人間風車

2004/12/28(火)
見せびらかせる装置として

やっとのことでゲームを買いに行く。
さすがにクリスマスあけの日曜日、楽勝で買えましたですね。
ゲーム売り場あたりでふと目をやると
「メモリースティック」が
売り上げランキングの1位になっていた。
PSPのメモリーがこれであるからかもしれないけど、
ひょっとしたら、
PSPの(ゲームの)データを保存するためではなく、
プライベートの写真やムービーをPSPに
持ち込むための大容量の「メモリースティック」が
売れているのでは、とふと思ったりした。
(思いつき以上の根拠はありません!)
コンバート用のソフトが発売になったりしてるし、
PSPでプライベートの映像が見たいという
欲求は意外に強いのかもしれない。
PS2の立ち上がり時期、
DVDプレイヤーとしてほてはやされたように、
PSPはK氏の思惑通り、
ビデオウォークマンとしての使い方が
キックスタートさせるのかもしれない。
一方のDSの方でも、
SPやDSでムービーが見れるハードが出てたりするし、
持ち歩けるっていうことが、
そういう遊びもありにしているのかもしれない。

「見せびらかせる」という
コミュニケーションでは?ゲーム機も、
プリクラ、シューズ、Tシャツ、携帯電話と
同じくらい有効な装置になったわけだ。

「プライベート」つながりということで。
音楽雑誌でよく見かける
プライベート・スタジオという概念がうらやましい。
コンピュータや周辺機器の発達によって、
音楽は、作曲から演奏、収録、プレスまで
プライベートで完結することが可能になっている。
(もちろんジャンルによるが)
何かを作りたいと思うとき、
まず最初に
それを制作する経費を計算しなくてはいけない、
持ち出しできない額なら、
それがどのくらい売れるかを計算しなくてはいけない、
なんてことを考えるってはテンションが下がる。
作りたい→作れるが直結していないと、
なかなかクリエイティブ魂は維持できない。
コンピュータという便利な道具が、
音楽や映像の世界では手助けをしてくれてるっていうのに、
いわゆるコンシューマ・ゲームは全く逆行してしまっている。
やっぱり、ここらあたりを改善しないとね、
というのを来年の目標にしてみよう。
と、年内の仕事もこぼれそうな勢いなのに、
遠いまなざしをしてみる。

すでにユーザーの人はご存じのように、
『コスモぐらし』が来年3月で終了することになりました。
遊んでいただいた方、ありがとうございました。
(えっと、以下は森川個人の意見として聞いてくださいね)
終了の理由は採算性の問題で、
一言で言えば僕らの力足らずだったわけです。
テレビ番組なんかと同じで、
だんだんと尻すぼみになって終わっていくという、
まあ、継続型サービスの宿命的な寂しい終わり方なわけです。
(限定サービスでない限り、それ以外終わりようがないのですが)

終わることになった理由は、
これからゆっくり総括していこうと思っています。
どうもありがとうございました。

ということで、
今年も今日を持ちましてオフィシャル的には営業終了です。
ただ、まだ、掃除も終わってないし年賀状も作ってませんし、
年内最終ROMもあがってきておりませんw。
来年は6日から営業開始です。

さすがに、冬らしくなってまいりましたので、
みなさん、寝正月などにならぬようご自愛くださいませ。
本年1年、どうもありがとうございました。


2004/12/24(金)
長蛇の列

杉はストレスがかかると花粉をたくさんつけるそうだ。
杉に限らず、環境が悪化して生存がおびやかされると、
にわかに子孫作り活動が活発になる。
去年の猛暑や昨今の人手不足から来る間伐不足で、
杉の生育環境は悪化しているらしく、
それが彼らのストレスになっているらしい。
「地球にやさしい」生活よりも
「杉にやさしい」生活を早急にお願いします。

なんだか最近頭文字を書くだけで、
「あ、私のこと書いてありましたね」って
言われることが多いので気をつけなくっちゃだわ。
ということで、某プロデューサーに半分あきれ顔で、
「どれでもいいからゲームを買ってみて、
ちょっといじってみてくださいよ」
と懇願された。
もっともだ。作っているんだもの。
ということで、
ビッグカメラに注目しているソフトを買いに行ったら、
レジ周りに長蛇の列。
この光景だけを切り取ると、
ゲーム業界は、とっても不況にも斜陽にも見えないなぁ
と思いつつ、とてもその列に並ぶ気になれなくて、
買うのも遊ぶのも年末でイイかと手ぶらで帰ってきてしまった。
ちらと見た限りで気になったのは、
ズー・キーパー』が売り切れていたことだ。
『ズー・キーパー』はネット上でタダで公開されている
パズルゲームだ。
売り切れている原因は、
プレス数が少なかったのか、大人気なのかしらないけど、
ネット上のタダゲーが奮闘しているってのは、
(初めてのことじゃないと思うけど)おおと思った。
新ハード用の売れ筋ソフトを見ていると、
今までのシリーズモノ、ただ移植しただけのモノが売れている。
それに『ズー・キーパー』となると、
やはり「すでに知っているモノ」が売れているのか
という思いを強くする。
となると、
発売前に「すでに知っているモノ」にする戦略が必要だ。
資本という体力がないチーム(うち)には、
まずネット上で公開してというのが現実的な方法か。
といっても、どの遊びでも
ネット、ブラウザ、PC上で再現できるってわけではないから、
はなっから、そういうメディアで再現できる遊びっていう
発想をするべきなのだろうか。
逆モーションな気もするけど、
PCや携帯電話のスペックや、
それしかいじらない人を考慮するというのは、
それはそれで、正しい視線を取り戻す
有効な手段の1つにはなりそうだ。


2004/12/22(水)
2つの問題

PSPもDSも
1)いつものシリーズばかりで買う気にならない
2)いつものシリーズばかりが売れている
ということのようだ。
どちらも新ハードとともに生まれた新しいシリーズがあるけど、
どれも苦戦しているようだ。
一見矛盾しているようだけど、ユーザーは、
1)ゲームに限らず、人は何故好きか、嫌いか、
  気が乗るか載らないか、
  自分でもよくわからないものである。
  つまり、買わない理由として言っていることが、
  ホントに自分が買わない理由であるとは限らない。
2)ハードだけでのかなりの出費なので、
  ソフトで「地雷」を踏みたくない。
という心理であることを考えれば、そうは矛盾してない。

では、この2つの問題を一気に解決する方法はあるのか。
だけど、
3)新しい遊びは安く出せ!
しかないのかもしれないw
もしくは、
4)新しい遊びはお試しできるようにしろ!
かもしれない。

先週末、某社のパネルディスカッションに参加したとき、
そこの社長のIさんが
「×××のチームには、ハードの発売までに完成させなさい。
それが見込めないとわかったら、即プロジェクトを解散します」
と宣言したんだそうだ。
無茶な話だけどw、
期限が短いとなると、自ずとサイズが決まる。
あれもこれもと入れられなくなる。
すると、じゃあこのソフトの「根っこ」
つまり絶対はずせない要素はどこだという話になる。
遊びの中心にフォーカスが合いやすい。
ゲームの肥大化とコスト高を回避できる利点がある。
(もっとも、相応のリスクもあるけど)
ダウンサイズがすべての遊びについて、
有効であり、必要であるとはいえないけど、
今の最もやっかいな問題の1つであることには間違いないし、
3)を実現する一つの方法ではある。

4)については、TVや雑誌での広告では限界がある。
やはり実際にやってもらわなくては
伝わらないということが多いからだ。
となると、お試し版を配るかだが、
これはこれで作るコスト、
配るコストがかかるので、今ひとつだ。
プレスするコストもなく無料で配れる方法はないか、
少なくともDSのハードにはそれ用の準備をがある。
(ひょっとするとまだ公表NGな内容かもしれないので、
明言は避けておきます)


2004/12/21(火)
年の瀬

PSPの画面を見ていて、ふと思った。
PSPにCGは合わない。
実写か手書きの絵の取り込み、
そういう画質のほうが相性がよさそうだ。
もし、PS2のときのようにUMDに収まった映画ソフトが出たら、
間違いなくゲームより売れるだろう。

だれもがこの時期そうだろうけど、
仕事(締め切り)と忘年会と風邪が重なって、
そーでなくてもヘロヘロなのに、ますますヘロヘロになっていく。
もー「年内に」ってことば嫌い!w

というわけで、
短くてすみません。


2004/12/17(金)
もしムームーが100人の村だったら

ここんところ、
週末が近づくと風邪気味がぶりかえし、
週末はおとなしくリハビリというパターンだ。
夕方になるとなあんとなく微熱が出て、
「眠い~、やる気が出ん~」と会社でだだっ子になっている。

今日は某所でパネルディスカッションに参加。
そういやあ、何話すんだろ。
内容が公開可なら、月曜日にでもアップしよう。
その後に企画を見てもらうことになっているので、
なんとか企画書をまとめてみた。
どーなんだろうな、この企画。
自分的にはもちろん「ほしい!」って遊びなんだけど、
一般ユーザーはどー思うんだろう。
全くわからないというか自信がないというか。
パブリッシャーに見せる前に、
ユーザーの声を聞いてみたいもんだ。
じゃないと、今売れているゲームとの比較で
査定されてしまいかねない。

たとえば、
メインの遊びの部分をフラッシュやJAVAで作って、
web上で公開して、直接感想を返してもらったり、
アクセス数やダウンロード数を見ながら反応を見る、
とかいう方法は有効だろうか。
一度試してみようかな。

「もしムームーが100人の村だったら」
17人は、18時前に会社に来ない。
34人は、どこにいるのか何をしているのかわからない。
同じく34人はタバコを吸い、50人は女性で、
83人が30歳以上であり、83人は未婚だ。
34人は全くゲームをしないし、
17人は甘いモノが大嫌いだ。
てな考察を進めていくと、会社の「色」が見えてくるだろうか。
と、ふと思ったりした。


2004/12/15(水)
着装率1以下

「新しいハードは買ったけど、買いたいソフトがない」
そんな話をよく聞きます。
いや、毎回新ハードが発売のたびに、
挨拶代わりのように言われていることかもしれないなぁと
思いつつ、
「なんで?」と聞くとたいがいは
「新しいゲーム(遊び)がない、焼き直しばっかり」
という答えが返ってくる。
だったら、あなた大変ですよ。
何が大変ってこの先どんな新ハードが出ようと、
新しいゲームから出る、新しい遊びがいっぱい
なんていう状況は起こりませんから。残念!
(もっとも、
新しい遊び=おもしろい、買いたいというわけではないが)

新ハードの発売と同時にソフトを出すということは、
ハードの開発と同時にソフトの開発をするということになる。
ライブラリーなどの開発環境も同時に開発となる。
そんな中でのソフトの開発は、
ただ絵が出るようにするっていうだけでも大変なわけで、
(特に前半の)プログラマーのエネルギーの大半は、
普通に絵を出し、キャラを動かしとかいう
「基本」の再現に注がれる。
ありモノの再現ですら大変なわけだから、
遊びまで「未知」だったりしたら大変なわけで、
そんなゲームを発売時期に間に合わせるためには、
大変なマンパワー、つまり制作コストを必要とする。

それでも以前はハードの発売と同時に
新しいゲームも出ていたような気もするけど、
それは、以前なら、
「新ハード特需」という言葉があったように、
新ハードが出ると、同時に2本3本とゲームが買ってもらえ、
乱暴な言い方をすれば、
ちょっとおもしろそうなら売れた。
っていう市場があったからだ。
新しい遊びを同時発売することのコスト高も、
そうした特需で相殺できたわけだ。

しかし、たとえば今回の新ハード発売時の「装着率」
(ハード1つに対してソフトがいくつ売れたかの指数)は、
両ハードとも1を割っている。
つまり、平均すると、
ハードを買っても
同時に買ったソフトは1本以下ということになる。
つまり「同時特需」どころではないのである。
むしろ、今後のソフトの発売の様子見のあおりを受けた
「同時不況」である。

開発のコスト高+同時不況では、
フォーマット・フォルダーをのぞけば、
どのソフト会社も、新しい遊びを作れない。
となると、
新ハードに手を出さないわけにはいかないだろうから、
すでにあるゲームの焼き直しで、
作り手側も「様子見」ということになる。

ということで、この先もおそらく
「新しいゲーム(遊び)がない、焼き直しばっかり」
という問題は起こりそうだ。
新しい遊びにしないことでリスクは避けられても、
そのことがさらに市場を冷やすことは間違いがないわけで、
そのあたりが非常に悩ましい。
ただ、それもこれも、
従来のような
大型のゲームを作るとなればという話になるのであって、
そこを小型化すれば制作リスクも小さくなり、
コストが小さくなれば、ペイラインも下げられるわけだし、
何よりも一般の人は
そうしたダウンサイズを望んでいるわけだから、
解決策がないわけではない。

がしかし、
どういうわけだか、
従来成功したあるいは現在成功しているソフト会社では、
その成功体験に縛られたかのように、
「迫力ある大作で勝負」という声が強いように感じる。


2004/12/14(火)
ふたご座流星群

実はまだPSPを手に入れていない。
作っているというのに。
ホントはちゃんといじっておかないといけないんだけど。
そりゃ、徹夜して並べば手に入ったんだろうけどね、
制作者特権を期待していたのが甘かったわけですw

PSPを買うのに徹夜組の多くの人が任天堂DSを持って
暇つぶししていたらしいです。
つまり同じ人が買ってるわけですな。

95年から始まった
「今年のか・ん・じ」の今年の漢字は「災」だそうです。
歴代の漢字が
震食倒毒末金戦帰虎災
って、すっげー縁起じゃないものばかりだなー。
以前、こういう漢字をぶつけ合うゲームを提案したら、
会社レベルで「漢字はイヤ」と言われたのを思い出した。

それはそうと、
今年の自分的にはどんな漢字が合うんだろうかと考えた。
「不」
もしくは「常」あるいは「普」「平」ってところかな。

昨日が、ふたご座流星群だと知って、
思いつき的に筑波山まで緊急出動した。
数こそでなかったけど、
あまり寒くなかったし、よく晴れていたし、
真っ暗な星空って久しぶりに見た。
(50ccの暴走族も)
大変リフレッシュされましたですよ。
東京の夜はいつも薄明るいのでつまらない。


2004/12/10(金)
おでんダイエットはありえるか

ネット通販で買うと、
買ってから届くまでにかなりの時間がかかることがある。
この間、本ししゃもが送られてきたときには、
一瞬、誰かからのお歳暮かと思った。
なんてことはない。
10月のはじめに予約を入れていたのをすっかり忘れていたのだ。
儲かったような、なさけないような複雑な気持ちだった。
こんなことを習慣化させていると、
ボケたころ、1クリック老人になってしまうんじゃないかと心配だ。
「あら、おじいちゃん、また買っちゃったのね!」
とか言われそうだ。

炭水化物ダイエットはやった人全員が「効く」という。
そりゃそうだろう。
体内の余った糖質が体脂肪として蓄えられるのだから、
それがなくなれば、脂肪の蓄積はないし、
運動すれば「貯金」を切り崩すことができる。
では、
余ったタンパク質(つまりアミノ酸)はどーなるんだろう。
もちろん過剰摂取は体内バランスを狂わすが、
ちょっとした摂りすぎはどーなるんだろう。
尿と一緒に排出されるんだろうか。
アミノ酸から脂肪が作られるなんていう
錬金術が体内であるんだろうか。
なんでそんなことにご執心かというと、
炭水化物抜きが辛いんです。大好きだから。
でも、唯一おでんならなんとか代替になるかもしれんのです。
つまり、
おでんの種はタンパク質系が多いから、
おでん夜食でダイエットってのもありえるかもしれん。
ってことに、確信がほしいんです、今すぐw。
ちなみに、ググってみたら170件ヒットした。
これは170件と見るべきか、170件しかと見るべきか。

怒らない人と怒れない人は違う。
そりゃもう怒らない人の方がだんぜんすごい。
ただ、
怒らないというのは、怒ることを我慢するということとは、
少し違う気がする。
いつでも怒ることを我慢することは、
怒るべきは怒らないよりダメだと思う。
さてさて、日本人はどちらなのだろうか。
もし、怒らない人なら、それはそれですばらしい。
ただ、怒らない人ならイラク派兵もしてないだろう。
怒ってはいけない理由として、
怒ったら相手が何(核攻撃)をしてくるかわかったもんじゃない。
という人がいるが、
反対する理由の中でも、それだけは間違っていると思う。
叱ったら何をしてくるかわからないから危険だからというのは、
怖い人には注意しないというのと同じ理屈だからだ。

それはともかく、
ぼくらが小泉内閣の対応にイライラするのは、
そういう理由だけじゃないかもしれない。

日本がアメリカの言いなりであり、
子分であることをぼくらに気が付かせてしまうからじゃ
ないだろうか。
誰もが薄々とは気が付いていても、
気持ちよく認めるわけには行かない、
できれば、そんなことはないと信じたい。
そうでなくありたいと思うけど、
現実的に言えばそうせざるを得ないこと。
そういう気が付かないふりをしている、
自分自身の「恥部」を気が付かしてしまうようなことをする。
そのことが不快であり、危機的に感じているのではないだろうか。
自分と性格が似ている(とくに自分のイヤな性格が)人を
つい嫌ってしまうのと同じだ。


2004/12/08(水)
目的のないゲーム

またどっかのスポーツする大学生が
わいせつ行為を働いたらしい。
けしからん。
が、テレビでは「スポーツをする人なのに、、、
」という論調が目立つ。
いつからスポーツをする者=健全な精神の持ち主
ってことになったんだろう。
むしろ逆とは言わないけど、
スポーツによる「精力善用」、
「性欲の昇華」はファンタジーだ。

「目的のない"MMORPG、なぜ女性を惹きつける?」
という記事を見て、えええと思った。
これって『コスモぐらし』と同じコンセプトじゃないですかぁ。
(ま、『コスモぐ』に限らないけど)
ああ、プレゼンの段階でこういうニュースがほしかったw

"この『ダイナスティア』てのは遊んだことはないけど、
戦闘も......目的もない。敵もいないし、倒すべきボスもいない。
......このゲームに目的は、ない。
......プレイして欲しいのは、ネットやゲームに慣れていない女性。
戦いや誹謗中傷のない......優しい世界で、
......ユーザー同士のチャットを楽んでもらい"
という設計思想は全く同じだ。
ついでに「ゲームに慣れている人には理解されない」も同じw

ただ、
「女性ユーザ向けネットゲームは、まだまだ広がる余地がある」
という予想はどうなんだろうと思うし、
(もう少しは伸びるだろうけど)
再び課金を初めたとき、
あるいは会員数が万単位になったときの
サービスとメンテナンスはなかなか大変なはずだ。
といじわるなことを言ってみるw
アンド、どーかぼくの予想がはずれますように。

Apple ][ 1976-1986』を読む。
1976年、すでにコンピュータはあったし、
テレビゲームもあった。
78年には『スターウォーズ』も公開されている。
でもパーソナルなコンピュータってのはめずらしく、
個人がコンピュータを持ったとき、
何に使うんだろう、何に使えるんだろう。
そんな聡明期の話だ。
こういう手探りの時代はホントにおもしろい。
唯一、クリエイターが主導権を握れる時代と言ってもいいだろう。
幸いにも、
テレビの深夜枠というのの立ち上がりと、
PSの立ち上がりに参加できたので、
そういう「これからどーしてくれよう」という空気を
ちょっとだけ吸わせてもらえたので、
この本の時代の関係者にはすごく共感できた。

ゲームも今では、
「こういうのが売れるんだよ(あるいは売れない)」
「こういうのが必要とされているんだよ」
とか
「こうやって作るもんなんだよ」
みたいな定石や常識や常道ができてしまって、
(という幻想ができてしまって)
なかなか、何が出来るんだろう、何をしようかみたいな
ムードにならないのが残念だ。
任天堂DSは、物理的にそういう可能性を開いてくれたが、
そうした幻想がそれを封じ込めてしまう
(悪い)予感もなきにしもあらずだ。


2004/12/07(火)
新しいプレゼン

クマニュースがなくなって久しいが、
クマは無事冬眠できたんだろうか。

そろそろ年末の行事とか考えないといけない季節だ。
大掃除、忘年会などなど。
去年はちょうど11月末にソフトが発売になって、
すごくキリがよかったんだけど、
今年と来年の境あたりは二つのプロジェクトとも佳境なので、
今年はさくっと大掃除、さくっと納会ってことで、
地味にさっさと終わる(というか終わらない)予定になった。
(たぶん、納会の後も仕事とかになりそう)

代わりに来年の4月は10周年なので、
そのときにでもなんかしようかと思っている。

領土を広げすぎて、中央で管理しきれなくなったローマと、
脳というメモリー領域に飽きたらず、
紙からコンピュータまで、自分の記憶領域を拡大した人間が、
オーバーラップする。
我々は、拡張された記憶をちゃんと管理できるのだろうか。
記憶に限らず、
自らの身体以上に機能を拡張した生き物は人間だけだ。
自分の身体を管理することだけを目的に作られた脳に、
拡張した機能を管理する能力があるのだろうか。

そうか、1つ自分に足りないことを発見した。
新しい遊びを従来のプレゼン方法(演出)で
説明しようと言うのは間違いだ。
昨日の「ほぼ日」を読んでて、はたと気が付かされた。
"
新しいものを世に問うというのは、勇気がいるよねぇ、と。
遊び方が想像しにくい、ということもあってか、
売り場の人たちからの受注はあんまり多くなかったらしい。
......
でも、いままでのゲームとちがうからこそ楽しいわけで、
......
「やったらおもしろさはわかる」と、いくら力説しても、
やらなきゃわからない
......
「新しいこと」も、「ふるいこと」の言葉で
説明できないといけないんですよねぇ。
でも、それができないから「新しいこと」なわけで‥‥。
"
(ほぼ日は毎日トップページが更新されてしまうので、抜粋しました)
つまり、新しい遊びなら、
それが伝わるような新しいプレゼンをしないといけないっちゅーことだ。
そうしたら必ず伝わるってほど甘くないだろうし、
市場対策にはなんら有効じゃないけど、
企画を通す段階では、それはしないといけないってことだ。
(本音は「いまいちわかんないんだよねぇ」とか言ってないで、
自分の仕事の分野くらい詳しくわかれよと言いたいんだけど)

それはともかく、
あのN社のあのソフトですら、
そんなに苦労するなら、おれんちのソフトも仕方ないか(笑)
とも思った。
つまり、困ったもんだ>売り場ってことだ。


2004/12/06(月)
もろもろ

そういえば、
西洋人に「神様、仏様、お願いします。」
っていう感覚はわかるだろうか。
たくさんの神様ってのならわかるだろうけど、
「神様ト仏様、ドコガチガウーンデスカ?」
とか質問されそうだ。

日曜の早朝、東京は最大風速40.2kmの突風が吹いた。
観測史上新記録らしい。
しまった。
そんなことなら、その風をあびてみればよかった。
「うるせー風」とか思いながら起きてたんだから。
しかしまぁ、
その後が観測史上もっとも暖かい12月だったりと、
気候がガタガタ。
地球の体調も本格的に悪いらしい。

暖かい、寒いって話くらいならまだいいけど、
マラリアを持った蚊や
セアカドクグモなんかが越冬してしまうとか、
中国から大量の黄砂が飛んでくるとか、
花粉が大発生するとか、
野菜が高くなるとか、米ができないとか、
そういうのは勘弁してほしい。

作りたいものがないとか、作る意欲がわかない。
企画をプレゼンするチャンスがない。
という理由でやめようかなというのならまだわかるけど、
作りたいものはある、作れるなら作るエネルギーもある。
企画が通る自信はあいかわらずない。
(そんなもの、最初っからだ)
企画をプレゼンするチャンスは(どういうわけだか)増えてる。
でも、
企画を押し通しだけの情熱がない。
ちょっとリテイクがでたら、
もーいいやっていう気持ちになってしまいそうだ。
相手にちゃんと説明するとか説得するとか、
粘る、がんばる、そういうエネルギーが出ない感じだ。
感じだ、というのは、
まだ実際にそうやって折れたってことはなく、
そういう予感があるという意味だ。
これはけっこうヤバイと自分でも思っているが、
日に日にリアルになっていくんだなー、これが。
と思いつつも、
DSなんかをいじっていると、
いっぱい楽しい遊びが生まれそうで、
ああ、こういうのが作りたい、ほしい
というアイデアが沸々とわいてきて、
気が付くと企画書にまとめようとしている。
でもこれがまた受けそうにない企画ばっかなのだw
(ま、これも今にはじまったことじゃないけど)

という日記を来年の今日、
自分はどういう位置から読み返しているんだろう。
まったく想像がつかないや。


2004/12/03(金)
コミュニケーションの温度

この間、あるうどんの賞味期限をふと見たら
1年以上もあるんでビックリして
「半乾きなのに1年以上も持つんだよ!」と
周りの人に言ったら、
「今月末までじゃん」
「え!でもH16・11末って書いてあるよ」
「だから今月末じゃん」
「えええ、今年は平成16年!!!」
ということで先月まで今年がH15年だと思っていた。
(たぶん、そこらじゅうの書類にそう書いた)
んで、よーやく今年がH16だとわかったと思ったら、
もう1ヶ月もないじゃないですか。
ああ、来年も間違えそうな気配。

手書き文字やりとり文化の頃にはなかったかのようなトラブルが、
電子文字やりとり文化にはある。
EメールやチャットやBBSで、
きまずい経験をしたことがある人は多いだろう。
もし知り合いなら、もし電話でなら、
こんな些細なことで、
行き違いとか誤解とか起こらなかっただろうに。
こんな些細なことで、
憤ったり悲しんだり不安になったりしなかっただろうに。
と思うことは多い。

電子文字→電話→直接話す→×××の順で、
コミュニケーションの温度が上がっていく。
イコールやりとりしあう情報量が増えていく。
視覚だけに頼る電子文字やりとり文化は、
他のやりとりと比べて
圧倒的にやりとりする情報量が少ないので、
その分、コミュニケーション温度が低く、
そのために、コミュニケーション不全を起こしやすい。
人間が動物界で他に例をみないほど顔の筋肉(数)が多いのは、
人間のコミュニケーションの主体が、
言葉でもニオイでもなく互いの表情であるかららしい。

しかし、そういうやっかいさがあるにせよ、
旧文化人(IT不全症候群文化人)が言うほど
危険なものではないし、人間らしくないものでもない(笑)。
そもそも、ほんのちょっと前まで、
見ず知らずの人と言葉をやりとりするなんてことは、
ほとんど起こりえなかった。
文通というのがあったにはあったにせよ、
現在ほど安易な手段ではなかっただろう。
全く新しいコミュニケーション手段なのだから、
もうまだしばらくの間、
ぼくらはこの温度の低いコミュニケーションの
「正しい作法」について経験を積んでいなければいけない
っていうことだろう。


2004/12/02(木)
ググられる

画家のクレーはさっぱり売れなかった時代、
嫁さん(ピアニスト)に食わせてもらいながら、
主夫をしていました。
で、子供の世話をしているとき、
ふと子供の描く絵にはっとして、
ああいう画風が開花したらしいです。
何がきっかけになるのかわからんもんです。
ただ、売れなくて主夫をしていた間も、
彼は絵への心が折れていなかった。
っていう点も見逃してはいけないと思います。

セルフ・プロデュースのうちで
もっともやっかいであり重要になってくるのは、
自分の提案が「売れる」ってことの証明だろう。
売れるばかりがいいものじゃない、必要なものじゃない、
っていうのは正しいのだけど、
このご時世、それを納得させるのは至難の業だ。
はったりや安易な売れ行き予測で押し切るのもむつかしい。
イヤな時代だっていってしまえば、それだけだけど、
そーも言ったって始まらない時代でもある。

「ほ●日」のアイテムの売り出し方を見ていると、
今、一番正しいし近道であり、
(やっかいだし不本意だけど)
クリエイターの必要な仕事の一つになったのかもと思う。
つまり、たとえば本なら
自分のサイトでのアクセス数、販売実績をもって、
出版社や書店に売り込む。
この「数字」がなければ、
いかにI氏のネームバリューがあろうと、
そうは「商品」までは進展しないだろう。
というか、
そういう苦渋を味わった後での「ほ●日」発足なんだろう。

ただ、「ほ●日」のサイトの仕組みは、
I氏という独特な存在故になりたっているので、
簡単にはマネができない。
自分のサイトを作ってそこでアイテムを売って、、、
という方法はとれても、
たくさんの人が見に来てくれるとなると、
別の「エサ」が必要になる。
金さえかければなんとかなるのかもしれないが、
そうした資金も、
たくさんのタレントや文化人が、
友達感覚で対談に望んでくれるような
人脈も人徳もない人(meも含む)には、
単純なトレースでは、うまくいかないだろう。
かといって、インターネットほど、
安価で安易でワイドなメディアは見あたらない。
(かろうじて携帯か)
しかし、単にサイトを開いてるだけじゃあ、
たくさんの人がやってくるなんてことはありえない。

では何も手段はないかというと、
「ググられる」ことは何かしらの手助けになりそうだ。
googleが出るまでは、
検索エンジンに引っかかるのは運やテクニックがいったし、
検索するという行為自体もうっとうしく、さほど重宝ではなかった。
でも、今では誰だって知りたいことがあったら「ググる」。
知りたいことを「ググって」関連のサイトへ行く。
というやりかたはとってもオーソドックスになった。
googleと各種オンラインショップの
有機的なリンクも魅力的だし、
mixiなどのSNSが絡んでくればさらにいい感じだ。
もっとも、そうした連動が有効になるためには、
googleの検索の上位にいないといけない
という問題はあいかわらず残っているので、
そうは簡単な解決策ではないのかもしれないけど、
少なくても絶望的ではなさそうだ。




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