人間風車

2005/04/25(月)
スケープゴート

経済が急減に成長するときってのは、
どこの国でも若者は暴れるものなのかもしれない。
アメリカしかり日本しかり韓国しかり、んで今度の中国も。
なんか急激な膨張の摩擦熱みたいなものに、
若者が敏感に反応するのかもしれない。
残念ながら?日本の学生運動参加するには、
ちと生まれるのが遅くて、
浅間山荘事件なんかもなんとなくくらいしか覚えていないので、
今ひとつ体感的にそういう感覚がわからないんだけど。
ただ。
中国がヘンなのは、
そういうエネルギーが自国に向かわないことだ。
いや正確には、天安門事件で一度自国に向かったけど、
そこで「敗北」して以来向き合っていない感がある。
今は日本というおあつらえ向きの
スケープゴートがあるからいいけど、
自分の不満の矛先をしっかり見極めないと、
その後の成長は大変だぞと偉そうなことを言ってみる。
(きっと自分たちでも、薄々は、
不満の根元が自国に対してであるのはわかっているはずだ)
中国政府もしかりだ。
そもそも共産党一党支配っていうか
社会主義と解放市場主義なんて、
どう考えたって相性が悪すぎる。
今後ますますひずみが大きくなるに違いない。
今は民衆の不満のベクトルをうまく日本に向けているけど、
そうはいつまでもうまくいかないだろう。
そんとき、一体どうするつもりだろう。

それはそうと、
中国の国家による検閲技術は世界一らしい。

中東のネット検閲が
「見れないサイトがあるんだ」と意識させるのに対して、
中国のネット検閲は、
そうしたサイトの存在に気が付かないほど完全らしい。
(技術的にはさっぱりわからんけど)
中国のインターネット・ユーザーってのは、
そういうことをどのくらい知っているのだろうか。

オダギリジョーが窮地に立ったとき、
4枚のカードからどれを選ぼうか悩むっていう
おもしろいCFがあるけど、
それぞれの選択後どうなったか編がネットで公開されている。
「4枚カード問題回答編」
きっかけはテレビで、詳しくはネットで。
っていう手法はおもしろいかもしれない。
広くみんなに知ってもらうきっかけづくりは、
テレビにかなうメディアはない。
が、いつまでも情報を流しておけないので、
テレビで詳しく伝えたり何度も見てもらうのは、
コスト的にむつかしい。
映画ももちろん、本もむつかしい。
その点ネットはほぼタダで永久に置いておける。
そういうメディアの使い分けっていのは、
おもしろい使い分けだと思った。
ホリエモンもきっとそのくらいのことは想定内だろう。


2005/04/21(木)
まじめ病

まじめ病だ。
どーもここのところ、
正義と道徳と理性の人になってしまっている。
役に立つ物を、ためになる物を作りたいと思っている。
これは自分の目指す(あこがれる)クリエイティブの方向と違う。
世間にとって、自分の普通が「変」であるのと逆に、
自分にとって、このまじめは「変」なのではあるが、
いつもの芸風?を求められていると
次の「出し物」はがっかりされるかもしれない。

しかし、
例えば一度「カツ丼食べたい」と頭に浮かんだら最後、
カツ丼を食べるまで、その思いが成仏しないのと同じで、
ともかく一度作らないことにはこの思いは成仏しそうにない。
ヤレヤレだ。
どーしてこんなことになってしまったかと思い返すに、
どーも去年10数年ぶりに帰郷したとき、
甥っ子たちが、
東京でゲームを作っているおじちゃんに自慢しようと、
みんなゲームをやりだしたのを見て、
なんか申し訳ないとか、子供のためになるモノを
なんてふと思ったことがきっかけになっている気がする。

エンターテインメントは生活の役に立たなくてよろしいと
原則そう思ってはいるものの、
知識云々ではなく、すごく泣けるとか笑えるとか、
そういうものでもいいから、
ただ時間をつぶすだけのものではなく、
心の栄養になるべきだとは思っている。


2005/04/19(火)
縦置き、平置き

普段の生活は非常に優柔不断で
成り行きでやり過ごしているわけですが、
こと仕事に関しては、
すごくやるか全然やらないか
どっちかにしてほしいと思うのであります。
時間やお金そのた諸々の問題で、
途中で諦めなくてはいけないネタも多いんですが、
そんな時は、
やめるんなら0に、やるなら100までと思うんですが、
どーも世の中は、
「時期も時期なんだし、80までやったんだから、
このあたりでヨシとしましょうよ」
ということらしい。
それが「大人」ってもんらしい。
さらに、
どうでもいいことと、
こだわることがどーも世の中とずれている、
そんなこともあって、
ストレスの溜まりがピークに達しているわけです。

そして、
そんなストレスフルな時を「充実してる」と
感じてしまう自分がまた悲しいわけです。

東芝が平置きタイプの3Dモニターを作った。
3Dってことにはあまり感心がないけど、
その中で語られている
「縦置きのディスプレイの場合は、
人は無意識のうちにディスプレイを"窓"に見たててしまい、
(中略)
平置きタイプでは、
箱庭やジオラマ模型を見ているような感覚になり、
リアリティを感じやすい:
という着目点はおもしろい。
(100%そうだねとは言えない感ありだけど)

たしかに、
僕らはつい、モニターの大きさや色数、
それに携帯型か据え置き型かばかりに着目してしまうが、
それが平置きか縦置きかってことも、
人間の生理にはとても大事な要素であるはずだ。
縦置きモニターで楽しい遊びが、平置きモニターでも楽しいか、
つまり、
テレビで楽しい遊びが、携帯機でも楽しいのか、
そのあたりを縦横の違いという視点から考えてみるってのは、
必要な作業のような気がする。

そう思うと、
携帯ゲーム機になってやたらやる気が出てきたのは、
喫茶店やゲーセンの平置きモニターが、
ゲームの「原体験」であったことと、
無関係ではないような気さえしてくる。


2005/04/18(月)
N派かS派か

ゲーム業界では、
よくN天堂派、Sニー派という言われ方がする。
実はボクもよく聞かれる。
が、ボクに言わせれば、今のゲーム業界は、
フォーマットフォルダー派かパートナー派かで別れるんだと思う。
ボクのつきあいの限りでは、
フォーマットフォルダー派、つまりN天堂もSニーも
憂えたり危機感を感じたりしているポイントや、
それに対して感じている義務や責任のベクトル、
それに今後あるべき
方向性みたいなものもよく似ている感じがする。
一言で言えば、
今のゲームの方向性のままではダメだ。
むしろ(従来の)「ゲーム」という範疇で考えるべきではない。
ゲームが「害」ばかり与えていて
徳になっていない(イメージがある)。
そこらあたりをなんとかしないといけない。
ってことだ。
(両者のトーン&マナーは全然違うけど)
一方、いわゆるソフト会社は、
これまたボクが知っている限りでは、
ゲームを好きな人の嗜好性にはパターン(法則)があるので、
それを取り入れるべきだ。
今、こういうモノが売れているネタを取り入れるべきだ。
1つのネタでははずすかもしれないから、
いろいろなネタを組み入れるような「保険」をつけるべきだ。
という従来の成功パターンを見直そう、見つめよう。
という考えになっているようだ。
極めて狭いサンプリングなので極めて精度の低い印象だが、
今出ているソフトを見渡せば、
無茶苦茶はずれているわけでもない気がする。

というわけで、
「お前はN派かS派か?」
と聞かれたら
「フォーマットフォルダー派」だと答えることにしている。
今までもそうだったけど、
今後はもっとそうなっていく気がする。


2005/04/14(木)
身体性

何度も書いているけど、
テレビゲームはやらないくせに、
ボードゲームは大好きでよくやる。
ボードゲームの何が一番いいかといえば、あの物感だ。
祈りを込めてサイコロを振る、カードをめくる、コマを動かす、
そういう物質感というか体感性というか身体性がいいのだ。

テレビゲームの企画を考えているときは、
遊びの仕組みやルールばかりを考えてしまう。
身体性なんて反映できないから、
はなっから頭からはずしてしまっている。
それはそれで残念だけど、仕方がないことだと思ってきたが、
ゲーム機の主流がコンソール型からモバイル型に変わってきたら、
また、もぞもぞと
物とからめらた遊びができないものか、
という考えが復活してきた。

単純な話でいえば、
トランプやサイコロと連動させるだけでもいいと思っている。
こういう話をすると、たいがいは製造コストの問題と共に、
「トランプやサイコロの機能なんてゲーム内に組み込めるから無意味」
という反対意見が出る。
しかし、これは上のような理由から全く見当違いな反論だ。
トランプやサイコロに「機能」を求めているわけではない。
身体性あるいは運とか運命とか神の意志とか、
そういう人智を越えた働きを感じるための装置になってほしいわけだ。
ここで2が出てほしいとき、サイコロのぞろ目が出たとき、
だれでも瞬間的に神の祝福を感じるはずだ。
そういう超常的な感覚は、
モニター内というかコンピュータ処理の中では、
なかなか感じられない。
どんな奇跡的なことが起こっても、つい
そういう「処理」が入っているんだなんて
醒めた見方をしてしまう。
そういう醒めた視線は、
ゲームという遊びではずいぶんと損をしているはずだ。
逆に、同じ機能を「物」で表現するだけで
そういう感動が得られるのなら、
こんなに「安い」ものはないとさえ言える。

占いなんて簡単にコンピュータだけで処理できるのに、
タロットカードや水晶や八卦を使ったりする、使ったりしたい
と思うのと同じ原理だ。


2005/04/13(水)
春バテ

日本が安保理に(まだ)入れてもらえないのは、
まあ、少し理解できる気もする。
ただ、でも、じゃーそんな思われ方をしているのに、
アメリカに次いで2番目に国連に寄付している
(実際はアメリカは滞納しているので1番出している)
必要があんのかといえば、ちょっと疑問ではある。
同様に、
日本人が大嫌いという中国もまあ理解できる。
ただ、あんな嫌われて方しているの中国に、
(そうでなくても最近景気がいいはずなのに)
まだ「経済援助」しているってのもなんだか疑問ではある。
アメリカも日本がこんなに国債を買ってあげてるから
やっていけてるってもんだろうに、
もう少し日本をひいいきにしてくれても良さそうなもんだ。

と考えると、
やっぱり日本の「魅力」は金だけだってことがわかる。
その金もつきようとしているっていうかつきているわけだから、
この先は、さらに冷遇されるんだろうなぁ。

夏バテならぬ春バテという言葉があるらしい。
この時期、寒暖の差が激しいし、
低気圧がばんばん通るので、気圧の変化もはげしい。
その対応に体力を使ってしまうらしい。
たしかに、1日にして10度以上も気温差があると、
中年の体は対応しきれなくてきつい。
昨日の東京はとても寒かったので、
またしても風邪を引いたのか、まだ花粉症なのか、
釈然としない(っていうかどちらもうれしくない)状態だ。


2005/04/11(月)
居間との親和性

ちょっと前まで宅配の新聞サービスは
なくならないと言われてきた。
もともと新聞が読みたいと言うよりは、
新聞を取るというのが慣習になっているってがために、
(逆に)今更なくならないだろうという理屈からだ。
しかし、ここのところはさすがにネットに押されて、
販売数を減らしているらしい。
そういう自分も、もう何年も新聞をとっていない。
もっぱら、テレビとネットでニュースを見ている。

新聞と同様な理屈でテレビも
今の立ち位置を失わないという意見がある。
たしかに、ブロードバンドが普及してきたからと言って、
テレビのシェアが押されてきたという感じはしない。
がそうだといっても、この先も安泰とは言えないのかもしれない。
インターネットが動画コンテンツを充実させていくと、
テレビも新聞のようになっていってしまうのかもしれない。
ただし、まだPCが居間にないうちは、
テレビは安泰だといえると思う。
こうしたメディア論はついコンテンツばかりが注目されるが、
そのハードの持つ特性(上で言えば居間との親和性)なんかは、
とっても大切な要素だ。
いくらインターネットで良質のコンテンツを流そうと、
それを写す装置の居間との親和性が高まらなかったら、
お茶の間を独占することはないんだろう。


2005/04/08(金)
別れ

4月は出会いの月であるはずなのに、
今年の4月はたてつづけに「別れ」が続いた。

若い頃は、
心の痛みや苦しみは知恵や理性や理屈で解決できるものだ。
それができない自分は、
まだ十分な知恵や理性や理屈を得ていないからだ。
極端に言うと、そんなように思ってきたけど、
さすがにこの年になってくると、
なにもかにも「答え」があるわけじゃないことも、
「答え」があったにしても、
それは知恵や理性や理屈でばかり得られるものじゃないことが
だんだんとわかってくる。
逆に、
「答え」などがなくても「解決」する問題があることも
理解できるようになってきた。
つまり、人の心の痛みや苦しみは、
必ずしも、それを解消しなければ消えないわけではなく、
痛みや苦しみが何からわき起こっているのか、
今の気持ちの「整理」ができるだけで、
かなり痛みや苦しみが軽減できるものなのだと。
(必ずしも抜本的な解決を必要としない)
そして、その気持ちの「整理」にもまた、
特別な理性や知性は必要なく、
源に対して真正面から向き合っていさえすれば、
時間というものがちゃんと「整理」に向かわせてくれるものだ。
そういうことがだんだんとわかってきて、
そういう作用をだんだんとうまく利用できるようになってくる。
年を取ることでいいことなんてあまりないけど、
こういう「手段」が身につけて、
(心が整理できても寂しさがなくなるわけではないが)
悲しさや苦しさを軽くできるようになってきたのは、
ありがたいことだ。


2005/04/06(水)
つけめん

ラーメン本によれば、「今年はつけめんが流行る」らしい。
ラーメン業界も大変だ。
ここんところは、
毎年毎年「新作」
を発表しないといけない(イイ店でない)みたいな
空気になってしまっている。
これは(きっと)マスコミからの
毎年同じ記事じゃもたないので的な
風圧に対する反応だと思うけど、
ユーザーはラーメンの「新作」って、求めているんだろうか。
ぼくなんかは、おいしい店を見つけたときは、
「(新作なんていいから)どうかこの味をキープしてくだしさい」
とか思ってしまうんだけど。

ということで、
ラーメンマスコミ的には「今年はつけめん」らしいが、
そんなこととは関係なく、
ボク的にも今つけめんがマイブームになっている。
実はつけめんってのは今年まであんまり食べたことがなかった。
もちろん存在は知っていたけど、
なんでわざわざ別々に?ってあたりの意味がわからなかったからだ。

が、今年たまたま、おいしいつけめんに出会ってから、
「あ、ひょっとしたらつけめんのほうが好きかも」
とさえ思えるくらいに好きになった。
というのも、前々から、
ラーメンに限らず、関東の味は濃すぎるので、
そこだけはちょっと辛いなぁと思っていた。
普通のラーメンだとそう思ってもどうしようもなかった。
が、
つけめんだと、そばと同じで、
つゆへの浸し方を調整すれば、
自分で味の濃さをコントロールできることがわかった。
これはありがたい発見だった。
日本人はもともと「口内調合」という独特の食文化を持っている。
味のないご飯が口の中に残っている状態で、
強い味のおかずを少し付け足し、口の中で味を調合する。
主食(ご飯)とおかずがはっきりわかれた
日本食ならではの食べ方だ。
つけめんの濃さ調整もそういう「口内調合」の一つだ。

ps:
先制する、あるいは逆転する。
が、最後は押さえが打たれて負ける。
何年、我が巨人は同じ負け方を繰り返すつもりなんだろう。
ナベツネのせいじゃなかったんだ(悪かったよナベツネ)




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