悪口というのはどういうことかというと、
どーいうわけだか、
ほめるよりけなすほうが、きちんと査定しているように見える。
評価するより批判する方が厳密に調査し、
判断しているように見える。
辛口の批評をするほうが、するどいように見える。
パブリッシャーも批評する者もはそう考えがちだ。
(ゲームに限らず、雑誌などの映画や小説批評でも、
そういう姿勢の批評をよく見る)
だから、ちゃんと評価しているように評価して貰うためには、
ネガティブな評価になりやすい。
そういうことだ。

さらに、
ゲーム大好き少年のゲームしかやってこなかった「目」と
今日現在の売れ筋情報程度のマーケッティングから
算出される批評というものの「質」にも問題がある。
(保身のためにw言っておくと、こうした見方は、
ぼくだけではなく、制作者側ではごくごく一般的な見方だ)

また、そうした「質」の問題がなかったとしても、
何度も書いているように、
1年後の売れ筋なんて誰にもわかりはしないという問題もある。
社風に合う、合わない、
今後の方針に合う、合わないという査定ならできると思うが、
売れる売れないという査定なら無意味だ。
こうした査定の背景には、
1年後の市場のマスなユーザーがいる場所は決まっているはず、
決められるはずという幻想がある。
関数を解くように、的確な引数を代入すれば
正確に算出できるはずと言う幻想だ。
しかし、どー考えたってそんなものはありはしない。
蛇行するユーザーの嗜好の1年後を
予測するなんてことは不可能だ。
じゃあ、打つ手はないかというとそういうわけでもない。
1年後にこの場所に来て欲しいとユーザーを
先導することはできるはずだ。
好きな言葉じゃないけど「啓蒙」だ。
自分たちの得意とする場所、
これからここで遊んで欲しいという場所に
ユーザーを呼び込む。
そういう作戦なら可能性はありそうだ。
1年後のユーザーがいそうな場所にキャスティングするより、
あるいは、
今の場所に1年後もユーザーが
いますようにとキャスティングするより、
撒き餌をして1年後に自分の都合のいい場所に来てもらうほうが、
うんと合理的な考えのはずだ。
そして、どんな場所にきてもらいたいかが明確なら、
自ずと作るべきソフトの方向性も明確になり、
ソフトが撒き餌として効力があるのかどうかの査定なら、
精度の高い査定もできそうだ。

7割の正しい悪口は、役に立つことも多い。
謙虚に受け止めるべきことも多い。
善処できることも多い。
が、パブリッシャーには「点数」だけしか目に映らないので、
イイ悪口も悪い悪口もなく、
ただ「点数が低い」とだけ受け止められる。
「面白いソフト、やりたいと思うソフトが出ない」
原因の一つにこうした姿勢がある。


2004/03/11(木)
8円

なんと今月の固定電話の通話料は8円だった!
(先月はたしか24円)
全然使ってない!と驚くよりは、
むしろ、8円分の通話はなんだったのかが気になる。
それはそうと、通話料は8円なのに、
回線使用料=1750円、
プッシュ回線使用料=390円、
消費税=107円で、利用料金は2255円。
8円の通話のために2255円、、、
これはどー考えたって理不尽だ。
それでなくても電話なんてしないあたし、
どーしてものときも携帯電話を使う。
インターネットもNTTじゃないとこの光通信だし、
ほんと必要ない(実際に使ってないし)。
じゃあやめればと言われそうだが、
通販では未だに登録時に電話番号登録で
「携帯不可」のところが多いし、
役所関係の申請もたしかそうだ。
それにスカパーのペイパービューの
購入手続きも固定電話のみだ。
(あ、今月の8円はそれだ!)
しっかし、毎月2000円年24000円も
NTTに寄付しているなんておもしろくない。
なんか、いい方法はないもんだろうか。

携帯電話フォーマ901iシリーズは、
ゲームが充実しているみたいだ。
最初の『ドラクエ』が遊べるんだったら、
ちょっとほしいなとか思ってしまう。
携帯電話は、スペック上の理由から、
古い時代のゲームを移植している。
これが、
今の大盛りすぎなゲームに飽き飽きした、
あるいはついていけない「先祖帰り」的ユーザーの嗜好に
(偶然)マッチしてしまうかもしれない。
(任天堂が出したファミコンもそれなりに売れているらしいし)
ただ、それでも過去のコンシューマ
あるいはアーケードゲームの移植は、
違うなと思っている。
なぜならば、過去のそうしたゲームは、
十字キ+A、Bボタンで遊ぶことが前提となって設計されている。
特に初期のボタン数が少なかった時代のゲームは、
このコントローラーの使い方ということにとても注意を払っていて、
コントローラーで遊ぶことに最適化された遊びになっている。
(余談だけど、最近、そこらじゅうで、
この十字キーとボタンで遊ぶという遊び方が、
もう尽きている、あきられているんじゃないか、
そうでない「いじりかた」を提案しないと
ダメじゃないかと力説しているんだけど、
あまり感心をもってもらえない)

携帯電話でゲームをやっているときの、
今ひとつピンと来ない感じは、
処理や反応速度の悪さよりはこの問題の方が大きいと思う。
そういうと、
RPGなら片手で遊べるじゃないかという言われるかもしれない。
しかし今度は遊ぶに必要な時間が間違っている。
昔のRPGのように気が付いたら徹夜していたとか、
1つのダンジョンをクリアするのに2時間とか、
そういうレベルの時間は、携帯電話にはフィットしない。
つまり、現状のような安易な移植は違っていると思う。

短時間で且つ片手で遊ぶことを前提とした、
演算処理の軽い、メモリーをあまり必要としない、
そうした新しい遊びじゃないとダメじゃないかな。
あと、キャリアーの「検閲」と「許認可」。
これは大きな問題だと思う。

これまた関係ないけど、自分用のメモとして。
名前忘れたけど、直木賞だかなんだか取った小説家が、
「小説の中だけにしか存在しないような女性は書きたくなかった」
と言っていたのを聞いたとき、
なんかいいヒントをもらったような気がした。


2004/03/10(水)
アミノ・ハッピー

超音波歯ブラシに変えた。
まだイイとも悪いともわからない。
なぜならばさすが超音波。
全く聞こえない、感じないのだ。
壊れていてもわからないくらい
何が起こっているのかわからない。

超音波は歯垢を落とす以外に、
虫歯菌(の連鎖)を破壊するという効果があるらしい。
虫歯菌が逝ってしまうのに、
口内の細胞は大丈夫なのだろうかとふと思う。
超音波やら電磁波をこんなに浴びることを
神様は予想してぼくらを作っただろうか?
一応、各アイテムの超音波や電磁波は、
出力が小さいので大丈夫となっているが、
複合したときの「うねり」のエネルギー量も
ちゃんと計算に入っているんだろうか。
などなど、一応心配ぶってみるが、
合成着色料、合成甘味料世代のボクらにしてみれば、
おまけみたいな問題だ。

ちょっとお値段のはる日本茶を買った(もちろん通販で)。
値段が張るといっても、お茶の世界では下も下なのだが、
おいしい。
こんなことで幸せになってしまう自分って、
小さい!と思いつつ、おいしい日本茶は甘い。
甘いと感じるのはアミノ酸がたっぷり入っているからなので、
このアミノ酸が幸せな気分に
してくれるんじゃないかなどと考察する。
イノシン酸(動物性アミノ酸)をとると、
脳内に快楽物質が分泌されるといわれるが、
日本人の場合はイノシン酸に限らずあらゆるアミノ酸で
ハッピーになるんじゃないのかな(醤油とかでも)。
アミノ・ハッピーだ。

ここ『人間風車』ではなんどでも同じ事を書いている。
だいたいは前に書いたことを忘れている
(書いている内に思い出すこともあるけど、
そんなときは、めんどくさいのでそのまま書き続ける)
なんども書くことはそう悪いことではない。
書く毎に頭の中が整理され、気持ちも平らになっていくからだ。
また、自分にとって、重大事項であることも認識できる。

無口な人間(自分を含む)は、
考えることと語ること、書くことを同じ事だと錯覚しやすい。
でもこれは間違いだ。
頭の中でいくらしっかり考えているつもりでも、
頭の中だけでは、実はかなりいい加減で、
つじつまの合わない考えであることがほとんどで、
アイデアレベルのまとまり具合だ。
(天才は違うのかもしれないけど)。
書いたり、話したり、ともかく第三者に伝えようとすると、
ちゃんと伝わりたいとか誤解されたくないとか、
バカだと思われたくないとか間違って恥をかきたくないだとか、
もてるようにだとか、金になるようにだとか、
いろいろなアングルからベリファイするので、
それなりにきちっとした構造体を持つようになる。
ただし、このことと、
考えている内容の「質」とはなんら関係がない。

それはそうと、ちゃんと校正しないとダメだなとは思った。
いつも書くとすぐ、
読み返さないまま捨てるようにアップしてしまうので、
誤字も脱字もコピペミスも矛盾も解釈の間違いもいっぱいだ。
これがデフォルトだと思われるのもヤバイので、
ちゃんと校正しよう、したい、、、できるだけ心がけよう。


2004/03/08(月)
こっちに来てみませんか

新日プロレスの放送時間枠がまた縮小される
この記事にも書かれているが、
こうした事態になっても選手に危機感がないというのは、
何となく理解できる。
ここんとこ、
縁あって2回ほど新日プロレスの試合を見に行ったけど、
盛況なのである。熱狂的なファンがつめかけているのである。
彼らは今まで通りのプロレスのスタイルを歓迎し、
それを求めている。
この「生のリアクション」が、視野をくらましてしまう。
このリアクションがある限り大丈夫と安心してしまう。
しかしそれは、
残されたごく一部の「濃い」ファンの反応であって、
外の世界の大きなもっと観客の動向はもっと違うものだ。
「生のリアクション」の快感が、
そうした客観的な判断力を鈍らせてしまう。
これは怖い。
外がそっぽを向けば向くほど、
小さなコアユーザーの要求に合わせていくようになる。
そこに頼らざるを得なくなるからだ。
そして、さらにコアユーザーを凝縮していく。
このブラックホールに向かうスパイラルが怖い。

なにもプロレスの世界の話だけではない。
どこの世界でもコアなファンはとても大切な存在であるけど、
彼らの方ばかりに目を向けていると大事なものを見失う。

一方、世の中のニーズに合わせるということが、
いいことなのかというとそれはそれで違うような気がする。
「そっちに行きます」というすり寄っていく姿勢は、
逆にユーザーに見透かされてしまうと思う。
むしろ「こっちに来てみませんか」
という姿勢のほうが頼もしく感じてもらえるはずだ
(受け入れてもらえるかどうかは別問題だけど)。

たとえ、どちらが正しいかは言えないとしても、
少なくともゲームの場合は、
今現在のニーズに合わせることは無意味だ。
なぜならばゲームの完成には1年以上かかり、
現在のニーズが1年後にもそこにある可能性は低いからだ。
世の嗜好の変化の速度は年々アップしている。
ならば、顕在的な需要ではなく
潜在的な需要を呼び起こすほうが得策と思える。
こういう遊びはどうですか?という
「こっちに来てみませんか」的戦略の方が有効だと思えるのだが、
あらかじめ結果が見えないというだけで却下される事が多い。
しかし、この時代、
一体誰があらかじめ結果が見えるというのだろうか。


2004/03/05(金)
全員反対

全員反対。
「おおっ」あまりに予想外の反応だったので、
腹が立つとか落胆するとか悲しいとかいうよりも、
某プロジェクトの評価ミーティングで、
パブリッシャー側全員(5人)がノーの反応だった。
ある意味、すごい!(笑)
僕らの作るゲームは、必ず賛否両論になり、
全員絶賛ということはまずない。
しかし、逆に全員からダメだしされることもなく、
どういうわけだか、
たいがい1人2人、強烈に支持してくれる人が出現して、
その人の熱意でプロジェクトが
なんとなく「じゃあ、いいんじゃない」っていう
方向になるってのがうちのノリだった。
「たで食う虫も好きずき」ってことだよなぁと思ってけど、
例外もあるのね。
っていうか、今までが奇跡だったのかもしれない。

好き嫌いは、主観の問題なので、
どちらが正しい間違っているということはない。
好きな人もいれば嫌いの人もいる、
なんでもそうであり、
逆に、どっちか一色になるほうが気持ち悪いし危険だ。
肝心なのは、
トマトを好きな人とトマトを嫌いな人は、
一緒に食事に行かないということだ。
出かける前に確認が必要であって、
いざ、料理がテーブルに運ばれてきた時点で、
「ええ、そうなの」となるのはお互いが不幸だ。
ぼくらの作るモノは、
好き嫌いがはっきりわかれると自覚しているので、
作り始める前にそこらあたりには、
十分に注意を払っていたつもりなのだが、
どこでどう間違うのか、
こうして「ええ、そうなの」状態になってしまうことがある。

「さてと困ったなぁ」と思いつつ、
「ああ、この会社は減点法のミーティングなんだ」とか、
「そうか、ぼくらは『作家ゲー』と呼ばれているんだ」とか、
「今売れているモノを絶対評価とするなら、
(話し合うまでもなく)
今売れているモノと同じモノを作るのが
最適解と決まっているのでは」とか、
一人だけ「膜の外」にいるかのように
会議を傍聴していたのだった。

ともかく、
ぼくらは「トマトがいいんです」と曲げるつもりはないので、
「そんなんは食えん!」となるのか、
「まあ、料理を注文してしまったことだし」となるのか、
どーなるのものなのか、今後の展開が楽しみだ(笑)


2004/03/03(水)
片手モード

あと3時間もすると起きる時間だ。
僕ら的には、朝一の打ち合わせというのは
午後3時からの打ち合わせを意味するが、
たまあに、世間一般標準的朝一の
打ち合わせというのに出ないといけないことがある。
これが辛い!(笑)
たまにいく温泉宿の朝ご飯タイムと同じで、
まだいつもなら寝入ったばかりの時間だ。
食べるのも考えるのも話すのも、
起きているのさえ辛い時間帯なのだ。

20万匹のニワトリが殺され、埋められる。
ウイルスに感染していようといまいと、
他の地域に伝染しないように殺される。
かわいそうというよりもったいない。
何故って、
殺されるニワトリの何割かは、
絶対にウイルスに感染しないニワトリに違いないからだ。
どんな病気でもそうだが、どういうわけか、
その病気が発生する前から、
それに対する抵抗力を持つ個体が存在する。
(人間だって、AIDSにならない人たちがいる)
ニュース映像でも死屍累々たる鶏舎の中で、
ひょうひょうと
エサをついばんでいるニワトリの姿が見られる。
感染しないというのは、
そういう遺伝子をもっているということだ。
こうした抵抗力を持つ個体は本来保存し、
その子孫を残すべきだった。
(もちろん、そんな悠長なこといっていられないくらい
ヤバイ事態ではあるのだけど)
そういう抵抗力のある子孫だけで立て直すべきだった。
なぜなら、
人工的にこうした遺伝子を作り出したり見つけるのは、
とても大変な作業だからだ。
そういう意味では、不謹慎ながら、
今回はイイチャンスだったともいえるわけだ。
そうすればこの先、
ウイルス予防のために、多量の抗生物質や化学物質の投与や
強力な殺菌消毒という、
さらにやっかいな弊害は回避できたかもしれない。

今のプロジェクトの担当ディレクターM譲が、
「これって片手モード入りますか?」と聞いてきた。
片手モード?聞いたことがない。
どうやら、携帯ゲーム機を片手で操作するできるように、
A、Bボタンの機能をLボタンに割り振るモードのことらしい。
こうすれば、十字キーとLボタンだけで遊べる、
つまり、
携帯ゲーム機の左半分だけで操作できることになるので、
片手であそべるらしい。
なんでこんなモードが必要なのかと聞いたら、
電車で吊革につかまってもできるとか、
片手に食べ物を持っていてもできるからとか、
電話しながら遊べるとか、
そういう「片手間」に遊べるからだそうだ。
これを聞いて目からウロコが墜ちた。
ゲーム機はもう居間にあってもしようがない。
とは確信しているけど、
持ち歩けるだけでは不十分だったのだ。
片手で遊べてこそ、携帯ゲーム機なのだ。
携帯する遊びとはそういう意味だということなのだ。
これを
「両手で遊んだ方が便利、機能性が高い」
なんてアングルで反論すると本質を見失ってしまう。
遊びである以上、利便性より気軽さが優先される。
っていうか、気軽さという精神的利便性が最も優先される。
携帯電話での遊びが流行っているのも、
PCより携帯でメールを打つようになっているのも、
たしかに、片手でできることが大きな要因のような気がする。

今は、だれもが時間が足りない。
1つの行事が多くの時間をうばっていけないのは当たり前で、
さらに、
同じ時間を違う行事が
シェアしないといけない時代なのかもしれない。
そのためには、ゲームをしているときも、
もう片手は空けておかないといけないのかもしれない。


2004/03/03(水)
完パゲ気分

なんかすっかり完パゲ後の気分になっているけど、
ふと現実に戻れば、まだアルファ版が終わったばかりだ。
この後、ベータ、マスターとさらに厳しい関所がある。
しかも夏前に、、、
っていうか、その前にこのアルファ版でもって、
プロジェクトをこのまま進めるかどうかの審判がなされるので、
場合によって突然の春休みになるかもしれない(笑)

アルファ版になって、
ようやくこのゲームのおもしろさが見えてきた。
例によって世間に受け入れられるかどうか、
全くわからんタイプの「おもしろみ」だけど、
早く(完全版で)遊んでみたくてしようがない。
そしてこれまた例によって、パブリッシャーから
「これは一言で言うと何ゲーですか?」との質問。
一言でいえば、、、そりゃあもう、、、わからん。
毎度毎度同じ事を聞かれるので、今後は、
「そりゃもおう、ムームーゲーです」
と答えることにしようか。
ちなみに、
今度のゲームもゲーム誌では
間違いなくETC扱いとなるだろう。

それにしても眼球疲労からくる目のけいれんが止まらない。
右目が勝手にプルプルして、
うっとうしいったらありゃしない(笑)。
でも、こういう体の故障って名誉の負傷みたいで、
体はって仕事してる感があってそれはそれでよろしい、
などと格闘家みたいな気持ちになっている。

 ●
G5に合わせてPainterをバージョン8にした。
が、どーしてもブラシ・セッティング(筆のセッティング)が
思うようにカスタマイズできない。
今メインで使っているCubeでのPaiter6のブラシ・セッティングは、
究極までカスタマイズしてあるので、
自分の手の延長のように働いてくれる。
このカスタマイズ情報は、ぼくにとって、
ラーメン屋の秘伝のスープのレシピなみに重要なデータなのだ。
(家と会社4カ所にバックアップしてあるくらい)
このデータをそのまんま移植したのにうまくいかない。
それもそのはずだ。
アプリのバージョンも違うし、マシンスペックも違う。
そのままのセンサー感度とかインク補給量とかじゃあ、
うまくいくはずがない。
計算ではちょちょいと修正すればなんとかなるはずだったのだが、
最初の一筆のときのにじみ具合、最期のかすれ具合、
前に塗った部分との混じり具合、
色の粘り(そんなパラメータないけど)が、微妙によくない。
パラメータの数値入力を1とか2じゃなくって、
1.24とかそういうレベルでチューニングしたい、
そういう感じだ。


2004/03/01(月)
ずっと仕事

今日3月1日が本アルファ版の納品日だ。
いつもなら風呂上がりに書く
「人間風車」も今日は会社で書いている。
土日も昼夜もありゃしない。
午前11時納品なら、昼飯後の午後1時でも同じだろう。
夕方までに間に合えば、
「今日中」と胸を張っていえるのではないか、
とか、そういうレベルのことを考えている時間だ。
午前11時納品なら、昼飯後の午後1時でも同じだろう。
夕方までに間に合えば、
「今日中」と胸を張っていえるのではないか、
とか、そういうレベルのことを考えている時間だ。

いなきゃいけないほどではないけど、
いたほうがいいのでいるのだけど、
いてもほとんどなにもすることがなく、
1時間に1回程度「どうしましょう?」という打診に
「こうしましょう」と決断するくらいの仕事しかしていない。
というわけでiTunesで延々エンコードしながら、
これを書いているわけです。
っていうか、まだ1/5くらいしかエンコードしてないのに、
データ量が10GBを超えた。
40GBに収まらないことは必至なので、
あわててCDの選択をはじめた。
orbとかblur、808、system7、tahitiあたりが犠牲になりそう。

その片手間に「四柱推命」の「計算方法」が書かれた本を読む。
四柱推命とは、
生まれたときの年、月、日、時間の4つの「柱」から、
その人の今日の機運を測定するという占いで、
女性には人気の占いらしい。
コンピュータで計算すれば、
やっかいな日付の誤差修正も厳密にできる、
だから占いこそコンピュータの力が必要という趣旨の本なのだが、
あらゆる占いを信じていないボクは、
日付の厳密さと占い自体の曖昧さのバランスが、、、
とつっこまずにはいられないのだが。
じゃ、なぜ読んでいるかというと、
それはまだ言えない。

まわりでorkutがはやっていて、
ちゃんとプロフを更新せよとか、
友達を増やせとかうるさい(笑)
友達は少ないに限る。
と考えるボクには、
自分の「友達の輪」を作ることにはあまり興味がないが、
友達の友達から先何ステップで、
全く知っている人のいない世界に飛べるかとか、
そして、その全く知らない、
しかし少しだけ縁があるその集団の求心力は何なのか、
それぞれのプロフをみながら、
あれこれ想像するのもおもしろい。




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