人間風車

2006/01/30(月)
夜明け前

ガラクテイル』がマスターアップ直前ということで、
みんながんばっている。
(と、他人事のように書いている場合じゃないが)
理想的には、
いい物ができあがるまで出さない。
いい物ができた時点で発売を決める。
のがいいのだが、
商品である以上なかなかそうはいかない。
売るための諸々の準備などなどがあるため、
ある程度完成の目処がついた時点で
先に「締め切り」を決めることになる。
なので、現実的には、
締め切りまでの間にどこまでブラッシュアップできるか
という問題になる。
このブラッシュアップの精度は、
制作者のテンションの高さが最も重要だろうが、
その次に、
直す→いじる→直すの繰り返しが
どのくらい短い時間でできるか、つまり、
決められた時間内に何回できるかにかかっている。
この作業の効率は1つにはゲーム制作システム
(エディターなどがしっかりしていて、
データ制作→プログラムへの反映が早いなど)
によるところも大きいだろうが、
やはりゲームハード自体の環境による所も大きい。
直す→ROMに反映する→テストする→直す...
の繰り返しが容易な環境は、
この最後の段階での追い込みにはありがたい。


2006/01/27(金)
汗水垂らして働く

「前にも書いたけど、
ライ●ドアのような「商い」は好きじゃない。
が、
好き嫌いと正しい間違っていると思うこととは全くの別なので、
そういう意味では間違った商いであるとは思っていなかった。
さて、そんな中での今回の事件。
きっと、
「ほおら見たことか」とスカッとした人、
「なんだかなー」といやな後味がしている人、
両極端だろう。
前者は、
そおら、若造が汗水流さず
マネーゲームに走った罰が当たったんだ。
という人だろうし、
後者は、
たしかに彼らは証券なんとか法に違反した罪はあるが、
そのこととかれらは虚業だとか拝金主義だとか
錬金術師だとか、そもそもITがけしからんとか(笑)、
そういう論調ばかりで語られているのはどーなのよ、
と思っている人だろう。
ホリ●モンが汗水垂らして働いていないというなら、
それをとがめるテレビのコメンテイターはどーなのよ、
そう思っている人もいるだろう。

問題は、スカッとして消えたものは何かということだ。
それが、
億単位の金にも六本木ヒルズにも
タレントにも自家用ジェットにも
無縁な我々の嫉妬心だったりしたら、
それはそれで寂しい話だ。


2006/01/26(木)
温故知新

「温故知新」って
「ウンコチンチン」と発音が似ている気がする。
はいいとして、
3月に出すゲーム『ガラクテイル』は、
ざっくりといってしまえば、
アドベンチャーゲームだ。
うちとしてははじめて既存のジャンルのゲームになる(笑)
(いままではずっとETC(エトセトラ)、つまり「その他」扱い)
ぼくらの世代にとっては、
アドベンチャーゲームといえば『オホーツクに消ゆ』など、
とてもなつかしいというか原点みたいなジャンルなのだけど、
今の人たちにとってはどーなんだろう。
(ああ、もーこういう書き方をするだけで1つ歳を取った気がする)
最近、全然ゲーム事情を知らないんだけど、
今でもコンスタントにアドベンチャーゲームは出ているんだろうか。

案外、温故知新じゃないけど、
一回りして、目新しく感じてくれたらいいなと思う。
とくにアドベンチャーゲームは、
カーソル移動でモノを探すとなるととてもうっとおしいので、
タッチペンで再び、息を吹き返した、新しい命をもらった
という感じがする。
使い慣れたペンと同じ感覚で、ゲームができるわけだ。
実際、『ガラクテイル』が
十字キーで操作するゲームだったら、、、
と思うとぞっとする。

モノを探す、どこにあるか推測するというのは、
それなりに「脳」を使わないとダメな一方、
ほとんど反射神経とかを必要としないし、
延々と何かを集めたりレベルを上げたりする必要もないので、
運動神経に自信がない人も、
最近、脳を使っていない人も、
最近のゲームの難しさにげんなりしてる人も、
ゲームやってる時間のない人も、
遊べるゲームになっている。
もっとも、例によって世界観はのんびりしているので、
アドレナリン出さなきゃゲームやった気がしない
という人には不向きかもしれないが。


2006/01/23(月)

東京は8年ぶりの雪とかで、
200人以上の人がケガをしたみたいですね。
ちょうど(運悪く)
その日に岐阜の友達が上京してたんですが、
こんな程度の雪で電車が止まっている、
みんな外に出てこない、
車の数がへる、
ケガをする、
っていう東京に心底ビックリしてました。
岐阜もことしは雪が多くて、
「50cmくらい積もっている中を車を走らせると、
車が雪の中にもぐって行っちゃって大変なんだよ」
と笑ってました。

「弱い自分がそこにいた」
「私はどうかしていた」
一見反省の弁に聞こえるけど、
基本的には、
それをしでかしたときの自分は
弱い、本来の自分ではない別の人(格)であった
という立場で語っているわけで、
ちょっと厳しい見た方をしてみれば、
反省でも何でもないわけです。
反省でも何でもないのに、
反省しているように見えるので、
(おそらく自分自信も反省している気になっている)
さらに始末が悪いわけです。
とは、ほとんど岸田秀の受け売りですけどね。
まー、同感だと思っています。


2006/01/18(水)
てんこもりの一日

もうそろそろ朝刊が出回っている時間だけど、
果たして今日の一面はなんなんだろう。
偶然なのか、わざと重ねたのかは知らないけど、
そのくらい、昨日はトピックスがいっぱいあった。

「刑事訴追の恐れがあるので、答弁を控えさせてもらいます」
は、
猪木アリ戦なみの意外な防御法でおもしろかった。
刑事訴追の恐れがある場合は答えなくてもイイと
国会なんとか法で定めてあるらしいので、
つまらないとか卑怯だとか誠意がないという意見には賛成だが、
ルールに則った防御法なので誰も文句は言えない。
もし、誰かに責任があるとしたら、
「刑事訴追の恐れがある」という判断が、
証言者の「主観」でできてしまうなら、
簡単にこうした事態に陥ってしまうという
不具合を見逃してしまった
あるいは、
はなっからそういう「抜け道」を
誰かのために確信的に残しておいたのか、
どのみち、
そういう法の制作者に一番の責任があるといえるだろう。

今後は、この防御方法は犯則にしないとダメでしょう。


2006/01/17(火)

世界的には水不足で、
これからの世界で一番の問題になるといわれている。
北陸の雪を見ていると、
あの雪をなんとか活用できないのかなぁと思ってしまう。
日本海の海水が「原料」なわけだから、
あの豪雪も、
天然の海水から淡水を作っているシステム
といえるわけである。
(もっとも、副作用がでかすぎるが)
雪が溶ける際の温度差なんかを利用して、
発電などはできないんだろうか。

石油にしても水にしても
埋蔵量の半分までを汲み出す費用と
残り半分を汲み出す費用は雲泥の差があるらしい。
油や水の質もまた最初の半分と残り半分では、
全然違うのだそうで、
どーやら、
今ちょうどその半分の所あたりに来ているのだそうだ。
石油は枯渇までに30年あるというが、
それはあくまで数字の上での話のようだ。


2006/01/16(月)
人生初の寒さ

肩こりと首こりと腰こりがひどい。
風邪気味が続いているとか、
慢性的な腰痛のせいもあるんだろうけど、
やっぱりこの冬の異常な寒さもその一因だろう。
昔はたしか冬はこうだっけかなぁなんて思っていたけど、
戦後一番の寒さってことは、
ほとんどの人にとって人生で一番寒い冬ってことになる。
そう思うとなんだか余計寒く感じてくる。

この寒さや豪雪っていうのは、
近年言われている地球温暖化と相反する現象のように見えるけど、
そうでもないらしい。
ありえない暖気が北極圏に入り込み、その結果、
北極圏の寒気が押し出されて日本上級に流れて込んでいるらしい。
また、ここのところの日本海の水温の上昇が、
大量の水蒸気を生み、豪雪の元になっているらしい。

ここのところの地球温暖化が、
すべて人間の仕業かどうかは科学的には微妙な問題らしい。
地殻変動など地球の事情も反映されている、
あるいはそちらの影響の方が大きいという説もある。
がしかし、どのみち、
二酸化炭素やフロンを出さないに越したことはない。
クリーンエネルギーだろうとなんだろうと
たくさん電気を使えば、
最終的には熱となって放出されるわけだから、
化石燃料を使わないだけでなく(二酸化炭素を出さないだけでなく)、
あまり電気を無駄使いしないようにしないといけない。
なんて思うと、おれたちの商売って、、、(笑)


2006/01/13(金)
老人先生

最近、先生らしからぬ先生が多いという話だ。
同情の余地もありありだけど、
(そりゃ家庭教育の問題でしょってことも、
ぜえんぶ学校のせいにする親たちはどーなの)
先生になる人の資質にもやはり問題はあるんじゃないだろうか。
個人の資質っていうか、資格制度か。
ずいぶん前にも書いた気がするけど、
生徒のほとんどは、将来一般の会社の勤め人となる人だ。
一方、先生っていうのは
実社会でのお勤めの経験のない人がほとんどだ。
いくら学校が学問を教える場といえども、
その違いはどーなのかなと思う。
(もちろん、どちらがいい、悪いっていう問題ではない)
さらにいえば、
自分を振り返ってみても、
20歳そこそこで人にモノを教えられたかというと
全くあり得なかったと思う
(もっとも今でもまともに教えられる気がしないが)。
人を教えるには、
知識だけでなく社会経験がとても重要な気がする。
と思うと、
ますます今の教師(採用の制度)には問題がある気がする。

そう思うと、これからの老齢化社会、
会社をリタイアした人が、
教師をやるってのもアリなんじゃないだろうか。
人生の酸いも甘いも知り尽くした人たちの教えってのは、
味わい深い気がする。
(もちろん、学科を教えるに足る学識があることが前提だが)

20代、30代の頃は、
年寄りの言うことなんて、
辛気くさく、時代遅れで、保守的で、
てんで聞く気になれなかったけど、
40を超えると、
老人たちのすごさってのがだいぶわかってくる。
「あんたたち、ここまで生き延びてきただけでスゲーよ」
と心の底から思えてくるようになるんだから、
人っていうか年齢っていうのは不思議なもんだ。


2006/01/12(木)
言い忘れ

そうだ、そうだ、
昨日の発言で言いたいことをすっかり抜かしてしまった。
つまり、何が言いたかったかというと、
ワールドワイドでなくても、
(ほんの)10年前の日本のゲーム市場の大きさだったら
全然問題なかったわけだから、
ワールドワイド化と同時に!
国内の市場を拡大する(もどす)ことも、
推し進めていくべきじゃないんだろうか。
ってーことです。
って、もー某社がちゃんとやってますね、これ。

そっち方向なら、ひょっとしたらお手伝いできるかもしれない。

そんなことより、アネハ系マンション。
公費支援すべきかどうかは、とても難しい問題だろう。
他の災害支援とのバランスを考えないといけない。
他の違法建築事件とのバランスを考えないといけない。
ってのが、たしかに正論だろう。
たとえば、
国が引っ越しやマンション購入費用を
立て替えるというのはどうだろう。
国が負担するのではなく、責任者にしっかり返してもらう。
マンション住民に比べれば、
立て替えることも、仮に取りはぐれても、
負担は全然軽いはずだ。


2006/01/11(水)
ワールドワイド

「これからは、ワールドワイドで売れるゲーム以外はむつかしい」
と某所での決定。
ワールドワイド=日本、アメリカ、欧州(、アジア)
むつかしい=プロジェクトの承認ができない
という意味だ。
ごもっともな話だ。
日本のゲーム市場は小さくなる一方なので、
日本で売るだけでは採算が合いにくくなっているからだ。
ってことで、
「世界で通用するゲーム」

しかし、困った。
特に日本とアメリカでは
ゲームに対する価値観や趣味がかなり違う。
ちょっと大げさに言ってしまえば、
アメリカで売れる物となれば、
きれいで写実的な画面、3Dの主観視点の
シューティングゲーム、アクションゲーム
じゃなきゃならない。といっても過言ではない。
日本国内でさえ、
ちょっと価値観が違うなぁと思っているうちとしては、
かなりヤバイ問題だ。
っていうか、無理な気がする(笑)

きっとワールドワイドなゲーム作りというのは、
アメリカのほうが得意なんじゃないだろうか。
なんたって、
巨大な制作費と製作管理、厳密なマーケッティングなどなど、
ハリウッド映画の(戦略の)ノウハウがある。
しばらくは、まだ日本製ゲームが優位なんだろうけど、
そういう競争に勝てるんだろうか、、、
がんばってほしいもんです(イチ抜けたー、です)。


2006/01/10(火)
「思う」「書く」「話す」

「思う」と「書く」と「話す」は似ているようだけど、
ずいぶんと違うようだ。
「思う」だけでもずいぶんと深く丁寧に
アイデアを育てられそうだけど、
いざ(企画書に)「書く」とダメ、
いざ(プレゼンで)「話す」とダメ、
ということは多い。
「思う」段階で十分にまとまっているように見えても、
他人に理解してもらう、共感してもらうという段階で、
いろいろな矛盾や不備や魅力のなさが露呈してくるものだ。

どんないいアイデアや考えも、
紙(じゃなくてもいいだろうけど)に書き出す、
誰にかにしゃべってみるということは、
大切な作業なんだろう。
特に誰かにしゃべるというのは、
誰かから意見やアイデアをもらうためのものではなく、
自分のアイデアにしっかりとしたシルエットを与えるために、
とても重要な作業だ。

ということで、
隣の人に、
「これ、どう思う?」
とよく聞くんだけど、
「どーせ、私の意見なんて聞かない(取り入れない)くせに」
とつれない返事をする隣人であったりするが、
すんません、
確かにおっしゃる通りで、
聞いてる形をとってるんですが、
自分の考えをまとめたかっただけです。

宮崎駿が『もののけ姫』のメイキングの中で、
助監督の人に同じようなことを言われていたのを
見つけたときはとてもうれしかった。


2006/01/05(木)
謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
ムームーは本日より平常営業です。
アンド、
ゲーム班はマスターアップ前でてんてこ舞いです。

とうとう、
今年の正月休みは32時間くらいしかなかった。
それもこれも日本の企業の決算が、
3月に集中しているのがいけないのだ!(笑)
決算月=売り上げ月=発売月。。。

と言っててもしょうがないのですが、
軽い風邪と疲労と寒さで、
ひどい寝違いになってしまって、
首を少し動かすだけで首から耳の後ろまで、
針でプチプチっとさされるような痛みが走る。
っていう状態が続いて、けっこう大変な正月でした。
きっと戦後新記録の寒さで、
肩こりとかスゴイことになっているんだろうなー。

ぼんやり見てたテレビで言っていたことが、
この正月で一番の収穫だった。
「基準」と「確率」の二つの縛りがあるが、
リスクは確率論で考えないといけない、という話だ。
リスク、例えば原発の安全性みたいなものは、
日本は「#以上(の値の)基準を満たしていれば安心」
という定義をしているらしい。
一方、
アメリカなどでは「安全性は#の値に比例して大きくなる」
という定義をするらしい。
値が50なら30%、80なら50%の安全性、、、という具合だ。
日本では、#以上なら100%安全ということになってしまうが、
安全性が#に比例ということは、
どこまでいっても100%安全にはならないことになる。
人間は100%と言われた瞬間安心してしまうものだが、
あくまで「確率」でリスクをとらえると、
そういう油断は少なくなるはずだという理論だ。
なるほどねーと思った。
たしかにある値を境に、こっち危険、こっち安全なんて
線引きをすることはおかしな話だ。

誰かに言いたくてしようがない話だけど、
リスク管理の話をする場なんて全然ないんで、
ここに書きました。



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