人間風車

2005/10/31(月)
無断引用

一応、ムームー内のすべての文章の引用はご遠慮しております。
ここ
ただ、実際にご遠慮してもうらようお願いしたことは、
今まで1件もありません。
むしろ、ブログや掲示板で、
引用+自分もそう思う、自分はそう思わない
という記事を見かけると、
反対賛成にかかわらず、
おもしろく思ったり感心してたりするくらいですし、
そうでないつまり敵意+間違った解釈に引用が使われてる場合も、
それが個人のブログや掲示板や巨大掲示板など、
一般的でない場所であった場合は、
まー、一般にHPを公開している以上、
そのくらいは仕方がないなと思っているので、
今まで一度も引用をご遠慮くださいと思ったことも、
そう伝えたこともないわけですし、
今後もそのつもりでいます。
でも、想定としてはもっとイヤな想定もできるわけなので、
その「予防」の意味において、
上のようなお願いを入れている次第です。

(1)
こいつはウソつきだ。
あるいは、こいつは差別している。
とだけ書いて非難したところで、
他人の同意はあまり得られそうにない。
そこで
(2)
>牛丼なんて見たくもない。
と書いているが、実際に食べているところを見た。
だからウソつきだ。
あるいは、牛丼を差別している(笑)
と本人の言葉を引用して非難したらどうだろう。
かなりの人が、本人がそう言っている以上、
そういうヤツなんだと同意するんじゃないだろうか。
しかし、その引用の前後が、
(3)
>牛丼が大好きなので3日連続で食べた。
>さすがに、今日は、
>牛丼なんて見たくもない。
という文章だったらどうだろう。

もちろん、これはあり得ないくらい極端な例だけど、
かように、最初に敵意ありで、
その敵意の「素材」として使えそうな部分を抜き取り、
意図して違う解釈を与える。
っていうのは意外に簡単なことだ。

書かれている非難が果たして正当であるかどうかは、
本当は(3)の原文全文までたどってジャッジしないといけない。
が、(自分もそうだけど)
よほどの興味があるテーマでない限り、
だいたい(2)でふ~ん、けしからんヤツだなー
ということで終わってしまう。
つまり、
歪曲した意図を第三者に伝えるのは簡単な作業であり、
それでいて効果抜群っていうことだ。

こうした問題は別にネット上の問題だけではない。
よくテレビや週刊誌で政治家やタレントが、
同じような「戦略」でいじめられているのを見る。
ただ、
テレビや週刊誌の場合は、
非難している自分の身も明らかにしているので、
いい加減な非難をしたら、相手から、
著作権侵害、名誉毀損などで訴えられる可能性もある。
また、成り行きを見守るユーザーの目もある。
そのリスクが、ある程度、良識として機能する。

その点、ネットは匿名でそうしたことが行える。
どんなにひどいことを書いても、
自分の身がバレることはない。
(同じ匿名でも無言電話などは身元がばれる危険性がある)
そのことが、
攻撃性や無責任さの歯止めをきかなくさせてしまう。
年齢も住んでいる所も関係なく誰でも行える。
そういう危険性を持っている。

どこがどこまでが悪意で、
どこがどこまで道徳的なのかの線引きっていうのは、
実のところとても難しい問題だ。
ただ、個人個人の判断ですればいいというレベルでは、
ヘミングウエイのこの言葉におおむね同意だ。
「それが道徳的であるかどうかは、
(読み終わった後で)
きみが感じた後味の良し悪しで判断すればいい」

ということで、この日記も引用禁止でお願いいたします。


2005/10/27(木)
世論

今日から『福福の島』のCMが始まる予定ですね。
ホントは、発売と同時あたりからの予定だったんですが。
このCM、
「そうそう、そういうことなんです」ってことで、
とてもわかりやすいです。

だいぶ、ここ(人間風車)では、
生な話や自分の私見や愚痴や反論みたいなものが、
書きにくくなってきてしまった。
んで、そういうのはすべてMIXIに避難することにしました。
(といっても、
守秘義務にかかわるようなことは何にも書いてないです。
安心してください>関係者さんw)
MIXIはマイミクだけの公開にしてあるので、
気になる人はお気軽にマイミクのリクエストをください。
誰とでもマイミクになります。
「福福系ゲーム制作」で検索すると「l号」でヒットします。

「どうして買ってはいけないのか僕には分からない」
村●ファンドの村上さんや楽●の三●谷さんほどの
頭の切れる人でも「世論」の風向きって計算できないんだなー。
想定の範囲か、ともおもったけど、
村●さんが急にすべてのテレビ局をまわったところを見ると、
やはり想定外じゃなかったにしても想定以上だったんだろう。

株価っていうのは、世論と無縁ではいられないから、
「世論なんて、ほっておけばいい」
というわけにもいかなかったんだろうなと勝手に想像。

ああいった形のM&Aが、
長期的なビジネス的な戦略として正しいか、間違っているか、
そういうことが好きか、嫌いかっていうことはあるけど、
株を公開している以上、
誰がどこまでしか買ってはいけないという法律もないんだから、
どれだけ買われようが問題はないはずなので、
ルールに則り買い付け、ルールに則り公表してて
今のように「人として、ひどいことをしている」
みたいなトーンで語られてしまうと困ってしまうだろう。
むしろ、いつまでも公開状態にしていた
TBSの方に落ち度があるはずだ。

しかし世論的にはそういう社会的な合理性云々よりも、
「敵対」とか「金に物を言わす」みたいな
わかりやすい言葉の持つイメージのほうが
指示されやすいようだ。
どうしてあっという間にそういう
「流れ」ができてしまうんだろう。
どういうときにそういう「流れ」ができてしまうんだろう。
わかりやすい筋であるとか、
自分の身の回りのことに転化しやすいこともあるだろうが、
自分たちが抱えている
劣等感や嫉妬心や敵対心から目をそらしてくれる、
かっこうの「スケープゴート」になってくれる
っていうこともあるんだろう。
前回書いたように、
ひとたび、そっちに流れれば流れは1つになってしまうっていう
集団心理もそれを加速させるんだろう。

ほんと、世論は怖い。
世論が起きるまで世論のベクトル(方向と量)が
わからないあたりが特に怖い。
彼らも最初は、
きちんとわかりやすく説明すればわかってもらえるはず
という感じで、記者会見に応じていたけど、
最近では、その無意味さを感じているのか、
いらだちを隠しきれない。

いかに丁寧に理論的に説明したところで、
世論は、自分がいかにスッキリするかが目的なのであって、
話し合いたいとか理解したいとか
正しいジャッジをしたいということではないから、
いくら釈明を繰り返しても結果は変わらないだろう。
いくらマスコミの前で訴えても、
言葉の端っこをトリミングされて揚げ足を取られるか、
肝心なところは「あえて」無視されるのが落ちだろう。
(その点、編集できない生放送のみを選んだ村●さんは、
さすがに隙がないと思った)

彼らのモヤモヤしたエネルギーが消費されるまで、
じっとしているほかないのかもしれない。

機をみて敏なるマスコミは、
世論と同じ方向で語る方が、
「わかりやすく共感してもらえる」ことが約束されている
わけだから当然、その方向でしか語らなくなる。
情報を受け取る側は、
マスコミから伝わる情報には、
必ず何かしらのフィルターがかかっているはずだ。
そういう引き算をしながら受け取らないと、
渦中の人だけのやっかいごとではなく、
最期には自分もこうむる可能性大という意識が必要だと思う。


2005/10/25(火)
パンドワゴン効果

某巨大掲示板での発言が話題になる度に、
テレビなどで文化人が匿名性の危険性を指摘するが、
単純に、匿名であるかないかだけを抽出して、
いい悪いを語るのは乱暴すぎる。
わかりきったことだけど、匿名にはイイ面も悪い面もある。
いくつかの重要な内部告発や問題提起は、
匿名だからこそなしえたことだろう。
ただし、
悪い面が出やすいことはたしかなようだ。
実際に心理学の実験で、
匿名のほうが個人の攻撃性が高まることが証明されている。
具体的な暴力(ペンでの暴力も含む)をふるわなくても、
旅の恥はかきすて。
車に乗ると人が変わる。
サングラスをかけると態度がでかくなる
なども「攻撃性」の一つの表れと考えられる。

匿名性がもっともダークフォースに流れやすいのは、
それが集団性と合体したときだろう。
心理学の用語で「バンドワゴン効果」というのがある。
バンドワゴンというのはパレードのときの楽団のことだが、
誰もが彼らの楽しい音楽を聴いていると、
心が躍って楽団についていってしまいたくなることから、
会議などで喝采や野次がいったん起こると、
一瞬にしてその方向に会議が流れてしまうことなどをいう。
よく「全員一致の議決はやばい」というが、
この「バンドワゴン効果」が原因である。

いったんムードが一方向に傾くと、
「それはどうかな?」となかなか反論しにくくなる。
特に日本では、
大勢に合意しない人をうとむ文化があるのでなおさらだ。
そうなるといったん傾いた選択にブレーキがきかなくなり、
どんどん過激になっていく。
さらに、もともと、
団結の強さイコール実力の強さ、正しさみたいな
間違った幻想が生まれやすいことから、
妙な勇気と自信が生まれ、
何かの大儀や正義を抱いているような錯覚に陥る。
戦争に突入した日本(軍)がそうであったように。

「バンドワゴン効果」は、
匿名のときばかりに起こる現象じゃないけど、
匿名である方が起こりやすいのは間違いないだろう。
ここに、
インターネットの同時性や簡易性や伝達力などが加わると、
さらに危険な道具になる可能性が大きい。
ぼくらはそういうやっかいな道具を手に入れたのだということを
自覚しないといけないし、
下手な使い方をしないように注意をしないといけない。
(歴史を振り返れば歴然なように、
権力は常にぼくらから権利を奪いたがっているものだ。
そういうチャンスを与えてしまうのが一番怖い)
原子力と同じで、使い方さえ間違わなければ、
とてつもなく頼りになる道具なのだから。


2005/10/24(月)
卒業させない

それにしても、プロ野球はほどほど運がない。
選手会のスト、去年はライブドア→楽天買収騒ぎ、
さらに今年はTBS買収でにわかに横浜ホークス買収噂。
集中して野球をやらせてあげたい。
ついでにロッテに優勝させてあげたい。
来年はロッテと戦ってみたい、、、

あいかわらずCMの間とかお風呂が準備ができるまでの間とか、
『ドクターマリオ』@microで遊んでいる。
どーやら『ドクターマリオ』の出来の良さ以上に、
@microあたりが大きく影響してそうだけど、
なんでやっているのか、
自分でもまだはっきり理由がわかっていない。

まだゲームをやっていない人、
もうゲームをやめた人、
その両方を取り込まないことには
ゲーム業界の未来がないのは、
自明の理だが、
どちらを取り込むのも簡単なことではなさそうだ。

ただ、どちらかといえば、
もうゲームをやめてしまうそうな人を引き留めるほうが
少しだけ簡単そうだ。
マンガにしてもアニメにしても音楽にしても小説にしても、
映画にしても、ファッションにしても、
主となる購買層は、
お子様~若い人たちであることにかわりないだろうが、
それらの分野は、若い頃はまった人を「卒業」させないよう、
年齢年齢に応じたコンテンツを提供している。
それに対してゲームはどうか、というと
あっさりと「卒業」させすぎてしまっている気がする。

ゲームをやめてしまうそうな人が、
どういうものだったら卒業しないのか、
そうしたリサーチはされているんだろうか。
きっと、
「じゃあ、どんなものを望んでいますか?」
と聞いても無駄だろう。
ゲームに限らずなんだって、
ほしいモノはなんですか?に対する答えはむつかしい。
一方、
これはほしいですか?という問いに対する答えは簡単だ。
今、ビジネスの世界では
「現代は試行と検証の時代」なんて言われるらしいけど、
そういう意味でも、
どんどんゲームを出しては、
トライ&エラーを繰り返すしかないということなんだろう。
問題はその回転数なので、
いろんな意味でそれを可能にするためにも、
小型軽量の企画にすべきなのだろう。


2005/10/21(金)
社会人向け

ある人が
「今や大きいものが小さいものを飲み込む時代ではない。
速いものが遅いものを飲み込む時代だ」
と言っていたけど、楽●問題なんかを見ていると、
たしかにそういう気がする。
楽●のやっていることに対しては賛成の立場にはないけど、
すぐに(合併後用に)100ページ以上にもなる
コンテンツ企画案をテレビ局側に提出したあたりは、
その速度にはあきれつつも感心してしまう。

社会に出て働くようになれば、
毎日、少しずつ、疲労とストレスをおみやげとして、
家に持って帰ることになる。
週末なら飲みに行ったり、恋人と過ごしたり、
ドライブで気張らしして、
おみやげを捨ててくることもできるだろうけど、
ウィークデイの夜遅く、
もう友達にさえ電話するのをはばかってしまう時間に
帰宅したときなどは、その始末に困ってしまう。
なんてことは誰だって経験しているだろう。

そんなとき、一人でクールダウンするには、
ゲームという遊びはちょうどいいのかもしれない。
ただ、玄関のドアを開けたとき、すでにHPは0なわけだから、
テレビの前でテンション高く身構えて遊ぶ。
なんてのは少し荷が重い。
ベッドの上でごろんとして
楽しめるくらいの遊びがちょうどよさそうだ。
内容も、
終わるまでに時間がかかるってのも、
聞いただけで無理と思うだろうし、
説明書を読まないと
ルールがわからないなんてのもうざいだろう。
いや、ゲームの世界観に埋没するってことでも
荷が重いかもしれない。
テレビもつけ、お風呂にお湯を貯めながら、
留守電のメモを聞きながら、足だけで靴下をぬぎながら、
そんな、ながらながらのテンションで遊べるくらいの
遊びがちょうどいいんじゃないだろうか。
(て、おれだけど、それ)

もうすぐ始まる『福福の島』のCMは、
まさにそんな使い方を提案している。
CM中に出てくるキャラは、
プレイヤーをほめたり、なぐさめらるだけのキャラだ。
そのどこにゲーム性があるんだよ。やりごたえあるのか。
ゲームにそんなもの必要ねーよ。って思うかもしれないけど、
そーいうことじゃないんだよねー、社会人の世界って。
たぶん。


2005/10/20(木)
道具箱

発売ものびてしまったことだし、
もう少し『福福の島』の説明をさせてもらおう。
(繰り返すが、説明しといた方がいいなと今でも思うあたりが、
今回の最大の反省点だ)

プロジェクト発足時、メンバーとは、
「今回の一番の試みは、
道具と道具箱を提供するということだね」
と話していた。
ミニ・ゲーム集といったものはすでに出ているけど、
道具集みたいなものは、まだ出ていなかったから、
こんな理由から、
そういうモノを作りたいと思ったわけだ。

道具、つまり、
実際の生活で役に立ちそうな
コンテンツを集めたものってことだ。
ゲーム機用ソフトとして、そういう道具箱を売ること自体、
まだとまどわれるだろうから、
今回は中に入っている道具は、
見たことのある、使い方のわかる、
すぐに便利だとわかる、
そんな道具ばかりにしようとも思った。
見たことのない、使い方のわからない道具ばかりじゃあ、
説明を読んでいるだけで、うんざりしちゃうだろうから。

こういう道具箱だとイメージしてもらうといいかもしれない。
箱を開けると、
中には、占い、心理テスト装置や簡単なパズルのようなもの、
それに文庫本のようなモノが入っている。
占い、心理テスト装置は文字通り、その日の運勢や
プレイヤーの性格分析をしてくれる。
パズルはジグソーパズルが25個、
クロスワードが毎週1個、1年以上分ある。
文庫本は、
クイズの本が1冊、うんちく集が1冊、
それに各種資格試験問題集
(これは超むつかしい)が1冊ある。
それ以外に、箱庭を使った
簡単なミニゲームがいくつか用意されている。
これらの道具というかおもちゃは、
好きなモノを選んで遊んでもらえばいい。

なにが今までのゲームと違うかというと、
ゲームの世界の中の出来事を
登場人物の一人になりきって遊ぶというのではなく、
現実のプレイヤーに少しだけ役に立つ、
少しだけハッピーをプレゼントできる、
そういう道具をいじってもらう遊びだということだ。

ただ、
見るからに無味乾燥な道具箱っていうより、
もう少し雰囲気のあるデコレートした道具箱にするのがサービス
と思ってそうしたことが、
逆に説明が必要になってしまったのは、計算違いだった。
こういうことをまさに「蛇足」っていうんだな。


2005/10/19(水)
お詫び

もうご存じの方もいらっしゃると思いますが、
『福福の島』の発売日が2005年11月10日に延期されました。
楽しみにしてくれてた人、予約をしてくれてた人、
すみませんでした。
全くもってぼくらの不徳の致すところです。

個人的には、
延期の理由をきちんと説明するべきと思っているのですが、
今のところは「制作上の都合」ということでお願いいたします。

ps:
『福福の島』では、1日1カ所1本だけ引っこ抜ける
「占い草」というのが生えていて、
引っこ抜くと根っこのとことに
「今日の一言」が書かれているんですが、
今日の「今日の一言」(公式サイト上のデータ)が
これだった。
まったく、その通りです。と思いました。
20051019.jpg


2005/10/18(火)
片手文化

片手文化。
勝手に今の時代をそう呼ぶことにしよう。
ながら文化といってもいいかもしれない。
その時を1つのことだけに集中して過ごすということを、
ぼくらはかなりしんどくな感じているんじゃないだろうか、
ってことです。
テレビをみながらメールを読む。
人と話ながらゲームをする。
ご飯を食べながら本を読む。
歩きながら音楽を聴く(古すぎw?)

そう書くと、じいさんたちが、
最近の若者は熱中力とか集中力を失ったからと
総括しそうだが、
それもあるだろうけど、それ以上に
みな忙しいのだ。
仕事だけじゃなくって遊びも忙しいのだ。
やりたいこと、やらなくてはいけないことが
いっぱいありすぎて、1日24時間じゃ全然足りない。
1つ1つの案件に使える時間も少なくなっているが、
それでも、
同時に複数のことでもしないことには、
とても消化できない勢いだ。
なんて事情も少しはあるような気がする。


2005/10/17(月)
片手ゲー

またゲームを買った。
またしてもGBAソフト。
どーもGBAゲームのスペックと
今の自分のテンションとが、同じレベルにあるようだ。
市場とか環境とか立場とか、
そーゆーの一切を無視して言えば、
今、一番ソフト(ゲームと言っていない)を
作りたいハードは、
次世代マシンでも今のPSPでもDSでもなく、
もちろんPS2でもキューブでもなく、
Gameboy Microだ。
(前のアドバンスじゃなくって)
しかもタテにして使える、
十字キーだけ(あるいはABボタンだけ)
つまり片手で遊べるソフトを考えてみたい。
考えるだけはタダだから考えてみるか。

楽●の社長でさえ、合併の目標として
「ネットとテレビの融合」という
ありきたりで不明瞭、不透明な目標しか提案できないんだ。
と思ってがっかり。
(ひょっとしたら、もっと鋭いことを考えてるけど、
今は煙に巻いているのかもしれないけど)
ただ、そうだとしても、ああいう記者会見だけだと、
やっぱりテレビのコンテンツがほしいだけ、
テレビ事業がほしいだけって
金で奪うだけって
見えてしまっても仕方がないだろう。

それはそうと、
前のライ●ドアの件、村●ファンドの件、楽●の件と、
私たちは(というかおれは全然関係ない気がするけど)、
次の元寇(外資の進出)の練習、訓練、ワクチンとして、
彼らの所業に感謝するべきなのかもしれない。
って、やっぱりどー考えたって、
おれには関係なさそうな話だ。


2005/10/13(木)
ユーザー間のコミュニケーション

ちょっと前に『酸素エアチャージャー』なるものを買った。
仕事を始めるとき、これを吸うわけですが、
たしかにちょっと頭がさえるというか、眠気が抜ける気がする。
気のせいか、色がよく見える気さえする。
自己催眠に陥ってるのかもしれないけど、
それでもまー、気分よく仕事が始められるのだから、
それでもヨシだ。
ということで、久しぶりに「間違い」でない買い物だった。

どのゲーム機も通信機能を持つようになったので、
企画を考える時点でよく
「ユーザー間のコミュニケーションを意識した遊び」
という言葉が出てくるようになった。
シンプルに考えてしまうと、
ゲームの世界内のアイテムの交換や共同作業
といった方向で考えてしまいそうだけど、
もっと大切なコミュニケーションは、
ゲームの外にあるのではないかという気がする。
ゲームの外のコミュニケーションとは、
そのゲームが普段の会話のネタになるという意味だ。
プリクラやシューズやたまごっちがそうであったように、
見せっこする、それをネタに会話が始まる。
ゲームがそういう触媒になるってことだ。
つまり、同じゲームとゲーム機を持っていた者同士が
どうのこうのということではなしに、
持っていない人にゲームを見せることだけでも、
二人の間に会話が始まれば、
(別に二人じゃなきゃいけないわけじゃないけど)、
それはそれでゲームのコミュニケーション機能と
呼べるんじゃないか。
そっちのほうが、現実的な話じゃないかと思うわけだ。
(現実的というのは、同じゲーム、同じハード、
しかも同じくらいの進行度であることが前提となるような
コミュニケーションって発生頻度は
すごく低いんじゃないかとかいうこと)

またしても宣伝で恐縮なんだけど
『福福の島』の登場人物「コピタン」は、
生年月日を入力した二人の相性度を占ってくれる。
ま、生年月日からだから、
占いの一種と考えてもらった方がいいんだけど、
ゲームを持っていない人に入力してもらえば、
その人との相性度が測れるわけで、
高かろうと低かろうと会話の出発点になるわけだ。

というような遊びをそれ以外にも
いくつか入れたつもりなので、
そこらあたりがフックしてくれるとうれしい。


2005/10/12(水)
試行錯誤のテンポ

こんなにいろいろなメディアが出現しているというのに、
テレビがいまだにみんなに一番人気のあるメディアであるのは驚きだ。
一般的なテレビの映像フォーマットNTSCは、
もう50年くらいも昔のフォーマットなのだ。
IT革命がどーしたこーしたという時代に、
50年前のフォーマットがそのままやっていられるのは、
いかにコンテンツが優秀であるかということだ。

どうしてテレビが未だ一番人気なんだろう。
いっぱい理由はあると思うけど、その一つは、
トライ・アンド・エラーの回数が多いことと、
その速度が速いことだろうと思う。
決して、一発で人気のある企画を生み出しているのではなく、
いろんなネタをやってみてその中から当たったのを伸ばす、
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる戦法で、
みんなのニーズを取られてきたなのだろう。
などと、
今日、宗教というか神を扱った番組をちらっと見て、
そんな風に思った。
(ゲームではタブーの領域だ)
こうした企画が当たるかどうかなんてのは、
やってみないとわからないだろう。
当たれば続ければいいし、当たらなければやめてしまえばいい。
そのステップの軽さが、テレビのすたれないパワーの源のような気がする。
書籍なんかを見ていても、まだそういうところに脈があるような気がする。
そういう多様性と試行錯誤のテンポを失ったメディアは、
ブームが去ったら取り残されるだけなのだろう。


2005/10/11(火)
自分が知りたい

アメリカの台風災害で家を失った人に、
一時住居としてのトレーラーハウスを提供しているというニュースを見た。
トレーラーハウスっていうのは、いいかもと思った。
移動できる。すぐ住める。家具が揃っている。再利用が可能。前もって用意できる。
東京だと駐車スペースとか問題になってしまいそうだけど、
地方なら、専用の駐車場を作れるだろうから、アリだなーとか思った。
値段とメンテナンスの費用なんかは問題になりそうだけど。

『あるある大辞典』で性格診断テストをやっていた。
どうしてこうぼくらは、自分のことが知りたいのだろう。
日本人特有なのかな、それとも世界的にそうなのかな。
自分に対するうわさ、評価、分析、運勢、、、
自分に合っている仕事、パートナー、服装、、、
占いや心理テストのたぐいは、
もーマンネリを超えて繰り返して提供し続けられているし、
ほとんどの人は、
運勢の判定が科学的に正しいなんて思っていなだろうし、
占いの結果が実際の生活に関係しているなんて思ってはいないだろう。
なのに、人は心理テストも占いも好きだ。
なんでだろう。
『福福の島』を作りたいなと思ったきっかけもそこなんだけど、
つまり『くまうた』のときと同じで、
どうして自分にはピンとこないけど、これだけ人々を引きつけるんだろう
という好奇心から、勉強を始める。
で、作ってみて、
ああ、なんとなくそういうことなんだろうなーと思ったことは、
いい運勢が出たときのちょっとしたうれしさ。
自分がどういう性格で、どういう特徴があるのか、
だからどうするといいのか、
そのヒントやアドバイスがもらえてたときに感じる、
少し目の前に日が差し込んだような暖かい感覚、
マイ・ボキャブラリーではうまく表現できないけど、
すごく凡庸な言葉でいえば、
ほんのりとした「高揚感」とか「ラッキー」とか「幸せ」とか「福福しさ」
あたりが心地よいのだ。
強烈におもしろいとか役に立つとかいった
強い「お得感」じゃなくって、
もっとささやかで小さな、うれしさ。
きっと占いや心理テストにはまっている人は、
そういうのが好きだから何じゃないかなと、
ざっくりと推測している。
だったら、持ち歩ける装置で、ちょっとしたヒマに
そういう気分を味わえる遊びっていうのでも、
商品として成り立たないだろうかと思った次第だ。

ただ、占いや心理テストをそのままやるだけなら、
わざわざゲーム機であそばなくてもいいわけで、
ゲーム機でやるんだからと、
運勢の結果がはっきり感じられるようにした。
だいたい、朝のテレビなんかでいい運勢が出たって、
そういうのを現実の生活で体感できることなんてない。
しかし、このゲームの中では、実際に運勢の善し悪しが感じられる。
また、普通のゲームでは、
家具や服の購入や着替えは単に美的な基準で行われるが、
このゲームの場合は、
それらがもつラッキーカラーで運勢を補正できるようになっている。
よく、幸運のブレスレットとか売っているが、あれと同じだ。

リアルの自分の運勢をゲーム内でも直結させるために、
ゲーム内は現実世界と同じ時間で動いている。
時刻だけでなくカレンダーや月齢も同期している。
(占いは、星の運行なども計算に入れているので、
月日はもちろん、そのときの時刻もわからないといけない)
さらに、
精神分析もよくある(とっつきやすい)心理テストから、
もう少し精度の高い分析ができるように、
実際の臨床の場で使われている精神分析テスト
(いろいろと支障があるのでどのモデルかはふせておく)
も使っている。

こういう遊びは、
コアなゲームユーザーにはピンとこないかもしれないが、
どのみち、そうでない人たちに視線を向けて作っているので、
どーか、そういう人はスルーしてほしい。

2005/10/07(金)
めずらしくゲーム

あっという間に一週間が終わり。
ここんところ、
連休が多いんでなんだか一週間が終わるのが早い。
なんでも4年後には、
「ハッピーマンデー」と「国民の休日」のいたずらで、
9月19日~23日まで5連休になるらしい。
つまり第二GWが秋に出現するわけです。
(ま、たぶん関係ないか、ずっと休みになっているか
どちらかだろうから関係ないだろうけど)

めずらしくここのところ毎日ゲームをやっている。
ゲームボーイマイクロで『ドクターマリオ』三昧。
もー、ずいぶんと昔はまったゲームだけど、
風呂にお湯がはるまでのひとときとか
(たいがいそれだけじゃすまないんだけど)
打ち合わせの前のちょっとした時間とか、
そーゆう時間にはピッタリのハード&ゲームだ。
「ああ、こういうことだったら、おれでもやるのかー」
と妙な感心をしてしまった。

DSはタッチペンでいじるという新しい遊びを発明したけど、
意外と片手で十字キーだけで遊べるなんてのも、
だらだらとベッドの上で遊ぶにはいいかもしれない。
ちょうど、携帯メールが大好きな人の
「だって、片手で(何かしながら)打てるから、
PCでメールで打つより楽なんだもん」
という理由と同じだ。


2005/10/04(火)
もう少し宣伝、もう少し説明

あーあ、元木も清原もいなくなっちゃうのかー。
新人から選手を育てるわけでもなく、
スカウトした選手を最期までフォローするわけでもない、
ああ、ファンやっているのが年々辛くなるなー。

『くまうた』のときは、一目瞭然。
くまが自分で歌を作って歌ってくれる。以上。
とシンプルに語れたが、
『福福の島』はそのあたりは弱点がある。
もう少しちゃんと説明しないと、
なかなか把握してもらえない可能性がある。
(この点は反省しなくっちゃなー)
で、もう少し宣伝、もう少し説明。

このゲーム、実はゲームをやる前にイベントがある。
このイベントをやってもらえれば、
ぼくたちが『福福の島』で何がやりたかったか、
その根っこの部分がわかってもらえると思う。
「続き」を選ぶと
まず、プレイヤーの運勢ランキングがでる。(図1)
星座×血液型×干支占いの総合点のランキングで、
よく雑誌の占いページにあるものだ。
で、その後に、色相心理テストがはじまる。
今、ピンとくる色はどんな色か。
それを選ぶことによって、
そのときのテンションを調べるというやつで、
これは心理テストでもポピュラーなジャンルだ。
つまりゲームを始める前に、
プレイヤーの運勢やコンディションを測定するのだ。
というか、
運勢やコンディションをはじめ、知識、性格分析などなど、
プレイヤー自身を測定すること、
それが『福福』の主たる目的となっている。
つまり道具なわけです。

このゲーム開始前のイベントが、
個人的にはとても気に入っている。
とくに気の利いたアイデアであるわけでもない、
というかとても凡庸なアイデアである。
なのに、今でも毎日ここだけはやってしまう。
ある意味、こことこの後続く5秒間クイズ、
それに家の近くに毎日落ちている新聞を見つけて読む。
今の自分のゲームに対する「食欲」からすると、
それだけでも十分かなと思ってしまうくらいだ。


2005/10/03(月)
ゲーム機のポテンシャル

スチームで焼くオーブンに電子レンジ機能がついたので、
がぜんほしくなったんだけど、
ふと、あのスチームで落ちた油のその後が気になった。
ひょっとしてトレーにぼたぼた落ちた油は後で掃除する?
オーブンで焼くたびに洗わないとダメ?
だとしたら超無精のおいらには無理だなー。

家庭用ゲーム機ってのは、
ゲームをやるために特化したマシンとして生まれたわけだ。
だから今でもゲームをやるのが一番得意なマシンであるのは、
たしかにそうだろう。
が、しかし、
スペック上の問題で、ゲーム再生にフルチューンされ、
他の遊びがむつかしかった初期のゲーム機と違い、
他の遊びも可能になってきたってのが昨今のゲーム機の特徴だと思う。
ゲーム機のスペック向上を、
よりリアルなゲームの映像を再現できるとか、
たくさんのゲーム的処理ができるようになったとか、
そういう「ゲーム内の進化」だけで語ったり、考えるのは、
とてももったいない気がする。

ゲーム以外の遊び、例えば、
『エレクトロ・プランクトン』なんてのは、
ゲーム的な遊び方をすれば、
目的意識が持ちにくいとか、やり込みが効かないとか、
そういう風に見えてしまうかもしれないが、
トップ・アーティストの作品が数千円で買える。
というのはとってもスゴイことだし、未来のあることだ。
メディア・アートの作品に限らない。
小説でも絵画でも映像でも絵本でも漫画でも、
いろいろなものが体験できる装置であることを意味している。
そういう「作品」ばかりでなく、
いろんなツールとしても使える。
そんなものはPCでとっくの昔に実現されていると言われそうだが、
例えノートブックであっても、
ポケットから取り出して、
カートリッジを入れてスイッチ一を入れたら数秒でプレイ可能
というゲーム機の「お手軽さ」に比べたら、
PCはいろんな意味で重すぎる。

こうした考えはゲームを軽視していると見られがちだが、
コアなゲームユーザーをのぞけば、
ゲームとそうでない遊びなんて境界線自体が、
もう意識されなくなっているのだと思う。
教育も健康も暇つぶしも体力を養うのも病気の予防も出世術も
もう「遊ぶ」としてフラットに並んでいる。
(テレビ番組を見ていれば一目瞭然だ)
だから、従来型のゲームしかできないというほうが
よっぽど偏ったバランスの悪い姿勢になっていると
考えた方がいいわけだ。

『福福の島』を作ろうと思ったきっかけというか、
『福福の島』の原点はそういうところにある。
ということで詳細は明日に続く。




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