人間風車

2006/02/28(火)
ツール+ゲーム

純粋なツール的なゲームのブームの後には何が来るんだろう。
そんなことわかっていりゃー、今頃、、、
なのでさっぱりわからないが、
もう少しより戻したところに来てくれるといいなと思っている。
非情に安直な考え方で申し訳ないんだけど、
ツールとゲームのハイブリッド。
ただ、これは言葉に書くと簡単だけど、
実際にデザインしていくとなるとそうは簡単ではない。
ツールというのは、
いわゆるゲーム的作法とかなり相性が悪いからだ。
下手をすれば、
時間が経ったドレッシングのようにすぐに分離してしまう。
いっそのこと別容器に入れようかなどと思いかねないくらい、
相性が悪い。
今までゲームをやっていなかった人には、
さほど魅力のないオプションかもしれないが、
昔はゲームをやった人には、なじみのある「味」なので、
案外、このくらいの「味」があったほうがいいかもね。
と思ってくれるかもしれない。
栄養ドリンクというよりは、
栄養も入った清涼飲料水っていうくらいの立ち位置。

果たしてどうなんだろう。
そこにお客さんはいるんだろうか。
とりあえず、次はそこらへんに釣り糸を垂らしてみるつもりだ。


2006/02/24(金)

我々の最大の不運は、
野党の無能さである説がまた証明されてしまった感じだ。
たしかに「爆弾」発言だったけど、
まさか「自爆」用の爆弾だったとは(笑)
それにしても、
小泉さんというのはなんて強運な人なんだろう。
今回は、
いわゆる「四点問題」で窮地に立つはずだった。
特にライブドア問題は「わかりやすい」失態だったので、
民主党としては世論を味方に付けつつ、
楽に攻撃できたはずだっただろうに。。。
彼は、こういう絶体絶命をなんども
「運の力」で切り抜けてきたような気がする。

前にも書いたような気がするけど、
自民党が好きか嫌いか、
彼らの政策がイイと思うか悪いと思うかとは
別の次元の問題として、
国のボスが強運の持ち主であるということは、
ある意味、うれしかったり、助かったり、安心だったりする
っていう思いがしないでもない。

ゲームのような集団作業になると、
各メンバーの能力とか協調性とかいうのと同じくらい
プロジェクトやボスの持つ運というものの
存在を感じることがある。
っていうのは、きっとぼくだけじゃないだろう。
そんなこともあって、
ひょっとすると、(きっと目に見えない所なんかで)、
我々はボスの強運に助けられているのかもしれないと
つい、思ってしまったりするのであった。


2006/02/22(水)
ヤバイのはむしろ出版界?

またしてもN社のカンファレンスに関して。
こういうことばっかり書いていると、
必ず、
「お前はS派なのか、N派なのか」
と半分批判を込めて質問をされるが、
ずっといっているように、
「おれはSN派だ」(笑)
つまりハードを出している派であり、
サードパーティー派ではない。
ということだ。
偉そうに聞こえるかもしれないけど、
単純に、今のご時世、
SNさんくらいしか話を聞いてもらえないだろう
っていう想定とうか立場というか芸風っていうことだ。

そんなことよりも、
このカンファレンスの中で「電子化」という言葉が出てくる。
書籍などをDS用に電子化するという意味だ。
「電子化」自体、死語に近いくらい古くからあるコンセプトで、
過去、さまざまなハードやソフトが売り出されてきた。
ただし、過去の履歴を見てみると、
そういい結果を出しているとは言えない。
理由はいっぱいあるんだろうけど、
・メモリ容量やCPUのスペックなどハードの力不足
・それ専用のハードを必要としていた
・そもそも電子化すべき素材があまりなかった(?)
あたりだろうか。
つまり、コンセプト自体の問題ではなく、
時期尚早だったということだったのかもしれない。
例えば、
『大人の脳トレ』がミリオンになるためには、
・書籍の世界でそういうネタが受け入れられたということ。
・タッチペンという敷居の低いUIであること。
・他にたくさんのソフトが用意されたハードであること。
・文字入力や音声入力などの機能があること。
・本一冊分の情報やアニメーションが入ってしまうこと。
・ちょっと高い本、くらいの値段になったこと。
・本なみの携帯性があること。
・本なみの立ち読み(体験)ができるようになったこと。
・従来のゲームばかりじゃダメなんじゃないかという危機感
そのどの要因も欠けてはいけなかったんじゃないだろうか。
逆に言えば、
そういう環境が整ってしまったので、
書籍世界全体が射程距離に入ったことになるんじゃないかな。

ぼく個人は古い人間なので、
本という物質がもっているインクのニオイや紙の手触り、
重さ、ページを開いたり、本を閉じたりする感覚が
とっても好きなので、
「電子化」ですぐに飛びつくと言うことはないけど、
そうした物質性よりも情報を重視する人にとってみれば、
・劣化しない
・アニメーションや音が入っている
・検索やリンク機能がある
・インターラクティブだってあり
などなどは、
本という物に付加価値が
ついたものに感じられるんじゃないだろうか。
本は今でもオールカラーっていうことだけですら、
かなり大変なわけだ。
むろん、
全てのジャンルが電子化に向いている訳じゃないだろうし、
多くの人はモノとしての本を愛しているだろうし、
本屋での立ち読み楽しいはずだが、
「だから安泰」というには説得力のない反論と言える気がする。

てなことで、
S社危機っていうよりは、
むしろ出版界(カテゴリーが一段上)が危機なんじゃないかな。
(危機というのは少し大げさすぎるけど)
と思った次第。


2006/02/20(月)
新しいユーザー#3

そうだ、とっても大事なことを書き忘れた。
ちゃんと書いておかないと誤解を招きそうだ。
とくにうちはどっかから、
「ゲームユーザーの幅を広めるために」
というタスクを与えられていたわけではない。
PS1の立ち上げから、ずっと、
「もうゲームをやらなくなってしまった(自分のような)人、
まだゲームをやっていない人、
そういう人向けのゲームを作ることが自分の役割であり、
自分がやりたいこと。
ってことを「自主的に」自分たちの役目と思っていたわけです。
今のような市場のムードの中で、どうやったら伝えられるか、
それ以前に、どうやったら作り続けていけるか
(作るチャンスをもらうか)
そんなことを、
気がついたら10年もうんうん考えていたところに、
ふっと、『脳ドリル』みたいなものがでて、
あっさりと「対岸」が市民権を得たのを目のあたりして、
「自主的に」反省したり、分析したり、言い訳したり、
まーそんなことを書いたという次第です。
ってあたりは、
ちゃんとはっきり書いておかないとダメでしたね。
失礼しました。

ついでに。
もし『脳ドリル』が、
従来のコントロールタイプのゲーム機で、
普通のゲームと同じ値段で、
同系統のソフトが追随しない。
そんな状態だったら、今のような売れ方をしたのだろうか。
ってあたりは、
自分たちの力不足云々の問題とは、
別の次元の問題としてもあるんじゃないのかな。
と言いたかっただけなわけで(言ってたつもりだけど)、
全てを他人のせいにしているってつもりはみじんもないわけです。
そこらへんあたりもよろしく。

要は、
「自主的な」課題をずっとクリアできないでいるのは、
自分の力不足が一番の原因であることは間違いがない。
しかし、ひょっとしたらその課題は、
思っているよりも、
うんとでっかくやっかいな問題であり、
ひょっとしたら、
いちソフトだけではクリアできないのかもしれないという
不安も浮かんできた。ということだ。
そんなこと、
ちゃんとしたものを作ってから言えと言われてしまいそうだが。
(完)


2006/02/17(金)
新しいユーザー#2

『ポケモン』が消えかかっていたハードGBを復活させたように、
ソフトがハードを牽引したという事実がある以上、
S陣の苦戦の大きな原因はソフトの力不足であったことは明白だ。
そして、自分たちのその戦犯の一人だ。
それは間違いがない。
しかし、少しばかり言い訳をさせてもらうと、
「新しいユーザーを巻き込む」というのは、
1ゲームの「企画」ではなく、
1ハードの「戦略」といえるくらい、でかいスケールの問題だ。
なぜ、ゲームから遠のいてしまっているのかを分析すれば、
十字キー操作がむつかしいとか、
テレビを占有されるとか、
ハード自体の問題である点も多いからだ。
こうした根本的な問題は、
ハード(メーカー)サイドで解決してもらわなければ、
1ソフトではどうにもならない。
さらに、
ゲームの値段を一般的な価値観の所まで下げるとか、
追随するソフトを出し「コンセプト」を
力強く明確にするとかいったことも、
1ソフト(メーカー)ではどうにもならない。
出す側の本気度が感じられなければ、
誰もついてこないだろう。

などは少し弁解として語らせてもらっても
いいんじゃないだろうかと思うし、
そういったことを、
驚くばかりの強い意志で実行してきた結果が、
今日のN社なんだろうなと思う。


2006/02/16(木)
新しいユーザー#1

N社の「新しいユーザーを呼び込む」という戦略は、
すごく成功したようだ。
ちょっと前まで、売れるソフトとは、
・続編や大作しか売れない
・きれいなグラフィックや十分なボリュームが必要
・有名な映画や漫画やスポーツなどの知名度をプラスしないとダメ
というのが「常識」として語られたけど、
全くの勘違いだと言うことが証明された。

今夢中でゲームをやっている人たちをターゲットにするのではなく、
まだやっていない人、もうやっていない人をターゲットにすれば、
それはそれでマーケットとして成立するはず。
というのは、別にN社だけで言われていたことでない。
開発の現場ではよく言われていたことだし、
ボク自身も何回も言ってきた気がする。

ただ、それで必要十分な形で出力できるかどうかは、
とてもむつかしい。
『大人の脳ドリル』がミリオンになったのは、
正直ショックだった。
ああしたツール系が受け入れられるはずとは思っていたが、
(思っていたので『福福の島』を作ったわけだけど)
ああいう骨格が見えるくらいの姿、スケール、ボリュームで
OKなんだというのにおどろいたわけだ。
必要十分というのは、足しすぎないという意味でもある。

「雑誌のような、ツールのようなソフトにしたい」
それには現実の世界に即した
占い、心理テスト、クイズ、うんちくなどがあるといい。
までは正しかった気がするが、
そのまんま(例えばメニューで選択するとか)の形じゃあ、
ゲームクリエイターの端くれとしてどーなのよ。
もう一ひねりして、
ゲーム的な世界に入れるくらいの工夫をしんと格好つかんでしょ。
と思って作ったのが『福福の島』だが、
それはまさに「蛇足」だったのかもしれない。

話が長くなりそうなので、明日続きを書きます。


2006/02/15(水)
プロレスとゲーム

ガラクテイル』がマスターアップ。
とっても小さな会社なので、
いつも、総動員で最後の作業をする。
ということで、
昨日、おとといは代休をいただきました。
発売は3月16日(予定)らしいです。
『ガラクテイル』はボクの関わりが薄い分、
ちゃんとしたゲームになっているので、
どうかご安心を(笑)

そういえば、ちょうど去年の春、
子供向けのソフトの企画を考えてくれと言われたとき、
最初に思ったのは、
ちゃんとした昔話をプレスクールの子供たちに
伝えたいということだったのを思い出した。
僕らが最初に接する昔話は、
文化庁のフィルターを通して削られたり修正されたりした
行儀のいい話ばかりなので、ちっともおもしろくない。
これをもって、昔話なんておもしろくない。
と思われているだろう(自分もそうだったから)ことが、
もったいなくてしようがないのだ。
それより数年前、
出版の世界で「ホントは怖い」シリーズとかいう
原典に近い昔話の本が売れたりしたので、
ほら、マーケットの結果も出てるでしょと
提案した記憶がある。
しかし結局
「子供は昔話なんて興味がない」
「ゲームとそぐわない」
という根拠のないネガティブな印象
(だって、誰も試してないんだもの)と
メンバーからも「その題材だと作りにくい」
と評判がさんざんだったので、
昔話を紹介するということを「軸」にすることはできなかった。

でも、その気持ちは今でも心の隅に残っている。
昔話が辛気くさいのなら、
「百物語」や「今昔物語」なんてのもおもしろい。
近代以前のあっけなく不可思議で容赦のない物語は、
今読むととても新鮮だし、過剰な演出がない分、
不気味さや神秘さが際だっている。
これらにタッチしない人生はもったいない気がする。
ということで、すきあらば提案しようと思っている。

たとえば、PSPなら1.8GBも容量があるわけだ。
ランダムアクセスが苦手なハードでも、
映像系のソフトならかなりリッチなものが作れるはずだ。
1駅1物語っていうくらいの尺だしちょうどいいのではないか。

どっちのハードとは明言できないが、
とても開発負荷の小さいハードがあるから、
試作を作ってしまってから持ち込むなんてのもありかもしれない。
そうしてみようかな(笑)

などなど。
終わった瞬間くらい休めよと思うけど、
悲しいかな貧乏性な性格なのでした。


2006/02/10(金)
自分を知りたい

さて、残すところ週末の土日だけ。
泣いても笑っても怒っても嘆いても土日まで。
今回は現場監督をやっていない分、
楽をさせてもらっているが、
それでもさすがにこの時期は緊張する。
普段ゲームをやらないのに、
マスターアップ前だけは
ず~~~~~っとゲーム画面を見ているので、
目が慣れなくて、とても辛い。
昔、まだゲームにはまっていた頃、
ゲームをやらない友達にゲームをやらせたら、
涙をボロボロながしながら
「ゲームって辛いよ」と言っていたけど、
今となってはその気持ちがよくわかる(笑)

結局の所、誰もが一番興味があるのは自分であり、
一番よくしていきたいと思うのも自分である。
世間ではどうであろうと、
自分の人生の中では、自分が主人公だからだ。
ここんところ発売された
DSのタイトルの中のいくつかに
「今日の運勢」や「性格分析」
っていう要素が入っていたのを見つけたのはうれしかったな。
「そうだよねー」と言える気がしたからだ。
自分を高めるとか、
気持ちがよくなるとか、
元気をもらうとか、
自分を知るとか、
そういう遊び?で、
ゲームが現実の世界(特に自分)と地続きになるのって、
とてもおもしろいよねと共感できそうな気がしたからだ。
(『福福の島』なんてそれの塊みたいなゲームだから)


2006/02/06(月)
性悪説

締め切りまでラスト1週間をきった。
『ガラクテイル』スタッフは、
「もう」すっかり明るく元気だ(笑)
本来なら連日の長時間作業で、
体力も精神力もすっかり
レッドゾーンにはいっているはずなのだが、
マラソン・ハイと同じで人間ギリギリのところまでいくと、
あり得ない馬力がでるものだ。
マスター・ハイといったところか。
あと少し、それが偽りの元気であることに
気がついてしまわないことを祈る(笑)

『コスモぐらし』のような
ほんわか、ゆるゆるなゲームを作ったときですら、
性悪説でルールを設定した。
(もっとも他のネットゲーに比べれば、
かなりゆるかったはずだが)
最悪、こういう人もいるかもしれない。
つまり、
そういう人のために(大多数の)優良なユーザーが
迷惑しないようなルールを考えた。
そのため、
どうしても禁止事項が多くなったり、
制限数が厳しくなったりして窮屈な感は否めないが、
場が乱されてしまうよりはなんぼもマシということで、
そのように設定する。

今、巷を騒がしているライブ●アやフュー●ーの問題も、
どちらかというと、
東証や国の建築の耐震度チェックのルールの不備に対して
どーゆーことよ、と思ってしまう。
それが商売である以上、
きっと、非人道的なことをしようとする人は出てくるだろう。
そういう人がいるとしても、
良識的な人が迷惑をしないように
あらゆる場合を想定したルールを考えるってのは、
「主」としては当たり前のことだと思う。


2006/02/03(金)
100人月

100人月。
1つのゲームを作るときの目安をそう考えることにした。
この人月、つまり
制作期間を1年とすると、スタッフ数は8人程度となるので、
そう大きなものは作れないというか、
小規模なモノしか作れない。
しかし、このくらいの規模だと話が通しやすい。
リクープ数、つまり採算ラインが下がるからだ。
新しい提案がどんどんどんどん通りにくくなっている
今日この頃、
制作者もただゲームの企画を出すだけでなく、
制作環境面でのアイデアも提案していかなくてはならない。
まず、このレベルでスタートして、
ヒットしたら次のステップ(規模)に行きましょう。
という提案が現実的なのかもしれない。

もっとも、100人月システムが
必ずしも後ろ向きな考え(戦略)であるとばかりは言えない。
期間と人数をしぼられれば、
その分、アイデアで埋めて行かなくてはならない。
あらゆるレベルで、
すばやく正確な決断と作業がもとめられる。
1年じゃー、中だるみするヒマもない。
1年だったらエンジン全開で乗り切れる。
(もっとも、ノルアドレナリンも出っぱなしだろうが)
つまり、マシンの進歩とともに、
写実的な絵や音とか、現実の遊びの再現とか、
たくさんのキャラやアイテムとかイベントとか、
ある意味、知恵で乗り切ることを放棄してきた方向性が
物理的に制限されるので、
ものつくりの原点に戻れるという意味では
いい環境とさえいえるのではないかということだ。

本当は、制作コスト削減が
製品の値段にも反映されてほいしところだけど、
いろいろな事情で、
なかなか制作費の縮小→価格の低下というのはむつかしい。
(そうしたゲーム産業の不健全さも
売れない原因の一つなんだと思う)


2006/02/01(水)
オヤジ狙い

オヤジ狙いといってもオヤジ狩りの一種ではない。
オヤジ向けオモチャが売れてる?売ろうとしている?
という話だ。
ただし、
オヤジ向けオモチャというのは、
オヤジが「今」好きそうなオモチャということではなく、
昔子供だった頃に遊んだオモチャをリバイバルさせたもの
ってことだ。
オヤジだってオモチャが好きだ!っていうのは、
この年になるととても共感できるが、
その対象が「過去」ばっかりで
オヤジは過去しか振り返らないのかと思うと、
ちと寂しい。
新しいオモチャにも手をだそうよ>オヤジ
これからどんどん社会は老齢化するわけだから、
音楽も漫画も映画もゲームもすべて
子供がメインターゲットという時代ではなくなってくる。
そういう意味で、オヤジ復権のチャンスなわけだ。
どんどん新しいモノ、自分が今ほしいモノを買って、
市場を子供から奪おう。
大人買いのパワーを見せつけてやろう(笑)
うちもなんとかがんばって、
オヤジ向けの企画をこっそり通してみるよ。




« 人間風車: 2006年1月 | | 人間風車: 2006年3月 »