人間風車

2006/03/31(金)
winny

『それにしても、どーしてまー同じことが起こるんだろう。
会社のデータを個人パソコンに入れた上で、
winnyのウイルスに感染してデータをネット上に流出させる。
もう、どこの役所だったか会社だったかわからないくらい、
連日、同じ事故が起きている。
それに対して、世間っていうかマスコミは、
「winnyが悪い!winnyを使うことが悪い!」
の連呼だが、
どう考えたって一番悪いのは、
会社のデータを個人のパソコンに移すという感覚であり、
それができてしまう会社や公共機関のデータ管理だろう。
個人的には、
winnyの基本的な思想自体は、間違っていないと思う。
不注意な使い方によって、他の人に迷惑をかけてしまうのは、
包丁だって車だって同じだ。
使う者の責任が一番大きい。


2006/03/30(木)
ムームーらしさ

『ガラクテイル』はムームーらしくないって
言われることがあるらしい。
(例によって、某巨大掲示板は見てないので、うわさ話レベル)
森川らしくないって言われれば、確かにそうだろう。
『ガラクテイル』では、
ゲームデザイン自体に大きく関与していないからだ。
ただ、それはムームーとしては初めてのことではなく、
『ジャンピング・フラッシュ』シリーズでもそうだったので、
そういう意味での
ムームーらしくないっていう意味ではなさそうだ。

子供をターゲットとしたという未知の試みが、
少しお行儀のよすぎるゲームにしてしまったのかもしれない。
自分たちには想像でしなかい「子供心」を頼りに
作っていったからだ。
そういえば、自分が子供のころも
「子供用」として作られた映画もアニメも
ちっともおもしろくなくって、
夜一人でトイレに行けなくなったり、
夢に出てきたりするような、
子供だましでない作品が好きだった気がする。

もし、再び子供用のゲームを作る機会があったら、
今度は「夢見るぞ!」というくらいの毒のあるものにしよう。

ps:
そういえばそれで思い出した。
小学校に上がる前に読んだ
とても心に引っかかる絵本が復刻になった。
軽く探していたんだけど、なんせタイトルすら覚えていなかったので、
ずっと出会いえずにいた絵本。
こんど子供用のゲームを作る機会があったら、
こういうのがいいかなと思う。
焼かれた魚


2006/03/27(月)
キャベツ

ある料理人が言っていたのですが、
「キャベツは作る人の腕に応じてしか味を出してくれない」
らしいです。
キャベツの千切りくらいしかしらない(できない)人には、
その程度の味しか提供してくれないし、
キャベツとセロリのワイン煮くらいできる人には、
それなりの味を提供してくれるというわけです。

モノを創る人間は創ること、
つまりアウトプットが一番大事なことは言うまでもないけど、
どれだけインプットがあるか、
その質と量と種類も大切だと思うんです。
何かに接すれば必ず接したモノから
100%ゲットできるかというと、
キャベツと同じで、そうじゃないという気がします。
つまり、
その人の受ける力に応じてしか
得られないんじゃないかということです。
仮に対象が100のエネルギーがあっても、
受け取る人が10のキャパシティーしかなければ、
それだけのエネルギーしか得ることができないし、
対象がA、B、C、D、Eという
5種類の「栄養」を持っていたとしても、
受け手がAしか受ける力を持っていなければ、
対象はAしか発してくれないと思う(錯覚する)わけです。

好奇心とは、いろいろな対象へアクセスする力で、
おそらくモノ創りをする人間にとっては、
最も大切な能力の一つだと思うんですが、
それだけではダメで、
同時に受け取る力を鍛えないと
受け取れるモノが限られてしまうと思うわけです。
受けるチャンネルを増やしつつ、感度もよくしていく、
そういうトレーニングが必要だということです。

この春、うちには2人の新人が入りました。
具体的な仕事のことについては他の人に指導してもらうとして、
ぼくとしては、せっかくうちに来たんだから、
アウトプットの技術や知識ばかりでなく、
そういうインプットの精度も高めてもらえたらいいなと
まー、いろいろやってるわけですが、
この回りくどく、アブスチラクトなお勉強(笑)
果たしてピンと来てくれるのかどうか、
まだまだわからない状態ではあります。
(当たり前だけど)


2006/03/24(金)
理性による検閲

DIMEの今週号に、
大好きな作家、筒井康隆のインタビューが載っている。
彼の発想法がとてもおもしろく、
且つ、
似てるかもと思ったのでちょっと紹介。
「着想」に至るまでの(ネタの)断片は、
意識(エゴ)上に置いておいてもしようがない。
無意識、前意識に留めておかないといかない。
そうした深いところに貯めておいたネタが、
ふと「理性」による検閲を免れて、
素のままで浮上してきて急激に合体するときにはじめて、
それらは新鮮で大胆で斬新で個性的で革新的で
バカバカしいアイデアとなる。
まー、だいたいそんなことを言っている。

要点は3つだと思った。
1つは、理性の検閲とは
常に常識や見栄や道徳観や諸々の利益といった
「社会性」のフィルターだ。
そういうフィルターを通ってきたからこそ
役に立つアイデアってのも多いが、
こと創作に関しては、百害あって一利なしだろう。
いかにそうした検閲をのがれて「しゃば」に出してやれるかが、
とても大切なテクニックとなる。
もう一つは、
無意識下に貯蔵しているネタは1つでは役不足であり、
複数のネタが合体したときに
はじめて強い力を発するということだ。
そして、どのネタとどのネタがくっつけるかもまた、
意識(常識)のフィルターを通してではダメだ。
意外なくっつき方っていうのもまた、
検閲を免れた時のみできる合体ということだ。
最後の一つは、
そういう意識の検閲を免れる手段というか儀式を
身につけないといけないということだ。
きっとこれは個人個人で全然違うだろう。
筒井康隆は惰眠やパチンコだそうだ。
ボクの場合は、散歩か風呂か落書きだ。

自分と筒井康隆を並べて語るなんて恐れ多すぎだけど、
精度や質の差はあるにしても発想法はそっくりなんで驚いた。
例えば、
遺伝的アルゴリズムと演歌とシロクマ
といった無意識の世界で個別に浮遊してたネタたちが、
ふいにくっついてゲーム仕様として意識に登ってくる。
どう発想したのかと聞かれると、
やっぱりそういう感じということになる。


2006/03/20(月)
においのわかる春

それにしてもよかった。
WBCの日韓戦のことです。
出だしさっぱり話題にならないので心配してたけど、
やっぱりこういうドラマがあると盛り上がるなー。

今年は花粉症が軽いので、
年々かぶりにジンチョウゲや梅の香りがわかってうれしい。
そういえば、この数年はにおいなしの春だった。
今年は花の香りだけじゃなく、
ああ、この家は魚を焼いているとか、
ああ、この人は散髪にいったばかりだなとか、
ああ、品のいいシャンプー使っているなとか、
いろいろな香りがわかる。
やはり春はこうじゃなくっちゃ。

ホラー映画が怖いのは実は音であるように、
食べ物がおいしいのも実は香りが主役だったりすることがある。
遺伝的親和性(相性のよさ)もにおいでわかるという。
(いい香りだと思った異性は親和性が高い)
初めてのものを手にするとき、つい鼻に近づけてしまう。
臭覚は五感のうちで最も退化してしまった感覚と言われるが、
それでも直感や主観に
大きく関わっている感覚なんだなぁと改めて実感。

ああ、来年の花粉はどうなんだろう。
なんとかこの臭覚だけは取り戻したままにしておきたい。


2006/03/16(木)
本日発売

『ガラクテイル』は本日発売。
もうどうのこうの言っても始まりません。
まな板の上の鯉。
長くじっくり売れてくれるといいなぁと思っています。
今までうちが出してきたゲームってのは、
「奇ゲー」扱いされてることからわかるように、
楽しめる人もいるだろうけど、楽しめない人もいるよね。
っていう確信犯的なものが多かったんだけど、
今回の『ガラクテイル』は、
ゲームが好きな人なら、きっと、
ほとんどの人に楽しんでもらえると思いますんで、
一つ、よろしくお願いします。

そういえば、どこでかぎつけてきたんだか、
姪っ子からメールが来た。
ゲームいつ出るの、でたら送れというわかりやすいメールだ。
今までのゲームだと、小学生にはちょっと無理かもねーと思って
送らないでいたんだけど、今回は大丈夫そうだ。
まだ小学生の子と母(つまりオレの妹)
二人で遊んでもらうにはちょうどいいゲームだと思う。
そういうゲームをうちが作ったってあたりが、
もっと「奇」ではある。


2006/03/10(金)
数値化しない

しばらく前、
円周率を3と教えるか3.14として教えるかで
もめてたような気がしたけど、
ボクに言わせれば、
数値に変換すること自体ナンセンスだと思う。
円周率に限らず、プランク定数も光速も重力定数など
およそ定数というものは
近似の数値に変換しない方がいいのではと思っている。

近似の値では正確ではないという意味ではない。
例えば、円周率や光速を数値にしてしまった後
計算すると他の数値とまぎれてしまって、
その計算式の中に、
円周率や光速が含まれていることがわからなくなってしまう。
つまり、
その計算には円周率や光速が関わることがわからなくなり、
その計算の「意味」や「性質」の理解がしにくくなってしまうのでは、
という危惧からだ。
もっとも、
だいたいどのくらいの値であるかは
知っていた方がイイに違いないから、
1)円周率はだいたい3である
2)延々と割り切れない数字である
3)その時その時に必要(有効)な桁数で使う。
4)100万桁くらいまでなら簡単にネット上で見つかる
くらいを教えておけばいいのではないかと思う。


2006/03/09(木)
楽天とamazon

最近日本でもamazonが伸びているとか、
どっかに書いてあった。
ぼくは、今のところ、
楽天とamazonどちらもヘビーユーザーだけど、
もしこのままamazonの品揃えが増えていけば、
ぼくは楽天を捨てるような気がする。
楽天は確かに店の数は多い、にぎやかなショッピングモールだ。
しかし、一歩中にはいると、
案内所(検索機能)があまりにお粗末だし、
飾り付け(各ページのデザイン)や
掃除も行き届いていない(平気で品切れ商品リストが並んでいる)
なんだかなー、M&Aとかより先にこっちを整備してくれよ。
と思うちょっと残念な市場でもある。
一方amazonは、
より買いやすいための仕組みの強化に
つねに前向きな感じがしている。
1クリックで買えたり、
ユーザーのレビューを載せたのもそうだし、
あなたへの「お勧め」も用意してくれているし、
「お試し」や「立ち読み」機能まである。
何よりも、何を買っても
1500円以上なら送料無料というサービスがありがたい。
検索機能もまあまあいいし、
レイアウトも整然としていて見やすい。
スパムメールの数も楽天に比べてうんと少ない。

もっともどうにかしてくれという所もある。
最悪なのは予約しても発売日に届かないことがあり、
予約ってなんなのよ、と言いたくなることも多い。
買った後で「在庫がありませんでした」ってことも多い。
日本人の几帳面さがわかっていないようだ。

ということで、今のところ一長一短ではある。
amazonがレアな商品を揃えるようになるのが早いか、
楽天がサービスを統一化し、充実させていくのが早いか、
後者の方が早い気がするんだけど、
どうもamazonのほうに「未来」を感じてしまうのはなぜだろう。


2006/03/08(水)
会社の健康

おそらく、そんなに遠くない将来、
ゲームの値段は3000円台前半が主流になるんだろう。
つまり、今よりいくらか安くなる。
つまり、今より制作コストもいくらか安くなる(涙)。
つまり、今より制作会社は苦しくなる(涙)。
つまり、今より制作会社は少なくなる(涙)。
とっても大きな会社か
とっても小さな会社でないと
生き残れないのではないだろうか。
大きな体力で市場を牛耳るか、
小さな代謝で苦境を乗り切れるか、
そのどちらかの「能力」がないと生き残れない気がしてならない。
ちょうど、動物の世界がそうであるように。
おもしろいもので、
会社というモノは放っておくとどんどん「太る」。
(事業が伸びている、伸びていないにかかわらず)
人数が増えたり仕事が増えたり、
一見景気がいいように見えるが、
そこには肥満に通じる危険性がある。

20世紀の会社の成長やら健康のシンボルは、
大きくしたり多くすることだったけど、
21世紀の成功のシンボルはそれとは違うんじゃないかな。
いつまでもスリムな体型を維持しているっていうのも
1つの会社の「健康」(成功)の一つになるんじゃないだろうか。


2006/03/03(金)
週末

なんて言うんたんだったか忘れましたけど、
あの、何号も続けて買うと、
世界の名車やお城や戦艦大和が組み立てられるっていうグッズ付きの本。
あれが団塊の世代に売れているらしいって、
今TVで言ってますね。
初号は1000円くらいで安いんだけど、
完成までには90号とかまで買わないとダメなものもあるらしい。
となると1万円弱か。

富山の薬売りタイプの「使った分だけ」という商売もまた
新たなビジネスとして脚光を浴びているという話を聞いた。
あるいは
『25』みたいに(ユーザーにとっては)無料のものとか、
一定期間無料とか、
そういうサービスも流行っているらしい。
あるいは、牛乳の宅配サービスも
パンや香辛料も持ってきてくれるなどの付加サービスをつけることで
また復興してきているのだという。

売り切りゴメンではなくって、
徐々に買い足すとか使った分だけとか、
無料お試し期間とか、無料サービスとか、
宅配とか、
高いくせに中身をチェックすることもできない。
小さなサイズもない。
ゲームショップか量販店まで買いに行かないといけない。
ゲームの売り方っていうのにも、
そういうビジネスモデルを取り入れるとおもしろいのかもしれない。




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