人間風車

2004/05/28(金)
青木ヶ原樹海で迷った

「トロントの禁煙」
屋内前面禁煙条例ってのは、
もう珍しくも何ともないっていうか、
世界の常識になっているけど、
トロントの喫煙はニコチン以上に危なそうだ(笑)

誰かが言っていたけど、
テレビと新聞の違いは「リピート数」だと言っていた。
なるほど、
新聞で報道するのは1回限りだけど、
テレビは朝のニュース→ワイドショー
→夜のニュースとなんども報道する。
この回数が問題だ。
リピートの回数が多い=ことの重大性というのは、
それなりに正しいので問題がないが、
誰かの発言を何度もリピートすると、
発言内容が重要だというイメージより、
その人がなんども(いつまでも)同じ事を口にしている
というイメージになりかねないところが危うい。
たとえ正論であっても、
なんども報道されることで、
くどいとか執念深いとかウジウジしているとか
いうようなイメージに変容していく。
イラクや北での拉致で被害者が、ある時期を堺に急に
苦情が寄せられる対象になるっていう現象の一因は、
このリピート数の問題だといえる。

どーせ週末も仕事だし、来週は天気崩れるというしと、
思い立って青木ヶ原樹海に行って来た。
で青木ヶ原樹海で迷った。
東海自然道からちょっとずれたら、
あっと今に右も左もわからなくなった。
(方向感覚には自信があるほうなんだけど)
そんなに広くはないはずだから直進しさえすれば、
どこかに出るはずってのはわかっているのだけど、
溶岩と穴と木でまっすぐに歩けないのがくせ者だ。
町中でも同じだけど、
微妙に曲がっている道を歩いていると方向感覚を失う。
おまけにどこも同じ景色。アイキャッチがない。
道に出たいという思いが、
道でない自然地形も道に見えさせてしまう。
そちらに進んでしまうとさらに蛇行してしまう。
季節も良いし、
時間も十分あるので命に及ぶような危険は感じないけど、
それでもあまりいい気はしなかった。
水がない、Tシャツ姿、ライトもない。
もし遭難して誰かに助けてもらったら
<ハングライダー女性のように迷惑そうに
報道されるんだろうなぁとか、
そんな心配をしながらもプチ危険を楽しんでいたんだけど、
時刻をしろうと携帯を見たら、
電波が届くのがわかってガッカリした。
青木ヶ原の樹海の中で携帯がかけられるなんて、
(さすがにど真ん中あたりはダメだったけど)
夢もロマンも危険もないじゃないかぁと。
(でもしっかりmixiのブロッグに揚げといたけどね)
というわけで、
電波強度を頼りに(強まる方に)移動していったら、
すんなりと出口に出られた。

でも、季節や時刻によってはやっぱりヤバイ場所なので、
よい子のみんなは、決められた遊歩道だけを歩くように。


2004/05/26(水)
おとぎ話

晴れた日は、庭先でネコのブラッシングをしているんだけど、
抜けたネコの毛はそのまんまそこらにほっておいてあった。
いつかもっと溜まったらまとめて捨てようと思っていたが、
案外溜まらない。
きっと風ででも飛ばされたんだろうと思っていたら、
今(朝の6時)、理由がわかった。
なんと、すずめがくわえて持ち去っていたのだった。
以前パンくずをやったお礼、なわけはないので、
きっと巣の材料にでもするんだろう。
 ●
誰かが書いていたけど、
「人間(やモノ)は2つのタイプに分類できる」
という言い回しによく出くわすが、
これ何かイヤ。って感覚はすごくわかる。
 ●
ホントは昆虫の本を読んでいないといけない
タイミングなんだけど、
すっかり「おとぎ話」にはまって、
寝る前に1話は読まないと気が済まない生活になっている。
ケルトやアイヌ、
アメリカン・ネイティブの民話なんていわなくても、
日本にも知らない「おはなし」がゴロゴロしているし、
知っていると思っているお話も、
原典は全く違ったお話だったりする。
そのどれも、びっくりするくらい発想が飛躍していて、
驚くやら感心するやら心配するやら
(今更、作者を心配しても仕方がないんだけど)。

河合隼雄のように、「おはなし」の中に
人間性原理を見つけだすみたいな高尚なことはできないけど、
西洋(キリスト教圏)と日本の文化の違いは、
簿~っと読んでいても、すごくよくわかる。
さらに、昔の日本と今の日本の度量の
差みたいなものもよくわかる。
日本は着実に(精神の面では)
ダメになっていることがよくわかる(笑)。
おとぎ話の原典のほとんどは、
投げっぱなしジャーマンで起承転結なんてありゃしないし、
残酷で無慈悲で狂ったエピソードも多い。
どうやら明治以降、そういう毒を子供に読ませるのは、
どんなものかということで、
今のような安全無菌な話に改ざんしてしまったようだ。
物語の残酷性とか殺意を隠すということは、
イコール、自分の中の残酷性とか殺意に
気が付かないようにしようということにつながる(by河合隼雄)。
そのことが、かえって残酷さや死の実体感を失わせてしまう。
それが昨今の残虐な事件の一因になっていることは
間違いないはずなのに、いまだに
マンガやゲームの残虐なシーンが、子供に悪影響をあたえ、、、
なんてマジメに語られているのが怖い。
むしろ、
小さい時期に怖い、切ない、やりきれない
おとぎ話を読ませないとダメだって話だ。
ゲームは、自分の経験や金のためにバンバン生き物を殺したり、
勝手に人ん家のタンスを開けたりするのはいいが、
登場人物は夢と勇気を持ち合わせた
竹を割ったような性格のヤツばかりだし、
最期は必ずハッピーエンドなので、
殺意や裏切りや嫉妬や差別など、
人間(=自分)の暗い一面や人智を越えた運命を
見せてあげる(自覚させる)と、モアベターだと思う。


2004/05/25(火)
ニア・ゲーム

今、うちにくるリクエストはまっぷたつだ。
一つは
「ゲームじゃない企画にしてよ」
であり、もう一つは、
「もう少しゲーム性足せませんかねぇ」
である。
飲み物でたとえれば、水かジュースを要求されているわけだ。
が、残念ながらボクがやりたいのは、
ニア・ウォーターつまり、
ポカリスエットに代表されるスポーツドリンク系だ。
これをどー表現すればいいのだろうか。
ライト・ゲームというのもミニ・ゲームというのも、
違うというかイヤだし、
プリでもプチでもポストでもアンチでもアナザーでもないし、
ニア・ゲームかミドル・ゲームか、、、
なにかいい言葉がないものか。
(意外とそういう言葉から市場が育っていくってこともあるから)

ゲーム機を自販機、ROMをペットボトルや缶にたとえると、
中に入れる飲み物はどれだっていいじゃないかという考え方になる。
しかし、こういう考え方が広まったのもここ20年くらいのもので、
一昔前には、冷たいジュース以外は存在しなかった。
UCCが暖かいコーヒーを出したときも、
藤園が日本茶を出したときも、
大塚食品がポカリスエットを出したときも、
だれもが
「自販機で飲み物を買う人なんて、そんなものを求めていない」
(そういう人は自分で入れたり、店にいく)
と言っていたそうだけど、
大ハズレだったのは言うまでもない。
っていうか、すっかり形勢は逆転してしまっている。

こうした構図は、
そのまま格闘技の世界にも当てはまるのがおもしろい。
新日、全日プレロスがすっかり人気をなくし、
K1,プライドのシュート系格闘技がもてはやされている。
(でもホントにおもしろいのは、UWF系の戦いなんだよねぇ)

ゲームの世界の世界もまたしかり。
あいかわらずジュースが作られ続けている一方で、
そのジュースの売れ行きがにぶったため、
「これからは、水だぁ!」と叫んでいるところもある。
(まだそういうソフトは出てきてないけど)
「振り子は両端に揺れる」という言葉があるので、
この先は、この両極端のタイプが出てくるのだろうか。
ともかく、そのどっちにも当てはまらないソフトは
むつかしいというのは確かなような気がする。
でも、ホントはどっちの極端でもないんだと思うんだよ、あっしは。
水もいいけどさ、ジュースもいいけどさ、
毎日となったら、あるいはちょっと刺激が欲しいと思ったら、
ちょうどイイのはスポーツドリンク系だと思うのだが。

田村潔みたいに意地を見せるか。


2004/05/24(月)
MIXI

往年のマックSE+system7がブラウザ上で再現。
webSE
Test drive a Macintoshをクリックすると
あの懐かしい画面が。
おまけに『テトリス』まで。
古くからのmacファンじゃないと楽しめないだろうけど、
ああ、いい、このドット感。
 ●
どうしてまぁ、
ネコってヤツはうれしいと噛みつくが連動しているんだろう。
怒っては噛みつき、

うれしくては噛みつき、

イライラしては噛みつく。
もう少しアクションを用意しておいて欲しかったです>神様

快楽が食べる行為につながっているっていう意味では、
「おいしそう」とか「食べちゃうぞぉ」なんてのも同じか。
 ●
orkutの日本人村ともいうべきMIXIに召喚された。
あいかわらずの知り合いばっか
(いかに知り合いが少ないかが知れる)なので、
すっかり和んでいる。
それにしても「足あと」

(誰が自分のHPを訪ねてきたかの履歴)はヤバイね。
知らない人が訪ねてきたりしていると、
つい、どんな人なのか知りたくなって訪ねてしまう。
こうして互いに「足あと」を残しあい、
「足あと」レベルの知り合いの輪が広がる。
「足あと」レベルの知り合いでも、
もう他人じゃないって感じがするのが不思議だ。
うまいこと、考えたもんだ。
 ●
自分が興味あることに突っ込むのは当たり前として、
自分が興味のないことについて、
他人が興味を持っているということについて、
興味を持つと守備範囲が広がりすぎていけない。
例えば、心理テストや占い。


2004/05/21(金)
プロテクトの思想

せっかく『スゴ録』を買おうと思ったのに、
デジタルテレビ放送が
コピープロテクトをかけるようになったので、
一気に買う気が失せている。
HDD+DVD録画装置のナイスなところは、
HDD上に一時保存して置いて、
永久保存したいコンテンツだけを
DVD-Rに焼けばいいという仕組みになっているところだった。
(むやみにDVD-Rが溜まらないところがよかった)
過去形で書いているのは、
上のコピープロテクトが、
HDD→DVDへのダビングを許さなくなったからだ。
デジタル地上波のコンテンツは、
デジタルの録画装置には1回しか保存ができない。
HDDに保存したらそこから外にコピーすることはできない。
一応、MOVEという機能があり、
HDDのデータを他のデジタル録画装置に
「移動する」ことはできる。
(HDDのデータは消去される)
しかし、こうした移動ができる
相手先のメディアが限られている。
よーやく安くなってバンバン使えるようになったと思った
DVD-Rには(現状では)「移動」できない。
また、この「移動」されたデータを見るには、
この「コンテンツ保護規格」に対応した
再生装置でないと見られない。
というわけで、買う気が失せている。
このおれの買う気を失せさせるのだからスゴイ!

こうしたプロテクトの思想は正しいのだろうか。
コピープロテクトCDもそうだけど、
著作権者の利益保護の立場から規制を強化するというのは、
戦後、企業の利益保護のために
各種規制を強化してきた政府の動きと同じで、
時代遅れ、錯誤的である気がしてならない。

著作権者の利益保護は大切なことだけど、
それに必要なのは、規制ではなく、
アイデアや情報を無断でコピーすることは泥棒なんだよ。
という思想の啓蒙であるはずだ。
小学校で道徳の上行で教えるべきことだ。


2004/05/19(水)
時差ぼけよん

1日遅れで時差ぼけが来て、
眠いやら寝れないやらで困ってしまう。
年を取ると筋肉痛だけでなく、
あらゆる機能が遅延するのだなぁ。
あらゆる機能不全の伝播が1日遅れるとなるってことは、
人間、ホントは死ぬ前の日に死んでるんだな、きっと。

ロスに行っている間に、
筑紫徹夜までいなくなってしまってた。
もうこうなると誰もが経験していること、
「おねしょしたことある人!」くらいの感じになってきた。
こういう、みんなが強くでれない感じを共有するのはいい、
自分を絶対的正義の立場におき、
戦争(正確には略奪だな)やら
虐待やらをやらかすよりは絶対いい。
確実な記録として残っていて、ウソや言い訳を通しきれず、
それでいて罪にならない程度のうっかりくらいですむネタ
という意味では、年金制度はいい制度かもしれない。

メタンと二酸化炭素と酸素の3つのバランスが
地球の環境をドラマチックに変化させるらしい。
一時的にどれかが完全な優位に立ち、
地球に大きな変化を与え、
それでいてその優位は、
(その優位ゆえに)安定せず、常にバランスを変える。
こんな簡単な仕組みで、
これほどカオス的変化を起こす自律システムを
考えた神様は偉い。
じゃなきゃ、このゲーム(宇宙や地球)は、
変化の小さな退屈なシチュエーションしか生まないか、
いちいち「神の一撃」を必要としてしまうことになるから。
ちなみに、
イワシ、ニシン、サバの3者も同様なバランスにあるらしい。
こうした単純な「3者相互関与系」でもって、
おもしろい自律カオスエンジンが作れるかも知れない。
(ヒマができたら考えてみよう)

巨大な単細胞動物は存在しない。
1つの細胞が2倍の直径になるということは、
元の細胞の8個分の体積になることだ。
これと、元の大きさの細胞の8個からなる集合体は、
その時点では同義といえるかも知れない。
しかし、ちょっと環境が苦しくなったとき、
小さい細胞×8個の集合体は、
容易に×7個、×6個の集合体にダイエットできるが、
前者は、8倍の体積以外の大きさはあり得ない。
こうした融通のきかなさと、
大きいが故に複雑な機能が必要になり、
それを維持するコストと壊れるリスクが発生するという点で、
大きな単細胞は不利だ(故に存在しないんだろう)。

どっかの斜陽産業でも同じ事が言えるんじゃないだろうか、
とふと思った。
もっとも、
巨大単細胞も不利だが、極小単細胞はそれ以上に不利なのだが。


2004/05/18(火)
17年ゼミ

ややこしい話遺伝子操作の禁則は、
愛と健康の理論によって破られていくってあたりが、
皮肉なものです。

雨の出身地てのがわかるらしい。
もっと細かい分析ができるといいのになぁ。
別にだからどーなるわけでもないけど、
「この雨は3週間前のパリの雨です」
なんて言われたら傘ささないかも。

アメリカで17年ゼミが大量発生している。
この蝉は17年に一度地上に出現して卵を産みまくり、
また17年土の中で暮らすという変わり種で、
同じタイプの蝉に13年ゼミというものもいる。
ともに素数(1とそれ自身しか約数をもたない数)年
周期なのが特徴だ。
なぜ素数なのかというと、この蝉を主食とする天敵が
出現しにくいからだと言われている。
なんせ素数なので、この蝉を主食にしようとすると
17年周期の人生(寿命)を送るより他なくなる。
これが6年ゼミだったりしたら、
2年周期×3世代毎、3年周期×2世代毎、
6年周期×1世代毎の
天敵が生まれる可能性ができる(1年周期は割愛)。

で疑問。
2桁の素数は13、17以外に、
11,19,23,29,...,71,73,79,...,97
とあるが、そのうちなぜ13と17だけなんだろう。
19以上は昆虫の寿命としてあり得ないとしても、
じゃあ11は何故ダメだったのかってーいう話になる。
不思議だ。
ちなみに、もっと長い周期の蝉は本当にいないのだろうか。
中途半端な長さならだれかが気が付いているはずだが、
例えば人類(ホモサピエンス)が台頭してきた
12000年くらい前なので、
その程度の周期であったら、
人類にまだ見られていない可能性がある。
ちなみに12000年あたりの素数を探すと、
8191年ゼミ,131071年ゼミがあり得る。
もっと長生きである可能性があるとすると(ないが)、
昆虫の誕生は、中生代のデボン紀(約4億年前)あたりと
言われているので、536870911年ゼミがあり得る。
さらに長生きで、
地球誕生以来まだ一度も発生してないヤツがいるとすると、
2147483647年ゼミなんてのがあり得る。
もっともこう長生きなら素数年である必要はないが。

※上の素数は、メルセンヌ数で算出しているので、
100%素数かどうかは未確認。
(スーパーコンピュータをお持ちの方は試してみてください)


2004/05/17(月)
E3

行きの飛行機の中で読んだ夕刊に、
すでにDSPSPの写真が載っていたので、
何しに行くんだぁ、おれはと微妙な気持ちを抱きつつ、
行ってきましたとも、E3。
行きは10時間、帰りは12時間。
体もキツイが、
計1日も空中にいたことになるのでぞーっとしている。
人は空を飛んじゃダメ。

実は初めてのE3。
みんなE3、E3っていうから楽しみにしてたんだけど、
でかいゲームショーっていう以外に特に印象はないですな。
(たぶん、もう行かないと思う)
ただ、アメリカ人が
どんなゲームが好きなのかはよくわかったので、
それは収穫だった。
アメリカ人は3Dが好き。
アメリカ人はリアルが好き。
アメリカ人はアクションゲームが好き。
こうしたアメリカ人の嗜好を日本のゲーム嗜好より
「遅れいている」という見方をする人もいるけど、
ぼくはわりとそうは考えない方で、
おそらくは100年後も彼らはアクションゲームが
好きなんじゃないだろうかと思っている。
ともかく。
アメリカ人はムームーの180度反対側のユーザーなので、
日本のゲーム市場が小さくなる中、
アメリカ市場までを視野に入れたゲーム作りを
していかなくてはならないとなるとちとやっかいだ。
こうなるとヨーロッパや中国の嗜好性も知りたいものだ。
(他人の嗜好を感じ取るには、
現地に行ってみないとダメだなぁとよくわかった)

さらに任天堂(DS)とソニー(PSP)が
完全に違う道に進みだした感がある。
国内向けかアメリカ向けか、
さらに任天堂向けかソニー向けか、
これからは、どこに向けてゲームを作っていくのか、
作る前からかなりはっきりした意識を
持っていないとダメってことでしょーな。

ps:
それにしてもロスの食べ物はまずい、まずすぎ。


2004/05/11(火)
オープン・ソース

ぼんやりテレビを見ていたら、
英語の番組で、
英語には「先輩」という言葉がないんだといっていた。
へぇ55pt。
ついでに、外国人に聞いた日本の特色は、
伝統かハイテクのどちらかではなく、
伝統とハイテクの混在ということらしい。
たしかにね。へぇ42pt。
どれか一つと決めないで、いろんなものが混在させておく、
百万の神がいる日本は、本来的にこうでなくっちゃってことだな。
と一人で(違った意味で)感心していた。

日曜日の夜もぼんやりテレビを見ていたら、
バルセロナかどっかの変わったレストランが紹介されていた。
んで、ここのチーフ?の話を聞いていて俄然興味を覚えた。

このレストランは、
例えばコンソメスープのパスタとか
メロンのキャビア風とかいったように、
見た目と食感と味のミスマッチを「楽しむ」レストランらしい。
見た目はパスタなのに、味はコンソメスープ。
脳の目からの情報から予測される味や食感と、
実際の味覚から伝わる味とのギャップが驚きとなる。
この「驚き」と
パスタの「おいしい」食感+コンソメの「おいしい」味が混線して
「おいしい驚き」として感じ取られるというレトリックだ。
こうした手法は、例えば江戸時代の料理本「豆腐百珍」
なんかにもいっぱい例があるから、
これといって驚かないし、興味もない。

また、この店は年の半分を研究のために休み、
半年間しか営業していないらしい。
また支店もなく、店も大きくないそうだ。
つまり、ほとんどの人が知っていても食べたことがないという
情報的飢餓感、情報の永田農法を利用したプロデュースをしている。
このこともまた、ありがちな営業戦略だから、
これといって驚かないし、興味もない。

驚いたというか興味を持ったのは、
彼らが料理法をオープンにしていることだ。
オープンというかわざわざ各国を回って
デモンストレーションをしているのだ。
製法を秘密にして見た目や味だけプレゼンする
というのならよくわからるが、製法をプレゼンしてるのだ。
上の二つの特徴は、技術でも素材でもなく、
料理の製法が「ネタ」なわけだから
(実際、注射器を使ったり特殊な凝固剤を使ったりしているようだ)
これをオープンにしてしまうことは、
この店の資源を全てtake freeにしているようなもんだ。
まさに「オープン・ソース」なわけだ。
従来のビジネスモデルからしたら反則技だ。
マネされて希少価値がなくなったり、
ひどいマネが市場を荒らしてしまう可能性があるからだ。
(なぜなら彼らは支店を出す予定がないから)

実際どんな利点があるのか、ピンとはこない。
にも関わらず、なんか好感というか未来を感じた。
この話を聞いてはじめて食べてみたいと思った。
なぜだろう。
そう思った自分の本意もわからない。
太っ腹とか、業界全体のことを考えていて偉い!
とかいった感心とはちと違う。
全然うまく言えない(わかってない)けど、
世の中って結局そうなっていくんじゃないか、
遠回りながら(=短期的な利益を生まない)
最終的に大きな利益を生むんじゃないか、
そんな予感がする、ってところかな。


2004/05/10(月)
E3

それにしても、あそこもここも裁量権を持つ人たちが、
みいんなE3に行ってしまう。
今年は、任天堂もソニーも新ハードを発表するからよけいだ。
E3会場がテロで爆破されたら、
日本のゲーム製作は一気に不能になってしまうことだろう。
っていうか、この期間、
国内のゲーム製作はかなり停滞するだろう。
決定権が現場に残っていないからだ。

そういう自分も、
某プロジェクトでのっぴきならない状況下での出張となった。
全く音信不通でいるわけにいかないので、
メールくらい受けられるようにしておかないといけない。
でもノートブックを持って出かけるのは、
どーもやり手ビジネスマンっぽくてカッコワルイ。
ネットカフェを見つけてそこでメールを受けるという手もあるが、
果たして日本語環境が入ったpcがあるかどうか怪しい。
っていうか、そもそも?外までいって、
コンピュータに接するというのがカッコワルイ。
(相当屈折した感性だと自分でも思うが)
ということで急遽、
ボーダフォンの携帯を買った。
今日日、ボーダフォンの携帯を買うなんてのは、
宇宙でもおれだけではないのかと思うが、
海外でもメールが受けられる携帯電話はこれしかないのだ。
(のはずだ)
メールの送受信に加えて、
これ1台でpcもデジカメも時計も電卓もPDAも、
ちょい苦しいがゲーム機だって持たずにでかけられる。
おまけに国際電話もかけられる!
(って逆だ)
とおもうと、
やっぱ携帯電話のポテンシャルって
すごいぞと今更のように驚く。


2004/05/07(金)
消失

来週はロスなので、
それまでにやっつけておかないことが一杯ある。
そこで時間に余裕があるうちに前倒しに仕事を進める、、、
とろくなことがない。
かなり描きためたところで、
できた絵をチェックしようとしたら
"不正なフォーマットです"
なんていってくる。
「いや、今まで描いてたわけだし、、、」
と思いつつもヤバイ予感がしたので、
急遽外付けのHDDにバックアップしようと思ったら、
コピー中にフリーズ。
再起動したら、コピーは失敗している上に、
さっきまでデスクトップ上に置いてあった絵が全て消えていた。
ふとみると空だったゴミ箱に、
Desktop DB,Desktop DFなんていうファイルが捨てられている。
(て、macユーザーじゃないとわからない話だけど)
いったん台所に立ち牛乳をチンして、
暖かい牛乳を飲みながら、再び再起動。
と精一杯落ち着いて立ち向かったが、結果は同じ。
その後、デスクトップの再構築、ノートンでの修復、
消されたデータの検索などなど手を尽くしたけど、ダメだった。
データの消失でも手書きの絵の消失は、ホントキツイ。
二度と同じ絵は描けないし、
たいがい描き直した絵の方ができが悪い。
コンピュータ相手に仕事をしている場合は、
突然のフリーズやデータの破損は予定の範疇なので、
データの保存やバックアップしなかったとしたら、
ユーザーが悪いといえる。
しか~し、保存データのバックアップ中のフリーズで、
デスクトップが壊れてデータが消えたとなると、
これは神を恨んでいいといえよう。
(もう二度と賽銭はやらない!)

かくして、5時間の作業は宇宙の熱雑音となり、
スケジュールは、
前倒しどころか当初以上に詰まってしまった(涙)。


それにしてもアメリカ人は謝らない民族だなぁ。
「虐待は一部の犯行で、アメリカの総意ではない」にしても、
「虐待するなと指令はされなかった」にしても、
謝るだろう、普通はと思ってしまう。
まるで謝ることが「負け」みたいに思っているかのようだ。
ま、(悪くないと思っているのに)謝ることを
「得」だと思っている民族もsamasamaだけど。

国会議員全員が年金の支払い状況を発表すべしという
民主党の自爆攻撃に対して、自民党のある議員が
「さらなる年金不信をまねくだけ」と
まじめに反論していたのがおかしかった。
もう、その一言で十分わかるってもんだ(笑)。
こういう時には、
「いっそのこと、議員だけじゃなく、
マスコミも、いや国民全員が発表してはどうだろうか」
くらいの切り返しを見せてほしかった。
そうすれば、世論はずいぶん静かになると思う。


2004/05/06(木)
GWあけ

のんびりとした穏やかなGWだった。
といってもずっと仕事をしてたんだけど。

GWの中、ずっとプログラマーのところで延々マップ作り。
(そういやあ、去年も同じ頃、
別のゲームでフィールドを作ってたっけ)
キャラやアイテムのデザインは人任せでも気にならない、
というか誰かに頼みたいくらいなんだけど、
フィールド作りはできるだけ自分でやりたい。
どーやら、
ゲーム制作の中でこの「箱庭作り」が一番好きらしい。

googleの株式上場に伴い、
彼らの「考え方」をかいま見ることができるようになった。

読んでみると、
googleがすごく常識的な考え方の持ち主であることがわかる。
googleというのは、この「常識力」が抜群にすぐれている。
常識的なことを完璧になしとげる力だ。

うさんくささ爆発の記事ではあるが、
こういう話はワクワクする。
ノアの方舟?
トロイの遺跡も殷墟もちょっと前までは
ただの伝説だと言われてたわけだから、
本当にあるのかもしれない。
あってほしいもんだ。
発掘したら宇宙船だった!とかししたら、なおいいのになぁ。

戦争や政治がテレビというメディアを
うまく利用するようになって久しいが、
今回のイラク紛争を見ていると、
インターネットの利用が
テレビのそれに代わるのだなぁと実感できる。
(いい悪いは別にして)
テレビでの放映は、テレビ局(商業主義)の思惑が入る分、
提供される情報にフィルターがかかるが、
インターネットではそうしたことがない(できない)分、
良い面でも悪い面でも、テレビの100倍影響力が強い気がする。




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