人間風車

2005/11/30(水)
誰がウソつきか

お互いに罪をなすりつけあう
参考人招致の様子をぼんやり見ていたら、
なんとかく、
論理パズルを解かされているような気になってきた。
よくあるヤツである。
例えば、
"
あるところに2組の3兄弟がいました。
その6人をそれぞれABCDEFとします。
(誰と誰が兄弟かは不明)
この6人のうち、
3人は常に本当のことを言い(正直者)、
他の3人は常に嘘をつきます(嘘つき)。
また、
どちらの兄弟にも最低1人は嘘つきがいます。
以下の証言から、
誰と誰が兄弟で、
嘘つき・正直者はそれぞれ誰なのかを当ててください。

 A「私の兄弟は2人とも嘘つき」
 B「私の兄弟は2人とも正直者」
 C「AとBは両方とも嘘つき」
 D「私はCと兄弟」
 E「私とBは兄弟」
 F「Eは正直者」

頭の体操/論理パズル」より
"
というようなものだ。
そーいうクイズだと思って
参考人たちの意見を聞いてみるとなかなかおもしろい。
ただ、こちらは、
G「全員嘘つき」
っていう解もありうる。


2005/11/28(月)
どつぼ

オジャマモンこと小島社長も、
今は自分の露出好きを反省しているんじゃないだろうか。
口に自信があるようだから、
発言の機会さえ与えられれば疑惑を晴らせると
思ったのではないだろうか。
ところがどっこい、
マスコミは
「正しいと思うなら出演して弁明してください」
と言っているが、
その実は、すでに彼を悪者と決めていて、
彼をいかに叩こうとも
視聴者は賛同こそすれ違和感は感じないはず。
という自信と前提のもとに番組を進めるものだから、
彼の思惑通りには発言させてもらえないし、
彼自身も爆笑問題の太田の発言を借りれば、
「全国民が敵になってしまって、パニックになっている」
状態になってて失言の連続だしだわで、
出れば出るほど、
どつぼになっている感じだ。

果たして彼に犯罪性があるのか、ないのか、
ぼくにはわからないが、
ホント、マスコミって怖い。
敵意を前提とした場に出て行っていくら弁明したところで、
無意味などころか、逆効果だというのは、
他山の石というか、怖いなぁ、ヤバイなぁと
思った次第だ。

それはそうと、
欠陥住宅に住んでいる人は気の毒なこともいいとこだが、
それ以上に、
その建物の近所に住んでいる人はもっと気の毒だ。
自分の家に倒れかかってこない限り、
なんら保証もしてもらえないのだから。


2005/11/25(金)
あわただしい

どーゆーわけか、今週は予定てんこ盛りで忙しかった。
徹夜→徹夜→おでかけ→徹夜→おでかけ→おでかけ
で、今週が終わる。
つまり、今日も、
もう少しでおでかけしないといけないんだけど、
まだ全然仕事が終わっていないのでした。
ちゃあんと風邪も引いてるんだけど、
途中、仮眠を取っているのでなんとか持っている感じ。
人間、緊張して楽しんでいるときって倒れないもんだなーと
我ながら感心。

来週はちょっとゆとりができそうなので、
溜まった宿題をかたつけないと。
(と、なにげに言い訳しておこうw)

少女が殺されて段ボールに入れられ捨てられていた事件で、
また少女の生前のムービーと文集が紹介されていた。
なんか違和感を感じる。
被害者の人権の問題が一番大きいが、
事件に対する客観性を保つ上ではマイナスだ。
つまり、
ひどいとか、怖いとか、気持ち悪いとか、
許せないとか、悪いとか、不公平とかいった、
単純な感情が、
客観的な事実とその重みによるべき基準に
とって代わってしまうというのは、
ある意味、とても怖いことだ。
たしかに、感情論の方がわかりやすいし、
なにかと興味を持ちやすくなるが、
そうした基準だけで判断するようになってしまうと、
極端にいえば、攻撃的で凶暴な人間になってしまう。
つまり、
客観的な事実やその重みに関係なく、
感情的に許せないものに対しては、
攻撃してもいいということにしてしまえば、
感情的に許せないと自分が勝手に思うもの、
あるいは、
本来なら自分自身にぶつけるべき
怒りや劣等感のスケープゴートとして、
感情的に許せないものとして見つけ出してきて対象に対しても、
攻撃することを正当化してしまうようになるからだ。
そして、それで味を覚えた無意識は、
自分へのストレスが溜まるたびに、
次々と、
新たな「えじき」を探すようになってしまう。
これはかなり不幸なことだ。


2005/11/18(金)
信頼関係

マンション耐震強度偽造
こういう事件があると、
いかに自分たちの生活が、
お互いの信頼の上に成り立っているかってことがわかる。
震度5でも倒壊する可能性のあるような
マンションを建てるなんて、
もー、立派な殺人行為だ。
高度な科学技術や法整備の元で、
安心して暮らしているんじゃなくって、
怨恨のない人には危害を加えないでしょう。
人名を危うくするような仕事はしないでしょう。
っていう暗黙の了解の上に成り立っているんだなー
とあらためて実感する。

首都圏で計21棟あるらしいけど、
うちのマンションは大丈夫なんだろうか、、、(笑)
っていうか、
危険なマンションの情報について、
お役所は、
「個人の財産であり、公開できない」
ということで、
賃貸している人にも周りの住民にも公表していない。
ということなので、わかりようがない。

マンションが倒壊したら、
そのマンションだけの問題ですまない気がするけど、、、
そのあたりの感覚ってどーなってるんだろう。


2005/11/17(木)
行儀の悪い子供

電車や店の中で行儀の悪いことをして
周りの人に不快な思いをさせている子供を見つけたとき、
大人とすればどうすればいいんだろう。
例え他人の子供だとしても、
注意してやるのが大人の勤め。
と言ってもそうは反対されないだろう。
(もっとも、ホントにやるとその子の親が逆切れして、
けっこうおもしろくない展開になるのだが)

ネット上にも現実の世界同様に行儀の悪い子供たちがいる。
匿名でいられるから、叱られる心配がない。
コピペなどでお手軽に行儀の悪いことを量産できる。
検索技術の発展で、行儀の悪いことをしている現場に遭遇しやすい。
ので、ひょっとしたら現実の世界よりも多いのかもしれない。

そんなネット上でのお行儀の悪い子供にも
大人はちゃんと注意してやるべきだろうか。
リアルの世界ではそうすべきと言う人でも、
ネットの世界の話となると、
刺激すると逆効果だからやめといたほうがいい。
身を隠しているわけだから、注意しても効果がない。
などの理由で、躊躇する人がおおい気がする。
それが大人の余裕ってもんなのか。
それが大人のずるさなのか。
それが大人の臆病なところなのか。
微妙なところだ。

リアルの世界で行儀の悪いことをしている子供は、
躊躇なく正すし、ときには体に注意するし、
自分以上に気の短い人間を知らないし、
子供以上に大人気のない自分としては、
ネット上の行儀の悪さだって、
注意してあげたい気持ち満々なのだが、
ことゲームに関して言えば、
関わっている人の迷惑なんかを考えると、
やはり我慢してしまうところがある。
仮に我慢しなくても、
物陰から石を投げてきたヤツに怒鳴るようなもので、
まったく効果がなく、不毛であるどころか
逆にあおってしまう行為となることは
目に見えている。

周りの人はそんなボクの性格を知っているので、
「こんなことがありましたが、反応しないでくださいね」
と忠告してくれるが、
知らないなら仏でいられるが、
そう教えられると、
人間ができてない人間が仏になれるわけがなく、
よく「ふざけやがって」と怒っていたのだが、
ここのところの報告を聞いていると、
怒るというよりは引いてしまう。
(数としてはすごく少ないんだけど)

ある意味、
最近の少年少女による犯罪を見ているのと
同じように見えてしまうのだ。
具体的には書けないが、
よくまあ、そんなに卑屈で非常識なことするなぁ。
いや、そういうことを思いつくだけでも引くよ、
というレベルだ。

そういうことをする人は、
今の時代のことだけでなく、
いつの時代にもいたんだろうけど、
自分をさらさないですむし、
自宅のPCから簡単に大量に目立つところでできるし、
大人がそうした行為を注意できないしで、
昔よりずっとやりやすくなってしまっていることは
間違いないだろう。


2005/11/16(水)
終われる理由

ある有名なゲーム関係の人と話していたとき、
その人がぼくへの注文として
「終われる動機を作ってくださいね」
と言われた。
これには驚いた。
普通は、
いかに長く飽きずにプレイさせるかを考えるのが大切。
そんなのは、ゲーム作りの基本中の基本。
みたいに言われるのに、全くその逆だ。
でありながら、言われてみれば今の時代、
確かにその通りだと思って驚いたのだった。
その言葉を聞いて
すっかり胸のつかえが取れたというか、
目の前が明るくなった気がして、
(ああ、こういうのを目から鱗が)
と言うんだなと思いながら、
ではさっそくと考えてみたんだけど、
これが意外とむつかしい宿題だとすぐにわかった。

『福福の島』を作っているとき、
連続で10分、20分も遊んでもらえれば十分。
それ以上のテンションが続かなくてもイイ。
でも、なんか気になって毎日電源を入れてしまう。
そんな遊びの尺のほうが、
ゲームに多くの時間を使えない人には親切なはずだ。
と思って、確信犯てきにそうしてある。

で、実際、おそらく20分も遊ぶと
急激にテンションが落ちてくるはずだ。
このことはテストプレー中でも何度も実感してて
納得していることなんだけど、
いざ、製品になってそれを自分自身で感じてみると、
正直、やはり少々不安な気持ちにもなる。
従来のゲームの
「止められない、止まらないがいいゲームの証」
という価値観と真逆なので、
ということは、
クソゲーっていうことになってしまうからだ。
つまり、
頭の中ではこういうこともありと理解しているのに、
自分自身がまだそういう遊び方になれていないってことだ。
こういう気持ちになるとは、自分自身でも驚いた。

そんな中で、一番最初の言葉を聞いたので、
方向としてはやはりアリなんだろうな。
でも、テンションが落ちていくという
お任せな手法でなく、
終ろうと積極的に自覚してもらえるような仕組みが必要なんだなと
反省したりしているところでもって、
最初に戻るが、
そうは理解したり反省したりしつつも、
まだまだ簡単には見つけられそうにもない。


2005/11/15(火)
通らないといけないポイント

毎回思うんだけど、なんで加害者の人権ばかり守られて、
被害者の人権は守られないんだろうか。
なんで、バンバン名前や顔写真がでたり、
今回の女子高生殺害事件なんて
生前のビデオまで流れている。
遺族や関係者がこれを見たときどう思うかとか、
考えないんだろうか。
生前の顔写真や映像に、
社会性や報道の必然性があるのだろうか。
それを流すことをヘンに思わないマスコミが怖い。

どんな仕事でもそうだろうけど、
自分の進路に通らないといけない道というか
段階というかポイントがあるという
感覚をもつことがあるだろう。
やっかいだなーとか面倒だなーとか危なっかしいなと
思いつつも、そこを通り抜けないと「先に進めない」
そんな感じがすることが。
という感覚が現在の自分にもあって、
それを消化するには2007年春までかかりそう。
第一弾は『福福の島』だったけど、
なんていうかうまく例えられないが、
まだ全然ゲームの引力に引きづられているなぁという気がした。
といっても、
『脳トレ』のようなことをりたいというわけでもないんだけど。
ともかく第二弾のチャレンジも
なんとかできる環境になってきたので、
もう一丁がんばろうと思っている。

という自分とは別に、
ムームーはたいがいいつも2ライン走っているんだけど、
(割には作品と作品の間が空いているのだけど)
春には、よく冗談で「ゲーム部」と呼んでいる
もう一派による作品が出る。予定。。。希望。
(年内にも情報が公開される予定だ)
もちろんぼくも絡んでいるが、
ゲームのメインフレームはそのゲーム部が作っている。
こちらはバリバリのゲームになる予定だ。
当面、ムームーはこうして、
ツールとゲームの二本立てになっていきそうだ。


2005/11/11(金)
プアーな釣り場

今日(これが掲載される頃は昨日)は、
『福福の島』の発売日でした。
いままでゲームをやらなかった人に
フックするといいなあというのは、
今回のプロモがばっちり支援してくれたおかげで、
それなりにうまくいったかなぁとは思っているのですが、
ふと心配なこともある。

まわりのそんな人たちは一応に、
「PSPも買わないといけないんだよね~」と困った顔をする。
新しいハードを買うにしても「元がとれるか」どうか
心配しているのだ。
その理由は、
1つ目は、ハード自体の値段が高いこと。
2つ目は、普段、あまりゲームをやらないこと。
3つ目は、他にほしいラインナップが見あたらないこと。
あたりだろう。
1つ目の理由をのぞけば、
ゲームが大好きな人にはピンとこない話だろう。
が、『福福』がターゲットとしている人たちには、
切実な問題、つまりハードルの高い問題ってわけだ。
これが新たに出た映画のDVDだったりしたら、
どこのメーカーのプレイヤーでも再生できるわけで、
買うことに対してのハードルはかなり低くなる。
すでにゲームでは望むべくもない話だけど、
この点だけをとっても、
ゲームが再び新たな層を獲得していくのは、
映画や書籍よりかなりむつかしいだろう。

そう思うと、今のところ、
あまり魚のいないところに
釣り糸を垂らしたことになるのかもしれない。
ただ、今はいないけど、
今後もちゃんとまきえを続けたら、
魚が寄ってくるという気がしてならない。
一方、
今魚がいるところは、釣り人もいっぱいいて、
どんどん釣り人が一カ所に寄ってきている状況では、
今後つれなくなることは目に見えている。
だから、これからも
このプアーな釣り場でがんばって釣るぞ!

発売初日は、そんな気持ちでした。


2005/11/09(水)
軽さ

amazonの今の時間(am5:11)の
ベスト1書籍は『生協の白石さん
だった。
これ、読んだんですけどね、
たしかに白石さんのコメントはおもしろいです。
が、これがベスト1なんだーというのは正直ビックリ。
ぼくがおもしろいなと思ったのは、
白石さんのコメント以上に、
こういう瞬間的な思いつき(いい意味で)の企画が、
スッと書籍になってしまったという
制作現場の「軽さ」(いい意味で)
という点なんだけど、
ひょっとしたらそれが、
つい買ってしまう買う側の
「軽さ」をも誘発しているんじゃないかなと
ちらっと思った。

例えば、
今のお笑いが、前の漫才ブームのときみたいに、
みんなが一様に10分程度のコントをやっていたら、
今の僕らはそれに耐えられるだろうか。
今の芸人の瞬間芸、反射的リアクション、即興、アクシデント
くらいの「ボリューム」や「ウエイト」だからこそ、
フィットしているんじゃないだろうか。
で、そういう受け手の体力って、
きっと芸能だけじゃないじゃない気がする。

国土所有の北海道のゴルフ場を
倉本聡らが中心となって森に戻す作業を始めてると
テレビがやっていた。
ゴルフ場が開発事業なら、森に戻すのは回復事業。
倉本聡が大人だなぁと思ったのは、
「開発事業も回復事業も土木作業が必要だから、
そこに雇用がうまれるはず」
と指摘している点だ。
政治家が地元に利益(主に土木事業)を誘導することを
非難するのは簡単だけど、
干潟の干拓みたいに地球を壊すばかりじゃなく、
地球再生の土木作業もあるじゃないか。
理想論ばかりで反対して、
荒れたままに放置しておくのがもっとも危険だ。
って現実的な見方は、大人だなーと思った。
そうえいば、
ソウルでも生めてしまった川を再現させたらしいけど、
地方の政治家さんには、どうしても公共事業が「必要」なら、
せめて自然を回復させる方向につかってほしい。

自然保護か生活環境保全かという
二者択一の考え方ばかりじゃなく、
堤防を作って、その内側を自然の状態に再現する
というようなハイブリッドなやり方だってあるはずだ。


2005/11/08(火)
脳とコンピュータとマシン

NHKの「サイボーグ技術が人類を変える」の再放送を見た。
最近の人体改造技術ってすごい進歩だなーと思った。
(NHKはこういう番組もやってくれるわけだから、
みんなちゃんと受信料を払おう)

このレポートのショックさは、
おそらく欧米人より日本人の方が強いだろう。
おもしろいことに、
人型ロボットを作ることは、
キリスト教圏内の人たちにはかなり抵抗のあることらしいが、
日本人にはまるっきり抵抗がない。
一方、人体改造となると全く逆だ。
日本では整形手術ですら抵抗があるくらいだ。

人間の感覚器の延長は、
道具と文字の発明から始まったといわれるが、
今では、
脳とコンピュータとマシンが直結するので、
その延長型は生き物の領域さえ脱出しそうな勢いだ。
今までは脳からの信号を義手義足に伝達するくらいの
ものだったが、
今ではその逆、つまり機械のセンサーからの信号を
脳が受け取れる信号に変換して脳に伝えて、
本物の感覚器の代わりにするということも可能なのだ。

この双方向が可能になったことは
何を意味しているかというと、
もう感覚器は必ずしも肉体的に
脳とつながっていなくてもいいということだ。
コンピュータ処理された信号が仲介するので、
感覚器と脳は、
インターネットのあっちとこっちにあっても大丈夫
(何が大丈夫かって話だけどw)
ってことになる。
物理的につながっている必要のない自分。
という感覚は未だかつて人間は経験したことがない。

こうした技術に限らず、科学技術っていうのは、
便利であればあるほど、
同じくらい危なっかしいものなので、
取り扱いに注意しないといけない。
「手を失った人が普通の生活をとりもどせる」
と同時に
「手を失った兵士が再び闘える」
わけだから。



2005/11/01(火)
コンセプトゲー

ちょっと前まで東京モーターショーがやっていた。
さほど車には興味がないんですけど、
モーターショーに出ているコンセプト・カーを見るのは好きだ。
当たり前だけど、どの車も形や機能がユニークなので、
みてておもしろいのだ。
もちろん、それはコンセプト・カーってものは、
商品化前の希望的観測だけで作れるからってことだろう。
コンセプト・カーそのままで世に出たという話はあまり聞かない。
しかし、
こうした「未来」を考えていますっていうプレゼンは、
車業界全体に対してとても明るさを感じさせる。
東京モーターショーが、
もし、新車発表会だったらどうだっただろうか。
こんなにワクワクしただろうか。
マスコミがこんなに取り上げただろうか。

東京ゲームショーは、東京モーターショーと同じだろうというと、
やっぱり違う気がする。
新製品発表会だ。
ゲームを買う気満々の人には、そのほうがありがたいだろうが、
「最近のゲームはどうよ」というくらいのテンションの人には、
きっと、
少し興味あるジャンルの新製品発表会
程度の興味しかわかないんじゃないだろうか。

ゲームも車ほどじゃないだろうけど、
商品化の時点で涙をのんで切らざるを得ないアイデアがいっぱいある。
そもそも実現不可能、実現できるけど膨大なコストがかかりそう。
もろもろの権利問題をクリアしなくてはいけなさそう。
などなど、現実レベルの問題をクリアしていくためには、
どうしても「落ち着く」方向にしか進めない。
なので、現状の新製品発表会じゃあ、
やはり、もうゲームをやめた人、
ゲームに興味を持ちだした人にはアピールが弱いままだろう。

ということで、ゲーム業界も
コンセプト・ゲームってのを作ったらどうだろう。
というか、作らせてほしい。
ゲームの一部を張りぼてで作る
(車なら走らなくてもいい)くらないなら、
夢のあるゲーム世界を見せるのは、
そうむつかしいことじゃないだろう。
そういう張りぼてを作る段階で、
本制作になったときに現れるだろう問題点も見えてくるだろうし、
コストや作業内容も見えやすくなる。
ショーを見に来るお客さんの反応や意見も参考にできる。
見かけやアイデアが奇抜なら、マスコミも取り上げやすいだろう。
ゲーム業界も明るく未来があるように見えるだろう。
いいことづくめのような気がする。
もっともタダで作れないから、
それ単体では回収不能な経費がかかってしまうが。
だれか作らせてくれないかなー。




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