人間風車

2005/03/30(水)
失敗百選

サプリメント好きなくせに、
風邪になるとイチゴやらグレープフルーツやら、
天然のビタミンやミネラルに頼る。
サプリメントを信じていないわけじゃないけど、
天然のモノには、「それ以外」の物質が含まれているので、
それを期待しているのだ。
例えば、ビタミンCが免疫系に効くというが、
ひょっとしたら、
ビタミンCと共に含まれる未知の、あるいは、
今のところ役割がないと思われている物質、
あるいはまだ見つかっていない物質が、
案外、免疫系強化の役に立っているかもしれない。
純粋にビタミンCを抽出したサプリメントでは、
そういう「それ以外」は含まれないので、
なるべく、天然に存在するモノを食そうとしているわけだ。
じゃあ、普段からそうすればいいじゃないという話だが、
買ってきたりむいたりと、めんどくさいのでイヤなのだ。

以前から
「成功はその人の財産、失敗は人類の財産」
故に自分の失敗はなるべく公にしよう!
と思っているわけです。
別にボクが言わなくたって、
たいがい、人の成功談なんてのは役に立たない。
それに対して、人の失敗談はホントに役に立つってことは、
だれもが経験していることだと思うんです。

以前にも紹介したかもしれないけど
「失敗知識データベース」ってところがあるわけです。
ここがもっと大きなサイトになってくれるといいなと思っている。
単純に読み物としてもおもしろい。
例えば、
ここの「失敗百選」には、
歴代の有名?な失敗ネタが並んでいる。

残念ながら、このサイトにはゲーム製作の失敗事例はない。
ゲームもデカイ仕事なので、
是非こうした失敗データベースは作るべきだと思う。
っていうか、失敗の宝庫であるうちがまず作ろうかな(笑)


2005/03/28(月)
短編ゲーム作家

花粉症がいよいよ本格化したか!と思ったら、
どーやら風邪を引いたらしい。
ほんと、この時期、紛らわしくって仕方がない。
この症状があったら風邪。
この症状があったら花粉症。
っていう定義はないもんだろうか。

アントニオ猪木を非難してる暴露本は多いが、
それらの本で共通しているのは、
人間猪木寛至の最低な点ではなく、
アントニオ猪木は至上最高のレスラーだと言っている点だ。

猪木が困ったさんであるよりも、
彼を嫌っている人でさえ彼のプロレスは評価している、
っていうことのほうがうんと重要だ。

自分は、小説家で例えるなら短編小説家なんだと思う。
陸上選手で例えるなら短距離走者だと思う。
1つの話を重厚に作り上げていくよりは、
1つの「ネタ」だけの、
いわば「初速」だけで果ててしまうタイプだ。
別に長編作家は短編作家より偉いということはないから、
そういうパーソナリティーをがっかりはしていなけど、
ことゲーム製作に関しては、ちと困る。
小説で言う短編集にあたるゲームジャンルがないのだ。
『メイド・イン・ワリオ』のように短編ゲーム集はあるけど、
あれは短歌集みたいなもので、
「5秒で終わるゲーム」という一つのテーマを、
いろいろなゲームで表現しているというあたりで一貫しており、
立派に?長編作品であると言えるからだ。
(小説で言えば変則の章立てといったところか)
もっと、ちょうど音楽のアルバムのような、
その時のその作家のムード、ブーム、興味が
全面に出て(結果、いろんなタイプの曲が入っていたりする)
っていう感じのゲームが出せるとありがたいのだが、
おそらくそういう企画は通りにくいだろうし、
売れないかもしれない。

こうした作り方がうまく行くためには、
ゲームもゲームの内容だけでなく、
作家を全面に出していかないといけない。
「GLAYの新曲だから買う」
みたいなことが起こらないとうまくいかない。
すでに
「彼のゲームだから買う」とか
「あのソフト会社の作品だから買う」
ということもあるけど、
どうもちょっと違う気がする。
作家個人が目立っていないと言うか、
ソフト会社単位でとらえられがちというか、
小説家や映画の監督や音楽のミュージシャンとは、
見方も扱いもちと違う気がする。
(これらはどこの会社の作品かとかあまり気にしない)

ともかく、まー、
短編ゲーム作家てのが存在していいのではないか、
いや今の時代は存在すべきだとすら思うのだが、
どんなもんだろう。


2005/03/25(金)
スピードが肝心なんです

ホリエモンの言うことで唯一うなずけるのは、
「スピードが肝心なんです。」
という点だ。
いいアイデアでも実現までに時間がかかったら、
そのときにはもういいアイデアでなくなっていたりする。
いいアイデアというのは、
そのときその瞬間にとっていいアイデアなんだから、
スピードが肝心なんです。
は、いいとして、
あるプロジェクトのために、新しい事務所を作ったんだけど、
そのマンションはある事情があって、
ライ●ドアをプロバイダーにしないといけない。
で、すぐさま申し込んだわけだけど、
かれこれ10日以上たっているのに全く反応がない。
すでにマシンも家具も設置したのに、
ネットにつなげられないので往生してる。
なにかとお忙しいとは思いますが、
こっちにとっても、「スピードが肝心なんです。」>ライ●ドア様

それにしても、
ニッポン放送+フジVSライ●ドアはおもしろい。
新しい「手」が出てくる、出てくる。
あらたにソフトバンク系のファンドマネジャーまで入ってきて、
これまたクセのある、手強そうなキャラだったりして、
この先、まだ一波乱も二波乱もありそうで、
まるで少年ジャンプの冒険活劇モノを読んでいるようで楽しい。
それにしても、
株の世界ってのは、おもしろい用語がいっぱいあるもんだ。
焦土作戦、クラウン・ジュエリー、ポイズン・ピル、
それに今度のホワイト・ナイト。
(てっきりクリスマスの夜のことだと思ったら、
白馬の騎士っていう意味だったんだ)
ほんと、勉強になります。

人間って意外と倒れないもんだなぁと我ながら感心。
(もし倒れたら、2,3日休んでも文句言われないだろうから、
それはそれでおしい!という気持ちもあったりする)
「あのあたりが限界だろう。でも行くっきゃない」
とそこまで行ってみると、意外とまだ大丈夫だったりする。
これを繰り返すと胃の膨張のように、
限界点が少しずつ遠くになるような気がする。
限界点なんて、そこに達するまでわからないということなんだろう。
(つまり、「ここか!」とわかったときは手遅れってわけだ)

限界点に達する前にやめたり休んだりするのは、
やっぱり自分の「幅」を広げるためにはよくないような気がする。
昔、柔道をやっていたころ、先生がよく
「エネルギーが残っているうちは上達しない。
エネルギーがなくなってからが練習だ」
と言っていた。
やってた当時は、「ふざけんな!」と思ったけど、
ああ、こういうことを言いたかったんだなぁと思う
今日この頃だ。


2005/03/22(火)
もろもろ

最近、もろもろ感じたこと。

何の番組だかぼんやり見てたら、
あるタレントが、
「私、手のひらに鉛筆の芯が入ったままなんです」
と言ったら、
「わたしも、おれも」
とみんな言っていた。
実はおれもそう。
手のひらに鉛筆の芯が入ったまま(と思っている)人って、
案外、多いのかもしれない。

いったいいつ花粉は本格化するんだろう。
ことしは30倍と聞いたから覚悟を決めているんだけど、
去年よりはるかに楽だ。
台風予報と同じで大げさにいいやがったのか?
それともおれの花粉症が治りかけている?
後者だといいんだけど、、、

それにしても花粉症だ。
っていうか、鼻水だ。
異物が進入しないように鼻腔を粘液で埋めるのはよいとして、
ダラダラ垂れ流すほど生産しなくてもよいだろう。
無駄すぎる。
一人っきりのときは、
100年の恋もさめるような
姿になっている花粉症の人も多いはずだ。

そういえば、政府も慌てて杉の木を切り始めたらしい。
今では国内の杉は採算割れを起こしていることだし、
この際、ブナなどの広葉樹にもどしてほしい。
で、切った木はティッシュにしてほしい。
日本のティッシュは、
東南アジアや南アメリカの熱帯樹林が主な原材料らしいから、
鼻をかむたびにちょっと申し訳ないなと思ってしまう。
この原料がにっくき杉の木なら、心おきなく大量消費できそうだ。

昨今のプリンターに代表されるように
「PCいらず」という売りと、
「なんでもできるPC」という売り。
両極端な「売り」があるのがおもしろい。
で、
個人的には、後者の売りが強くなっていく気がする。
コンピュータなんて今ではどの家電にも入っているわけだし、
それが高機能になり通信機能をもてば、
もー、いちいちPCでコントロールっていう時代じゃなくなる気がする。
すでにEメールですら、すっかりPCいらずになっているし。

朝食:ご飯1杯、粉吹き芋1皿、ぬか漬け1皿
昼食:焼き芋2本、ふかし芋1個、リンゴ4分の1
夕食:ご飯1杯、焼き芋1本、焼き魚1切れ

農水省は仮に農産物輸入がストップした場合に
想定されるとした献立例だ。
ちなみに、肉は9日に1食なのだそうだ。
おかずはなくてもいいけど、
焼き芋なんて10年に1度くらいしか
食べたいと思わない自分にとって、
主食が芋というのは地獄だ。
なんとか米だけでも100%自給にしてほしいもんだ。

さらに、この試算には調味料についての記述がない。
(上のメニューを見ると、なにげに想定されているが)
大豆が自給できない以上、
ミソも醤油も油もないだろうから、塩味のみとなる。
もちろん、砂糖もない。
米が十分にあれば、みりんや水飴で甘味を取れるだろうが、
3食米が食べられない状況ではそれも望み薄だ。


2005/03/17(木)
ロボット化する照明

この機に乗じてきっと税務署は、
ライブドアやニッポン放送、フジテレビを
重点的にチェックしているに違いない(笑)

最近、室内での野菜栽培が話題になっている。
温室栽培とは違う。
ビルの中で、土も太陽光線も使わず栽培する。
栄養分を含んだ水が土の代わりになり、
LEDの照明が太陽光線の代わりになる。
虫が入ってこないので、農薬を使わなくてすむ。
土を使わないので衛生的でもある。
完全な空調なので、天候に左右されず安定した供給が出来る。
LEDにしたことで電気代も安くなる。
LEDにしたことで、
栽培する植物が最もよく育つ波長の光を与えることが出来る。
ということで、すこぶる人工的な気もするが、
無農薬だったり衛生的だったりすると、
それはそれでありなのかもしれないとも思ってしまう。
ただし、
きっと地モノほどはおいしくはならないと思う。

それはさておき、
LEDで植物にもっとも適した波長の光が与えられるということなら、
人間様の照明だってそうできるんじゃないかと思ったら、
やっぱりそういう照明がでましたね、LEDじゃないけど。
太陽光線に近い波長を出すことで、
体内でのビタミンDの生成を促すのだそうだ。
人間と太陽光線の関係を詳しく研究すれば、
もっと有効な波長をしぼりこめるかもしれないし、
花粉症にイイとか不眠、抑鬱にイイとか、
脂肪燃焼がよくなるとかアトピーにイイとか、
そういう効果のある波長の光が見つかるかもしれない。
家にいて照明をつけるだけで健康になるなら、
なんて楽ちんだろう。

最近では、
人の気配を感じるとともったり、
朝になると自動的にじわりじわりと明るくなったり、
小鳥の鳴き声を発したりと、
電灯も知らない間にかなり高機能になってきている。
LEDをちりばめた照明なら、
もうそれは立派なモニターになるわけだから、
星空を写したり、テレビにもなるわけだ。
時計を内蔵すれば、アメリカ時間での昼間も経験できて、
日本にいながら時差ぼけができるかもしれないし、
アフリカの日差し、ボルネオの森林の日差しなんてのも
経験できるかもしれない。
意外と家電の中でも早く、照明はロボット化するのかもしれない。
(なぜなら、照明という機能だけでは売り上げが頭打ちだからだ)


2005/03/15(火)
ライブドアvsニッポン放送

それにしても、ニッポン放送のやろうとしている
「焦土化作戦」は大人げない気がする。
日本放送とフジテレビのトップは、
親の決めた縁談に反対して、
どうせかなわぬならと無理心中を図るカップルのようにさえ見える。
一方、
ホリエモンは「合理的」にニッポン放送を買収したわけだから、
今更「友好的に提携しよう」なんて言わないほうがいい。
「合理的に提携しましょう」と言うべきだ。

しかし、今回の事件はおもしろい。
まずもって、3人のキャラが立っているのがいい。
血気盛んな若者と義と礼を重んじる老人という対立もおもしろいし、
基本的にみんなイイヤツというのがいい。
また、株の世界ってのが知らないルールがいっぱいあり、
意外とゲームバランスを保つようなルールになっているのがおもしろい。
(でも、どうやら株取引は、パワーゲームであるみたいだから、
ゲームデザイン的にはよくない気もするが)
「そんな手があるのか!」といろいろな作戦がでてきておもしろい。
なんかできのいい社会派ドラマを見ているみたいだ。
はっきり言って、フジテレビのどのドラマよりおもしろい!

今回の一連の仕掛けは、
どうみても、ライブドアの仕掛けが正しく、
ニッポン放送チームの仕掛けは間違っている。
前半はもうどう見たってライブドアの勝ちだろう。
ただ、
人間は正しい、合理的っていうだけじゃ生きていない気もする。
好きとかおもしろいとか気持ちいいとか、
そういうものも大事な要素だろう。
ホリエモンが勝ち抜いてきた業種は、
合理的で正しければ成立する世界だったのかもしれないけど、
ニッポン放送やフジテレビのような文化事業は、
そういうものだけでは成り立たないだろう。
機械がコンテンツを作っているわけではなく、
ウエットでナイーブで不合理な人間が作っているわけだから。
ということで、後半戦(これから何年か先)は、
ライブドアが苦戦すると思う。

ともかくこんなおもしろいモノをタダで見せてくれるわけだから、
ライブドアには感謝しなくてはならない。
たしかにこうした事件をライブで公開してしまう
(しかも展開のテンポがいい)ってあたりは、
さすがインターネット事業者だ。


2005/03/14(月)
役割が変わる

インスタントみそ汁が苦戦しているというのは、
業界のことを全然知らなくても、
なんとなくそーだろうなぁと思うことである。
業界もただ手をこまねいた訳ではないらしく、
新たな具の開発、みその改良、
ホンモノ性を高めたり、値段をいじったり、
いろいろ試したらしい。
で、そんな中、あるインスタントみそ汁がヒットしているらしい。
どうやら、そのみそ汁の開発は、
まったく門外漢の人がはじめたらしい。
業界の常識を知らないから、
どんな人が買うものなのか、
どういう行程、工費がかかるのか、
流通の体質はどうなのかってあたりを、
「こうあるべき」「そういうものだ」
といういわゆる「プロの目」でみなかったのが、幸いしたらしい。

その人がまず考えたのは、
今の人にとってみそ汁は何なんだろうということだったらしい。
みそ汁、つまりおみおつけ(御御御付け)というくらいだから、
ご飯に「付ける」汁ものであるのが起源だ。
でも、今の人
(とくにインスタントみそ汁を利用しようと思っている人)が、
そういう「付ける」ものをわざわざ求めるだろうか、
そういうところから疑問符をつけたらしい。
で、その人が結論づけたのは、
「野菜を摂るための具だくさんのスープ」
としてのみそ汁というものだ。
大きな具、たくさんの具っていうのが、
いかにコスト高であり製造がむつかしいか、
同じような商品が存在しない、
アンケートから伺える(既存の客の)リクエスト、
その人にそういう「常識」がなかったのが幸いした。
ちょっとでもそういう「常識」があったら、
この大胆な発想は躊躇されてしまったかもしれない。

そういうわけで完成したみそ汁は、
その人の意図した方向で売れているらしい。

いわゆる「プロ」になると、
そういう原点にもどって疑ってみる、考え直してみるということが
なかなかむつかしくなる。
自由に発想しているつもりが、
無意識のうちに「かくあるべき論」に毒されてしまうからだ。
これは自分に対しても「気を付けるべし!」と
言っておかないといけない。
と、同時に、
同じモノでも時代とともにその「役割が変わる」っていうあたりも
心しないといけないと思った。
ゲームもしかりなんだろう。
もうとっくに、
膨大なヒマをつぶすための遊びでとしては求められなくなっている。
そんな大きなヒマは誰にもないからだ。
じゃあ、今ゲーム機に映る遊びの役割はなんなんだろうか。
そこらあたりを原点に戻って考えないといけないんだろう。


2005/03/11(金)
ゲームよた話


「このゲームの目的は何ですか?」
このゲームをやる(ユーザーの)目的(意味)
ということなら答えられそうだけど、
前者は答えられないことが多い。
到達しないといけない目的なんて、
はなっから設定していないことが多いからだ。
ゲームとは、
ゲーム設計者側が設定したゴールに向かって、
ユーザーが楽しく(ときにハードに)突き進んでいく遊びである。
は、
たしかにいいアイデアだ。
何をやったらいいかすぐにわかる。
今やっている行為が何のための行為かもわかる。
終わったときの達成感も充実感もある。
でも必須なのか。
というところをもう少し疑ったりすることに、
こだわっていったりしたい。
つまり、
次回作はそういうゲームになっているというわけ。
一般にゲームは、時間軸方向に縦に長いのが普通だが、
横に広いゲームってのはありなのかナシなのか。
そのあたりちょっと試してみた次第だ。

「今やゲームは国内で採算が合うというようなものではない。」
「全世界をマーケットにしていかなくてはならない。」
「全世界にアピールする共通の遊び(ゲームジャンル)は、
ハリウッド的ワンパターン打ち物アクション3Dゲーだ。」
「うかうかしていたら、アメリカに全てもっていかれてしまう。」
「独自の(=へんてこな)ゲームなんてのは、
作家のマスターべーションだ。」
「日本の風土でしか理解されず(=売れず)、
国産映画いやATG映画のようなものになってしまうだろう。」
と言う辺りを誰かにつかれたら、
たしかにちょっと痛い。
どー反撃すればいいだろう。
「たしかに未来は君の言う通りかもしれない。
で、君はその未来をおもしろいとおもえるのかね?」
とでも言うしかないか。
彼が
「いや」
とでも言おうものなら
「未来は自分たちで作るモノだ。
なのに、おもしろくないと思っている未来を作っていくつもりなのかい」
と言ってやろう。
論法的欠陥がある話だが、
静かに席を立つくらいの間は持ちそうだ。


2005/03/08(火)
会食

さてと今回は、
お互い余計なことを口外できないように(笑)、
実名で書きます。
今日は編集者の水島さんのお計らいで、
『イコ』の上田さん、『塊魂』の高橋さん、
『モンスターファーム』の高宮さんと会食でした。
(前のrelaxに載っていたみなさんです)
会ったのは、みんなで一緒に新しいゲームを作るために、
というようなことでは全然ないんですけど、
水島さん的には
同じカテゴリーに入るゲーム製作者なのだそうです。
ということで、
今作っているモノはどういうものか、
そもそもどういうことが好きなのか、何がむかつくか
などなどいろいろ聞かせてもらいました。
なんと奇遇にも、
上田さん、高橋さんそれにぼくの次回作がでるのが、
どーやら同じあたりらしいです。
ネタ的にかぶることはないだろうけど、
なんかおれ的にはイヤだなぁ~(笑)
ちなみに両者の作品はこの春のE3で発表されるようですが、
うちのは例によって未定(たぶんナシ)です。

それにしてもユニークなモノを作る人たちと話をするのは、
いろいろ刺激をもらえてうれしいです。
ネタっていうより、その人自体がおもしろいんで、
そういう身体的エネルギーっていうのか、
波動みたいなのって伝わってくるんですよね。
こういう空気は久しぶりだなーと振り返ると、
PS立ち上げ直後あたりって、
作ってる人みんなが、
そんな空気を羽織っていたような気がした。
おかしなことを考えている人がいっぱいいたんだけど、
(ま、おかしければいいのか!ってことじゃないけど)
今でもゲームを作っている人はごく一部になってしまった。
なあんて、回顧できるくらいベテラン組に入っちゃったわけですな。
ヤバイ、ヤバイ。


2005/03/07(月)
原体験が職種を決める?

マータイさんによれば、
「もったいない」もまた、
多くある日本語固有のニュアンスを持った言葉らしい。
近い英語は何だろう。
「浪費」を意味するwasteかな?
でも浪費や無駄とはちょっと含んでいるモノの豊かさが違うようだ。
彼女によれば、「もったいない」とは、
・消費削減(リデュース)、
・再使用(リユース)、
・資源再利用(リサイクル)、
・修理(リペア)
の四つの『R』を表しているそうだ。

「もったいない」精神はダイエットの天敵!と思ってきたけど、
まー、たしかに、イイ言葉ではあるなー。
(と自分への言い訳に使ってしまいそうで怖い)

『ほぼ日』の『社長に学べ!』lで、
任天堂の岩田さんが言ってらしたことでふと思った。
自分の作ったモノを最初に誰が喜んでくれたかで、
その人の人生ってずいぶん変わるんじゃないだろうかと。
例えば絵を描く。
曲を作る、料理を作る、ゲームを作る。なんでもいい。
それを誰かに見せたとき、喜んでもらえた。
モノ作りを生業としている、あるいは好きな人間って言うのは、
間違いなくこの原体験を持っているに違いない。
そして、その快感が忘れられなくて、
もっとたくさん喜んでほしいと、ずるずると作り続けている。
その誰かというのは、大きくカテゴライズすれば、
家族か友達か恋人かコンテストなどのシステムか、あるいは自分か。
最初は誰だったか、誰にほめられたのが一番うれしかったか。
それによって、
例えば同じ絵を描く人でも商売が変わるんじゃないだろうか。
単純に例えれば、
それが家族や恋人であった人は、
いつも自分の周りにいる人のために絵を描くのかも
しれない。
システムだった人は、名誉や権威のために描くのかもしれない。
自分だった人は、
公表することもなく自分のためだけに描くのかもしれない。
それらは多くの人に見てもらうことを想定していないので、
そういう人はアート(一品モノ)的な作り方をするのかもしれない。
友達だった人は、
広く一般のユーザーのために描くのかもしれないから、
そういう人は、
商品(大量複製可能モノ)的な作り方をするのかもしれない。

自分の原体験はというと、
自分もまた(岩田社長と同じく)
隣の席の友達に見せた落書きであった。
多くの人に受け入れられるモノを作れないとわかりつつ、
(=商業的には価値がない)
アート作品より商品作りが好きっていうアンバランスさは、
そのあたりの原体験が原因なのかもしれないと思った。
じゃー、「多くの人に受け入れられない」感性ってのは、
何が原因だったんでしょ。


2005/03/04(金)
みんな幸せならいいけど

風邪で寝込んであっという間に週末。
てなことで風邪が完治してない上に、
この週末は缶詰で、しかも雪!なので、
さてさてこの先どーなることやら。

あるプロデューサーの話では、
広報「この作品の売りはなんですか?」
P 「独自の○○○システムですね」
広報「独自、、、ですか」
広報「じゃあ、逆にどれかに似ている点というのは、、、」
P 「×××は▲▲▲のそれと似ているかなぁ」
広報「わかりました!じゃあその×××を売りにしていきましょう!」
冗談のようなホントの話らしいです。

まあ、ぼくらなんかには寂しい話というか切実な話なんだけど、
考えようによっちゃー、みんなそれで幸せなんだから
それはそれでいいのかともふと思った。
まず作る側。
シリーズ作やヒット作のいいシステムをまねたりすることで、
作業コストは小さくなるし、はずれるリスクも小さくなる。
小売店も営業も、
シリーズや亜流ならある程度数が見込めるのでうれしい。
買う側も、
シリーズや亜流ならくそゲーをつかむ危険が少なくなる。
みんな幸せなわけです。

実際に、新しい携帯ゲーム機では、
新機軸のゲームの方が苦戦しているらしい。

ただ、幸せな「みんな」ってのが、
今ゲームを買っている人のその周辺だけで、
その外にいる人にしてみれば、
だいこんとキャベツしか売っていないスーパーみたいなもので、
ちっとも魅力のないマーケットに見えるはずです。
離れる人はいても入ってくる人は少ない。
ビジネスの基本といわれる「顧客の創出」ってあたりは、
いいんでしょうかねーと、思うのですが。

ホリエモンが、(ある意味最もITと相性がいい)ゲーム会社を
いっこうに買収しようとしないってあたりに危機感を覚えるべきだ。
プロレス業界もね。




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